カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

競り⇒販売、これは本物の産直「深日漁港」‐2324‐

日曜日は少し遠出して大阪府南端の岬町へ。

国道26号線を南下し、岬中学校前で右折しました。
海に出ると一気に視界が開けます。

海の先に見えているのは関空です。

反対の和歌山側を見ると、多奈川第二発電所跡の先には、淡路島の洲本あたりが見えています。

中学生の頃、このあたりにはよく釣りに来ていました。

当時、関空は無く、多奈川第二発電所はもうもうと煙を上げていた時代です。

冬の間は、その温排水に集まるカレイを狙っていたのです。
中学生ながら、なかなかのサイズを釣り上げたことを覚えています。

万葉集にある一首の歌碑が立っています。

奈良時代から、風光明媚な所だったことがうかがい知れます。

そのまま海沿いの道を南下し、深日漁港にやってきました。

更に南にある深日港と違って、純然たる漁港という感じ。

こういった小振りな港は大好きです。

深日漁協の建物前に徐々に人が集まってきました。

漁に出た日は15時から魚市が開かれるのです。

15時丁度に、「競り」が始まりました。

競り人のいる台に、魚を見て買い付け人が値札を置いていきます。

競り落とされた魚が、漁協の正面にある店にどんどん運ばれてきます。

すぐに〆られ、その場で販売が始まるのです。

来る前に電話してみたのですが、「16時までには終わっていることが多いので、早めがいいと思いますよ」と。

この日は豊漁だったのか、15時半になってもせりが終わる気配は全くありませんでした。

しかも、タイやアコウ等、なかなかの大物も続々とやってきます。

大型のアコウは7500円でした。

2人でそれは贅沢なので、カレイを3枚で1500円。

マダコを1匹1500円で購入。

タコもその場で〆てくれました。


競り落とした魚をその場で販売。これこそが本物の産直です。
臨場感抜群で、かなり面白い空間でした。

若い頃は夏になると毎週海に行っていたので、タコもしょっちゅう捌いていました。

しかし、かなり久し振りで結構時間が掛かってしまいました。

右はさっと茹でたもの。左は生のタコ刺しです。

カレイは一番大きいものより、25cmくらいの2匹の方が火の通りがよかったです。

からっと美味しく揚がりました。

彩りのために、全く関係ありませんがオクラ。

大満足の深日漁港での3千円でした。

はじめに紹介した歌碑の横には、「吹飯浦」という案内板もありました。

先の歌も含めて、もう一首記されています。

順徳天皇

吹飯浦(ふけいうら)が転じて深日(ふけ)となったのでしょう。
鎌倉時代まで、鶴がいたことにも驚きます。

私の知る巨大な多奈川第二発電所は2020年に廃止され、もう跡形もありません。

そして大阪湾の中ほどには、大きな関空島が浮いています。

美しい景色を見ると誰もがセンチメンタルな気持ちになるのでしょうか。
万葉集の歌の現代語訳を見つけました。

時の風が吹く――吹飯の浜に出て神に命の無事を祈るのは、妻のためにこそ。

「妹」は「妻」を指すよう。古典とは何と難しいというか、奥深いというか……

ただ「深日漁港」の産直は本物でした。絶賛してお勧めします。

かなりコンパクトな空間だったので、繁盛しすぎないか心配しながら。

■■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■■

■■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

AIで探す、あの松本ドライブイン‐2321‐

昨日、「seven dreamers Shibakouen Tokyo」【Works 】<Public>をUPしました。

seven dreamersもこの店舗も、2019年に無くなってしまいましたが、当社としては持てる力を出し切って、コンセプトを体現できたと思っています。

よければご覧ください。

ゴールデンウイークの長野行きでは、上高地、安曇野について書きましたが、もうひとつ裏テーマがありました。

最終日の5月6日は松本へ。

松本駅の南に車を止め、蔵造りの建築が多く残る「中町通り」まで歩きました。

