カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

イサム・ノグチと道具と技術‐2002‐

土曜日は天気予報通り、とても良い天気に。

三宮まで足を延ばしてきました。

私世代は新神戸オリエンタルホテルのほうがピンときますが、現在はANAクラウンプラザホテル神戸。

ダイエーの総創業者、中内功肝いりのプロジェクトで、竹中工務店の設計施工でした。

1988年の完成当時は関西一高いビルでしたが、規模だけでなくフォルムも素晴らしいのです。

新神戸駅の東まで歩き、竹中大工道具館に行ってきました。

現在「イサム・ノグチ TOOLS」という展覧会が催されています。

竹中工務店の元本社後に建つ軒の深い建物は、新緑にまぶしいばかりです。

イサム・ノグチは、1904年、詩人・野口米次郎と作家・レオニー・ギルモアの間にロスアンゼルスで生まれました。

https://www.instagram.com/reel/Crax3douDme/?utm_source=ig_web_copy_link

父は彼の誕生前に日本に戻ってしまい、女手ひとつで育てられますが、2歳の時に父を頼って母子は来日します。

母 レオニー は感受性の強かったイサムの能力に気づき、地元の指物師のもとに見習いに出しています。

そこで、木工用の道具に親しんだことが、ものづくりに目覚めるきっかけとなりました。

その後、母の勧めで13歳の時に再びアメリカに戻ります。

苦学しながらも彫刻家として生きる決意をしたイサムは、22歳の時に彫刻家・ブランクーシに弟子入りします。

そこで石彫を学び、その才能が開花していくのです。

晩年は日本の香川県にもアトリエを構えています。

勿論のことですが、石彫のための道具はひと際多く展示されていました。

イサムはより硬い石、玄武岩の作品を多く作るようになっていきます。

硬い石の彫刻の際は、目を守ることが必須だったと思います。

色々あった道具の中でゴーグルが特に印象に残りました。

岐阜へ立ち寄った際に見た提灯に興味をもち、和紙と竹でつくる照明「あかり」を発表します。

20世紀初頭、アメリカ人にも日本人にもなりきれない自分にイサムは思い悩んでいました。

しかし、それらの経験も全て創作によって作品へと昇華したのだと思います。

柔軟な考え方で様々な素材と向かいあい、どのような道具も使いこなした器用さと技術が、孤高の天才彫刻家を支えていたのです。

この 竹中大工道具館には、子供達は何度か連れてきたのですが妻は初めてでした。

思いのほか面白かったらしく、しっかり見て回っていました。

特別展示と別のフロアには、常設展示もあるのですが、その質も大変高いのです。

大正の名工、千代鶴是秀の残した鑿(のみ)は、吸い込まれそうな美しさでした。

同時に、背筋が寒くなるような妖艶さまで漂わせています。

イチローのバットづくりも担当していた、元ミズノのバット職人、久保田五十一さんは落合博満元監督にこう教えられたそうです。

商品は人が手にして喜ぶもの。道具は人が手にして使うもの。遊びはいっさい不要。

本物の道具を見た時、いつもこの言葉を思い出すのです。

■『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 で「おいでよ House」公開
■■5月13日『住まいの設計6月号』に「おいでよ House」掲載
■6月16日 『ESSE-online』に「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

