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関空裏側探検と絶品空弁ツアー‐2060‐

貸し切りの観光バスに乗るのはいつ以来でしょうか。

昔は嫌いだった、独特のにおいさえ懐かしい。

健保の健康増進イベントで、ウォーキング&関空裏側探検というツアーに参加しました。

ただ、天気は生憎の小雨模様です。

まずは展望ホールから、関西国際空港を眺めます。

イタリア人建築家、レンゾ・ピアノがコンペで勝ち取ったこの建物は1994年の完成。グライダーがモチーフになっています。

銀色の屋根は若干年期が入ったでしょうか。

お昼少し前は出発のピークなのか、飛行機が列を成して順番待ちしています。

その後観光バスに戻り、 関空裏側探検がスタートしました。

専属のガイドさんが同乗の上、関空内を端から端まで案内してくれるのです。

左に見える管制塔は、関空だけでなく、伊丹空港や神戸空港へも指示を出しているそう。

また、右に見えるのは関西空港警察署。

警察署長は、赴任先に住民票を移すのが決まりで、関空島唯一の住民だそうです。

手前のタンク一基で、ジャンボジェット60機を満タンにできるそうです。

一番驚いたのはその先に見える、下水処理場。

島内の下水は全てここで浄化され、トイレなどに再利用するそうです。また、ゴミ焼却場も隣接していました。

騒音問題を解決するため、沖合5km地点に作られたのですが、そのためにはこういった問題を全て解決する必要があった訳です。

こちらは機内食を運ぶ専用車。

荷台が大きく上昇しているのが見えるでしょうか。

最後は2期空港島へ。

国際貨物のエリアはFedExの看板が見えていました。

世界最大手の物流会社ですが、そのオフィスの庇がいかしています。飛行機の翼なのです。

未舗装道路を通り、2期空港島の最南端までやってきました。

ガイドさんによると、目の前で大迫力の着陸シーンを見れる予定でしたが、寸前に風向きが変わったそうで、着陸方向が反対になりました。

残念ながら着陸後、しか見ることができませんでした。

それでも大型機は、滑走路を目一杯使って着陸します。

UAEのエミレーツ航空の貨物機がやってきました。

真近に見るジャンボジェット機はド迫力。

何故か最近、飛行機づいています。

団体限定のようですが、このツアーかなりお勧めです。

ガイドツアーの後は、楽しみにしていた「空弁」

機内食を作るシェフ監修とのこと。

博多華味鳥監修、復刻とりめし¥1,280。

炊き込みご飯ではなくスープご飯とは。全く想像外の味でした。

鳥に掛かるソースは、ローストビーフのソースに近いかもしれません。

期待をはるかに上回る、お味、ボリュームでした。

1メニューあたり5食以上・合計15食以上で頼めるようですが、こちらは更にお勧めしておきます。

健康増進が目的なので、最後は対岸にあるりんくう公園でウォーキングです。

そこそこの雨でしたが、空弁を食べたのでしっかり歩いてきました。

やはり健康であって、はじめてハードワークができるというもの。

50歳を過ぎ、積極的に自分でコントロールする必要がでてきたと思います。

何かを知る。しっかり運動する。ちょっと美味しいものを食べる。

これ以上の幸せはありません。

初めてこのようなツアーに参加しましたが、はまってしまうかもしれません。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

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建築家・守谷昌紀TV 楕円のカウンターが隔てず、導き、繋ぐ、土佐堀川を見下ろすオフィス「seiundo」