女鳥羽川を、松本城のある北側に渡ります。

こちらは「なわて通り」。

こちらは昭和レトロの土産物屋さんが建ち並びます。

女鳥羽川を挟んで2つの商店街があるのです。

昼食をとろうと蕎麦屋を探しますが、14時を回っていたので閉まっているところが殆ど。

意外にも、老舗店らしい「こばやし」が開いていました。

四柱(よはしら)神社の境内からアプローチできるというびっくりするようなロケーションです。

しかし、蕎麦も天ぷらも絶品。明治末期創業は伊達ではありませんでした。

特にさつまいもの天ぷらは、厚みが通常の3倍くらいあるにもかかわらず、ほくほくと甘く、素晴らしかったです。

その後、国宝・松本城へ。

前回、2015年8月に訪れた際は曇りでしたが、この日は青空。

黒を基調とした美しい天守閣は、水面と背後の白馬の山々を従えた絶景レベルでした。

大学の授業があると先に帰った長女には申し訳ないのですが、美しい稜線に囲まれ、これ程水が美しい街はそう無いでしょう。

その後、長男を松本駅前まで送りました。

アルピコバスターミナルから、新宿行きのバスで帰って行ったのです。

松本観光の前に訪れたのは、南北に走る国道19号線と国道158号線が交差する「渚1丁目」。

妻も学生時代からスキーにはまっていました。

シュプール号なる電車もありましたが、安いのは夜行バスでのツアー。
その際に、必ず最後に休憩したのが、あの「松本ドライブイン」です。

この旅行に来る前、かなりのWebサイトを調べたのですが、結局特定できませんでした。

そのことを旅先で長男に伝えると、チャットGPTで調べてくれました。その回答は、19号線と国道158号線が交差するあたりではというもの。

しかし来て見ると、妻は「こんな感じじゃなかった気がする」と。

聞き込み調査をするも、意外に皆さん知らないのです。

長男が、今度はジェミニでリサーチを始めると「見つけたかも」と。

松本市島之内8012-1まで行ってみました。

19号線を4kmほど北上し、左折すれば白馬へ向かう147号線、右折すれば上田盆地へ抜ける254号線。
平瀬口という交差点でした。

現在はジェミニ君の言う通り、日本梱包運輸倉庫株式会社(ニッコン)の松本営業所が建っています。

横を通り過ぎると、敷地に降りる通路が見えました。

多くのバスはここからドライブインに入ったのだと、後で分かりました。

右折して、東に向かう254号に乗るとすぐに高架下に降りる道路があります。

降りてみると、のどかな景色が広がっていました。

60歳代くらいの男性が居られたので、話を聞いてみると、やはりここが松本ドライブイン跡でした。

「高速が安曇野(当時は豊科)まで伸びた段階で、いっぺんにすたれていったよ」と。

松本ドライブインの思い出話をしたあと「地元の方にとって、ドライブインがあったことは良かったことでしたか?迷惑なことでしたか?」と聞いてみました。

「ん~どっちでもないかな。ただ初めてのアルバイトはここだったよ」と。

それを聞いて、何だかほっとしたのです。

元ドライブインの裏側まで歩いてみました。

妻はしきりに「山菜蕎麦が美味しかった」と繰り返すので、長男は「珍しくお母さんがそれだけ言うんやから、相当やったんだろうね」と。

私が「いや、普通のドライブインの蕎麦やったと思うよ。ただ、大阪では食べない、醤油の濃い信州蕎麦は、違った美味しさがあったのは事実かな」と答えておきました。

長野自動車道が安曇野インターまで伸びたのが1988(昭和63)年。私が高校3年生の時です。

大学になってからは自分の車でスキーに行ったので、私にとってもそれまでの思い出です。

沢山のツアーバスがエンジンを掛けたまま待機し、もの凄い排気ガスの臭いの記憶しかありませんが、不思議と嫌な思い出ではありません。

むしろ、そんな臭いとともに当時の記憶が蘇ってきます。
1970年代生まれまでのスキー好きには、共感してもらえるのかなと思います。

長男が言うには「チャットGPTでは無理だったのに、ジェミニはさすがにGoogleだけあって、地図系には強いね」と。

もしWebサイト調べで「アルピコ 松本ドライブイン」で検索していたら、Wikipedia内にあるヒントをみつけられたのですが、AIの威力を思い知ることになりました。

