カテゴリー別アーカイブ: 02 ことば・本

「それでいい」‐2367‐

前回は、天王寺を巡ったウォーキングイベントのことを書きました。

茶臼山は初訪問で、真田幸村愛が強すぎたのか、反応はいまいち。長すぎて読みにくかったかもしれません。

ですが、もう少しだけ天王寺界隈の話です。

茶臼山南側にある河底池越しに通天閣が見えています。

良く見ると、展望台に張り出しができています。

そこには人が……

高い所は苦手で、私ならお金を貰っても行きません。

ゴールとなっていた「てんしば」に戻ってくると、白いテントが建ち並んでおり、人が溢れかえっています。

明治5年(1872年)10月14日に、日本初の鉄道が、新橋~横浜で開通したことから「鉄道の日」に定められています。

10月11日から20日を「鉄道の旬間」とし、全国でイベントが開催されているようです。

近畿運輸局のサイトに、「駅祭(えきさい)ティング2026」は近畿圏の鉄道会社が「てんしば」に集まり、親しみある鉄道をPRするイベントとありました。

北大阪急行。

嵐電。

和歌山電鐵の看板も見えます。

どこのブースか忘れたのですが、こんなものまで出品されていました。

コアな鉄道ファンでなくても、ワクワクしてきます。

天王寺から上本町まで戻って「麺乃家」で昼食です。

妻は子供達の面談の帰りに、何度か訪れたことがあるそう。

私は「麺乃家らーめん 元味」。

和風あっさり醤油味です。

妻は「麺乃家らーめん 新味」。

元味をベースに背脂と柚子こしょうを加えたもの。

魚介系の出汁の香りが良く、ラーメンというよりは、そばかうどんのような雰囲気です。

姫路の駅そばの、濃厚版といった感じが分かりやすいでしょうか。

製麺室が奥に見えていました。

ラーメンは、極めて濃厚で、えげつないくらい美味しいものといった概念を一蹴する、優しいお味が、体に良さそうなラーメンでした。

ラーメン激戦時代を、この優しい味で生き残ってきたことに凄みを感じました。

店主に「撮影してもいいですか?」と聞くと、穏かな笑顔で「ああ、いいですよ」と。

人柄と味が一致している感じがしましたし、強い信念も感じたのです。

高い所が好き。鉄道が好き。和風ラーメンが好き。

人の好みは本当にそれぞれです。

こんな言葉を見つけました。

「それでいい」と、自分に声を掛けることは、思いのほか大事なことなのかもしれません。

展望デッキ、鉄道フェス、和風ラーメンを見て、そんなことを考えていました。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』で「回遊できる家」が紹介されました■■■

