タグ別アーカイブ: イチロー

不完全っていいなあ‐2185‐

アトリエの最寄り駅は地下鉄平野。

出入口までは徒歩3、4分なので、地下鉄に乗るのにはかなり便利です。

この近さを経験していたので、移転先を探す際はかなり迷いました。

最終的には、地下鉄谷町6丁目の出入口まで徒歩6分で納得したのです。

谷6の駅は結構大きいので、8分くらいは見て貰った方が良いかもしれません。

地下鉄平野は、内環状線と南港通りの交点にあります。

その交差点が流町。

一筋西には平野区役所があります。

その間には、りそな銀行。

ダイコクドラッグ。

カラオケ、王将もあり、かなり便利な所でした。

それでも市内の中心部へ移転したく、今回決断をしたのです。

昨日は、イチローのアメリカ野球殿堂入りのニュースで持ち切りでした。

満票には1票届きませんでしたが、文句なしの殿堂入りでした。

満票はこれまで、元ヤンキースの守護神、マリアーノ・リベラたった1人だけ。

野手では、ザ・キャプテンこと、ヤンキースの象徴とも言えるデレク・ジーターが1票足らずとのことでした。

その点を考えるとかなりハードルが高いのかなと思っていましたが、394人中たった1人だけが投票しないとは……

この確率はほぼ100%といってよいでしょう。

その点に対するコメントが流石でした。

不完全であるっていうのはいいなあって

イチローの言葉は、ずっと追いかけてきました。

その中でも、今回の言葉は秀逸でした。

完璧ではないから、完璧を求め続ける

現在も完璧でなければ、移転したから完璧になる訳でもありません。

それでも、昨日よりは今日、今日よりは明日と、少しでも成長できるよう、前に進むしかありません。

イチローが「満足は求めることのなかにある」と言うように……

会見では、MLBに所属する日本人が少なすぎると、苦言も呈していました。

やるべきことをやり、言うべきことを言う。しかも言葉が強い。

夜、晩酌をしながら、こんなニュースを見れた時はとても寝つきが良いのです。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転します
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

2019年 暮れは元気にご挨拶‐1654‐

 30年続いた平成から令和へと元号が変わった2019年。残すところ1日となりました。

 今年最後の日記は、勝手ながら私の1年を振り返ってみます。

1月 憧れのウェーデルン‐1549‐

 2019年の初日の出は、霊峰・御嶽山の麓から望みました。

 長男はボード、娘はスキーの腕を随分上げたなと感心したのです。

2月 運命のルーレット‐1562‐

 久し振りに「サロンのある家」に寄せて貰いました。

 竣工して13年が経ちましたが、こちらのクライアントには、本当に色々な事を教えて貰いました。

 この日も子供にお土産を頂いてしまったのです。

3月 サヨナライチロー‐1573‐

 不世出の天才打者、イチローがついに引退しました

 MLBに居るあいだに、観戦に行けなかったことに悔いが残ります。

 磯崎新が日本人として8人目のプリツカー賞を受賞したのも3月でした。

4月 毎日がスペシャルで記念日‐1574‐

 「さかたファミリー歯科クリニック」が、『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』に掲載されました。

