タグ別アーカイブ: 大阪

良い学校の定義‐1314‐

 昨年に続いて、母校の文化祭に行ってきました。

31-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 OB会の手伝いで「プロフェッショナル相談コーナー」に参加する為です。

35-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 弁護士、税理士、会計士、医師とその横に席を用意して貰いました。

32-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 高槻中学・高校は来年から、共学の学校に変わって行きます。

 それで、垂れ幕には「男子校最後の文化祭」とあるのです。

33-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 また、新校舎の建設も始まっており、大きく様変わりをして行きます。

 進学という意味においては、かなりの放任主義でしたが、個性を伸ばすという意味においては、良い学校だったと思います。

 しかし、少子化の進む中、学校も変化を求められます。共学化と共に、放任主義から舵を切っていくようです。

 母校は一つしかないので、基本、誰にとっても良い学校なのですが、良い学校の定義を考えてみました。

 答えは何通りもあると思いますが私の結論はこうです。

 「一生懸命が恥ずかしくない雰囲気、空間をもっている」

 10月4日(火)の夕刊の一面に、同級生の写真が載っていまいした。

30-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 「大隅教授、ノーベル賞」のすぐ下にでした。

 自動衣服折り畳み機、ランドロイド1をシーテックというITイベントで発表。社長の阪根が実演している写真です。

 彼の会社、セブンドリーマーズはオートクチュールゴルフシャフト、鼻腔挿入デバイス、ナステントを開発販売しています。

 ゴルフシャフト部門では、芝公園、梅田等の店舗を設計させて貰いました。

 彼が、賢者の選択に出演した際、何度か使った言葉に「ここでは勝てないなと思った」というフレーズがありました。

 大学卒業後、アメリカの大学へ留学し、化学の勉強していた時の話しだったと思います。

 世界から優秀な学生が集まってくるからです。

 どんな事でも努力し続ければ、必ず達成できると信じます。しかし、世の中には無限の選択肢があり、全てを並行して進めるのは不可能です。

 その中で、自分が一番得意で、続けられるものを見つける必要があります。それは、その他を全て捨てるのと同じ。

 本気で、全力で取り組まなければ、言い訳が先に立ちます。

 「本当なら……」「もう少し時間があったら……」「もう少しお金があったら……」「僕がビル・ゲイツの息子だったら……」と言い訳は無限にエスカレートします。

 反対に、全力で取り組んだ上での負けなら、更なる努力をするか、もっと得意なことを探すか、選択は2つに1つ。

 よって、一生懸命が恥ずかしくない雰囲気、空間をもっている学校が、良い学校だと思うのです。会社も同じかもしれません。

 また、勝つに越したことはありませんが、どの道にもトップがいるので、人生では負けることのほうが圧倒的に多いものです。

 「Aより数学ができることはないな」「Bより表現力はないよな」「Cよりもてることもないな」など、私も生きる道を探って来たのだと思います。

 負けはしますが、それぞれの秀でた一芸をみておくのには、更に価値があります。

 自分の得意を見つけたとしても、人は一つの能力だけで生きる訳ではありません。

 彼のここは凄いなあ、という姿を自分の目で見ておくと、いくらかは再現できるものだと思うのです。

 もし、子供に「なぜ良い学校に行くほうが良いか」と問われた時の答えをまとめてみました。

 これらも、無限の答えがあります。私はこれ以外の意見を捨て、子供に話してみます。

優秀さとは、行為ではなく習慣‐1313‐

 最近の日照は、例年の1/4だそう。今年は雨の多い秋になりました。

 北海道への台風被害も重なり、野菜が高いと妻がぼやいていました。

 しかしデフレの世の中、食べ物を大切にするには良い機会かもしれません。

20-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 昨日は何とか降らずで、無事運動会が開催されました。

 長男にとっては小学校最後の運動会です。

20-2-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 まずは娘の徒競走から。

 スタートは少し出遅れたか。

21-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 保育園の最後はアンカーで、私達に夢を見させてくれました。

