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車という戦友‐1756‐

 建築の設計・監理の中に、「現場説明」という仕事があります。

 競争見積りに参加する建築会社に図面を渡し、現場にて説明をするので、まさに文字通り。

 普段は略して「現説(ゲンセツ)」です。

 先週土曜日、現説へ向かうため、会社を8時頃出ました。

 阪神高速松原線はいたって快適。

 ところが東大阪線に乗り換える前に「事故渋滞高井田まで6km」と掲示板に出ました。

 駒川で乗った時には無かったものです。

 事故が起こった直後のようで、1時間ほど渋滞に引っかかってしまいました。

 35歳くらいまでなら、かなりイライラしていたと思いますが、そこはすでに50歳。

 迷惑を掛けてはしまいますが、こんな景色をゆっくり見れることも無いと覚悟を決め、クライアントと建築会社に連絡を入れたのです。

 昨年亡くなったシーザー・ペリ設計の、大阪NHK放送会館・歴史博物館が見えてきました。

 更にクリスタルタワー等の高層ビルを従えた大阪城も。

 また、難波宮跡あたりでは、阪神高速は急に高架でなくなります。

 埋蔵文化財の件なのか、太閤様より高い目線は不届きだとなったのか。

 おそらく前者なのだと思いますが、これも車ならではの景色です。

 ようやくノロノロ運転が終わり、第二阪奈を降りると生駒盆地です。

 野焼きの匂いが懐かしい。

 北上して学研都市を抜けたのですが、ここはまるで近未来都市のようです。

 中心部にある京セラの研究所。

 師事させて貰った稲盛さんの会社ですから、目礼して通り過ぎました。

 さらに北上すると一気に里山の風景に変わりました。

 柿がたわわに実り、まさに日本の風景。

 車移動には楽しみが多いのです。

 車の免許を取って30年近くなりますが、先日車を擦ってしまいました。

 代車にやってきたのがトヨタのカムリ。

 ハイブリッド車を運転するのも初めてですが、生まれて初めて乗った車がカムリでした。

 父が乗っていた白のカムリを貰ったのですが、この車は息が長い車なのです。

 トヨタのwebサイトを見に行くと「生誕40周年」とでていました。

 北米での乗用車部門では、販売台数がトップレベルだったはず。

 1年程カムリに乗ったあと、20年に及ぶハイラックスサーフ人生が始まりました。

 ハイラックスサーフの国内販売が終わり、2011年にディスカバリーに乗り換えたのですが、北米では現在でも「4RUNNER」として販売されています。



 初代サーフの写真が2枚しかないので、若気の至りをお許し下さい。

 2代目サーフ、初代ディスカバリー、2代目ディスカバリーです。

 当時のカムリではないものの、私の車人生のピースが埋まりました。

 2030年代には、ついにガソリン車に乗れなくなるようです。

 地球の環境問題は、個人の趣味嗜好より断然上にあるものだと理解しています。

 いずれ来る事は分かっていましたが、パワフルな車の無い人生を今は想像することができません。

 私にとって車は単なる物ではなく、人生のパートナーであり、戦友そのものなのです。

■■■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
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【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

ハイラックスサーフ

 1991年の春、20歳の時に車の免許をとりました。初めて乗った車は、父からのお下がりで、トヨタ・カムリでした。

 世はバブル景気真っ只中。実家のガラス屋も順調で、新車を買って貰うことに。甘えに甘えきっていたのです。

 「どんな車を」となった時、海、スキーを考え、四駆が良いなと。三菱パジェロと悩み、決めたのがトヨタ・ハイラックスサーフ。1991年12月の事でした。私にとっての初代サーフです。

 すぐスキー部の合宿地、北海道へフェリーで行きました。

 冬はスキー板、春夏秋はボートを載せ、山、海、湖、どこへでも。

 2003年の5月。友人と釣りに行こうと家をでると、ボンネットの前部から「ボンッ!」という大きな音。

 白煙が上がり、止まってしまったのです。11年で11万キロを走っていました。

 ディーラーに連絡すると、5千円で引き取られて行ったのです。

 すぐに車を探し、考えた末再びサーフに。

 改めて、この車が好きだと分かったのです。

 2代目サーフがやってきたのがその年の6月。今度はシルバーにしました。

 早速キャリアーを付けて海へ。

 33歳を目の前にして、恥ずかしながら初めて車を買ったのです。

 雪道の時も。

 思わぬ場面に出くわした時も。

 甥っ子を連れた時も。

 若干切れ上がっているフロントライトも、大きなタイヤも。全てが好きだったことに今気づきます。

 しかし、乗り換えることにしました。

 走行距離は12万5千キロ。それでも30万円で引き取られて行きました。

 次にやってくるのはサーフではありません。北米での販売は続くもの、日本では一昨年に終了したのです。

 先週の旅行は、最後の時間という気持ちでした。

 今は新しくやって来た車のことより、20年を一緒に過ごしたサーフとの思い出に浸りたい気分です。

 私のサーフは、今はどこを走っているのか。

 北国なのか、ロシアなのか、中東なのか。

 さらば、愛しのハイラックスサーフよ。

ハイラックスサーフ(Hilux Surf)は、トヨタ自動車のSUV型の自動車である。設計は日野自動車主導で、開発と生産は日野とトヨタの共同となる。北米などへは「4Runner」(フォーランナー)という名称で輸出されている。
初代 1983年10月米国にて販売開始。フロントキャブ屋根上にはチルト式のサンルーフが付き、ハードトップとサンルーフを外すと、オープン・エアを楽しめるオープンカーにもなる、多用途レジャー仕様だった。
1984年5月、日本国内で販売開始。日本国内では、屋根を取り外しての公道走行は運輸省の認可が降りなかったが、着脱は可能な構造になっている。全車4ナンバーのライトバン扱いとなった。
2代目 (1989年-1995年) 1989年5月 フルモデルチェンジ。 日本国内向けのエンジンは、5ナンバーのワゴンが従来型と同じ3Y-E型ガソリン2.0L・97馬力と2L-T型ディーゼルターボ2.4L・94馬力、4ナンバーのバンは3L型ディーゼル2.8L・91馬力を設定。
1990年8月 一部変更。性能でテラノに一歩遅れをとっていたことで、輸出用と同じ、V型6気筒ガソリン3.0Lの3VZ-E型を追加設定。ハイラックスサーフ初の3ナンバーとなる。
3代目 N180系(1995年-2002年)
2.7 スポーツランナー1995年12月登場。パワーウインドウとドロップゲートの組み合わせで使い勝手が悪く、日本国内からは改善要求の多かったバックドアは、窓部も一体の跳ね上げ式に変更されたが、ウインドウガラスが電動で上下できる機能は残された。1998年8月 マイナーチェンジ。
4代目ハイラックスサーフ (前期型、2002年10月 – 2005年7月)2005年7月マイナーチェンジ。
 2009年8月7日公式サイトからの記載がなくなり、国内販売が終了した。この結果日本国内でハイラックスの名は完全に消え、41年の歴史に幕を閉じた。
Wikipediaより