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夢のかけらを死守せよ‐1662‐

気温的にはそれ程寒くありませんが、それでも冬の雨です。

少し濡れると流石に風が冷たいもの。

今週前半はぐずつくようで、一度延期した「うえだクリニック」の撮影は今週も難そう。

子供の絵本をパラパラとめくっていると、水の循環をイラストで表した頁がありました。

山肌に降り注いだ雨は、地下水となって川の源となります。

いくつもの支流を集め、川幅を徐々に増し。

上流から中流。

中流から下流へ。

そして海へと注ぎます。

太陽に熱せられた海水は蒸発して雲に。それらが再び山へ雨を降らせます。

仏教等では、全てのものは何度も生まれ変わるとされます。

輪廻転生という考え方ですが、自然の摂理から生まれたのだと想像するのです。

雨から川となった水は、人の世の汚れや穢れを洗いながら再び海へ。海ではバクテリアがそれらを分解し、また蒸発するときに水は浄化されます。

この循環を自然が持ち堪えている間に、人類はもう少し生き方を修正しなければならないはずなのです。

『悲しい色やね』 歌:上田正樹 作詞:康珍化

 河はいくつもこの街流れ

 恋や夢のかけら

 みんな海に流してく

 Hold me tight 大阪ベイブルース

大阪の海を歌った、何とも叙情的な詞です。

上田正樹さんの作詞・作曲なのかなと思っていたら、作詞・康珍化(かんちんふぁ)、作曲・林哲司となっていました。

このコンビで、「悲しみがとまらない」杏里、「北ウイング」中森明菜のヒット曲を生んでいます。高橋真梨子の「桃色吐息」も康珍化さんの作詞でした。

『悲しい色やね』 歌:上田正樹 作詞:康珍化

 大阪の海は 悲しい色やね

 さよならをみんな

 ここに捨てにくるから

詞と曲のどちらが先なのかは分かりませんが、このパートが完成した時、ヒットを確信したと思います。

もう大阪の海が悲しい色に見えてくるのですから。

年始から、もうフルスロットルで飛ばしてきたつもりですが、一区切りつくまであと8時間、12時間、いや数日……

我が仕事ながら、何とも時間の掛かる仕事です。しかし「夢と希望をもって常に前向きに」と教えて貰いました。

恋のかけらはすっかり流して貰って構いませんが、夢のかけらだけは、もう必死の形相で死守しなければなりません。

■■■ 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:スタイル別』2019年12月31日で「「中庭のある無垢な珪藻土の家」」が2位に選出

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【News】
『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』2019年12月3日で「「中庭のある無垢な珪藻土の家」」が5位に選出
『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』2019年9月30日発売に「回遊できる家」掲載
『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

いちばん小さな海‐1479‐

 前回は、仕事のことを書きました。

 今回、次回はゴールデンウィークモードでいきたいと思います。

 久し振りに父の船で釣りに行ってきました。

 大阪湾と友ヶ島の間にある紀淡海峡。潮流が速く、魚も豊富です。

 岸和田から出船し、1時間程かけてやってきました。

 今回は、父、私、娘、弟、甥っ子の5人で釣行です。

 小5の子供が2人なので、いわゆるファミリーフィッシング。

 確実に釣れる、根魚狙いです。

 娘も釣りは久し振りですが、早速ベラを釣り上げました。

 ベラ、ガシラが飽きない程度にポツポツと上がってきます。

 甥っ子は子供たちの中で一番の釣り好き。マイロッドまで持っていました。

 2人で楽しんでくれたなら何よりです。

 今回一番大きい魚は私の釣ったアジ。

 40cmくらいでしょうか。

 で、夜の食卓へ。

 船上で父が〆てくれたので、身が引き締まって歯ごたえが別次元。

 娘はアジの刺身が何よりも好物で、その歯ごたえを満喫していました。

 ガシラとベラは、から揚げに。

 淡白な白身に旨みが増すので、私この食べ方が一番好き。

 開高健は「顔のヘンな魚ほどうまいものだよ。人間もおなじ。醜男、醜女ほどおいしいのだよ」といいました。

 こんなことを書くと、ガシラとベラが夢にでてくるかもしれません。

 肉より、魚のほうがいい年齢になりましたというか、なってしまったというか……

 これも豊かな海の恩恵です。

 生命はこの海から40億年前に誕生しました。最後は、ちょっとロマンティックに締めたいと思います。

 なみだは人間の作るいちばん小さな海 -寺山修司-劇作家

 全ての源である母なる海。ひととき波間を眺め、心静まるのを待ちます。

 私の体の中にも海があるのです。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
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【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