■5月8日『ミラタップ』のカタログに「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■

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アトリエmのゲンバ日記

幸村曰く、男は一人もいなく候‐2366‐

昨日の日曜日も快晴。

健康保険のウォーキングイベントに参加してきました。

あべのハルカスが見下ろす、てんしばに集合です。

10時頃から2時間かけて、天王寺界隈をウォーキングするのですが、100人の参加者がありました。

まず最初は、てんしばのすぐ北、堀越神社にお参りします。

一生に一度だけのひと夢祈願は、短冊に1つだけ書いてお守りにしてくれるとあります。
初穂料5千円で要予約とありました。

この日はお賽銭でお参りしただけですが、真剣に考えてみようかなと思ってしまいます。

てんしばから谷町筋を北に歩き始めますが、東側に茶色のマンションが見えています。

このマンションの5階、四畳一間でアトリエmを創業したのが1996年。
この茶色のマンションで3年、少し北のマンションで2年。計5年を過ごしました。

本当に懐かしく、思い入れも一入のエリアなのです。

谷町筋を東に渡り、四天王寺へ。

五重塔。

南にある仁王門を過ぎ、境内をぐるりと一周。

再び谷町筋を西に渡り、大阪星光学院の南を西へ。

清水坂までやってきました。

すぐ南には、大阪市内唯一の天然の滝、玉出の滝のある清水寺があります。

清水寺は2020年に訪れていますが、本堂は昨年移転し建て替えられたようです。

調べてみると安藤忠雄の設計でした。

さすが安藤、大阪のお寺はしっかり押さえていました。内部も見れるなら入ってみたいものです。

南下すると一心寺の仁王門が見えてきました。

1997年の完成で、前住職である高口恭行の設計。

僧侶であり、建築家であるという経歴は、当時異彩を放っていました。

一心寺の東を南に下ると、天王寺公園茶臼山ゲートが見えてきました。

そこを入ると茶臼山の北側に出てくるのです。

先述した通り、天王寺は創業の地で、25歳から30歳までの最も苦労した時期を過ごしました。

茶臼山が、1615年大坂夏の陣で豊臣方の真田幸村が本陣を置いた場所だということは知っていましたし、すぐ北の安居神社で最期を遂げたことも知っていました。

大の雪村ファンなので、何度も訪れています。

ただ、茶臼山は有料の慶沢園天の中にあると思っていました。

当時はお金も無かったので、入ったことが無かったのです。

しかし実際には、慶沢園の北側にあり、標高26mの茶臼山に登ることができました。

もう感無量です。

山頂を示す石柱には、徳川の葵の御紋と、真田の旗印、六文銭が刻まれていました。

山頂には、大坂夏の陣の布陣を示した案内板があります。

「日本一の兵(つわもの)」真田幸村の案内板もありました。

当時は見晴らしが良かったのでしょうが、現在は鬱蒼とした森のように樹々が生い茂っています。

鳥のさえずりが心地よかったのです。

南側に山を下ると、慶沢園の北にある河底池に出てきました。

子供連れのお父さんが「このおっきい鳥は天王寺動物園から逃げてきたんや」と言っていましたがそれは嘘。

大阪でも野生のアオサギは結構いますから。

慶沢園の周囲を半時計回りに遊歩道が整備されており、大阪市立美術館前を通って、てんしばに戻ってきました。

天王寺の喧騒からは考えられない程の静寂スポット茶臼山。

行ってみる価値ありだと思います。

最後は幸村の名言です。

秀吉亡き後、徳川方は1614年大坂冬の陣の後、講和の条件として大坂城の外堀を埋めてしまいます。

戦うなら、豊臣方は大坂城を出て野戦に掛けるしかありませんでした。

1615年5月6日の道明寺の合戦では、「槍の又兵衛」こと後藤又兵衛らが伊達政宗軍に討ち取られます。

幸村が到着した時には戦線は壊滅しており、撤退するしかありませんでした。
その際に最も危険な殿(しんがり)を務め、追撃を食い止め、1人でも多くの味方を逃がすために体を張ったのが幸村でした。

