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男の仕事場 ‐1267‐ 

 昨日は、天六の住まい情報センターでのセミナーでした。

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 申込は60数名まで増え、最終的な参加は40名。

 一人一人が、それぞれの人生という時間を割いて来てくれるのですから、人数など関係ありません。

 それでも気になるのが、嫌なのですが。

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 今回でセミナーは15回目になりました。

 少しは落ち着いて出来たでしょうか。

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 前回あたりから、資料を作成するようにしました。

 今回はプロラボに出し、8ページの冊子に。概ね好評だったと思います。本当の評価は参加者の心の中にしかありませんが。

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 2時間の長丁場だったので、途中に休憩を挟みました。

 個別相談も2組あり、その人達には楽しかったと言って貰いました。昨日は、ここが私の仕事場。人前に出る以上、いつも本気です。

 4月中旬ですが、京都へ敷地調査に行っていました。

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 堀川沿い、二条城の東門は修復工事中。

紫竹の家切妻と中庭の家の現場へは向かっていた時の事を思い出します。

 これまでに、京都では6軒ほど仕事をしました。

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 おそらく新築になると思いますが、敷地に建つのは築100年の住宅。

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 間口2間半のこの家に、10人が暮らしていたそうです。

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 人はどんな条件でも、本当に逞しく暮らしています。

 この日は、ハワイから戻り、先週、大阪を離れた後輩も、何故か一緒に。

 「男の仕事場の写真を送ります」とメールが届きました。

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 自分が働いている風景を見ることはあまりありません。

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 仕事も写真も好きですが、自分が好きかは微妙です。

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 この後、飲みに行ったのですが、撮ってくれたのは右の彼。

 ハワイ土産のアロハまで貰いました。

 彼は「加齢してないですね」とか「刺激を受けました」と言ってくれます。だから可愛い後輩と言う訳ではないですが、やはり可愛い後輩です。

 また「本気のプレゼンテーションを見れて良かったです」とも言ってくれました。

 確かに、知り合いが本気で仕事をする場面を、あまり見たことはありません。

 私は、プレゼンテーションという言葉が苦手でした。そこに、「見せ方」というニュアンスが多分に含まれていると感じるからです。

 大学の先生は「プレゼント、という考え方でいいんじゃないか」と教えてくれました。

 見せ方というよりは、心を尽くしの包装といった感じでしょうか。

 日々のプレゼントはクライアントに、また話す相手に届いているのか。

 男の仕事場。何とも好ましい響きです。

働きものだった国、日本‐1266‐ 

 この日曜日は、長男と久し振りに釣りに行きました。

 奈良県下北山村の池原ダムへ。

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 明け方から強い雨と風。

 長男が風邪気味だったこともあり、午前中は車の中で昼寝。野外での昼寝ほど気持ちの良いものはありません。

 睡眠不足を一気に解消です。

 昼からは雨が上がり、スカッと晴れてくれました。満を持しての出船です。

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 山深いだけあり、まだ桜が満開です。

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 この時期、魚はバックウォーター(最上流部)に集まる傾向があります。

 産卵の習性からですが、いきなり大物がルアーを軽くバイト。しかし残念ながらフッキングせず。

 2時間程釣って、他の支流へ移動。池原ダムは4本の川からなる山上湖なのです。

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 この日は風が強く、白波が立って来ました。

 バックウォーターに行くのはあきらめて、辺りを見ていると、風裏になっている岬を発見。

 流れのアウトサイドにある、張り出しの大きい岬。この時期の一級ポイントです。

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 見事に当たりました。ここでまとめて4匹。

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 昨年の11月以来の魚です。

 湖に浮いているだけで満足とは言え、やはり釣れてこそ。この気持ちを何と表現して良いのか。

 これでまた一カ月頑張れるのです。

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 長男にもアタリ。

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 ここで2匹釣らせることができました。

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 十分に満足したとのことで、この日は4時半に終了。

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 長男は、週の半分以上塾に行き、帰りは夜の10時半を過ぎます。