【News】
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

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さらば、LOWEの14フィート‐1440‐

 先週の月曜日は、湖での話を書きました。

 今日は海の話です。

 このボートが我が家にやってきたのは1988年、私が高校2年生の時です。

 父が購入したもので、船名を「MGⅡ」といいます。会社の屋号「守谷硝子店」からとったもの。

 ちなみに先代の「MGⅠ」はエンジン付きでゴムボートでした。

 およそ30年、海に湖にと付き合ってもらいましたが、ついに廃船することになりました。

 スクラップ工場へもちこむと、再生できる金属として引き取っとくれるのです。

 ようはアルミ屑となってしまう日。

 重量が約80kg。

 90円/kg、7千円ほどで引き取られていきました。

 舳先が曲がっているのは、クレーンから落とした痕跡で、それによって亀裂が入ったところは、アルミ溶接で修理してもらいました。

 まさに満身創痍だったのです。

 計量を終えるといよいよ解体棟へ。

 フォークリフトは言ってみれば霊柩車。

 「最後のお別れをしてください」という場面です。

 LOWE(ロウ)は、アメリカのブラックバス釣り用のボートです。

 持ち運びがしやすいので、海にも使っていました。

 しかし、約10年前から船底にクラックが入りだし、海専用にしました。補修を繰り返しながら使っていたので、寿命は全うしたと思います。

 海の思い出は、ほぼこの船とともにあります。

1992年9月1日

 大学生になってからは、毎夏フル稼働。

 こんな小さな船で海にでる体験はそうないはずなので、皆が喜んでくれたのだと思います。

 クルマは初代のハイラックスサーフ。

2007年9月22日

 2歳の長男といつも船を下す港の主、Sおっちゃん。

 私の最年長の友人です。

2008年9月14日

 Sおっちゃんは、父の古い友人です。

 海でのマナー、海での遊び方を教えてもらいました。

 この日は2人で痛飲。

2009年8月23日

 娘も1歳半になり、浜遊びができるように。

2009年9月13日

 ここがSおっちゃんの海での家。

 車は2代目のハイラックスサーフに。

 この船があったおかげで、磯で魚を突いたり、タコを獲ったりできたのです。

2012年7月29日

 娘も4歳になり、船遊びの楽しさも少し分かるように。

 長男が釣ったアコウ。

 とても美味しい魚です。

 長男は7歳になり、沖で潜りはじめた頃。

2009年9月2日

 従兄弟たちと。

 海の中は、いつも極彩色です。

 子供達に一番見せたかったのは、その景色だったと思います。

 獲物の基本は、小物のガシラですが。

2014年9月14日

 沖からみる海は、いつも本当に美しいものでした。

 車は初代ディスカバリーに。

 長男は、1人で潜るようになりました。

 家族で乗ったのは、この日が最後になりました。

 荷物を満載した車4代とともに、夏の相棒でした。

 80kgある船を引きずり回しながら、積み下ろしするのが私の夏でした。

 準備は大変でしたが、それが無くなると思うと、正直寂しいものです。

 心残りは、子供2人が中学生になるまで、このボートで遊べなかったことでしょうか。

 クルーザーは持てなかったけど、海面が近いこのボートで日本海に出るのが好きでした。

 車や船が去っていく時、言葉が尽きることはありません。

 形あるものはいつか壊れる。命あるものはいつか尽きる。

 分かってはいますが、30年も私に仕えてくれて、今は感謝の気持ちしかありません。

 さらば、LOWEの14フィート。

 今は次の船をイメージできないのです。

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
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子供との一場面を見逃さないために‐1413‐

