カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

八尾空港への引込路線でもあった阪和貨物線跡 ③杉本町駅~行基大橋‐2069‐

阪和貨物線跡をめぐる旅。

初回は大和路線の加美絵駅からスタートしました。


最終回は、終点の杉本町からさかのぼってみたいと思います。

阪和線の杉本町駅は、改札が北側にあります。

東には大阪公立大学の広大な敷地がありますが、その間を、分岐した阪和貨物線は通っていました。

紅葉した木の立っているあたりです。

東西を走る、府道住吉八尾線を横切って北に向います。

そこまで廃棄物が多いところは少なかったですが、ここは結構多いエリアでした。

北東に向かって伸びた線路跡は、緩やかに東向きに進路を変えます。

東へ向きを変えるのに、大阪公立大学から結構離れているのが分かります。

杉本町で降りたのも初めてで、大学構内も少しのぞいてきました。

大阪市立大学と大阪府立大学が統合され、大阪公立大学になったのが2019年。

公立大学はやはり敷地がゆったりした印象で、私学出身者からすると羨ましい限り。

駅前の食堂は、おかわり自由。

このあたりは私学も公立も同じですが。

住宅街、工場街を縫うように東へ進みます。

南北に走るあびこ筋と交差。

徐々に大和川に近づいてきました。

長居公園東筋と交差する行基大橋。

このあたりで完全に土手に沿うようになります。

唯一私鉄と交差するのが、近鉄南大阪線。

東住吉区矢田付近で、現役線路と廃線が交差します。

近鉄南大阪線の下を、阪和貨物線がくぐるトンネルが残っていました。

ごみ焼却場が見えてきたら、前回の終点、高野大橋はもうすぐです。

15時頃に出発しましたが、すっかり夕暮れになってしまいました。

そして、昔遊んだ高野大橋脇の土手に到着。

このあたりから、再び大和川と線路跡の間に、住宅などが立ち並び始めます。

阪和貨物線の前身は、戦時中に八尾空港へ物資を運ぶ引込路線だったようです。

それで、「戦時中は地図に載っていなかった」という記述を見たことがあった気がするのですが、その裏付けはとれずじまいでした。

私はいわゆる「鉄オタ」ではありませんが、他の交通機関と違う魅力があるのは分かる気がします。

土地に密着してできるものなので、安定感があるというか、物語りが濃いというか……

話が長くなってしまったので、省きましたが、杉本町付近の線路跡が、大和川からかなり離れているのには、大和川の生立ちとも関係しています。

もしかすると「鉄オタ」となれる才能があるのかもしれません。

私としてはかなり楽しく、よく運動できたので、また廃線を歩いてみたいと思っています。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
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10月11日『homify』の特集記事
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遊び場だった阪和貨物線跡 ②出戸駅~高野大橋‐2068‐

