カテゴリー別アーカイブ: 09 家族・私

Z世代 VS 元新人類、完敗‐2048‐

■HOUSE DEVICE-建築士会の建築家と家をつくろう ■

・日時:2023年10月7日(土)10:00~16:00
・場所:大阪市立住まい情報センター 5階 研修室
※入場無料・予約不要

土曜日は第2の仕事場と言ってもよい、梅田のショールーム回りでした。

インバウンドは更に加速している感じ。

ルクアとルクア イーレをつなぐアトリウム広場もこの賑わいです。

アトリウム広場から陸橋を渡ってグランフロントに入るのですが、なぜかいつも目がいくHEP FIVEの観覧車。

1998年11月のオープンですが、乗ったことがあるのは1回だけ。

2014年8月24日のことです。

長男が小学4年生、長女が小学小学1年の時でした。

私は高い所が大の苦手で随分拒んでいたのですが、何故かこの日乗ることになってしまいました。

子供達2人は、もうノリノリです。

若い頃はそうでもなかったのですが、30代の半ばあたりから、飛行機、ジェットコースター、そして高い所がだんだん駄目になってきました。

上昇を始めた時から緊張していましたが、梅田センタービルの高さを超えたあたりからもう窓際にはいられないほど。

最高地点あたりで撮った写真はほぼブレブレで、これが一番ましな写真。

この日記に使おうと頑張ったのですが、腰が引け引けだったのです。

それで上げていなかったのですが、今回初だしです。

地上(といってもHEP FIVEの屋上ですが)に戻った時の安堵感は忘れもしません。

観覧車には二度と乗るまいと心に誓ったのです。

話は逸れましたが、この日も夕方まで時間一杯打合せをして帰ってきました。

その前日は、満月の中秋の名月でした。

今月初め、スーパーブルームーンをiPhoneで上手く撮れたという記事を上げました。

「月」を2回はアップしないかなと思い、あまり気合を入れて撮っていなかったのが上の写真です。

長女が学校から帰ってくるなり「お父さんのiPhone貸してくれる?」と。

月を撮りたいとのことで、「いいよ」と渡しました。

それがこの写真。

私の中秋の名月より、 スーパーブルームーンより数段上です。

どうやって撮ったのか聞くと「オートフオーカスを長押しでロックして、ここを調整して……」と教えてくれました。

彼女はiPhone11ですが、iPhone14PROにしかない機能なので、私のスマホで撮りたかったそうです。

そして「エアドロ(AirDrop)で送って」と。

Z世代と言う言葉をよく聞きます。

自分の子供がそうだという認識はなかったのですが、間違いなくスマホネイティブのZ世代でした。

40年前、私たちも新人類と呼ばれたのですが、30代の半ばあたりから、色々なものが苦手になってきました。

それは、子供ができた年齢と一致します。

守りに入ったつもりはありませんが、どこかで「絶対に死ねない」という気持ちもあります。

チャレンジ精神があり、勇気をもって、知らないことにもどんどんトライすることはとても重要です。

しかし今は、攻めるところは攻め、守るところは守る。そんな感じだと思います。

家族や社員をもつと、自然とそうなっていくのでしょう。

ただ、Z世代 VS 元新人類。「月」の写真勝負は完敗でした。 iPhone の勉強はもっと頑張ります。

■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

ドローンも人の幸せのために‐2045‐

昨日、今日と、再びポートピアアイランドのKOBEモビリティフィールドへ。

ドローンの国家資格を取るための、講習と試験でした。

昨日は、NCN DRONEのスタッフの方が講師となり、ほぼ一日筆記試験のお勉強でした。

そして本日の午前中が筆記試験。

正直、かなり難しかったです。

今日の午前中も、少し操縦の練習時間がありましたが、あいにくの強風。

それで、体育館の中での試験になりました。

中心のある2mの円がヘリパッド。

その周辺にコーンが配置されます。

その位置も正確に決まっており、決められた飛行ルートをスムーズに飛べるかというテストです。

https://twitter.com/i/status/1704815249982181582

これは、8の字飛行の半分です。

通常、ドローンはGPSで制御されていますが、その制御を解いての操縦で、想像をはるかに上回るくらい難しいのです。

またまた講師の方の模範操縦です。

実際の試験では、ちょっとやらかしてしまいました。

何とかなったのか……ドキドキの中試験が続きます。

夜間飛行のテストもありました。

完全に真っ暗という訳ではありませんが、何ルクス以下という規定があるそうで、体育館の照明を半分落としてのテストです。

少し照度が落ちるだけで、かなり見難い。

後で聞くと、こちらの課題では、大きな減点ギリギリだったそうです。

結果としては合格でしたが、楽々とは程遠い感じでした。

正直、甘く見ていると簡単に落ちるレベルの試験だと思います。

これで民間の資格は何とか得られました。


目標の「二等無人航空機操縦士」の国家資格は、指定機関である日本海事協会の筆記試験もクリアしてからの取得になります。

再度、教本を勉強してから早いうちに受験したいと思います。

ドローンは、こういった操縦機を操作するのですが、これはかなり大きいものです。

午前中の最後に、講師の方がDJI MATRICE 300という大型ドローンをデモ飛行してくれました。

https://twitter.com/i/status/1704823291134009597

人と比べると、その大きさが分かりやすいと思います。

ウクライナでの戦争で実際に使われている機種だそうです。

その大きさは正直怖いくらい。

https://twitter.com/i/status/1704823835990892796

機体の重さは13kgほどで、数百万円。

2kgのものが運べるそうです。

運ぶ物がもし……

ちょっと見難いのですが、この画面は熱センサーカメラに切り替えたものです。

熱を持つものを容易に見つけることができるのです。

まるで戦争映画か「24-TWENTY FOUR-」でみたことのある画面で、正直ゾッとしました。

ボディはCFRPで限界まで軽量化されているのでしょう。

人類の知恵の粋を集めた最先端機器であるのは間違いありません。

建築写真の撮影のために取得しようと考えたのですが、思わぬところから色々考えさせられました。

ホンダの創業者、本田宗一郎はこう言っています。

機械は人の上に立ってはいけない

テクノロジーは人の幸せのためにあって欲しいと強く願います。

物作りに関わる人は、先人の警句を肝に銘じる必要があるはずです。

■■■プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」8月1日オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