 しかし今回は男の子の次で2番。

 男女別なら……と思いますが、きまりはきまり。仕方ありません。また来年です。

23-2-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 長男はリレーの一番手。

 彼も短距離走は得意にしています。

 大外からのスタートも苦にせず、第一コーナーで先頭に立ちました。

25-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 第4コーナーまで危なげなくトップ。

 最近は運動量が少ないせいもあり、やや疲れた感もありましたが、1番でバトンを繋ぎました。

 どんなことでも、結果がでて周りが喜んでくれるのは素晴らしいことです。

 しかし、この結果は小学校まで。ここからは、最も打ち込み続けた人が結果を出して行きます。

 好きなスポーツを見つけて、心身ともに鍛えて貰いたいと思うのです。

37-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 この運動会ですが、紅組、白組に分かれて勝敗を競うのが目的です。

 NHKの紅白歌合戦なら、紅白の意味があると言えばあります。

 しかし、小学校の紅白は、理由なく分けられたもの。それでも、子供達、周囲は一喜一憂します。

39-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 棒引きというのか、勝負が長引いたこともあり、結構な声援が沸き起こっていました。

 人には本能として闘争心があり、競うことが好きなのだと分かります。

 最も大切なのは、本能をむき出しに戦っていいよ、という場の雰囲気でしょうか。真剣勝負の勝利にこそ喜びがあるのです。

 成功とは、ある程度の苦しみが伴うものと置き換えて良いと思います。そうでないものは、誰もが喜んで出来るので、他者と差がつきません。

 では、何故苦しくても出来るかと言うと、その先に「喜び」があると知っているから。

 大人の視野で見れば、小学校、中学、高校、大学と、エリアが広くなって行くので、小さい時のほうが間違いなく一番になりやすいと分かります。

 小さい時のほうが成功体験を得やすいのです。

 では、小学生の時に成功体験がなければもう駄目かと言えば、そうでもないようです。

 人は繰り返し行うことの集大成である。

 だから優秀さとは、行為ではなく習慣なのだ。

 - アリストテレスー

 歳を重ねるにつれ、一番は遠くなって行きますが、打ち込み続けていれば、また世界が小さくなってくる。

 仕事、人生が面白いのは、勝負が一回きりではないからなのでしょう。

 「喜び」とは感情なので、教えることは不可能。自分で体感するしかありません。

 ただ、同じ結果でも喜びを大きくすることは出来ます。家に帰って一緒に思い出し、一緒に喜ぶ。追体験で2倍にも3倍にもなる気がします。

 親、周囲が、子供に出来ることはその程度のことなのかもしれません。

 あとは、早起きしてちょっといい観覧席を確保するくらい。父親稼業も、そこそこに大変なのです。

人気の記事と誤字脱字‐1312‐

 今週の土曜日、昨年に続いて母校の文化祭に参加します。

■■10月1日(土) 1:00pm~3:00pm 高槻中学・高校文化祭の
「プロフェッショナル相談コーナー」に参加■■

00

 昨年は、税理士、会計士、弁護士、医師、建築士が常に8人くらいは居たでしょうか。槻友会というOB会の活動を知って貰う活動の一環です。

 この時は、隣の教室にブースを出している保護者会の方が訪ねてきてくれました。日記が面白かったと言ってもらい、結構話し込んでいたのです。

 この日記をワードプレスという形式に移行して2年が建ちました。

 以前のエクサイトブログの方が書きやすかった面もあり、一長一短ですが、現サイトはどの記事が良く読まれているか分かります。

 この2年で最も読んで貰った1位、2位は以下の通りです。

01
絶対に混まない抜け道‐1135‐ 2015年1月22日

02
ハイラックスサーフ 2011年5月9日

 1位は実用、2位は趣味といったところでしょうか。

05
阪急梅田駅の歴史 2005年10月31日

07
たかがスナックパーク、されどスナックパーク‐1139‐ 2015年2月5日

 このあたりの「大阪もの」も結構読んで貰っています。

 これらの記事に、かなり誤字脱字があると分かったのが、今年の春のこと。

 ある後輩と食事をしていた時「間違いに気づいた時、メールで送ってもいいですか」と言ってくれたので、是非とお願いしました。

 するとあるわ、あるわ。

 2回に1回くらいは、助詞の間違い、漢字の変換違い、送り仮名が重なっていたり。

 あまりに多いので「申し訳ないからもういいよ」と連絡したのですが「楽しく読ませて貰ってるんで、気になさらずに」と。

 更に甘えて、先週脱稿した原稿も送ったのですが、「まえがき」から、謝りたくなるくらいあるのです。

 全5章のうち3章までチェックしてくれました。まるで赤ペン先生なので、月謝を支払わなければなりません。