大谷選手のドジャース行きが決定しました。

選手としてのピークを迎えていることを考えると、実際にロサンゼルスへ観戦に行くか、そうでなければ観戦できる方法を考えなければなりません。

先日のサッカー日本代表の中継問題ではありませんが、最高レベルのスポーツが無料で観れる時代は終わったようです。

さて、どこと契約するか……

大谷選手は年に100億円を得る契約で、こちらは年に1、2万円を払う契約問題ですが。

前回、阪和貨物線は大和路線の加美駅と、阪和線の杉本町を結んでいた貨物線と書きました。

2004年に閉鎖されましたが、実際には大和路線の八尾駅が起点だったようです。失礼しました。

前回に続いて、平野川あたりから更に南に下ってみます。

このあたりは住宅街の中を通り、草に覆われているところが大半です。

ただ、中には駐車場などに利用されている所もあります。

購入できるのか、賃貸なのか分かりませんが、これだけの土地なので、JR西日本も何かしら利用したいところでしょう。

長吉出戸公園は、線路跡に対して駅のような位置関係にあります。

何か付帯施設があったのかもしれません。

もう少し南の長吉出戸2丁目あたり。

踏み切り跡のレールは撤去されていますが、10年くらい前まではレールも残っていました。

線路跡は南にまっすぐ伸びていますが、地下鉄の出戸駅上で長居公園通りと交差します。

その線路跡と道路の間にある、わずかな隙間に建てられたマンション。

間口は2mちょっと。

このマンション、以前も紹介してことがありますが本当に逞しい建物です。

南北に交差する長居公園通りが、高架になっているのは阪和貨物線を越すためです。

自転車も越えられるよう、巨大な歩道橋があるのですが、現在は閉鎖されています。

ということは、この高架も現在は無用の長物になってしまいました。

高架を通過した阪和貨物線は、ここから大和川沿いまで、更に真っすぐ南へ進みます。

柵の跡だったり、電気設備を置く基礎のような物も残っていました。

進行方向右手、西側に大阪市内最大の霊園、瓜破霊園が見えてきました。

瓜破霊園の外周に沿うように、緩やかに西に向きを変えて行きます。

そして、生駒山麓から流れてくる大和川に沿うように、土手の北側を大阪湾に向って進んで行くのです。

中高野街道と大和側が交差する、高野大橋までやってきました。

西を見ると少し先に、阪神高速松原線が見えています。

この辺りは、幼少期の遊び場圏内でした。

4つくらい上に近所の悪ガキを束ねるリーダーがいました。

小学6年生から小学1年生まで、10人くらいが集まり、いつも一緒に遊んでいました。

列車の通らない時を狙って、この土手で段ボールの草ソリをしていたことを覚えています。

いま考えると、かなり恐ろしいですが。

この悪ガキリーダー、ちょっと悪いことが大好きです。

阪和貨物のレールの上に釘を置き、ぺちゃんこにして手裏剣のようなものを作っていました。

もう完全に犯罪ですが、子供のころはそういったタイプが人気者なのです。

特に評判が良い訳でも、悪い訳でもない、阪和貨物線跡をめぐる旅の2回目。

ロサンゼルスから、超大阪ローカルの話で失礼しました。

折角めぐって来たので、もう1回だけお付き合いください。

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お召し列車も通った阪和貨物線跡 ①加美駅~加美鞍作‐2067‐

