昨年12月に執筆依頼をもらい、先週末ようやく脱稿しました。
B5サイズ200ページで約4万文字。写真や、図面があるので、文字数としては少なめなのだと思います。
「一般の人と、建築家が近くなる本」が、出版社のリクエストでした。
まずは、自分の人生と、大阪の下町のことから書き始めたのですが、妻が「あなたの人生に興味がある人がいるの」と。
居るか居ないのか分からないけど、そこから書き始めるしかないだろうとスタートしたのです。
一番時間がかかったのが、図面、写真の整理でしたが、今回使わなかった写真を少し上げてみます。
昭和45年頃、家の前は砂利道で、前の空き地は土でした。
舗装されたのが昭和50年くらいでしょうか。
現在もこれからも、街は変化していきます。しかし、流通の進歩から、加速度を増した時代に幼少期を過ごしたのだと肌で感じます。
書籍は、家創りのストーリーを紹介して行きますが、それとは別に、独立の流れから、初期の3作品についても触れている項があります。
羽衣の家 1997年
白馬の山小屋 1998年
Spoon Cafe 1998年
これらの3作品は、大学時代にスキー部にいたからこそオファーがあった仕事です。
その先輩方から、大泉緑地でのバーベキューに誘って貰いました。
四半世紀前から、変わらぬ関係とが続いていることに、感謝と驚きに近いものも感じます。
まさか、高校の先生とは思えないサングラス姿で、6つ上の先輩が登場。
ご近所なのでと急遽の参戦です。大阪でスキーをしていたなら、この兄妹を知らない人はモグリと断定できます。
兄妹のお父さんが私の2番目のクライアトでした。
数年前に亡くなられた時も、最後の最後まで、水の良い、白馬の山小屋で暮らすことを望んだそうです。
そして現在は、長男であるお兄さんが、形見でもある白馬の山小屋に愛情を注いてくれているのです。
書籍の中では、工事費と設計料が滅茶苦茶に安かったこと、更に、白馬までの交通費を下さいなど、怖くて言えなかった、という恨み節まで書いています。
しかし、お父さんも笑って許してくれるだろうと思っています(勝手にですが)。
お兄さんが「屋根とか壁とか、車を洗うみたいな感じで、洗剤で洗っているんだけど、いいやんな」と。
家をカーシャンプーで洗うなど、聞いたことがありませんが「もちろん大丈夫です」と答えました。
雨漏りやシロアリなどの問題も起こりますが、それでも築50年、リノベーション後18年の山小屋は愛されているのです。
まだ思い出に浸る歳ではまだありませんが、これまでの人生を見返す時間があったことは、とてもラッキーでした。
現在は、過去の影でしかありません。そして、未来は、今、この瞬間の積み重ねです。
年末の出版を目指していましたが、脱稿が遅れたので、1ヵ月程伸びてしまいそう。
また発売日が決まったら、ここで告知させて貰います。