タグ別アーカイブ: 難波宮跡

魔法の間取りと、魔法のない敷地‐1940‐

昨日、 『ESSE-online』 でコラムが公開されました。

できれば月に1本は書いて欲しいと言われているのですが、前回から3ヵ月も開いてしまいました。

6月から9月にかけては、自分でも良く覚えていなくらい、あっという間に時間が過ぎてしまったのです。

今回は「冷蔵庫の位置次第でLDKがすっきり。調理もしやすくなる魔法の間取り4選」

タイトルは付けて貰うので、多少気恥ずかしい感もあります。


ただ実際に、冷蔵庫の配置がLDKに与える影響はかなりのものがあります。

図面も添えて解説しているので、良ければ読んで下さい。

昨日から台風14号が猛威を振るっていますが、九州では浸水の被害がでています。

大阪近辺は、真夜中あたりに最接近するようです。被害が少なければよいのですが。

普段は平地が暮らしやすいですが、こういった時には標高が高い方が水害には強いことになります。

大阪で言えば、天満橋、谷町四丁目あたりが上町台地の先端になります。

谷町四丁目から東の法円坂へ向かって歩いて行くと、さらに標高が上がります。

このあたりは海抜20m以上。

大阪歴史博物館のあたりです。

北東には大阪城とOBPが見えています。

中央大通りを挟んだ反対側。

南側には難波宮跡も見えます。

法円坂から谷町四丁目駅を見下ろすと、高低差が分かりやすいでしょうか。

最も標高が高く、安全な位置に宮殿が建てられていたのです。

土地を探しをしている人がいたとしても、この周辺の土地を買うのは大変ですが、国土地理院が公開している地図はとても参考になります。

中でも、この「活断層図」は土地の生立ちも分かるのです。

画像中央にある赤い半島が上町台地で、先端に大阪城があります。

濃いめの赤は「約十万~数万年前に離水した台地面」であることが示されています。

設計の依頼があった時、この地図を参考にすると、地盤改良の要不要がある程度想像できるのです。

先日「発掘調査」となった敷地も、淡い赤色上の敷地で、「約数万~数千年前に離水した台地面」だということが分かっていました。

それで、地盤改良が不要だったうえに、土器まで出土したのですが。

これまでに設計させて貰った土地も、 「活断層図」 で調べると納得できることばかり。

「なぜここに段差があるんだろう」と思っていた場所が、断層によるものだったことが分かったりもしました。

もしかすると、土地の調査をしている時が、一番ワクワクしている時かもしれません。

また、「年代別の写真」をみることもできます。街が発展していく様子が分かりやすく、面白いのでお勧めです。

間取りは工夫によって、無限の可能性があります。

しかし、土地に関しては全て受け入れるしかありません。

「温故知新」は孔子が説いた教えですが、土地に関しては古ければ古い程よいのです。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

メディア掲載情報

自分、骨あるん?‐1779‐ 

 会社のある平野は、堺につぐ規模の環濠都市だったと言われています。

 信長にキリスト教を伝えた宣教師、ルイス・フロイスがその手記に「美しき村」と紹介するくらい豊かな村だったようです。

 商人が力を付け、武士に頼るのではなく、自らの手で村の周りに濠をめぐらせて自衛したのが環濠都市。

 大阪市内なら、遠里小野や喜連などにもその痕跡が残っています。

 3月末まで、大阪歴史博物館で「喜連村史展」なる催しがあると知り、やってきました。

 大阪歴史博物館とNHK大阪を繋ぐ、ガラスの球体エントランス。

 一昨年に亡くなったアルゼンチン出身の建築家、シーザー・ペリの力作です。

 念のため、受付のお姉さんに開催の確認をすると、「現在そのような展示は無かったと思うのですが……」と。

 確かに3月下旬までの開催だったと思うと伝えると、展示フロアに確認してくれました。来年の1月~3月の開催とのこと。

 まさか1年先の告知だとは思わず、年の確認をできていなかったのです。

 何とも情けない話ですが、折角なので辺りを歩きました。 

 館の南面に回ると難波宮跡の案内がありました。

 その脇に、法円坂遺跡の高床式倉庫が再現されていました。

 法円坂遺跡は5世紀後半のもので、16棟の柱跡が見つかっています。

 1棟の大きさが90㎡ですからおよそ30坪。

  当時としては最大級の規模とあります。

  私が注目したのはここ。

  通常の入母屋造りの屋根なら、ここまで棟が張りだすことはありません。

  羽子板ボルトなど無かった時代にここまで跳ねだしているのは、雨を防ぎながら、しっかり換気をすることが、保存状態に大きく影響したからでしょう。

 お金よりも大切な食料を、湿気や害虫から守るために高床式とし、更に極めて風通しのよい空間を求めたのです。

 そう想像しながら見ていると、頭でっかちで、若干安定感を欠くプロポーションも愛おしく見えてくるから不思議です。

 反対に、館の北側に回ると、本町通りを挟んで大阪府警本部庁舎があります。

 完成は2007年12月。設計者の黒川紀章は完成を待たず10月に亡くなっています。

 黒川の実績は言うに及ばずですが、評価が分かれるという事実はあるでしょう。

 どんな仕事であれ、誰もが称賛するという事はありませんが、それは本人が一番理解していたふしがあります。

 「建築家としての私の評価はともかく、思想家としては何かを残せたのではないかと思っている」

 この言葉を聞いた時、私の黒川への視線も一気に変わりました。


 