 自分では、言葉を大切にしているつもりでしたが、全くでした。これでは大学入試は駄目だなと、改めて納得したのです。

 彼の、それらをチェックする能力は半端ではありません。言葉を大切にしているからか、もって生まれたものなのか。

 「ここ間違ってます」と送って貰った文章を、3回読んでも気づけない時があるのです。

 人の能力には本当に違いがあります。更に言えば、その長所や短所を自分が分かっていないケースがかなりある気がします。

 今回の一件で分かったこと。

 新たに創ることに対しては積極的だが、見直し、校正をなおざりにしてきた。

 人は不完全です。それゆえ、チームで仕事をすることに意味があるとも言えます。

 ぼつぼつと応募の連絡が届きだしました。準備を整え、次のステージに行くんだという気分なのです。

 今回くらいは、誤字脱字がなければ良いのですが。

脱稿、そして現在・過去・未来‐1311‐

 昨年12月に執筆依頼をもらい、先週末ようやく脱稿しました。

 B5サイズ200ページで約4万文字。写真や、図面があるので、文字数としては少なめなのだと思います。

 「一般の人と、建築家が近くなる本」が、出版社のリクエストでした。

 まずは、自分の人生と、大阪の下町のことから書き始めたのですが、妻が「あなたの人生に興味がある人がいるの」と。

01

 居るか居ないのか分からないけど、そこから書き始めるしかないだろうとスタートしたのです。

 一番時間がかかったのが、図面、写真の整理でしたが、今回使わなかった写真を少し上げてみます。

03-2

 昭和45年頃、家の前は砂利道で、前の空き地は土でした。

05

 舗装されたのが昭和50年くらいでしょうか。

 現在もこれからも、街は変化していきます。しかし、流通の進歩から、加速度を増した時代に幼少期を過ごしたのだと肌で感じます。

 書籍は、家創りのストーリーを紹介して行きますが、それとは別に、独立の流れから、初期の3作品についても触れている項があります。

07羽衣の家 1997年

09白馬の山小屋 1998年

08Spoon Cafe 1998年

 これらの3作品は、大学時代にスキー部にいたからこそオファーがあった仕事です。

13-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 その先輩方から、大泉緑地でのバーベキューに誘って貰いました。

 四半世紀前から、変わらぬ関係とが続いていることに、感謝と驚きに近いものも感じます。

19-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 まさか、高校の先生とは思えないサングラス姿で、6つ上の先輩が登場。

 ご近所なのでと急遽の参戦です。大阪でスキーをしていたなら、この兄妹を知らない人はモグリと断定できます。

 兄妹のお父さんが私の2番目のクライアトでした。

 数年前に亡くなられた時も、最後の最後まで、水の良い、白馬の山小屋で暮らすことを望んだそうです。

 そして現在は、長男であるお兄さんが、形見でもある白馬の山小屋に愛情を注いてくれているのです。

 書籍の中では、工事費と設計料が滅茶苦茶に安かったこと、更に、白馬までの交通費を下さいなど、怖くて言えなかった、という恨み節まで書いています。

 しかし、お父さんも笑って許してくれるだろうと思っています(勝手にですが)。

 お兄さんが「屋根とか壁とか、車を洗うみたいな感じで、洗剤で洗っているんだけど、いいやんな」と。

 家をカーシャンプーで洗うなど、聞いたことがありませんが「もちろん大丈夫です」と答えました。

 雨漏りやシロアリなどの問題も起こりますが、それでも築50年、リノベーション後18年の山小屋は愛されているのです。

 まだ思い出に浸る歳ではまだありませんが、これまでの人生を見返す時間があったことは、とてもラッキーでした。

 現在は、過去の影でしかありません。そして、未来は、今、この瞬間の積み重ねです。

 年末の出版を目指していましたが、脱稿が遅れたので、1ヵ月程伸びてしまいそう。

 また発売日が決まったら、ここで告知させて貰います。

バラックには夢がある‐1310‐

 前回は、名古屋への小旅行を書きました。

75-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 市役所までこのデザインとは恐れ入ります。

 最後に大事なメッセージを書き忘れてしまいました。

 12月でマルコが辞めるので、働きたいという人、いい人が居るという場合は是非連絡下さい。

 これまで建築学科卒を必須としてきましたが、最近の人手不足を考え、熱意があれば、その条件を外しても構いません。

 熱意をもって指導致しますので。

 来春、「平野西の家」の隣にマンションを建てることになりました。

20%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 計画がスタートすれば詳細を書きますが、現在は父が昭和56年に建てた鉄骨2階建ての倉庫が建っています。

