カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

Japan alps 上高地‐2318‐

今日は早朝に大阪を出発。

400km程走って、長野県松本市までやってきました。

アルピコ交通上高地線の新村駅です。

駅前に車を止め、上高地の玄関口にあたる新島々(しんしましま)駅でバスに乗り換えます。

何とも気になる駅名ですが。

マイカー規制があるので、登山バスを予約していました。

1時間程かけて上高地に到着。

しかし残念ながら天気は曇り。

長女は帰省していたので、一緒に行動していたのですが、長男は東京からで、現地で合流しました。

まずは家族写真をということで兄妹の撮影。
昭和の芸人というコンセプトです。

雄大な景色ですが、雲、雲、雲。

前日から大雨でしたが、水は意外にも澄んでいました。

明神池まではバスターミナルから1時間程。

これぞ上高地という景色です。

しかし、帰路は雨が降り出し、4人ともずぶ濡れ。

帰りのバスで暖をとり、ようやく一息ついたのです。

雨の上高地から、先ほど諏訪湖沿いの宿に到着しました。

明治政府が雇った英国人技師が、1877年(明治10)に槍ヶ岳に登った記録を雑誌で紹介しました。

その際に「Japan alps」という表現を使ったことが、今日の「日本アルプス」の語源となったそうです。

子供たちに「Japan alps」を堪能してもらい、絶景の家族写真を撮るつもりでしたが、残念ながらまたの機会に持ち越しです。

今回の旅は2泊3日。

続きは、木曜日にお伝えしたいと思います。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

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ほめちぎる伊勢‐2315‐

昨日は、始発の近鉄特急、賢島行きに乗りました。

三重県の盆地帯を抜ける際の風景は、何とも穏か。

アーバンライナーの2階席、北側からの風景でした。

伊勢神宮の外宮近くにある宇治山田駅に到着したのが8時前。

駅前でレンタカーの手続きを済ませ、計画地へ向かいました。

計画地は海のすぐ近くにあります。

最高のロケーションですが、青空の写真とはいきませんでした。

ただ、晴れ間の日差しは強烈で、海沿いの緑は力強さを感じます。

クライアント企業の担当者の方に案内して頂き、敷地をくまなく歩いて回りました。

十分把握してから関連行政へ事前相談に向ったのです。

まずは三重県の伊勢庁舎。

建築関連法規は、県が判断権限を持っている分野と、市が権限を持っている分野があります。

国定公園法などは国が判断権限を持っており、関係省庁は多岐に渡ります。

県で都市計画法の打ち合わせをした後は伊勢市役所に移動しました。

こちらでもみっちり打ち合わせ。終わった時は3時を回っていました。

上下水道関係の調査をするためにすぐ移動し、調査が終わったとろで、閉庁時間となりました。

伊勢庁舎の食堂に、伊勢うどんがあったのでさっと昼食にしました。

特徴は、甘辛、太麺、柔らかい。

これが唯一、「伊勢」を体感した場面でしたが、500円は有難い限りです。

宇治山田駅に戻ってくると、すでにライトアップが始まっています。

この駅舎は有形登録文化財に指定されており、NHKの『ブラタモリ』でもフォーカスされていました。

昭和6年の完成で、設計者は久野節(くの みさお)。
高島屋大阪店も彼の作品です。

一日駆けずり回って働き、帰路につく駅舎が美しいと、心が温かくなるのです。

帰りは、伊勢志摩ライナーでした。

車両が格好良いと気分も上がります。
ただ、4時起きだったので、座った瞬間に寝落ちでした。

実は2022年に、同じく伊勢市でかなり大きなプロジェクトの相談がありました。

敷地面積も過去最大なら、建物の面積、棟数も過去最大。

難易度の高い計画でしたが、各所へ事前相談に奔走した結果、「何とか要望通りに建てられそう」というところまでこぎつけました。

しかし、計画自体が先方の事情で頓挫してしまいます。

残念ではありましたが、その時の経験が、昨日もかなり活きたと思います。

移動中「ほめちぎる教習所 伊勢」という看板が見えました。

思わず笑ってしまいましたが、伊勢市役所の人も、三重県庁の人も、もしかすると私をほめちぎってくれるかもしれません。

それが叶わないなら、私がほめちぎってさしあげます。

クライアント企業の皆さんに、完成したあとにほめちぎってもらえることをイメージしながら、今はやるべきことをひとつ地道に進めていきたいと思います。

ほめちぎる伊勢

とってもいい響きなので、このプロジェクトのテーマにしていきたいと思います。

次回の伊勢行きを今から楽しみにしています。

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■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

