タグ別アーカイブ: ゲツモク日記

ありがとう、クールでスイタイリッシュなガラケー‐2285‐

難波あたりまで35分くらいなので、時々歩いて出掛けます。

昨年の夏に営業を終了した「ユニバース」。

またひとつ大阪の昭和が消えて行きます。

難波駅方向の西へ歩くと、「なんば千日前通」のアーケードが見えてきました。

このあたりも、キタにはないディープな雰囲気があります。

すこし先の、昔からある居酒屋「たよし」を左に曲がると、なんばグランド花月の筋に出ました。

たこ焼きを求める長蛇の列ですが、このあたりはいつもごった返しています。

笑いの殿堂「なんばグランド花月」。

年始特別興行は、すでに立ち見のみとアナウンスされていました。

「よしもと≒大阪」のイメージはいまだに根強いものがあるでしょう。

いくつも劇場を持つ吉本興業ですが、関西若手芸人の才能発信を目的としているのが「森ノ宮よしもと漫才劇場」です。

大阪城公園のクールジャパンパーク大阪にあり、こちらも歩いて20分くらい。

幟を見ると、昨年末にM-1グランプリで優勝した「たくろう」がいました。

リングアナのネタ、ビバリーヒルズに住む練習をするネタ。

どちらもスタイルと切り口が斬新で、かつ品もあり、思いきり笑わせて貰いました。

ナイツの茶目っ気、ミルクボーイの安定感、なだぎ武のくだらなさを併せ持つ、期待の新星といったところでしょうか。

毎年、1組はスターが出てくるのですが、長らく笑わせてくれそうな本格派で、これからが楽しみです。

通話前に「FOMA」と「iモード」のサービスが、今年の3月末で終了するというアナウンスが流れだしたが、昨年の9月頃だったと思います。

個人用はiPhoneを使っていますが、会社用携帯としては「ドコモ ケータイ SH-07F」を使っていました。

SHとある通りシャープの機種で、2014年の発売となっています。

すでに所々の液晶画面は表示できなくなっています。

今でこそ極小画面ですが、液晶テレビ・アクオス全盛の時代で、確か「画面が大きくなった」というのが売りだったと思います。

この機種を10年以上、前の機種もSHだったはずなので、合わせて20年くらい、このガラケーを使ってきました。

充電器は2台くらい買い足したと思いますが、iPhoneに比べるとバッテリーの持ちが雲泥の差。

「何!そのガラケー!!」と言われながらも、しつこく使ってきたのです。

当時はもちろんガラケーなどと言う言葉はありませんでしたが。

この2つ折りでコンパクトになるのが最高に便利でした。

かつ、ちょっと格好いいと思っていたのです……

携帯電話が一般的に普及したのは1990年前後。私が持ち始めたのは社会人1年生の1994年だったと思います。

「iモード」のサービス開始が1999年で、インターネット時代の幕が開き、当社がWebサイトを作ったのは2001年。世の中が劇的に変わっていった時期でした。

2001年の第1回M-1の王者は中川家。

島田伸介と松本人志がいない審査員席の一番右に、中川家礼二が座っているのを見ると、隔世の感があります。

モノも人も移ろうのが常ですが、1994年から一緒に戦ってくれたガラケー。

ついに最期の時がやってきました。

正面はアルミパネルで、じっくり見るとなかなかクールでスイタイリッシュなデザインです。

所々へこんでいるのも愛おしい戦友に、「ありがとう」と「さよなら」を贈りたいと思います。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』に「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」の内覧会開催■

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

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さあ!就職活動の長男とスパイシーカレー、上町界隈の名店③「旧ヤム邸」‐2284‐