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

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なんでもある街、尼崎。玉子巻140円なり‐2059‐

阪急電車園田駅です。ある計画の初期調査にやってきました。

兵庫県で最も東にある駅だそうですが、初めて下車しました。

大阪行きホームの北にあるホームは、園田競馬の開催日に使用されていたようですが現在は閉鎖されています。

駅の北側は想像以上に整備されており、人通りも盛んです。

道幅は狭いものの、駅前商店街も活気がある印象。

更に歩くと、銭湯が見えてきました。

駅前の銭湯はかなり珍しいと思います。

駅の南側も道が広く、視界が開けています。

待ち客のいるお寿司屋さんを見つけました。

年配の大将がひとりで切り盛りしているようですが、金額を見て驚きます。

玉子巻、梅しそ巻、きゅうり巻はいずれも140円。6貫入っているようです。

コンビニおにぎりより安いとは……

何とか機会を作って食べてみたいものです。

そのまま南へ歩くと藻川に当たります。

わずか4.8kmの一級河川。理由は後で書きます。

南へ歩いて、名神高速の高架を通過。

1kmほどで猪名川との合流点に着きました。

その三角州の先端は公園になっています。

東からみると、公園の先に小さな島が見えます。

豆島とありますが、なかなか不思議な光景。

東に流れる猪名川と4.8km先で分岐した藻川は、ここで再度合流するのです。

川に囲まれた「戸ノ内」では鯉は神の使いとし、殺したり食べたりしなかったとあります。

藻川には大きな鯉がかなり泳いでいたのはそのせいなのでしょう。

猪名川の上流を阪急電車が通っています。

その上を、伊丹空港にランディングする飛行機。

更に南に歩くと、神崎川との合流部には山陽新幹線。

僅かに東へ行けば、阪神高速の池田線。

阪神高速、名神高速、阪急電車、山陽新幹線、藻川、猪名川、神崎川。

そして隣街の豊中には伊丹空港と、これだけ色々なものが集まっている場所はなかなかありません。

後に見えているのは、神崎川と旧猪名川が合流する水門です。

もすりん橋公園は、大雨時には貯留施設になるとあります。

これだけ河川が集中していれば、洪水との闘いだったことは想像に難くありませんが、この公園は凄いなと思いました。

更に遊具のひとつはボルダリングです。

危険を少しでも感じる遊具は撤去されていく風潮の中、ボルダリングを採用するとは……

尼崎、攻めてるなあと感じました。

そのまま神崎川駅まで歩いたのですが、沖縄料理店が多くありました。

多くの移住者が居られるのでしょう。もう少し歩いてみたいところです。

なんとも気になる街、尼崎でした。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

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池原ダムで三原プロに遭遇。スキルアップはプラグの日、ワームの日‐2058‐

