タグ別アーカイブ: 上町のアトリエ付き住宅

スカッと空高く‐2180‐

今年は元旦から晴れ空が続きました。

すべきことが色々あり、年末年始はずっと大阪に居ました。

それでも、少しは正月気分を味わいたいので、1月3日の初売りを初体験してきました。

普段、何もできていないので、妻の服と靴を買って差し上げたのです。

朝一番は大丸梅田店もそれ程混んでいませんでした。

しかし昼が近づくにつれて、ちょっと怖いくらいの勢いで、どんどん人が上階に上がっていきます。

初めて見たこともあり、なかなか迫力のある光景でした。

ついでに、人でごった返す阪神百貨店の食品売り場も歩いてみました。

混雑は長時間居ると疲れますが、少しなら華やかな気分になって良いものです。

そのまま、玉造稲荷神社へ初詣に。

込み具合も程ほどで丁度良い感じ。

1月中のアトリエ移転を目指していますが、新しい氏神となるこちらにご挨拶に来たのです。

大阪以西の人たちにとっては、ここがお伊勢参りの玄関口だったとあります。

大阪城内の三の丸に位置しただけあり、豊臣家ゆかりの物が沢山あります。

秀吉と関係の深い、千利休は神社の南に屋敷を構えました。

清水谷などの地名が残るように、玉造清水と呼ばれる良質の水が得られたからだそうです。

利休ゆかりの井戸が、境内に復活しています。

こちらも豊臣家とのつながりを表す、立派な石の鳥居。

1603年に秀吉の子、秀頼が神社再興時に奉納したものです。

阪神淡路大震災の時に一部損傷し、このような形で保存されていました。

帰り道、難波宮跡をのぞいてみると、イベントがあるようでその準備をしています。

その先で、凧揚げをしている人がいました。

正月風情だなと思い、♪凧々揚がれ、と見ていると、揚がりそうで、揚がりきらない感じ。

まるで自分をみているようで(笑)

天王寺、平野に続く第3ステージは、大阪城のすぐ南の上町で、勝負の年になります。

場所が変わっても、自分の中身が変わる訳ではありませんが、心機一転という気持ちです。

今年は、スカッと空高く舞い上がりたいと思います。

■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

懺悔と青春‐2179‐

新年明けましておめでとうございます。

元旦に、アトリエm移転計画「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」【ゲンバ日記チャンネル】Episode1を公開しました。