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ディープ大阪「天下茶屋」編‐2313‐

昨日の雨に反して、今朝はカラッと晴れました。

水たまりが日を受けてキラキラと美しい朝でした。

雨の昨日ですが、敷地調査に向うため、天下茶屋で地下鉄から南海高野線に乗り換えました。

ラピートを駅でみるとやはりテンションが上がります。

地下鉄堺筋線のインバウンド比率の高さに驚きましたが、こちらのラピートはマレーシア観光をアピールするラッピング車両でした。

マレーシアの人は日本人を見て「インバウンド客の多さ」に驚いているのでしょうか。

現地へ向かう電車から「天下茶屋駅前商店街」のアーケードが見えたので、帰りに寄ってみました。

雨の昼過ぎというのもあるでしょうか、アーケードの人通りは多くもなく、少なくもなくといったところ。

ただ、お店は下町感満載です。

店名だけでは何屋さんか分かりませんが、何が好きかは誰にも伝わってきます。

アーケードを抜けると、道をはさんでもうひとつのアーケードが見えてきました。

こちらは「天下茶屋商店会」とあります。

道路を渡ると、入口の2店舗は絶賛営業中。

が、その奥は閉まっている店が大半です。

一番奥のミートショップは営業中でした。

唐揚げが300円、コロッケは80円だったかなと思います。

昼食を済ませていなければ、買い食いしていたのですが……

ウロウロしていると頬に冷たいものを感じました。

見上げると、換気機能付きアーケードでした。

雨の日に、ちょっと雨を感じるのも悪くないものです。

商店街でなく、商店会というのも何だか腑に落ちたのです。

大阪市のWebサイトにはこうあります。

天下茶屋は、秀吉の時代には最先端のカフェがあっただけでなく、カフェ文化を根付かせた街と言っても良さそうです。

時代とともに、街は振り子のように盛衰を繰り返すものですが、雅俗も含めてなのでしょうか。

西成区のど真ん中、天下茶屋でディープ大阪を満喫してきました。

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受話器をギュッと耳に押し当てる‐2303‐

昨日の3月11日で、東日本大震災から15年が経ちました。

31年前、1995年1月の阪神・淡路大震災の時は社会人1年生でした。
大阪に居たにも関わらず、何の役にも立てず、つくづく無力だと感じました。

2011年の東日本大震災の時は、独立して15年が経ち、会社が軌道に乗り始めた頃でした。
40歳の所長としては、会社を離れる勇気が全くありませんでした。

2つの地震の間にも、新潟県中越地震など多くの地震がありましたが、建築の専門家でありながら全く役に立てていないことに、後悔ばかりが募っていました。

積年の澱を洗い流すために初めて行動したのが、10年前。2016年の熊本地震の時でした。

復興支援活動のために現地を訪れたのですが、できることは限られています。

それでも、これ以上後悔を重ねるのは嫌だったのです。

その活動の主体となっていた日本建築家協会(JIA)九州支部の方から「当時の活動を記事としてまとめて貰えないでしょうか」と連絡がありました。

それが誌面として発行されたのが、昨年の5月。なぜか伝える機会を逸し、今日初めてお知らせした次第です。

昨日、気になっていたNHKスペシャル「それからの、風の電話」を見ました。

「風の電話」は、岩手県大槌町の高台にある、回線の繋がっていない電話ボックスです。ある男性が、亡くなってしまったいとこと話をしたいという思いで、震災前に設置したものです。