見方の撤去を成し遂げた際に「関東の兵はたくさんいるが、男と呼べるほどの人物は一人もいない」と言い放ったのです。

「痺れる」という言葉以外ありません。

ですが、その後の結末です。

5月6日の道明寺の戦いの翌日、5月7日の天王寺岡山合戦開始で、幸村は家康の本陣に二度突入し、家康を窮地に追い込みます。

しかし、安居神社で休息していたところを討ち取られ、49年の生涯を閉じます。

その後、大坂城は炎上。翌5月8日に、豊臣家は滅亡しました。

天王寺での第一期アトリエmは5年で幕を閉じます。
後半の2年は、重い鬱に悩まされ、1年間休養することを決めたからです。

その間、海外放浪の旅にでますが、出発までの間に読んだ本で、一番心に残ったのが池波正太郎の『真田太平記』でした。

初めての茶臼山体験で、つい長くなってしまいました。

ジェンダーフリーのこの時代には全く合っていないかもしれませんが、「男」に人一倍こだわっているのだとは思います。

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上から3年、下から3日‐2363‐

今日の大阪の日の出は5時58分。

彼岸を過ぎ、徐々に遅くなってきました。

大晦日は7時5分なので、まだ1時間も遅くなるのです。

大阪城の外堀越しに見えていたホテルはパティーナ大阪。

アメリカの旅行雑誌『Travel + Leisure』が2026年、世界ベストホテル第1位に選んだホテルで、日本では初めてです。

遠くで見るのと、近くで見るのとでは、随分印象も違います。

北は大阪城の天守閣を見下ろし、南には難波宮跡公園が広がる絶好のロケーション。

快晴時に南から見ると、更に印象は違ったものに。

9月末まで、オープンデスクに参加していたYさんさんが、感想を送ってくれました。

模型作りの細かい仕事に倦むことなく、無事完走してくれたことがまず一番です。

家具作りは、特に丁寧に取り組んでくれました。

建築の模型だけでなく、ちょっと変わった課題も出してみました。

アトリエのトイレに置く、予備のトイレットペーパーを入れるボックス、消臭スプレーを入れるボックスの設計、製作です。

便座を拭くシートを入れるボックスも。

建築に比べて機能は単純ですが、その分考え方がダイレクトに反映されます。

「塊をくり抜いたような」というお題を出していました。

そのヒントを元に、まず図面を描いてもらいます。

4度程描き直してもらい、2度作り直してもらいましたが、とても良くなったと思います。

特に、下から見上げると三角にカットした開口から、存在が分かるトイレットペーパー入れが良く出できていました。

物づくりにおいて、コンセプトの大事さが分かって貰えたら嬉しいのですが。

最終日に少し面談をするのですが、お土産まで準備した上に、スタッフ全員に手紙まで渡してくれました。

大学の先生が「建築の世界には建築家とそうではない人がいる」という言葉を聞いたことが、オープンデスク参加の動機でした。

遠くから見た印象、近くで見た印象、快晴の下で見た印象は全く違います。

アトリエを中から見て、どんなことを感じたのでしょうか。

と、上から書いていますが、こんな言葉があります。

日経新聞の私の履歴書で日本製鉄名誉会長の、三村明夫さんが2024年4月に紹介していたことばです。

人を判断するのに上から見れば3年かかるが、部下として仕えれば、上司の長所も短所も3日で分かるという格言で、自分自身への戒めでもあるとありました。

また、建築設計そのものにも、通用する格言のような気もします。

真面目で律儀な彼女から、学べることは沢山ありますが、真の姿を理解するには3年がかかることになります。

14日間一緒に仕事をした彼女から、私はどう見えたのでしょう。

オープンデスクとは、夢を持った若い人たちに、「初心わするべからず」と教えて貰う機会かもしれません。

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足裏リスペクト‐2358‐

大阪城公園は、いつ行っても多くのランナーが集まっています。

ひとりで黙々と走っている人、仲間で集まって走っている人と様々です。

チームで練習している人達は概ね楽しそう。

マラソンのコースにもなっているので、ランナーが集まるのは当然ですが、やはり信号が無いのが一番のメリットです。

池井戸潤の『陸王』を読んだのは2019年でした。

以下はその時に要約したあらすじです。

小説も最高に面白かったのですが、私の要約では「足袋」について少ししか触れていません。

これをドラマで観ると、いやがうえでも「足袋」をベースにしたランニングシューズに目がいきます。
ビジュアルの影響はかくも大きいのだと感じました。

このランニングシューズにはランニング足袋、きねや無敵というモデルがあることも分かりました。

店頭で販売されているのかなと思い、ショップを回ってみました。

ただ、足袋タイプのものは全く見つけることができませんでした。

一般的なランニングシューズは1万円くらいからのよう。

きねや無敵は、Webサイトで見ると6600円なので比較的安価です。

足袋は、和装の際の靴下のような物なので、そう考えると結構な金額なのかもしれません。

和装自体がかなり減っているので、足袋をみる機会はかなり減りました。

と思っていたら、時間調整をしている様子のトラックのフロントガラス越しに……

足袋です。

足袋の需要は、間違いなく減る傾向にあると思いますが、建築現場では未だに必需品です。

特に、高所で働く鳶で足袋を履いていないことのほうが稀。

繊細な足裏感覚が必要な仕事には不可欠なのです。

きねや無敵のWebサイトにはこうありました。

薄底のソールで、人本来の走り方に戻し、少しでもランナー人生を延ばして欲しい、というのがメインコンセプトのようです。

それが叶えられるのか、叶えられないのかは、私には分かりませんが、「素足感覚に近づけることによって、地面の表情も楽しんでほしい」というメッセージにはとても共感できます。