朝のジョギングコースは、気分次第でコースを変えます。

平野川を通るコースもお気に入りですが、上に線路が通っていることに初めて気づきました。

単線で柵もないので、あまり存在感が無く、気づいていなかったようです。

何より、電車が通っていないのが一番の理由でしょうが。

阪和貨物線跡でした。

平野川から500m程北上してきました。

大和路線とおおさか東線が交わるあたりに、加美駅と新加美駅があります。

阪和貨物線は大和路線の加美と、阪和線の杉本町を結ぶ貨物線です。

緑の電車が通過している方が大和路線で、高架がおおさか東線。

白いビルの手前に踏み切り跡がありました。

まだ信号が残っています。

2004年頃に廃止となったようですが、私が小さい頃は結構電車が走っていました。

それから20年経つので、線路が残っているところはかなり珍しいのです。

加美駅から西に進み、緩やかに進行方向を南に変えます。

南に進むにしたがって、少しずつ高さを稼いでいきますが、このあたりはまだ2.2m。

国道25号線と交差するため、3.8mまでの高さを上げます。

それもあって、かなり廃墟感が強いのです。

ただ緑豊かで、市街地において、一服の清涼剤ともなっています。

線路横のマンションは、結構お得かもしれません。

古びた鉄橋。

くすんだコンクリートの柱脚を、愛おしく感じるのはなぜでしょう。

それ程ゴミが多くないのは、JR西日本が管理、清掃しているからかもしれません。

加美鞍作あたりまで南下してきました。

ここで国道25線を越えるのですが、橋梁部は撤去されています。

更に30m程下れば、冒頭に紹介した所に戻ります。

この辺りは、平野区の中に八尾市が切れ込んでいるエリア。

何か理由があるのだと思いますが、それはまた今度調べてみます。

見上げると枕木に何か番号が振られていました。

25号線の北あたりで、人の良さそうな女性に「この辺りが開けているのは、駅か何かあったんですか?」と聞いてみました。

「昔は賑やかやったけどねエ。駅は無かったよ。

ただ、天皇陛下さんのお召し列車が通ったこともあるのよ」

と、ちょっと誇らしげに教えてくれました。

近所なので、阪和線の存在は勿論知っていました。

いつかここで、しっかり書こうと思っていたのですが、いざ写真を撮りだすと何度も足を運んでしまいました。

今回の写真は、3日分を集めたものです。

折角なので、何回かに分けてレポートしてみたいと思います。

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阿倍野で、新旧建物探訪‐2063‐

昨日は11月22日。

「いい夫婦の日」は天王寺駅で降りて阿倍野界隈へ。

「あべのキューズモール」の向かいにある、「あべのハルカス」は長らく日本一高いビルでした。

しかし、明日2番目に高いビルに変わります。

厳密に言えば、「森JPタワー」はすでに完成しているので、もう抜かれていることになりますが。

ハルカスのすぐ南にあるのが「HOOP」。

間にある道は一方通行でかなり狭いのです。

それで、見上げるとこんな景色になるのです。

ただ、阿倍野という街との相対的な高さで言えば、やはり日本一かもしれません。

「HOOP」の西にある巴通りを南に抜けます。

レンガ色の建物は「あべのand」。

その東隣にあるビルで、ドローンの国家試験を受けてきました。

先月、民間の資格は取得できたので、実技試験は免除。

筆記試験だけの受験です。

試験だけを受託している会社で受けるのですが、ペーパーでなくパソコンでの試験でした。

不要な選択肢を鉛筆で消せないのは、ちょっとやり辛いなと思っていました。

三択50問を30分で、正解率70%が合格ラインです。

試験が終わるとすぐに結果が表示され、無事合格。

ほぼ一夜漬けでしたが、国家資格一発合格をキープできてほっとしたのです。

会場を出るとすでに夕方。

そのまま南に下ると元「村野・森建築事務所」の建物があります。

ハルカスの前に建っていた近鉄百貨店も村野東吾の作品です。


その旧事務所ですが、現在はテナントとして利用されています。

ハルカス、HOOP、andそして、旧村野・森建築事務所。

阿倍野の新旧建物探訪問でした。

見返すと夕日に照らされるハルカスが。

ハルカスの外観デザインの監修はシーザー・ペリです。

古美る(ふるびる)という概念は、日本独特のものです。

超高層ビルには合わないのは間違いありません。

ナショナリズム、地元愛も入っているかもしれませんが、私はやっぱり村野派かなと。

そんなことを思いながら、1駅南の阿倍野駅に向かったのです。