今年も、更に「しまい」が加速した感のある年賀状。

会社用は例年と変わらず、300枚と少し出しました。

今年は、「ドッグランのあるタイル床の家」に。

家族用は、8月に長男が帰省したタイミングで撮った大阪城での写真に。

恒例にしている兄妹写真は、桜門前でNHKをバックに。

見たい人が居るかは別にして、4人で撮れる限り続けたいと思っています。

年末から長男が帰省していますが、関西の友人と会うのにほぼ家には居ない感じ。

反対に、年始は家族と過ごす人が多いのか、時間を持て余している感じだったので、昼食に連れて行きました。

空堀商店街も年始仕様です。

東西に伸びる商店街の北と南は、どちらもかなりの坂になっています。

これは、瓦を焼くための土取り場が南北に合せて4ヵ所あったから。

1680年~90年頃まで掘り返して土を取っていたようです。

中でも最も大きくくぼんでいるのが、谷町筋から入って初めの北に延びる筋あたり。

長堀通までの間が、かなり下がっているのが見て取れるでしょうか。

上町台地の海成粘土は瓦を焼くのに適しており、江戸城の瓦は大坂で焼き、海路で運んだそうです。

空堀商店街の南のエリアには「瓦屋町」という名前が残っているのはこのためです。

その瓦職人から派生して、土で人形をつくるようになったことが、すぐ西の松屋町筋に人形店が集まるきっかけになりました。

昨年の10月から11月にかけての毎日新聞の記事に詳しくあり、とても興味深い内容でした。

ちょうど土取り場の入口にあるのが「旧ヤム邸 空堀店」。

食べログの100名店にも選ばれている、スパイスカレーの老舗店です。

築130年の古民家をリノベーションした店内は、照明も暗めで静かな音楽が流れています。

少し遅めに行ったので、1組待ってすぐに入れました。

長男は無類のカレー好き。

私が外でカレーを食べることは無いので、近所の名店を訪れてみようとなりました。

店員さんに聞くと1番目と4番めがキーマカレーで2番目と3番目がスープカレーだと。

私は②さつま芋と玉ねぎのスープカレーと④高菜とジャコの牛豚キーマカレーを。

長男は、①海老出汁トマトクリームの鶏キーマカレーと③豚バラ檸檬のスープカレーのあいがけにご飯大盛。

ジャスミンライスと玄米を選べますが、前者は香りがあるのではなく、タイ米の最高級品種だそうです。

お勧めとのことでジャスミンライスにしました。

小麦粉を使っていないので、とろみはなくさっぱりしています。

香りはどれも強烈で、これぞ本格派という味わいです。

辛さもあとからくる感じで、小鉢も芸が細かく、とても美味しい。

ただ長男はオーソドックスなカレーの方が好きなようで「十分美味しかったけど、もう1回はいいかな」と。

それは残念ですが、こんな機会でもないと来ないので、それはそれで良かったかなと。

店の中で撮って貰おうと思っていたのですが、ひっきり無しにお客さんが来るので、外に出てから、横で食べていた人にシャッターを押してもらいました。

娘の受験には前回触れましたが、長男も春から4回生。さあ就職活動!という時期です。

兄妹とも文系なので、建築家になりたいと思っていた私とはまったくアプローチが異なります。

長男は折角希望の大学に入ったので、それは最大限に活かして欲しいと思います。

穏かな現代において、受検と就職は数少ない真剣勝負の場ですから。

なのですが、夏にある世界最大のフェスに当選し、ヨーロッパに行くことを喜んでおり、それまでに就職は決めると。

せめてベストを尽くして欲しいと思いますが、親の心子知らずとはまさにこのことで……

やはりできることは神頼みくらいのようなのです。

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導き給え‐2283‐

新年明けましておめでとうございます。

今年の1月1日は木曜日ということで、元旦からこの日記をスタートしています。

今朝は6時前に大阪を出て、7時前に北野天満宮に到着しました。

子供が大学受験の年は、年の初めの祈祷を目指しています。

到着してすぐに妻が受付に向かいました。

受験生の娘が風邪気味で、車で待機してもらうことに。その間に、私は境内をぐるりと回りました。

今年の干支は、60年振りの「丙午(ひのえうま)」。

放送作家で、元東京都知事の青島幸男作が書いた『人間万事塞翁が丙午(にんげんばんじさいおうがひのえうま)』という小説を思い出します。

モデルとなった母が、丙午に生まれたことからのタイトルですが、丙午に生まれた女の子は気性が荒くなるという迷信を、逆手に取った作品でした。

白馬の優美な姿をみていると、近年でそんなことを気にしている人は居ないような気がします。

日の出前の参道は、人出もそこまでなく、幻想的な風景でした。

