タグ別アーカイブ: バラック

次はどこで働く?‐2024‐

今年の梅雨は天気予報に反して、晴れの日が多かった気がします。

今日の大阪は、昼過ぎに強い雨が降ってきましたが、夕方には完全に上がりました。

梅雨に入った頃、実家で氷砂糖に梅を漬けていると書きました。

それがようやく梅ジュースになりました。

砂糖漬けなので甘くはありますが、炭酸水で割ってみるとスッキリ飲みやすいのです。

なぜ実家のことを知っているかと言うと、この4月に15年住んだ家を売却し、家族3人で実家に住んでいるのです。

建て替えるつもりで古家付きの土地を買ったのですが、自宅より先に仕事場を何とかしなければという事になったからです。

1996年、JR天王寺駅の北側に建つマンションでアトリエmを立ち上げました。

4.8畳のワンルームでしたが、狭くても十分に満足していました。

ここで3年頑張り、1999年に天王寺でもう少し北のマンションへ引っ越しました。

そのマンションは12畳ほどあるワンルーム。広くはなったのですが、この頃に体調が悪化します。

2001年は完全に1年休んで、2002年に平野区で再出発しました。

親が所有していた倉庫の2階がアトリエです。

スレート屋根だったので、暑さ寒さは強烈でしたが、60畳分をひとりで使っていたので、贅沢と言えば贅沢。

前の出っ張り部には、隠し階段もありました。

バラック感がたまらない建物だったのです。

その東隣にも小さな倉庫がありました。

そこに建てたのが、弟の家族が住む「平野西の家」です。

2004年の完成と同時に、隣の倉庫から1階にアトリエを引っ越してきました。

今年は2023年なので、ここで20年仕事をしたことになります。

西隣の倉庫は、2017年に解体して「R Grey」を建てました。

弟がオーナーのマンションです。

アトリエmは、これまでに4カ所で営業してきました。

自宅を新築してから、会社ビルを建てるのが理想でしたが、現時点で2軒建てるほどの体力はなく……

長男が東京の大学へ行ったことも後押しになりました。

自宅を売却した資金を元手に、もう少し大阪の中心へ引っ越そうと物件を探しているのです。

現在52歳。

しかも、娘の大学進学も控えています。

今更ながら健康が一番ということで、実家の物置スペースで10年振りにウィトトレーニングも開始しました。

元々、体力だけが自慢ですが、まだまだ身を粉なにして働く覚悟です。

5か所目のアトリエは、クライアントやスタッフが、もう少しアクセスしやすい所にしたいと思っているのです。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

努力は必ず報われる ただしその前には谷のようなものがある‐1986‐

環濠都市だった平野は、中世において綿の貿易で繁栄しました。

織田信長にキリスト教の布教を許されたルイス・フロイスは、平野を訪れ「美しき村」と書き残しています。

立派な駒寄せのある住宅が結構残っているのです。

その平野でも、最近は外国人の姿をよく見るようになりました。

特に良くみるのがベトナム人。

経営者からも外国人技能実習生としてベトナム人を受け入れているという話をよく聞きます。

いつの間にかリサイクルショップやベトナム食品専門店ができており、本当に逞しいなと思うのです。

私がベトナムを訪れたのは2002年の2月でした。

カンボジアのシェムリアップからホーチミンに入ったのですが、まず人の多さに圧倒されました。

20年前のことですから随分変わったと思いますが、当時はバラックのような建築が大半。

ここが街の中心だったはずですが、舗装されていない道路もかなりありました。

私が子供の頃は、大阪の下町も舗装されていない道路が残っていたので、とても懐かしく思ったものです。

ただ活気は凄く、うろうろと街を歩き回っていました。

「ささき整形外科クリニック デイケアセンター」の現場では、カンボジア人が働いていました。

カンボジアはアンコールワットなどの遺跡が多くあり、長く滞在していました。

夜明け直前の景色がとても美しいと聞き、早朝に起きて見に行きました。

人が穏やかで物価が安く、とても過ごしやすい国でした。

労働力不足が顕著な建築現場では、外国人や女性の姿を本当に良くみるようになりました。

地域、国籍、ジェンダーと、世の中のボーダレス化は更に加速するでしょう。

一緒に働く際に大切なものは何なのか。

やはり、その先が「幸せ」に繋がっているのかどうかだと思います。

脳科学者の茂木健一郎はこういっています。

努力は必ず報われる。ただし必ずその前には谷のようなものがある。

先週から、学生がオープンデスクに参加していますが、このあたりを上手く伝えられれば良いのですが。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載