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なんばパークスに、懐かしの大阪球場を思う‐2061‐

大阪の2大繁華街はキタとミナミ。

市内南部の平野区に住むので、距離的に近いのはミナミです。

電車なら谷町線1本なので、キタへ出掛ける方が多いでしょうか。

健康診断で久しぶりにミナミに来ました。

高島屋とマルイの間が、歩行者天国になるのは11月23日。もう来週です。

村野藤吾の名作、大阪新歌舞伎が隈研吾の設計で生まれ変わったのは2017年。

御堂筋の向こうに、ホテルロイヤルクラシック大阪が見えています。

変わらないのは高島屋くらいです。

高島屋西の御堂筋を南に下ると、2018年開業のなんばスカイオが見えてきます。

健康診断後は何が食べたいか妻に聞くと象印食堂に行ってみたいと。

ヘルシーラボなる6階に到着すると、かなりの待ち客。飲食店はポツンと1店舗だけでしたが、かなり人気のよう。

早々に退散してきました。

そのまま、すぐ南のなんばパークスで店を探すことにしました。

南海ホークスのホームグラウンドだった、大阪球場の跡地に完成したのが2003年。2007年に2期工事も完成しています。

完成して20年経っていますが、なんばパークスに入ったのはまだ2回目くらいだと思います。

多くの飲食店があったので、少し待って韓国料理の昼食にありつけました。

健康診断の日は空腹MAX。3倍美味しく感じるものです。

お腹が落ち着くと、なんばパークス内から見る景色はなかなかのものでした。

店内から外を見ながらうろうろしていると、ヤマダデンキが見えてきました。

南端まで歩いて来たようです。

外に出てみると、かなり刺激的な空間です。

歩くとどんどん景色も変化して行くのです。

設計は、アメリカ人建築家のジョン・ジャーディ。

六本木ヒルズやキャナルシティ博多等も設計しています。

キャナルシティ博多は、2014年に福岡を巡った際に立ち寄りました。

見上げるとこの景色。

都会に居ながら、渓谷の底にいるような景色で、クレバス感というか、渓谷感というか滅多にない景色。彼の作品の中でも傑作と言ってよいと思います。

これほどの傑作が、こんな身近にあったとは……

実は1988年の10月、18歳の私は大阪球場のラストゲームをこの地に観に来ています。

特別南海ファンということは無かったのですが、当時主砲だった門田博光は不惑を迎えていました。

ずんぐりとした小柄な体でフルスイングを貫き、ホームラン44本を放ち、打点王との2冠王になった年です。

その門田も、今年の1月に74歳で鬼籍に入りました。

あまり足が向かなかったのは、野球少年だった頃の思い出と共に、どことなく、昔の方が良かったと思っていたかったのかもしれません。

そう言えば、強烈に傾斜のきつい大阪球場の内野スタンドから見上げた景色も、 渓谷感に近いものがありました。

そんなミナミも大きく様変わりしました。

やはりキタにはない魅力があるのは間違いありません。

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関空裏側探検と絶品空弁ツアー‐2060‐

貸し切りの観光バスに乗るのはいつ以来でしょうか。

昔は嫌いだった、独特のにおいさえ懐かしい。

健保の健康増進イベントで、ウォーキング&関空裏側探検というツアーに参加しました。

ただ、天気は生憎の小雨模様です。

まずは展望ホールから、関西国際空港を眺めます。

イタリア人建築家、レンゾ・ピアノがコンペで勝ち取ったこの建物は1994年の完成。グライダーがモチーフになっています。

銀色の屋根は若干年期が入ったでしょうか。

お昼少し前は出発のピークなのか、飛行機が列を成して順番待ちしています。

その後観光バスに戻り、 関空裏側探検がスタートしました。

専属のガイドさんが同乗の上、関空内を端から端まで案内してくれるのです。

左に見える管制塔は、関空だけでなく、伊丹空港や神戸空港へも指示を出しているそう。

また、右に見えるのは関西空港警察署。

警察署長は、赴任先に住民票を移すのが決まりで、関空島唯一の住民だそうです。

手前のタンク一基で、ジャンボジェット60機を満タンにできるそうです。

一番驚いたのはその先に見える、下水処理場。

島内の下水は全てここで浄化され、トイレなどに再利用するそうです。また、ゴミ焼却場も隣接していました。

騒音問題を解決するため、沖合5km地点に作られたのですが、そのためにはこういった問題を全て解決する必要があった訳です。

こちらは機内食を運ぶ専用車。

荷台が大きく上昇しているのが見えるでしょうか。