 土地は父、建物は弟がオーナーになります。

 父の会社のガラス在庫を保管する為の建物でしたが、最近はずっと貸していました。

22

 1階の天井高は5.5mなので、高さは3階建てとほぼ同じ。

 当時は、ここにガラスの在庫がびっしりと置かれていました。

25-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 1階はトイレと階段だけ。

27

 2階は屋根のスレートがむき出しで、断熱材は一切なし。本当に暑かったのです。

 というのは、1989年に実家を建て替える際、1年程ここに住んでいました。

29

 その時に出来たのがこの個室群です。

 一番右が私の部屋で、真ん中が弟の部屋。

31

 ビニールクロスは、先日出ていった店子の会社が貼ったので、全てベニヤがむき出し。それはそれで面白い空間でした。

 風呂はないので、窓越しに見える銭湯へ行っていたのです。

 1989年は私が19歳の年で、浪人していた時期。勉強もはかどる訳です。

 更に、1年間仕事を休んだ後、2002年に仕事を再開した際は、ここをアトリエとしました。

 私にとって再出発の場所でもあります。

33-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 浪人していた当時は、前の空地にコンテナを置き、そこが両親の寝室であり、会社の事務所でした。

 今はその部分に、ガレージが付随しています。

 1、2階それぞれ、賃貸出来るように増築したもの。

32-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 中には階段がありますが、2階のデッキと繋がっていました。

35

 しかし、そのデッキも今はチェッカープレートで蓋がされています。

37-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 デッキにあるのはトイレだけ。

 その前に少しだけ、階段の名残が見えています。2階から出入りも出来ました。

 ジブリの三鷹の森美術館のバラック版とは言い過ぎでしょうか。 

38-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 隙間から、雨風が入ってくるので、匂うなんてことは全くありせんでした。

 そう考えると、すこし違った空間体験を持っているのかもしれません。

39

 この前の部分、完全に建ぺい率をオーバーしています。

 次に建つ建物は、鉄筋コンクリート打ち放しのマンションとなる予定です。勿論合法ですが。

 竣工は3月の予定。全部で6住戸、40㎡の1LDKですが、シャープな感じで仕上げようと思っています。

 借りてくれる人があれば、こちらも是非連絡待っています。

2000_12%e3%83%90%e3%83%b3%e3%82%b3%e3%82%af2-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 ベトナムやカンボジアに行って、バラックが面白いと言っていましたが、考えてみれば、ほとんど同じような経験をしていました。

 建築を設計する場合、行き当たりばったりでは良いものが出来ません。

 決めるいうことは、他の選択肢を捨てること。その覚悟が、豊かな空間を導いてくれるのです。

 しかしバラックは完全に行き当たりばったり。

 それゆえ粗末で、精度は低い。

 しかし、必要に応じて建て増したり壊したり。自分サイズの夢は広がるのです。

近鉄特急で行く名古屋の旅‐1309‐

 今日は、急に車が使えなくなり、近鉄特急で名古屋へ行くことに。

 娘と2人での小旅行です。

11-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 朝7時のアーバンライナーはガラガラでした。

13-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 大阪上本町から2時間で名古屋に到着。

15-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 まずは名古屋城。

 「伊勢 は津でもつ、津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」

 「名古屋観光情報」というサイトに、三重県伊勢地方の民謡「伊勢音頭」にも歌われている有名なフレーズ、と紹介されています。

16-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 鯱は雨を呼ぶという伝説があり、火事除けとして飾るようになったそうです。

 しかし、残念ながら戦争の焼夷弾にはきかず、現在の天守閣は昭和34年に再建されたもの。

 大きいな、というのが第一印象でした。大阪城より一間は大きい感じ。

 プロポーションなら大阪城のほうが優れているでしょうか。

 このあたりが、秀吉が天才建築家と言われる所以です。

18-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 関ケ原の合戦で勝利を収めた家康は、豊臣家との対決に備え、近畿、東海の城を整えて行きます。