昭和の思い出とAI。

一見相容れないものですが、これが現実でした。
あまり使ってはいませんが、使い方次第であることは間違いないようです。

山菜蕎麦は550円くらいだったかなという話になりましたが、特定できる方や、写真を持っている方が居れば、是非見せて貰えると嬉しいです。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

安曇野水鏡‐2319‐

今年のゴールデンウィークは、雨の上高地からスタート。

5月4日の夕方、上諏訪温泉のホテルに到着したところまで書きました。

翌5月5日は朝から快晴です。

客室の窓を開けると、諏訪湖越しの穂高岳を望む眺望で、朝からテンションが上がります。

長女は、休みたくない授業があるというので、早朝の特急あずさで先に帰京することに。

せめて上諏訪駅まで送り届けてきました。

連泊だったので、遅めに出発して信濃路をのんびり北上します。

地元ラジオでDJが「安曇野水鏡」という言葉を使っていました。

稲が成長する前の水田に、安曇野の風景が写り込んでいる様を指すよう。
なるほど、この時期しか見られない景色です。

冠雪した北アルプスが水田に写りこみ、倍の奥行きを感じさせるのです。

今回は、久し振りに「るるぶ」を購入しました。

前から2番目に取り上げられていた「大王わさび農場」へ向かうと、2km弱の渋滞です。

麦畑の中に咲くのはポピーでしょうか。

これもゴールデンウィークと、景色を眺めながらのんびりと1時間15分程車列に並んで入場しました。

「大王わさび農場」は広大な敷地にわさびが栽培されています。

こどもの日らしく鯉のぼりも。

扇状地に湧き出る豊かな伏流水がわさび栽培に適しており、日本一の規模を誇ります。

大量の澄んだ水が必要なのは、わさび自身から出る毒を絶えず洗い流すためでした。

殺菌効果は自身にも影響を与えるとは、禅問答のような植物です。

農場の名前は、安曇野を治めていた魏石鬼八面大王という怪力無双の首領からとったものと説明書きがありました。

桓武天皇の頃、全国統一を目指す中央政権は、東北侵略の足掛かりとして坂上田村麻呂を派遣し、怪力無双の八面大王と戦うことになります。

最後は兵器で劣る八面大王が力尽きるのですが、あまりに強かったため、再び生き返らぬようにと遺体をバラバラにして埋められました。

農場の一角には胴体が埋められたと言われ、大王神社として祀られています。その故事にちなんでつけられたのです。

前日は雨だったので、川の水は濁っていますが、農場内の伏流水はどこも澄んでいます。

日本一、わさび栽培に適していることが視覚で納得できました。

1時間半並ぶ程の人出で、場内もかなり賑わっています。

1軒のレストランに長男が並び、もう1軒のレストランに妻が並んでいたのですが、妻の並んでいたレストランで何とか昼食にありつくことができました。

本わさびと信州太郎ぽーく、2250円です。

山盛りのわさびをたっぷり付けて頂きます。

わさびソフト2種は、650円と550円。

わさびとソフトクリームがこれほど合うとは、というお味でした。

非常に満足してホテルに帰りましたが、贅沢ついでにオプションメニューを追加しました。

妻には金目鯛の煮付け。

長男には信州プレミアム牛のしゃぶしゃぶ。
たまにしか会えないので、ちょっと奮発してみました。

家庭を持つようになると、旅行に行く機会さえなくなるでしょう。
それがいつになるのかは分かりませんが……

長男は大学4回生、長女は大学1回生です。

それぞれに大きな分岐点に立っています。
親として、仕事人の先輩として、アドバイスできることが色々あるかなと思っていたのですが、結局皆無でした。

それぞれの人生に、親の意思が入る余地などありませんし、その必要がないこともよく分かったのです。

安曇野水鏡。

冠雪のある北アルプスを写す西側も素晴らしかったですが、東側の長野市側を写す緑一色も捨てがたい美しさでした。

京セラ創業者、稲盛和夫さんに盛和塾で教えてもらった言葉です。

子育ては人生の復習だと思っていましたが、それほど簡単に片づけられるものではないようです。

悩みは若者の特権です。悩み、考え、何かしらの答えを出して欲しいと思います。

水面に映る安曇野の風景のように、美しい人生を思い描いて欲しいと願うのです。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