 前回、夏にサヨナラしました。

 しつこい人は嫌われるのですが、もう少しだけ海での話しを。

 父に連れられ、小さい頃から来ているこの海ですが、山あいにある小さな浜です。

 山の斜面がそのまま海に落ち込み、少し沖にでるとすぐ深くなっています。

 遠浅の海水浴場ではありませんが、漁港としては好立地なのです。

 その港を守る堤防が、私達の遊び場でした。

 2段になっており、これが結構高いのです。

 写真では分かり難いですが、大人でも頭から飛び込むにはちょっと勇気がいるくらい。

 中学1年生の長男は、高い方から飛び込んだことがなく、今回は雪辱戦でした。

 しかし、午前中は干潮で浅く、高い方はやめておくよう伝えていました。

 それで、低い方から繰り返し飛び込んでいました。

 ただ飛び込むという単純な遊びが、スマホのゲームより面白いと思って貰えれば嬉しいのですが。

 小学4年生の娘も、飛び込もうかやめようか、結構な時間悩んでいました。

 しかし、勇気をだして初ダイブ。

 1回だけでしたが、これも成長です。

 2010年の8月末、何家族かを誘ってここに遊びにきました。

 7年前なので娘は2歳。最高の砂場をみつけたと、1日中砂遊びに夢中でした。

 一緒にきていた友人の次男君は当時9歳。

 今の娘と同じ年齢です。

 高い方の堤防から、飛び込もうか、飛び込むまいか、かなりの時間逡巡していました。

 が、見事に飛び込んだのです。

 下で待っていた、お父さんの表情が全て。

 すがすがしい風景でした。

 長男はもう12歳なので、潮が満ちたあと、高い方から何度も何度も、飽きることなく飛び込んでいました。

 私は片づけをしながらだったので、遠目には見えていましたが、写真は撮ってやれませんでした。

 親として、どのくらい子供見ているのかを考えるとき、いつもイチローの父親の話を思い出します。

 イチローの父親は、小学3年から6年までは毎日一緒に練習をしました。また、高校卒業までは毎日欠かさず学校まで練習を見に行ったそうです。

 中学生の時、監督からバッティングフォームを矯正するよう指導を受けます。

 ずっと2人でフォームを創り上げてきたイチローの父親は「バッティングフォームだけは変えないように指導して頂けませんか」と願い出ました。

 プロに行ってからも、同じ場面はやってきます。コーチから矯正を求められるも、今度は自らそれを拒否。その結果2軍に落とされます。

 女子テニスの、杉山愛選手だったか、 沢松奈生子選手だっか忘れてしまったのですが、母親がコーチでもありました。

 玄関先でなかなか靴の紐を結べない我が子を、怒ることなく、急かすことなく、1人で結べるまでひたすら待ったといいます。

 親なり、コーチなりにできることは、これらの話しに集約されているような気がします。

 8歳から18歳まで、毎日練習を見に行くことは誰にも出来ることではありませんが、反対にいえばこれしかできないのです。

 ただただ見る。そして、必ず守るという覚悟を示す。

 リーダー業を21年、父親業を12年やってみて、私が感じたことも最終的には全く同じでした。

 イチローの父親と比べると、何10分の1しか時間を割いていないかもしれませんが、思いは全く同じです。

 ある夏の一日。

 小さな成長の場面を目にすることができました。

 私がどれだけ一緒に居たいといっても、子供に拒否されればそれまでです。

 「お父さんと過ごす休日は楽しい」と思ってもらえるよう、休日用の引き出しを開け続けるのです。

夏にサヨナラ‐1412‐

 昨日は、早朝から福井へ。

 北陸道と舞鶴若狭自動車道が繋がったのが2014年。敦賀半島へのアクセスは更によくなりました。

 今回は、敦賀南スマートICで降りてみました。

 古き良き農村の風景に、秋の気配を色濃く感じます。

 8時頃に現地着。

 小さい頃から、欠かさず訪れてきたこの海ですが、今回は2年振りです。

 大学時代の後輩と、現地で待ち合わせていました。

 まずは砂浜で水遊び。

 海好きの彼は、早速カニをつかまえてきました。

 後輩の長男君は3歳。

 海は初めてだそうですが、お父さんと同じく海好きになるのでしょうか。

 港で私達を迎えてくれたのは父の友人。

 この海をこよなく愛するSおっちゃんです。

 愛しすぎて浜に民家を借りており、半分はここの住人でもあるのです。

 一部利用者のマナーが悪く、港での船の上げ下ろしが昨年から出来なくなりました。

 自分の船を出せないこともあり、昨年は足が重かったのです。

 この日は「一緒に遊んだらええ」とおっちゃんが船をだしてくれました。

 沖にでると更に水は澄み、手つかずの自然が広がります。

 40年以上ここに来ていますが、変わりなく美しい、この豊かな海を、子供達に少しでも体感させておきたいと思うのです。

 小一時間遊んで、港に戻りました。

 港の通称テント村。

 穏やかな浜風のなか、海を眺めながらの昼食は至福の時間です。

 長男が釣った、本当に小さなカワハギですが刺身にしました。

 家で料理をする機会はめったにありませんが、小さな魚をさばくのは慣れています。

 自分で獲った獲物を、その場で食べることは、大人であれ、子供であれ、とても喜んでくれるのです。

 普段は魚嫌いの長男も、「美味しい、美味しい」と食べていました。

 小学校、中学校の夏休みは、とびきり楽しいものでなければならないと思っています。

 昨日は1ヵ月振りの休みで、ようやく子供達を海に連れていきました。

 私のスケジュール、家族のスケジュールと制限が増えるなか、子供達と過ごす夏休みはより限られてきたと実感します。

 何とか「夏の思い出」にギリギリ間に合ったでしょうか。

 すかっと晴れ、波は小さく、風も穏やか。そして気温は31°。考えてみれば、これほどのご褒美はなかったかもしれません。 

 先程後輩から、「これで、夏にサヨナラできます」とメールが届きました。

 ようやく始まったと思ったら、今年の夏はこれでサヨナラか……

 夏は毎年、足早に過ぎていくのです。

 

