タグ別アーカイブ: 三宮

地元愛、ワールド記念ホールと神戸らーめん第一旭‐2246‐

先週末は港神戸へ。

ポートライナーを、市民広場駅で降ります。

車窓からはワールド記念ホールが見えてきました。完全にラピュタにでてくるオームです。

設計は、組織事務所の昭和設計で1984年8月の完成。

昭和設計のWebサイトにあるように、竣工当時は鈍色の外観がかなりの迫力です。

屋根部分はコールテン鋼のようで、鈍色から赤錆色の現在へと変化したとありました。

コールテン鋼で合っていれば、表面を錆によって保護していることになります。

組織事務所としてはかなり思い切ったことをしているなと感心したのです。

そのすぐ北にある、神戸国際展示場にやってきました。

「ワールド アトリエセール」が目的でした。

アトリエ的には行かない訳にはいかないだろうと(笑)

ワールドはポートアイランドに本社を置くアパレルブランドです。

妻の誕生日ということもあって初めてやってきたのですが、順番待ちの列を見て若干ひるんでしまいました。

ただ、思ったより待ち時間は少なく、10分くらいで中に入り1時間半程買い物をしました。

かなりの数のブランドが入っており、女性にはお得な感じがします。

出口付近では、B級品のセールをしていたり、飲食の販売もあり、お祭り感もあります。

人出はかなりのものだったので、早めに購入してレジを済ませたのです。

久し振りに三宮まで出てきたので、ちょっと何か食べようと探してみました。

第一旭、三宮本店が近くにあると分かり、寄ってみました。

ラーメン通ではない私でも、何となく聞いたことがあります。

16時頃なので店内も空いています。

メニューをみるとラッキーなことに15時~18時はサービスメニューがあります。

妻は「Aラーメンにちょっとチャーシュー入り」で800円。

「ちょっとチャーシュー」とはいえこの感じ。

かなりのお得感でした。

私は醤油チャーシュー麵960円。

もう十分すぎるボリュームでした。

千円の壁の寸前でとどまってくれることに、心から感謝します。

ラーメン通ではない私達でさえ名前を知っていると思っていたら、神戸らーめん第一旭と、京都本家第一旭があるようです。

さらに調べてみると、もっこすの中華そばに影響を与えたとか、本家第一旭たかばし本店も同系列とか……

このあたりは、競馬を好きな人が血統を見てワクワクする感じなのでしょう。

どこで名前を覚えていたのか分かりませんが、神戸らーめんを十分に堪能しました。妻孝行な週末だったとしておきます。

ワールド記念ホールは、神戸市が設置したものですが、ワールドからの寄付金20億円がもとになって建設されたそうです。

最近多いネーミングライツによるものではなく、神戸市が付けた名称ともありました。

ワールドも第一旭も地元に対して大きな貢献をしていることは間違いありません。

一番近くの妻孝行は大切ですが、家族孝行、親族孝行、大阪孝行、日本孝行と、上には上がいくらでもあります。

しかし、一番近くへの孝行ができない人に、世界孝行ができる訳もありません。

何度も誓ったことですが、まずは8月25日という今日を精一杯生きるしかありません。

ちょっと出かけると色々なことが起こります。

私は根っからのお出掛け好きなのだとも思います。

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■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