震災後、大切な人を亡くした人が周りにも多く居たので解放することにしたそうです。

15年の間に多くの人が訪れ、「風の電話」は世界中に広がります。現在では500台を超えたそうです。

震災で息子さんを亡くし、何度もここを訪れたという女性の言葉が心に残りました。

「聞こえないのを承知で、きつく耳にあてて声を探すことができる」 

電話機は、いわゆる昭和の黒電話でした。
同じく海外の電話も、やはりレトロなものでした。

小さなスマートフォンで、すぐに情報収集ができ、どんな場所とでも繋がれる現代です。

誰もがスマートフォンを持ち、電話ボックスは減少の一途をたどるでしょう。

その電話ボックスという時代遅れの空間と、19世紀後半に生まれた、電話機、受話器という物の形状が「風の電話」において、大きな役割を果たしていると感じたのです。

NHKの配信サービスで今週末まで見れるようなので、気になる方はご覧ください。

年始に、1995年の阪神・淡路大震災の遺構を初めて訪ねました。

2016年の7月、地震から3ヵ月経った熊本へは、空路で入りました。

被害の状況は想像以上でした。

2017年の年末、福島第一原子力発電所を沖を通るフェリーから見つめました。

2025年の8月、復興支援活動のため能登に入りました。

1年半が過ぎていましたが、能登半島地震の現状を目の当たりにしました。

限られた時間でしたが、できることは精一杯したつもりです。

2016年7月、被災から3ヵ月後の熊本の水田は、変わらず美しい水をたたえていました。

2017年の年末に訪れた仙台の風景は、本当に美しいものでした。

どの街に行っても極めて美しいのがこの日本です。

地震国ゆえ、これからも何度も大きな地震が起こるでしょう。

しかし、受け入れ、乗り越え、逞しく生きて行くのが、生かされているものの努めです。

受話器をギュッと耳に押し当てる。

物をつくる、空間をつくることを生業とする身として、これからも何ができるかを模索していきたいと思います。

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大阪弁護士会館から、大阪の絶景‐2297‐

北浜の象徴と言えばやはり大阪証券取引所ビル。

周辺には証券会社が集まっていますが、光世証券のファサードは迫力十分です。

白浜のホテル川久も設計した永田祐三さんの仕事でした。

煉瓦の扱いは日本離れしたものがあります。

土佐堀通の北側は、エントランスから土佐堀川、中之島を望むという申し分のないロケーション。

川の見えるアトリエに、まだまだ未練が残っているようです。

証券取引所ビルの北、難波橋のライオン越しに見えているのは、大阪弁護士会館です。

安藤さん設計の、こども本の森の向かいにあります。

東西に長いので、中之島側から見るとかなり大きく見えます。

しかし、南北の奥行きはかなり薄いのです。

設計は日建設計の江副敏史さん。

構造体を外部側に持ってくるデザインは、大阪ビジネスパークにある大阪東京海上日動ビルディングと同じ形態です。

ただ、そのフレーム状の構造体を陶板で覆っているのが全く違う点です。

超高層ビルに焼き物を持ってくるところが、江副さん、日建設計の凄いところでしょうか。

前は何度も通ったことがあるのですが、初めて中に入りました。

法律に関する勉強会があったのです。

エントランスの煉瓦壁も圧倒的な迫力でした。

上層階の会議室に入ると、まるで空と空に挟まれている感じ。

高い所が苦手な私は、結構怖かったです(笑)

ただ、中央公会堂と阪神高速を見下ろす景色は、まさに大阪の絶景でした。

勉強会の後、懇親会があり参加しました。

なかなか会うことのできない同業の先輩方と話すことができました。

大手組織事務OBの方は、全く違うスケール感の仕事を経験しています。とても刺激的な内容でした。

ただ、そんな方が「名前は知っている」と言って下さったのは、本当に嬉しかったです。

人は弱いもので、何とか相手より優位に立とうとしてしまいます。

これは、年下の者に対して、まずは承認するという行動と全く反対です。

ひとつひとつの行動が、成長、引いては結果につながっていくのだと実感しました。

しかし、北浜、中之島、西天満と、流石にトップレベルの建物が集まっています。

学ぶべきことが、街中にあふれている感じなのです。

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マウスをすてよ、町へでよう‐2295‐

先月のことですが、遅めの新年会に参加させてもらいました。

谷町3丁目から本町通を西に歩きます。

谷町4丁目方向から本町通を西に歩くと、東横堀川との交差点が本町橋。

北東角にあるシティプラザ大阪は最上階のカーテンウォールがひと際目を惹きます。

2006年竣工で、日建設計の仕事でした。

そのすぐ西にあるのがβ本町橋です。

プロジェクションマッピングが思いのほか、美しかったのです。

大阪府建築士会の「住宅を設計する仲間達」という部会が、この場所を会場としてイベントを始めます。

「住まいのメソッド」というイベントですが、会場の下見も兼ねての新年会でした。

第1回目、2月27日(金)の講師は「β本町橋」の設計者、高橋勝さんです。

この計画の立ち上げから関わっておられるようで、何とかお話を聞いてみたいと思っています。

上町のアトリエに移転して丁度1年が経ちました。

年が明けると、新規の相談が増えるのは大変有難いことですが、アトリエの上階に住居スペースがあるので、仕事に集中していると3、4日全く外出していないということもしばしば。