■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

バラックには夢がある‐1310‐

 前回は、名古屋への小旅行を書きました。

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 市役所までこのデザインとは恐れ入ります。

 最後に大事なメッセージを書き忘れてしまいました。

 12月でマルコが辞めるので、働きたいという人、いい人が居るという場合は是非連絡下さい。

 これまで建築学科卒を必須としてきましたが、最近の人手不足を考え、熱意があれば、その条件を外しても構いません。

 熱意をもって指導致しますので。

 来春、「平野西の家」の隣にマンションを建てることになりました。

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 計画がスタートすれば詳細を書きますが、現在は父が昭和56年に建てた鉄骨2階建ての倉庫が建っています。

 土地は父、建物は弟がオーナーになります。

 父の会社のガラス在庫を保管する為の建物でしたが、最近はずっと貸していました。

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 1階の天井高は5.5mなので、高さは3階建てとほぼ同じ。

 当時は、ここにガラスの在庫がびっしりと置かれていました。

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 1階はトイレと階段だけ。

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 2階は屋根のスレートがむき出しで、断熱材は一切なし。本当に暑かったのです。

 というのは、1989年に実家を建て替える際、1年程ここに住んでいました。

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 その時に出来たのがこの個室群です。

 一番右が私の部屋で、真ん中が弟の部屋。

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 ビニールクロスは、先日出ていった店子の会社が貼ったので、全てベニヤがむき出し。それはそれで面白い空間でした。

 風呂はないので、窓越しに見える銭湯へ行っていたのです。

 1989年は私が19歳の年で、浪人していた時期。勉強もはかどる訳です。

 更に、1年間仕事を休んだ後、2002年に仕事を再開した際は、ここをアトリエとしました。

 私にとって再出発の場所でもあります。

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 浪人していた当時は、前の空地にコンテナを置き、そこが両親の寝室であり、会社の事務所でした。

 今はその部分に、ガレージが付随しています。

 1、2階それぞれ、賃貸出来るように増築したもの。

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 中には階段がありますが、2階のデッキと繋がっていました。

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 しかし、そのデッキも今はチェッカープレートで蓋がされています。

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 デッキにあるのはトイレだけ。

 その前に少しだけ、階段の名残が見えています。2階から出入りも出来ました。

 ジブリの三鷹の森美術館のバラック版とは言い過ぎでしょうか。 

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 隙間から、雨風が入ってくるので、匂うなんてことは全くありせんでした。

 そう考えると、すこし違った空間体験を持っているのかもしれません。

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 この前の部分、完全に建ぺい率をオーバーしています。

 次に建つ建物は、鉄筋コンクリート打ち放しのマンションとなる予定です。勿論合法ですが。

 竣工は3月の予定。全部で6住戸、40㎡の1LDKですが、シャープな感じで仕上げようと思っています。

 借りてくれる人があれば、こちらも是非連絡待っています。

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 ベトナムやカンボジアに行って、バラックが面白いと言っていましたが、考えてみれば、ほとんど同じような経験をしていました。

 建築を設計する場合、行き当たりばったりでは良いものが出来ません。

 決めるいうことは、他の選択肢を捨てること。その覚悟が、豊かな空間を導いてくれるのです。

 しかしバラックは完全に行き当たりばったり。

 それゆえ粗末で、精度は低い。

 しかし、必要に応じて建て増したり壊したり。自分サイズの夢は広がるのです。