前回は、名古屋への小旅行を書きました。
市役所までこのデザインとは恐れ入ります。
最後に大事なメッセージを書き忘れてしまいました。
12月でマルコが辞めるので、働きたいという人、いい人が居るという場合は是非連絡下さい。
これまで建築学科卒を必須としてきましたが、最近の人手不足を考え、熱意があれば、その条件を外しても構いません。
熱意をもって指導致しますので。
来春、「平野西の家」の隣にマンションを建てることになりました。
計画がスタートすれば詳細を書きますが、現在は父が昭和56年に建てた鉄骨2階建ての倉庫が建っています。
土地は父、建物は弟がオーナーになります。
父の会社のガラス在庫を保管する為の建物でしたが、最近はずっと貸していました。
1階の天井高は5.5mなので、高さは3階建てとほぼ同じ。
当時は、ここにガラスの在庫がびっしりと置かれていました。
1階はトイレと階段だけ。
2階は屋根のスレートがむき出しで、断熱材は一切なし。本当に暑かったのです。
というのは、1989年に実家を建て替える際、1年程ここに住んでいました。
その時に出来たのがこの個室群です。
一番右が私の部屋で、真ん中が弟の部屋。
ビニールクロスは、先日出ていった店子の会社が貼ったので、全てベニヤがむき出し。それはそれで面白い空間でした。
風呂はないので、窓越しに見える銭湯へ行っていたのです。
1989年は私が19歳の年で、浪人していた時期。勉強もはかどる訳です。
更に、1年間仕事を休んだ後、2002年に仕事を再開した際は、ここをアトリエとしました。
私にとって再出発の場所でもあります。
浪人していた当時は、前の空地にコンテナを置き、そこが両親の寝室であり、会社の事務所でした。
今はその部分に、ガレージが付随しています。
1、2階それぞれ、賃貸出来るように増築したもの。
中には階段がありますが、2階のデッキと繋がっていました。
しかし、そのデッキも今はチェッカープレートで蓋がされています。
デッキにあるのはトイレだけ。
その前に少しだけ、階段の名残が見えています。2階から出入りも出来ました。
ジブリの三鷹の森美術館のバラック版とは言い過ぎでしょうか。
隙間から、雨風が入ってくるので、匂うなんてことは全くありせんでした。
そう考えると、すこし違った空間体験を持っているのかもしれません。
この前の部分、完全に建ぺい率をオーバーしています。
次に建つ建物は、鉄筋コンクリート打ち放しのマンションとなる予定です。勿論合法ですが。
竣工は3月の予定。全部で6住戸、40㎡の1LDKですが、シャープな感じで仕上げようと思っています。
借りてくれる人があれば、こちらも是非連絡待っています。
ベトナムやカンボジアに行って、バラックが面白いと言っていましたが、考えてみれば、ほとんど同じような経験をしていました。
建築を設計する場合、行き当たりばったりでは良いものが出来ません。
決めるいうことは、他の選択肢を捨てること。その覚悟が、豊かな空間を導いてくれるのです。
しかしバラックは完全に行き当たりばったり。
それゆえ粗末で、精度は低い。
しかし、必要に応じて建て増したり壊したり。自分サイズの夢は広がるのです。