京都の日の出予報は7時5分の予定でしたが、実際に日が差したのは7時50分でした。

今年も始まるなと、何とも清々しい気分になるのです。

8時前に、妻から「そろそろ待合に来て」と連絡がありました。

帰省している長男と合わせて4人で本殿に移動しました。

早めに出て来た甲斐あって今回も1番目。

1回につき20組くらいが本殿に上がるのですが、東京から来て東大を受ける受験生もいました。

京大医学部を受ける受験生もいたり、石川、愛知、福井県と遠方からの人も多いのです。

早くから来ているご家族は、やはり本気度が高い感じがし、そんな場に居ることがとても良い機運を運んでくれる気がするのです。

30分近くの正座だけは堪えましたが、こんな時しかしないので、それはそれで良い思い出になります。

最後は、絵馬を奉納する列に並びます。

日当たりのよい場所に絵馬を奉納し、初詣が終わりました。

神頼みを信じるか信じないかは別ですが、中学受験、大学受験と、兄妹ともここまで第一希望に合格してくれました。

勿論、その時々のベストと思える学校を選んで受けているので、無謀な学校を受けている訳ではありません。

それでも「良かったなあ!」と言える学校に、2人とも合格して来たので、私の中で北野天満宮は特別な場所だと思っているのです。

快晴の元旦で、東寺の五重塔を見ながら京都をあとにしたのです。

最近参拝の時はこうお願いすることにしています。

これも、尊敬する始道塾の恩田塾長の受け売りですが、とても気に入っています。

何でもお願いするのではなく、自分が行くべき方向へ導いて頂けますでしょうか、という考え方です。

さて、娘の受験はどうなるか。それこそ、神のみぞ知る、なのです。

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2025年 暮れは元気にご挨拶‐2282‐

土曜日に、ホテルライクなコートハウス「ドッグランのあるタイル床の家」の動画も公開しました。

また、移住して住む、築100年の「下北山村の古民家」をWebサイトにUPしました。

よければご覧ください。

今年最後のゲツモク日記は12月29日。

今年もあと3日ですが、私の2025年を振り返っておきたいと思います。

1月 懺悔と青春‐2179‐

今年の第1回目は、2024年末に開催した、中学・高校の同窓会からでした。

体調を崩していた化学のT先生は、新型コロナで中止した会を除いて、5回全ての会に参加してくださいました。

先生は私が高校生の時「守谷、勉強嫌いやったら高校は義務教育と違うから辞めてもかまわないんやで」とまで言われたのです。

しかし、仕事では頑張ったと認めて下さり、近年は「うちに来るくらいの学生は、頑張ったら何にでもなれる」と、私を例に紹介して下さっていると言って頂きました。

これ程嬉しい言葉はそうありません。

しかし、11月末に先生の奥様からお亡くなりになったという喪中の葉書が届いたのです。

命は有限とはいえ、70歳を少し過ぎただけで何とも残念でなりません。

2月 いよいよ新アトリエ始動‐2195‐

2月12日に上町にアトリエを移転しました。

しかし、まだ1階のみ完成しておらずで、クライアントには仮の状態で駐車してもらっています。

1月か2月には完全に出来上がった状態をお見せできると思います。

3月 大阪より下町な東京‐2203‐

娘が今年受験で、大学を見てまわりました。

東京、横浜を回ったのですが、長男とも待ち合わせて食事に行きました。

中野あたりに住んでいるのですが、東京の下町がこれ程下町だったことに驚いたのです。

4月 生涯一、又兵衛桜‐2206‐

いつかは、と思っていた又兵衛桜。

何度か訪れているのですが、散り際だったり、雨の後だったりでした。

完璧、といえる状態の又兵衛桜は、文句なしで生涯一の桜でした。

5月 必見、世界遺産・二条城での アンゼルム・キーファー展‐2213‐

ゴールデンウィーク中に、京都の二条城へ。

アンゼルム・キーファーの展覧会は、ロケーション、会場、天気、作品と、全てが揃っていました。

QRコードで作品の詳細が見れることも、より面白さがアップしたと思います。

6月 関西万博<後編>ガンダムで締め‐2225‐

なかなか足が向かなかった万博ですが、6月に行ってきました。

建築市の要素もあるので、職業柄悔しい気持ちもあります。

とは言え、行けば行ったで楽しく、学びのある場でした。

7月 全てはこの1枚のために、建築確認の検査済証‐2237‐

2020年から「ささき整形外科デイケアセンター」の計画が始まり、今年の8月に「ささき整形外科クリニック リハビリ棟」が完成するまで5年半通った、兵庫県揖保郡の太子町。

