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追悼、アントニオ猪木‐1944‐

先週の土曜日、「アントニオ猪木死去」のニュースが流れました。

近年は難病を患っており、かなり痩せた姿も報道されていました。

小学生から25、6歳の頃まで、大のプロレスファンでしたが、そのきっかけは金曜8時のプロレス中継です。

戦後、街頭テレビに映る力道山の活躍で、国民的娯楽となったプロレスですが、私もすっかりその魅力にとりつかれてしまったのです。

1963年、戦後のヒーローだった力道山が凶刃に倒れます。その後の2枚看板となったのが、ジャイアント馬場とアントニオ猪木でした。

しかし政治的な問題が色々と起こり、猪木は力道山が興した日本プロレスを追放されます。

そして1972年に新日本プロレスを立ち上げました。28歳の時です。

長らくプロレス本は買っていませんでしたが、アントニオ猪木追悼の意をこめて、「新日本プロレス50年史」を購入しました。

裏表紙にはタイガーマスク。左下に写っているのは、若手時代の前田日明と山崎一夫だと思います。

1973年から1985年の金曜8時枠の放送があったこの時期が、昭和プロレスの黄金期と言ってよいでしょう。

猪木は「プロレスこそが最強の格闘技」と宣言し、「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」と言いました。

そして、プロレスを世の中に認知させるため、異種格闘技戦が始まるのです。

1976年、ボクシングの現役世界チャンピオンだったモハメド・アリ戦が最も有名ですが、6歳だった私の記憶にはありません。

しかし、1980年の極真空手のチャンピオン、熊殺しの異名をもつウィリー・ウィリアムス戦あたりからは覚えています。

それぞれの面子があるので、殺気立った両陣営の雰囲気は10歳の子供でも感じるところがありました。

異種格闘技戦とは別に、新日本プロレスからは、藤波辰爾、タイガーマスク(佐山サトル)、長州力、前田日明、武藤敬司、蝶野正洋……次々とスターが生まれていきます。

また、プロレスの天才と言われた猪木は、外国人レスラーを育てる能力も優れていました。

「ひとり民族大移動」のアンドレ・ザ・ジャイアント。

「不沈艦」スタン “ザ・ラリアット” ハンセン。

そして、「超人」ハルク・ホーガン。後に映画「ロッキー3」への出演まで果たし、世界一有名なプロレスラーとなったのです。

スタン・ハンセンは、後にジャイアント馬場の全日本プロレスに移籍しますが、いずれも猪木のプロデューサとしての能力が、彼らをトップレスラーに育てたのは間違いありません。

よりプロレスを好きになったのは、1983年創刊の『週刊プロレス』を読むようになってからでした。

編集長・ターザン山本は「観るプロレス」から「読むプロレス」の面白さを提唱していきます。

「テキサス・ブロンコ」テリー・ファンクも写っていますが、ほんとに格好良かった。

私も「週プロ」の影響で、1984年に前田日明が立ち上げた、より格闘技色の強いUWFに傾倒していくのですが……

プロレスとアントニオ猪木のことを書き始めると、延々と書いてしまいます。プロレス史自体が大河ドラマなのですが、話をもとに戻します。

現在は日本のプロレスはよりショーアップされ、アメリカナイズされたエンターテイメント色を強めています。

プロレスには「ブック」と呼ばれる脚本があると言われるので、他の格闘技より下に見られがちです。

それはひとつの意見なので構いません。

しかし、プロレスラーが亡くなる度に思いだす言葉があります。

冒険小説とは、成熟した男性によって書かれた、成熟した男性のためのエンタテイメント
-田中光二- 作家

プロレスを楽しむには、ある程度の許容量と、想像力が必要なのだと思います。

ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、橋本真也、三沢光晴、ブルーザー・ブロディー、アンドレ・ザ・ジャイアント、ホーク・ウォリアー、アニマル・ウォリアー、ジミー・スヌーカー、ビッグバン・ベイダーそしてついにアントニオ猪木まで。

多くの大男たちが早世しているので、79歳まで日本を元気づけてくれたと感謝するべきなのでしょう。

「燃える闘魂」

「過激なダンディズム」

「プロレス外交」

「この道を行けばどうなるものか 危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし 踏み出せばその一歩が道となる迷わずゆけよ、ゆけばわかる」

「元気があれば何でもできる」

「闘魂ビンタ」

選手を引退してからは、道化的な役割も引き受けていましたが、現役バリバリの頃は、初めの写真の通り、とにかく格好良かったのです。

先日亡くなった稲盛さんも、経営の原点12か条の8条に「燃える闘魂」をあげています。

経営にはいかなる格闘技にもまさる激しい闘争心が必要。

作家・開高健もそうでしたが、インテリと言われる人に、プロレスファンはかなり多いのです。

一時は袂を分つことになった、弟子でもある前田日明のコメントがニュースに上がっていました。

「猪木さんがいなかったら、前田日明もタイガーマスクも、リングスも修斗も総合格闘技もK―1もPRIDEも何もなかったよ。全ての始まりですよ」

この言葉が全てでしょうか。

新約聖書は「はじめに言葉ありき」で始まるそうですが、近代プロレス、総合格闘技においては「はじめに猪木ありき」だったのです。

多くの人に影響を与え、元気づけ、楽しませてくれた「創造主」。安らかに。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

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