ここでは地面となっていますが、建築においては床となります。

リノベーションの相談があった時、建物に入った時に一番情報をくれるのは足裏です。

床下に土間がなく、地面がむき出しの家の床は、踏み感がかなり柔らかく、少し歩いただけで分かります。

また、床の構成を決める際、「ユニットバスの床と、本格的なホテルのしっかりした床を想像頂けますか?」と聞くと、ほぼ誰もが、浮き床とモルタルが床下に詰まった湿式の床の違いを理解してくれます。

浴室は裸足で入るので、誰もが足裏でその硬さを感じ取っているのです。

坂村真民の「尊いのは足の裏である」という詞があります。

頭でなく、手でなく、一生汚い所と接し、黙々と努めを果たしてゆく足の裏こそが尊いというのです。

その足裏を保護し、最大限に能力を発揮させる足袋。
最も足の裏をリスペクトしている物こそが足袋かもしれません。

靴下では薄すぎる、靴では厚すぎる。

きねや無敵だけでなく、もっと足袋の技術が活用される道はないのかなと考えていました。

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『華氏451度』名著・戦慄・ネタバレ‐2357‐

消防士は英語で”fireman(ファイヤーマン)”か”firefighter(ファイヤーファイター)”。

しかし『華氏451度』の中でのファイヤーマンは……

『華氏451度』は1953年にレイ・ブラッドベリが発表したディストピア的未来を描いた小説です。

華氏451度は摂氏に換算すると約233度。
紙が自然に発火する温度です。

ディストピアはユートピアの対義語。
理想郷の反対なので自由のない暗黒社会等を指します。

小説や映画は、前向きなものを好んで選ぶので、手に取るにはハードルの高い本でした。
しかし、SFの傑作という論評もよく目にし、ずっと気になっていたのです。

思い切って手に取った表紙は重々しい。

前半はやや苦戦しましたが、後半は本当に凄かった、というのが感想です。

舞台は、書物が禁止された世界。

書物を焼き尽くす仕事「昇火士(ファイヤーマン)」として働くモンターグという男が主人公です。

まず「ファイヤーマン」を「昇火士」と訳しているところから度肝を抜かれました。
これは翻訳家の力量ですが。

焚書は、秦の始皇帝やナチス・ドイツが行った、卑劣な思想弾圧です。

それを実行し、異端者を探すことを仕事とする「昇火士」モンターグですが、書物を焼き尽くすうちに、違和感を感じ始めます。

となりに越してきた、クラリスという17歳の少女の「あなたは幸せ?」という質問によって、さらにそれは加速しました。

「昇火署」での上司であるベイティー署長は、モンターグの異変を感じ、何度も諭す場面があります。

その言葉は、シェイクスピアや聖書などの一節を次々と引用し、何とかモンターグを現実社会に留まらせようとするのです。

ただ、その博学さは、大変な読書家を想像させるところが、何とも言えず奥深い……

ベイティは、書物を隠し持っていたモンターグの自邸を焼き払うよう、本人に指示しました。
しかし、モンターグは「昇火器」を最終的にはベイティに向け、焼き殺してしまいます。

