タグ別アーカイブ: 一級建築士事務所

方違神社には方角がない?‐1948‐

先週土曜日は、TOTOの堺ショールームへ行っていました。

音楽室がある「没頭できる家」の水回り機器を決定するためです。

前日、道程をGoogleマップで下調べしていると「方違神社」の文字を見つけました。

これまでのクライアントも、何組かが参っておられ、名前だけは聞いていたのです。

Webサイトにこうありました。

方違神社は古来より方災除けの神として知られ、方位の災いから身を守り「吉方」へ導かれるようご祈祷を執り行います。

折角近くまで来たので訪れてみました。

「門前そば」という言葉だけで旅情をそそられます。

今回は寄れずでしたが、一度のぞいてみたいものです。

社殿も非常に立派。美しい建物です。

鳥居横にあった、説明を読むとよく理解できます。

このあたりは、摂津、河内、和泉の三国の境に位置しているので「三国山」「三国の衝(ちまた)」「三国丘」と呼ばれたそうです。

三国の境界にあるため、方角の無い聖地であると考えられ、古来より方災除けの神として参拝者が絶えなかったとあります。

奈良時代には、行基が布施屋(休憩所)を設けるなど、より往来が盛んになったともありました。

少し東へ行くと、行基大橋があり、こんなところにもその足跡が残っています。

当時、大和川は無かったはずですが、それでも身近に歴史を感じれるのが関西の良いところ。

江戸時代に描かれた方違神社ですが、周辺には仁徳天皇陵以外ほぼ何もありません。

私が滞在している間にも、車やバイクのお祓いや、七五三のお参りまで本当に賑わっていました。

https://www.instagram.com/p/Cjz8JLZLMbl/

地域から愛されているのがよく分かるのです。

神社のすぐ西には「反正(はんぜい)天皇陵古墳」もあります。

5世紀中頃に築かれたとあるので、なぜ先の絵にないのか不思議ではあります。

明治元年、京都から東京へ都が移る際、17日間も祈祷が行われたともありました。

現在も、引越しや旅行の際に多くの方が参拝に来られるそう。

三国の境界にあるから、方角が無い聖地。

半ば駄洒落のようにも見えますが、それが今日まで引き継がれているから凄いことです。

また、三国ヶ丘の地名の謂れも分かりました。

やはり出掛けるのは楽しいものです。

政府による旅行支援も始まったので、是非活用したいものですが、我が家は受験生が居り……

ただ、ここは人生の正念場。

是非結果を出してもらい、楽しい春を心待ちにしているのです。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

メディア掲載情報

新世界のお礼は快気祝いで‐1947‐

朝ジョギングに出ると、ハナミズキも紅葉が進み、赤い実をつけていました。

朝方は15℃、最高気温は24℃と、本当に過ごしやすい季節になりました。

昨年の12月から 『ESSE-online』 に書き始めたコラムですが、一昨日に10本目が公開されました。

「おいでよ House」をはじめ、4つの実例をあげてテレワーク時代の間取りを解説しています。

「LDK+集中部屋」という切り口で書いてみました。相応の時間を掛けて書いたので、良ければ読んでみて下さい。

実は先週末、SNSで友人の投稿を読み、少し動揺していました。

病が分かった後の心情が、とても正直に綴られた投稿で、動揺と書きましたが、心打たれたと言った方が正確かもしれません。

家族のこと、両親のこと、友人のこと、そして仕事仲間のこと……

その真っすぐな文章に、多くの友人・知人からメッセージが寄せられ、それらも全て読ませて貰いました。

そのメッセージが、誠実な人柄をより鮮明に浮かび上がらせていたのです。

彼と初めて会ったのは大学時代、宮崎県の都城でした。

車の合宿免許を近大の生協で募集しており、その開催地だったのです。

阪大、神大、関学、電気通信大など、色々な大学から男女問わず多くの学生が参加していました。

春先の宮崎は気候がよく、何とも開放的。

寮のような場所で生活するのですが、同じような年代の学生ばかりで、20人程とすぐに仲良くなりました。

大阪に帰ってからも、1、2年は付き合いが続いたでしょうか。

その後は年賀状の遣り取りくらいになりましたが、3年前、約30年振りに彼から連絡を貰いました。

メディアへの露出も見てくれていたそうで、頑張っていれば良いこともあるのだなと思っていたのです。

食品メーカーに勤める彼は食に明るく、お店段取りも全てしてくれました。

「ディープな街が面白いかもね」となり、新世界で会ったのです。

流石にとても美味しいお店でした。

ただ、いつもの通り話すほうに夢中で、写真はこの2枚だけ。

それで日記にも上げていなかったのですが、とても楽しい夜でした。

1年後にはコロナ下の社会となったので、絶好のタイミングだったと思います。

週末は出先だったので、大阪に戻ってから私も励ましのメッセージを書き込みました。

そして最後には「快気祝いは僕にアテンドさせて下さい」と添えました。

仕事にかこつけて、自分から誰かを誘って食事に行くことは殆どありません。

そんな愛想のない私を時々誘ってくれる人達には感謝しかありません。

彼の回復を心から祈ります。

今から、どこで快気祝いをするかを考えているのです。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
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十万馬力だ‐1946‐