よければご覧ください。

2025年の1回目は、昨年末の話からです。

12月30日、阪急うめだ本店のショーウィンドウも、すっかり迎春仕様になっていました。

百貨店の屋上広場から、北西のJR大阪駅側を望みます。

間もなく2024年も終わりだなと、やや感傷にふけるのです。

昨年はオリンピックイヤーだったので、中学・高校の同窓会の開催年でした。

柄でもないのですが、世話役の代表を引き受けています。

2004年アテネオリンピックの年に第1回目を開催。

以降、4年毎の12月30日に開催を続けてきました。

今回、先生方は3名が参加下さいました。

学生時代は、迷惑しか掛けていないと言っても過言ではないのですが、英語担当のA先生には、格別のご迷惑をお掛けしてしまいました。

本当にお世話になり、全く頭が上がりません。

開会のご挨拶をお願いしました。

70歳を超えたとのことですが、とてもお元気で、はつらつとされています。

皆に楽しんでもらうため、2分くらいの近況報告を全員にお願いしています。

なぜずっと私も写っているかと言うと、司会進行をさせてもらっているからです。

この3時間は気合十分、仕事くらいのテンションで臨みます。

初参加の同級生あり。

毎回安定の盛り上げ役ありと、多彩なメンバーが揃っています。

大学教授、海外の大学教授、医師、税理士、会計士、映画監督、CM監督、社長、副社長、SE、エンジニア、研究者、東京、愛知、ニューヨーク、十勝から……

もし子供が将来に迷っていたら、この会に参加するのが一番良いのではと思うくらいです。

と書いてみて、本当に実現したらとても有益な気がしてきました。

体育の先生は当時26歳だったそうです。

熱血指導でここでは書けないネタも満載ですが、そういった先生の話が一番盛り上がるのです。

「若かったので、皆さんにはご迷惑をお掛けしました!」は大爆笑でした。

3名とも、はじめて6年持ち上がったということで「君たちはとても印象に残っている」と。

化学のT先生は、やや体調を崩していたにも関わらず、新型コロナで中止した会を除いて、5回全ての参加です。

こちらの先生には高校生の時「守谷、勉強嫌いやったら高校は義務教育と違うから辞めてもかまわないんやで」と。

本当に、ご迷惑をお掛けしてばかりで……

会の終了後、皆で写真撮影。

最高に楽しい会でした。

その後、阪急東通商店街の串かつ屋さんで2次会。

こちらも31名の参加があったのです。

2004年、第1回目のすぐ後、当時学年主任だったY先生がお亡くなりになりました。

Y先生には「守谷はすぐカッとなりやすいから」と、短気な性格をたしなめてもらいました。

お葬式に寄せてもらったのですが、奥さまが、会から戻ったあと「楽しかった、楽しかったと、何度も言っていました」とお聞きしました。

20年前。

お2人とも本当に若い。

そういう私達も勿論若い。

2016年リオオリンピックの年に参加くださった、国語のS先生が2020年にお亡くなりになりました。

また、第1回目に参加下さった数学のY先生も、2021年にお亡くなりになりました。

冒頭の挨拶で言ったのですが、実際にお会いできることが、当たり前ではないという事を痛切に感じます。

S先生は中1、中2の担任でしたが、2016年のとき「あんた喧嘩ばっかりして、悪かったものね~」と。

本当に、懺悔、懺悔、懺悔しかないのです。

これまでぼんやり書いてきましたが、殴り合いの喧嘩、慰謝料、修学旅行中の別室隔離、学校でお好み焼き、かつ勉強は全くしない。

高槻中学・高校は進学校ですから、先生側からすれば絶対に要らない生徒です。

しかし、大学に入ってからは本気で建築を学び、仕事人としては毎日を全力で生き、誰よりも働いてきたつもりです。

多少はまともになったと思ってもらいたいのと、少しでも恩返しができるならと引き受けたのが、「同窓会実行委員会 世話役代表」でした。

会場捜し、名簿の作成、往復葉書の送付、メール配信、アンケート用紙の作成、そして会が終わった後の情報の整理、母校への報告と、開催年の8月頃から準備を始めます。

やるべきことが結構あるので、全て会社として引き受けているイメージでした。

しかし人手が足りていない今回は、かなり時間の確保が難しかったのが正直なところです。

また、そんな滅茶苦茶な生徒だったので、私以外が代表をすれば参加する生徒も居るのではとも、ずっと思っていました。

そんな理由で、20年勤めてきた世話役の代表を今回で退任させてもらうことにしたのです。

先のT先生にこんなことを言ってもらったことがありました。

「僕は今の生徒に、こんなことを言っているんや。

この学校に来れる子は、頑張れば絶対何とでもなる。

それは守谷を見てそう思う」と。

もとが真面目な人より、ヤンキーが厚生した方が偉く見えてしまう的なところもありますが、私にとってこれほど嬉しい言葉はありませんでした。

20年前と言えば34歳です。

自分で見ても若いと思います。

はっきり言えば、この会は私にとって、懺悔と青春だったと思います。

私は働きもしますが、前にも出ます。そこを陰から支えてくれたI君には感謝しかありません。

次回の第7回は、2028年ロサンゼルスオリンピックの年です。

世話役を退任した次回、参加したいと思うのかなとか思ったりもします。

まだ4年あるので、それはまたその時に考えてみたいと思います。

■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

2024年 暮れは元気にご挨拶‐2178‐

今年も残すところ2日になりました。

私の2024年を振り返っておこうと思います。

1月 2024年は何が出来る?‐2074‐

元旦の夕方に起こった、能登半島地震。

街角に設置されるようになった、多くのカメラがその生々しさをダイレクトに伝えます。

改めて、地震大国・日本を認識せざるを得ません。

2012年に家族で巡った、能登半島の美しい自然を思い出します。

北陸の海の幸は特に美味しいのです。

年始から、2024年は何ができる?というお題をいきなりもらうことになりました。


2月 梅田ダンジョン①<大阪駅前ビル編>‐2083‐

インバウンド旅行者の間でも「梅田ダンジョン」が話題になっているそう。

慣れ親しんだ梅田を、3回シリーズで紹介してみました。

梅田ダンジョン②<1.2km東西横断脱出編>‐2085‐

梅田ダンジョン③最終回<阪急三番街と阪急サン広場編>‐2091‐