 尾張の中心である清州城は規模が小さく、度々水害に見舞われていました。

 そこで、北と西が断崖となっているこの地に名古屋城を築城。完成は1612年で、大坂夏の陣の3年前のことでした。

 豊臣家滅亡までの最後の布石となったのがこの名古屋城で、立派であることが重要だったです。

19-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 名古屋と言えばひつまぶし。 城の北西にある「しら河」という店へ行ってみました。

 電車でガイド本を見た程度のリサーチなので、早めに到着。11時にはもう一杯という感じでした。

21-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 本格的な名古屋が初めてなら、ひつまぶしも初めて。

 なるほど、なかなかに美味しいものです。

23-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 特に最後のお茶漬けがよかった。

 鰻好きの娘はペロリと平らげていました。

25-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 娘と来た以上、水族館は最優先です。

 名古屋港水族館は都心部に近いにも関わらず、国内最大級の大きさとのこと。

27-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 シャチのショーを見たのはかなり久しぶり。

 昔、白浜のアドベンチャーワールドであった気がするのです。

33-2-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 最近のイルカショーは洗練されており、シャチのショーがなくなるのも理解できます。

35-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 このあと栄あたりを回るつもりでしたが、時間切れ。

 先ほど大阪に戻りました。

37-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 明治維新が、薩長土肥によって成し遂げられたなら、戦国の世を終わらせたのは、東海地方の英雄達です。

 信長、秀吉とも偉大なリーダーでしたが、260年に渡って太平の世を治めてきたのは家康。

 政治力、忍耐力も秀でていたのだと思いますが、家康が部下にひどい仕打ちをしたという話はあまり聞きません。

39-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc%e3%81%ae%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 名古屋城築城の手伝いを命じられたのは、秀吉が可愛がっていた、福島正則、池田輝政、加藤清正達です。

 石垣が美しいことで知られる熊本城の城主であり、城郭建築の名人、加藤清正が名古屋城の石垣を完成させています。

 大きな天守閣を支えるのは、立派な石垣。石の上に乗り、工事を鼓舞する像まであるのです。

 松下幸之助を「人たらし」と呼ぶように、家康はどこか憎めないリーダーだったのだと想像しています。

 実は、今年の12月で当社のマルコが辞めることになりました。

 イタリアから日本に渡ってきて3年。半年日本語学校へ行ってから、当社に来たので2年半働いたことになります。

 初めて外国人と働いたのですが、分かり合えたこと、うまく伝えきれなかったこと、どちらも沢山あります。

 もう少し規模の大きい組織事務所も経験したいという希望を、私が止める権利はありません。

 最長5年と言っていたので、彼が居てくれる間になんとかその次の世代をと思っていましたが、それもまた振り出しに戻りました。

 三歩進んで二歩下がるではないですが、成長の歩みとはなんと遅々としたものか。

 家康が天下を収めたのは60歳の時。汗かき、べそかき、365日歩を進めるしかありません。

星が降る街‐1308‐

 建築設計の仕事は、土地に関わる仕事でもあります。

 現在の私達の職場は、北は京都、東は枚方、南は岸和田、西は豊中。それらを結んだ四角形の中にあります。

 今日は、京阪電車の交野線に乗って打合せに行きました。交野線は初めて乗ったのかもしれません。

10-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 交野市のwebサイトを見ると「星」にまつわる地名、伝説が載っていました。

 稲作が始まった頃、この地をあまの(甘野)といい、川水を甘野川と呼んだ。

 平安時代、宮廷人が歌合せの際に、「天の川」になぞらえたため天野川と呼ぶようになった。

 天野川にかかる橋は「逢合橋」(あいあいばし)と呼ばれ、織姫をまつる機物(はたもの)神社、彦星をまつる中山観音寺跡(なかやまかんのんじあと・枚方市)の中間点にあり、七夕の夜に二人が出会っていたという伝説の場所。

 また、星田という地名も、水不足で水田にできず、牧場にされたことから「乾し田」と呼ばれた。八丁三所の降星の伝説から、「星の田」と改称されたといわれている。

 「八丁三所の降星の伝説」とは、弘法大使が念仏を唱えると3か所に星降り、それらが八丁(約900m)の三角形で結ばれることから、そう呼ばれたといいます。

13-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 市の中央を流れる天野川。

17-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 同じ田んぼでも「乾し田」より「星田」のほうが、雰囲気があります。
09-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc
 サン・テグジュペリの「星の王子さま」は、飛行機乗りでもある彼が、砂漠に不時着した体験をモチーフにした小説です。

