タグ別アーカイブ: 海塚墓地

天体望遠鏡で、星を見る‐2053‐

前回、海塚墓地まで友を訪ねたことを書きました。

この墓地の立て看板に「岩橋善兵衛の墓がある」とでています。

岩橋善兵衛は、この近くで生まれ、手先が器用だったことからレンズ磨きで生計を立てていました。

蘭学を学び、1756年に岩橋式望遠鏡を完成させます。

伊能忠敬の日本地図製作にもこの望遠鏡が用いられたそうです。

「善兵衛ランド」なるものがあると知り、行ってみました。

南海電鉄貝塚駅の東隣にあるのが水間鉄道の貝塚駅。

海沿いから東の山間部に伸びており、全長5.5km。

「善兵衛ランド」は一駅手前ですが、終点の水間観音駅まで乗ってみます。

駅から5分程歩くと、行基が奈良時代に建立した水間観音が見えてきました。

古くから厄除け観音として知られるそうです。

名前通り、水の豊富な古刹で瀧から竜が現れたと伝わります。

また、愛染堂には「お夏清十郎の墓」がありました。

身分の上下を乗り越え、恋を成就させたという言い伝えから縁結びの神様として祭られているようです。

私の年代にはちょっと縁がありませんが。

一駅分西に戻って、ようやく 「善兵衛ランド」に到着です。

善兵衛作、3m弱もある本物の望遠鏡です。

大きさ、装飾とも圧巻でした。

善兵衛さん、こんな人だったようです。

その善兵衛さんゆかりの貝塚市が「生涯学習のシンボル施設として、昼夜共に活用できる天文台として広く一般の方々に公開しています」の言葉に偽りはありませんでした。

しかも、無料なのです。

ドームが開き、巨大な天体望遠鏡が星を探す姿には感激します。

こちらは太陽を見ているところ。

太陽の縁にある炎のようなものが見てとれるでしょうか。

水素ガスが吹きあがっている光景で、その高さは地球よりもはるかに高いのです。

プロミネンスと呼ぶそうです。

金星、そして牛飼い座のアークトゥルスも見せてもらいました。

1等星のアークトゥルスは37光年離れているので、37年前の光を見ていることになります。

本格的な天体望遠鏡で星を見るのは初めてで、正直感動ものでした。

できれば子供が小さい時に連れて来たかった。

この施設、床がフローリングだったり、手摺が住宅感満載だったりと、何だか可愛いのです。

案内してくれた「先生」と呼ばれる初老の方も、サービス精神たっぷりでした。

貝塚の街もかなりあちこち歩き回りました。

いたるところに水路があり、水が豊かなのが印象的。

稲刈りが終わった田も多かったですが、街中にも適度に緑や池が残り、とても良い感じでした。

駆け足で紹介してみました。また墓参りを兼ねて、遊びに来たいと思っています。

星に願いをかけ忘れたので、善兵衛ランドも再度訪れたいのです。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

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海塚墓地へともを訪ねる‐2052‐

日曜日は、早起きして南海電車に。

新今宮駅から乗りましたが、南海本線、高野線、そしてJRの環状線が交差する賑やかな駅です。

途中、乗換時にラピートと遭遇しました。

昭和世代にとっては、最高に格好いい電車です。

ちなみに、デザイナーは建築家、プロダクトデザイナーの若林広幸さん。

貝塚駅で降りると、すぐ前に貝塚中央商店街がありました。

海側へ向かって西に歩きます。

日曜日の朝で人通りは少ないですが、旧家が多く目につきます。

大通りまで出ると、和泉名物の村雨を売る「塩五」を発見。

上品な甘さで、独特の触感です。妻が好きで何度か買いに来たことがありました。

ですが、まずは目的地へと急ぎます。

目的地は龍雲寺の横にある海塚墓地です。

後輩がここに眠るのですが、ようやく訪れることができました。

ただ、立て看板に「龍雲寺と墓地は一切関係ありません」とあります。

墓地内のどこにあるかは知らなかったのですが、来れば何とかなるだろうと思っていました。

江戸時代から続く墓地のようで、間違いなく千以上はあります。

しかも、苗字は分かっていますが、名前も上の文字だけしか知らず……

それでも、端から端まで探すのみ、と腹をくくって墓地内へ。

しかし彼が導いてくれたのか、5分もしないうちに見つかりました。

彼とは不思議な縁があり、小学6年生の時、一緒にSAJ(全日本スキー連盟)のスキー検定を受けたことがあります。

その場は、彼のお父様が教師を務める中学校の修学旅行に同行するという、ちょっと今では考えられないシチュエーションでした。

私が全くの我流であることを父が危惧し、スキーショップの知り合いに無理やりお願いし実現したのです。

そこで初めてSAJの3級を受けたのですが、無事合格しました。ただ5年生の彼は、2級に合格しました。

大阪生まれで、初めて自分より上手い子供と出会い、私なりに衝撃を受けたのです。

そこから約10年後、大学のスキー部時代に再会します。

ともに大阪府の国体選手を目指しており、私は予選で負けて、彼は国体選手となりました。

それでも、たまに顔を合わせると「先輩、先輩」と可愛げのある後輩で、卒業後は警察官になりました。

しかし彼も鬱を患ってしまったのです。

どこかで私も鬱であることを聞き、2000年頃に当時天王寺にあったアトリエを訪ねてくれました。

その時、お互いの状態を包み隠さず話したことを覚えていますが、「調子の良い時もあります」と言っていました。

見つけた墓石を見ると、行年31才平成13年の6月となっています。

2001年なので、話した翌年ですが、理由も分からない、突然死だったと聞きました。

現在でいう年齢なら30才。ご家族も居り、本当に無念だったと思います。

人づてにこの墓地の場所を聞き、墓参りに行くと決めてから5年も経ってしまいました。

私も今日人生を終える可能性はあります。しかし2001年を機に私の鬱は完全に治り、2002年から第二期アトリエmをスタートしました。

色々なことがありましたが、それまでの人生と比べると、驚くほど順調だったと思います。

墓参りは、故人を弔い、己の生を明確にしてくれる、尊い機会です。

なぜ彼の人生がそこで終わり、私が生かされているのかは、誰にも分かりません。

彼の人生を私が生きれる訳ではありませんが「ともよ導きたまえ」と声を掛け、秋晴れの貝塚墓地を後にしました。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

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