流石にそれは駄目だと思っているので、最近はできる限り勉強会や懇親会に出席するようにしています。

一所懸命働くことは何より大事なことですが、インプット、アウトプットの機会もやはり重要です。

劇作家の寺山修司は、「書を捨てよ、町へ出よう」と言いました。

「マウスを捨て、町へ出よう」と自分に言い聞かせている毎日です。

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もう一度行きたい!美しく、美味しい街ミラノ‐2294‐

昨日は、朝からクライアントと打合せでした。

上町のアトリエ前もかなり激しく雪が降り出しました。

車での来社だったので、雪が積もらないかハラハラします。

夕方には晴れ空に変り、杞憂に終わってくれました。

国民の義務、投票にも行ってきました。

あまりにも慌ただしく、腹に落ちないことが色々ありますが、それでも投票となると難しいものです。

ただ、選挙という戦略だけは止めて欲しいと思うのです。

そんな政治とは無縁の世界、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックが開幕しました。

再三登場するミラノのドゥオーモ。

本当に美しい、ゴシック建築の傑作でした。

内部空間も圧巻ですが、白の繊細な外観が素晴らしく上品なのです。

ミラノは2012年の8月に家族で旅しました。

妻の親友がミラノっ子と結婚し、暮らしているのです。

自宅にも泊めて貰いました。

子供も同じような年代で、この頃は毎年のように交流していました。

ご主人は料理が抜群に上手で、パスタは完全にお店の味。

イタリア人なら誰でも上手という訳ではないのだと思いますが、さすがイタリアと感じたのです。

ミラノは食だけではありません。

ミラノスカラ座広場にあるレオナルドダヴィンチ像です。

そのダビンチの「最後の晩餐」を観れる、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会も勿論訪れました。