8月の完成も嬉しかったのですが、増築の確認申請の検査済証が下りた7月末は、本当にほっとしました。

その苦労を、検査員の人と分かち合ったのです。

8月 鳥羽、神島で三島文学に触れる<前編>‐2244‐

最近、なぜか三島由紀夫が気になり始めました。

それで、代表作の純愛小説「潮騒」の舞台となった、三重県鳥羽市の神島を訪れてみました。

「昭和とともに生きた小説家」三島由紀夫

彼が描いた、古き良き昭和の日本が、いまだに残っていることに感激したのです。

9月 能登半島地震、復興まちづくり支援。一歩前へ‐2248‐

JIA(日本建築家協会)が専門家のボランティアを募集しており、能登半島地震の復興支援活動に参加しました。

海岸線が隆起し、遠く広く続く西側の海岸線。

反対に、東側は地面が下がり、高潮の際は港付近の建物は浸水の被害を受けています。

何より、火災と揺れで甚大な被害を受けた輪島港の景色は、壮絶なものがありました。

これからも大地震は起こるでしょう。プロとしてできることはしたいと思っています。

10月 大谷劇場第一幕完結、歴史街道高槻で言葉は洗って使うを知る‐2262‐

今年も規格外の活躍を見せた大谷翔平選手。

7回途中無失点、10奪三振、3ホーマー、うち1本は場外弾。

その場面をリアルタイムで観れたことに感謝します。

合わせて、私にとって遠くて近い街、高槻もレポートしています。

11月 院長の江口さんから届いた1年後の感想‐2269‐

昨年の9月に完成、開業した「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」。

コンセプトが固まった時から、絶対繁盛クリニックになると確信していましたが、今月お会いした際には「ほぼ一杯一杯のところまで患者さんが来てくれています」と。

本当に嬉しいことですが、江口さんの1年後の感想に感激しました。

年2の会食を楽しみにして、一層仕事も励もうと思えるのです。

12月 やっと会えた、ゴッホ‐2280‐

実家に居る時は机の横に貼っていた「夜のカフェテラス」。ゴッホの中で最も好きな作品です。

それが神戸までやってきました。

色、タッチ、キャッチーさ。その分かりやすさが、ゴッホの一番の魅力だと思っています。

実は土曜の夜から、池原ダムに一旦寄りました。

現在池原ダムの水位が低く、ボートを降ろせないのですぐ南の七色ダムまで牽引してきました。

ボートトレーラーを接続すると、全長が10m以上。普段牽引しないので、これがなかなか緊張するのです。

半年に一度くらいは動かさないと不具合が起こるので、何とかやってきたのです。

ただこの寒さで、霜がびっしりです。

ただ、日が昇ると、気温程寒さはありませんでした。

基本厳しい時期ですが、そこはハイテク機器の力を借りて。

まずは、30年前から通っているポイントで何とか1本。

そしてこの時期の定番場所でもう1本。

飛び切り大きい訳ではないですが、十分納得です。

ただ、一番のショックは定宿だったバンガローに早起きパックの割引が無くなっていたことです。

ほぼ半額で泊まっていたので、これはなかなか堪えます。

物価高の世の中なので仕方ありませんが。

冒頭に書いたT先生ですが、昨年末の同窓会では歩くのも大変そうでしたが、参加して下さいました。

2004年の第1回目の同窓会参加のすぐ後、当時学年主任だったY先生がお亡くなりになりました。

Y先生にも「守谷はすぐカッとなりやすいから」と、短気な性格をたしなめてもらいました。

お葬式に参列すると、奥様から「同窓会が楽しかった」と繰り返していたとお聞きしました。

私の中1、中2の担任だった国語のS先生です。

2016年に最初で最後の参加となりました。

「世話役をしています守谷です。覚えて頂いていますか」とご挨拶すると、「覚えてるわよ~、あんた喧嘩ばっかりして、悪かったものね~」と、満面の笑みで返して下さいました。