◆メディア掲載情報

日本最速気動車特急列車「スーパーはくと」‐1999‐

月に2、3回はJRに乗って姫路の向こうまで出張です。

昼前に大阪駅を出る新快速は空いており非常に快適。

姫路駅で普通へ乗り継ぐ間に、姫路名物「えきそば」を掻き込みます。

「てんぷらえきそば」420円。

「きつねえきそば大盛」480円。

高菜の入った「とり天えきそば」520円。

最近は「とり天えきそば」が一番気に入っています。

姫路駅から北東に伸びるローカル線が姫新線(きしんせん)です。

播州新宮行きはパンタグラフがありません。よって電車ではないのです。

調べてみると、思った以上に非電化区間が多くあることが分かりました。

ディーゼルエンジンのような内燃機関で動く車両を気動車というそうです。

仕事が終わり、網干駅から大阪へ向かいます。

打合せが遅くなった時に、大阪駅で「スーパーはくと」を何度か見かけました。

https://www.instagram.com/reel/Cq-SFl_pDPT/?utm_source=ig_web_copy_link

エンジン音や、排気ガスのにおいが、電車のそれとは全く違います。

日本最速の気動車特急列車だとわかりました。

昔、信州へバスでスキーに行っていた頃、松本のサービスエリアは多くのバスでごった返していました。

その時と同じにおいがしました。

省エネルギー化が求められる中、いずれは水素エンジン等に置き換わるようですが、気動車を何とも愛しく感じたのです。

化石燃料を使い果たし、温暖化が進む中、内燃機関のにおいが愛しいと言うのですから、私は罪深い生き物です。

初めて「スーパーはくと」を見かけた時、音が全く違ったので、駅員さんに訊ねてしまいました。

「電気で動いているんじゃないんですね?」

「ええ、ディーゼルエンジンで動いているんですよ」

その表情が、やや誇らしげに見えたのは気のせいでしょう。

水素エンジン化はすべきことだと思います。

ただ、あの振動、熱、においと共に日本が成長して来たことは間違いありません。

■『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
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9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
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コロナ2019は麦踏みだった‐1997‐

■■■本日4月6日(木)『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演 ■■■

第2部の18:20頃放送予定です。よければご笑覧下さい。


前回は、5年振りの墓参りについて書きました。

岡山の倉敷市、香川のまんのう町の順に回ったのですが、その間に讃岐うどんの名店、「やまうち」を訪れました。

鷲羽山の麓から瀬戸大橋を渡ると、香川県の坂出市に入ります。

https://www.instagram.com/reel/CqrLVpeLBEA/?utm_source=ig_web_copy_link


坂出ICで高速道路を下りました。

そのまま讃岐平野を南下。

のどかな農道を走っていると、ため池に桜が素晴らしく映えていました。

里山風景と桜もさらに見事。

菜の花。

そしてレンゲ。

日本の原風景ここにあり、といった景色が続きます。

土佐と讃岐を結ぶ土讃線の脇を、山中に入ったところに「やまうち」はあります。

https://www.instagram.com/reel/CqrL4AKLLjH/?utm_source=ig_web_copy_link

以前のような行列はありませんでした。

それでも店内に入ると、複数のお客さんが居てほっとしました。

初めて紹介した2004年は、特大が350円だったので100円上がりました。

天ぷらの選択肢が減ったのは寂しいですが、それでも変わらぬ美味しさです。

一番人気の「ひやあつ(めん冷、だし熱)」を食べ終えると、店主が「しょうゆうどんもおいしいよ!」と。

追加で頼んでしまいました。

純粋にめんを楽しむならこちらかもしれません。

強い腰と、旨味を抑えたシンプルな醤油がよく合っていました。

厨房内では、数人の店員さんがテキパキと働いています。

こちらの釜は薪が熱源です。

都市ガスはありませんし、プロパンガスも安くはありません。

手間は掛かるでしょうが、山間のうどん店がゆえの工夫だと思います。

何度かあった讃岐うどんブームですが、コロナ2019では間違いなくダメージを受けたはずです。

初紹介時の行列と比べれば違いはあきらか。それでも、こうして変わらず営業していることの凄みを感じました。

飲食店は原価が安いとは言え、うどんは日持ちがしません。

折角打ったうどんを、余らせるのはもったいないと、しょうゆうどんを勧めてくれたという側面もあるでしょう。

讃岐のうどんが美味しいのは、この地で良質の小麦、醤油、いりこがとれ、そして塩田があったからだと言われます。

麦類は麦踏みを繰り返すことによって丈夫になり、多くの実をつけることは良く知られています。

讃岐うどんの名店にとって、そしてアトリエmにとっても、「コロナ2019は麦踏のようなものだった」と言えるようにしなければなりません。

なかなかそう思えませんでしたが、今年の春はそう思えるのです。

そうそう、2004年から2018年までに7店舗を訪ねた「讃岐うどんの名店シリーズ」。よければこちらもご笑覧下さい。

讃岐うどんの名店Ⅰ ひやあつの「やまうち」
讃岐うどんの名店Ⅱ 元祖ぶっかけの「山下」
讃岐うどんの名店Ⅲ 釜揚げの「長田」
讃岐うどんの名店Ⅳ 元祖しょうゆうどんの「小懸屋」
讃岐うどんの名店Ⅴ 純手打ちうどん「 よしや」
讃岐うどんの名店Ⅵ かまたまの「山越えうどん」
讃岐うどんの名店Ⅶ そこまでセルフの「なかむら」