Japan alps 上高地‐2318‐

今日は早朝に大阪を出発。

400km程走って、長野県松本市までやってきました。

アルピコ交通上高地線の新村駅です。

駅前に車を止め、上高地の玄関口にあたる新島々(しんしましま)駅でバスに乗り換えます。

何とも気になる駅名ですが。

マイカー規制があるので、登山バスを予約していました。

1時間程かけて上高地に到着。

しかし残念ながら天気は曇り。

長女は帰省していたので、一緒に行動していたのですが、長男は東京からで、現地で合流しました。

まずは家族写真をということで兄妹の撮影。
昭和の芸人というコンセプトです。

雄大な景色ですが、雲、雲、雲。

前日から大雨でしたが、水は意外にも澄んでいました。

明神池まではバスターミナルから1時間程。

これぞ上高地という景色です。

しかし、帰路は雨が降り出し、4人ともずぶ濡れ。

帰りのバスで暖をとり、ようやく一息ついたのです。

雨の上高地から、先ほど諏訪湖沿いの宿に到着しました。

明治政府が雇った英国人技師が、1877年(明治10)に槍ヶ岳に登った記録を雑誌で紹介しました。

その際に「Japan alps」という表現を使ったことが、今日の「日本アルプス」の語源となったそうです。

子供たちに「Japan alps」を堪能してもらい、絶景の家族写真を撮るつもりでしたが、残念ながらまたの機会に持ち越しです。

今回の旅は2泊3日。

続きは、木曜日にお伝えしたいと思います。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

ほめちぎる伊勢‐2315‐

昨日は、始発の近鉄特急、賢島行きに乗りました。

三重県の盆地帯を抜ける際の風景は、何とも穏か。

アーバンライナーの2階席、北側からの風景でした。

伊勢神宮の外宮近くにある宇治山田駅に到着したのが8時前。

駅前でレンタカーの手続きを済ませ、計画地へ向かいました。

計画地は海のすぐ近くにあります。

最高のロケーションですが、青空の写真とはいきませんでした。

ただ、晴れ間の日差しは強烈で、海沿いの緑は力強さを感じます。

クライアント企業の担当者の方に案内して頂き、敷地をくまなく歩いて回りました。

十分把握してから関連行政へ事前相談に向ったのです。

まずは三重県の伊勢庁舎。

建築関連法規は、県が判断権限を持っている分野と、市が権限を持っている分野があります。

国定公園法などは国が判断権限を持っており、関係省庁は多岐に渡ります。

県で都市計画法の打ち合わせをした後は伊勢市役所に移動しました。

こちらでもみっちり打ち合わせ。終わった時は3時を回っていました。

上下水道関係の調査をするためにすぐ移動し、調査が終わったとろで、閉庁時間となりました。

伊勢庁舎の食堂に、伊勢うどんがあったのでさっと昼食にしました。

特徴は、甘辛、太麺、柔らかい。

これが唯一、「伊勢」を体感した場面でしたが、500円は有難い限りです。

宇治山田駅に戻ってくると、すでにライトアップが始まっています。

この駅舎は有形登録文化財に指定されており、NHKの『ブラタモリ』でもフォーカスされていました。

昭和6年の完成で、設計者は久野節(くの みさお)。
高島屋大阪店も彼の作品です。

一日駆けずり回って働き、帰路につく駅舎が美しいと、心が温かくなるのです。

帰りは、伊勢志摩ライナーでした。

車両が格好良いと気分も上がります。
ただ、4時起きだったので、座った瞬間に寝落ちでした。

実は2022年に、同じく伊勢市でかなり大きなプロジェクトの相談がありました。

敷地面積も過去最大なら、建物の面積、棟数も過去最大。

難易度の高い計画でしたが、各所へ事前相談に奔走した結果、「何とか要望通りに建てられそう」というところまでこぎつけました。

しかし、計画自体が先方の事情で頓挫してしまいます。

残念ではありましたが、その時の経験が、昨日もかなり活きたと思います。

移動中「ほめちぎる教習所 伊勢」という看板が見えました。

思わず笑ってしまいましたが、伊勢市役所の人も、三重県庁の人も、もしかすると私をほめちぎってくれるかもしれません。