先週金曜日の文化の日から日曜まで、池原ダムへ行っていました。

前半2日はほぼ快晴。

飛行機雲がすぐに消えていきます。

土曜日は、現地で打合せだったので、釣り3、仕事1くらいのワーケーションでした。

世は三連休で、湖上は結構な数のボートで賑わっています。

いつもお世話になっているトボトスロープにも、東京ナンバー2台に香川ナンバーの車もありました。

常連組としては、バスフィッシングの聖地、池原ダムまでようこそという気持ちです。

ただ、池原ダムは秋が一番厳しい。何とか良い魚が捕れると良いのですが。

そう言う私も、かなり苦労してこのサイズが最大。

大物を見つけていたのでチャンスはあったのですが……

紅葉の初期で、景色は最高です。

魚は釣れませんが、動物たちは活発。

猿は10匹くらいの群れで騒がしく通過していきました。

ニホンカモシカも見かけました。

地元の人に聞くと、親子連れは珍しいそうです。

ニホンカモシカは、動きがのっそりしていますがこの日はきびきびと移動していました。

更に楽しかったことがもうひとつ。

バスブロの三原直之さんが、自身のオンラインサロンの会員さんと池原ダムで釣りをするという企画で来られていたのです。

三原さんはトップトーナメンターで、2019年の4月に池原ダムのすぐ南にある七色ダムでの試合で優勝しています。

その際も、キモとなる釣り方をすぐに全て公開されたのです。

その試合の1週間後だったかに、私は全く同じポイントで、全く同じ釣り方で、50cm以上ある魚を釣ることができました。

感激して、「トップってやっぱり凄い」という記事にしたのです。

その三原プロですが、先日トーナメンター引退を発表されました。

理由としては、バスプロとして生きていくために、次なるステージへ進むということでした。

「トーナメンターとしてお疲れさまでした会」が、トボトスロープで開催されるとのことで、私もトボトの常連組として誘って貰ったのです。

熊野の名店、「なんき」で買ってきたというお肉を炭火で焼くのでもう最高。

皆ビールも進みます。

三原さんには色々な事を質問したのですが、どんなことでも気持ちよく答えてくれました。

飄々とした風貌からは想像がつかないくらい、サービス精神も旺盛。

少しお目々が小さめなのを(失礼!)逆手にとって、このポーズ。

元々ファンでしたが、更に応援したくなりました。

どんな仕事でもトップの人には、以下のような質問をしています。

「釣りが上手い人は沢山居るとおもいますが、その中でなぜそので自分がそこまで上り詰めれたと思いますか?」

「ん~、ぶっとんじゃってるからじゃないですかねえ」と笑っておられましたが。

ただ学生時代のエピソードは面白かったです。

三原さんは鳥取の境港出身で、ブラックバスが釣れる野池と小さなダムがひとつずつありました。

そこへ釣りに行くときは、「プラグの日」と「ワームの日」を交互にすると決めていたそうです。

プラグというのは、例えば魚の形をした硬いルアーで、ワームというのは柔らかい素材でできたルアーを指します。

一般的にワームの方が釣れやすいので、ついついそちらに頼ってしまうものです。

ある「プラグの日」、曇りか雨でいかにも釣れそうな雰囲気だったので、「今から釣りにいくから帰るわ」と言うと、卒業に必要な出席日数が足りなくなるので、先生や友達に強く止められたそうです。

そのくらい釣りが好きだということと、スキルアップのために、自分で決めたルールをしっかり守っていたことが分かりました。

2019年の記事でも、どんな世界でもトップまで上り詰めるのは何でも公開する人と書きました。

この日は、64cmのデカバスをゲストの人に釣らせたのですが、その展開も包み隠さず全て教えてくれました。自分で釣るのではなく、人に釣らせるのは何十倍も難しいのです。

三原さんは現在32歳。次のステージへ行くのにはとても良い年齢だと思います。

40歳になっても、50歳になってもバスプロでおられることを心から応援していますので。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

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変わる天王寺、西成。ただ、オールのっぺり反対派‐2057‐