■『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
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岡山、香川、5年振りの墓参り‐1996‐

中国道、山陽道と乗り継いで、岡山へ向かいます。

週末は墓参りに帰っていました。

倉敷市の海沿いに、父方の祖父母が眠る墓があります。

墓地の中でも、一番見晴らしのよい場所です。

https://www.instagram.com/reel/CqkrcfPs6Sq/?utm_source=ig_web_copy_link

その景色を空撮でも撮ってみました。

桜も満開です。

皆の健康と、すでに東京へ旅立った長男の合格を報告してきたのです。

材木商で財を成した祖父が準備してくれる食事は、いつも豪華でした。

93歳まで生きた祖母は、50台の時に胃を全摘出していたにも関わらず、最後の最後まで自分の足で歩いていました。

祖父母が暮らしていた家がそのまま残っており、小さい頃の記憶が蘇ってきます。

そのまま瀬戸大橋を渡り、母方の郷里へ向いました。

まんのう町あたりは、のどかな農村風景が広がります。

田んぼに囲まれた墓地で、同じく手を合わせてきたのです。

海の神様、金刀比羅宮がある像頭山を望むこの地に祖父母は眠っています。

真面目一筋の祖父、スーパー働き者の祖母が大好きでした。

https://www.instagram.com/reel/CqkrmI6v0X3/?utm_source=ig_web_copy_link

倉敷に負けず劣らず、こちらの景色も素晴らしいのです。

帰りは大鳴門橋を渡って大阪へ向かいました。

鳴門の大渦は、見えたか、見えなかったか、微妙なところでした。

今は亡き4人の祖父母は、戦争、敗戦、食糧難、そして高度経済成長と、激動の時代を生き抜きました。

人はタンポポのように、風に乗ってどこからかやって来て、勝手に育つことなどはできません。

紡がれた生に感謝できる、この機会を大切にしたいと思います。

今回は約5年振りでしたが、こうして自由に往来できる雰囲気になったことが一番嬉しいことです。

なかなか全員が揃うことはありませんが、できる限り訪れたいと思います。

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■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
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大リーグ養成ギブスじゃなかった‐1993‐