10月10日は「体育の日」。だと思っていたら「スポーツの日」でした。

2020年に変わったそうですが、聞いてないよ~と思っているのは私だけでしょうか。

週末は2ヶ月振りに池原ダムへ。

早朝、トボトスロープで準備をしていたら、続々とボートを牽引した車がやってきます。

埼玉ナンバーの車までありました。

試合が開催されるそうで、場内は満員御礼。

凄い熱気です。

そういった試合に出る人は、上手い人ばかり。

そうでない私はマイペースで、景気を楽しみながらボートを走らせます。

空は雲が高く気持ちよいですが、魚のほうはきまぐれです。

たまの釣行なので、サイズはともかく何とか魚の顔はみたいもの。

午前中は大物狙いで押しましたが、最後は痺れをきらして深いところに居る30cmクラスを1本。

天気もめまぐるしく変わります。

雨がぱらついたと思えば晴れてみたり。

あちこちを走り回りながら魚を探すのが、ボートでの釣りの醍醐味です。

今回の最大は42cm。

こちらは3mくらいの浅いところにいました。

秋は経験的にかなり苦労します。

水温22℃は魚にとっても快適で、どこにでも居るとも言えますし、見失えばどこにも居ないとなるのです。

サンデーアングラーとしては納得し、帰路につきました。

雨予報もあって早めに上がったのですが、雨濡れた秋の山道もよいものです。

帰り道、川上村にある柿の葉寿司の「松屋」に寄って帰ります。

この日は連休中日ということもあり、大繁盛だったそうです。

サバが8個しか残っていなかったので、サケを初めて買ってみました。

食わず嫌いは駄目だなと思うくらい、サケも美味しい!