恩師などひとりも居ないと思っていましたが、この歳になって、本当に色々な人に関わって頂き、自分があることが分かりました。

遅すぎると思いますが。

当時は、本当にダメ生徒でしたが、もっと褒めてもらえるよう、少しでも世の中の役に立てるよう精一杯生きるしかありません。

この年末は、T先生のご冥福を心からお祈りしたいと思います。

長くなってしまいましたが、本年も「ゲツモク日記」、「ゲンバ日記」、『建築家・守谷昌紀TV』にお付き合い頂きありがとうございました。

2026年も、皆さんにとって素晴らしい1年となることを確信しています。

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復興しないという選択肢はない‐2281‐

前回は、神戸で開催されている「大ゴッホ展」のことを書きました。

やっと会えた『夜のカフェテラス』の余韻に浸りながら、港神戸へ立ち寄ってみました。

その途中ですが、海側へ歩くとすぐに「史蹟旧海軍操練所跡」があります。

坂本竜馬も学んだと言われる神戸海軍操練所は、勝海舟が提唱して1864年に完成しています。

海外留学を経験していた勝海舟は、港と海軍の重要性をひしひしと感じていたのでしょう。

そこから50mも歩くと現在の神戸港。

海と山が近いのが、何と言っても神戸の魅力です。

海沿いを西に少し歩くと、メリケンパークの文字が見えてきました。

入り口にあるのが、建築家・フランク・O・ゲーリーによるオブジェ、フィッシュダンス。1987年の完成です。

フランク・O・ゲーリーはプリツカー賞も受賞している世界的建築家ですが、つい前日の12月5日に96歳で亡くなりました。

日本では確かこのフィッシュダンスしか作品を残していませんが、この錆問題が何度も論争になっています。

安全性の問題もあり、撤去される可能性もありそうですが、そこだけ解決できるなら、残して欲しい気はします。

バブル期はネガティブにしか語られませんが、その時代と活力をはらんでいる感じがするのです。

神戸港震災メモリアルパークは初めてやってきました。

メリケン波止場の僅かなエリアですが、当時のままの姿が残されています。

中学生の頃は、よく神戸港に釣りに来ていました。

通称「和田坊」まで渡船で渡してもらい、一晩中チヌを釣っていたのです。

大阪湾は夏は水が汚いですが、この時期はかなり澄んでくるのを思い出していました。

来年の1月17日で、あれから30年です。

「大ゴッホ展」も、阪神・淡路大震災から30年、東日本大震災から15年の節目に、日本を応援するために開催されています。

昨年の能登地震もそうですが、15年に1度くらいはこの規模の地震が起こるのが日本なのです。

その後の阪神・淡路、東日本、熊本、能登など、何度地震に襲われても、復興するしかありません。

ワールドシリーズMVPの山本由伸投手の言葉を借りるなら「復興しないという選択肢はない」となるでしょう。

災害に限らず、どんな困難が起こったとしても同じですが。

神戸港から元町に戻る途中に南京町があります。

神戸らしい風景で、点心も良いなと思いながらもやりすごします。

元町駅の北にある「堂源」という蕎麦屋さんまで戻ってきました。

田舎十割蕎麦と梅せいろを頼みました。

蕎麦屋さんで女性の店主は珍しいですが、とても繊細な蕎麦で大変美味しゅうございました。

物は壊れると自分では元に戻れませんが、人は食べて、寝れば、大概の怪我は治ります。

そう言えば、甲南大学のスキー部の先輩の先輩が、かなりの蕎麦通だったそうです。

その先輩がお気に入りの店が元町にあり、何度か行ったことがあります。

蕎麦の美味しさを教えてくれたのも神戸でした。

あの地震から30年ということは、私の仕事人生も30年目が間もなく終わろうとしています。

久し振りに神戸に来たのだから神戸牛でも……というレベルにはなっていません。

それでも、気軽に美味しい蕎麦を食べれるくらいにはなったので、それで良しとしておきます。

成長しないという選択肢はないので、気軽に神戸牛が食べられるようになるまで頑張ります。

そう言えば今日はクリスマスでした。皆さんも良いクリスマスを!

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やっと会えた、ゴッホ‐2280‐

昨日は冬の雨が降る中、神戸の元町まで行ってきました。

中央に見える10階建て程のビルの手前に、オレンジのタイルを貼った、5階建ての小さなビルが見えるでしょうか。

1年の休業後、第2期アトリエmを始動した2002年の春に、オファーを貰い、リノベーションしたビルなのです。

神戸の元町は、思い出の地でもあります。

旧居留地エリアにある、神戸市立博物館まで10分程で到着。

「大ゴッホ展」にやってきました。

会期が2月1日までで、年明けは混むだろうなと思っていました。

前日、Webサイトを見ると、朝一番の9時30分に空きがあり、急いで予約しました。

今回の目玉は何と言っても『夜のカフェテラス』ですが、革新的な試みとして、5作品が撮影OK。

その中に、なんと『夜のカフェテラス』が含まれているという。

会場は、第1会場と第2会場に分かれており、第2会場に入ると、まずは『夜のカフェテラス』に直行しました。

フィンセント・ファン・ゴッホは、シャガールやクリムトと共に大好きな画家のひとりです。

『ひまわり』も『星月夜』も好きですが、『夜のカフェテラス』が一番好きな作品でした。

その他、撮影可能なのは1887年製作『自画像』。

1887年製作『草地』。

1887年製作『レストランの室内』。

1887年製作『石膏像のある静物』の、全5作品です。

しかし『夜のカフェテラス』は、構図の大胆さ、色合い、ストーリーとも群を抜いていました。

1888年製作で、80.7×65.3cmの大きさです。

1853年生まれのゴッホは37年の生涯で1作品しか売れなかったと言われています。

前半生もなかなか上手くいかず、画家を志したのは1880年、27歳の頃。

1888年、35歳の時にパリを離れ、南仏プロヴァンス地方の街、アルルへ向かいます。

その時期でも初期にあたるこの作品は、近代ヨーロッパ絵画の中で、初めて本格的に夜を描いた作品と言われ、ゴッホはこの場にイーゼルを据えて描きました。

深い青の夜空に浮かぶ多くの星は、チューブから絵具を直接キャンパスに押し付けたため、盛り上がっています。

その荒々しい技法とは反対に、描かれた1888年9月16日頃の星の位置は正確に再現されているのです。

カフェの明りは、青の補色である黄色やオレンジで描かれ互いに引き立てあいます。

更に、好んで描いた糸杉にも通じる、緑で描かれた樹のタッチも印象に残るのです。

白い衣服をまとった店員の後ろには、十字架にも見える窓の桟が描かれ、キリストを象徴しているのではないか。

店内に座る12人の客を12使徒とみたて、ダビンチもモチーフとした「最後の晩餐」を暗示しているという専門家もいます。

また夜のカフェテラスは、ゴッホが愛読していたモーパッサンの小説『ベラミ』に描かれた、貴族階級の出会いの場として描かれているのではないか、という説もあると、テレビ番組で紹介されていました。