■半地下の音楽室がある「没頭できる家」オープンハウス開催■

場所:大阪府南部
天王寺駅から電車で30分
日時:2023年 3月26日(日)10:00~16:00
詳しい場所はお申込み後にメールでお送りいたします。

昨日は早起きして、阪神電車で三宮へ。

6時台にも関わらず、かなりの人出です。

高速バスで淡路島へ向かいました。

明石海峡大橋を渡る時、何故これ程ワクワクするのでしょうか。

岩屋の町が見えてきました。

目的は3月上旬に視察した建築計画の調査でした。

計画地は西浦ですが、担当行政機関が集まる洲本までやってきたのです。

洲本は何度か来たことがありますが、歩き回ったのは初めてです。

勿論海もあり。

レトロ通りあり。

山が近くに迫るのもいい感じです。

またしっかり書いてみたいと思います。

行きの高速バスに乗っている間に、WBCの決勝戦が始まりました。

ネット配信で、アメリカの初回攻撃を今永が抑えたところだけ観ることができました。

いい試合になりそうだなと思いながら、アポイントを取っていた行政機関へ向かいました。

濃いピンクはアーモンドでしょうか。汗ばむほどの陽気です。

打ち合わせすると課題がでてくる。その課題を解決するために他の行政機関への移動。これを繰り返します。

移動中にアメリカ戦を観ようとするも、回線が混んでいるからか繋がらず。

これは「あなたも自分の仕事を頑張れ」という事かなと思い、ギアを上げて洲本市内を駆けずり回りました。

多くの課題は解決方法が見え、予約していた帰りのバスに何とか駆け込みました。

三宮から再び阪神電車に。

ようやく梅田に戻ってきたのです。

するとこんな看板が。

春の高校野球に合わせてでしょうか。

私の世代なら、「巨人の星」より「ドカベン」でしょうか。

中学、高校時代はやっぱり「タッチ」です。

中学野球を描いた「キャプテン」と、高校へと続く「プレイボール」も含めて、全巻コミックで読みました。

思い入れとしては「キャプテン」 が一番強かった気がします。

家に帰ってから、録画していたWBCの決勝戦を観ました。

「漫画でもこういうストーリーは描かない」という言葉が冠される大谷翔平選手。

オールスター軍団と言ってよいアメリカを破り、日本を世界一に導く原動力となりました。

最後の場面は、ダルビッシュの後を継いでリリーフ登板。

MVPを3度受賞のエンゼルスの同僚、マイク・トラウトを三振に切ってとりました。

投手と指名打者でベストナイン、そして大会MVPを受賞。

投げては星飛雄馬、打っては山田太郎、恰好よさは上杉達也。完全に漫画の世界のヒーローを超えています。

侍ジャパンのメンバーも、キャラクターが立っていました。

陽気で熱血漢のヌートバー。憎めないルックスと裏腹の打撃力、近藤健介。小柄ながら、信じられない破壊力と正確さを備えた、吉田正尚。最後の最後に爆発した、最年少三冠王村上宗隆。おっとり顔から想像できない長打力の岡本和真。ここ一番は何とかしてくれる山田哲人。骨折しながらも出場を続ける守備職人、源田壮亮。どこにでもいそうな雰囲気で打ちまくった中村悠平。

甲斐キャノン、2本塁打の牧、超オーバースローの湯浅。サイドからの剛速球、大勢。165km/hの佐々木朗希……

出きれば全員書きたいところですが、侍ジャパン自体が漫画を超えていたのかもしれません。

日本が誇るメジャーリーガー、ダルビッシュ有と大谷翔平が繰りかえした言葉は「楽しむ」でした。

一流のメジャーリーガーになる為に必要なのは、大リーグ養成ギブスではなかったようです。

星飛雄馬、山田太郎、谷口タカオに思い入れた世代は、ついつい歯を食いしばって、となってしまいます。

世界一となった2人の言葉を見習って「楽しむ」を心掛けたいと思います。

準決勝で辛勝したメキシコの監督の言葉も各所で取り上げられました。

日本が勝った。だが、今夜の試合は野球の勝利なんだ。

元野球少年だった私にとっても、夢のような2週間でした。

ありがとう侍ジャパン。そして野球。


■『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 で「おいでよ House」公開

■■5月13日『住まいの設計6月号』に「おいでよ House」掲載

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10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

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今が最高!‐1992‐

■半地下の音楽室がある「没頭できる家」オープンハウス開催■

場所:大阪府南部
天王寺駅から電車で30分
日時:2023年 3月26日(日)10:00~16:00
詳しい場所はお申込み後にメールでお送りいたします。

ご主人に軽くドラムを叩いて貰った動画をインスタにも上げました。

まだ初セッティングでバスドラが鳴っていませんが、とてもいい感じ。

ここに奥さんのキーボードが入ると、もう完全にスタジオです。

ご主人に無理を言って少しだけ叩いても貰いました。

本当にありがたい限りで……

先日初期相談に見えた方が、こんなお洒落なケーキを差し入れてくれました。

お気に入りのお店、レ・プティット・パピヨットのもので、これがとにかく美味しかった!

