タグ別アーカイブ: 竹内街道

過去と現代の交差点‐1869‐

なかなか子供とスケジュールが合わないのですが、休日の夕食くらいは一緒にとりたいものです。

外食なら「お寿司行きたい~」となるのですが、またまた微妙な状況。

それなら手巻き寿司でとなり、堺の大起水産までネタを仕入れに行ってきました。

中央綜合卸売市場とつながっているのは、遊んでいたスペースを大起水産が借りているのでしょうか。

大起水産と言えば、関西に多くの回転寿司店を出店している会社です。

店内は、白浜のとれとれ市場を小さくしたような雰囲気。

朝一番からマグロの解体ショーも始まりました。

雰囲気としては、昨年の6月に買い出しに行った泉佐野漁港青空市場のほうが好みですが、近いことは魅力です。

兄妹とも好きそうなネタを仕入れ、市場の裏側へでました。

Googleマップ で道程を確認していると、北側の細い道が竹内街道と分かりました。

少し歩いてみたいと思ったのも、ここに来た理由です。


裏に出ると、この敷地が池の上に建っているのがよく分かります。

おそらくあたりは湿地帯で、これだけ大きな土地が残っていたのだと思います。

臭いというか、懐かしいというか、ドブの臭いも。

周辺にも説明の看板があちこちにでていました。

少し歩くと大泉緑地の南にでてきました。

子供が小さい頃はよく来ていたので、雰囲気がある道だなと思っていたのです。

Googleマップは、こういった旧道も表示されているのが嬉しいところ。

思わず大阪港まで辿ってしまいました。

丁度公園の南西角あたりで大阪中央環状線(通称:中環)と交差し、旧市街地へと入っていきます。

大起水産の看板左が竹内街道です。

ロマンティックに言えば、過去と現代の交差点です。その言葉に負けないくらい良い交差点でした。

先の看板にあった我堂金岡線を越えると、昔からの集落らしい雰囲気に変わります。

旧道は、先の見えないこのうねりが良いのです。

竹内街道は、シルクロードの終着点である難波と飛鳥の都を結ぶ日本最古の官道です。

時代が時代なら、ここは銀座4丁目のようなもの。趣きのある建物も残っていました。

もう少し行くと、金岡神社が見えてきました。

神社の本殿は南向きがほとんどですが、こちらの神社は西を向いています。

四天王寺も西向きだったと思いますが、大阪港からの参拝客に配慮したのかもしれません。これはあくまで私の想像ですが。

大阪、堺を移動していると、晴れ着を着た新成人を沢山見かけました。

こちらの境内では、娘さんを熱心に撮るお父さんカメラマン。友達同士で盛り上がるのもよいですが、何だかとても良い構図でした。

娘の成人式まではまだ6年あるので、あまり考えないようにします。

今日の仕事はここまでにして、家に帰って妻の手伝いをします。

誰もほめてくれないので「何と立派な大人」と自分で褒めておきたいと思います。

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そこに山があるからさ‐1640‐

 そろそろ年賀状の準備をと思い、写真を見返しました。

 しかし家族4人の写真が全く無し。

 娘が6年生で、旅行にはあまり行けずの1年でした。

 ということで、金剛山地北端にある二上山(にじょうざん)へ。

 奈良盆地から大阪平野に注ぎ込む大和川のすぐ南にある、「ふたこぶらくだ」のような山と言えば分かって貰えるでしょうか。

 高い方が雄岳、低い方が雌岳。雄岳でも517mという高さです。

 すぐ南に日本最古の官道、竹内街道が通っており、橿原へ抜けるメインストリート脇に位置します。

 秋晴れの下、雌岳山頂から東を見ると、奈良盆地から大峰山系を望む素晴らしい景色。

 登り30分、下り20分という記載を見て気楽に訪れたのですが、想像より大変でした。

 大阪側の麓にある太子町からアプローチします。

 結構な標高まで車で登ることができるのです。

 二上山登山口に車を停め、登り始めました。

 高松塚古墳の石棺も、ここで切り出されたものです。

 縄文時代、サヌカイトは矢じり等として使われましたが、それらも採れる重要な石の産地だったのです。

 岩屋の石窟寺院は8世紀に創られたものです。大陸からの影響が色濃く表れています。

 1つ前の写真で横たわっているのは、樹齢600年岩屋杉とありました。

 先に進むと、だんだん勾配が急になってきました。

 子供達2人は急斜面をスイスイと小走りで登っていきます。

 仕事が……などと言っておらず、もっと鍛えなければと痛感したのです。

 盛りとは言えませんが、まだアザミが咲いていました。

 「花ならアザミ」は志水辰夫の小説。この花をみるといつも思い出します。

 真っ赤な花弁をつけているのはツバキでしょうか。

 目で救われるのです。

 丁度30分で雌岳の山頂に到着。

 大人にとっては大汗ハイキングとなりました。

 しかし景色は最高です。

 東には大和三山を望みます。

 一番左は耳成山でしょう。

 少し下った万葉広場からは、西の大阪平野が一望できます。

 右から六甲山地、左からは淡路島が大阪湾へせりだしているのがよく分かるのです。

 遠くは明石海峡大橋まで見えていました。

 気候も丁度よく、家族写真を撮り終え、山頂での束の間の時間を楽しんだのです。

 午後には娘の塾があり、少しルートを変えて下り始めました。

 鹿谷寺(ろくたんじ)跡を目指したのですが、ちょっとしたロッククライミングくらいの険しさです。

 10分くらいで到着。

 こちらも8世紀に創られたものと言われていますが、十三重の石塔は風化が進み、逆に凄みを感じます。

 塔全体が岩の中から削り出されたものと聞けば、もう恐れいってしまうのです。

 日本最古の貨幣である和同開珎が発見されたのもこの周辺とのこと。

 昨秋、近つ飛鳥博物館へ行ったのですが、この石塔のレプリカだったとようやく分かりました。

 日本最古の石窟寺院とある割りには、保護の仕方がやや乱暴な気もします。

 石窟内をのぞいてみました。

 何とか仏像の姿を確認することができました。

 1300年前の手跡が残っていることと、石が風雨だけでここまで削り取られることの両方に驚嘆します。

 勿論のこと信仰対象だったのですが、娯楽の少ない時代、ここでの景色、体感は最高のアトラクションだったと想像します。

 官道1号線沿いでアクセス抜群。大和国最大のテーマパークだった、といったところでしょうか。

 私はどちらかと言えば平地派です。

 街歩きは何時間でも、何日でも全く苦になりません。

 それでも気分爽快だったので、子供に「山登りもいいな」と言うと、長男が「そうやなあ。でも、なんで登るかは分からへん」と。

 「そこに山があるからさ」

 と言うと笑っていましたが。

 人は困難を望む生き物です。

 そうでなければ、結婚も、子育ても、仕事も、勉強も説明がつかないないことが多すぎます。

 「山=困難」としてみます。

 使い古されたフレーズですが、人間と人生の本質をついているからこそ、愛されているのだと思うのです。

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