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近鉄特急で行く名古屋の旅‐1309‐

 今日は、急に車が使えなくなり、近鉄特急で名古屋へ行くことに。

 娘と2人での小旅行です。

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 朝7時のアーバンライナーはガラガラでした。

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 大阪上本町から2時間で名古屋に到着。

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 まずは名古屋城。

 「伊勢 は津でもつ、津は伊勢でもつ 尾張名古屋は城でもつ」

 「名古屋観光情報」というサイトに、三重県伊勢地方の民謡「伊勢音頭」にも歌われている有名なフレーズ、と紹介されています。

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 鯱は雨を呼ぶという伝説があり、火事除けとして飾るようになったそうです。

 しかし、残念ながら戦争の焼夷弾にはきかず、現在の天守閣は昭和34年に再建されたもの。

 大きいな、というのが第一印象でした。大阪城より一間は大きい感じ。

 プロポーションなら大阪城のほうが優れているでしょうか。

 このあたりが、秀吉が天才建築家と言われる所以です。

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 関ケ原の合戦で勝利を収めた家康は、豊臣家との対決に備え、近畿、東海の城を整えて行きます。

 尾張の中心である清州城は規模が小さく、度々水害に見舞われていました。

 そこで、北と西が断崖となっているこの地に名古屋城を築城。完成は1612年で、大坂夏の陣の3年前のことでした。

 豊臣家滅亡までの最後の布石となったのがこの名古屋城で、立派であることが重要だったです。

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 名古屋と言えばひつまぶし。 城の北西にある「しら河」という店へ行ってみました。

 電車でガイド本を見た程度のリサーチなので、早めに到着。11時にはもう一杯という感じでした。

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 本格的な名古屋が初めてなら、ひつまぶしも初めて。

 なるほど、なかなかに美味しいものです。

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 特に最後のお茶漬けがよかった。

 鰻好きの娘はペロリと平らげていました。

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 娘と来た以上、水族館は最優先です。

 名古屋港水族館は都心部に近いにも関わらず、国内最大級の大きさとのこと。

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 シャチのショーを見たのはかなり久しぶり。

 昔、白浜のアドベンチャーワールドであった気がするのです。

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 最近のイルカショーは洗練されており、シャチのショーがなくなるのも理解できます。

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 このあと栄あたりを回るつもりでしたが、時間切れ。

 先ほど大阪に戻りました。

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 明治維新が、薩長土肥によって成し遂げられたなら、戦国の世を終わらせたのは、東海地方の英雄達です。

 信長、秀吉とも偉大なリーダーでしたが、260年に渡って太平の世を治めてきたのは家康。

 政治力、忍耐力も秀でていたのだと思いますが、家康が部下にひどい仕打ちをしたという話はあまり聞きません。

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 名古屋城築城の手伝いを命じられたのは、秀吉が可愛がっていた、福島正則、池田輝政、加藤清正達です。

 石垣が美しいことで知られる熊本城の城主であり、城郭建築の名人、加藤清正が名古屋城の石垣を完成させています。

 大きな天守閣を支えるのは、立派な石垣。石の上に乗り、工事を鼓舞する像まであるのです。

 松下幸之助を「人たらし」と呼ぶように、家康はどこか憎めないリーダーだったのだと想像しています。

 実は、今年の12月で当社のマルコが辞めることになりました。

 イタリアから日本に渡ってきて3年。半年日本語学校へ行ってから、当社に来たので2年半働いたことになります。

 初めて外国人と働いたのですが、分かり合えたこと、うまく伝えきれなかったこと、どちらも沢山あります。

 もう少し規模の大きい組織事務所も経験したいという希望を、私が止める権利はありません。

 最長5年と言っていたので、彼が居てくれる間になんとかその次の世代をと思っていましたが、それもまた振り出しに戻りました。

 三歩進んで二歩下がるではないですが、成長の歩みとはなんと遅々としたものか。

 家康が天下を収めたのは60歳の時。汗かき、べそかき、365日歩を進めるしかありません。

尾張と伊勢志摩をめぐる-尾張編-

 先週の土曜日に名古屋で勉強会がありました。そのついでに愛知県と三重県を回って来ました。

 まずは”尾張名古屋は城でもつ”の名古屋城。徳川家康が築城を始めた城郭です。曇りですが金の鯱は光ります。

 お昼は妻が見つけて来たJR名古屋駅の地下街にある”わかさや”へ。

 油で揚げずにオーブンで焼いた味噌かつが名物とのこと。

 とってもジューシーで甘めの味噌は抜群。評判を裏切らない、満足のお味でした。定食にして¥1,300。

 都心部から南東に位置する豊田市に向かいました。

 日本が世界に誇るトヨタ自動車の本社のある市です。

 本社住所はなんとトヨタ町1。

 ここに丸亀市立美術館と同じく谷口吉生設計の”豊田市美術館”があるのです。

 外観、内部の空間とも余白の多い素晴らしい美術館でした。

 階段横の大きな壁の絵や天井から吊るされた電光掲示板も作品なのです。

 20世紀の中盤から”空間概念”という作品群を発表してきたイタリアのアーティスト、ルーチョ・フォンターナ。

 布を切りつけるという突拍子もない作品は常に賛否両論。

 時代は遡り19世紀末のウィーンを代表する分離派の画家グスタフ・クリムト。

 なんとも言えない色気立ち上る彼の作品は大好きです。

 先日映画にもなっていましたが、その中に登場する、弟子格のエゴン・シーレの作品も収蔵。

 現代からはリチャード・セラ。

 マンハッタンでは署名によって作品が撤去されるなど、なにかと騒動の多い作家ですが、時代の一番前を走るアーティストである事は間違いありません。

 仕事柄、建築よりの話になってしまいがちですが、ここの常設展示は本当に素晴らしい。

 興味のある特別展があれば別ですが、常設だけでも見応え十分です。しかも、入場料はなんと¥300。

 夕方になったので、宿をとった賢島へと向かいました。伊勢志摩編はまた後日。