それが叶わないなら、私がほめちぎってさしあげます。

クライアント企業の皆さんに、完成したあとにほめちぎってもらえることをイメージしながら、今はやるべきことをひとつ地道に進めていきたいと思います。

ほめちぎる伊勢

とってもいい響きなので、このプロジェクトのテーマにしていきたいと思います。

次回の伊勢行きを今から楽しみにしています。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

ディープ大阪「天下茶屋」編‐2313‐

昨日の雨に反して、今朝はカラッと晴れました。

水たまりが日を受けてキラキラと美しい朝でした。

雨の昨日ですが、敷地調査に向うため、天下茶屋で地下鉄から南海高野線に乗り換えました。

ラピートを駅でみるとやはりテンションが上がります。

地下鉄堺筋線のインバウンド比率の高さに驚きましたが、こちらのラピートはマレーシア観光をアピールするラッピング車両でした。

マレーシアの人は日本人を見て「インバウンド客の多さ」に驚いているのでしょうか。

現地へ向かう電車から「天下茶屋駅前商店街」のアーケードが見えたので、帰りに寄ってみました。

雨の昼過ぎというのもあるでしょうか、アーケードの人通りは多くもなく、少なくもなくといったところ。

ただ、お店は下町感満載です。

店名だけでは何屋さんか分かりませんが、何が好きかは誰にも伝わってきます。

アーケードを抜けると、道をはさんでもうひとつのアーケードが見えてきました。

こちらは「天下茶屋商店会」とあります。

道路を渡ると、入口の2店舗は絶賛営業中。

が、その奥は閉まっている店が大半です。

一番奥のミートショップは営業中でした。

唐揚げが300円、コロッケは80円だったかなと思います。

昼食を済ませていなければ、買い食いしていたのですが……

ウロウロしていると頬に冷たいものを感じました。

見上げると、換気機能付きアーケードでした。

雨の日に、ちょっと雨を感じるのも悪くないものです。

商店街でなく、商店会というのも何だか腑に落ちたのです。

大阪市のWebサイトにはこうあります。

天下茶屋は、秀吉の時代には最先端のカフェがあっただけでなく、カフェ文化を根付かせた街と言っても良さそうです。

時代とともに、街は振り子のように盛衰を繰り返すものですが、雅俗も含めてなのでしょうか。

西成区のど真ん中、天下茶屋でディープ大阪を満喫してきました。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

受話器をギュッと耳に押し当てる‐2303‐

昨日の3月11日で、東日本大震災から15年が経ちました。

31年前、1995年1月の阪神・淡路大震災の時は社会人1年生でした。
大阪に居たにも関わらず、何の役にも立てず、つくづく無力だと感じました。

2011年の東日本大震災の時は、独立して15年が経ち、会社が軌道に乗り始めた頃でした。
40歳の所長としては、会社を離れる勇気が全くありませんでした。

2つの地震の間にも、新潟県中越地震など多くの地震がありましたが、建築の専門家でありながら全く役に立てていないことに、後悔ばかりが募っていました。

積年の澱を洗い流すために初めて行動したのが、10年前。2016年の熊本地震の時でした。

復興支援活動のために現地を訪れたのですが、できることは限られています。

それでも、これ以上後悔を重ねるのは嫌だったのです。

その活動の主体となっていた日本建築家協会(JIA)九州支部の方から「当時の活動を記事としてまとめて貰えないでしょうか」と連絡がありました。

それが誌面として発行されたのが、昨年の5月。なぜか伝える機会を逸し、今日初めてお知らせした次第です。

昨日、気になっていたNHKスペシャル「それからの、風の電話」を見ました。

「風の電話」は、岩手県大槌町の高台にある、回線の繋がっていない電話ボックスです。ある男性が、亡くなってしまったいとこと話をしたいという思いで、震災前に設置したものです。