私の根っこはどこに‐2215‐

2025年のゴールデンウイークも終わりました。

私にとっての初日は5月3日(土)、憲法記念日でした。

この日は久しぶりの三宮へ。

懐かしの阪急三宮の西口を出て、いくたロードを北にワンブロック上がります。

神戸らしい景色で、何だか得をした気分になるのです。

西の裏路地にある「ひつじの一休」が集合場所でした。

その名の通り、ラム肉の専門店です。

中高の映画研究部、通称「映研」の3人会に混ぜてもらいました。

1人は同じバンドのメンバーだったのが縁で、声を掛けてくれたのです。

店を聞いた時「ラム肉とはしぶいセレクトだなあ」と思っていましたが、抜群に美味しかったです。

一番はこのラムチョップ。

これだけが「時価」となっていましたが、びっくりするような値段ではなかったと思います。

もし行くなら、これは頼んだ方が良いと思います。

「映研」の3人は本当に仲が良く、羨ましいくらい。

文化祭の時に、深夜まで掛かって作品を作ったことを、本当に楽しそうに話していました。

そのタイトルは「ブレス・オブ・サタン」。

内容は忘れてしまいましたが、私がタイトルを覚えているのが凄いとも言えるのです。

幹事役をしてくれたH君が連れて行ってくれた2軒目は「金山園」。

お勧めの「汁ビーフン」でこの日の会を締めました。

「根っこがあるのは羨ましいよなあ」と思っていたら、随分前の「北予備の行方」という記事に、コメントがついていました。

昨日のことですが、私が大阪北予備校を卒業したのは1990年。

コメントしてくれた方は1984年とあるので6つ先輩です。

残念ながら北予備はマンションに変わってしまいましたが、私の記事にシンパシーを感じて貰えたなら、本当に嬉しい限りです。

確固たるものが何も無い時間の拠り所として、 北予備はとても良かったのだと私も思うのです。

昨年の年始に、長男を連れて西宮市山口町にある、美與志堂(みよしどう)まで行ってきたと書きました。

「縁あって去年の6月にラーメン屋になりました」というコメントに衝撃を受けて、です。

衝撃は受けたのですが、何より予備校時代の仲間に久し振りに会いたいと思ったのが一番の動機でした。

訪問時に、彼の定休日前の夜に、必ず飲みに行こうと約束し、連絡ができずにすでに1年4ヵ月が経過。

本当に言うだけ番長です。

この1年4ヵ月の間に、有りすぎるくらい、色々なことがあったのですが、言い訳に過ぎません。

ただ、今度は本当に実行に移したいと思います。でなければ、今、何とか分かっている連絡先も、いつか分からなくなってしまうかもしません。

「私の根っこはどこにあるのだろう」と考えます。

できの良かった小学校?できの悪かった中学高校?大阪北予備校?出稽古のように通った甲南大学スキー部?それともマグロ大学?

答えはいつも霧の中なのです。

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■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

神戸 Old & New‐2003‐

先週末、竹中大工道具館に「イサム・ノグチ TOOLS」を観に行ってきたことを書きました。

昼をかなり過ぎていたので、「順徳」の焼飯も考えましたが、ひとまず三宮まで戻ることに。

途中、道の先に山を望む景色が、なんとも神戸らしい。

北野坂の先に風見鶏の館が見えています。

歓楽街が広いのも三宮の特徴です。

駅に近づくにしたがって、行列のある店が増えてきました。

JRの高架下の狭い通りに飲食店が密集するこのエリア。

東南アジアのような活気があります。

そして南の阪急側に抜けると、随分景色が変わっていました。

https://www.instagram.com/reel/CrioBhWNyCR/?utm_source=ig_web_copy_link

歩行者天国になっていたのです。

大学時代、甲南大学のスキー部にお世話になっていたこともあり、本当によく来たエリアです。

その変わりように驚きましたが、いつからこうなっていたのか……

とてもよいことだと思います。

更に阪急の高架をくぐり、南にある「さんちか」へ。

こちらも観光客がかなり戻っています。

13時半にも関わらずこの行列です。

長田名物のそばめしやぼっかけそばの店のよう。

かなり惹かれましたが、そこまで並ぶのも……

空いていたので「金蘭」の坦々麺にしました。

焼飯がついて880円。

競争が激しい三宮で、長年店を構えているだけはあります。

オーソドックスですが、誰もが好きな間違いのないお味でした。

久し振りの三宮を満喫し、阪神電車の駅に向かったのです。

A14とある地下への入口がありました。

これがかなり小さく、かつ古いのです。

まるで防空壕の入り口のよう。

仕上げや形状を見ていると、戦前、戦中あたりにつくられたのではと思います。

古いものと新しいもの。

Old & New

新旧入り乱れてこそ、街は魅力的なのだと、神戸は教えてくれるのです。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開
■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載
■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