近年、変わり続けてきた天王寺エリア。

2011年には「あべのキューズタウン」が開業。あべの筋を挟んだ東側の「あべのハルカス」は2014年にオープンしています。

そして43号線を挟んだ北側に広がるのが「てんしば」です。

2015年10月1日に有料だったエリアを、芝生広場を中心として無料解放しました。

それまでは、有料ゲートの前で将棋をする年配の方が多くいて、下町風情が醸し出されていました。

それが現在の景色はこうです。

店舗も立ち並び、完全におしゃれスポットです。

青々とした芝生は、実は養生中のもの。

遠く西側に通天閣が見えていますが、散水しての手いれ中でした。

実際の芝生広場はこうでした。十分気持ち良いですが。

天然芝は気持ちよいですが、こういったメンテナンスが大変です。

ただ、こういったお金の使われ方なら、多くの人は納得でしょう。とても良い変化だと思います。

これらのエリアに囲まれるように建つのがアポロビルです。

村野藤吾の設計で、竣工は1972年。

近鉄グループと関係が深かった村野は、天王寺に多くの作品を残しています。

間もなくパネル展がはじまるようです。

この界隈にも多くの名作が残りますが、 アポロビルは私が2歳の時に完成しているので、よく映画を見に行きました。

久し振りに写真を撮ってみると何だか違和感が……

その点については、最後に触れてみたいと思います。

アポロビルの前を走る43号線を西に望むと、大きく道が下っているのが分かるでしょうか。

上町台地西端にあたり、このあたりが天王寺区と西成区の境になります。

西に歩いて行くと雰囲気は一変。

まず単純に物が安くなります。ラーメン600円。

日本広しといえども、1泊1500円の宿はそうないはず。

元はドヤ街ですが、現在は海外からのバックパッカー御用達です。

ただ、インバウンドが盛り返してきたので、それ目当てのホテルも多くあります。

着物を貸してくれるのでしょうか。

それで4000円ならやっぱり安い。

このディープ大阪のど真ん中にある駅が阪堺電鉄の新今宮駅。

駅前にもかかわらず、寝転がってリラックスしている人が時々います。

それは見えていないことにしてスルーしましょう。

あいりん地区のシンボルと言えるあいりん労働福祉センターは建て替えが決まっています。

ここが建て替わればかなり印象が変わると思います。

はじめに紹介したアポロビルですが、これは2015年8月に撮った写真です。

てんしばがオープンする直前のタイミングですが、ガラスのカーテンウォールの横、袖壁に和を連想させる模様がデザインされています。

大阪が誇る巨匠、村野お得意の無国籍感が醸し出されるディティールですが、その部分がノッペリとなっていました。

安全の為にそうしたのでしょうか。何だか残念です。

あいりん労働福祉センターの北側に、星野リゾートの「OMO7大阪」もチラと見えていたのですが、何故かあまり写真を撮る気になりませんでした。

安い、汚い、危ない西成が、大きく変わることを、どこか心が拒んでいるのかもしれません。

勝手なこと言いますが、どこもかしこもおしゃれスポットになってしまうと、それこそ町がのっぺりしてしまう気もするのです。

超ディープ大阪は、なかなかに面白いですが、それなりに危険も起こり得ます。

若干緊張感をもって遊びに行って下さい。

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還暦から3年勝負!のち、葛城の古民家で、十割そばと絶品天ぷら‐2056‐

