先程、香港から戻りました。
会社に戻ると、義妹と偶然会い「台風で、関東、東北地方は大変でした」と聞きました。
日本を離れていたので、まだ状況を把握できていませんが、被災された方々には心からお見舞い申し上げます。
今回も多くの河川が決壊したとのことで、是非ライフジャケットを各家庭に常備して貰いたいと思っているのです。
金曜日の朝4時まで仕事をし、5時に家を出ました。
子供達とは、2、3日顔を会わせておらずで、バタバタと空港へ向かいました。
朝まで働くのが良い事だとは思いませんが、仕事があるうちが華です。
関空を9時に飛び立つと、泥のように眠っていました。
機内アナウンスで目を覚ますと、眼下に香港が見えてきましたが、いきなり度肝を抜かれました。
ヨーロッパの市街地に建つマンションは、中庭を囲むような配置になっていますが、その高層マンション版と言えばよいでしょうか。
しかもそれが林立しているのです。
ニューヨークのマンハッタンを遥かに凌ぐ規模?
フライトチケットやホテルの予約は妻任せで、ろくに下調べもせずにやって来たので尚更です。
香港国際空港に降り立ちました。
香港という国?中国?それも分からずですが、まずは市街地に向かいます。
無料シャトルバスがあると聞いており、ホテルのあるモンコックを目指します。
何処で降りるかがあまり分かっておらずでしたが、モンコックと地名がつけば良いだろうとバスを降りました。
持ってきたガイドブックの地図を出してさあ調べようと思うと、これが全く読めない。
視力は今でも1.2あるのですが、思いのほか老眼が進んでおり、文字が小さすぎるのです。
これは弱ったと思いましたが、一人旅で時間だけは余る程あります。ウロウロと歩き出しました。
ホテルは中心街だと聞いていましたが、家電を売っていたり、金物を売っていたりで、問屋街のような感じもします。
あまり治安も良さそうな感じはなく、若干不安になってきます。
と思っていたら、食品を売る店もでてきました。
どこの国の人も腹が減れば何か食べる。人はそんなに変わりません。
昼も過ぎていたので、小汚い店(失礼)で何かしらの麺を頼みました。
香草と生姜の効いた、優しいお味でした。ホルモン?はなかなかいけましたが。
日本のラーメンを知っていて、海外でそれより美味しい麺を期待するほうが無理というものです。
ただ、思ったより暑く、ベトナムあたりと同じような食文化があるのかもしれません。
再度歩き出すと、やや近代的な街並みが見えてきて、ようやく自分の居場所が分かりました。
香港は大きく分けて、中国本土とつながる「九龍(カオルーン)」エリアと、南に海峡を挟んである「香港島」エリアに分かれます。
現在、香港では各地でデモがくり広げられていますが、モンコックもそのひとつになっています。
モンコックから南の香港島に向かって真っすぐ伸びるメインストリートが「ネイザンロード」です。それが分かり、ようやくホテルにチェックインしました。
受付の女性に「この地図、無料ですか?」と聞くと、
Three?
と聞き返されてしまいました。
地図は3部も要りませんが、口が日本語モードで、下唇をかんでの”エフ” の発音ができていなかったようです。
ここで、コミュニケーションも海外モードに切り替え、早速街へ。
何も知らないとはいえ、香港にノーマン・フォスター、I・M・ペイ、シーザー・ペリの建物があることは何となく知っています。
妻に付箋だけは貼っておいて貰いました。地下鉄で海峡を越えて香港島へ。
イギリスでは「サー」の称号も持つフォスターに敬意をこめて、まずは「香港上海銀行ビル(1986年)」へ。
ただ、目はすぐに隣の隣にあるペイの「中國銀行ビル(1990年)」へ行きます。
こちらも建築書で何度も見ていましたが、写真とは全く違う美しさです。
極めて単純なフォルムが、圧倒的な存在感を放っていました。
香港島に居る時、どこにいても目印にしていました。こういった建築が本当のランドマークだと納得したのです。
このエリアで最も高い、ペリの「国際金融センター(2005年)」もすぐ北にあります。
香港島の高層ビル群の南には「ビクトリアピーク」という小高い山があります。
「ピークトラム」はその急こう配をかなりのスピードで真っすぐに駆け登って行きます。
下りは、下手なジェットコースターより余程怖いと、後で知るのですが。
一番右にペイの「中國銀行ビル」、中央あたりにペリの「国際金融センター」、そして一番左、対岸の九龍エリアにあるのが、KPF設計の「世界貿易センタービル(ICC)」。
「世界貿易センタービル(ICC)」は485mで香港で最も高いビル。
「摩天楼」という言葉がぴたりとくるくらい、競って天に迫っていく様は圧巻でした。
「中國銀行ビル」を設計したI・M・ペイはルーブル美術館のガラスのピラミッドで知られ、1983年にプリツカー賞を受賞しています。
今年の春に亡くなったのですが、享年をみると102歳。
フランク・ロイド・ライト、村野藤吾をはじめ、建築家に長寿は多いのですが100歳越えとは恐れ入りました。
夜景には少し時間があるのと、まだ街の様子も、デモのことも把握出来ていないので、この日は一旦九龍に戻ることにしました。
沢木耕太郎の「深夜特急」は、バックパッカーのバイブルと言われています。
その26歳の沢木が何度も乗ったというスターフェリー。
出港し、香港島を見返します。
西の空に日が沈んで行く景色を彼も見たのでしょう。
なかなか行けない海外で、香港を選んだのはやはり「深夜特急」のスタートの地だったからだと思います。
20代の後半、疲弊しきっていた私を救ってくれたのもまた旅でした。
Breeze is nice.
「深夜特急1‐香港・マカオ編‐」ではなかったと思いますが、旅先で若き沢木青年が聞いた言葉です。
私が深夜特急を読んだのは、20歳くらいの頃だったと思います。
その言葉が、30年経って思わず口から洩れてしまうくらい、幸せで、心地よかったのです。
「僕らの深夜特急」香港・マカオ編だけですが、順次アップして行きます。
良ければまたのぞきにきて下さい。
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■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
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■『homify』5月7日に「碧の家」掲載
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■『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
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