震災後、大切な人を亡くした人が周りにも多く居たので解放することにしたそうです。

15年の間に多くの人が訪れ、「風の電話」は世界中に広がります。現在では500台を超えたそうです。

震災で息子さんを亡くし、何度もここを訪れたという女性の言葉が心に残りました。

「聞こえないのを承知で、きつく耳にあてて声を探すことができる」 

電話機は、いわゆる昭和の黒電話でした。
同じく海外の電話も、やはりレトロなものでした。

小さなスマートフォンで、すぐに情報収集ができ、どんな場所とでも繋がれる現代です。

誰もがスマートフォンを持ち、電話ボックスは減少の一途をたどるでしょう。

その電話ボックスという時代遅れの空間と、19世紀後半に生まれた、電話機、受話器という物の形状が「風の電話」において、大きな役割を果たしていると感じたのです。

NHKの配信サービスで今週末まで見れるようなので、気になる方はご覧ください。

年始に、1995年の阪神・淡路大震災の遺構を初めて訪ねました。

2016年の7月、地震から3ヵ月経った熊本へは、空路で入りました。

被害の状況は想像以上でした。

2017年の年末、福島第一原子力発電所を沖を通るフェリーから見つめました。

2025年の8月、復興支援活動のため能登に入りました。

1年半が過ぎていましたが、能登半島地震の現状を目の当たりにしました。

限られた時間でしたが、できることは精一杯したつもりです。

2016年7月、被災から3ヵ月後の熊本の水田は、変わらず美しい水をたたえていました。

2017年の年末に訪れた仙台の風景は、本当に美しいものでした。

どの街に行っても極めて美しいのがこの日本です。

地震国ゆえ、これからも何度も大きな地震が起こるでしょう。

しかし、受け入れ、乗り越え、逞しく生きて行くのが、生かされているものの努めです。

受話器をギュッと耳に押し当てる。

物をつくる、空間をつくることを生業とする身として、これからも何ができるかを模索していきたいと思います。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

大阪弁護士会館から、大阪の絶景‐2297‐

北浜の象徴と言えばやはり大阪証券取引所ビル。

周辺には証券会社が集まっていますが、光世証券のファサードは迫力十分です。

白浜のホテル川久も設計した永田祐三さんの仕事でした。

煉瓦の扱いは日本離れしたものがあります。

土佐堀通の北側は、エントランスから土佐堀川、中之島を望むという申し分のないロケーション。

川の見えるアトリエに、まだまだ未練が残っているようです。

証券取引所ビルの北、難波橋のライオン越しに見えているのは、大阪弁護士会館です。

安藤さん設計の、こども本の森の向かいにあります。

東西に長いので、中之島側から見るとかなり大きく見えます。

しかし、南北の奥行きはかなり薄いのです。

設計は日建設計の江副敏史さん。

構造体を外部側に持ってくるデザインは、大阪ビジネスパークにある大阪東京海上日動ビルディングと同じ形態です。

ただ、そのフレーム状の構造体を陶板で覆っているのが全く違う点です。

超高層ビルに焼き物を持ってくるところが、江副さん、日建設計の凄いところでしょうか。

前は何度も通ったことがあるのですが、初めて中に入りました。

法律に関する勉強会があったのです。

エントランスの煉瓦壁も圧倒的な迫力でした。

上層階の会議室に入ると、まるで空と空に挟まれている感じ。

高い所が苦手な私は、結構怖かったです(笑)