 生物用語で「新陳代謝」をさす「メタボリズム」という思想を、具現化したのが中銀カプセルタワービルです。

 1972年の完成ですが、カプセルは取り替えができる、可変性を備えた建築なのです。

 東京の新橋にありますが、すぐそばには師であり、同じ系譜の丹下健三設計の静岡新聞・静岡放送ビルもあります。

 1967年の完成ですが、つい先日こちらのオーナー社長が幾分メディアを賑わせていました。

 ゴシップ記事は嫌いですが、この建築を思い出させてくれたなら、目にしてしまった価値もあるというものです。 

 地下鉄の掲示板に、大阪府警の募集ポスターが張られていました。

 戦後10年、日本復興の入口にある広島平和記念資料館をコンペで勝ち取った丹下健三は、空襲によって母を亡くしています。

 しかし、自らが学生時代を送った広島での作品を足掛かりに、世界的建築家へと登りつめました。

 外野の声など気にすることなく、「共生」という思想を説き続けた黒川紀章。

 まさに気骨の人々です。

 ○○新聞のオーナーや、マル秘接待を受けていた(いたとされる)政治家にこのキャッチコピーを届けます。

 自分、骨あるん?と。

 勿論、平野の商人や、偉大な先人達にそう言われないよう、自分へも問わざるを得ません。

 あれから10年。人は命ある限り何度でも立ち上がれると信じています。

■■■1月27日 『Best of Houzz 2021』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

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【News】
■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

車という戦友‐1756‐

 建築の設計・監理の中に、「現場説明」という仕事があります。

 競争見積りに参加する建築会社に図面を渡し、現場にて説明をするので、まさに文字通り。

 普段は略して「現説(ゲンセツ)」です。

 先週土曜日、現説へ向かうため、会社を8時頃出ました。

 阪神高速松原線はいたって快適。

 ところが東大阪線に乗り換える前に「事故渋滞高井田まで6km」と掲示板に出ました。

 駒川で乗った時には無かったものです。

 事故が起こった直後のようで、1時間ほど渋滞に引っかかってしまいました。

 35歳くらいまでなら、かなりイライラしていたと思いますが、そこはすでに50歳。

 迷惑を掛けてはしまいますが、こんな景色をゆっくり見れることも無いと覚悟を決め、クライアントと建築会社に連絡を入れたのです。

 昨年亡くなったシーザー・ペリ設計の、大阪NHK放送会館・歴史博物館が見えてきました。

 更にクリスタルタワー等の高層ビルを従えた大阪城も。

 また、難波宮跡あたりでは、阪神高速は急に高架でなくなります。

 埋蔵文化財の件なのか、太閤様より高い目線は不届きだとなったのか。

 おそらく前者なのだと思いますが、これも車ならではの景色です。

 ようやくノロノロ運転が終わり、第二阪奈を降りると生駒盆地です。

 野焼きの匂いが懐かしい。

 北上して学研都市を抜けたのですが、ここはまるで近未来都市のようです。

 中心部にある京セラの研究所。

 師事させて貰った稲盛さんの会社ですから、目礼して通り過ぎました。

 さらに北上すると一気に里山の風景に変わりました。

 柿がたわわに実り、まさに日本の風景。

 車移動には楽しみが多いのです。

 車の免許を取って30年近くなりますが、先日車を擦ってしまいました。

 代車にやってきたのがトヨタのカムリ。

 ハイブリッド車を運転するのも初めてですが、生まれて初めて乗った車がカムリでした。

 父が乗っていた白のカムリを貰ったのですが、この車は息が長い車なのです。

 トヨタのwebサイトを見に行くと「生誕40周年」とでていました。

 北米での乗用車部門では、販売台数がトップレベルだったはず。

 1年程カムリに乗ったあと、20年に及ぶハイラックスサーフ人生が始まりました。

 ハイラックスサーフの国内販売が終わり、2011年にディスカバリーに乗り換えたのですが、北米では現在でも「4RUNNER」として販売されています。



 初代サーフの写真が2枚しかないので、若気の至りをお許し下さい。

 2代目サーフ、初代ディスカバリー、2代目ディスカバリーです。

 当時のカムリではないものの、私の車人生のピースが埋まりました。

 2030年代には、ついにガソリン車に乗れなくなるようです。

 地球の環境問題は、個人の趣味嗜好より断然上にあるものだと理解しています。

 いずれ来る事は分かっていましたが、パワフルな車の無い人生を今は想像することができません。

 私にとって車は単なる物ではなく、人生のパートナーであり、戦友そのものなのです。

■■■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
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【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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