カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

博覧会の時代の後‐2208‐

昨日、関西万博が開幕しました。

それを記念して、ブルーインパルスが大阪城上空を2回通過するとのこと。

近所の方も、難波宮跡公園へ向かっているようです。

予定時刻は11時50分と、11時56分。

時刻が近付くにつれて、雨がやや強くなってきましたが、「関空を離陸したよ」という声も聞こえてきました。

ワクワクして待っていると、今度は「中止になったみたい」と。

徐々に、皆が帰路についたのです。

大阪では35年振りと聞いていたので残念です。また機会を作って貰えると嬉しいのですが。

直前まで、万博の盛りあがりをあまり感じていませんでした。

しかし、折角の地元開催なので前売チケットを買ったのは先週のこと。

高島屋東別館で「EXPO 博覧会の時代」という企画展があると知り、のぞいてみました。

難波の大阪高島屋から言えば、南西にあたる堺筋沿いにあります。

エントランスも立派。

2020年にリノベーションし、2021年には国の重要文化財に指定されています。

タイトルからすると「博覧会の時代」と言われた、1990年代の万博の歴史を紐解く内容を想像していました。

しかしここは高島屋資料館なので、高島屋が出品した室内装飾品などの展示がメインでした。

考えてみれば当たり前ですが、こちらが万博モード過ぎていたようです。

それでも、万博に関する資料もいくつかありました。

第1回目は1851年、ロンドン万博ですが、最も知られているのは1889年のパリ万博ではないでしょうか。

フランス革命100周年を記念し、開催にあわせて完成したエッフェル塔は、現在でもパリのシンボルです。

資料には、エジソンの蓄音機が大変な人気を博したとあります。万博の果たした役割がうかがい知れます。

また、1970年の前回大阪万博では、お祭り広場と太陽の塔がシンボルとなりました。

どちらにおいても、建築は主役的な役割を担ってきました。

1970年生まれの私は、この万博が開催中に55歳になります。

建築家としても十分キャリアを積んできたつもりですが、今回の万博に全く関われなかったのはとても残念です。

大小さまざまなコンペがあったのですが、何一つ参加できていないので当然と言えば当然ですが、それでも忸怩たる思いがあるのは間違いありません。

公共建築で指名を受けたければ、実績を積み重ねていくしかないので、ひとつずつの仕事で結果を残していくしかありません。アトリエ移転もきっかけとして、ギアを上げて行きたいと思います。

高島屋東別館があるあたりは、でんでんタウンと呼ばれ、家電量販店、電気部品店等が並びますが、現在は「オタロード」なる名前も付加されています。

アニメ、フィギュア、同人誌を扱う店が多くあり、「西の秋葉原」とも言われているのです。

以前とは全く風景が変わり、メイド喫茶も沢山あります。

その店員さんが道に並んで、店の案内?客引き?をしていました。

私が学生の頃は、オーディオオタク、家電オタクが集まる場所というイメージでしたが、時代が変わればこれだけ変わるのです。

加えて言うなら、これだけ情報があふれていると、「観る」というアトラクションでは、刺激が足りないのだと思います。

USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)にしても、メイド喫茶にしても体験型です。

そう考えると、 「博覧会の時代」と言われた、1990年代後の万博は、なかなか難しいものがあると思います。

日本橋と難波の境目あたりにある、焼売(シュウマイ)の名店「一芳亭」。

黄色い皮の焼売(シュウマイ) は、美味しくかつリーズナブル。

長らく行っていないので、帰りに前を通ってみました。

体験型アトラクションの最たるものは、やはり「食べる」につきるでしょう。

向いにあるメイド喫茶には長蛇の列ができていました。

金額もそれなりだったので、時代を感じずにはいられなかったのです。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■