 物創りが私の仕事です。

 そして、本気のクライアントと出会うため、出来上がった作品を発信し続けるのです。

5月 子供は鏡で未来‐1584‐

 娘が小学6年生になり、中学受験をするので旅行はゴールデンウィークまで。

 時々喧嘩もしますが、とても仲がよい兄妹です。

 子供は社会の鏡で、人類の未来。その基本は家庭にあることを肝に銘じておかなければなりません。

6月 私の年輪‐1597‐

 「Ohana」は2009年の竣工です。

 今年も恒例のBBQに呼んで貰いました。

 年輪は冬の成長が遅い部分が濃く見えるもの。

 労苦を伴わない仕事はありません。作品こそが年輪なのです。

7月 取材大好き‐1602‐

 何度も取材を受けて貰っている「回遊できる家」

 それでも奥さんが「上の2人は取材が大好きですし、守谷さんが居なかったらこの家はできていませんから」とまで言っ下さり……

 創り手冥利につきるのです。

 この日の取材は、9月30日発売 の『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』掲載されました。

8月 心の空き地にも水やりを‐1613‐

 20世紀初頭の啓蒙思想家、ジェームス・アレンは言いました。

 心という庭に、美しい花の種を植え、雑草を抜き、水やりをし、手入れをしなければ、花が咲くことも、実がなることもないのだと。

 美しい花の種は、美しい心からしか生まれてこないのです。

9月 ペリ追悼「建築は建築家よりも大切で、都市は建築より大切なもの」‐1625‐

 アルゼンチン生まれの建築家、シーザー・ペリが今年の7月に亡くなりました。享年92歳。

 9月にペリの作品、国立国際美術館で開催された「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」へ行ってきました。

 「都市は建築よりも大切で、建築は建築家よりも大切なのだ」

 当たり前のことを、完全に理解しているからこそ一流なのだと思うのです。

10月 香港・マカオの旅① <摩天楼、スターフェリー編>‐1630‐

 沢木耕太郎の「深夜特急」は、バックパッカーのバイブルと言われます。

 私も沢木ファンで、殆どの作品を読んでいると思います。

 そのスタートの地が、香港。

 若き日の沢木青年が夢中になった街は、期待を裏切りませんでした。

 ② <マカオ、100万ドルの夜景編>③ <美食の都と動乱編>④ <さよなら香港、人と街と建物編>と、4回に分けてUPしました。

 I・M・ペイ設計の「中國銀行ビル」がひときわ美しかった香港。平静が戻ることを心から願います。

11月 地獄からの復活-1640‐

 近年、マツダのデザインが随分良くなったなと思っていました。

 「モノ造り革新」を推進、成功させた金井元会長は、当時どん底だった社内には「どうせ」という負け犬根性が蔓延していたと言います。

 そこで鼓舞するのです。

 弱者でも誇りは高くあれ

 少し手を加えさせて貰い「弱者こそ誇り高くあれ」だと書きました。

12月 お目が高い!‐1645‐

 houzzという建築の専門家紹介サイトで、「中庭のある無垢な珪藻土の家」のキッチンが、日本で5番目に多く保存されたということでした。

 特別なことをした訳ではないですが、地道に綿密にクライアントと創り上げたキッチンが選ばれたことがとても嬉しいのです。

 見る人は、必ず見てくれていると、自信になるのです。

 2019年の2月。10年務めてくれた田辺さんが産休に入りました。

 出産の前日まで仕事を務め上げてくれ、できる限りのことをしてくれ、本当に感謝しかありません。

 新入社員も数名採用しましたが、最も長く勤めてくれた女性で3ヵ月。1ヵ月未満の人も数人居ました。

 多くのオファーを頂き、それに何とかお応えするために、設計・監理に関しては私一人で全ての仕事を担当させて貰いました。

 チームを構成できなかったことは、自分の未熟さ故と反省しています。

 しかし、私が何かを譲歩して迎え入れることもないのだろうなとも思います。

 そんなことがこの時代に成立するのかしないのか、真剣勝負はこれからも続きます。

 ある同業の方が「日記、時々拝見しています。守谷さんの頭の固さがよくでていますよ」と。

 決して悪意ではなく、良い意味でとのことでした(笑)

 今年の状況は、ある程度予想出来ていたので、個人としての標語は以下のように決めていました。

 時間は命、全ての瞬間を全力で

 これを完全にできたということは、勿論ありません。ただ、気持ちとしては1年間持ち続けてきたつもりです。

 来年も、全く同じ気持ちで望むほかありません。「運命は勇者に微笑む」というジェフリー・アーチャーの言葉を信じて……

 今年もこの日記、そして現場日記にお付き合い頂き、誠に有難うございました。

 皆様にとって、2020年も素晴らしい一年となりますことを確信しています。

2019年12月30日 守谷昌紀

■■■ 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』2019年12月3日で「「中庭のある無垢な珪藻土の家」」が5位に選出

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【News】

『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』2019年9月30日発売に「回遊できる家」掲載
『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