とてもダンディな方で、お土産のセレクトも流石です。

家族もオープンデスクの学生も、とても喜んで食べていました。

実はこちらもお土産です。

先月、宮城県の仙台から「巻物が届いた」と書きました。

1.2mの和紙に、丁寧な文字が書き綴られた手紙が届いたのですが、その送り主が先日アトリエに見えたのです。

旅行で大阪に来たとのことでした。


私はクライアントとの打ち合わせ中で、普段は中座しないのでスタッフが気を利かせ、受け取ってくれました。

しかし、わざわざ仙台からの来訪ですから、少しくらいは挨拶に出ればよかったと悔いが残ります。

仙台銘菓「萩の月」。

萩の咲き乱れる宮城野の空にぽっかり浮かぶ名月をかたどった銘菓・萩の月。まろやかでやさしい風味のオリジナルカスタードクリームをたっぷり使い、ふんわりとしたカステラで包みました。

濃厚なカスタードクリームを味わいながら、仙台を思い出していました。

「家族で47都道府県制覇」の旅、最後の地が宮城の仙台だったのです。

2008年の5月に、初めて家族4人で白浜へ旅行に出かけました。

国盗り物語のように家族で47都道府県を制覇できたら面白いかなと思いついたのです。

2017年の年末、名古屋からのフェリーで杜の都を目指します。

約10年掛けて、2017年12月29日にこの旅が完結した街なのです。

子供は何と言っても食事です。

まずは牛タンでスタート。

翌朝は、日本三景の松島へ。

そして岩手の中尊寺。

山形の鳴子温泉。

そして蔵王。

飛ぶように北の地を駆け回りました。


再び仙台に戻る途中、とんでもない目にもあいました。


何とか帰りのフェリーに間に合い、名古屋まで戻ったのです。

途中、福島第1原発沖も通過しました。

コンクリートで固められ、多くのクレーンが見えていましたが、あの大震災からから12年経ちました。

長いようで短い人生です。

何が起こるか分かりません。

前出のダンディなご主人がこう仰っていました。

いつも、今が最高だと思って生きていますよ!

現実はいつもひとつです。

間違いなく最高の今を、全力で楽しむことを、いつもいつもクライアントに教えて貰うのです。

ただ、 「家族で47都道府県制覇」の旅は、本当に面白かったなと時々思い出します。

次は「孫と47都道府県制覇」そして「孫と196カ国都制覇」。

それを楽しみに頑張るので、子供たちには早く結婚して欲しいのです。


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マゼが吹くころ‐1989‐

昨日は、淡路島に行っていました。

この季節特有の靄がかかっていますが、風は随分暖かくなりました。

島の西側、西浦の敷地を見に行っていたのです。

洲本がある東浦のほうが商業施設は多いですが、海はこちらのほうが澄んでいます。

相談下さった方と、道中は本当にいろいろな話をしました。

進んで行けるとよいのですが。

淡路島はかなり久し振りでした。

海、山、里山と様々な風景があり本当に楽しいところです。

灌漑用のため池が多いのも特徴。

気温も20度前後まで上がり、菜の花もすでに満開です。

相談内容は商業施設で、参考のためにと色々なところに連れていって貰いました。

山間部にも宿泊施設、カフェ等が結構できています。

平日ですが、かなりの人出がありました。

大学生が春休みに入っていることもあるでしょうが、想像以上の賑わいです。

西浦の海沿いも、以前の風景とは全く変わっています。

飲食店がかなりできていました。

こちらのグランピング施設はまもなくオープンという感じでした。

おしゃれカフェで、淡路島の食材をふんだんに使用しているというガレットを頂きました。

そば粉を使ったクレープのようなもので、お味はなかなか美味しかったです。

ただ、私たち以外は若い女性と若い男女のグループばかりで、多少緊張しましたが。

計画地近くの海にもタコが結構いるそうです。

タイ、タマネギ、淡路牛と、食材が豊かなことも、淡路島の大きな魅力です。

今頃の季節から吹き始める南風を、「マゼ」と呼ぶそうです。

「南風」と書くと地元の人に教えてもらったのですが、「マゼ」が吹くと鰆が産卵に上がってくるそうです。

県道を走っていると「名物・鰆丼」といった看板が上がっていました。

魚へんに春で「サワラ」と読みますが、春に美味しくないはずがありません。

おしゃれ料理も良いですが、私にとってはこちらの方が魅力的でした。

長らく釣りにも行けていませんが、やはり美しい海を見ているとワクワクします。

計画が進めば、一度くらいは釣りに行くチャンスもあるでしょうか。

最近淡路島が人気とは聞いていましたが、その一端を見ることができました。

やっぱり春は縁起が良いのです。


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努力は必ず報われる ただしその前には谷のようなものがある‐1986‐