このあたりには柿の葉寿司のお店が色々ありますが「松屋」のものが一番塩味がしっかりしていて私は好きです。

最近、近所の保育園からは、ずっと「鉄腕アトム」のに歌が聞こえていました。

運動会の練習だと思いますが、無事開催されたのでしょうか。

しかしこの時代の音楽はなぜこれほどに耳に残るのでしょうか。

『鉄腕アトム』 作詞:谷川俊太郎

こころやさし ラララ 科学の子  十万馬力だ 鉄腕アトム


リフレッシュを終えた昨日を区切りに、年末へ向けてラストスパートです。

私にも十万馬力が宿りますように。

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還暦から3年勝負!手打ち十割そば「玉竹流」‐1945‐

先週日曜日は奈良へ出掛けていました。

用事が終わって大阪へ向かう途中、ラジオから「この後、大神大社(おおみわじんじゃ)へ参拝にいきます」と聞こえてきました。

そう言えばすぐ近くだなと思い、私たちも参ってきました。

大神大社に到着。

木漏れ日の中、緩やかな勾配を上って行く参道。

大和国の一之宮の格式を感じさせます。

ご神体は三輪山なのでこちらは拝殿。

「屠蘇調合祭」とあります。

正月に飲まれるお屠蘇。正確には屠蘇散(とそさん)と呼ばれる5~10種類の生薬を日本酒に浸したものだそうです。

その屠蘇散を調合し、お供えする神事が執り行われていました。

その帰り、昼ご飯を食べようと三輪素麺の老舗、「池利」直営の「千寿亭」に寄ってみると、11時半で12組待ちの大繁盛。

今回は諦めました。社長が若い頃のスキー仲間だったので、それはそれで嬉しいことです。

口がすでに麺の口になっているので、大阪へ向かいながら店を探します。

橿原市あたりの信号で止まった時、横を見るとポツンと1軒だけ営業しているそば屋さんがみえました。

「蕎麦屋 玉竹流」

入ってみると、店内もいい感じです。

大将が朝から打った十割そば。

ざるそば1.5合と燻製鮭小丼のセットを頼みました。

そばは長野県小諸産。朝霧がでるこの地域のものが甘いそうです。

あまりにも美味しく、一瞬で平らげてしまいました。

ちょっと遠いなと思っていたら、橿原での営業は11月20日まで。

来年の4月から、葛城市中戸411-1に移転するそうです。

南阪奈道路の終点、葛城ICを降りたあたりなので、ここならまた寄れそう。

IT企業を60歳で退職してから、3年前に開業したという大将。

今年でここを立ち退かなければならないことは分かっていました。

「3年あれば、自分の仕事が認められるか、認められないか見極められると思いました」と。

人生100年時代、そんな生き方もあるんだなと感心して聞いていました。

青春に続く時期は朱夏。

色は古代中国の五行思想によるものですが、その次は白秋。

静かな秋には白がよく似合います。

作家・五木寛之 の著書「白秋期」の紹介がありました。

百歳人生を迎える今、60~70代は「老人」ではなく「白秋期」なのです――人生の豊穣な秋をどう味わうか。

もの静かで上品な感じの大将。還暦からの3年勝負の結果は「認められた」でした。 素敵な「白秋期」に違いありません。

次のお店がまた味わいのある建物のようです。

燕さんじょう亭

なお楽しみが増えました。

未だ「青春期」だと思っている私にとっての「白秋期」とは……と少し考えていました。

そうそう、雲丹もこだわりのようだったので、次の機会は是非食べてみたいものです。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

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追悼、アントニオ猪木‐1944‐

先週の土曜日、「アントニオ猪木死去」のニュースが流れました。

近年は難病を患っており、かなり痩せた姿も報道されていました。

小学生から25、6歳の頃まで、大のプロレスファンでしたが、そのきっかけは金曜8時のプロレス中継です。

戦後、街頭テレビに映る力道山の活躍で、国民的娯楽となったプロレスですが、私もすっかりその魅力にとりつかれてしまったのです。

1963年、戦後のヒーローだった力道山が凶刃に倒れます。その後の2枚看板となったのが、ジャイアント馬場とアントニオ猪木でした。

しかし政治的な問題が色々と起こり、猪木は力道山が興した日本プロレスを追放されます。

そして1972年に新日本プロレスを立ち上げました。28歳の時です。

長らくプロレス本は買っていませんでしたが、アントニオ猪木追悼の意をこめて、「新日本プロレス50年史」を購入しました。

裏表紙にはタイガーマスク。左下に写っているのは、若手時代の前田日明と山崎一夫だと思います。

1973年から1985年の金曜8時枠の放送があったこの時期が、昭和プロレスの黄金期と言ってよいでしょう。

猪木は「プロレスこそが最強の格闘技」と宣言し、「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」と言いました。

そして、プロレスを世の中に認知させるため、異種格闘技戦が始まるのです。

1976年、ボクシングの現役世界チャンピオンだったモハメド・アリ戦が最も有名ですが、6歳だった私の記憶にはありません。

しかし、1980年の極真空手のチャンピオン、熊殺しの異名をもつウィリー・ウィリアムス戦あたりからは覚えています。

それぞれの面子があるので、殺気立った両陣営の雰囲気は10歳の子供でも感じるところがありました。

異種格闘技戦とは別に、新日本プロレスからは、藤波辰爾、タイガーマスク(佐山サトル)、長州力、前田日明、武藤敬司、蝶野正洋……次々とスターが生まれていきます。

また、プロレスの天才と言われた猪木は、外国人レスラーを育てる能力も優れていました。

「ひとり民族大移動」のアンドレ・ザ・ジャイアント。

「不沈艦」スタン “ザ・ラリアット” ハンセン。

そして、「超人」ハルク・ホーガン。後に映画「ロッキー3」への出演まで果たし、世界一有名なプロレスラーとなったのです。

スタン・ハンセンは、後にジャイアント馬場の全日本プロレスに移籍しますが、いずれも猪木のプロデューサとしての能力が、彼らをトップレスラーに育てたのは間違いありません。

よりプロレスを好きになったのは、1983年創刊の『週刊プロレス』を読むようになってからでした。

編集長・ターザン山本は「観るプロレス」から「読むプロレス」の面白さを提唱していきます。

「テキサス・ブロンコ」テリー・ファンクも写っていますが、ほんとに格好良かった。

私も「週プロ」の影響で、1984年に前田日明が立ち上げた、より格闘技色の強いUWFに傾倒していくのですが……

プロレスとアントニオ猪木のことを書き始めると、延々と書いてしまいます。プロレス史自体が大河ドラマなのですが、話をもとに戻します。

現在は日本のプロレスはよりショーアップされ、アメリカナイズされたエンターテイメント色を強めています。

プロレスには「ブック」と呼ばれる脚本があると言われるので、他の格闘技より下に見られがちです。

それはひとつの意見なので構いません。

しかし、プロレスラーが亡くなる度に思いだす言葉があります。

冒険小説とは、成熟した男性によって書かれた、成熟した男性のためのエンタテイメント
-田中光二- 作家

プロレスを楽しむには、ある程度の許容量と、想像力が必要なのだと思います。

ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、橋本真也、三沢光晴、ブルーザー・ブロディー、アンドレ・ザ・ジャイアント、ホーク・ウォリアー、アニマル・ウォリアー、ジミー・スヌーカー、ビッグバン・ベイダーそしてついにアントニオ猪木まで。