サヨナライチロー‐1573‐

 イチロー選手が引退しました。

 3月20日、21日と、MLBの開幕戦が日本で行われると聞いたとき、多くの人が想像していたと思います。

 第1戦はテレビ中継の終了に間に合わず。

 春分の日にあった第2戦。試合が始まる頃、「イチロー引退」の一報が流れました。

 何とかリアルタイムで観ておきたいと、急いで家に帰ると、7回の第3打席に間に合いました。

 バットを前にかざし、バット、バックスクリーン、バットと視線を変え、視力を研ぎ澄まします。

 確か、そう説明していたと思います。

 最近は、白いものが目立つようになりました。

 厳しい自己管理で、守備力、走力はまだまだ一級品だと思いますが、打力の衰えは致し方ありません。

 返す返すも、昨年のフロント入りの時間が残念でならないのです。

 この打席は、腰が引けた状態での見逃し三振。

 第4打席は凡打だったようですが、地上波ではこれが最後の雄姿となりました。本人が何より残念だったでしょう。

 世界の王貞治が、リアルタイムで見ておかなくてはと言った引退会見。

 こちらも地上波放送があったのか分かりませんが、翌日のダイジェストを見ました。

 多くのメディアで取り上げられているので、私が触れる必要もないのですが、「元イチロー」のくだりには興味があります。

 今後のことを訊ねられ、こう答えたとあります。

 何になるんだろうね。そもそもカタカナのイチローってどうなるんですかね。「元カタカナのイチロー」みたいになるんですかね。あれ、どうなんだろ。「元イチロー」って変だよね。いやイチローだし、僕。音が一朗だから。書くときどうなるのかな。どうしよっか。何になる。うーん……。でも監督は絶対無理ですよ。絶対がつきますよ。人望がない。本当に。人望がないですよ、僕。

 茶目っ気たっぷりでしたが、イチローというのは、あくまでプロ野球選手であることが前提だと分かります。

 指導者、監督という声も聞こえてきますが、本人が言う通り、避けた方がよいのかもしれません。

 人望がどうとかいうレベルではなく、例えプロとは言え、彼の考え方についてこれる人が25人も集まる可能性は低い気がするのです。

 中田英寿松井秀喜の引退の時も、私なりの感謝の気持ちを綴りました。

 当たり前ですが、スポーツ選手は現役であってこそ、その輝きを放つものです。

 そう考えると「イチロー」はもう居ないのかもしれません。

 一郎が最もイチローであった時の言葉を聞けたことに、心から感謝します。玉のような言葉ばかりで、励みにしてきました。

 最後に、心に残っているものを2つピックアップしてみます。

『イチローの言葉』

 「体がでかいことにそんなに意味はない。僕は見てのとおり、大リーグに入ってしまえば一番ちいちゃい部類。日本では、中間クラスでしたけども、大きな体ではない。そんな体でも、大リーグでこういう記録を作ることができた。これだけは、日本の子供だけではなく、アメリカの子供にも言いたい。

 『自分自身の可能性をつぶさないでほしい』――と。

 あまりにも、大きさに対するあこがれや、強さに対するあこがれが大きすぎて、自分の可能性をつぶしてしまっている人がたくさんいる。そうではなくて、自分自身の持っている能力を生かすこと、それが可能性を広げることにもつながる」

『内野安打』

 先週はじめ、イチローが9年連続200本安打を達成しました。長いMLB(メジャーリーグベースボール)の歴史の中で、誰もがなしえなかった記録です。

 この記録が、アメリカではほとんどで取り上げられていないと伝わってきますが、そんな事はどうでも良い事です。彼が日本人であるだけで、誇らしいのですから。

 その特集番組を録画していました。一昨日それを見て、拳に力が入ると言うか、自分に激を飛ばしました。彼がずば抜けた結果を出すのは、能力は勿論ですが、その考え方から来ていると痛感したのです。

 2004年の年間262安打は世界記録と言って良いでしょう。この記録こそ、イチローが世界一のヒット職人であることを示しています。

 その彼は番組内で言いました。

 「唯一、数字で目標をあげるとすれば、安打数、200本ということになるでしょうか。もし打率を目標にすると、この打席は立ちたくない、向かいたくないと言う場面が必ず来ると思います。しかし、安打数を目標にすれば、そんな気持ちにはならない。打席に向かいたくなる。いつも楽しく野球が出来る」