原曲『赤とんぼ』から醸し出される郷愁‐2205‐

JR大阪駅から姫路駅までは新快速で1時間です。

乗り換えまで時間があったので、久し振りに姫路の「えきそば」です。

店内が空になったタイミングでメニューを撮っておきました。

今回は、ごぼう磯部揚げえきそば530円。

黄そば+和風出汁を、たまに無性に食べたくなるのはなぜでしょう。

間もなく開幕する万博では、「究極のえきそば」が3850円だそうです。

流石に私は食べないと思いますが。

姫路には世界遺産の姫路城があるので、インバウンド客も多いのです。

ただ、日帰りが殆どで姫路に泊まってくれないと地元の人が言っていました。

「他では何が美味しいですか?」と聞くと、「生姜醤油で食べるおでんは、なかなかいけますよ」と。

私もまだ未体験ですが、インバウンド客の皆さんも、宿泊のうえ是非お試しください。

姫路駅はハブ駅で、新幹線をはじめ多くの路線と繋がっています。

今回は、岡山県の新見駅とを結ぶ姫新線(きしんせん)に乗り換えます。

PiTaPaでタッチすると、アラーム音が鳴りだし少し慌てました。

播磨新宮駅までは交通系ICカードが使えるのですが、事前にチャージが必要でした。

ディーゼル列車の単線のようです。

2両ある車内は、出発前にはほぼ満席となりました。

最近は、廃線のニュースを良く見ますが、こちらは採算が取れているんだろうかと気になります。

姫路から離れると、所々にため池がある、東播らしい風景が広がります。

はじめて来たのに懐かしく感じるのはなぜでしょうか。

途中の本竜野駅には童謡『赤とんぼ』の歌碑がありました。

『赤とんぼ』はたつの市出身の詩人・三木露風が作詞をし、山田耕筰が作曲をした、誰もが知る童謡です。

1921年(大正10年)、 三木露風 が33歳の発表ですが、幼少期を過ごした、たつの市へ風景を思い浮かべながら作ったそうです。

少し調べてみると、 同志社女子大学のサイトで興味深いコラムを見つけました。

発表当時は、題名も歌詞の内容も少し違っていたそうです。

・発表時

赤蜻蛉

    一 夕焼、小焼の、山の空、負はれて見たのは、まぼろしか。

    二 山の畑の、桑の実を、小籠に摘んだは、いつの日か。

    三 十五で、ねえやは嫁に行き、お里のたよりも絶えはてた。

    四 夕やけ、こやけの、赤とんぼ、とまつてゐるよ、竿の先。

・現在

赤とんぼ

    一 夕焼、小焼の、あかとんぼ、負はれて見たのは、いつの日か。

    二 山の畑の、桑の実を、小籠に、つんだは、まぼろしか。

    三 十五で、姐やは嫁にゆき、お里の、たよりも、たえはてた。

    四 夕やけ、小やけの、赤とんぼ。とまつてゐるよ、竿の先。

題名がひらがなになっている他、一番の「山の空」が「あかとんぼ」に変わっていたり、一番と二番の最後の詞が入れ替わっていました。

負はれて見たのは、まぼろしか。

童謡の出だしとしては、表現が少しきつい気がしますが、元の詞の方がより郷愁を感じさせる気がします。

三木露風が詠んだ100年前の詞に、日本の原風景を感じることを不思議だとも思いますし、当然のようにも感じます。

何より原曲から醸し出される郷愁に感じ入ってしまいました。

いくつかの単語が入れ替わるだけで、これほど印象が変わるのが日本語です。

本当に奥深いものだと思うのです。

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暗さと不完全さを恐れないことを、北欧から学ぶ‐2204‐

昨日は、晴れたり曇ったりの一日でした。

アトリエから、歩いて難波まで行ってみました。

妻のペースで25分くらいだったので、ひとりなら20分くらいでしょうか。

目的は、難波の高島屋で開催中の「北欧のあかり展」です。

チケットは1200円とそこそこしますが、沢山の人が訪れていました。

近代照明の父と呼ばれる、ポール・ヘニングセンがPHランプを考案してから100年を記念しての開催とあります。

入ってすぐの空間で、彼がデザインした、ペンダント、スタンド、フロアスタンドが出迎えてくれます。

この展示会は、一部を除いて、写真も動画もOKなのも嬉しいところ。

海外と比べて、日本はNGが多かったのですが、SNS時代に入り、そこは無視できないのだと思います。

ひと際美しいのは、やはりPH5です。

我が家でも愛用しているペンダントライトですが、いつまで見ていても飽きません。

アルネ・ヤコブセンのコーナーもありました。

冬が長く、日の出ている時間が極端に短くなる北欧。優れた照明や家具が数多く生まれました。

PH5、アリンコチェア、AJフロアランプ……

必要は発明の母と言ってしまえばそれまでですが、理にかなった上で、極めて美しい名作が、これ程生まれた地域は稀だと思います。

当社の打ち合わせのチェアは白のセブンチェアですが、こちらもアルネ・ヤコブセンのデザインです。

セブンチェアは色や素材のバリエーションも楽しいのです。

そしてフィンランドの国民的建築家、アルヴァ・アアルトのコーナーも。

私が最も好きな建築家のひとりです。


彼は照明デザイナーとしても、家具デザイナーとしても極めて優れているのです。

自邸の写真が飾られていました。

好きすぎて、フィンランドへも行ってきました。

2016年の8月にヘルシンキの自邸を訪れた際の写真です。

自分も含めてそうなのかもしれませんが、現在の建築家にはない、暖かさや遊びにあふれています。

もしかすると、不完全さと言ってもよいのかもしれません。世界の巨匠に恐れ多いのですが。

会場の冒頭にあったパネルにはこう記されていました。

「暗さを良しとして受け入れる」

暗さの中でこそ、その美しさは際立ちます。

それは分かっているのですが、住まい手に「暗い」と言われたくないという気持ちも、大きいのは事実なのです。

高島屋前の桜はほぼ満開でした。

谷崎 潤一郎の名著『陰翳礼讃』で、谷崎は日本人の感性を称えています。

軒の深い日本家屋の奥深くで、金襖や金屏風がほのかに光るさまに、日本の美を見出だしたのです。

光と陰。

そのドラマティックな要素を、いかに扱うかが、空間の質に大きく影響を与えるのです。

ふらっと出かけたのですが、とても刺激になりました。

照明は空間の最後の仕上げだと思っています。暗さと不完全さを恐れず、最上の空間を目指したいと思うのです。

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大阪より下町な東京‐2203‐

前回は、娘の関東大学巡りと、渋谷109前交差点について書きました。

大学巡りを終えたあと、JR中野駅で長男と待ち合わせていました。

少し早く着き、話題の中野サンプラザへ。

2023年に閉館し、再開発される予定でしたが、建設費が倍に膨れ上がることが分かり、中野区は計画を白紙撤回しました。

残念ながら、サブカルの聖地には一度も入ることなく閉館してしまったのですが、私の世代なら「サンプラザ中野」と合わせて、親近感を持っている人も多いでしょう。

ただ、建設費が倍と聞くと、他人事ではありません。

新築のイメージで土地を購入されていた場合も、古家が付いている時は、まずリノベーションの可能性を探ります。

そのくらい、建築費の高騰が急激なのです。

駅前の商店街、中野サンモールも歩いてみました。

渋谷もそうでしたが、こちらの活気もなかなかです。

そうこうするうちに長男がやって来て、夕食をとることに。

「寿司」とか「焼肉」とか言われたのですが、最終的に牛タン屋さんに落ち着きました。

長男のバイト先なのです。

焼肉よりは安いだろうと「好きなものを頼んでいいよ」と伝えると、娘は一番高いものをオーダー。

次が長男で、私が一番安いものを。

ただ、お勧めをかなり追加したら、そこそこの金額になりましたが。

牛タンのみを食べることもあまりありませんが、長男の東京での胃袋を支えてくれたのがこの店の賄いです。

感謝の気持ちも入っているかもしれませんが、かなり美味しかったです。

長男は1回生、2回生と大学の国際寮で暮らしていました。

かなり恵まれた環境で2年間を過ごしたのです。

何より寮生の友人が沢山いたのが心強かったはずです。ヒッチハイクでも帰ってきましたし。

今年の1月、その国際寮からほど近い新井薬師前に 新たな下宿 先を見つけてきました。

中野からバスで10分程移動。

駅から歩いて5、6分の場所でした。

行った時はもっと散らかっていましたが、かなり片付けてこんな感じだそうです。

男なので何の心配もしていませんが、子供が暮らす家に入れて貰うのは何とも不思議な感じです。

ただ、ここで新たな関係性を築き、自立へと進む過程を感じたのも間違いありません。

妻と娘は1泊させて貰い、翌日も大学を巡ります。

私は遅い新幹線を予約していたので、「じゃあ頑張って」と伝え帰路につきまた。

長男が暮らす町を見ておこうと思い、新井薬師前から中野まで歩くことにしました。

スーパーはこじんまりした、小規模店が主流だそうです。

何故か、長野の町を思い出します。

この駄菓子屋さんはなかなかでした。

レトロを狙っているのだと思いますが、それでも10円ゲームは懐かしすぎます。

町中華。

もつ焼き。

八百屋さんも個人商店。

「東京」なので、もっとお洒落な感じをイメージしていたのですが、なかなかの下町です。

というか、大阪より下町なのです。

20分程かけて、JR中野駅まで戻ってきました。

長男は大阪の方が暮らしやすいかなと言っていましたが、将来のことを考えると関東で就職することになるでしょう。

それは私には経験のないことです。

活気をみてもやはり首都東京が上だと思うので、それで良いと思います。

大阪生まれの私としては、下町と言えば大阪だと思っていましたが、東京の方がより下町だったとは……

そこは正直ショックでした。

50歳を過ぎても、大阪も東京も知らないことだらけ。人生は、日本探訪の旅とも言えるのです。

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関東大学探訪+日本の交差点を見て来春を思う‐2202‐

先週の土曜日は、朝から妻、娘と一緒に横浜へ向かいました。

新幹線の新横浜駅から、相鉄(そうてつ)に乗って、横浜国立大学へ。

最近の大学は、緑化をした建築が主流です。

しかし、それらが全く不要なくらい、緑あふれるキャンパスでした。

もう、森の中に大学があると言っても良いくらいです。

気温も20度を超え、完全に春の陽気でした。

娘は4月から高校3年生になるので、横浜、東京の大学を見て回ることにしたのです。

昨年春の東北大学視察は、残念ながら私だけ直前キャンセルでした。

今回は何とか参加できました。危ないところでしたが。

私が通う訳ではありませんが、流石国立大学という、ゆったりしたキャンパスはかなり好印象です。

今度は、ブルーライン、東急東横線と乗り継いで渋谷まで移動です。

国際連合大学の向かいにある青山学院大学までやってきました。

青山学院は文系の大学なので、私は初めて訪れました。

ミッション系の大学でもあり、立派なチャペルがあります。

あわせて、150年の歴史も感じます。

しかし、渋谷のど真ん中にこの空間は、ちょっと別世界です。

食堂が安くて美味しいのもかなり高得点。私は関係ないのですが。

先の国連大学のすぐ横に、岡本太郎の「こどもの樹」という作品がありました。

アートの香りが漂う街は、良い街と言えます。

バルセロナにあった、ミロのオブジェを思い出します。

最後の目的地を目指して、京王井の頭線の渋谷駅に向かいます。

渋谷109が見えてきました。

駅周辺が工事中で、もの凄い混みようです。

何とかJRの高架を抜けると、忠犬ハチ公像はチラとだけ。

ようやく渋谷109前までたどり着きました。

さすがの活気です。

「世界の交差点」をニューヨークのタイムズ・スクエアとするなら、「日本の交差点」と言って良いでしょう。

この活気こそが、東京の生命線なのだと感じます。

「渋谷109」の設計者は竹山実。

ポストモダン建築を最も平易に、世の中に伝えた建築家と言えます。

開口部ではなく、外壁のアルミパネルだけで、縦動線が納められた円筒とキューブの造形を表現しました。

完成は1978年なので、半世紀に渡って日本の顔となっているのです。

最後は、明治大学までやってきました。

明治は建築学科があるので、私は2回受験しています。2回落ちたのですが。

もう30年以上前なので、どこのキャンパスだったか忘れましたが、懐かしくはあります。

我が家の子供は、大阪が嫌いという訳では無いのですが、2人とも東京志向です。

金銭的には厳しいものがありますが、悔いを残すことだけはして欲しくないので、そこは全て尊重しています。

そう思わせる活気が、東京にあるのも間違いないと思いますし。

朝一番、新横浜に到着した時、娘が「受験にきたら、あの新横浜プリンスに泊まっていい?」と聞くので、「それは無い!」と即座に却下しておきました。

私がはじめて東京で仕事をした時は、格安のYMCAに泊まっていたくらいですから、ビジネスホテルでお願いします。

先週、甥っ子が志望大学に合格したと書きました。

来年のこの時期、娘もそうなると嬉しいのですが、神頼みで結果がでることもありません。

寒い冬から、いやもっと言えば、花が散った直後から、粛々と準備をしているからこそ、春花は咲くのです。

受検に失敗した親が言うのも何ですが、娘にとって、我が家にとって、勝負の1年が始まります。

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誰よりモノが好き‐2201‐

アトリエm移転計画「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」【ゲンバ日記チャンネル】Episode4を、一昨日公開しました。

ちょこちょこ書いていますが、笑ってしまうくらい色々なことが起こり、まだ完成には至っていません。

それでもようやく外観があらわれました。よければご覧ください。

今日は春分の日。上町から西へ行くと谷町6丁目です。

「上」と「谷」が表す通り、周辺はかなりアップダウンがあります。

生活の基盤は、まだ完全に移せていないのですが、娘が越して来たらすぐに通学に使えるよう、電動自転車が要るねという話になっていました。

妻と娘で、からほり商店街のすぐ南にある「vianova 谷町店」ですでに購入済みとのこと。

引取りと支払いに行くようにと、司令がありました。

若い店長さんが、テキパキと準備をしてくれました。

子供を乗せられる自転車が何台か置いてあったので「このあたりは坂が多いので、電動自転車の需要は多いでしょう?」と聞くと、「はい、そうなんです」と。

「ただ、自転車の値段が上がって、なかなか大変です」とも。

確かに電動自転車は10万円くらいからなので、なかなかの金額です。

娘の自転車ですが、難波宮跡あたりから森ノ宮を回ってみました。

私が電動自転車に乗ることはあまり無いと思いますが、なるほど坂道はかなり快適です。

その後、再びからほり商店街に戻って、頼まれた買い物も済ませます。

このスーパー、野菜がかなり安い。

魚はこだわったものが多い感じでした。

ワクワクしてきます。

折角なので、新車の写真を撮っておきました。

私は基本的にモノが大好きです。

少しでも格好よく撮っておきたいので、難波宮跡まで行ったのです。

モノの中でも最も大きいと言える、建築をつくるのが私の仕事です。

より美しく、より快適なモノをつくりたいという気持ちだけで約30年働いてきました。

自分の家を建てる、またはリノベーションをするという事になり、改めて建築に対する期待はこれほど大きいものかと感じています。自分の心を通して。

現実は小説より奇なりと言いますが、この言葉も正しいと心底思います。

ただ、この状況を楽しんでいるだけでは駄目なので、来月の中旬までには必ず決着したいと思います。

誰よりもモノが好きな私のプライドにかけて、です。

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怒?、恕!‐2199‐

寒かったり、暖かかったり、晴れたり、雨が降ったり。

目まぐるしく天気が変わる時期です。

上町のアトリエ周辺は、タワーマンションも結構建っています。

長堀通りの北の住所は上町か玉造なのですが、清水谷の名称が残っている古いビルもあります。

明治時代には、清水谷のエリアがもっと広かったようです。

現在も清水谷町のままのエリアは結構小さいのですが、清水谷高校が結構な面積を占めているのです。

バス停の名前も高校の名前。

年始に玉造神社を参った際、利休井の説明に清水谷のことがでてきました。

この辺りは玉造清水と言われる名水が得られ、利休が茶の湯に愛用していたという記録が残っています。

そう聞くと、清水谷町が小さいのは勿体ない気もしてくるのです。

清水谷高校の塀に「愛と恕(じょ)」という横断幕がでていました。

はじめ見た時は「愛と怒(ど)」かと思い驚きましたが、 「恕(じょ)」 は全く反対の意味でした。

「相手を思いやって許す」という意味だそう。漢字とは奥深いものです。

実はこの一週間、正直怒りまくっていました。

アトリエは引越したのに、一向に大した写真が上がっていないことに大きく関係があります。

その顛末は、いつか洗いざらい書くつもりですが、その時は全て許せているのだろうか……と考えます。

もしかすると、そんな時だから「恕」と出会ったのかもしれません。

「恕」には「他人の立場や心情を察すること」という意味もあるようです。

許せても、立場や心情を察するのはちょっと無理かもしれません。

その私の心情を、今はお察しください。

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人生を変えた?東三国‐2198‐

この自由の女神を見てどこの駅か分かる人は、御堂筋線で北摂から通勤している人か、本当の大阪通だと思います。

答えは東三国でした。

新大阪の一駅手前、キタにも近く便利なところですが、降りたのはおそらく20年振りだと思います。

この和菓子屋さんは当時からありました。

結婚する前に、妻が駅の東側にあるマンションに住んでいました。

特に2002年は、1年間アトリエmを閉めていたのでよく遊びに来ていたのです。

今回は駅の西側に所用があり、周辺を歩いてみました。

御堂筋沿いにはうどん屋さんが。

ミニ丼セットが680円。

このくらいで食べれる店が本当に少なくなりました。

東西の道を西へ向かって歩くと、特に商店街となっている訳でもないのに凄い活気です。

こちらの「若水(わかみず)」は、あまり食べ歩かない私でも知っている街中華の人気店。

思わず並ぼうかと思いましたが、昼食は少な目にしているのでそこは我慢です。

相乗効果なのか、他にも行列ができている店が3つ、4つありました。

そのまま歩き続けると、今度は商店街が見えてきました。

こちらは「サンティフルみくに」の看板が上がっています。

ところどころシャッターは下りていますが、健闘している感じ。

中学高校の同級生がこの商店街に住んでいたので、40年前にこちらも訪れたことがあるのです。

西端まで歩くと、阪急の三国駅に着きました。

40年経っているので記憶はあいまいですが、随分と景色は変わったのでしょう。

1999年の2月頃から2002年3月までの約3年、酷い鬱に苦しんでいました。

28歳から31歳にかけてのことですが、最終的に仕事に復帰できたのは、2002年を完全に休んだことが大きいと思います。

そして、2002年の終盤から2003年に掛けては、バックパックだけを背負って海外へでました。

はじめて訪れた国の、知らない街を歩いていると、緊張感とワクワク感で、自分が鬱だった事さえ忘れていったのです。

本当に思い悩んでいる人には、思い切って休むこと、そして環境を大きく変えることをお勧めします。

海外への貧乏旅行は大きなターニングポイントになったと思います。「貧乏」がポイントですので、そこは間違いのないようお願いします。

ただ、その旅にでるまで、半年以上大阪でぐずぐずしていました。

東三国に遊びに来た時は、時間だけはあるので、よく神崎川沿いを走っていました。

焦燥感に駆られながら、真夏に汗だくで走っていたことを思い出します。

その後の楽しみと言えば、時々カラオケに行ったり、レンタルDVDを観ることくらい。

多分、この建物の2階にツタヤがあったと思います。

2階のツタヤに入って行く、31歳の私の後ろ姿が見えた気がしました。

人生は何度でもやり直しがききます。ただ生きていればこそです。

もしかすると、東三国は人生を変えた街だったのかもしれません。

生まれが平野だからか、何とも下町にご縁があるようなのです。

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ザ・天王寺、いっかい入ったら 慣れますよー‐2197‐

前回は、日曜日にリニューアルオープンした大阪市立美術館を訪れたと書きました。

かなり久し振りで、天王寺動物園の入口脇にできたてんしばイーナも初めてみました。

一番奥には、アドベンチャーパークなるものがあります。

かなり本格的なフィールドアスレチックのような感じで面白そう。子供が小さかったら、必ず来ていたと思います。

建物内には、オリンピック種目になったクライミングの設備が色々見えていました。

松原スケートパークよろしく、史上最年少金メダリスト、第2の西矢椛(にしやもみじ)選手がここから生まれるかもしれません。

そのまま、あべのキューズモールまで戻ってきました。

日用品の買い物を済ませると丁度昼時に。

キューズモール北側、ヴィアあべのウォークで店を探してみました。

建物外と建物内のどちらにも飲食店があります。

グリルマルヨシが入っているのは知っていました。

しかし、以前の裏路地の奥にあり、安価に子牛の脳のフライを食べさせてくれた店とは、かなり雰囲気が変わっている感じ。

どうしようかなと歩いていると、なかなか賑やかな店がありました。

「花屋*カフェ*ビストロ」ニコ フラワーガーデン。

その前に「入りにくい? 大丈夫‼ いっかい入ったら慣れますよー」とコメントが。

ちょっと笑ってしまいました。

夜は、ワインや日本酒にも力をいれているそうです。

妻はパスタランチ1100円(バケット無し)。

ビフカツ、クリームコロッケのランチが990円。

リーズナブルな上、この上なく美味しかったのです。

ビフカツ、クリームコロッケ共最高でしたが、パスタの味が濃厚なこと……

完全に「当たり」です。

私達が入ったタイミングでランチは品切れで終わり。

最後の客になったので、スタッフの方に了承を得て撮らせてもらいました。

実際、入った瞬間になれました(笑)

開業して7年目と聞いたと思いますが、「順調なんですよね?」と尋ねると「いえいえギリギリですよ~」と。

謙遜なのか本音なのか分かりませんが、海鮮にも力が入っているようで、3拍子も4拍子も揃った店に見えます。

これは夜も是非来てみたいと思える店でした。

そうそう、キューズモールの戻ってすぐに、人だかりができていました。

のぞいて見ると、大阪プロレスが観戦無料のイベントを開催しています。

選手名は分かりませんが、覆面レスラーがマッチョタイプの選手にウラカンラナを決めると、ひと際大きな歓声が上がっていました。

あきらかに普段プロレスを観ていなさそうな人が、あんなに驚くんだというのは、昔からのプロレスファンからすると嬉しい限りです。

ちびっこプロレス教室も開催されたようなので、第2のスペル・デルフィンがこの地から生まれるかもしれません。親としては喜ばしいのか微妙なところですが。

安くて美味しい洋食と大阪プロレス。ザ・天王寺を満喫しました。

最近テレビで頻繁に流れるACジャパンの広告に、お笑いタレント、さらば青春の光の森田が出演している「ありがとー。って、ええなぁ。」があります。

大阪地域キャンペーンだそうです。

でも「いっかい入ったら慣れますよー」は、より大阪的かもしれません。

大阪って、ホンマええなァ、と。



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いよいよ新アトリエ始動‐2195‐

2月12日(水)に中央区の上町に引越したので、生活基盤も一から作り直しです。

ガソリンスタンドも気になっていた点で「中央区は高いんだろうな」と思っていました。

なのですが、平野より安いところを見つけました。

しかもセルフではなく、窓ふきサービス付き。

玉造側に行けば安いスタンドが結構あることも分かりました。

これでガソリンのことは解決です。

引越したと告知していますが、実際は4階の仮事務所でしのいでいる状態でした。

しかし、現場チームも遅れ取り戻すよう、遅くまで頑張ってくれています。

昨晩には1階の塗装も始まり、工事が多く残っていた、1階、3階部分もようやく終わりが見えてきたのです。

今日は引越し第2弾。

先ほど、ようやく旧アトリエの荷物を全て運び出しました。

掃除はしましたが、拭っても拭いきれない、22年間戦ってきた痕跡が残っています。

この空間でどれだけの時間を過ごしたのか考えると、やや感慨深いものがあるのです。

そして、段ボールは山積みですが、2階の新アトリエにほぼ全ての荷物を運びこみました。

先に帰った妻が、写真を送ってくれました。

いよいよ新アトリエ始動です。

初めて施主となり、何千万というお金を出した上での、不安、期待、憤り、喜びと、様々な感情を嫌と言うほど体験しました。

これは、これからの仕事に必ず活かせると思います。

引越しは、第3弾で終わる予定。全面始動まではあと数日です。

ひとりでこの日記を書きながら、建築の醍醐味は、やはりダイナミズムなんだなと実感しているところです。

■■■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■■■

■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載■