ドローンの国家資格を取得して、3ヵ月内のバージョンアップを目指す‐2043‐

今日は朝から三宮へ。

ポートライナーに乗ること14分。

計算科学センター駅に到着しました。

スーパーコンピューター富岳がある、計算科学センターは駅のすぐ西にあります。

南にある神戸空港への橋も少し見えていました。

駅の北側にあるのがKOBEモビリティフィールド。

2022年の12月からドローンの国家資格制度が施行されました。

民間資格は存在していましたが、ドローンの普及によって法整備も必須だということなのでしょう。

それなら早めに取得しようと、ドローンの専門家である知人に登録講習機関を紹介して貰ったのです。

この広い空間が、実技の練習会場であり、試験会場です。

紹介して貰った登録講習機関、NCN DRONEは神戸市と共同で、ドローン操縦講習や共同訓練などの活動をしているので、ここが会場となったそうです。

4人の方が、私を含めて2人の受講生を受け持ってくれたのですが、好きなことを仕事にしている人の集まりです。

とても良い雰囲気で、素人の私を盛り上げながら、分かりやすくレクチャーしてくれました。

資格としては「一等無人航空機操縦士」と「 二等無人航空機操縦士」に分かれます。

一等のみ可能な「有人地帯の目視外飛行」は不要かなと思い、二等の講習をお願いしていました。

難易度の差はかなりあるとのことで、私には二等で丁度良い感じです。

操縦したことがあるとは言え、完全に我流です。知らないことばかりでした。

そもそも、ドローンがGPSとカメラセンサーで制御されているので、同じ位置を簡単にキープできることすら知りませんでした。

それらの機能を切って、同じ位置でホバリングすることが全ての基本のようです。

ポートアイランドなので、海からの風が結構強く、かなり難しいのです。

こちらは講師の方の模範操縦。

簡単に横移動をしているように見えますが、風を受ける中真横に移動し、パイロンの上でピタリと静止するには、かなり繊細な操縦技術が必要なのです。

会場の周りには、こんなオブジェが並んでいます。

「O2ひまわり」という作品で、工業用酸素ボンベが阪神淡路大震災復興の象徴である「ひまわり」に姿を変えた作品だそうです。

大空に向って咲き誇る「O2ひまわり」は、ネガティブな考え方をポジティブに移行する力があると、解説にありました。

阪神淡路大震災から28年。私の社会人1年目の冬に起こったので、ほぼ仕事のキャリアと同じです。

本当に時代は変わりました。

昨日、尊敬する始道塾の塾長、恩田さんの講演を、リモートですが久し振りに聞きました。

「3ヵ月バージョンアップしない友人とは会わない」

そのくらいの気持ちが必要とのこと。

知らない、分からない、苦手。

そんな言葉は一切使わず、全て自分事だと思って生きたいものです。

本日の講師の方も、いずれはドローンの国家資格も必須になると思いますとのことでした。

いずれ必要なら、早めのアップデートをしておきたいと思います。

来週の座学、実技練習を経ていよいよ試験です。

また来週、報告したいと思います。

■■■プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」8月1日オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