長男が帰省するさい、東京からヒッチハイクで帰ってきたのには笑わされました。

青春ヒッチハイク‐2088‐

3月 奈良ホテルでセミナー‐2093‐

奈良大宮ロータリークラブの例会で講演をする機会をもらいました。

会場が辰野金吾の名作、奈良ホテルだということが特別に嬉しかったのです。

4月 4時間の山道はワクワク時間だった‐2106‐

長らく通っている池原ダムの近くで、古民家フルリノベーションの依頼を頂きました。

掘り炬燵のある平屋「下北山村の古民家〈リノベーション〉」です。

昨年末、通勤路とも言える169号線で崩落事故があって通行止めに。

現場は動いているので、十津川村を通る168号線で大きくう回して現地へ向かいます。

山道4時間はなかなか大変でしたが、それはそれで新鮮でした。

日本の粋。169号線ようやく開通‐2126‐

夏にはようやく仮設橋が開通。

「道」の大切さを、身をもって経験しました。

5月 第3ラウンドは上町で勝負‐2111‐

天王寺で創業し、平野に移転して20数年が過ぎました。

2年程前から、駐車場があり、スタッフも通いやすい場所を探していました。

大阪城のすぐ南、中央区の上町に小さな古ビルを見つけたのが今年の春。

アトリエm移転計画「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」のスタートです。

年内引越しを目指していましたが、少し遅れそうです。

6月 背景に人生をかける‐2122‐

久し振りに足を運んだ展覧会は、「新・山本二三(にぞう)展」。

「天空の城ラピュタ」をはじめ、ジブリの背景画を多く担当したのが 山本二三です 。

「火垂るの墓」「ルパン三世」等も担当しているのですが、「じゃりン子チエ」もそうだったと知り、驚き、納得しました。

「じゃりン子チエ」の背景については、この日記でも何度か取り上げました。

時代を写し込む精度が凄いと、いつも思っていたからです。

7月 3つの現場を回って、恥を忍んでひとり撮影‐2130‐

掘り炬燵のある平屋「下北山村の古民家〈リノベーション〉」の現場へは、遠方なのでひとりで行くことが殆んどです。

【現場日記チャンネル】の撮影も、当然ひとりで行わなければなりません。

アイフォンを使ってリモート操作するのですが、これを沢山の職人がいる現場でするのが恥ずかしく……

何とかEpisode6まで頑張りました。

8月 始まりの地、南紀白浜‐2141‐

長男が帰省したタイミングで、家族で南紀白浜へ。

南紀白浜は「家族で47都道府県制覇」の旅の始まりの地だったので、感慨深いものがあります。

もうひとつの目的は、家族写真の撮影。

ワンチャン、家族写真は南紀田辺へ‐2140‐

減る一方の年賀状ですが、4人で集まれる限り写真付きで送りたいと思っています。

9月 一粒万倍日に開業「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」ずっと元気を応援する‐2149‐

昨年の秋にオファーを頂き、9月17日の一粒万倍日に開業した、「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」

5社程のコンペから選んでもらったのですが、コンセプトを聞いた時から、「この計画は絶対に成功する」と思いました。

「患者さんでなくても立ち寄ってほしい」のは、元気な時のお姿を見たいから。

江口さんのこの考えを、形にしていく仕事はとてもやり甲斐があり、とても楽しかったのです。

10月 理容師≒医師‐2157‐

アトリエ付き住居の移転を控え、迷っているのが、どこで髪を切ってもらうかです。

中学生の頃から通っているDさんの店に通い続けるんだろうな、というのが今の結論です。

少し調べてみると、昔のヨーロッパでは、刃物の扱いに長けている理容師は、外科医も兼ねていたそう。

私にとっては、話をゆっくり聞いてもらう、精神科医のようなものでもありますが。

11月 その男、万里の長城レベル‐2168‐

2024年も、MLBで圧倒的な成績を残した大谷翔平選手。

今年1年は、右肘の手術で投手は封印。

その中で、指名打者では初めてのMVPに満票で選ばれました。

しかも2年連続で3回目の受賞です。

宇宙から肉眼で見える唯一の人工物と言われるのは万里の長城ですが、それに匹敵する、この惑星一の野球選手です。

12月 このクリニックを、必ず大繁盛クリニックにする‐2172‐

9月の開業を取り上げた 「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」 ですが、院長の江口さんから打ち上げのお誘いを受けました。

「内科系」のクリニックは、スタート時が本当に厳しいのです。

なので、スタートダッシュにつながるなら、何でもしようと思っていました。

そのひとつが、院長自らの言葉で、開業への思いを語ってもらうことです。

また、膵臓がん・胆道がんを発見するエキスパートなので、内視鏡、超音波内視鏡のできることも、分かりやすく説明してもらいました。

食事会の席で現状を尋ねると、聞いたことがない程、順調なすべり出しでした。

当日は朝方まで仕事をしていたので、失礼のないよう会話できていたか怪しいのですが、そんなことが吹っ飛ぶくらい、今年で一番嬉しい、美味しい時間となったのです。

年始の問いは、「何ができる?」でした。

結局のところ、私にできるのは懸命に働くことだけです。

そう考えると、より働きやすくなる、 アトリエm移転計画「上町のアトリエ付き住宅 〈リノベーション〉」が一番のご褒美かもしれません。

クライアントの駐車場を心配しなくても良いことも、都心部に出る時間が短くなるのもとても嬉しいことです。

そして、クライアントに心から喜んでもらえたら、仕事人冥利につきるのです。

本年も、「ゲツモク日記」「ゲンバ日記」、また『建築家・守谷昌紀TV』にお付き合い頂きありがとうございました。

2025年が、皆さんにとって素晴らしい1年となることを確信しています。


■■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■■

■8月30日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋<リノベーション>」掲載

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載