多くの大男たちが早世しているので、79歳まで日本を元気づけてくれたと感謝するべきなのでしょう。

「燃える闘魂」

「過激なダンディズム」

「プロレス外交」

「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし 踏み出せばその一歩が道となる迷わずゆけよ、ゆけばわかる」

「元気があれば何でもできる」

「闘魂ビンタ」

選手を引退してからは、道化的な役割も引き受けていましたが、現役バリバリの頃は、初めの写真の通り、とにかく格好良かったのです。

先日亡くなった稲盛さんも、経営の原点12か条の8条に「燃える闘魂」をあげています。

経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要。

作家・開高健もそうでしたが、インテリと言われる人に、プロレスファンはかなり多いのです。

一時は袂を分つことになった、弟子でもある前田日明のコメントがニュースに上がっていました。

「猪木さんがいなかったら、前田日明もタイガーマスクも、リングスも修斗も総合格闘技もK―1もPRIDEも何もなかったよ。全ての始まりですよ」

この言葉が全てでしょうか。

新約聖書は「はじめに言葉ありき」で始まるそうですが、近代プロレス、総合格闘技においては「はじめに猪木ありき」だったのです。

多くの人に影響を与え、元気づけ、楽しませてくれた「創造主」。安らかに。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

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建築家・守谷昌紀TV コンクリート打ち放し「H型プランの平屋」

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皆が歌いたくなるような曲を‐1943‐

米米クラブは1997年に解散していたそうです。

学生時代はあれほど聞いていたのに、全く知りませんでした。

しかし2006年に再結成。活動を再開していました。

米米クラブのボーカルは、言わず知れたカールスモーキー石井こと、石井竜也。

彼が出演する番組を観ました。

ファーストシングルは1985年発売の「I・CAN・BE」。私が中学3年の時で覚えています。

ビッグバンドさえ珍しいのに、徹底的にショーアップされたステージで、一気に人気グループになっていきます。

しかしジェームス小野田の衣装はいつも凄かった!