環濠都市だった平野は、中世において綿の貿易で繁栄しました。

織田信長にキリスト教の布教を許されたルイス・フロイスは、平野を訪れ「美しき村」と書き残しています。

立派な駒寄せのある住宅が結構残っているのです。

その平野でも、最近は外国人の姿をよく見るようになりました。

特に良くみるのがベトナム人。

経営者からも外国人技能実習生としてベトナム人を受け入れているという話をよく聞きます。

いつの間にかリサイクルショップやベトナム食品専門店ができており、本当に逞しいなと思うのです。

私がベトナムを訪れたのは2002年の2月でした。

カンボジアのシェムリアップからホーチミンに入ったのですが、まず人の多さに圧倒されました。

20年前のことですから随分変わったと思いますが、当時はバラックのような建築が大半。

ここが街の中心だったはずですが、舗装されていない道路もかなりありました。

私が子供の頃は、大阪の下町も舗装されていない道路が残っていたので、とても懐かしく思ったものです。

ただ活気は凄く、うろうろと街を歩き回っていました。

「ささき整形外科クリニック デイケアセンター」の現場では、カンボジア人が働いていました。

カンボジアはアンコールワットなどの遺跡が多くあり、長く滞在していました。

夜明け直前の景色がとても美しいと聞き、早朝に起きて見に行きました。

人が穏やかで物価が安く、とても過ごしやすい国でした。

労働力不足が顕著な建築現場では、外国人や女性の姿を本当に良くみるようになりました。

地域、国籍、ジェンダーと、世の中のボーダレス化は更に加速するでしょう。

一緒に働く際に大切なものは何なのか。

やはり、その先が「幸せ」に繋がっているのかどうかだと思います。

脳科学者の茂木健一郎はこういっています。

努力は必ず報われる。ただし必ずその前には谷のようなものがある。

先週から、学生がオープンデスクに参加していますが、このあたりを上手く伝えられれば良いのですが。

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9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
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2月14日「屋根裏部屋」
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1月4日「土間収納」

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姫路の黄そば‐1983‐

月に2、3回は、「ささき整形外科クリニック デイケアセンター 」の現場監理に現地へ向かいます。

車で行く場合と電車で行く場合がありますが、どちらも片道2時間ちょっと掛かります。

電車で行った場合は、JR姫路駅で乗り換え。

阪神百貨店のフードパークにも出店している「えきそば」。

在来線下り店のほうが大きいですが、上り線にある売店横でも食べれます。


和風だしに中華麺を入れる姫路名物です。

まねき食品のWebサイトには、戦後の混乱期、昭和24年から「えきそば」は販売していたそうです。

統制品ゆえ手に入り難かった小麦粉を使わない麺を、試行錯誤のうえ作り上げたとありました。

てんぷらえきそば420円です。

小麦粉にかんすいを加えた中華麺ですが、濃いめの和風だしにあっていました。

先月の大雪の際、JRが乱れていたので姫路でバスに乗り換えました。

駅の北側には姫路城を望む大通りがあります。

その大通りに直行する形で、商店街の入口が見えたので行ってみました。

https://www.instagram.com/reel/CouZvanNC_n/?utm_source=ig_web_copy_link

人出もあり、混み過ぎずでいい感じです。

「立ち喰いうどん・そば」の暖簾をみつけたので入ってみました。

「かき揚げそば」を頼むと、「普通のそばと、黄そば、どっちにしましょう!」と。

「えきそば」だけでなく、中華麺が一般的にも浸透しているようです。

「えきそとそば」まで食べれるとは、なかなか面白い食文化です。

雰囲気でいえば、沖縄のソーキそばに近いでしょうか。

沖縄を訪れたのは2017年の2月。

丁度6年前ですが、沖縄はそれまで日本で唯一、訪れたことの無い都道府県でした。

また行きたいなあと思い出します。

「えきそば」は阪神百貨店のフードパークで食べれますが、「姫路の黄そば」は現地でしか食べれません。

そこがB級グルメのいいところだと思うのです。

■『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■6月16日 『ESSE-online』に「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

