前日の11月4日(金)は、遅くまで友人と飲んでいて、宿に帰ったのが明け方5:00am。
この日はシカゴ行きの予定で、マンハッタンの西にあるニューアーク空港を7:55amに発つ予定。
朝が早いので、友人が個人タクシーを予約してくれました。
6:00amにタクシーが迎えに来た時は寝ていました。下で待って貰い、急いで身支度をして出発。
何とかフライトに間に合いました。
気を失うように寝て、アナウンスで起きるともうシカゴの上空。
すぐにシカゴの超高層ビル群が見えてきました。
シカゴのミッドウェイ空港には、定刻の9:30amに到着。予約してあったタクシー会社へ電話しました。
ここから余談が長いのですがひと悶着。
プリペイドの携帯電話を借りて持って行きました。それがなかなか繋がらず、ようや運転手と会えたのが10:00am。
目的地はミース・ファン・デル・ローエ設計のファンズワース邸。相当に辺鄙な所にあるようで、先に全条件を伝え、所要時間1時間半で50$で交渉して貰っていました。
しかしいざ乗ると、行先を聞いていないとか、住所を言えだとか。住所を伝えると、GPSに入れても表示が出ない、だからナビゲートしろだとか。まあ文句しか言わないのです。
こちらも頭に来ていましたが、地図を渡し、ここに行ってくれと放っておいてのです。
そんなに複雑でない道程ですが、地図をくるくる回しながら見て、全く分からないと嘆いているのです。無視していると、近くに来ていると判断すると(それも間違っているのですが)、曲がれそうな角を1つずつ曲り始めました。
これでは着かないと思い、ひたすらに嘆く彼を励まし「ここは地図でココ。次の次を曲がって……」などという始末。
もう最後の道に入っており、徐々に住所表示も近づいているのですが、シットだのファ○クだのと喚いているのです。
適当な英語で、問題ない、真っ直ぐ行ってくれと更に励ましていると、ようやく到着しました。すると笑顔で、「グッド トリップ マイフレンド!」と。
ふざけるな、と言いかけましたが、まあこれが旅の醍醐味です。何故か料金は79$でした。
長いアプローチを歩いて行きます。
本当に先にあるのかと思う程。
ファーストコンタクトは東の側面でした。
軽やかに持ち上げられた、小さな白とガラスの家が見えてきました。
ミース・ファン・デル・ローエ設計、ファンズワース邸。1950年の作品です。
webサイトにもあったのですが、ファンズワース邸は現在改修中。
真正面に黒いビニールに覆われた工事部分。
向かって左に伸びたトラバーチンのテラスには工事用の赤いコーン。写真的に、ここは切っておきます。
ファンズワース邸はミースのアメリカにおける、最初で最後の独立住宅でした。
建物を外部から支える8本のH鋼で、全てが持ち上げられ、限りなく自由なプランになっています。
テラスも同様に待ちあげられています。
快晴の林の中で、まずはディティールをつぶさに見て回ります。
内部に入り、ガイドをしてくれるツアーでしたが、内部撮影は禁止。
撮って良いツアーもありますが、今回は時間が合いませんでした。
正面は南向きで、北側にはキッチンがあります。
キッチンも至ってシンプル。
しかし、工事としては大変な精度が要求され、費用は膨大なものになりました。
クライアントとミースとの間では裁判になった程なのです。
目の前は湖。
内部からは開口部によって切り取られた景色が、我が物になるのです。心地よい余韻を残しながら、帰りのタクシーに乗りました。
行きとは反対に、とってもフレンドリーな運転手はマイク。
少し時間があったので、シカゴ市内にある、同じくミース設計の集合住宅、レイク・ショア・ドライブ・アパートントへ寄って欲しい、チップは出すと言ったのですが、遠いからと難色を示しました。
滅多に来ることがないので、食い下がったのですが、私の英語力ではそこまで。ちょっと残念でした。
6:30pm頃シカゴを発ち、9:30pm頃マンハッタンの西、ラ・ガーディア空港着。
ニューヨークとシカゴには1時間の時差があり、しかもこの日を境に夏時間から冬時間へ移行したようです。
何が何だかわからず、何時間掛かったのかもよくわかりません。
まあ無事に戻れればそれでいいかと。バスに乗り宿に戻ったのが11:00pm頃でした。
明日はレンタカーでペンシルバニヤまで車で500kmの旅。急いでベットに入ったのです。