イサム・ノグチと道具と技術‐2002‐

土曜日は天気予報通り、とても良い天気に。

三宮まで足を延ばしてきました。

私世代は新神戸オリエンタルホテルのほうがピンときますが、現在はANAクラウンプラザホテル神戸。

ダイエーの総創業者、中内功肝いりのプロジェクトで、竹中工務店の設計施工でした。

1988年の完成当時は関西一高いビルでしたが、規模だけでなくフォルムも素晴らしいのです。

新神戸駅の東まで歩き、竹中大工道具館に行ってきました。

現在「イサム・ノグチ TOOLS」という展覧会が催されています。

竹中工務店の元本社後に建つ軒の深い建物は、新緑にまぶしいばかりです。

イサム・ノグチは、1904年、詩人・野口米次郎と作家・レオニー・ギルモアの間にロスアンゼルスで生まれました。

https://www.instagram.com/reel/Crax3douDme/?utm_source=ig_web_copy_link

父は彼の誕生前に日本に戻ってしまい、女手ひとつで育てられますが、2歳の時に父を頼って母子は来日します。

母 レオニー は感受性の強かったイサムの能力に気づき、地元の指物師のもとに見習いに出しています。

そこで、木工用の道具に親しんだことが、ものづくりに目覚めるきっかけとなりました。

その後、母の勧めで13歳の時に再びアメリカに戻ります。

苦学しながらも彫刻家として生きる決意をしたイサムは、22歳の時に彫刻家・ブランクーシに弟子入りします。

そこで石彫を学び、その才能が開花していくのです。

晩年は日本の香川県にもアトリエを構えています。

勿論のことですが、石彫のための道具はひと際多く展示されていました。

イサムはより硬い石、玄武岩の作品を多く作るようになっていきます。

硬い石の彫刻の際は、目を守ることが必須だったと思います。

色々あった道具の中でゴーグルが特に印象に残りました。

岐阜へ立ち寄った際に見た提灯に興味をもち、和紙と竹でつくる照明「あかり」を発表します。

20世紀初頭、アメリカ人にも日本人にもなりきれない自分にイサムは思い悩んでいました。

しかし、それらの経験も全て創作によって作品へと昇華したのだと思います。

柔軟な考え方で様々な素材と向かいあい、どのような道具も使いこなした器用さと技術が、孤高の天才彫刻家を支えていたのです。

この 竹中大工道具館には、子供達は何度か連れてきたのですが妻は初めてでした。

思いのほか面白かったらしく、しっかり見て回っていました。

特別展示と別のフロアには、常設展示もあるのですが、その質も大変高いのです。

大正の名工、千代鶴是秀の残した鑿(のみ)は、吸い込まれそうな美しさでした。

同時に、背筋が寒くなるような妖艶さまで漂わせています。

イチローのバットづくりも担当していた、元ミズノのバット職人、久保田五十一さんは落合博満元監督にこう教えられたそうです。

商品は人が手にして喜ぶもの。道具は人が手にして使うもの。遊びはいっさい不要。

本物の道具を見た時、いつもこの言葉を思い出すのです。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開
■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載
■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

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ゴルフにまつわるエトセトラ‐1835‐

今日もリモート打合せでしたが、コロナ下の社会で最も変わったことのひとつでしょう。

各アプリケーションによって画面共有の設定が違ったり、初めは音声が出なかったりと、出だしはバタバタしますが、便利と言えば便利なものです。

今年の8月から本格的に進めている、アトリエmのwebサイトリニューアル計画。

お願いしているドアズの社長、戸田さんはフリーマガジン『fd』の編集長までしている多才な人と書きました。

できれば打合せはリアルでお願いしますと、毎回神戸まで押しかけているのです。

そのドアズの1階には、シルバーアクセサリーのオリジナルブランド、DAgDARTの店舗があります。

今回がリアルの打合せは最後だったのですが、偶然1階が定休日。

最後になるかもしれないので、無理を言って中を見せて貰いました。

店舗の隣には工房があります。

元は自分でも製作していたそうで、少し実演してくれました。

さすがはアクセサリーブランドのオーナー社長。

私より10歳程先輩だったと思いますがとてもお洒落。

指輪はご自身のデザインとのこと。

格好よくディスプレイされています。

しかし、近年は若者があまりアクセサリーをしなくなり、厳しい時代ではあるようです。

その中で、人気の商品がこのゴルフのマーカー。

グリーン上でパットの順番待ちをするとき、ボールの位置を示すために置くあれです。

ゴルフ場へ行けば、樹脂のマーカーが山盛りで置かれていますが、やはり格好いい大人はディティールに拘りたい。

そんな心理をついているのでしょうか。

移動の途中、抜け道かなと丘陵地にある小路へ入っていくと、刈り込んだ芝生が見えてきました。

ゴルフ場の中を横切る道だったようです。

道のすぐ横に打ち下ろしのティーグランドが見えます。

この時期の熱された芝生が発する匂いを思い出していました。

ゴルフをやめたのは30歳すぎの頃ですが、中学生ぐらいからコースも回っていたので大好きなスポーツでした。

ただ、私は無類の負けず嫌いで、コースを回る時はかなり前から予定を立てて練習します。

それなりに自信もあったのですが、独立してからは思うようには練習できなくなります。

後からゴルフを始めた友人に負けたりすると、次の時は血豆ができるまで練習して行くようになりました。

楽しむとは程遠い状態で、「いったい何のためにやってるんだろう」とクラブも全て処分してしまったのです。

28歳から3年程、ひどい鬱に苦しんでいたのですが、その時に滅多に合わない近所の友人が、「会わせたい人がいるからゴルフに行こう」と連絡がありました。

そんな時は誰にも会いたくないものですが、半ば強引に誘われ、一緒にコースを回ったのが現在の妻です。

鬱の時は、とにかく自分に自信がないので、「何と優しい人」と思っていたはずです。今では真逆の人間性だと思いますが。

もう少し歳をとったら、ゴルフをすることがあるのかなと思ったこともありますが、多分ないと思います。三つ子の魂百までで、私の性格が変わることもないでしょうし。

ただ、ゴルフをしていなければ現在の人生ではなかった訳です。

私のゴルフにまつわるエトセトラでした。


■■■「コンクリート打放し H型プランの平屋」 ■■■
9月20日(祝・月) 11:00~15:00 オープンハウス開催

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】

■■■ 『建築家・守谷昌紀TV』を開設しました ■■■

■1月27日 『Best of Houzz 2021』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記