最後は2期空港島へ。

国際貨物のエリアはFedExの看板が見えていました。

世界最大手の物流会社ですが、そのオフィスの庇がいかしています。飛行機の翼なのです。

未舗装道路を通り、2期空港島の最南端までやってきました。

ガイドさんによると、目の前で大迫力の着陸シーンを見れる予定でしたが、寸前に風向きが変わったそうで、着陸方向が反対になりました。

残念ながら着陸後、しか見ることができませんでした。

それでも大型機は、滑走路を目一杯使って着陸します。

UAEのエミレーツ航空の貨物機がやってきました。

真近に見るジャンボジェット機はド迫力。

何故か最近、飛行機づいています。

団体限定のようですが、このツアーかなりお勧めです。

ガイドツアーの後は、楽しみにしていた「空弁」

機内食を作るシェフ監修とのこと。

博多華味鳥監修、復刻とりめし¥1,280。

炊き込みご飯ではなくスープご飯とは。全く想像外の味でした。

鳥に掛かるソースは、ローストビーフのソースに近いかもしれません。

期待をはるかに上回る、お味、ボリュームでした。

1メニューあたり5食以上・合計15食以上で頼めるようですが、こちらは更にお勧めしておきます。

健康増進が目的なので、最後は対岸にあるりんくう公園でウォーキングです。

そこそこの雨でしたが、空弁を食べたのでしっかり歩いてきました。

やはり健康であって、はじめてハードワークができるというもの。

50歳を過ぎ、積極的に自分でコントロールする必要がでてきたと思います。

何かを知る。しっかり運動する。ちょっと美味しいものを食べる。

これ以上の幸せはありません。

初めてこのようなツアーに参加しましたが、はまってしまうかもしれません。

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なんでもある街、尼崎。玉子巻140円なり‐2059‐

阪急電車園田駅です。ある計画の初期調査にやってきました。

兵庫県で最も東にある駅だそうですが、初めて下車しました。

大阪行きホームの北にあるホームは、園田競馬の開催日に使用されていたようですが現在は閉鎖されています。

駅の北側は想像以上に整備されており、人通りも盛んです。

道幅は狭いものの、駅前商店街も活気がある印象。

更に歩くと、銭湯が見えてきました。

駅前の銭湯はかなり珍しいと思います。

駅の南側も道が広く、視界が開けています。

待ち客のいるお寿司屋さんを見つけました。

年配の大将がひとりで切り盛りしているようですが、金額を見て驚きます。

玉子巻、梅しそ巻、きゅうり巻はいずれも140円。6貫入っているようです。

コンビニおにぎりより安いとは……

何とか機会を作って食べてみたいものです。

そのまま南へ歩くと藻川に当たります。

わずか4.8kmの一級河川。理由は後で書きます。

南へ歩いて、名神高速の高架を通過。

1kmほどで猪名川との合流点に着きました。

その三角州の先端は公園になっています。

東からみると、公園の先に小さな島が見えます。

豆島とありますが、なかなか不思議な光景。

東に流れる猪名川と4.8km先で分岐した藻川は、ここで再度合流するのです。

川に囲まれた「戸ノ内」では鯉は神の使いとし、殺したり食べたりしなかったとあります。

藻川には大きな鯉がかなり泳いでいたのはそのせいなのでしょう。

猪名川の上流を阪急電車が通っています。

その上を、伊丹空港にランディングする飛行機。

更に南に歩くと、神崎川との合流部には山陽新幹線。

僅かに東へ行けば、阪神高速の池田線。

阪神高速、名神高速、阪急電車、山陽新幹線、藻川、猪名川、神崎川。

そして隣街の豊中には伊丹空港と、これだけ色々なものが集まっている場所はなかなかありません。

後に見えているのは、神崎川と旧猪名川が合流する水門です。

もすりん橋公園は、大雨時には貯留施設になるとあります。

これだけ河川が集中していれば、洪水との闘いだったことは想像に難くありませんが、この公園は凄いなと思いました。

更に遊具のひとつはボルダリングです。

危険を少しでも感じる遊具は撤去されていく風潮の中、ボルダリングを採用するとは……

尼崎、攻めてるなあと感じました。

そのまま神崎川駅まで歩いたのですが、沖縄料理店が多くありました。

多くの移住者が居られるのでしょう。もう少し歩いてみたいところです。

なんとも気になる街、尼崎でした。

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変わる天王寺、西成。ただ、オールのっぺり反対派‐2057‐