◆メディア掲載情報

上町台地の稜線を歩く‐1978‐

土曜日は、近鉄上本町駅すぐ南の病院で、人間ドックでした。

結果は後ほど送られてくるのですが、片側の視力が1.0を切ってしまったのが、一番のショックだったのです……

それはさて置き、検査終わりで少し周辺を歩いてみました。

駅の北側に出ると、シェラトン都ホテル大阪が見えてきます。

設計は近鉄グループではお馴染みの、巨匠・村野藤吾です。

ただ村野色をしっかり感じさせるのは、エントランスまわりの曲面壁くらいでしょうか。

ややおとなしいデザインと言えます。

千日前通の南側、手前には近鉄百貨店上本町店が見えています。

上本町6丁目の交差点は、上町台地の稜線付近にあたります。

千日前通を東へ下れば鶴橋。

西に下れば難波。

フリーフォールのあったナンバヒップスが中央あたりに見えています。

南のあべのハルカスもかなり下がっているのが分かります。

時代が時代なら、見晴らしがよかっただろうなと思いながら歩いていると「熊野街道」の石碑を見つけました。

谷町9丁目と上本町6丁目の中央あたりで北を見ています。

白いビルのすぐ東側が、熊野街道だったことがわかりました。

うろうろしながら写真を撮っていると「阿倍野の長屋」のクライアントとばったり出くわしたのには驚きましたが。

北へ向かって、熊野街道を歩いてみることに。

こういった曲がった道は、新しい道にはない景色です。

ところどころに石碑が建っています。

提灯屋さんがあったり。

古い町屋が残っていたりと、旧街道だった面影が残っているものです。

「桃谷湯」と見えます。

現在は駐車場になっており、奥の壁にはタイルが残っているのが見えました。

それほど古そうには見えませんが、廃業したようです。

このあたりから大阪城へ向かっては、更に標高が上がります。

https://www.instagram.com/reel/CoCiqCDPaFy/?utm_source=ig_web_copy_link

かなり急な坂が出て来ました。

ここを左に曲がると、空堀ど~り商店街。

https://www.instagram.com/reel/CoCjFqfPNo0/?utm_source=ig_web_copy_link

ここで大きくクランクしているのです。

そうせざるを得なかった理由が何かあるはずです。

そのまま北上すると、東側がかなり低くなっているのが分かります。

https://www.instagram.com/reel/CoCjUrxOZKO/?utm_source=ig_web_copy_link

このあたり、桃谷だったり清水谷だったりと、谷の名が残っている通り、上町台地に河内潟が切れ込んでいる場所が沢山ありました。

先程のクランクも、そのあたりが理由なのかなと考えていました。

そして谷町6丁目に到着。

西を見るとこちらも大阪湾に向かって下っていくのがわかります。

高低差は、地図では一番分かり難いですが、実際に歩くと本当によく分かるものです。

途中、旧家の玄関に手書きで「上汐町」という表示がでていました。

「うえしおまち」と読むのですが、歩いている時は「ここまで海がきれこんできていた名残では?」と勝手に確信していたのです。

しかし帰って調べてみると、大阪市のWebサイトに説明がありました。

上汐(うえしお) … 菅原道真が左遷される途中、潮待天神(潮待寺)において引潮を待ったという故事に由来する。冠称の「上」は南船場に所在した「塩町」との混同を避けるために冠したことによる。

残念ながら、私の推理は外れでした。

そんなことを調べていると、もう少し北へ行けば暗越奈良街道(くらがりごえならかいどう)との交差点があったことも分かりました。

上町台地をあるくシリーズで、また勝手な推理でレポートしてみたいと思います。


■6月16日 『ESSE-online』に「おいでよ House」掲載

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10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載

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