20代前半だと思いますが、どこか展覧会で買ったポストカードです。

実家に居る時は机の横に貼っていました。

太陽に焼け、少し色あせていますし、角も曲がっています。なぜかこの小さなポストカードが大好きでした。

オランダへ行って、本物を観たいと思っていた作品に、神戸で会えるとは……

1888年の2月、故郷のオランダにも似た、アルルの風景に出合い、ゴッホの才能は一気に開花しました。

1888年9月『夜のカフェテラス』、1889年1月『ひまわり(15本のひまわり)』1889年6月『糸杉』、1889年6月『星空夜』、1890年7月『カラスのいる麦畑』……と、短い期間に、色彩豊かな傑作を生み出し続けました。

しかし、1890年7月27日拳銃で自殺をはかり、7月29日にその生涯を終えました。

ゴッホの唯一と言って良い理解者だった弟・テオは画商でもありました。

兄の死後すぐに回顧展を開くと、ようやく作品が売れ始めます。

しかし、それを見届けるように、テオも1891年1月に33歳で衰弱死するのです。

せめて後2年、3年でも生きていたならと、誰もが思う人生でした。

しかし、一市民にここまで書かせる(勝手に書いているのですが)作家は滅多にいるものではありません。

この展覧会は、阪神・淡路大震災から30年、東日本大震災から15年の節目に催され、福島、東京へと巡回していきます。

第2期として、2027年には『アルルの跳ね橋』がやってきて、再び神戸、福島、東京を巡るようです。

極上のアートには、人を勇気づけ、心を洗う力があると信じます。

人は逞しい。

無念の中、生涯をその絵に託した兄弟のためにも、そうありたいと思います。

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「既にあるもの」に光を当てるのが、感謝‐2279‐

空堀商店街は谷町6丁目駅の東西に延びています。

名前の由来は、秀吉が築城した大阪城にあった空堀からきているのは良く知られたことです。

この段差も、おそらく空堀跡です。

谷町筋の東側ですが、結構な高低差なのです。

そこを降りてみると、古い民家を使って営業している惣菜屋さんがありました。

メニューには、コロッケ100円、仙台牛メンチカツ750円など、魅力的な文字が躍っています。

歯のメンテナンスへ行った帰りに見つけたのですが、急いで妻に報告しました。

あわよくば買ってきて貰おうと、です。

先週末、一緒に買い出しに行ったのですが、店頭に揚げ出し豆腐が売っていました。

それを見ると妻が「お豆腐から作ってみようかな」と言い出しました。

おつまみが増えるのは、ただただ嬉しいことなので「それはいいんじゃない」と、絹ごし豆腐と木綿豆腐を買って帰りました。

木綿豆腐は、売り物と遜色ない出来栄えです。

絹ごし豆腐は、若干崩れているところがあるものの、中がトロッとしていて抜群に美味しいのです。

正直、ここまで上手くできると思っていなかったので、あっという間に平らげてしまいました。

これは御堂筋沿いにある古ビルです。

梅田新道を南に下ってすぐのところにあるのですが、妻が若い頃に通っていたクッキングスクールが入っていました。

現在は営業していないようですが、サインがそのまま残っているので、通る度に「懐かしい」と言っています。

ジェンダーフリーが浸透する中、「料理は妻がするもの」と言ったら、普通の市民としては認めて貰えなさそうです。

一方、多くの女性、妻、母が料理をしているのも事実です。妻もそういったことを考え、ここに通っていたのだと思います。

日々の食事は誰が作るのか。

その問いに答えなど勿論ないのですが。

ただ、作って貰っている身としては、美味しかった時は、どう美味しかったかをしっかり伝えることは心掛けてきました。

それに加えて、最近感謝することにしました。

「今ごろかい!」というツッコミが聞こえてきそうですが、今ごろなのです。

理由は、尊敬する恩田塾長の以下の言葉を読んだからです。

成長、進歩するのに反省は必須だと思いますが、「既にあるもの」にフォーカスするのが感謝なのか……

感謝を伝えるのは難しいことだと思っていました。しかし、それが何かの殻を打ち破れずにいる理由なのかもしれません。

良いと思ったことはすぐに行動。

そうして来たつもりですが、出来ていないことが本当に沢山あるものです。

2026年は、50代後半に入りますが「ありがとう」をテーマにしたいと思っています。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』に「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」の内覧会開催■

