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コスモスも下水も灯台下暗し‐1955‐

秋らしい天気が続きます。

コスモスはまさに今が盛り。

毎年、あちこちと訪れてきましたが、意外な穴場を見つけました。

応神天皇陵古墳外濠外堤。

古市古墳群の中でも最大の規模で、その外濠にコスモスが植わっていました。

なかなか広大な敷地に、かなりの密度です。

コスモス園的なところにも結構行きましたが、それに劣らぬ風景でした。

コスモスの魅力は、色の豊富さでしょうか。

白から濃い桃色まで、かなりのカラーバリエーションです。

地元の人には有名なスポットなのかもしれません。

花の話からいきなり下水の話です。

谷町四丁目駅近くにある南大江小学校にめりこむような形で、「太閤下水見学施設」はあります。

江戸時代に造られた石組みの下水道で、秀吉が行った大坂の町づくりと関連付けられているとあります。

江戸時代に造られた下水道が現役で機能している例は他都市にはなく、貴重な資料として2005年に、大阪市文化財に指定されたともありました。

大きく分けると、下水には汚水と雨水があります。

ここから見える下水はそこまで汚くありません。雨水だけが流れているのかもしれません。

中世のヨーロッパではペストが大流行し、それを救ったのが下水道です。

文化的な暮らしにおいて、なくてはならないインフラなのです。

コスモスも下水も灯台下暗しでした。

当たり前にあるものほど、本当は一番大事 -高須光聖-構成作家

高須さんは、ダウンタウンのブレーンとも言われる、売れっ子構成作家です。

流石に、真理を見抜く力と、言葉のセレクトも超一流という気がします。

昨日の11月9日は、19回目の結婚記念日だったと、母親から妻へのメールで知りました。

結婚当初は、食事などに出ていましたが、子どもができ、そして大きくなり、何より時間がなくなり、その習慣は無くなってしまいました。

19年と聞くと、長い間一緒に暮らしてきたんだなという気持ちと、あっという間だったという気持ちがないまぜに湧き起ります。

どちらかというと、後者の方がやや強いですが。

どこも同じだと思いますが、全く波風が立ったことのない夫婦もいないと思います。

私のような融通の効かない男と、何とかかんとかこれまでやってきてくれたことに、心から感謝申し上げます。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

メディア掲載情報

施政者、太閤・秀吉を見習うべき‐1323‐

 ブラブラ、タモリが歩くからブラタモリ。

 なんとも安易なタイトルですが、楽しみにしている番組です。

 先週土曜日は大阪でした。

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 NHKによる圧倒的なリサーチと、専門家によるアテンドで、面白いに決まっているのですが、私が理想とする街の歩き方でもあります。

 地形、歴史から街を解き明かしていく過程が、最高に面白いのです。

 大阪のスタートはあべのハルカスからでした。

 60階の展望台から、上町台地を望みます。

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 縄文時代の地形と合わせ、上町台地の両岸が海だったという説明がありました。

 大坂城は上町台地の先端に建っています。

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 この地形が分かると、大阪の街歩きは更に面白いのです。

 これらのことは何度が触れたことがありますが、ここからの展開が流石でした。

 秀吉が整備した城下町は、天満橋、北浜へと西へ広がっていきます。

 これらの町は、通りを挟んだ南北が同じ町名になっています。町の境界は建物の背中側になっているのです。

 通りとの反対、背の部分に町の境界があるので「背割」。

 そこに通っていた下水が「背割下水」または「太閤下水」というのです。

 言葉は知っていましたが、理由を聞きいて、「流石は太閤・秀吉」と膝を打ちたくなりました。

 向かい同士で同じ町名のほうが一体感がでるだろうし、見せたくないものを裏手に回す、都市計画だったのです。

 現在工事中で、このような条件の現場があります。

 元々通りの反対側に、下水があったそうです。

 その道の専門家ではありませんが、地域的にみても太閤下水だった可能性もあるのではと思っています。

 この建物、現在の法の下では新築もままならない中、何とか躯体を残しフルリノベーションをしている最中でした。

 しかし、市から「敷地境界を越境しているのではないか」とストップがかかりました。

 確かに公図を調べると、裏路地は市の所有となっています。

 しかしクライアントに聞くと、官民の境界など元々なく、慣習で路地を残しているとのこと。

 元の通り建てるだけなので勿論越境などありませんが、境界が明確でないのに越境とはどういうことなのか。

 最終的には、現状を説明し、問題なく工事を再開したのですが、行政とはいったい何なのかと思います。

 倒壊の危険がある建物を何とかしたいというクライアトを助ける為、現場は懸命に動いています。

 しかし、簡単にクライアントや現場を呼び出し、ストップをかけます。

 そもそも、税金を払っているのはこちら側で、足を運ぶのはそちらではないかと思うのです。

 豊洲市場の問題は、新聞以上のことは知りませんが、石原慎太郎が「東京は伏魔殿だ」と言ったとありました。

 また、田中真紀子元議員も「外務省は伏魔殿」と言いました。

 誰が正しいのかは分かりませんが、伏魔殿とは、広辞苑にこうあります。

 悪魔の隠れている殿堂。悪事・陰謀などが陰で絶えずたくらまれているところ。

 本当にそうではないと、市民、都民、国民が思えるとよう、本気で考えて貰いたいのです。

 繰り返しますが、その給料は一般市民が払っている税金からでているのです。

 信長も秀吉も、楽市楽座の通り、少しも多くの商人を、城下町に集める為、知恵を絞ったはずです。

 施政者、太閤・秀吉を見習うべきだと思うのです。