 彼のヒットのうち、1/4近くが内野安打です。一般的に内野安打とは、投手に打ち取られ、詰まった打球になり、一所懸命走った結果それが安打になったという感じです。

 しかしイチローは、詰まらせてヒットにする技術があると言います。事実、難しい球はそうやってヒットにしているのです。

 ボールを捉える技術、一塁まで掛け抜けるスピード、共にメジャートップレベル。その彼が、誰もがその感覚を嫌う、詰まった当たりの内野安打までも、積極的に狙っていったなら……

 一本でも多く安打を打つのが目的なら、イチローにとっては当たり前の事なのかもしれません。しかし彼は、世界で初めて、本気で内野安打をも狙った一流打者では、と思ったのです。

 そう考えると、年間262安打、9年連続200本安打も、必然のストーリーなのかもしれません。彼はこうも言います。

 「重圧には弱いほうだと思います」

 今年3月にあったWBCの不調を指しての言葉でしたが、それでも最後には結果を出しました。何故この記録が達成できたかという記者の問いに

 「野球が好きだった事と、常に今がベストだと言える状況で、臨んでいる事が僕の強みでしょうか」

 と答えました。

 あらゆる可能性を捨てず、限界まで追求する。これを実行するのは、簡単ではありません。

 5年程前に、MLB経験のある現、楽天の中村紀洋選手がイチローに「セーフティーバントみたいな、せこい事をするな」とメッセージを送っていました。彼の意見も分からなくはありません。しかし、どちらが目的に純粋かは明らかです。

 彼は、常々準備が大切と言います。「ベストの状態で臨んでいる」と発言する事は、「言い訳しない」と言っていると同じことです。彼こそ侍。

 MLBの100年を超える歴史の中で、誰よりも目的に純粋だったのがイチローだったのでは、と思ったのです。

 有難う、そしてサヨナライチロー。

■■■『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日(月)発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

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【News】
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました
大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載

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建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

球春にみる。惚れてまうやろ~‐1466‐

 今日は曇り空でしたが、気温は一気に春めいてきました。

 街路樹のハナミズキが満開です。

 ハナミズキはアメリカ原産だけあり、花がやや大ぶり。近い種でいえば、ヤマボウシのほうが好みではあります。

 しかし、クライアントにハナミズキファンは結構多いのです。

 そんなこともあって、まじまじと見ていると、花弁の付け根が薄桃色なのを知りました。

 よく見れば、なかなかに可愛らしいものだなあと。

 3ヵ月点検で伺ったお家の花壇です。

 また現場日記で触れるのですが、草木は一気に春の装いです。

 元野球少年の私にとって、「球春」は春に現実味を持たせてくれる言葉です。

 大人になり、野球中継を観ることはなくなりましたが、今年気になるのは松坂大輔投手です。

 メジャーリーグから日本に戻って3年間。ソフトバンクホークスで結果が出せなかった彼は、中日ドラゴンズに移籍しました。

 スポーツ情報番組で、彼のインタビューをみる機会がありました。

 プロ入り1年目。イチローとの初対決は3打席連続三振。記憶に残る場面です。

 そして

 今日で「自信」から「確信」に変わりました。

 という言葉を残しました。

 イチロー渡米の6年後、追うように松坂大輔もメジャーへ。2007年のことです。

 生涯最高のバッターは「イチロー」と断言しました。

 他のバッターは自分の投球をすれば抑えられるが、イチローさんだけは、あらゆる手を使って抑えに行かなければ「切られる」感じと言いました。

 そのイチロー選手は、古巣マリナーズに復帰が決まりました。

 2人は、互いを認め合う仲とききます。

 50歳まで現役を公言するイチロー。

 コーチ兼任を断り、あくまで現役一本に拘った松坂大輔。

 もしかすると見納めになってしまうのではということもあり、更に気になるのでしょう。

 2006年、松坂大輔投手の座右の銘を知った時、心の中で何か大きな歯車が動いた感じがしました。

 「目標がその日その日を支配する」

 後藤静香の詩「第一歩」にある言葉です。

 目標は明確だったのか。1日、1日を支配できていたのか。

 12年間もの時間を、懸命に生きてきたのか……

 縁もゆかりもなく、いち野球ファンでしかありませんが、こういう気持ちにさせて貰えるだけで有り難いと思えます。

 最後に。

 松坂選手のインタビューを見て感じたのは、あれだけの実績を持ちながら、あの柔和な笑顔と人懐っこさ。大人の男でも「惚れてまうやろ~」という感じではないでしょうか。

 頑張れ大輔、そして自分。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

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【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