 小説の中では、星の王子さまが現れ、「僕」との心の交流が描かれています。

 おとなは数字が好きだから。新しい友だちのことを話しても、おとなは、いちばんたいせつなことはなにも聞かない。

 「どんな声をしてる?」とか「どんな遊びが好き?」「蝶のコレクションをしてる?」とかいったことはけっして聞かず、「何歳?」「何人きょうだい?」「お父さんの収入は?」など聞くのだ。

 テストの点がどうだった、偏差値がどうだった。聞いてしまいます。

 家に帰って、毎日「お父さん、今日の稼ぎはいくらだった?」と聞かれて、楽しい人は居ません。(いるかもしれませんが)

 カレンダーを見れば、今日は中秋の名月。

 今週はよく降りましたが、今晩は晴れそうです。

 仕事帰りには、空を見上げてみよう。そして、ウサギを探してみよう。

21-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

絵コンテ‐1307‐

 週末、夕食後は出来るだけ映画を観るようにしています。

 一番人気の「名探偵コナン」は、全て観終わりました。「ドラえもん」の映画シリーズもほぼ完走。

 いよいよ宮崎アニメに入りました。

 満を持してと言えば良いのか 「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」を2周続けて観ました。

21-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 ナウシカを解説する必要はありませんが、1984年に劇場公開された宮崎駿監督のアニメ映画です。

 特典として絵コンテがついていました。

 ここに載せてよいものか迷いましたが、載せてしまいます。

23

 絵コンテは、映画の設計図なのでストーリー、キャラクターが皆に分かるよう描かれたものです。

 初めて見たのですが、絵コンテの状態でここまでイメージが出来上がっているものかと、驚嘆しました。

25

 世界最高峰のアニメーターで、ストーリーメーカーである宮崎が描くものなので、素晴らしいに違いないはずですが、ここまでのものとは。

31-%e3%82%b3%e3%83%94%e3%83%bc

 ラピュタは1986年、スタジオジブリの初作品。

33

 私の最も好きな映画のひとつです。

35

 冒険、ドタバタ、使命感、友情と愛情。

 ありとあらゆるものが、最高の物語として描かれていると思っています。

 アニメは全て人の手によって創られるものなので、答えは絵コンテしかありません。

 考えてみれば当たり前ですが「ここまで絵コンテ通りに創られているのか」と驚いたのです。

39

 子供達も、圧倒的に楽しんでいました。

 しかし残念なことが一つ。長男は、なぜか「ムスカ」や「バルス」を知っていました。

 今時、YouTubeで公開されていると言います。彼はスマホを持っていないのですが、友人から聞いたと。

 小学6年になり、当然色々なことを知って行きます。無菌培養などあり得ないので、こんなことはいくらでも起こるでしょう。

 しかし、下の娘も楽しめて、初めて観るタイミングを計っていたのは事実です。当たり前ですが、初めては1回しかないのです。

 楽しみにしている映画があったなら、予告編は目をそらします。近ごろは、感動、感激を少なくすることばかり起こると言えば、言い過ぎでしょうか。

 知ることは可能性を広げます。

 しかし、建築家、ミース・ファン・デル・ローエの50年以上前の言葉が更に迫力を増して聞こえてきます。

 Less is more. (少なきことは豊かなこと)