そして都市から逃亡することになるのです。

政府から追われる身となったモンターグは、元教授のフェイバーのもとへ逃げ込みました。
そこで「本に書かれた考えを自分の中に残すことが重要だ」と教えられました。

川を伝って都市から逃れたモンターグ。
森の中で同じく政府から逃れる知識人達と出会います。

彼らは本を暗記し、歩く本となってそれらを残していこうとしている集団でした。

戦争状態となった社会は、最終的には崩壊しました。

彼らが静かに都市へと向かうところで物語は終わります。

中盤、ベイティーがこの世界の成り立ちを語る場面がありました。

この世界は、弾圧によって始まった訳ではなく、「考えさせられるもの」を排除していった結果に生まれた世界だったのです。

名著は示唆に富んでいます。

しかしこの行は、そのレベルで読み流して良いものではない、うすら寒いものを感じました。

インターネットが登場した際の衝撃はかなりのものでした。
AIの登場はそれに優るとも劣りません。

輝かしい情報収集能カを持っていることにどんな価値があるのか……

レイ・ブラッドベリが危惧したこと、伝えたかったことを、私が僅かに感じれたとしても、世の中がそう変わることはありません。

ただ、感じ取れる機会が極めて少なくなっていることを、更に危惧させられました。
まぎれもない名著だと思います。

特に若い人にお勧めしたい一冊です。

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「覚える」がめでたい‐2355‐

昨日は警報も出る大雨でした。

今朝はすっきり晴れ、爽やかな風が頬に心地よい朝。

最高の一日のスタートです。

大阪城は、お掘越しに天守閣がしっかり見えるところは案外限られています。

ほぼ唯一と言ってよいのが東側。

水面、石垣、緑、青空が最高の背景です。

天守閣の写真を撮っていると、足下にニョキニョキと生える白い物体が……

キノコでした。

傘が開ききっていないもの。

そして全開のもの。

大人、少年、赤ん坊と各世代揃ったキノコ一家でした。

昨日の大雨で、一気に顔を出したようです。

その大雨の昨日。

アトリエ内から一歩も外に出ずの模型作りの一日でした。

春に入社したスタッフが全体をリードし、オープンデスクに参加中の学生が、家具類を制作していきます。

25歳、21歳と共に若いですが、予定通りに進んでいます。

オープンデスク生の彼女は2日目ですが、しっかり行動できているので、まずは一安心です。

2ヶ月程前だったか、アルバイト希望の大学生が面接にきました。
アルバイトの応募要項には、実務試験がある旨を記載しています。

設計事務所でのオープンデスク経験も無いというので「いきなりアルバイトで採用する確率は高くないと思うよ」と伝えると「募集と書いてあるけど、募集していないということですか」と問われました。