ただ、中央公会堂と阪神高速を見下ろす景色は、まさに大阪の絶景でした。

勉強会の後、懇親会があり参加しました。

なかなか会うことのできない同業の先輩方と話すことができました。

大手組織事務OBの方は、全く違うスケール感の仕事を経験しています。とても刺激的な内容でした。

ただ、そんな方が「名前は知っている」と言って下さったのは、本当に嬉しかったです。

人は弱いもので、何とか相手より優位に立とうとしてしまいます。

これは、年下の者に対して、まずは承認するという行動と全く反対です。

ひとつひとつの行動が、成長、引いては結果につながっていくのだと実感しました。

しかし、北浜、中之島、西天満と、流石にトップレベルの建物が集まっています。

学ぶべきことが、街中にあふれている感じなのです。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

マウスをすてよ、町へでよう‐2295‐

先月のことですが、遅めの新年会に参加させてもらいました。

谷町3丁目から本町通を西に歩きます。

谷町4丁目方向から本町通を西に歩くと、東横堀川との交差点が本町橋。

北東角にあるシティプラザ大阪は最上階のカーテンウォールがひと際目を惹きます。

2006年竣工で、日建設計の仕事でした。

そのすぐ西にあるのがβ本町橋です。

プロジェクションマッピングが思いのほか、美しかったのです。

大阪府建築士会の「住宅を設計する仲間達」という部会が、この場所を会場としてイベントを始めます。

「住まいのメソッド」というイベントですが、会場の下見も兼ねての新年会でした。

第1回目、2月27日(金)の講師は「β本町橋」の設計者、高橋勝さんです。

この計画の立ち上げから関わっておられるようで、何とかお話を聞いてみたいと思っています。

上町のアトリエに移転して丁度1年が経ちました。

年が明けると、新規の相談が増えるのは大変有難いことですが、アトリエの上階に住居スペースがあるので、仕事に集中していると3、4日全く外出していないということもしばしば。

流石にそれは駄目だと思っているので、最近はできる限り勉強会や懇親会に出席するようにしています。

一所懸命働くことは何より大事なことですが、インプット、アウトプットの機会もやはり重要です。

劇作家の寺山修司は、「書を捨てよ、町へ出よう」と言いました。

「マウスを捨て、町へ出よう」と自分に言い聞かせている毎日です。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

もう一度行きたい!美しく、美味しい街ミラノ‐2294‐

昨日は、朝からクライアントと打合せでした。

上町のアトリエ前もかなり激しく雪が降り出しました。

車での来社だったので、雪が積もらないかハラハラします。

夕方には晴れ空に変り、杞憂に終わってくれました。

国民の義務、投票にも行ってきました。

あまりにも慌ただしく、腹に落ちないことが色々ありますが、それでも投票となると難しいものです。

ただ、選挙という戦略だけは止めて欲しいと思うのです。

そんな政治とは無縁の世界、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックが開幕しました。

再三登場するミラノのドゥオーモ。

本当に美しい、ゴシック建築の傑作でした。

内部空間も圧巻ですが、白の繊細な外観が素晴らしく上品なのです。

ミラノは2012年の8月に家族で旅しました。

妻の親友がミラノっ子と結婚し、暮らしているのです。

自宅にも泊めて貰いました。

子供も同じような年代で、この頃は毎年のように交流していました。

ご主人は料理が抜群に上手で、パスタは完全にお店の味。

イタリア人なら誰でも上手という訳ではないのだと思いますが、さすがイタリアと感じたのです。

ミラノは食だけではありません。

ミラノスカラ座広場にあるレオナルドダヴィンチ像です。

そのダビンチの「最後の晩餐」を観れる、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会も勿論訪れました。

娘は4歳でほとんど覚えていないそう。

それだけが残念ですが、このくらいの年代で無いと、なかなかまとまった休みが取れないのも事実です。

ご主人に、市場へも連れていってもらいました。

何を見てもいちいち美味しそう。

ドゥオーモのすぐ横にあるのがガッレリア。

テレビのミラノ紹介で「幸せの雄牛」というモザイクが紹介されていました。

雄牛の急所にある窪みにかかとをのせ、3回時計回りに回ると幸せになれるそうです。

知らなかったなと思いながら写真を見返してみると、ありました。

しっかり回っている所を娘が見ていました。

私の記憶などあてにならないものです。

ミラノの市街地はアスファルトではなく石畳です。

ミラノっ子は車で街に戻ってくると、ガタガタとした振動で「ああ、ミラノに帰ってきた」と思うのだそうです。

この話が大好きで、これまでも何度かここで書きました。

街を愛するということは、こんなことだと思っているのです。

ミラノは本当に美しく、美味しい街というイメージしかありません。

同じ街に2度行くよりは、少しでも多くの街を訪れたいと思っていますが、数少ない例外がミラノなのです。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV