1970年のこんにちは‐1252‐

梅が終わり、桃が咲き始めたら春の足音は更に大きく。

3月3日、今日は桃の節句です。

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日曜日は、万博公園にも寄りました。

過去、現在、未来を貫き、吹き上げるエネルギーを表現したのが太陽の塔。上部の顔が「未来」、中央が「現代」を表します。

この「現代」の顔は、セブンドリーマーズのグループ会社、スーパーレジン工業が、岡本太郎と共同で制作したものです。

岡本太郎はコンクリートで作ることを希望しましたが、技術的に難しいことが分かりました。

スーパーレジン工業が協力し、樹脂で作られることになったのです。レジンとは樹脂という意味。

太陽の塔は、アートと技術の結晶でした。

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開催時、丹下健三設計の大屋根の中に塔はありました。

しかし、その記憶の無い私には今の姿がしっくりきます。

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公園内に唯一現存するパビリオンは「鉄鋼館」。「EXPO’70パビリオン」として2010年にリニューアルオープンしています。

設計は、京都文化会館などで知られる前川國男。

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エントランス前には、エキスポタワーのパーツが展示されていました。

こちらは、メタボリズムの体現者、菊竹清訓の設計です。

1990年まで、登ることが出来たようで、行っていないことに悔いが残ります。

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「EXPO’70パビリオン」のホワイエは、前川らしい広い階段と、レンガで構成されています。

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当時、館内のスペースシアターでは、音楽と照明によるスペクタクルショーが繰り広げられていたそう。

この日は、小澤征爾の楽曲が流れていました。

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1970年頃と言えば、サイケ(サイケデリック)ブーム。

これが当時の最先端ファッションでした。

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館内のデザインも、当時の気分を反映するようリニューアルしたのでしょうか。

これは前川のデザインではないのは明らかですが。

万博は、芸術家、技術者、建築家、音楽家、そして来場者にとっても、華やかな表現の場だったのです。

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初めての著書を年末に出版するため、執筆も進めています。

自らの生い立ちに触れる際、1970年に生まれた事は、自分の人生に様々な影響を与えていると感じます。

70年代の高度経済成長期に幼少時代を過ごし、80年代後半のバブル経済とその破たんを体感。そして90年代に創業と、様々な時代の気分を見てきました。

1970年と言えば、戦後25年。この歳になり、ようやくその時間軸が理解できるようになりました。

敗戦後、1964年東京オリンピック、1970年万博と、先人の頑張りのお陰で、豊かな時代を過ごさせて貰っていたのです。

自分の意思や能力を片輪とするなら、もう片輪は環境、言い換えれば時代の気分です。この両輪がかみ合った時、初めて前に進めます。

いくらカーレーサーになりたくても、車がなければなれないからです。

万博のテーマ曲にある「1970年のこんにちは」という歌詞。作詞は島田陽子さんでした。

自分の為に時代があるはずもなく、「こんにちは」と私達がお邪魔している。人も時代の産物なのだと思います。

時代の気分を凍らせたものが建築なら、更に、遣り甲斐と責任を感じるのです。

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