カテゴリー別アーカイブ: 08 友人・知人

ジューン・ブライド 祝辞 ‐1490‐

 昨日、当社のスタッフが結婚しました。

 2009年の3月に面接をした日から9年と3ヵ月。

 本当に色々なことがあったと思いますが、よくここまで頑張ってくれました。

 素晴らしくない結婚式など1つもありませんが、本当に素晴らしい式でした。

 新婦側で参列させて貰ったのは、親戚以外では初めてかもしれません。

 新郎側と、新婦側でこうも景色が違うものかと驚いたというのが正直なところです。

 男同士は少なからず「ライバル」という視点があると思います。そういったものがなく、ただただ暖かいのです。

 私は主賓のスピーチがあったのですが、2013年の後輩の式以来です。

 この時も、祝辞は3分から5分がいいと言われましたが、自分の伝えたい話をして8分程掛かりました。

 一緒に出席した弟が「飽きはしなかった」と言っていまいしたが、おそらくその言葉のままだと思います。

 もっと彼の良さを上手く伝える言葉があったのではと、悔いが残っていたのも事実です。

 今回も7分位を目指しましたが、妻によると8分50秒掛かったそうです。

 しかし、感想を貰った人の全てから「良かった」「感動した」と言って貰えました。

 スピーチの途中で、一番前にいる妻が泣いているのが目に入り、私も泣いてしまいそうになりましたが、何とか持ちこたえたのですが。

 スタッフの友人と会うことなど滅多にないので、それも新鮮でした。

 本人の頑張りが一番ですが、実際は多くの友人たちが支えてくれていたことを、彼女たちのスピーチからひしひしと感じます。

 「何だ、お礼を言って回らなければならないのは、私の方じゃないか」と実感したのです。

 新婦側だけになりましたが、各テーブルにお酒を注いで回ったのです。

 高校時代の友人達が席にみえて、「内緒でAKB48の『恋するフォーチュンクッキー』を踊るんです。所長さんには是非一緒に踊ってもらいたいんです!」と。

 「ごめん、AKB48の名前くらいは知ってるけど、観たことがないんだ」と言うと、「大丈夫、大丈夫、前で映像も流れますから」と。

 実際何とかなるものです。

 忙しい仕事を続けながら、精一杯の準備をしてきたのが、進行、料理、デザート、引き出物とよく伝わってきました。

 私が涙してしまったのは、お色直しの退席の時。御祖父母の3人と手を取って中座した場面です。

 久し振りに、ドラえもんの「おばあちゃんの思い出」という短編映画を思い出していました。

 親族代表の挨拶、新郎の挨拶で宴も結び。

 命は紡がれ、人は多くの人に支えられて私たちは生かされています。

 それが実感できるのが結婚式なのでしょう。

 幸せや笑顔を見て、むしゃくしゃするという人は居ません。また、「過ぎる」という事もありません。

 周りに伝播するほど幸せに、周りを照らす程、明るい家庭を築いて欲しいと思います。

 実際、私たち夫婦もとても幸せな気分で帰路につきました。

 今日、皆忙しそうにしているので、私が備品を買いにいくと、ドラッグストアでスクラッチカードが出てきました。

 コインでこすると「当たり」の文字が。

 若い女の子の店員さんが「わ~、私初めて見ました。ホントに当たりって入ってるんですねッ」と。

 店を出て行く時も、隣にいる同僚に「さっき初めて当たりを見たんですよ!」と話かけています。

 思わず笑ってしまいました。

 でも、それはそうでしょうとも思います。

 ムスッと不機嫌そうにお金を払っているおばちゃんと、ニコッとお金を払っている人の、どちらに神様が当たりカードをしのばせてくれるのか。

 考えるまでもありません。

 いやもしかすると、これも幸せのおすそ分けなのかも。

【祝辞】

 いつかこんな日がくるのかなと思っていたのですが、実際にこの場に立たせて貰うと、本当に感慨深いものがあります。

 さちかさんが、当社に来てくれたのは2009年3月でした。

 あれから9年間。真摯に仕事に打ち込み、成長し、今では当社になくてはならない存在となってくれました。

 私どもの仕事は建築設計ですが、大きな夢を持ったクラアントの皆様からオファーを頂き、それを何とか形にし、感激して引き取って貰うというのが目的です。

 遣り甲斐も大変大きいものがありますが、非常にプレッシャーも掛かる仕事です。

 多くの若者が、その重圧に2ヵ月、1ヵ月が持たないなか、なぜさちかさんだけがここまで頑張ってこられらのか。ターニングポイントであろう場面を少しお話しさせて頂こうと思います。

 入社から2年程経った2010年の冬、「Shabby House」という住宅が完成しました。Shabbyとは「着古した古着のような心地よさ」というような意味です。

 クライアントご夫妻は完成したお家を大変喜んで下さり、お礼の席を設けたいということで、さちかさんと私を「Shabby House」に招いて下さいました。

 手料理を振る舞って頂き、美味しいお酒を準備して頂き、本当に幸せな時間だったのですが、その席で奥様が「完璧、もう完璧だったわ」と言って下さいました。

 大きな夢があるからと言って、予算はいくらでも良いと言う方はおられませんので、ありとあらゆる手段を使って、金額を合わせに行きます。

 こちらのお家では、食器棚や本棚を量販店の既製品を組み合わせ、壁に埋め込むことで、職人がつくった家具とそん色ないものにしようという試みをしていました。

 それには、入念なリサーチ、設計図面への落とし込み、現場との調整と、オリジナルの家具を設計するよりも、余程手間のかかる仕事です。

 ともすれば、日の当たり難いこのような仕事をさちかさんは、丁寧に、労を惜しまず取り組んでくれるのです。それをこちらの奥様はよく見て下さっており、先の言葉になったのだと思います。

 彼女はその場で、うれし泣きで大粒の涙を流していました。

 多くの若者が、この場面を経験できず仕事が続けられません。彼女はそれを自身の努力でつかみ取り、決して安くはないお代を頂いているクライアントから、本気の感謝、本気の感激のことばを掛けて頂いたのです。

 おそらく、プロとしてやっていけるという自信ができた瞬間だったと思います。

 よく気が付く、聡明、礼儀正しい、字が綺麗と、およそ欠点など無いさちかさんですが、唯一の問題があるとすれば、仕事をするしか能のない私のもとで、働いていることだと思います。

 しかし、彼女は懸命に仕事に打ちこむことによって、全てが変わったと言ってくれます。

 考え方、行動、言動、全てが前向き、ポジティブなものになったと言ってくれます。

 そして、○○さんと出会われたのです。

 パナソニックの創業者、松下幸之助さんは

 「全てのことは、必要、必然、そしてベストのタイミングで起る」

 と言われたと思います。2人は、必要、必然、そしてベストのタイミング出合われたのです。

 実は結婚のお話を聞いたとき、大変嬉しかったのですが、身勝手にも、「相手の方は、私たちの仕事に理解を示してくださるだろうか」と思ってしまいました。

 しかしそれも全くの杞憂に終わりました。

 この春、私どもが設計した保育園が完成し、お披露目の会が開かれました。その場で彼女は少し測定をしなければならない仕事があったのですが、○○さんも一緒に参加してくれました。

 ○○さんは、メジャーの一端を持ってくれ、こうもったほうが分かりやすい?このほうがいい?などと聞きながら、献身的にサポートしてくれたと、翌日のミーティングで聞きました。

 普通なら、休日に彼女、奥さんが仕事だと言ったら、「そこまでしなくてもいいんじゃない」と言われても不思議のないところです。

 一度3人で食事に行ったのですが、その席でも、互いを想い合い、リスペクトし合っていることがよく伝わってきました。

 もとより2人の幸せに疑いなどありません。

 喜びは分かち合えば2倍に、苦しみは分かち合えば半分になります。

 これこそが結婚する本当の意味だろうと思っています。どうぞ際限ない幸せを実現して欲しいと思います。

 最後に。

 社員というには近すぎる、かといって家族ではない。

 そういった存在にまで成長してくれたこと、そういったスタッフを持たせて貰ったことを心から誇りに思います。と伝えようと思っていました。

 ところが、メッセージカードに、「仕事上の父」と書いてくれていました。

 もちろん、本当にお父様の愛情には及ぶべくもありませんが、私なりに精一杯2人をサポート、応援させて頂きたいと思います。

 そのお名前の通り、幸せが香るようなご家庭を築いて頂きたいと思います。

 長くなってしまいましたが、これをもって私からのお祝いの言葉とさせて頂きます。

 本日はご結婚誠におめでとうございます。どうぞ、末永くお幸せに。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

【News】
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記<</a

ともよ‐1455‐

 福井県が大雪となっているようです。

 スキージャム勝山だったり、今庄365だったり、福井には結構スキー場があります。

 雪が降らなければ話にならないし、降りすぎては国道が麻痺。連休の書きいれ時を前に、気をもむところでしょう。

 前に一度、友人論を書いたことがあります。

・友達は、別に帰る場所がある。

・家族ではないので責任は負わない。

・双方向の関係である。

 この時は、私にとって初めての友人のことを書きました。

 月曜日、スキーのことを書きながら、ある友人のことを考えていました。

 2、3歳の頃からスキーをしていたので、自分よりスキーが上手だと思う子供と会ったことがありませんでした。

 70年代の大阪の下町。スキーをしたことがない子供が大多数で、当たり前と言えば当たり前です。

 雪国へ行けばいくらでもいるのですが、そこは別ものと勝手に区分けしていました。子供のことなのでひとまずご容赦下さい。

 小学6年生の時、ある公立中学の修学旅行に同行させて貰うことになりました。

 当時、大阪の公立中学は、スキー修学旅行が多かったのです。

 父が「どうせスキーをするのなら、しっかりした人から教えて貰った方がいい」と思ったのだと思います。

 道具を買っていたスキーショップの専務に相談すると、ある中学校の体育の先生に話が行ったようです。

 全く縁のない中学の修学旅行に参加するという、不思議なことになりました。

 アルペンスキーをしている人でも、先生は結構多いのです。

 それで、SAJ(全日本スキー連盟)の検定試験(バッジテスト)の指導員も多くおられ、修学旅行自体がそのバッジテストの練習を含んでいました。

 それに参加してみたらという話になったのでしょう。私と弟、近所の友人兄弟の4人での参加でしたが、言ってみればスキー武者修行です。

 引率する先生のお子さんも数名参加していて、その中に5年生の男の子がいました。

 ちょっと勝気で長身の彼は、そのバッジテストで確か2級に合格しました。

 私は3級を取得したのですが、その違いはショートターンのあるなしだったと思います。

 自分ではショートターンも出来ると思っていたのですが、2級以上を受けさせて貰えず、明らかな差がでました。

 年下の長身君の方が上手いと認識せざるをえなかったのです。

 大学に入り、2回生からアルペンスキーをはじめたのですが、その5月だったかに、この長身君と再会しました。

 彼もある大学のスキー部に入部していたのです。

 小学生以来でしたが、顔を見ればお互いすぐに思い出しました。同じような年代なので、国体予選でも一緒になります。

 彼が大学3回、私が4回の時、彼は大阪予選を勝ち抜き、国体へ行きました。この時も完敗だったのです。

 時々顔を会わすと「先輩、先輩」と本当に人なつっこい、可愛げのある男だったのです。

 大学をでて、彼は警察官になりました。

 私が精神的にまいっている頃、誰に聞いたのか、事務所を訪ねてきました。

 彼も仕事をはじめ、肉体的にも、精神的にも大変なようでしたが、昔話をし、私を励まして帰って行ったのです。それが最後の機会になったのです。

 15年程前、彼が急逝したという連絡がありました。死因はよく分からず、突然死と聞きました。

 私は3年弱の鬱からようやく抜け出し、さあ第2期アトリエmのスタートだと燃えていた時期です。会う機会が多かった訳ではありませんが、同志のような後輩でした。

 今度は、先輩として私が彼の話を聞いてあげなければならなかったのに……

 「双方向」というのは一方的でないということです。

 与え与えられ、それが互いに好ましく、持続するということは、簡単なことではありません。

 人は2度死ぬといいます。
 
 体が滅びる時と、人の記憶から消える時です。

 向かいに住んでいた彼も、長身の彼も、いまこの世にはいませんが、私の心の中では生き続けています。

 もし自分が反対の立場なら、誰かの心の中で生き続けるのだろうか……

 そんなことを考えるのは、精一杯生きて、命絶えてからにしようと思います。

 昨年、ようやく彼のお墓の場所を人づてに聞きました。

 ともよ、今年は墓参りに行くから。

白血病の治療について分かることがあれば‐1343‐

 今回は、ゲツモクではありませんが、少しでも友人の役に立てないかと思い書いてみます。

 昨年末、中高の同窓会で会った友人から、同期のFacebookグループに投稿がありました。

 年末の同窓会は本当に沢山の仲間に会えて楽しかったです。早くも4年後も楽しみにしています、○○先生を必ずお連れしたいと思います。

 私ごとで申し訳ないですが、妻の白血病が3日前に再発しました。
○○医大の血液内科に、発病した14年前からお世話になっています。

 これまで、2回の骨髄移植と強い抗ガン剤を繰り返し治療してきましたが、今回の再発後は主治医からは、もう完治させる明確な治療法は
無いと言われています。

 私もこの間、白血病については相当勉強して過去の症例や最新の治療法、クスリの情報からも、主治医の話は間違っていないのが現実です。

 体力が大幅に低下していますので、強い治療が出来ない状態です。

 今の日本の西洋医学の限界かもしれません。昨晩、同級生の○○くんから、医者の話だけが100%ではないと、決して諦めるなと励ましを受けました。

 もし、皆様で西洋医学、東洋医学、民間療法、食事療法にて、白血病の克服または、長期に渡る延命に関する情報がございましたら、教えて頂きたいと思います。

 確かに完治は難しいかもしれませんが、娘が今、高校二年生です。せめて、卒業まで、または成人式、社会人になるまでは、本人も見届けたいとの思いが強いです。

 皆様、お忙しい中で申し訳ないですが、直接的な治療法の情報または、この先生や医療機関に聞けばなどの情報がありましたらご協力のほど、お願いいたします。

 現在高校2年生の娘さんは小学6年生の時、一度会っています。

 建築家という仕事に興味を持ち、お父さんと一緒に当社に遊びに来てくれたのです。

 真っすぐに私を見て、質問してくれた姿を覚えています。卒業、成人式、社会人という文字をみて、いても立ってもいられなくなりました。

 私にそれらの知識はないので、完全に他力本願です。しかし、彼の純粋な言葉や思いは、他力の風を集めるのではと思い、ここに上げる許可をもらいました。

 来週末までが大きな山場になるという返信もありました。

 もし、何か情報がある方がおられたら、是非教えて頂きたいです。私が責任を持って彼に伝えます。

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人気者が人気者である理由‐1339‐

 新年あけましておめでとうございます。

 今年の3が日は、よい天気が続きそうです。

 昨年末の12月30日、中学・高校の同窓会を開催しました。

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 会場は大阪マルビルの第一ホテル。

 母校は中高一貫教育だったので、6クラス270名のほぼ全員が、6年間を一緒に過ごしました。

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 今回が第4回目で、59名の同級生と、5名の先生が参加。

 64名の会になりました。

 弁護士、テレビ局のプロデューサー、映画監督、注目ベンチャーの経営者、大学教授、監査法人、参加者の2割が医師という、本当に多種多様な職業についています。

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 2004年の第1回から、私が世話役の代表をしており、その関係で会の進行も兼ねています。

 正式な同窓会を開催しようとなったとき、妙な男気をだしてしまったのが始まりでした。

 しかし、やる以上はグループ等に関係なく、皆が来やすい、皆が楽しい会にしたいと思っていました。

 まず日程まで分かりやすくするため、毎回、オリンピックイヤーの12月30日の開催と決めたのです。

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 教鞭をとる現役の先生は、ついに1人になってしまいました。

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 あの怖かった、体育の先生も60歳を越えてこの笑顔。

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 今回は、来年米寿を迎える、国語の先生が初めて参加してくれました。

 こちらの先生、私の中1、中2の担任の先生です。

 これまでも、招待状は出していたのですが、今回は体調が良ければ参加すると返事を頂いていました。

 そして世話役の同級生が車で迎えに上がり、来場してくれたのです。

 来られた際、「世話役をしています守谷です。覚えて頂いていますか」とご挨拶しました。

 すると、「覚えてるわよ~、あんた喧嘩ばっかりして、悪かったものね~」と、満面の笑みで返して下さいました。

 この時ほど、喧嘩をして良かったと思ったことはありません。冗談ですが。

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 会の趣旨に添うよう、先生も含めて参加者全員に1~3分の近況報告をしてもらいます。

 毎回、3~4時間、ただこれをするだけの会なのですが、かなり盛り上がるのです。

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 全員がいつも舞台を注目している訳ではありませんが、先生をはじめ、要所要所を、当時の人気者達が盛り上げてくれます。

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 こちらの先生は、私が高1の時の担任です。

 ある理由で、修学旅行の途中から、個室監禁の罰を受けることになった私。

 帰りの電車で途中下車して、ある同級生の自宅に、一緒に謝りに行ってくれました。

 こういうことを、恩師と呼ぶ理由にして良いのか分かりませんが、本当に感謝しています。

 今回の近況報告で一番盛り上がったのは、こちらの先生による思い出話。かなりのレベルまで踏み込んだもので、大爆笑でした。

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 当時の人気者と書きましたが、私は人気者ではありませんでした。

 彼らは部活の主将だったり、腕っぷしに一目置かれていたりと、いつも人の輪の中心にいる同級生達です。

 彼に至っては、270名全員の卒業文集に目を通し、ネタを準備してきてくれました。大爆笑をかっさらって行きました。

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 しかしこの歳になり、その理由が、スポーツが出来るからとか、主将だからとかいうものではないことがよく分かります。

 サービス精神と行動力が溢れているのです。

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 それを昔の仲間は皆知っており、困ると彼らを頼ります。

 そして、必ず解決してくれるのです。

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 最後は胴上げされる先生まであらわれ、お開きになりました。

 谷沢永一の言葉を借りてみます。

 可愛気の次に人から好まれる素質、それは、律気、である。秀吉は可愛気、家康は律気、それを以て天下の人心を収攬した。律気なら努めて達し得るであろう。律気を磨きあげれば殆ど可愛気に近づくのである。

 学生時代、あいつらの周りには、いつも人が居て羨ましいなと、思っていました。

 そうでなかった理由は、可愛気も律義もなく、自分のほうばかり見ていたからだとよく分かります。そして、可愛気の最高品質を、結構見て来たので、私は律義を目指します。

 この会の後ほど、清々しい気持ちになることはありません。4次会まで行き、朝4時まで飲んでいました。

 この日はしゃべり続けて12時間。おつりが出るくらい楽しみました。

 次回は2020年東京オリンピックの年です。

 皆の前で、胸を張って近況報告ができるよう、まずは今年、そしてあと4年を頑張るのみです。

 今年も全力で行きますので、この日記ともども宜しくお願い致します。

脱稿、そして現在・過去・未来‐1311‐

 昨年12月に執筆依頼をもらい、先週末ようやく脱稿しました。

 B5サイズ200ページで約4万文字。写真や、図面があるので、文字数としては少なめなのだと思います。

 「一般の人と、建築家が近くなる本」が、出版社のリクエストでした。

 まずは、自分の人生と、大阪の下町のことから書き始めたのですが、妻が「あなたの人生に興味がある人がいるの」と。

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 居るか居ないのか分からないけど、そこから書き始めるしかないだろうとスタートしたのです。

 一番時間がかかったのが、図面、写真の整理でしたが、今回使わなかった写真を少し上げてみます。

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 昭和45年頃、家の前は砂利道で、前の空き地は土でした。

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 舗装されたのが昭和50年くらいでしょうか。

 現在もこれからも、街は変化していきます。しかし、流通の進歩から、加速度を増した時代に幼少期を過ごしたのだと肌で感じます。

 書籍は、家創りのストーリーを紹介して行きますが、それとは別に、独立の流れから、初期の3作品についても触れている項があります。

07羽衣の家 1997年

09白馬の山小屋 1998年

08Spoon Cafe 1998年

 これらの3作品は、大学時代にスキー部にいたからこそオファーがあった仕事です。

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 その先輩方から、大泉緑地でのバーベキューに誘って貰いました。

 四半世紀前から、変わらぬ関係とが続いていることに、感謝と驚きに近いものも感じます。

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 まさか、高校の先生とは思えないサングラス姿で、6つ上の先輩が登場。

 ご近所なのでと急遽の参戦です。大阪でスキーをしていたなら、この兄妹を知らない人はモグリと断定できます。

 兄妹のお父さんが私の2番目のクライアトでした。

 数年前に亡くなられた時も、最後の最後まで、水の良い、白馬の山小屋で暮らすことを望んだそうです。

 そして現在は、長男であるお兄さんが、形見でもある白馬の山小屋に愛情を注いてくれているのです。

 書籍の中では、工事費と設計料が滅茶苦茶に安かったこと、更に、白馬までの交通費を下さいなど、怖くて言えなかった、という恨み節まで書いています。

 しかし、お父さんも笑って許してくれるだろうと思っています(勝手にですが)。

 お兄さんが「屋根とか壁とか、車を洗うみたいな感じで、洗剤で洗っているんだけど、いいやんな」と。

 家をカーシャンプーで洗うなど、聞いたことがありませんが「もちろん大丈夫です」と答えました。

 雨漏りやシロアリなどの問題も起こりますが、それでも築50年、リノベーション後18年の山小屋は愛されているのです。

 まだ思い出に浸る歳ではまだありませんが、これまでの人生を見返す時間があったことは、とてもラッキーでした。

 現在は、過去の影でしかありません。そして、未来は、今、この瞬間の積み重ねです。

 年末の出版を目指していましたが、脱稿が遅れたので、1ヵ月程伸びてしまいそう。

 また発売日が決まったら、ここで告知させて貰います。

男の仕事場 ‐1267‐ 

 昨日は、天六の住まい情報センターでのセミナーでした。

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 申込は60数名まで増え、最終的な参加は40名。

 一人一人が、それぞれの人生という時間を割いて来てくれるのですから、人数など関係ありません。

 それでも気になるのが、嫌なのですが。

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 今回でセミナーは15回目になりました。

 少しは落ち着いて出来たでしょうか。

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 前回あたりから、資料を作成するようにしました。

 今回はプロラボに出し、8ページの冊子に。概ね好評だったと思います。本当の評価は参加者の心の中にしかありませんが。

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 2時間の長丁場だったので、途中に休憩を挟みました。

 個別相談も2組あり、その人達には楽しかったと言って貰いました。昨日は、ここが私の仕事場。人前に出る以上、いつも本気です。

 4月中旬ですが、京都へ敷地調査に行っていました。

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 堀川沿い、二条城の東門は修復工事中。

紫竹の家切妻と中庭の家の現場へは向かっていた時の事を思い出します。

 これまでに、京都では6軒ほど仕事をしました。

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 おそらく新築になると思いますが、敷地に建つのは築100年の住宅。

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 間口2間半のこの家に、10人が暮らしていたそうです。

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 人はどんな条件でも、本当に逞しく暮らしています。

 この日は、ハワイから戻り、先週、大阪を離れた後輩も、何故か一緒に。

 「男の仕事場の写真を送ります」とメールが届きました。

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 自分が働いている風景を見ることはあまりありません。

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 仕事も写真も好きですが、自分が好きかは微妙です。

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 この後、飲みに行ったのですが、撮ってくれたのは右の彼。

 ハワイ土産のアロハまで貰いました。

 彼は「加齢してないですね」とか「刺激を受けました」と言ってくれます。だから可愛い後輩と言う訳ではないですが、やはり可愛い後輩です。

 また「本気のプレゼンテーションを見れて良かったです」とも言ってくれました。

 確かに、知り合いが本気で仕事をする場面を、あまり見たことはありません。

 私は、プレゼンテーションという言葉が苦手でした。そこに、「見せ方」というニュアンスが多分に含まれていると感じるからです。

 大学の先生は「プレゼント、という考え方でいいんじゃないか」と教えてくれました。

 見せ方というよりは、心を尽くしの包装といった感じでしょうか。

 日々のプレゼントはクライアントに、また話す相手に届いているのか。

 男の仕事場。何とも好ましい響きです。

好ましい‐1230‐

 今年も残すところ2週間になりました。

 冬が遅くなったとはいえ、奈良の山深くでは、雪もちらつきます。

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 池原ダムのある下北山村は常緑樹が多く、六甲山系などとは趣を異にします。

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 西宮にある甲山。山全体が色づいているようです。

 本当に美しい形だと思っていたら、古代では信仰の対象だったとありました。

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 山中では、サルも冬支度に、水際まで下りてきます。木の実を食べているのか、木の根を掘っているのか。

 掘った土や小石を湖に捨てるので、釣り人には結構迷惑。こちらは遊ぶ身ですが。
 
 2011年11月、ニューヨークに行っていました。

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 その時に、世話になった中高の友人は、 映画監督、またカメラマンでもあります。

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 ニューヨークからライトの落水荘まで、車で8時間。レンタカーで一緒に行きました。

 その後、子供もできたと、奥さんのfacebookで知りました。

 また、彼がカメラマンを務めたドキュメンタリーが、NHKで放送されることも、一昨日、彼がタグ付け?されたfacebookで知りました。

 生活はニューヨークなので、日本のことには頓着していないのか。

 一報くらいくれればいいのにと思うのですが。

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 自己顕示欲が少なく、極めてマイペース。

 中学2年生以来、一緒に遊びに行った記憶などないのに、40歳を過ぎてから、一日居ても全く気疲れしません。

 友人、またはパートナーは似た者を選ぶのか、自分に無いものを求めるのか、と言う論議があります。

 私は「好ましい」人を選ぶのだと思っています。好き、嫌いとはちょっと違う感情だと思っているのです。

 それらは、立場、状況、気分によっても変わります。友人として好ましいが、パートナーとして好ましいかは全く別ものです。

 彼は、なかなか自由な人生を歩んでいますが、ベースにある育ちの良さ、創造欲を感じます。

 会話も知的好奇心をくすぐるのです。お父さんは確か大学教授だったはず。

 大阪の下町から、世界に発信してやるぞと意気込んでいる私とは、全く違う空気感を持っているのです。

 完成後DVDも貰いましたが、高校野球という、日本独特の文化に焦点をあてた作品です。内容には触れませんが、良ければご覧下さい。

12月29日(火)午後10時00分~午後10時50分 [BS1] 
1月3日(日)午後5時00分〜 [BS1] 再放送
 
 こうして宣伝したくなるのは、私にとって好ましい人だからなのでしょう。 

イノベーションとリノベーション‐1209‐

■10月10日(土) 3:30pm~6:00pm 京都BAL 地下2階
丸善<京都本店>にて
「無料相談会」に参加■

 昨日のワールドビジネスサテライトでも特集された、セブンドリーマーズ・ラボラトリーズの新事業。

 Yahoo!ニュースにも取り上げられた、全自動の洗濯物折り畳み機でした。

 「人類の夢」とういうタイトルも踊っていました。

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 今年4月にグランドオープンしたセブンドリーマーズの梅田ラボ。当社が設計しました。

 同級生である、社長の阪根から声が掛り、初店舗となる、芝公園ラボ銀座ギャラリーの打合せに行ったのが2013年の秋。

 現在のロゴがまだ決まる前でした。

 まさにそのブランド誕生する前だったのですが、その場で阪根は「今はまだ言えないが、世界があっと驚く物を発表する」と言っていました。

 7Dのキーワードはイノベーション(技術革新)。

 オーダーメード・カーボンシャフト無呼吸症候群デバイスに続き、まさに世の中をあっと言わせたのです。

 パナソニック、大和ハウスという、ビッグエンタープライズを両脇に従え、インタビューを受ける姿は圧巻でした。

 発明王トーマス・エジソン。多くの言葉が教訓として残っています。

 「天才とは1%の才能と、99%の努力による」

 「毎日18時間私は働く。これだけ働いたら、人の倍成功しても当たり前だろう」

 「成功するために一番確実な方法は、必ずもう一度だけ試してみることだ」

 主体性をもち、自分で突破する。リーダーが最も好む言葉です。勿論私も含めてですが。

 しかし、これまでのセブンドリーマーズの発展をみて、この言葉が最も欠かないと感じます。

 「すばらしい発明だからといっても、自然に広まってはくれない」

 エジゾンは、白熱球、電話、映画など多くの発明もしくは、劇的な改善をしました。同時に、GEというメーカーの創設者でもあります。

 どれほど良いものを作っても、それを製品化し、買って貰い、手元に届かなければ、エジソンの名が、これほど世に残ることはなかったでしょう。

 セブンドリーマーズの阪根は、アメリカで博士号を取っている通り、経営者であると同時に優秀な研究者でもあります。

 しかし、学生時代「俺はプロデューサータイプ」と言っていた通り、この部分の能力が突出している感じがします。

 建築においても、イノベーションによって、建物の形態は大きく変わりました。


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 先月訪れた、長崎の出島エリア。

 鎖国時代に、貿易が許された街です。

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 その地に建つ長崎港ターミナルは1995年、高松伸の設計です。

 技術革新がなければ、このような造形は実現できなかったはず。

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 こちらは、佐世保港近くの商店街。

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 一方で、古びた街並みに、安らぎを覚えるという事実もあります。

 建物一つに注目すればイノベーションですが、街という視点に立てば、リノベーションとも言えます。

 リノベーションとは既存のものの価値を上げることを意味します。このミクロの視野とマクロの視野があることが、建築を面白く、奥深くしするのです。

 先日、矢沢永吉がこんなことを言っていました。

  「僕達の仕事は地味な仕事。ステージで歌うという、同じことを何十回、何百回とやってきた」

 派手だけど地味な仕事。この感じ良く分かります。

 私達の仕事、建築設計は人生におけるお祭りのような仕事です。しかし、それを楽しみながらも、浮かれていたは良い仕事は出来ません。
 
 セブンドリーマーズの発展を刺激にしながらも、地道に、今手元にある図面と向き合う。それが私達の仕事です。

 ランドロイドは2016年の発売を発表しました。

 パブリックなコメントでは、女性と言うコメントはありませんでしたが、特に主婦のからは熱い期待が届くはず。

 女性の味方はいつも強いのです。

ミスター‐1200‐

 このところ、雨が続きます。

 昨日も雨予報で、予定を変更して墓参りへ帰ることにしました。

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 父の里、岡山県の児島。

 守谷家の墓は、瀬戸内海を見下ろす高台にあります。

 今回は、雨で景色のほうは今ひとつでした。

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 母の里は、香川県満濃町。

 海の神様、こんぴらさんの麓にある街です。

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 両親、弟家族も一緒で、雨なら雨で賑やか。

 祖父母も喜んでくれたはずです。

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 周りの田も、稲穂が黄色くなり始めていました。

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 ぶっかけうどんの元祖と言われる「山下」。

 まんのう町には、いわゆる有名店が沢山あります。

 前回行ったのは2006年3月でしたが、昨今のうどんブームでか、建物は新しくなりました。

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 1歳になったばかりの長男はいつも小食でした。

 9年前、ここのうどんを沢山食べたことを思い出します。

 「有名になったから味が落ちたとは言わせない」と、今回も子供達はズルズルと完食。人気店であり続けるには理由があります。

 世間を賑わし続ける東京オリンピックのエンブレム問題。

 先週のヤフーニュースで「佐野氏無関係の会社にイタ電」というものがありました。

 社名が同じ会社が東大阪にあり、無言電話、いたずら電話が掛ってきて、迷惑をしているという記事です。

 この方、私のクライアントであるOhanaのカメラマンの友人です。Ohanaのwebサイトも彼の仕事。

 先月も一緒に飲む機会があり「ウチの方が先につけた社名なのに、ほんとに困ってる」と言っていました。その社名がミスターデザイン

 初めて聞いた時、いい名前だなと思いましたし、そう彼にも伝えました。

 「見た目はジャイアン、ハートはのび太」とプロフィールにありますが、これを聞いた時は吹き出しました。まさにそんな人なのです。

 彼は、自分の仕事のコンセプトを思い至った時「これが自分のやりたかったことだったんだ」と涙が止まらなかったと言います。

 誰かの役に立つヒーロー、ミスターにはそんな気持ちが込められているのです。

 知り合いだから正しく、知らないから間違っているという話ではありません。

 法廷では疑わしきは罰せずと言いますが、仕事の世界では反対です。胸を張って即答できないことは、全てバツと見なされます。

 私もそう判断しますし、そう判断されているのは間違ありません。全ては時間と社会が判断を下すのだと思っています。

探偵のように‐1199‐

 この2週間程、ときどき左胸に鈍痛を感じていました。

 「気持ち悪いな」と思いましたが、以前も似たような事がありました。

 その時は、ウェイトトレーングのせいではないかと。急に、かつ無理をするからのようで「ロッカン神経痛?」のような診断だったと思います。

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 今回は思い当たる事が無く、空咳が続いたこともあり、検査を受けることに。

 まず京都の友人に相談すると「近いし、天王寺で開業している米田がいいんじゃない」と。

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 3月に続いてなので「どんだけ心配性やねん」とも。共に、中高の友人だからですが。

 開業5年目、「こめだ整形外科」はハルカスの西、天王寺都ホテルの地下1階にあります。

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 ちなみに、都ホテルは大阪の巨匠、村野藤吾の設計です。前近鉄百貨店も彼の作品でした。

 連絡せず、受付をして待っていたので驚いていましたが、早速診察してくれました。

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 結論は「まず間違いなく問題ないんじゃない」と。

 運動の後に痛いのではなく、動き始めに痛いというので、心臓の疑いはほぼない。

 肺の可能性はと聞くと、肺の問題なら、そんな表面部分であやふやな位置が痛い、という表現はしないとのこと。気になるなら胸部CTを撮ってもいい。

 やっぱり、前回の診断と同じく、あばら骨の間にある、小さな筋肉を傷めているんじゃないかと。

 そこまで言われて、思い当たる節がありました。2週間前、ボートを車に積む際に、無理な姿勢になったことが……

 更に「夏草にアレルギー反応がある」と言われた事も思い出しました。

 さすがはプロ、まるで探偵のようでした。

 ネガティブになっているつもりはありませんでしたが、痛みに引っ張られていたのでしょう。

 同窓会で、最も変化が大きい男として驚かれる彼。

 イメージはトランスポーターの主演、ジェイソン・ステイサムだそうです。

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 横にいた、スタッフの女性も苦笑いでしたが、独身なので許してやって下さい。

 軽口を書ける医師がいることは、本当にありがたいことです。

 経済小説のパイオニア、城山三郎が亡き妻への思いを綴ったエッセイ「そうか、君はもういないのか」でこう書いていました。

 変なアピールなど不要、焦らず、コツコツ書いて行こう。それで認めならなければ自分の力不足ということ。改めてそう言い聞かせた。

 イタリアの経済学者パレートが好んだ「静かに行くものは健やかに行く 健やかに行くものは遠くまで行く」という箴言を口ずさみながら。

 小説を書き続ける姿勢についての行です。

 先週「遠くまでいくならみんなで行け」と言う言葉を紹介しました。自身が元気でなければ、一緒に歩くことさえ出来ません。
 
 元々健康でしたが、心身とも健康に戻ったのです。