近年、変わり続けてきた天王寺エリア。

2011年には「あべのキューズタウン」が開業。あべの筋を挟んだ東側の「あべのハルカス」は2014年にオープンしています。

そして43号線を挟んだ北側に広がるのが「てんしば」です。

2015年10月1日に有料だったエリアを、芝生広場を中心として無料解放しました。

それまでは、有料ゲートの前で将棋をする年配の方が多くいて、下町風情が醸し出されていました。

それが現在の景色はこうです。

店舗も立ち並び、完全におしゃれスポットです。

青々とした芝生は、実は養生中のもの。

遠く西側に通天閣が見えていますが、散水しての手いれ中でした。

実際の芝生広場はこうでした。十分気持ち良いですが。

天然芝は気持ちよいですが、こういったメンテナンスが大変です。

ただ、こういったお金の使われ方なら、多くの人は納得でしょう。とても良い変化だと思います。

これらのエリアに囲まれるように建つのがアポロビルです。

村野藤吾の設計で、竣工は1972年。

近鉄グループと関係が深かった村野は、天王寺に多くの作品を残しています。

間もなくパネル展がはじまるようです。

この界隈にも多くの名作が残りますが、 アポロビルは私が2歳の時に完成しているので、よく映画を見に行きました。

久し振りに写真を撮ってみると何だか違和感が……

その点については、最後に触れてみたいと思います。

アポロビルの前を走る43号線を西に望むと、大きく道が下っているのが分かるでしょうか。

上町台地西端にあたり、このあたりが天王寺区と西成区の境になります。

西に歩いて行くと雰囲気は一変。

まず単純に物が安くなります。ラーメン600円。

日本広しといえども、1泊1500円の宿はそうないはず。

元はドヤ街ですが、現在は海外からのバックパッカー御用達です。

ただ、インバウンドが盛り返してきたので、それ目当てのホテルも多くあります。

着物を貸してくれるのでしょうか。

それで4000円ならやっぱり安い。

このディープ大阪のど真ん中にある駅が阪堺電鉄の新今宮駅。

駅前にもかかわらず、寝転がってリラックスしている人が時々います。

それは見えていないことにしてスルーしましょう。

あいりん地区のシンボルと言えるあいりん労働福祉センターは建て替えが決まっています。

ここが建て替わればかなり印象が変わると思います。

はじめに紹介したアポロビルですが、これは2015年8月に撮った写真です。

てんしばがオープンする直前のタイミングですが、ガラスのカーテンウォールの横、袖壁に和を連想させる模様がデザインされています。

大阪が誇る巨匠、村野お得意の無国籍感が醸し出されるディティールですが、その部分がノッペリとなっていました。

安全の為にそうしたのでしょうか。何だか残念です。

あいりん労働福祉センターの北側に、星野リゾートの「OMO7大阪」もチラと見えていたのですが、何故かあまり写真を撮る気になりませんでした。

安い、汚い、危ない西成が、大きく変わることを、どこか心が拒んでいるのかもしれません。

勝手なこと言いますが、どこもかしこもおしゃれスポットになってしまうと、それこそ町がのっぺりしてしまう気もするのです。

超ディープ大阪は、なかなかに面白いですが、それなりに危険も起こり得ます。

若干緊張感をもって遊びに行って下さい。

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ススキ、夕焼け、秋の奈良‐2054‐

週末、奈良へ行く用事があったので、平城京跡へ立ち寄りました。

近鉄電車の西大寺駅を越え、すぐ北のエリアにあります。

京都の平安京と違って、平城京は広大な敷地が歴史公園として保存されています。

北端あたりに再現されているのが第一次大極殿です。

奈良では曾爾高原がススキの名所ですが、かなり遠くまだ行ったことがありません。

秋になったので行ってみたいと思っていたら、平城宮跡がススキの名所だと知り、行ってみたのです。

日没は17時15分頃で、16時頃からは晴れる予報でした。