能力があればすぐに採用するが、能力がなければ採用しないという旨を伝えると、不服そうな感じで帰っていきました。

姿勢などを見ていると、アルバイト昇格はほぼ無いだろうなと感じていました。

実務試験をする意味が互いに無いと思いそう伝えたのですが、何とも難しい時代に入った気がします。

模型作りの上手い下手は、本人の適正とこれまでの経験がものを言いますが、未来において大切なのはその姿勢です。

皆が退社したあと、模型をチェックし、それを元にプランを再考。一日の仕上げの時間です。

色々なタイプがいてこそ社会ですが、会社という船は、せめて同じ方向を向いていないと船が全く動いていないということもあり得るのです。

「学び」と対になっているのは「教える」ではなく「謙虚」だと考えています。
これは誰かに聞いたのではなく、実務の現場で私が感じてきたこと。

AI革命で経験に敬意を払いにくい時代なのだと思いますが、先の面接のような場面が増えた気がします。

楽天イーグルス等の監督を務めた野村克也元監督はこう言っていました。

「覚えめでたい」とは、目上の人から信頼され、可愛がられるという意味です。
この場合の「覚え」は、信用、評判、寵愛を指します。

「覚える」がそのまま信用、評判、寵愛と変化していったと考えれば至極納得です。

「覚える」がめでたい。

日本語って使っているだけで頭が良くなりそうな言語だと思っているのです。

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進化⇔退化、言葉という魔法‐2353‐

暑かった8月が終わり、新学期がスタートしました。

今日から月曜日までは雨マークが続きます。

天気図には、常に複数の台風があるような気さえしてきます。

近所にカトリック玉造教会があるからか、周辺にはミッションスクールが2つあります。

教会のすぐ南にあるのはプロテスタント系の大阪女学院。

何故かその前の歩道がとびきり広いのです。

この広い道を北に上がり、更に教会を行き過ぎると、細川越中守忠興(ただおき)の屋敷内にあったとされる越中井があります。

妻の細川ガラシャは信仰を守り、この屋敷で非業の死を遂げたことから、この地に教会が建てられました。

教会には細川ガラシャの像もあります。

教会のすぐ東には、カトリック系の城星学園小学校もあり、この広い歩道を、多くの学生が毎日行き来します。

夏休み明けの通学。

思い出すだけで気が重くなりそうですが、楽しそうにしている子供の方が多いようにも見えます。

と、思っていたら「そのパス、天才的!」という掛け声が聞こえてきました。

通学前に、朝から公園でサッカーをする子供達でした。
制服を見ると、地元の小学生のよう。

その元気さはノンリミットです。

「疲れた」とか「しんどい」とか言い出すのは幾つくらいなのでしょうか。

人は1歳前後から何となく言葉を使い始めますが、「ママ」「マンマ」の次が「ツカレタ」ということは無いはずです。

それが、小学生、中学生になると「だるい」とか「うざい」まで使い始めるのです。

「言葉は自分の脳が聞いているから、間違ってもネガティブな言葉は使ってはいけません。それは、天に向かって唾をはくようなものです」と、京セラ創業者の稲盛和夫さんは言っていました。