奈良盆地の西端を走る県道が山麓線です。

東に奈良盆地を見下ろしながらの景色が気に入っています。

二上神社前、当麻寺と南に下ります。

南阪奈道路の葛城ICを越えたら、すぐ左手に「十割そば 玉竹」の駐車場が見えてきます。

駐車場脇の竹林には、趣のある石段が。

そこを下ると、立派な古民家が見えてきました。

立派な門屋。

燕さんじょう亭、そば処 玉竹

ちょうど1年前、橿原市の信号で止まった時に偶然見えたそば屋さんが「蕎麦屋 玉竹流」でした。

IT企業を60歳で退職し、3年前に開業したという大将。3年目で立ち退かなければならない場所で開業したそう。

「3年あれば、自分の仕事が認められるか、認められないか見極められると思いました」と。

その時、今年の4月に移転すると聞いていた場所がここなのです。

門屋をくぐって中庭へ。

立派な母屋の前にはすでにお客さんが。

11時開店の前に到着しましたが17人目。何とか1回転目に入れました。

80~90人前のそばが無くなった時点で閉店とあります。

チラと厨房をのぞくと、大将の他に5、6人のスタッフが働いている感じ。間違いなく繁盛しているようです。

女性スタッフの方に、新潟の「燕さんじょう」と関係あるのか聞いてみると、「元は新潟と関係のある薬商だったと聞いています」と、教えてくれました。

前店舗に行った旨も伝えると「あのブログを書いてくれた方ですか!」と。

大神神社の帰りに偶然寄ったことまで覚えてくれており、何とも嬉しい限りです。

雲丹小丼とざるそばのセットに、天ぷら盛り合わせを追加しました。

2700円です。

前回の燻製鮭小丼も美味しかったのですが、今度はこちらを頼もうと決めていました。

以前はなかった天ぷら。

いつか提供しようと、こちらも鍛錬を重ねていたのでしょうか。すばらしく美味しかったです。

えびも美味しかったですが、特にかぼちゃが絶品でした。

そして、何と言っても十割そば。

昨年聞いたときは、長野県小諸産とのことでした。朝霧がでるこの地域のものが甘いと教えてもらったのです。

天ぷらも頼んだので、1合盛りにしましたが、せめて2合にしておけばよかったかなと。

普段から小食の妻でも「1.5合にしておけば良かったかな」と言っていたくらいですから。

そのくらい美味しかったのです。

お客さんが帰る度に、厨房の奥から「ありがとうございました!」と、誰よりも大きな大将の声が聞こえてきます。

還暦からの3年勝負を制した、元IT企業の大将。

大繁盛につき、とてもお話をする時間は無さそうでしたが、応援しています。

香り高い十割そば、絶品天ぷら、濃厚な雲丹、最高のロケーション、趣ある古民家、そして人柄。

これだけ条件が揃うことは、そうない無い気がします。

私がする必要は無いかもしれませんが、絶賛お勧めしておきます。

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晩ごはん何?‐2055‐

10月も終盤になり、公園の木々も色づきはじめました。

谷村新司さん、もたよしのりさん、BUCK-TICKのボーカル、櫻井敦司さんと、この秋は立て続けにミュージシャンの訃報が届きました。

特に谷村新司さんは、深夜ラジオ「ヤンタン」で随分楽しませて貰いました。

心からご冥福をお祈りします。

私の祖父母は4人とも長寿を全うしましたが、3人は秋に亡くなっています。

夏の疲れがでる頃。自身の体調には十分注意したいものです。

夏から秋にかけて、クライアントから色々なお土産を頂きました。

この久世福商店「あんバター」、パンに塗るともう止まらない……

私は1回しか食べていないのに、この瓶があっと言う間に空になっていました。

こちらの桃、皮の色からしてもう宝石です。

和歌山産とのことで、果汁があふれてきます。

食べ物と言うよりは、もう飲み物に近いレベル。

大変に美味しゅうございました。

そして、「千葉の家」のクライアントが毎年送ってくださる「しろいの梨」。

沢山あるので、アルバイトに来ている女の子も一緒に頂きました。

梨が大好物だそうで、「過去一かも!」と、興奮気味だったのです。

「あんバター」に加えて「七味なめ茸」まで頂いたり、お中元に毎年スーパードライを送って下さるクライアントがいたり。

美味しいのは勿論ですが、「これなら喜ぶんじゃないか」という気持ちが嬉しいのです。

実は、もう1つ紹介したいお土産があったのですが、少し事情がありまた今度にします。


代わりに、一緒に上げようと準備していたヒマワリの写真だけUPしておきます。

あるクライアントのお母さまが、仕事帰りの娘さんから必ず「晩ごはん何?」とメールがくるという話を私にしてくれました。

娘さんはバレエダンサーで、「流石に、食に対してのこだわりが強いんですね」と2人で笑っていたのです。

しかし、最近私が妻に送るメールの大半は「晩ごはん何?」です。

全く同じ状況になっており、我ながら笑ってしまいました。

楽しみがそれくらいしか無いとも言えますが、世界では戦争、内戦、貧困に悩まされる人々が多く居る中、最高の幸せとも言えるかもしれません。

「これから新米が美味しい季節やもんねえ~」と言っているクライアントもいました。

とても実感がこもっており、微笑ましい気分になります。

私も、食欲の秋を、過ぎない程度に満喫したいと思います。

ちなみに、今晩は「牡蠣のアヒージョ シュウマイ アジのお刺身」との情報が上がってきました。

ヨシッ!今日は早めに帰ろう。


■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

■10月11日『homify』の特集記事に
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◆メディア掲載情報