731

 動画ではない、宮崎の絵コンテのほうが美しいと言っても、間違いではない気がします。

 改めて、その力量に感服するのです。

子供はなぜスタンプラリーが好きなのか‐1304‐

 今年の大河ドラマは「真田丸」。

 我が家の子供も、日曜の夜を楽しみにしています。

 大阪市交通局は、現在「幸村が駆け抜けた大坂スタンプラリー」というイベントを開催中です。

13 - コピー

 完成には幸村ゆかりの地、大阪市内6か所のスタンプが必要になります。

 真田好きとしては、勿論一通り訪れていますが、最後の1つが全興寺(せんこうじ)とのことでした。

11 - コピー

 平野区にある全興寺は、これまでに何度か紹介しました。

15 - コピー

 6世紀後半、聖徳太子が建立した仏閣で、大阪に初めて出来た集落は、この平野だとも考えられているのです。

17 - コピー

 最後のスタンプを押し、何日かに分けてスタンプラリーを完走しました。

19 - コピー

 無事6つ揃ったので、景品交換所のある地下鉄平野駅へ。

 「六文銭」の入ったハンドタオルを貰いました。

 これまで色々な所へ連れて行きましたが、兄妹が一番喜んだ旅は、境港でのスタンプラリーだったと思います。

 境港の水木しげるロードには沢山の妖怪の像があります。

 それを頼りに、購入した「妖怪ガイドブック」にスタンプを押して回るのですが、100万部を売り上げたとありました。

 子供のスタンプラリー好きには、我が家に限ったことではありませんでした。

 もし、平野駅に6つのスタンプがあったなら、これ程執着することはないでしょう。

 反対に、日本全国を回るなら、こちらが諦めてしまいます。

 更に、ご褒美を貰えることが、子供心をくすぐります。

 しかし、ハンドタオルには貰った瞬間から興味が失せています。また、どんな景品であったとしても、子供が文句を言ったことはありません。

 簡単では駄目。難しすぎても駄目。ある程度の苦労を伴い、ご褒美があり達成感が味わえる(と期待できる)。

 面白いのは、ご褒美にその達成感が比例しないことです。

 いや、分からないというのが、最も価値あるご褒美なのかもしれません。

フィンランドの旅③ <人、街、番外編 >‐1303‐ 

 8月も最後の月曜日になりました。

 少し時間が空きましたが、フィンランドで出会った人のことも少し書いておきたいと思います。

11

 フィンランドの首都ヘルシンキは、港町であり、観光都市でもあります。人も優しく、旅行者には大変過ごしやすい街でした。

 8月25日にフィンランド政府は「ベーシック・インカム(最低所得保障)」制度を導入すると発表しました。560ユーロ(約6万円)を一律に支給するという制度です。

 北欧は社会福祉が充実していますが、それらは28%という高い税率によって支えられています。よって、物価は日本よりやや高め。

21

 国鉄は、全て人と物が集まるヘルシンキの中央駅と結ばれています。

22 (2)

 2日目には電車で3時間半、北東300kmにあるユバスキュラへ行きました。

 アルヴァ・アアルト設計のタウンホールを見に行きましたが、ここは彼の出身地でもあります。

23 (2)