その稲盛さんや松下幸之助さんが、強く影響を受けたのが、思想家の中村天風さんです。
その著書『運命を拓く』にはこんな行があります。

笑ってしまうような方法ですが、効果は十分だと歴史が証明しているのです。

人は言葉という道具を手にし、生まれた後にも劇的に成長できるようになりました。

生物学的なDNAの進化に対して、生まれた後の進化を「文化的進化」と呼びますが、天風哲学においては、ネガティブな言葉によって、退化もすると言っているのです。

映画、ハリーポッターの最終回で、アルバス・ダンブルドアはこう言いました。

自分で自分に魔法をかけるなら、進化の魔法にしたいものです。

わかっちゃいるけど……

こんな都心部でも、夜には虫の音が聞こえてきました。

もう少し涼しくなったら、屋上で月見酒でもと、夜長を心待ちにしています。


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「ナヌッバ」と「ナムバ」‐2352‐

御堂筋と千日前通の交差点が「難波」。

北を見ると、右手に大丸心斎橋店、左手に大阪Wが見えています。

真東を見るとなんばヒップス。

壁面には「namba HIPS」の看板も見えています。

完成は2007年で高松伸の設計。

千日前通を渡り、南に下った西側にはホテルロイヤルクラシック大阪。

2020年の完成で、設計は隈研吾。

この地にあった、村野藤吾設計の大阪新歌舞伎座のデザインを踏襲しています。

そして御堂筋は、南大阪からの玄関口、南海なんば駅であり大阪高島屋でもある南海ビルディングに突き当たり、西へクランクして南下していきます。

大阪の目抜き通りだけあって、建築も多種彩々です。

周辺にある、大阪メトロ「なんば」駅のローマ字表記は「Namba」です。

私達が小学校の時に習った時は「Nanba」が正解だったはず。

こちらは、天神橋筋と大川が交差する「天神橋」。

大阪メトロと運営母体が近しい大阪シティバスの停留所は「Tenjimbashi」表記。

「n」と「m」が混在しています。

しかし、道路標識は「Tenjinbashi」と「n」表記。

こうなってくると???という感じです。

日本語の発音をアルファベットで表現するのがローマ字ですが、私達が小学校の時に習った「訓令式(くんれいしき)」と「ヘボン式」という表記方法があります。

「訓令式」は規則に乗っ取ったもので、「ヘボン式」は英語の発音に近い表記方法。
アメリカ人宣教師、ヘボンさんが考案しました。

パスポートを「ヘボン式」で表記するのは、このためです。


「ヘボン式」では、「p」「b」「m」のようにしっかり唇を閉じる音(両唇音)の前の「ん」は「m」で表現します。

英語を習った時「n」の発音は「エンヌッ」といった感じで、唇は離したままでした。

確かに「馬場町」を唇を離したまま発音するのは難しい。

日本語では同じ「ん」で、違いを気にしていませんが、英語的な観点からみると、両唇音の前の「ん」は「m」で表現する方が、音としては正確なのでしょう。

それで「本通」は「hondori」、「馬場町」は「Bambacho」といった表現が混在することになりました。

昨年末、国としても広く浸透している「ヘボン式」を基本とする方針を決定しましたが、先の「天神橋」のように、道路標識は、訓令式が残っていることも多いようです。

難波も、道路標識は「n」でした。

この話、電車で通学している時から気になっていました。

それが、少し前に偶然付けたテレビ番組、『チコちゃんに叱られる』で解説していて、ようやくすっきりしました。

中国における漢字の数は、よく使われるもので3千5百文字、歴史的には10億とも言われているようです。

しかし、日本人が使う漢字、ひらがな、カタカナの組み合わせは無限とも言えます。
日本語の表現の多彩さが、日本人の感性を維持するのに、大きく役立っていると思っています。