ススキ、夕焼け、秋の奈良‐2054‐

週末、奈良へ行く用事があったので、平城京跡へ立ち寄りました。

近鉄電車の西大寺駅を越え、すぐ北のエリアにあります。

京都の平安京と違って、平城京は広大な敷地が歴史公園として保存されています。

北端あたりに再現されているのが第一次大極殿です。

奈良では曾爾高原がススキの名所ですが、かなり遠くまだ行ったことがありません。

秋になったので行ってみたいと思っていたら、平城宮跡がススキの名所だと知り、行ってみたのです。

日没は17時15分頃で、16時頃からは晴れる予報でした。

黄金に輝くススキを期待してきたのですが、厚い雲の間から時々日が差す感じ。

16時から待つこと1時間。

一瞬パッと周囲が明るくなりました。

厚い雲と生駒山の僅かな隙間から、日が差し込んできたのです。

何とかススキ越しの第一次大極殿の撮影に成功。

太陽光の角度が低く、完璧とはいきませんでしたが。

それでもススキだけの写真は、穂が黄金に輝く、美しい写真が撮れました。

駐車場の閉門が17時でした。

ギリギリの時間に夕日が差してくれたことに感謝しながら、平城京跡歴史公園を後にしたのです。

公園の南側へ回ると、朱雀門と若草山にも夕日が差していました。

奈良は京都よりも景色が穏やかなところが好きです。

更に日が沈むと、空はより濃い橙色に。

ススキ、夕焼け、平城京跡と、駆け足で秋の奈良を満喫してきました。

奈良で黄金に輝くのススキを撮るために、数年内にまたトライしてみたいと思います。

曾爾高原へ行くべきか、平城京跡を再訪するか、悩ましいところです。


■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

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天体望遠鏡で、星を見る‐2053‐

前回、海塚墓地まで友を訪ねたことを書きました。

この墓地の立て看板に「岩橋善兵衛の墓がある」とでています。

岩橋善兵衛は、この近くで生まれ、手先が器用だったことからレンズ磨きで生計を立てていました。

蘭学を学び、1756年に岩橋式望遠鏡を完成させます。

伊能忠敬の日本地図製作にもこの望遠鏡が用いられたそうです。

「善兵衛ランド」なるものがあると知り、行ってみました。

南海電鉄貝塚駅の東隣にあるのが水間鉄道の貝塚駅。

海沿いから東の山間部に伸びており、全長5.5km。

「善兵衛ランド」は一駅手前ですが、終点の水間観音駅まで乗ってみます。

駅から5分程歩くと、行基が奈良時代に建立した水間観音が見えてきました。

古くから厄除け観音として知られるそうです。

名前通り、水の豊富な古刹で瀧から竜が現れたと伝わります。

また、愛染堂には「お夏清十郎の墓」がありました。

身分の上下を乗り越え、恋を成就させたという言い伝えから縁結びの神様として祭られているようです。

私の年代にはちょっと縁がありませんが。

一駅分西に戻って、ようやく 「善兵衛ランド」に到着です。

善兵衛作、3m弱もある本物の望遠鏡です。

大きさ、装飾とも圧巻でした。

善兵衛さん、こんな人だったようです。

その善兵衛さんゆかりの貝塚市が「生涯学習のシンボル施設として、昼夜共に活用できる天文台として広く一般の方々に公開しています」の言葉に偽りはありませんでした。

しかも、無料なのです。

ドームが開き、巨大な天体望遠鏡が星を探す姿には感激します。

こちらは太陽を見ているところ。

太陽の縁にある炎のようなものが見てとれるでしょうか。

水素ガスが吹きあがっている光景で、その高さは地球よりもはるかに高いのです。

プロミネンスと呼ぶそうです。

金星、そして牛飼い座のアークトゥルスも見せてもらいました。

1等星のアークトゥルスは37光年離れているので、37年前の光を見ていることになります。

本格的な天体望遠鏡で星を見るのは初めてで、正直感動ものでした。

できれば子供が小さい時に連れて来たかった。

この施設、床がフローリングだったり、手摺が住宅感満載だったりと、何だか可愛いのです。

