タグ別アーカイブ: 恩師

1983年3月6日中学入試‐2288‐

昨日は同級生と一緒に高槻へ行ってきました。

京都と大阪の真ん中にあり、大学の誘致にも成功しているとあって、阪急、JRともに駅前は活気があります。

母校へも足を伸ばしてみました。

私達が通っていた頃とは、すっかり様変わりしています。

立て看板を見ると入学試験の当日のよう。

流石に入るのは遠慮しておきました。

「高校は別日程なんだろうね」と同級生に言うと「今は誰も出ていかないので、高校で補充はしていないよ」と。

私達が受験した1980年代は、関西の私学の中で、唯一試験日程がずれており、受検を失敗した学生の受け皿となっていました。

どこかを不合格になって入学しているので、第1志望にしていた学生は皆無。それで、高校に上がる時点で、1割くらいの生徒が、高校受験に挑んでいました。

灘や洛南などに再度挑戦し、合格した同級生が結構いたのです。

現在は、もっと人気校になっていると聞き、卒業生としては嬉しい限りです。

かなり減った年賀状ですが、11月・12月には、喪中はがきが5通ほど届きました。

そのうちの1枚が、毎回同窓会に参加して下さった、理科のT先生の奥さまでした。

「昨年お亡くなりになった」と、この日記で報告すると「中学高校で3回も担任をして貰ったので、ご自宅へお参りに行こうと思う」と、同窓会の世話役をしている同級生から連絡がありました。

それならと同行してきたのです。

ご丁寧にも、奥さまと、ご子息まで出迎えて下さいました。

71歳という若さで、夫を亡くした奥さまの気持ちはいかばかりかと思います。一方、しっかりした、品のあるご子息家族が近くに住んでおられ、心強いだろうなと感じたのです。

すぐにお暇しようと思っていたのですが「英語のA先生、数学のY先生とは仲が良く、よく飲みにいっていた」という話や、某情報番組の「ほろ酔いさんインタビュー」的なコーナーにA先生と2人で出たことがあるという、とびきりの逸話までお話し下さったのです。

2024年末の同総会の少し前まで入院しておられ、「何とか行けそう」と世話役に連絡があり、参加下さいました。

お亡くなりになる5カ月前なので、大変だったと思うのですが例年通りスピーチもして下さいました。

同級生がその動画を奥さま、ご子息にお見せすると、お2人で熱心に見ておられたのです。

1983年の3月のカレンダーを見ると、6日が日曜日でした。3月7日が試験日だった気もしますが、この日が試験日だったのでしょう。

試験は1日で、算数・国語・理科・社会で、配点は100・100・50・50だったと思います。

理科社会は配点が半分ですが、この2教科があったから、高槻に滑り込めたのは間違いありません。

入学後の不勉強は、何度もネタに書いてきました。

一浪後も、国公立、MARCH、関関同立の建築・土木学科は全て不合格。

近大の岡山だったか、広島だったかの3次募集的な試験で、かろうじて大学生となりました。

その理由も、おそらく物理が満点だったのが理由だと思います。英語、数学は全くできませんでしたから。

そう考えると、いわゆる理系に身を置いていますが、いつも理科社会がピンチを救ってくれたのです。

T先生の「学生時代、どうにもならなかった彼(守谷です)でも何とかなったんだから、ここに入学してくる君たちは絶対大丈夫」というメッセージを胸に、しっかり頑張りたいと思います。

1983年3月6日(日) 大阪
最高気温: 13.5℃
最低気温: 4.3℃
曇り一時晴

丁度今日の気温と同じくらいです。

当日、12歳の私は何を思っていたのでしょう。その時の私が、今の私を見たらどんな事を思うのでしょうか。

「ここまで行けたんだ!」と思って貰えるような自分を目指したいと思います。

そして、中高では迷惑ばかり掛けた先生方には我慢して頂き(退学とせずに頂き)、本当にありがとうございます。心から感謝したいと思うのです。

レベル低っ!