【News】
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

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子供との一場面を見逃さないために‐1413‐

 前回、夏にサヨナラしました。

 しつこい人は嫌われるのですが、もう少しだけ海での話しを。

 父に連れられ、小さい頃から来ているこの海ですが、山あいにある小さな浜です。

 山の斜面がそのまま海に落ち込み、少し沖にでるとすぐ深くなっています。

 遠浅の海水浴場ではありませんが、漁港としては好立地なのです。

 その港を守る堤防が、私達の遊び場でした。

 2段になっており、これが結構高いのです。

 写真では分かり難いですが、大人でも頭から飛び込むにはちょっと勇気がいるくらい。

 中学1年生の長男は、高い方から飛び込んだことがなく、今回は雪辱戦でした。

 しかし、午前中は干潮で浅く、高い方はやめておくよう伝えていました。

 それで、低い方から繰り返し飛び込んでいました。

 ただ飛び込むという単純な遊びが、スマホのゲームより面白いと思って貰えれば嬉しいのですが。

 小学4年生の娘も、飛び込もうかやめようか、結構な時間悩んでいました。

 しかし、勇気をだして初ダイブ。

 1回だけでしたが、これも成長です。

 2010年の8月末、何家族かを誘ってここに遊びにきました。

 7年前なので娘は2歳。最高の砂場をみつけたと、1日中砂遊びに夢中でした。

 一緒にきていた友人の次男君は当時9歳。

 今の娘と同じ年齢です。

 高い方の堤防から、飛び込もうか、飛び込むまいか、かなりの時間逡巡していました。

 が、見事に飛び込んだのです。

 下で待っていた、お父さんの表情が全て。

 すがすがしい風景でした。

 長男はもう12歳なので、潮が満ちたあと、高い方から何度も何度も、飽きることなく飛び込んでいました。

 私は片づけをしながらだったので、遠目には見えていましたが、写真は撮ってやれませんでした。

 親として、どのくらい子供見ているのかを考えるとき、いつもイチローの父親の話を思い出します。

 イチローの父親は、小学3年から6年までは毎日一緒に練習をしました。また、高校卒業までは毎日欠かさず学校まで練習を見に行ったそうです。

 中学生の時、監督からバッティングフォームを矯正するよう指導を受けます。

 ずっと2人でフォームを創り上げてきたイチローの父親は「バッティングフォームだけは変えないように指導して頂けませんか」と願い出ました。

 プロに行ってからも、同じ場面はやってきます。コーチから矯正を求められるも、今度は自らそれを拒否。その結果2軍に落とされます。

 女子テニスの、杉山愛選手だったか、 沢松奈生子選手だっか忘れてしまったのですが、母親がコーチでもありました。

 玄関先でなかなか靴の紐を結べない我が子を、怒ることなく、急かすことなく、1人で結べるまでひたすら待ったといいます。

 親なり、コーチなりにできることは、これらの話しに集約されているような気がします。

 8歳から18歳まで、毎日練習を見に行くことは誰にも出来ることではありませんが、反対にいえばこれしかできないのです。

 ただただ見る。そして、必ず守るという覚悟を示す。

 リーダー業を21年、父親業を12年やってみて、私が感じたことも最終的には全く同じでした。

 イチローの父親と比べると、何10分の1しか時間を割いていないかもしれませんが、思いは全く同じです。

 ある夏の一日。

 小さな成長の場面を目にすることができました。

 私がどれだけ一緒に居たいといっても、子供に拒否されればそれまでです。

 「お父さんと過ごす休日は楽しい」と思ってもらえるよう、休日用の引き出しを開け続けるのです。

苦しみが十分でない‐1025‐

 今日の大阪は快晴。

 隣の工場からはサンダーで何かを削る音が響いてきます。

 こんな音の中で暮らしてきましたが、これからもずっとそうなのだろと思います。

 本日が仕事始めです。

 年始は白浜で過ごしました。