案内してくれた「先生」と呼ばれる初老の方も、サービス精神たっぷりでした。

貝塚の街もかなりあちこち歩き回りました。

いたるところに水路があり、水が豊かなのが印象的。

稲刈りが終わった田も多かったですが、街中にも適度に緑や池が残り、とても良い感じでした。

駆け足で紹介してみました。また墓参りを兼ねて、遊びに来たいと思っています。

星に願いをかけ忘れたので、善兵衛ランドも再度訪れたいのです。

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海塚墓地へともを訪ねる‐2052‐

日曜日は、早起きして南海電車に。

新今宮駅から乗りましたが、南海本線、高野線、そしてJRの環状線が交差する賑やかな駅です。

途中、乗換時にラピートと遭遇しました。

昭和世代にとっては、最高に格好いい電車です。

ちなみに、デザイナーは建築家、プロダクトデザイナーの若林広幸さん。

貝塚駅で降りると、すぐ前に貝塚中央商店街がありました。

海側へ向かって西に歩きます。

日曜日の朝で人通りは少ないですが、旧家が多く目につきます。

大通りまで出ると、和泉名物の村雨を売る「塩五」を発見。

上品な甘さで、独特の触感です。妻が好きで何度か買いに来たことがありました。

ですが、まずは目的地へと急ぎます。

目的地は龍雲寺の横にある海塚墓地です。

後輩がここに眠るのですが、ようやく訪れることができました。

ただ、立て看板に「龍雲寺と墓地は一切関係ありません」とあります。

墓地内のどこにあるかは知らなかったのですが、来れば何とかなるだろうと思っていました。

江戸時代から続く墓地のようで、間違いなく千以上はあります。

しかも、苗字は分かっていますが、名前も上の文字だけしか知らず……

それでも、端から端まで探すのみ、と腹をくくって墓地内へ。

しかし彼が導いてくれたのか、5分もしないうちに見つかりました。

彼とは不思議な縁があり、小学6年生の時、一緒にSAJ(全日本スキー連盟)のスキー検定を受けたことがあります。

その場は、彼のお父様が教師を務める中学校の修学旅行に同行するという、ちょっと今では考えられないシチュエーションでした。

私が全くの我流であることを父が危惧し、スキーショップの知り合いに無理やりお願いし実現したのです。

そこで初めてSAJの3級を受けたのですが、無事合格しました。ただ5年生の彼は、2級に合格しました。

大阪生まれで、初めて自分より上手い子供と出会い、私なりに衝撃を受けたのです。

そこから約10年後、大学のスキー部時代に再会します。

ともに大阪府の国体選手を目指しており、私は予選で負けて、彼は国体選手となりました。

それでも、たまに顔を合わせると「先輩、先輩」と可愛げのある後輩で、卒業後は警察官になりました。

しかし彼も鬱を患ってしまったのです。

どこかで私も鬱であることを聞き、2000年頃に当時天王寺にあったアトリエを訪ねてくれました。

その時、お互いの状態を包み隠さず話したことを覚えていますが、「調子の良い時もあります」と言っていました。

見つけた墓石を見ると、行年31才平成13年の6月となっています。

2001年なので、話した翌年ですが、理由も分からない、突然死だったと聞きました。

現在でいう年齢なら30才。ご家族も居り、本当に無念だったと思います。

人づてにこの墓地の場所を聞き、墓参りに行くと決めてから5年も経ってしまいました。

私も今日人生を終える可能性はあります。しかし2001年を機に私の鬱は完全に治り、2002年から第二期アトリエmをスタートしました。

色々なことがありましたが、それまでの人生と比べると、驚くほど順調だったと思います。

墓参りは、故人を弔い、己の生を明確にしてくれる、尊い機会です。

なぜ彼の人生がそこで終わり、私が生かされているのかは、誰にも分かりません。

彼の人生を私が生きれる訳ではありませんが「ともよ導きたまえ」と声を掛け、秋晴れの貝塚墓地を後にしました。

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