娘は4歳でほとんど覚えていないそう。

それだけが残念ですが、このくらいの年代で無いと、なかなかまとまった休みが取れないのも事実です。

ご主人に、市場へも連れていってもらいました。

何を見てもいちいち美味しそう。

ドゥオーモのすぐ横にあるのがガッレリア。

テレビのミラノ紹介で「幸せの雄牛」というモザイクが紹介されていました。

雄牛の急所にある窪みにかかとをのせ、3回時計回りに回ると幸せになれるそうです。

知らなかったなと思いながら写真を見返してみると、ありました。

しっかり回っている所を娘が見ていました。

私の記憶などあてにならないものです。

ミラノの市街地はアスファルトではなく石畳です。

ミラノっ子は車で街に戻ってくると、ガタガタとした振動で「ああ、ミラノに帰ってきた」と思うのだそうです。

この話が大好きで、これまでも何度かここで書きました。

街を愛するということは、こんなことだと思っているのです。

ミラノは本当に美しく、美味しい街というイメージしかありません。

同じ街に2度行くよりは、少しでも多くの街を訪れたいと思っていますが、数少ない例外がミラノなのです。

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坂倉準三の系譜、大阪にあり‐2291‐

先週末、梅田から中之島まで歩いてみました。

大阪高等裁判所前の水晶橋を渡ると市役所の東端あたりに出ます。

中央公会堂までやってきました。

1月25日(日)まで開催の「坂倉建築研究所大阪事務所と太田隆信展」が目的でした。

2階の会場へは、南側にある地下からアプローチします。

ル・コルビュジエに師事した日本人のひとり、坂倉準三が1940年に設立したのが坂倉準三建築研究所です。

1948年には、大阪支所も設立されます。

彼が亡くなり、坂倉建築研究所大阪事務所となりますが、大阪の地で坂倉準三の思想は西澤文隆、そして太田隆信へと引き継がれていきます。

太田さんは昨年逝去されました。

その太田さんが携わった計画を中心とした展覧会でした。

「写真撮影は駄目ですよね?」とお聞きすると「引いた写真なら大丈夫ですよ」とのこと。

作品のパネル、手描きの図面、スケッチに加えて、太田さんのインタビュー映像も流れていました。

その中で、ご自身のことを「坂倉準三の薫陶を受けた最後の残党」と仰っていました。

1966年、大阪府青少年野外活動センターで、日本建築学会賞の作品賞を受賞されています。

こちらの構造体についても詳細に語っておられ、興味あってWeb上で探してみました。

保存運動が話題になった記憶がありますが、現存していないようで、あまり情報が残っていませんでした。

反対に、1975年竣工の大阪府立青少年海洋センターは、岬町の淡輪港内に現存しているようで、是非見てみたいと思いました。

大阪市中央公会堂の保存・再生も2002年の坂倉建築研究所大阪事務所の仕事でした。

早稲田の建築学科を出て、太田さんは坂倉建築研究所に入社します。

「大学を出たら大阪に戻ってくるつもりだった」と言っておられたので、関西に愛着を持っておられるのだと思います。

外に出ると日没寸前でした。

中之島は川に囲まれているので、朝夕は特に水面が美しいのです。

梅田方向を見ると、キタの玄関にあたるフェニックスタワー、その右に大阪梅田ツインタワーズ・ノースが見えています。

大阪にはキタやミナミがありますが、中心はどこかと問われればやはり中之島になるのでしょう。

さあ帰ろうかと歩き出すと、新婚カップルが撮影をしていました。

その先に見える、ダブルツリーbyヒルトンは真っ赤に染まっています。

何だか幸せな気持になりました。

坂倉準三の言葉です。

穏やかな表情で語る太田さんに、そのことばを重ねて聞いていました。

時々「設計士」と呼ばれることがあるのですが、その時は「すみません、建築家でお願いします」と伝えます。

呼び方を決めるのは相手の人で自由ですが、自分で主張していないとそうはなれない気がするからです。

技術者ではなく、やはり建築家として生きたい。改めてそう感じました。

ル・コルビュジエ、坂倉準三、太田隆信。

偉大な建築家の足元にも及びませんが、主張し続けるしかないのが私の人生なのです。

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導き給え‐2283‐

新年明けましておめでとうございます。

今年の1月1日は木曜日ということで、元旦からこの日記をスタートしています。

今朝は6時前に大阪を出て、7時前に北野天満宮に到着しました。

子供が大学受験の年は、年の初めの祈祷を目指しています。

到着してすぐに妻が受付に向かいました。

受験生の娘が風邪気味で、車で待機してもらうことに。その間に、私は境内をぐるりと回りました。

今年の干支は、60年振りの「丙午(ひのえうま)」。

放送作家で、元東京都知事の青島幸男作が書いた『人間万事塞翁が丙午(にんげんばんじさいおうがひのえうま)』という小説を思い出します。

モデルとなった母が、丙午に生まれたことからのタイトルですが、丙午に生まれた女の子は気性が荒くなるという迷信を、逆手に取った作品でした。

白馬の優美な姿をみていると、近年でそんなことを気にしている人は居ないような気がします。

日の出前の参道は、人出もそこまでなく、幻想的な風景でした。