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

2025年 暮れは元気にご挨拶‐2282‐

土曜日に、ホテルライクなコートハウス「ドッグランのあるタイル床の家」の動画も公開しました。

また、移住して住む、築100年の「下北山村の古民家」をWebサイトにUPしました。

よければご覧ください。

今年最後のゲツモク日記は12月29日。

今年もあと3日ですが、私の2025年を振り返っておきたいと思います。

1月 懺悔と青春‐2179‐

今年の第1回目は、2024年末に開催した、中学・高校の同窓会からでした。

体調を崩していた化学のT先生は、新型コロナで中止した会を除いて、5回全ての会に参加してくださいました。

先生は私が高校生の時「守谷、勉強嫌いやったら高校は義務教育と違うから辞めてもかまわないんやで」とまで言われたのです。

しかし、仕事では頑張ったと認めて下さり、近年は「うちに来るくらいの学生は、頑張ったら何にでもなれる」と、私を例に紹介して下さっていると言って頂きました。

これ程嬉しい言葉はそうありません。

しかし、11月末に先生の奥様からお亡くなりになったという喪中の葉書が届いたのです。

命は有限とはいえ、70歳を少し過ぎただけで何とも残念でなりません。

2月 いよいよ新アトリエ始動‐2195‐

2月12日に上町にアトリエを移転しました。

しかし、まだ1階のみ完成しておらずで、クライアントには仮の状態で駐車してもらっています。

1月か2月には完全に出来上がった状態をお見せできると思います。

3月 大阪より下町な東京‐2203‐

娘が今年受験で、大学を見てまわりました。

東京、横浜を回ったのですが、長男とも待ち合わせて食事に行きました。

中野あたりに住んでいるのですが、東京の下町がこれ程下町だったことに驚いたのです。

4月 生涯一、又兵衛桜‐2206‐

いつかは、と思っていた又兵衛桜。

何度か訪れているのですが、散り際だったり、雨の後だったりでした。

完璧、といえる状態の又兵衛桜は、文句なしで生涯一の桜でした。

5月 必見、世界遺産・二条城での アンゼルム・キーファー展‐2213‐

ゴールデンウィーク中に、京都の二条城へ。

アンゼルム・キーファーの展覧会は、ロケーション、会場、天気、作品と、全てが揃っていました。

QRコードで作品の詳細が見れることも、より面白さがアップしたと思います。

6月 関西万博<後編>ガンダムで締め‐2225‐

なかなか足が向かなかった万博ですが、6月に行ってきました。

建築市の要素もあるので、職業柄悔しい気持ちもあります。

とは言え、行けば行ったで楽しく、学びのある場でした。

7月 全てはこの1枚のために、建築確認の検査済証‐2237‐

2020年から「ささき整形外科デイケアセンター」の計画が始まり、今年の8月に「ささき整形外科クリニック リハビリ棟」が完成するまで5年半通った、兵庫県揖保郡の太子町。

8月の完成も嬉しかったのですが、増築の確認申請の検査済証が下りた7月末は、本当にほっとしました。

その苦労を、検査員の人と分かち合ったのです。

8月 鳥羽、神島で三島文学に触れる<前編>‐2244‐

最近、なぜか三島由紀夫が気になり始めました。

それで、代表作の純愛小説「潮騒」の舞台となった、三重県鳥羽市の神島を訪れてみました。

「昭和とともに生きた小説家」三島由紀夫

彼が描いた、古き良き昭和の日本が、いまだに残っていることに感激したのです。

9月 能登半島地震、復興まちづくり支援。一歩前へ‐2248‐

JIA(日本建築家協会)が専門家のボランティアを募集しており、能登半島地震の復興支援活動に参加しました。

海岸線が隆起し、遠く広く続く西側の海岸線。

反対に、東側は地面が下がり、高潮の際は港付近の建物は浸水の被害を受けています。

何より、火災と揺れで甚大な被害を受けた輪島港の景色は、壮絶なものがありました。

これからも大地震は起こるでしょう。プロとしてできることはしたいと思っています。

10月 大谷劇場第一幕完結、歴史街道高槻で言葉は洗って使うを知る‐2262‐

今年も規格外の活躍を見せた大谷翔平選手。

7回途中無失点、10奪三振、3ホーマー、うち1本は場外弾。

その場面をリアルタイムで観れたことに感謝します。

合わせて、私にとって遠くて近い街、高槻もレポートしています。

11月 院長の江口さんから届いた1年後の感想‐2269‐

昨年の9月に完成、開業した「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」

コンセプトが固まった時から、絶対繁盛クリニックになると確信していましたが、今月お会いした際には「ほぼ一杯一杯のところまで患者さんが来てくれています」と。

本当に嬉しいことですが、江口さんの1年後の感想に感激しました。

年2の会食を楽しみにして、一層仕事も励もうと思えるのです。

12月 やっと会えた、ゴッホ‐2280‐

実家に居る時は机の横に貼っていた「夜のカフェテラス」。ゴッホの中で最も好きな作品です。

それが神戸までやってきました。

色、タッチ、キャッチーさ。その分かりやすさが、ゴッホの一番の魅力だと思っています。

実は土曜の夜から、池原ダムに一旦寄りました。

現在池原ダムの水位が低く、ボートを降ろせないのですぐ南の七色ダムまで牽引してきました。

ボートトレーラーを接続すると、全長が10m以上。普段牽引しないので、これがなかなか緊張するのです。

半年に一度くらいは動かさないと不具合が起こるので、何とかやってきたのです。

ただこの寒さで、霜がびっしりです。

ただ、日が昇ると、気温程寒さはありませんでした。

基本厳しい時期ですが、そこはハイテク機器の力を借りて。

まずは、30年前から通っているポイントで何とか1本。

そしてこの時期の定番場所でもう1本。

飛び切り大きい訳ではないですが、十分納得です。

ただ、一番のショックは定宿だったバンガローに早起きパックの割引が無くなっていたことです。

ほぼ半額で泊まっていたので、これはなかなか堪えます。

物価高の世の中なので仕方ありませんが。

冒頭に書いたT先生ですが、昨年末の同窓会では歩くのも大変そうでしたが、参加して下さいました。

2004年の第1回目の同窓会参加のすぐ後、当時学年主任だったY先生がお亡くなりになりました。

Y先生にも「守谷はすぐカッとなりやすいから」と、短気な性格をたしなめてもらいました。

お葬式に参列すると、奥様から「同窓会が楽しかった」と繰り返していたとお聞きしました。

私の中1、中2の担任だった国語のS先生です。

2016年に最初で最後の参加となりました。

「世話役をしています守谷です。覚えて頂いていますか」とご挨拶すると、「覚えてるわよ~、あんた喧嘩ばっかりして、悪かったものね~」と、満面の笑みで返して下さいました。

恩師などひとりも居ないと思っていましたが、この歳になって、本当に色々な人に関わって頂き、自分があることが分かりました。

遅すぎると思いますが。

当時は、本当にダメ生徒でしたが、もっと褒めてもらえるよう、少しでも世の中の役に立てるよう精一杯生きるしかありません。

この年末は、T先生のご冥福を心からお祈りしたいと思います。

長くなってしまいましたが、本年も「ゲツモク日記」「ゲンバ日記」『建築家・守谷昌紀TV』にお付き合い頂きありがとうございました。

2026年も、皆さんにとって素晴らしい1年となることを確信しています。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

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