しかし、音の滑らかさに関しては、英語が群を抜いていると思います。

母語において英語のシェアは世界一ではないにもかかわらず、世界規模のヒットをする楽曲はほぼ英語です。

意味を深く知らなくても、好きな楽曲が沢山あるのは、その説明にもなると思います。

今回は「エンヌッ」と「エンム」の違いに執着して書いてみました。

インバウンドが日本の経済を支えるなら「ナヌッバ」「テンジヌッバシ」でなく「ナムバ」「テンジムバシ」のほうがちょっとだけいいかなと思います。

道頓堀橋の南にある、はり重の隣にある松竹座は解体が決まってしまいました。

道頓堀通と心斎橋筋の交差点。

東側にミャクミャク様が鎮座していました。

撮影をするインバウンド客も沢山居ます。

表記も「ヘボン式」が基本となりました。

大阪のため、日本のためにどんどんお越しください。

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耐えて耐えて、食べて食べて‐2344‐

日曜日の早朝、暑くなる前に現場まで移動していると、親子連れが集まっていました。

夏休み恒例のラジオ体操でしょうか。
気が付けば8月でした。

本当に暑い日が続きますが、先週火曜日で56歳になりました。

前回は熊本地震について書いたので、誕生日のことは触れませんでした。

そこに興味はないと思いますが、発生日が誕生日なので、ずっと記憶に残ると思います。

当日の夕食は、年に1回しか作ってもらえない(下ごしらえが大変だから)大好物のエビフライ。

子ども達が巣立ち、夫婦2人になったので、小さなケーキで祝ってもらいました。

この小さなケーキの金額を聞いてびっくりしましたが、確かに美味しかったです。

土曜日は初期相談が2件ありましたが、休日はスタッフが居ないので、妻にサポートしてもらいました。

それらが終わったあと、慰労のつもりで日の高いうちにアトリエを出ました。

歩いて3分程のSSK本社の近くにある「鶏屋 國型製作所」。

いつも賑わっていたので、のぞいてみたいと思っていました。

18時台に行ったので何とか席を確保できましたが、予約無しのほうが珍しいという感じでした。

古民家を改修した店内は、和の雰囲気です。

かなり混むのと、焼き物は時間が掛かるので、何かスピードメニューを頼んで欲しいと。

うずら卵の醤油漬けを頼みました。ニンニクが効いて、酒の肴にはばっちりです。

胸肉のシーザーサラダもすぐに出てきました。

焼き物は「こころ」から。

備長炭の香りと、粗塩が食欲をそそります。

さっと飲んで、さっと食べて、1時間半くらいで引き上げてきました。
夫婦で8千円くらい。

焼鳥としてはやや高めですが、丁度金額くらいのお味だと思います。

オーダー催促型の接客は、ちょっと勿体ない気がしました。
美味しければ急かされなくてもオーダーするものですから。

つい最近、土用の丑の日も終わったばかり。
正直食べ物の話ばかりです。

大阪城の南に広がる広大な平地には、秀吉が集めたお寺が沢山あります。

門の脇には、掲示板がある所が多く、元気が出たり、耳が痛かったり。

貪るのはNGです。
ただ、この暑さに打ち勝つには、しっかり食べるのは絶対条件かもしれません。

50代も真ん中を越え、還暦が近づいてきました。
30代の頃に比べると、随分怒らなく、少しは嘆かなくなったと思います。

それは当たりまえかもしれません、その倍をもうすぐ生きたことになるのですから。

ただ、娑婆で生きる私たちが、仏になれることはありません。

娑婆の語源は、サンスクリット語のサハーから来ており、漢字に意味はないよう。
意味としては「忍土」、耐え忍ぶ世界の方が合っているそうです。

娑婆=耐え忍ぶ世界

言い得て妙とはこのこと。

56歳も力強く娑婆を生き抜くために、耐えて耐えて、食べて食べて、でいきたいと思います。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』で「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログに「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』に「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

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アトリエmのゲンバ日記

ファンになるのは一瞬、心が離れるのも一瞬‐2327‐

昨日、「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」の【Works 】<Public>をUPしました。

開業2周年を迎えるまでに、検査体験と、インタビューを撮りに行きたいと思っています。

猶予はあと3ヵ月ですが。

大阪城ホールあたりを走っていると、ライブの機材を積んでいるトラックを見かけます。

先月のことですが、写真を撮っている人が居たので近づいてみると。

「B’z」のツアートラックでした。

「ガチャ販売」という表示の後ろには、人が並び始めています。

少し先には「タンブラー販売」の表示もありましたが、こちらにも列ができていました。

時刻は朝の6時を少し回ったところ。

売れ続けるとはどういうことかが、よく分かります。

2018年、蔵王からの帰り道でかなり怖い体験をしてから、すぐにドライブレコーダーを付けました。

車の中という過酷な環境だからか、最近誤作動が多くなってきました。

当時も、物は自分で購入し、取り付け店に持ち込んだので、新たな機種を購入し、その店の問合せフォームから見積りを依頼しました。

1週間経っても連絡がないので電話すると、「連絡が届いていません」と。

自動返信で「お問合せ受付完了」と連絡が来ている旨を伝えると「何か手違いがあったのか、届いていないですね」と言うのです。

改めて要件を伝えると、見積りが上がってきました。

金額は妥当な感じでしたが、取り付けできるのは2カ月先とのこと。

何とも腑に落ちないので、いつも車のメンテナンスをお願いしている「サイトウ自動車サービス」の社長に相談してみました。

「ああ、いけますよ」と。

JUNKY’Sというバスプロショップ、新車・中古車販売、アウトドアブランドも立ち上げている面白い会社です。

バスフィッシングの縁で面識ができたのです。

古いボートを売ってもらったりと、色々とお世話になっています。

場所が八尾なので、引越ししてからはちょっと遠くなりましたが、困った時は頼りになります。

実は先述の取り付け店、2018年の時はとびきり感じの良い若社長が対応してくれました。

お世辞でしょうが「僕も頑張って働いて、こんな車に乗りたいです」と、愛車を褒めてくれたのです。

今回対応してくれたのが同じ人だとしたら「8年でここまで人は変わるのか」という印象です。

当時はそこまでドライブレコーダーが普及しておらず、現在は全く違う状況になっています。
それもあって、2カ月待ちなのでしょう。

問合せの際、フォームのコメント欄に「前回、凄く良い対応をしてもらったので」と書いた、私の気持ちは、完全に踏みにじられた気分です。

ファンになるのは一瞬、心が離れるのも一瞬なのです。

ジワジワと「B’z」のファンになったという人も居るかもしれませんが、少数派でしょう。
何十年にも渡って活躍する「B’z」のツアートラックを見てそんなことを考えていました。

「B’z」のWebサイトを見に行くと、今回のツアートラックのミニチュアまで販売していました。
ガチャ販売と言い、タンブラー販売と言い、商魂逞しいものです。

「謙虚でいる」「生き残るとはこういうこと」

2つを肝に銘じたいと思うのです。

■■■5月8日『ミラタップ』のカタログに「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■■

■■10月1日『建築人 10月号』に「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■■

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