 気温的には3、4度ですが、景色も含めて南国気分ではあります。そんな中、義妹から、甥っ子が骨折したと電話がありました。

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 昨日は、弟家族と実家に集まりました。

 長男に続いてですが、骨はいずれくっつきます。可哀そうではありますが、すべては今後の糧になるはず。頑張れ甥っ子。

 年末、撮っていたイチローの番組を観ました。

 僕の数字で言えば、4000という数字ではなく、8000と向き合ってきたという事実はある

 4000本安打を達成したあとのコメントですが、「8000」とは凡打に終わった打席の数のことです。その失敗と、誰よりも向き合ってきた、と彼は言いきりました。

 「はっきりと言えるのは、打つことに最終形はないということ。ぼんやりとした理想形があるだけ」

 「いつ辞めるのかと考えると、苦しみが十分でない。まだ苦しめる」

 そう言ってイチローは笑っていました。

 言葉がまっすぐで、野球を通し、人はここまで成長できるのかと感じます。喜びは、苦しみがあってこそ。その場に立っていなければ、味わえないものです。

 昨日、母方の祖母が亡くなったと連絡がありました。これで、4人の祖父母は全員亡くなりました。

 香川へ向かい、最も世話になった祖母の人生と向き合ってきます。

変わる

 何年か前、車のCMで「変わらなきゃ」「変わらなきゃも変わらなきゃ」というシリーズがありました。

 その出演者のイチロー。野球の国別対抗世界一決定戦、ワールドベースボールクラシック(WBC)には並々ならぬ意欲を見せています。3年前、第1回大会の時も「なぜこの記念すべき大会に出ない人が居るのかが僕には分からない」「運命的なものさえ感じる」といったコメントもありました。

 予選リーグで韓国に負けた時の悔しがりようは、尋常ではありませんでした。その後、アメリカの思わぬ負けもあり、日本代表は決勝戦でキューバを下し初代チャンピオンに輝きます。

 今回の第2回大会では、昨年の北京オリンピックで敗退した日本代表チーム監督の星野さん続投の雰囲気を「オリンピックのリベンジの場でない」と暗に批判する場面もありあました。

 賛否両論ありますが、それを言えるのはキャリアのピークにあるイチロー以外に無かったはずです。

 第1回大会の監督は前ソフトバンクホークス監督の王さん。生涯ホームラン数868本。世界一多くのホームランを打った偉大な選手です。今回は体調と年齢のこともあり、日本代表相談役という立場となりました。先日テレビで、長嶋茂雄さんの長男、一茂さんとの対談が流れていました。

 「人は変わる。変われるでは無く変わるんです。調子がいいからずっと同じ状態でいたいと言っても無理なんです。ならいいほうに変わろうよと、僕はいつも言ってるんですよ」

 奥行きの深い、示唆に満ちた言葉です。まさに、諸行無常の響きあり……
 
 イチロー、海を渡った松坂と役者はそろいました。WBCは3/5が開幕。決勝は3/24です。楽しみになってきました。

イチロー語録

イチロー選手の活躍は今年に限ったことではありませんが、アメリカの国技〈ベースボール〉の158年の歴史の中で、年間最多安打記録を更新し、頂点に立った今年のことばには凄みを感じます。

「モチベーションが落ちたことは無い」

「目標を設定して到達してしまうと努力しなくなる。満足は求めることのなかにある」

「第三者の評価を意識した生き方はしたく無い。自分が納得した生き方をしたい」

そして子供たちには夢を与えてくれます。

「体がでかいことにそんなに意味はない。僕は見てのとおり、大リーグに入ってしまえば一番ちいちゃい部類。日本では、中間クラスでしたけども、大きな体ではない。そんな体でも、大リーグでこういう記録を作ることができた。これだけは、日本の子供だけではなく、アメリカの子供にも言いたい。
『自分自身の可能性をつぶさないでほしい』――と。

あまりにも、大きさに対するあこがれや、強さに対するあこがれが大きすぎて、自分の可能性をつぶしてしまっている人がたくさんいる。そうではなくて、自分自身の持っている能力を生かすこと、それが可能性を広げることにもつながる」

このことばは、私達大人にも大きな希望を与えてくれます。