京都の日の出予報は7時5分の予定でしたが、実際に日が差したのは7時50分でした。

今年も始まるなと、何とも清々しい気分になるのです。

8時前に、妻から「そろそろ待合に来て」と連絡がありました。

帰省している長男と合わせて4人で本殿に移動しました。

早めに出て来た甲斐あって今回も1番目。

1回につき20組くらいが本殿に上がるのですが、東京から来て東大を受ける受験生もいました。

京大医学部を受ける受験生もいたり、石川、愛知、福井県と遠方からの人も多いのです。

早くから来ているご家族は、やはり本気度が高い感じがし、そんな場に居ることがとても良い機運を運んでくれる気がするのです。

30分近くの正座だけは堪えましたが、こんな時しかしないので、それはそれで良い思い出になります。

最後は、絵馬を奉納する列に並びます。

日当たりのよい場所に絵馬を奉納し、初詣が終わりました。

神頼みを信じるか信じないかは別ですが、中学受験、大学受験と、兄妹ともここまで第一希望に合格してくれました。

勿論、その時々のベストと思える学校を選んで受けているので、無謀な学校を受けている訳ではありません。

それでも「良かったなあ!」と言える学校に、2人とも合格して来たので、私の中で北野天満宮は特別な場所だと思っているのです。

快晴の元旦で、東寺の五重塔を見ながら京都をあとにしたのです。

最近参拝の時はこうお願いすることにしています。

これも、尊敬する始道塾の恩田塾長の受け売りですが、とても気に入っています。

何でもお願いするのではなく、自分が行くべき方向へ導いて頂けますでしょうか、という考え方です。

さて、娘の受験はどうなるか。それこそ、神のみぞ知る、なのです。

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復興しないという選択肢はない‐2281‐

前回は、神戸で開催されている「大ゴッホ展」のことを書きました。

やっと会えた『夜のカフェテラス』の余韻に浸りながら、港神戸へ立ち寄ってみました。

その途中ですが、海側へ歩くとすぐに「史蹟旧海軍操練所跡」があります。

坂本竜馬も学んだと言われる神戸海軍操練所は、勝海舟が提唱して1864年に完成しています。

海外留学を経験していた勝海舟は、港と海軍の重要性をひしひしと感じていたのでしょう。

そこから50mも歩くと現在の神戸港。

海と山が近いのが、何と言っても神戸の魅力です。

海沿いを西に少し歩くと、メリケンパークの文字が見えてきました。

入り口にあるのが、建築家・フランク・O・ゲーリーによるオブジェ、フィッシュダンス。1987年の完成です。

フランク・O・ゲーリーはプリツカー賞も受賞している世界的建築家ですが、つい前日の12月5日に96歳で亡くなりました。

日本では確かこのフィッシュダンスしか作品を残していませんが、この錆問題が何度も論争になっています。

安全性の問題もあり、撤去される可能性もありそうですが、そこだけ解決できるなら、残して欲しい気はします。

バブル期はネガティブにしか語られませんが、その時代と活力をはらんでいる感じがするのです。

神戸港震災メモリアルパークは初めてやってきました。

メリケン波止場の僅かなエリアですが、当時のままの姿が残されています。

中学生の頃は、よく神戸港に釣りに来ていました。

通称「和田坊」まで渡船で渡してもらい、一晩中チヌを釣っていたのです。

大阪湾は夏は水が汚いですが、この時期はかなり澄んでくるのを思い出していました。

来年の1月17日で、あれから30年です。

「大ゴッホ展」も、阪神・淡路大震災から30年、東日本大震災から15年の節目に、日本を応援するために開催されています。

昨年の能登地震もそうですが、15年に1度くらいはこの規模の地震が起こるのが日本なのです。

その後の阪神・淡路、東日本、熊本、能登など、何度地震に襲われても、復興するしかありません。

ワールドシリーズMVPの山本由伸投手の言葉を借りるなら「復興しないという選択肢はない」となるでしょう。

災害に限らず、どんな困難が起こったとしても同じですが。

神戸港から元町に戻る途中に南京町があります。

神戸らしい風景で、点心も良いなと思いながらもやりすごします。

元町駅の北にある「堂源」という蕎麦屋さんまで戻ってきました。

田舎十割蕎麦と梅せいろを頼みました。

蕎麦屋さんで女性の店主は珍しいですが、とても繊細な蕎麦で大変美味しゅうございました。

物は壊れると自分では元に戻れませんが、人は食べて、寝れば、大概の怪我は治ります。

そう言えば、甲南大学のスキー部の先輩の先輩が、かなりの蕎麦通だったそうです。

その先輩がお気に入りの店が元町にあり、何度か行ったことがあります。

蕎麦の美味しさを教えてくれたのも神戸でした。

あの地震から30年ということは、私の仕事人生も30年目が間もなく終わろうとしています。

久し振りに神戸に来たのだから神戸牛でも……というレベルにはなっていません。

それでも、気軽に美味しい蕎麦を食べれるくらいにはなったので、それで良しとしておきます。

成長しないという選択肢はないので、気軽に神戸牛が食べられるようになるまで頑張ります。

そう言えば今日はクリスマスでした。皆さんも良いクリスマスを!

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