1992年発売のアルバム「Octave」に収録されている「君がいるだけで」は、289.5万枚を売り上げます。私もカラオケで、かなり歌わせてもらいました。

元々画家になりたくて東京にでてきた石井は、絶頂期であるこの頃から、映画監督やアーティストとしての活動に力を入れはじめました。

1996年に監督として2本目の映画「ACRI」が上映されます。しかしこれが興業的には失敗に終わり、10億円の借金を背負うことになりました。

それらが原因でバンドは、1997年に解散へ至ることになるのです。

何と言っても私が一番好きだった曲は「浪漫飛行」。これもかなり歌いました。

1988年発売の「KOMEGUNY」に収録されていた曲が、1990年にシングルカットされました。

ライナーノーツがこのサイズでした。

レコードと兼用していたのかもしれません。

JALのコマーシャルでの採用が決まり、初のミリオンセラーに。

デビュー間もないころ、自転車さえ持っていなかった石井は、まだ歌詞もない「浪漫飛行」をcharに聞いてもらう約束をしていたそうです。


その約束に遅れないよう、急ぎ足で歩きながら考えていたら、あのリズムになったと語っていました。

その1曲で、石井竜也、また米米クラブの人生が変わってしまうのですから、面白いものです。

バンド活動再開のきっかけは、音楽活動のスタート時からお世話になっていたChar、50歳のバースデーパーティでの演奏だったそうです。

何がきっかけになるか分かりませんが、人との縁は大切にしたいものです。

ダブルミリオンと、10億円の借金も経験した人はそういないと思います。実際に、死にたいと思ったこともあったそうです。

しかし、一番心に残った言葉は興業的には失敗したと言われる映画に対してのコメントでした。

「掛かったお金と、興行収益にこれだけ差があるので失敗と言われますが、自分的には失敗と思っていないんですが」


監督1作目の「河童」は何となく覚えていますが、2作目の「ACRI」は全く記憶にありません。

調べてみると出演者が凄い。江口洋介、浅野忠信、藤竜也……これはお金もかかるはずです。

文芸評論家・谷沢永一は「人の世は評判の市」と語っています。

それは間違いないのですが、もし評判が悪かったとしても、それを覆すチャンスは誰にでもあるはずです。

久し振りに彼が歌っている姿を見ましたが、さすがに上手かった。また、皆が歌いたくなるような曲をいつか作ってくれるでしょう。

何だか久し振りにカラオケに行きたくなりました。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

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比べる必要のない世界を彼岸という‐1942‐

昨日の大阪は、空気が澄んだ気持ちのよい晴れ。

土手上の快走ルートで現場へ向かいます。

日曜日は普段より車は少な目。

地鎮祭に参列してきました。

コロナ下、物価高とさまざまなハードルはありますが、それでも世の中がそろそろと動き出した気がします。

土曜日も良い天気で、ジョギングついでに大念仏寺を参ってきました。

本堂は大阪府下最大の木造建築物で、大屋根は銅板瓦で葺かれています。

その迫力は圧倒的。

境内の樹々の中には、色付きだしているものも。

台風前とは全く違う気温で、秋の足音を実感したのです。

太陽が真東から上がるのが彼岸の中日。

「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、今年は本当にギリギリでした。


彼岸という言葉には、大きく分けると2つの意味があります。

「煩悩を脱した悟りの境地」と、「彼岸の中日の前後3日間」です。

比べる必要のない世界を彼岸という

お寺の掲示板にあったこの言葉は、前者を指しています。

羨ましがったり、見下そうとしたり。本当に人は煩悩の塊です。

無くすことなどできませんが、少しでも少なくしたいとは思うのです。

この時期、手帳のカレンダーに「彼岸花」とメモをしています。

訪れたい場所があるのですが、今年もかなわなさそう。

それでも道端に咲く彼岸花が、秋を目で教えてくれるのです。

彼岸と此岸(しがん)を隔てるのが三途の川。

真田の旗印、六文銭は三途の川の渡り賃。それをも恐れぬという意味です。

世の中は動き出したと書きましたが、円安も含め、難題が山積しているのは間違いありません。

流石に命は捧げませんが、気持ちだけは日本一の兵となって、この局面を打開していくだけです。

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全身全霊匍匐前進‐1941‐

「大阪梅田」は阪急電車の起点となる駅です。

観光客に分かりやすくという配慮で、2019年に「梅田」⇒「大阪梅田」と駅名が変更されました。

中学・高校と、阪急京都線で「高槻市」まで通学していたので、やはり「梅田」のほうがしっくりきます。

好きすぎて、ここでも「阪急梅田駅の歴史」「続・阪急梅田駅の歴史」と2度に渡って語らせてもらいました。

今でも、阪急マルーン色の外観と、ゴールデンオリーブのフカフカしたシートが、私鉄の中では一番のお気に入りです。

ただ、入学してすぐの頃は、地下鉄「南森町」で乗り換え、「淡路」経由で通学していました。

阪急千里線は「柴島」の手前で淀川を渡ります。

柴島浄水場の北側に、京都線の「崇禅寺」が見えています。

「淡路」で京都線と千里線が交差するのですが、2028年度には高架によって立体交差が完成するそうです。

長い間工事をしているなと思っていたのですが、2008年に工事が始まっていました。

20年に及ぶ大工事です。

駅周辺では、その姿がかなり見てとれるようになりました。

運行を続けながらの工事で、余計に時間が掛かるでしょう。

小さな会社を経営する私からすれば、20年先のことなど、全く想像もつきませんが。

ある朝のジョギング中。街路樹の下で、モゾモゾと何か動いているのが見えました。

https://www.instagram.com/p/CizeK6dvnra/

風で飛ばされたのでしょうか、小さな青虫でした。

目が見えるのか、見えないのかも分かりませんが、全身を使って必死で前進しています。

徒手空拳で仕事を始めた私としては、その姿が全く他人事とは思えなかったのです。

20年に及ぶ工事も、勿論のこと日々の積み重ねです。

何の本だったか忘れましたが、こんなことが書いてありました。

必ず迷路を脱出する方法はある。片側の壁に沿って、出口が見つけるまで進み続けることだ。

なかなか先が見通し難い時もありますが、いくらハンドルを切っても車が動いていなければ位置は変わりません。

青虫君を見習って、全身で匍匐前進あるのみです。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

メディア掲載情報

建築家・守谷昌紀TV 大きなロフトがある、軒が深いから「おいでよ House」

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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