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

「ささき整形外科クリニック」内覧会で5年におよぶ計画も一区切り‐2255‐

■■■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」の内覧会開催■■■

今週日曜日は「ささき整形外科クリニック」の内覧会です。

ゲンバ日記にも書きましたが、日曜日には写真撮影に行っていました。

大阪から向う途中は雲が多かったのですが、何とか外観撮影時は晴れてくれました。

そのタイミングを逃さないよう、ドローンからも色々な角度で撮影します。

写真家のカットがメインですが、何か撮り漏らしがあってはと、自分でも撮って回ります。

あっという間に日没を迎え、撮影が終わりました。

2023年に完成した 「ささき整形外科デイケアセンター」 との間にある、新病棟の位置関係は空撮が分かりやすいでしょうか。

「クリニックの東に、プール付きのデイケアセンターを建てたい」と相談を受け、現地を訪れたのが2020年の4月2日。

新型コロナの緊急事態宣言が発令される6日前でした。

院長の佐々木さんの思いを聞き、計画はすぐにスタート。

しかし、「ささき整形外科デイケアセンター」が完成したのは3年後の2023年の8月でした。

コロナの影響を見計らいながら、スケジュールを調整したのですが、その間も月1回の打ち合わせは続けていました。

これは、相談を受けた際にとったリハビリ室ですが、後にこの空間と新病棟を接続することになるとは……

実は、夕景撮影まで少し時間ができたので、ふらっと網干港をのぞきてきました。

基本、海は大好きですし、この5年のあいだに、この豊かな海の恩恵を大いに受けてきました。

美味しいものを食べて回ることを楽しみにしていたのです。

網干港では、名物のあなご、貝、カキフライ。

カキフライとトコブシが絶品でした。

少し足を延ばして、「道の駅 みつ」では岩ガキと真ガキの食べ比べセット。

またまたあなご丼。

そしてあなごにゅう麵も。


帰りに、明石焼きを食べに、魚の棚に寄ったこともありました。

出来るだけ電車で通っていたので、JR姫路駅のホームにある、えきそばも楽しみのひとつ。

姫路の商店街でそばを頼むと「普通のそばと、黄そば、どっちにしましょう!」と聞かれたことにも驚いたのです。

撮影が終わると、院長からお土産を頂きました。

姫路の老舗、伊勢屋本店の詰め合わせでした。

手前の玉椿は白餡で、奥の塩味饅頭は、塩づくりが盛んな播州地方の塩を活かしてつくられた姫路城下の銘菓だそうです。

院長は「どちらも好きなんですよ」と。

そして「5年にもわたって、ありがとうございました」と言って下さったのです。

始まりあれば、終わりあり。日曜日の内覧会で一区切りとなります。

「ささき整形外科デイケアセンター 新築計画」  打ち合わせ回数 47回 現地訪問 29回

「ささき整形外科クリニック 増築計画・改修計画」  打ち合わせ回数 36回 現地訪問 21回

5年という年月は、この場所に愛着を生むのには十分でした。

最後は食べ物の話ばかりになってしまいましたが、2つの施設が、地域の人に愛され続けることを心から祈っています。

■■■8月1日(金)患者さんでなくても立ち寄ってほしい「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」がJIA(日本建築家協会)のトップページに掲載されました■■■

■■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」の内覧会開催■■

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
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大阪最古の神社、いくたまさんはお得感半端なし‐2254‐

