忘れられた日本人‐2271‐

ぐっと気温が下がってきました。

晴れの日差しが、いっそうありがたい季節です。

昨日、山形県の天童から届け物がありました。

箱にある通り、りんごでした。

2023年に偶然ご縁を頂いた宮城の社会保険労務士の方からです。

普段は仙台で社会保険労務士として働き、週末は果物を育てるという日々を送っておられるとのこと。

「おいしい山形」

そのロゴがなんとも良い感じです。

いにしえからの、働き者の日本人像そのものなのです。

少し前になりますが、宮本常一の『忘れられた日本人』を読み終えました。

この書籍が取り上げられた文章を何度も見ていたので「いつか読もう」と思っていました。

民俗学と言えば『遠野物語』を書いた柳田国男がよく知られます。遠野地方に伝わる説話・民間信仰をまとめたものです。

宮本は、昭和初期から昭和30年くらいまでの、庶民の生業、日常、慣習などをまとめました。

大半が農民で、狭い社会の中で生きるムラ社会では、問題は全て「寄りあい」で話し合われました。

問題が解決するまで、ゆっくりと、とことん話し合われた様が描かれています。

また農業を主とする社会では、田植え、収穫などの時期々々にいろいろなイベントがあります。

農村のくらしは決して閉鎖的なものではありませんでした。特に、女性の「性」においては、現代よりむしろ奔放とも感じます。

世間を知らない娘は嫁のもらい手がないとされ、年頃の娘を旅に出したり、経験を積ませるシステムがあった村さえありました。

「土佐源氏」という章は強烈でした。

高知の檮原村で、橋の下の乞食小屋(原文ママ)で暮らす、歯が一本もない80歳をかなり超えた盲目の老人の話です。

父無し子で、母者へ夜這いにきた男の種を身ごもり生まれたとあります。

小さい頃の性の話、ばくろうに弟子入りしその親方が亡くなったあとの後家さんまで引き継いだ話、役人の奥さんに手をだした話、庄屋の高貴な奥さんに手を出し航海した話……基本、「性」の話なのです。

極道の限りをつくした結果、三日三晩目が痛くなり盲目になってしまいます。

実は彼には妻がいて、今さらながら彼女の元に戻ると泣いて喜んでくれたのです。そして妻は、夕食が済むと百姓家へあまりものをもらいに行きます。雨が降っても、風が吹いても。

最後はこう語っています。

「目の見えぬ30年は長うもあり、みじこうもあった。かまうた女のことを思い出してのう。どの女もみなやさしいええ女じゃった」

「庶民」を通して宮本常一が各地で話を聞いた日本人は、ただノスタルジーに浸るだけではないものでした。

どこにでもあった、小さな歴史を丁寧に描くことで、生き生きと当時の生の日本を伝えています。

名著が何を指すのかは難しいところですが、日本の中世に興味がある人なら、読むに値する書籍だと思います。

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