 バックパックを背負ってウロウロしていると、日本人の青年が声を掛けてくれました。

24

 ここには、アアルト本人が泊まる為に設計した部屋があるそうで「泊まっているので見て行きますか」と。

 東京で大手組織事務所に勤める26歳の青年でした。

 好感の持てる若者で、ラッキーだったなと思いながら、バス停で待っていると、80歳くらいのお婆さんが話しかけてきました。

 「若い頃イギリスに留学していた。アアルトは街の誇りだ。フィンランドは戦争が多かった。日本は伝統のある興味深い国だ」などと言っているようです。

 私は建築家でアアルトを尊敬していると言うと「バスが来るまで時間があるから、家に来てお茶を飲まないか」と言います。

 バスの時刻を正確に把握しておらず、気長に待つつもりだったので迷いましたが、行ってみることにしました。

27

 どうも、家ではなく知り合いの画家が個展を開いているので、お茶もあるから観に行かないか、と言っていたようです。

 彼女は漢字がデザインされたスカーフをしていました。

 旅行者の相手をしてくれるのは、お年寄りか子供だけ。こういったふれあいが旅に何かを付け加えてくれるのです。

28

 何故か、多くのフィンランド人のお年寄りに見送られながらバスに乗り、次の目的地「夏の家」に到着しました。

29

 20人くらいのツアーで、ガイドが説明をしてくれます。

 イタリアで建築出版をしているという、黒いサングラスをしている女性も「アンドウ、クマ、イトオは素晴らしい」と言って、話しかけてくれました。

 日本人も4名程おり、愛媛で設計をしているという女性と、現場監督を20年しているという女性2人組が参加していました。

 私がここにくるまで25年掛かっているので、立派だなあと感心していたのです。

34

 その日はタンペレという内陸の街に泊まり、翌朝ポリという西端にある街まで電車で1時間半。

 「マイレア邸」を見る為です。

37

 ポリで会ったおじさんの傘がなかなかお洒落。

 前日、ユバスキュラで会った26歳の青年も同じガイドツアーに予約しており、大分から来たという女性2人組も電車で一緒になりました。

 雨がひどいので、4人でタクシーをシェアすることにしたのです。

39

 1時間のガイドツアーが終わり、バスでポリ駅に戻ったのも私達4人だけでした。

 さあヘルシンキに帰ろうと切符売り場へ行くとクローズ。

 前日、自動券売機で購入していた私は「こんな時はこの券売機で買えば……」と張り切って説明していると、何故かこちらもクローズ。

 電車の出発が近付いてきたので、とにかく乗り込み、車掌からチケットを買うことになりました。

 すると行きのチケットの倍以上の値段で、しかも席代は別と言います。それならと、食堂車で帰ることにしたのです。

52

 この時、おそらく4人の中で一番英語力のある青年が、車掌といろいろ交渉をしてくれました。

 仕事をしていて、若者を見た時に「立派だなあ」と思う機会は正直なかなかありません。

 キャリアが違うので、当たり前なのですが、旅先で出会った私より若い世代の人は、積極的に英語で話しかけていました。

 こういった姿を見ると、日本の若者も頼もしいなと感じるのです。

53

 大分から来た女性は、1人が建築設計、1人は美容室の経営者。

 あとはヘルシンキに帰るだけでしたが、初対面の人も居るのでコーヒーを頼むと、美容師の女性はビールを。

 日本人の女性はいつも逞しいのですが、大分の女性は更に逞しいのでした。

54

 最終日は、ヘルシンキ郊外にあるアアルトの仕事場、自邸を回りました。

57

 ヘルシンキ郊外と言う事もあり、日本人の参加者が8人程いました。

 私と同年代の男性が流暢な英語で質問しているので少し聞いてみると、大学で英語を教えているとのこと。

 厚かましく、いくつかガイドに質問して貰ったのですが「専門家に解説して貰えて光栄だ」と喜んでくれたのです。

58

 京都でデザインの仕事をしているという女性も参加していました。25、6歳でしょうか。

 「北欧って、ホントお洒落ですよね。でもこれを日本に持ち帰っても浮いてしまうし、ビビッドなカラーでも、北欧の空気なら映えるんですよね」

 彼女だけではなく、そんな話しは何度か聞きました。

 日本の若者が逞しいと思う反面、日本に自信を持っていないことも少し気になります。

71

 例えば建築においても、大阪府の人口にも満たないフィンランドの建築は、とても平均点が高いのです。

 一般的な共同住宅も、しっかりとデザインされているものが殆どでした。

 しかし、北欧が良くて、日本が駄目という訳ではありません。反対も同じです。

 風土、民族性、経済状況、また法律などまで合わせて、文化は構築されていくものです。

 一朝一夕に出来上がるものではないから、それを見に旅に出るのだと思うのです。

72

 先週末、大分の女性から、お礼にとカボスのジュースが送られて来ました。

 コーヒーの後、2杯程ビールをご馳走しただけなのに、申し訳ない気もしますが、有り難く受け取ることにしました。

76

  24歳で初めて海外へでて、30歳の頃東南アジアを渡り歩いた時も、バックパック一つが私の旅のスタイルでした。

 バックパッカーのバイブル、沢木耕太郎の「深夜特急」を20代前半に読んでからですが、それが私に合っていると思っていたのです。

 良いホテルに泊まるより、美味しい食べ物を食べるより、少しでも色々な街を渡り歩きたい私にとって、バックパック1つの旅が性に合っていました。

77

 しかし私も46歳。まだまだ元気なつもりですが、そろそろ、バックパックの重さが堪えるようになってきました。

 一番の理由は体力的な問題ですが、50歳になった時、その姿が見れないかなと思うようにもなりました。

 私のフィンランド行きを誰かに聞いて、大学時代の後輩から連絡がありました。

 2日目に泊まった、タンペレで働いているそうです。

 分かっていれば現地で会えたかもしれず残念ですが、仕事の舞台は世界なんだと意識させてくれます。

75 (2)

 ヘルシンキは港町で、街中でもカモメがいます。

 ウィーン、メキシコシティ、オスロ、アムステルダム……

 行きたい街は沢山ありますが、ひとまずバックパックでの巨匠巡礼は今回で一区切りです。

 新しい旅のスタイルを模索します。