草葉の陰から‐2031‐

■■■プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」8月1日オープン ■■■

朝のジョギングコースに材木屋があります。

材木を保管するため天井は高く、かなり大きな建物です。

裏口を見ると、かなり年期が入っていることが分かります。

祖父が材木屋をしていたので、少しのぞいていると従業員に声を掛けられました。

事情を話すと、「中も撮ってくれていいですよ」と。

土間はたたきで、子供の頃によく行った、祖父の仕事場と似たつくりです。

従業員の方が「築70年以上は経ってるんじゃないかな」と。

「材木は本当は縦置きしないほうがいいんだけど、スペースの問題で仕方ないんですよ」とも言っていました。

自然光が材木を照らす風景と、木の良い匂いが、一気に記憶をフラッシュバックさせるのです。

父方の祖父は、岡山で材木屋を営んでいました。

最後に祖父の仕事場をのぞいたのは2005年の8月。

祖父は93歳まで生きましたが、その1年前に亡くなっています。

ちょうどデジカメに移行した頃で、フィルムの写真は見つけることができませんでした。


夏になると、仕事場にある井戸で自分が作ったスイカを冷やし、よく食べさせてくれたのです。

この時、祖母は89歳。長男との初対面でした。

祖母もこの4年後、2009年に93歳の生涯を終えたのです。

生命はつながっていることに重要な意味があるんだ。

両親から私へ、私から息子へと。

このつながっている全体をさして人生というんだ。

- ブルーザー・ブロディ- プロレスラー

私が大好きだった、プロレスラー「インテリジェンス・モンスター」ブルーザー・ブロディ-が残した言葉です。

間もなくお盆。

人手が足りないにもかかわらず、多くのオファーを頂き、本当に有難い限りです。

今年のお盆も、目一杯働くつもりで、墓参りは叶いそうにありません。

それでも、鬼籍に入った4人の祖父母は、草葉の陰から応援してくれるという確信があるのです。

先述した ブルーザー・ブロディ- は新聞記者出身で「インテリジェンス・モンスター」の名に恥じない論客でもありました。

それもあってか、プエルトリコのブッカーでもあったレスラーに、口論の末ナイフで刺され、非業の死を遂げるのです。

祖母と初対面時には0歳だった長男が、今年から大学生です。

働くということが、どういうものか、命ある限り行動で示したいと思うのです。


■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

次はどこで働く?‐2024‐

今年の梅雨は天気予報に反して、晴れの日が多かった気がします。

今日の大阪は、昼過ぎに強い雨が降ってきましたが、夕方には完全に上がりました。

梅雨に入った頃、実家で氷砂糖に梅を漬けていると書きました。

それがようやく梅ジュースになりました。

砂糖漬けなので甘くはありますが、炭酸水で割ってみるとスッキリ飲みやすいのです。

なぜ実家のことを知っているかと言うと、この4月に15年住んだ家を売却し、家族3人で実家に住んでいるのです。

建て替えるつもりで古家付きの土地を買ったのですが、自宅より先に仕事場を何とかしなければという事になったからです。

1996年、JR天王寺駅の北側に建つマンションでアトリエmを立ち上げました。

4.8畳のワンルームでしたが、狭くても十分に満足していました。

ここで3年頑張り、1999年に天王寺でもう少し北のマンションへ引っ越しました。

そのマンションは12畳ほどあるワンルーム。広くはなったのですが、この頃に体調が悪化します。

2001年は完全に1年休んで、2002年に平野区で再出発しました。

親が所有していた倉庫の2階がアトリエです。

スレート屋根だったので、暑さ寒さは強烈でしたが、60畳分をひとりで使っていたので、贅沢と言えば贅沢。

前の出っ張り部には、隠し階段もありました。

バラック感がたまらない建物だったのです。

その東隣にも小さな倉庫がありました。

そこに建てたのが、弟の家族が住む「平野西の家」です。

2004年の完成と同時に、隣の倉庫から1階にアトリエを引っ越してきました。

今年は2023年なので、ここで20年仕事をしたことになります。

西隣の倉庫は、2017年に解体して「R Grey」を建てました。

弟がオーナーのマンションです。

アトリエmは、これまでに4カ所で営業してきました。

自宅を新築してから、会社ビルを建てるのが理想でしたが、現時点で2軒建てるほどの体力はなく……

長男が東京の大学へ行ったことも後押しになりました。

自宅を売却した資金を元手に、もう少し大阪の中心へ引っ越そうと物件を探しているのです。

現在52歳。

しかも、娘の大学進学も控えています。

今更ながら健康が一番ということで、実家の物置スペースで10年振りにウィトトレーニングも開始しました。

元々、体力だけが自慢ですが、まだまだ身を粉なにして働く覚悟です。

5か所目のアトリエは、クライアントやスタッフが、もう少しアクセスしやすい所にしたいと思っているのです。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

「お客さん」と「消費者」、「お店」と「店舗」‐2012‐

日曜日の朝、空を見上げると少し雰囲気が違いました。

爽やかな春の空から、やや湿り気を帯びたというか……

と思っていたら、やはり今日から梅雨入りのようです。

晴れ間があるうちにと、4月にオープンした門真のアウトレットへ。

鶴見にあったアウトレット、「ブロッサム」は3月に閉館しました。

大阪南部からは、少しだけ遠くなったことになります。

「ららぽーと」が1、3階で、2階が「アウトレットパーク」。

ハイブリッドの大型ショッピングモールとあります。

混雑を覚悟してきましたが、駐車場は問題なく止めることができました。

駐車場はいつも上階派です。

5階から眺めると、丸い大屋根が目立っています。帰って調べると、門真市の環境事業部でした。

これ程大きな敷地には、パナソニックの工場が建っていたようです。

中央には大きな吹き抜けがあり、天井からは自然光がとりこまれています。

2階のアウトレットも、なかなかの人出。

1階には「黒門市場」の提灯が上がっています。

「ブロッサム」には、子供が小さい頃によく行ったので、中央の半屋外の広場は重宝しました。

しかし飲食店は少なかったので、この点は門真のほうが充実しています。

一日掛けて、存分にお金を落とせるようになっている訳です(笑)

私たち夫婦は、不足分の服を購入してすぐに退散。

夜は、娘がクラブで最高の結果を出してくれたので、3人で祝勝会でした。

お好み焼きの「わらい」。

チェーン店でない方が好みですが、喫煙のことだったり、ある程度の距離感が欲しかったりと、家族で行く時はこういった店に頼ってしまいます。

名物の「わらい焼き」と「焼きそば」は本当に美味しいので、金額にも味にも、何の不満もないのですが。

巨大ショッピングモール時代です。

セブンパークス天美がオープンしたのは2021年の秋でした。

オープン当初は、駐車待ちの車列が伸びていましたが、今は落ち着いています。

ここに行く時も、二上山を望む屋上駐車場が好みです。

私が子供の頃、クリスマスなどのプレゼントは近所のおもちゃ屋さんで買って貰いました。

このあたりだったかなと寄ってみると、うっすらと屋号が残っています。

もう無いかなと思っていたので、形があるだけでも嬉しいものです。

作家・沢木耕太郎は、20代の時、香港からイギリスのロンドンまでを乗り合いバスで旅します。

「深夜特急」という小説として発表するのですが、ヨーロッパと、その手前までのユーラシア大陸との違いをこう書いていたはずです。

Make things happen.
⇒自分が行動を起こさないと、何も起こらない。

Something Happens.
⇒勝手に何かが起こる。

個人商店なら何かが起こり、チェーン店なら何も起こらない訳ではないのですが、ニュアンスは近い感じもします。

消費者をマーケティングし、作り上げられたシステムは、最大の売り上げを出し、かつクレームの少ないシステム。その安心感はさすがです。

ただ、買う側は「お客さん」というより「消費者」で、「お店」というより「店舗」といった感じ。

時代はそれを望んでいますし、私も家族を持ち、そういった行動をとることが増えました。

本当に、違いを出せる個人商店を望むのなら、こだわりの親父の店に通い、あのおもちゃ屋さんでプレゼントを買い続けるべきだったのかも、などと思うのです。

私ひとりの消費など、何の足しにもなりませんが、「お店」がなくなっていくのはやはり寂しいものです。

「お」が付いていて欲しいのは、昭和生まれだけなのかもしれませんが……


『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開
■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

テレビ出演、その後‐2006‐

5月5日のこどもの日に大阪に戻りました。

奈良市で部活の試合だった娘と、その観戦に訪れていた妻をピックアップするため、早めに池原ダムを発ちます。

奈良と新宮を結ぶ169号線は新緑がまぶしいほどです。

https://www.instagram.com/reel/Cr-u522rdw-/?utm_source=ig_web_copy_link

最近は、私たちと同年代のライダーが増えた気がします。

いつも一人で行き来する私からすれば、ツーリングはとても楽しそう。

でも、バイクは怖いのでやめておきます。

30年前に初めて訪れた時は、大阪から3時間以上掛かりました。

しかし現在は道が良くなり、2時間強です。

その一番の要因が、 川上村にある伯母谷ループ橋を含めた周辺トンネルの開通です。


ループ橋を反対側からみると、その高さが伝わるでしょうか。

調べてみると、大手ゼネコン錢高組の施工でした。

ループ橋の完成は2003年で、高さは100m以上あります。日本の技術力の高さに感心するのです。

今回は、ボートトレーラーを車検に持っていったりで、下北山村内をうろうろしていました。

車もボートもかなりガソリンを使うので、いつも給油に訪れるガソリンスタンドがあります。

はじめは女性が応対してくれたのですが、事務所内から店長さんが出てきてくれました。

すると「このあいだテレビに出ておられました?」と。

浅越ゴエさんのコーナー でしたよね。ゴールデンウィークは来られるだろうから、聞こうと思ってたんですよ!」と。

こちらのガソリンスタンドはレンタルボート店も兼業しているので、釣り話もよくします。いつも笑顔の人なので、ここで給油することが多いのです。

大手宅急便の配送に来た35歳くらいの男性も「テレビ、観ましたよ」と。

バーのマスターからメッセージが届いたり、母へ何人か電話があったり。

ちょっとお手伝い程度の出演でしたが、楽しんで貰えたなら何よりです。

テレビに出演させて貰う一番のメリットは、多くの人の目を意識することだと思います。

世界人口は80億人。80億人が私を知ってくれている訳ではありませんが、絶対仕事依頼がないと決まってはいませんから。

ゴールデンウィーク中も、週明けのプレゼンテーションへ向けてプランを練っていました。

人手不足ではありますが、学生が休み返上でアルバイトにきてくれました。

また、本日は入社試験の面接も実施しました。

もっと良い仕事をして、一人でも多くの人にアトリエmの仕事を知って貰いたいのです。

「建築家・守谷昌紀特集」なら皆に告知しました。

そんな機会があるよう、夢をもって、いつも笑顔で頑張ります。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開
■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載
■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

決してひとりじゃない‐2001‐

日本には四季があり、どの季節にも旬の食べ物があります。

それは日本人として、最高の幸せかもしれません。

最近お気に入りのホタルイカとブロッコリーのアヒージョ。

これにバケットと白ワインがあれば、もう何も要りません。

妻がママ友とランチへいった際に出てきたそう。こんなレパートリーが増えるなら、より気持ちよく送り出せるというものです。

私は仕事をしていましたが(笑)

そしてこちらはスイカ。

旬には早いのですが、ふるさと納税の返礼品だそうです。

私の知るスイカの甘味とは、レベルが違いすぎました。これはもうメロンです。

食べたのは一切れだけで、その他は娘と妻の胃袋へ消えていきました。

2人が喜んでくれれば十分です。決して嘆いている訳ではありませんので。

前回の日記は2000回目で、30歳の時に2ヵ月程、精神科病棟に入院したことを書きました。

その翌日、中高の同級生であるK君からメッセージが届きました。要約してみます。

精神科病棟への入院を初めてブログで知った。

当時、私がうつ病に羅漢していると、中学野球部時代のチームメイト、T君から相談があった。(私は中学野球部出身で、T君も医師で大学で基礎研究をしています)

K君の父が勤める病院を紹介した方がいいかなと、2人で相談していた。

風の噂で、インドへ放浪の旅にでて回復したと聞いたけど、これはガセかな……

K君は精神科医でしたが、20年前にアメリカの大学へ留学しました。

今回のやり取りで、その大学の精神医学部門で研究室運営を任されていることと、本年度1月から終身教授になることが分かりました。

研究資金獲得競争は激烈だけど、定年を気にせず研究できるのはとても有難いとあったのです。

立派な同級生2人が、これ程心配してくれていたことを知り、心から感謝しました。

最後はこう結ばれていました。

うつ症状が遷延する人々が多くいるなかで、今の守谷の見事なお仕事やご家族も含めた社会生活のご様子、精神科医(もはや元精神科医というべきか)としては、感慨深いものがあります。

きっと、入院を経験されたことも、人としての優しさとか器とかに大きく影響したのかなと、勝手ながら思いました。

当方は、うつ病の生物学的研究をしていますが、正直なところ、なかなか道のりは遠いです。

とはいえ、現役の間に、本当の意味で患者さんの役に立つところまで辿り着くべく頑張ってまいりたいと、守谷のブログを見て、気持ちを新たにしました。


「現役の間に、本当の意味で患者さんの役に立つところまで辿り着くべく頑張っていきたい」という言葉に仕事人としての矜持を感じます。

そして、彼が東海岸にある名門大学の終身教授まで上り詰めた理由を垣間見た気がしたのです。

2012年、『大改造!!劇的ビフォーアフター』に出演させて貰ったおかげで、母校の第1回のホームカミングデーで講演をさせて貰いました。

迷惑しか掛けたことのない母校に初めて恩返しできると、家族も連れて24年振りに訪れたのです。

変わった所もありましたが、中庭はほぼ当時のまま。

懐かしい駅前通り。

思い出深い食堂。

当時のままのおばちゃんが作ってくれた、最高に美味しいラーメンです。

そういえば、姫路名物の黄そばを書いたとき、「母校のラーメンも黄そばだったね」とコメントをくれたのも同級生I君でした。

2019コロナ直前の文化祭にも参加させてもらいましたが、ついにここまで変わってしまいました。

同じ時期に、同じ場所で学び、さぼり、悪さをしていただけで、なぜこんなに心の結びつきができるのだろうかと考えます。

学生時代は、学校に何の愛着もなかったのに、です。

成人という文字は、人に成ると書きます。

人以前であるその期間が与える影響はとてつもなく大きいのかもしれません。

子供達に、自分の母校を目指して欲しいと思い、連れていったのですが、兄妹とも見事に違う学校へ行きました。

そんなことは構いません。行きたい学校を見つけてくれたことが一番嬉しいことです。

長い人生の間には、本当に色々なことが起こります。

「もうどうしようもない」と思ったとしても、決して諦めてはなりません。

どこかで誰かが見ていて、必ず応援してくれているのです。

私のように付き合いの悪い、友達の少ない人間にでも、こんなことが起こるのですから。

K君のようなプロ中のプロに褒めて貰えたことは、本当に嬉しく、本当に自信になりました。

そして、誰も決してひとりじゃない。そう思えるのです。

こんな日は、ゆっくりお酒でも飲みながら考え事をしたいものです。

美味しい旬のアテがあれば最高ですが。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開
■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載
■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

精神科病棟‐2000‐

日曜日の朝、車で郊外へと出かけました。

田畑の畝には、野花が咲いています。

この辺りを歩いたのは31歳の頃……

2004年3月30日この日記をスタートして、今日で2000回目となりました。

1年は52週なので、「月」と「木」にUPすれば1年でおよそ100回。

ほぼ20年書いてきたことになります。

2013年10月10日の1000回目は「カミングアウト ‐1000‐」としました。

節目は普段書かないことをかこうと思い、28歳から31歳にかけての約3年、重い鬱に苦しんでいたことを書きました。

実はその期間中に、精神科病棟に入院したことがあります。

その病院を約20年振りに訪ねてみたのです。

名称は変わっていますが、場所は合っているはず。

こんな病院だったかなと考えていると、一緒に行った妻が「確か渡り廊下があったはず」と。

周辺を歩いてみると……ありました。

何度か見舞いに来てくれた妻が言うには「渡り廊下でタバコを吸いながら、楽しそうにおしゃべりしてた」と。

当時はタバコを吸っていたのですが、入院患者と仲良くなり、ここでおしゃべりしていたようです。

解体され、無くなってしまった病棟は、「閉鎖病棟」と言われるもので、夜になると鍵が掛かるので自由に出入りはできません。

自殺、自傷の行為の恐れがあったり、アルコール依存症であったりと、そういった治療が必要な人達が入院する施設なのです。

25歳の時、先輩のご両親から大きな仕事を頂きました。

その後も、知人、友人から続けてオファーを貰いました。

信じられないくらい恵まれていたのですが、実力がそれに追いついておらずで、鬱になってしまいました。

引き受けていた仕事は何とか全て終わらせ、一旦アトリエmを閉めたのが2001年の春でした。

当時は考え事をし始めると「死んだら楽になるのだろうな」という結論に至ってしまいます。

明日生きている自信がなく、その時に診察をして貰っていた先生に「入院させて貰える施設はないですか」と相談したのです。

その病院には、本当に色々な人がいました。

病室は6人くらいの相部屋で、隣のベッドは中肉中背でゴルフ焼けをした40歳代の男性。

大手アパレル会社の総務を取り仕切っている方で、「僕は年に1度、ここにピットインすることにしているんだ」と言っていました。

精神的に弱いところがあることを自分で理解し、そのメンテナンスを毎年ここでしているのです。

多弁な方ではありませんでしたが、本当に色々な話をしました。

女性の入院患者も多くいました。

病室を自由に出入りはできませんが、談話室のようなところへ行けば誰とでも話ができます。

入院した私が言うのも何ですが、見るからに病んでいるという人はあまり居らず、普通に見える人ばかりでした。

女性陣のリーダー格に、40歳くらいの姉御肌の方がいました。

色白で背が高く、大変美人でしたが、飲食関係の仕事をしているとのことでした。

談話室で話しをしていた時、「そう言えばあんたの彼女、メッチャ美人やなあ!」と、褒めてくれたりしたのです。

細身の方でしたが、ストレスが溜まると拒食症気味になるそうで、繊細なところはあったと思います。

同い年くらいの専業主婦の方と話をしていると、何の問題を抱えているのか全く分かりませんでした。

しかし、あるきっかけで自傷行為を繰り返してしまうそうで、子供達に申し訳ないと泣いて話していました。

消灯時間ギリギリまで話していた翌日、「あの2人デキてるで」と噂を立てられてこともありました。

社会人になってすぐの25歳、体育会出身のがっしりした男性や、ややぽっちゃりした飲食店を経営する眼鏡のママもいました。

建物のない敷地を見て、皆どうしているんだろうと、当時を思い出していました。

植え込みのツツジは花が開き始めていました。

藤も紫の花を咲かせ始めていました。

4月に入院したので、藤が盛りの頃に退院したのだと思います。

吹けば飛んで無くなってしまいそうな私でしたが、今も元気に生き、働いています。

妻が言うには「僕の居るところではない」と退院してきたそうです。

丁度、鬱になった時期から付き合い始め、結婚し、今事務所を手伝ってくれているのは彼女だけ。喧嘩もよくしますが、心から感謝しています。

今は無き、その精神科病棟に入院させてくれたのは、私の初めてのクライアントでした。

近所の心療内科医に通い始めたのですが改善の糸口を見つけることができず、立派な国立大学の精神科を出ておられたクライアントを頼ったのです。

アーロン・ベックの「認知療法」を教えて貰ったり、歌人・斎藤茂吉の長男、斎藤茂太の「“うつ”もまた楽し」なども教えて貰って読んだ本です。

「うつもまた楽し」なんてその時は全く思えませんでしたが。

ごく普通の私の人生でさえ、これだけ多くの幸運と助けがあってこそ、成り立っていることが分かります。

私が精神科病棟に入院したのは、現実から逃げ出したかったからです。

もし、精神的に追い詰められている人がいたら、この2つだけは伝えたいのです。

「命より大切なものはない」

そして、

「逃げていい」

ということです。

仕事で命を取られることはありません。元気でさえいれば、必ず挽回のチャンスはやってきます。

もし25歳の私に会えたとしたら、同じことを伝えると思うのです。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開
■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載
■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

岡山、香川、5年振りの墓参り‐1996‐

中国道、山陽道と乗り継いで、岡山へ向かいます。

週末は墓参りに帰っていました。

倉敷市の海沿いに、父方の祖父母が眠る墓があります。

墓地の中でも、一番見晴らしのよい場所です。

https://www.instagram.com/reel/CqkrcfPs6Sq/?utm_source=ig_web_copy_link

その景色を空撮でも撮ってみました。

桜も満開です。

皆の健康と、すでに東京へ旅立った長男の合格を報告してきたのです。

材木商で財を成した祖父が準備してくれる食事は、いつも豪華でした。

93歳まで生きた祖母は、50台の時に胃を全摘出していたにも関わらず、最後の最後まで自分の足で歩いていました。

祖父母が暮らしていた家がそのまま残っており、小さい頃の記憶が蘇ってきます。

そのまま瀬戸大橋を渡り、母方の郷里へ向いました。

まんのう町あたりは、のどかな農村風景が広がります。

田んぼに囲まれた墓地で、同じく手を合わせてきたのです。

海の神様、金刀比羅宮がある像頭山を望むこの地に祖父母は眠っています。

真面目一筋の祖父、スーパー働き者の祖母が大好きでした。

https://www.instagram.com/reel/CqkrmI6v0X3/?utm_source=ig_web_copy_link

倉敷に負けず劣らず、こちらの景色も素晴らしいのです。

帰りは大鳴門橋を渡って大阪へ向かいました。

鳴門の大渦は、見えたか、見えなかったか、微妙なところでした。

今は亡き4人の祖父母は、戦争、敗戦、食糧難、そして高度経済成長と、激動の時代を生き抜きました。

人はタンポポのように、風に乗ってどこからかやって来て、勝手に育つことなどはできません。

紡がれた生に感謝できる、この機会を大切にしたいと思います。

今回は約5年振りでしたが、こうして自由に往来できる雰囲気になったことが一番嬉しいことです。

なかなか全員が揃うことはありませんが、できる限り訪れたいと思います。

『建築家・守谷昌紀TV』 ■

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演
■■6月9日 『住まいの設計チャンネル』 「おいでよ House」公開
■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載
■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報