黄金に輝くススキを期待してきたのですが、厚い雲の間から時々日が差す感じ。

16時から待つこと1時間。

一瞬パッと周囲が明るくなりました。

厚い雲と生駒山の僅かな隙間から、日が差し込んできたのです。

何とかススキ越しの第一次大極殿の撮影に成功。

太陽光の角度が低く、完璧とはいきませんでしたが。

それでもススキだけの写真は、穂が黄金に輝く、美しい写真が撮れました。

駐車場の閉門が17時でした。

ギリギリの時間に夕日が差してくれたことに感謝しながら、平城京跡歴史公園を後にしたのです。

公園の南側へ回ると、朱雀門と若草山にも夕日が差していました。

奈良は京都よりも景色が穏やかなところが好きです。

更に日が沈むと、空はより濃い橙色に。

ススキ、夕焼け、平城京跡と、駆け足で秋の奈良を満喫してきました。

奈良で黄金に輝くのススキを撮るために、数年内にまたトライしてみたいと思います。

曾爾高原へ行くべきか、平城京跡を再訪するか、悩ましいところです。


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天体望遠鏡で、星を見る‐2053‐

前回、海塚墓地まで友を訪ねたことを書きました。

この墓地の立て看板に「岩橋善兵衛の墓がある」とでています。

岩橋善兵衛は、この近くで生まれ、手先が器用だったことからレンズ磨きで生計を立てていました。

蘭学を学び、1756年に岩橋式望遠鏡を完成させます。

伊能忠敬の日本地図製作にもこの望遠鏡が用いられたそうです。

「善兵衛ランド」なるものがあると知り、行ってみました。

南海電鉄貝塚駅の東隣にあるのが水間鉄道の貝塚駅。

海沿いから東の山間部に伸びており、全長5.5km。

「善兵衛ランド」は一駅手前ですが、終点の水間観音駅まで乗ってみます。

駅から5分程歩くと、行基が奈良時代に建立した水間観音が見えてきました。

古くから厄除け観音として知られるそうです。

名前通り、水の豊富な古刹で瀧から竜が現れたと伝わります。

また、愛染堂には「お夏清十郎の墓」がありました。

身分の上下を乗り越え、恋を成就させたという言い伝えから縁結びの神様として祭られているようです。

私の年代にはちょっと縁がありませんが。

一駅分西に戻って、ようやく 「善兵衛ランド」に到着です。

善兵衛作、3m弱もある本物の望遠鏡です。

大きさ、装飾とも圧巻でした。

善兵衛さん、こんな人だったようです。

その善兵衛さんゆかりの貝塚市が「生涯学習のシンボル施設として、昼夜共に活用できる天文台として広く一般の方々に公開しています」の言葉に偽りはありませんでした。

しかも、無料なのです。

ドームが開き、巨大な天体望遠鏡が星を探す姿には感激します。

こちらは太陽を見ているところ。

太陽の縁にある炎のようなものが見てとれるでしょうか。

水素ガスが吹きあがっている光景で、その高さは地球よりもはるかに高いのです。

プロミネンスと呼ぶそうです。

金星、そして牛飼い座のアークトゥルスも見せてもらいました。

1等星のアークトゥルスは37光年離れているので、37年前の光を見ていることになります。

本格的な天体望遠鏡で星を見るのは初めてで、正直感動ものでした。

できれば子供が小さい時に連れて来たかった。

この施設、床がフローリングだったり、手摺が住宅感満載だったりと、何だか可愛いのです。

案内してくれた「先生」と呼ばれる初老の方も、サービス精神たっぷりでした。

貝塚の街もかなりあちこち歩き回りました。

いたるところに水路があり、水が豊かなのが印象的。

稲刈りが終わった田も多かったですが、街中にも適度に緑や池が残り、とても良い感じでした。

駆け足で紹介してみました。また墓参りを兼ねて、遊びに来たいと思っています。

星に願いをかけ忘れたので、善兵衛ランドも再度訪れたいのです。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

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