海の男の心得‐1102‐

 9月最後の日曜日は、秋晴れの日本海へ。

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 今回は、家族だけでなので、妻も同船しています。

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 よって、私の写真も。もう少し大物の写真なら、尚良かったのですが。

 それでも、ベラとガシラがぽつぽつと。しかし昼前には、予報通り北風が吹き始め、白波が立ちだしました。

 今年の潜り納めに来たので、長男も非常に残念がっていました。

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 港に戻って獲物をさばき、海を眺めながらの昼食。

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 小さくとも自分の船で、海に出るのが好きでした。獲物をさばき、招待した友人に振舞うのが、好きでした。

 ところが、このスロープが使用禁止なると知ったのが2週間前。

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 船が70kg、エンジンが45kg。1人で準備している際、ぎっくり腰になったこと2回。

 キャンセルは出来ないと、桑田真澄がかかっていたという鍼灸師の元をたずね、治して貰ったこともありました。

 もう準備をすることがないと思うと、それも良き思いで……

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 これが父の趣味だったので、小学校からずっとこんな事をして来ました。 父の友人はここが気に入り、セカンドハウスも借りました。

 70歳を越え、週末はほぼここに居ますが、潜り方、海の男の心得のようなものを教えて貰いました。

 「海で仕事の話をするな。海底で空き缶を見つけたら拾ってこい。本当に海が好きな奴がくればいい」

 辛いときに辛いと言わない。人の嫌がることをする。そして孤独を恐れない。学んだことは、やせ我慢とダンディズムだと思います。

釣り道具が

 昨日は日本海へ行って来ました。今年初です。

 現地で大学時代の後輩と待ち合わせ。

 港から船を降ろします。1回3,000円でスロープを使わせて貰えるのです。

 すっかり日が高くなってしまいました。

 釣りは朝夕が良いときまっているのです。

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 ポイントに着き竿を手にして、さあと思うと無いのです。

 生まれて初めて、釣りに来て釣り道具を忘れました。

 もう情けないやら……

 それでも、エサは買っていたので、ライフジャケットに常備している、針とオモリでなんとかスタート。

 何匹かは釣り、後は潜ってヤスで突きました。何とか食料は確保。

 港に戻ると、もう一家族も到着していました。

 今回は皆で10人。うち半分が子供です。

 子供は釣りより海水浴です。

 友人家族の次男、9歳は波止からの飛びこみに初挑戦です。

 下は砂地で安全ですが、高さは結構あります。

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 行こうか、止めようか、何度も躊躇しながら、ついに飛び込みました。

 彼にとっては冒険だったでしょう。

 食べながら、あれやこれやと、話は尽きません。

 徐々に日が傾き、浜風に吹かれていると、何とも言えないほどいい気分です。

 片付けを終え、現地解散。

 海沿いの帰り道。この景色をみるとまた来たくなります。

 次回で今年は最後。2週間後の予定です。

まだまだ夏

 先週末、福井県に行って来ました。私にとって夏の海はやっぱりここです。

遠くに越前岬を望みます。

 今回は低気圧の接近で波が高め。

 沖には行けそうにありません。

 私の家族4人、弟家族4人、後輩2人とその子供の総勢11人。

 弟の長男とウチの長男の3歳児コンビは、少々気温が低くともテンションは下がりません。

 6ヶ月になる長女も、初めて海に入りました。

 長男と同じように、ここにしたかったのです。

 波が高いので、港内で釣り。

 皆が出来るようサビキ。よってねらいは豆アジ。

 後輩の子供は小学2年生。このくらいの歳になると、釣りも自分で出来ます。

 結構な数を釣り上げました。立派なものです。

 しかし魚をつかむのはちょっと難しよう。

 豆アジを食べる分だけ釣りました。

 魚を運ぶのは、3歳児コンビの仕事。いじくりまわされる魚はたまりませんが、その後から揚げにして全て食べました。

 外で食べれば何でも美味しいものです。

 学生の頃のように思い立ったらすぐ海へ、という訳には行きません。

 次がいつになるか分からないので、私の遊び相手、車とボートを載せてみます。

 愛車はすでに9万キロオーバー、愛艇はすでに20年もの。

 彼らのおかげで、随分楽しませてもらいました。

 お盆を過ぎると浜には人気がなくなります。この景色はいつ見ても最高です。

 小学校2年生の女の子は、今回の海を絵日記に書くと言っていました。

 そう言えば私も小さい頃、何度もここのことを書きました。野外にいればネタには事欠かないものです。

 まあこの日記も絵日記みたいなものですが。