谷町9丁目あたりも、何となく生活圏なのでよく出掛けます。

谷町筋から西をみると、難波へ向けて下っているのがよく分かります。

千日前通との交差点が「谷町9」の交差点ですが、すぐ北にある緑のビルは、フィリップ・スタルクの設計です。

1992年完成の「バロンヴェール」。

学生時代はスタルクがお気に入りだったので、すぐ見に行きました。

少し錆びているのと、塗り直した部分の色が違うのがかなり残念。

千日前通りを難波へ向いて下っていくと、松屋町筋との交差点の南側に鳥居が見えてきます。

生國魂(いくたま)神社の鳥居です。

大阪最古とありますが、その足元がかなり気になっていました。

「崖縁占(がけっぷちうらない)」とあるのです。

近くはよく通りますが、参拝したのは初めてだと思います。

谷町筋から100m程西に入りますが、一段高い敷地はかなり広大です。

その広い敷地を活かし、本殿の北側には、上町台地の縁をなどるように段差を活かしながら、10程の社があります。

ぐるりと回れるように「いくたま参り道」が整備されているのです。

皇大神社、精鎮社、稲荷神社、源九郎稲荷神社、鴫野神社。

城方向(きたむき)八幡宮、鞴(ふいご)神社、家造祖(いえづくりみおや)神社、浄瑠璃神社。

ぱっと見渡しただけでこれだけあるのです。

ここで4千句を読み上げたという井原西鶴像。

生國魂神社近くで生まれたという織田作之助像も。

大阪の偉人大集合なのです。

そして西の端、まさに上町台地崖っぷちでようやく発見しました。

「崖縁占(がけっぷちうらない)」です。生玉鑑定所ともあります。

その音に惹かれてやってきたのですが、ちょっと想像とは違ったので、看板だけにしておきます(笑)

気になる人は直接確認ください。

大阪最古の神社、いくたまさんは、そのごった煮感が凄かったのですが、合わせてお得感も半端ありませんでした。

ただ、上本町駅から西に延びる参道は、谷町筋で完全に遮断されています。

歩道橋こそありますが、信号や横断歩道はありません。

谷町筋東側も、趣がある参道が残っています。

神社の格式、立地、エンターテイメント性も含めて、間違いなく大阪の宝と判断しました。

これは何とかならないものかと思うのです。

■■■8月1日(金)患者さんでなくても立ち寄ってほしい「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」がJIA(日本建築家協会)のトップページに掲載されました■■■

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あがる街、箕面でカルピスを生んだ偉人を知る‐2253‐

通勤ラッシュの少し前に、阪急梅田から宝塚線に乗車します。

石橋阪大前で乗り換えます。


多くは学生でしょうか、降車ホームは人でびっしり。

箕面線に乗り換えたら、のんびり座れると思っていたら、そこでも学生が列を作って並んでいました。

学生の朝は、予想以上に早かったのです。

箕面までやってきました。

ホームが空くのを待って撮った写真ですが、これだけ「あがる」駅はなかなかありません。

ホームの先には箕面の山が見えており、なんとも清々しい景色です。

駅前も、今どきの駅にはない落ち着きが感じられます。

電車で箕面に来たのは初めてかもしれません。

駅の西にでると、箕面大滝から流れてくる箕面川が流れています。

その先に見えるのは箕面観光ホテルと箕面スパーガーデンです。

小さな橋が、優しい風景を演出しています。

新築計画の候補地があり、やって来ました。

山手を目指して歩きます。

一気に高低差を稼いでいるので、坂道は結構な角度でした。

傾斜地に開発されて住宅地特有の、段差、擁壁も多く見かけます。

しかし、この景色はそれらが生んだ賜物です。

汗をかきかき上ったご褒美でした。

冒頭に紹介した箕面観光ホテルと箕面スパーガーデンですが、現在リニューアル工事につき閉館中です。

設計はコルビュジエの弟子である坂倉準三が設立した坂倉準三建築研究所で、完成は1968年です。

大阪支所長もつとめ、後に坂倉建築研究所の代表にもなった、西澤文隆が担当しました。

コルビュジエの流れを汲むモダニズム建築ですが、これだけの規模で現存しているものはあまり無いかもしれません。

ただの懐古趣味ではなく、その良さを残したうえでリニューアルされればと願います。

箕面駅にカルピス模様の自販機があり、その横にこのようなパネルが設置されていました。

カルピスを生んだ三島海雲は箕面市の出身だとあります。

1878年に教学寺に生まれ、西本願寺文学寮で学んだあと、1902年に中国大陸に渡ります。

中国で教師をしていたのですが、事業を行うことになりました。

内モンゴルに入る機会があり、遊牧民が飲んでいた酸っぱい乳を飲むと、その美味しさと健康効果に驚きました。

この乳酸菌で発酵させた「酸乳」が「カルピス」の原点となったのです。

そして「初恋の味」のキャッチフレーズと共に、国民飲料となったのです。

海雲は、生涯をかけて「国利民福」-国家の利益となり、人々の幸福につながる事業を成すこと - を生涯の目標としたそうです。

カルピスのWebサイトにはこの言葉がありました。

私心を離れよ、そして大志を持て

ものづくりの中でも、建築は多くの責任を負っていると思います。

色々なことを感じた箕面探訪でしたが、海雲のこの言葉、胸に留めておきたいと思います。

ほとんどお菓子も甘いものも食べないのですが、晩酌が終わり就寝前に最後に飲むのは、薄めのカルピスです。

「人々の幸福につながる事業」の恩恵を、毎日受けているのでした。

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