完・友達の本質‐1169‐

 前回は、友達と家族の違いを書いてみました。

 ・友達は、別に帰る場所がある。

 ・家族ではないので責任は負わない。

 更に友達との距離感を考えていると、思いあたることがありました。

 私が一番の友達だと思っていたのは、実家の斜め向かいに住んでいた同級生です。

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 私が越してきた1歳頃から8歳まで。ほぼ毎日顔を会わせました。

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 1970年代前半の大阪平野区は、田畑や空き地が沢山ありました。

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 袋小路になった家の前が遊び場。学校から帰ると、いつも誰かが居たのです。

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 斜め前の彼は、いつも青っ洟を垂らし、無類の生き物好き。のんびりした男の子で、家族以上に自然でした。

 ザリガニの卵を孵化させる為、水槽にストローを突っ込み、交互にブクブクと息を吹き込んだのが一番の思い出です。

 しかし小学3年生の春、彼は羽曳野へ引越して行きました。

 彼の父親は経営者で、会社が大きく発展。閑静な住宅街の豪邸へ越して行ったのです。

 小学3年生が一人で行くには遠く、中学、高校と多感な時期で、会う機会は徐々に減って行きます。そして社会人に。

 彼の親から、突然死したと連絡があったのが30歳の時。朝起きたら冷たくなっていたそうです。

 苦しんだ様子もなかったのが、せめてもの救いと聞きましたが、会いに行っておけばと、本当に後悔したのです。

 父と母は岡山、香川の出身で、大阪には親類が居ません。

 コンビニなどない時代で、醤油、味噌が足りないと、近所へ借りに行ったもの。一人だけでは生きていけなかったかもと、母が言っていました。

 1970年代、大阪の下街は活気と人に満ちていました。裕福ではないけれど、近所は大家族のようで、毎日が本当に楽しかったのです。

 あれから約40年経ちますが、私にとっての友達像は、あの時代の彼だったのではと、思い当たったのです。

 いつも近く居り、日が暮れるまで遊び、全く気を遣わないのが友達なら、ある年齢から友達を持つことは不可能になります。

 黒いトラブルで芸能界を去ってしまった、島田紳助はこんな事を言っていました。

 「人と人の関係は、メリットが無ければ成立しない。それは広い意味なので、一緒に居ると楽しいでもいいんだ」

 関係と言う以上、双方向でなければ不自然です。そう考えると、与えたいばかりで、与えて貰いたがらないのが、私の欠点なのではと思い始めました。

 勿論与えるものも、足りていないのでしょうが。
 
 彼が居なくなってから、どこか友達というものに消極的だった気がします。ある日突然(小3にとって)、与えてくれる友達が居なくなったことに関係があるかもしれません。

 更に言えば、ある年齢からは、それらを、彼女に求めていたような気もするのです。

 私の思う友達の本質に、3つ目の項を付け加えてみました。

 ・双方向の関係である。

 書くと当たり前ですが、少し自分が分った気がします。

 来週は彼の14回忌。久し振りに墓参りに行こうと思うのです。
 

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