 月に1回は日曜日にテスト。中学受験をするなら、皆このくらいはやっているようです。

 親の私が見ても楽じゃないと思うので、半ば強引に誘いました。

 楽しかったと言わせたら私の勝ち。親的にも、ガイド的にも納得の一日でした。

web調べ程度ですが、近年の日本の平均労働時間は15位だそうです。

1  メキシコ  2,226時間
2  韓国  2,163時間
3  ギリシャ  2,034時間
4  チリ  2,029時間
5  ロシア  1,982時間
6  ポーランド  1,929時間
7  イスラエル  1,928時間
8  エストニア  1,889時間
9  ハンガリー  1,886時間
10  トルコ  1,855時間
11  アメリカ  1,790時間
12  スロバキア  1,785時間
13  チェコ  1,784時間
14  イタリア  1,752時間
15  日本  1,745時間
16  ニュージーランド  1,739時間

世界平均  1,725時間

 調査35ヵ国中ではありますが、韓国より、アメリカより、イタリアより働かない国、日本。これが事実のようです。

 前回、働き者と書いたところですが、「だった」としなければならないかもしれません。

 成果は質×時間ですから、長い方が良い素晴らしいとは思いません。

 しかし、先日のシャープ買収を見ても、物作りにおいて、日本が一番前を走っていた時代は終わったのかもしれません。

 まじめで器用な日本人だから、時間は短くてもいい。本当にそう思っていて良いのか……

 この表を見て、将来を危惧するのは私だけなのでしょうか。

 頑張れ未来の大人。まだ3、40年は現役で頑張りますがあとは頼んだぞ。 

火の鳥のように‐1265‐

4月14日(木)21時26分に発生した熊本地震で亡くなられた方々へ、心らお悔やみ申し上げます。

また、被災された皆さまへ、心からお見舞い申し上げます。

最大震度7、震度6を超える余震が続くという、深刻な状況は変わりません。仕事人としては、応急危険度判定士として、所属団体の要請があれば、すぐに現地へ行きます。

会社としては、精一杯働き、利益を出し、しっかり税金を納めることで、貢献したいと思います。

これは、日本中、世界中のどこで地震が起こったとしても、変わりません。

しかし、人には心情や思い出があります。

フェリーの旅が好きで、九州は子供が生まれてからでも4回は訪れました。一番初めに行ったのが2011年のゴールデンウィークでした。

今回、大きな被害が出ている阿蘇。

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初めて訪れたのは小学生だったか。同じ日本とは思えませんでした。

特に草千里の景色が印象的でした。

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この旅は、愛車だったハイラックスサーフとの最後でもありました。

あの自然の中を走らせてやりたいと思っていたのです。

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火の国・熊本の象徴、阿蘇。

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その景色も、およそ普段の暮らしでは見ることのないもの。

甚大な被害が出ているという南阿蘇村では、ふらっと入った洋食屋を思い出します。

手作りハンバーグがともて美味しかった。

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加藤清正が築いた名城・熊本城。

瓦が落ちている映像も流れていました。こうして、何度もの天災を凌いできたのです。

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大分でも大きな被害が出ています。

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別府では、火山国である恩恵を受けることが出来ます。

それ故、繰り返される地震。

この瞬間、自分の住む街に起こったとしても何の不思議もありません。

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家族で47都道府県を訪れるというテーマを設けています。

九州・沖縄地方は、沖縄を残すのみになりました。

70億人全ての痛みを分かち合うのは無理です。反対に全ての喜びを分け与えて貰うことも出来ません。

なら、少しでもそうあれるような心を持ちたいし、旅がその礎になれば良いなと思っています。

司馬遼太郎はこう言っていました。

 何にしても日本人は働き者である。

 日本人は常に緊張している。理由は、常に公意識を背負っているからと断定していい。

公を世間の目とするなら、謙虚さは自然から学ぶのだと考えています。

厳しく、豊かな自然が「人の力の及ばないものがある」という事を教えてくれるのだと思うのです。

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 とは言え、私達の先祖は首を垂れていただけではありません。 

働き者で謙虚な日本人は、何度も這いあがり、再建を繰り返してきました。熊本も必ず火の鳥のように蘇ります。

自分の人生というスパンを超えて見れば、これは綺麗ごとではないと断言できます。

今朝の新聞のスポーツ欄に「この地震に比べれば、私の悩みなど小さい」というコメントが載っていました。

誰もが共感できる意見です。

自分の為、クライアントの為、社員の為、家族の為、そして社会の為に今日も精一杯働くだけ。ただそれだけのことしか出来ないのです。

生きてこそ‐1264‐

 神戸市役所、三宮駅を貫くのがフラワーロード。

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 ネーミングの理由は聞いてみたい気もしますが、文字通り神戸の目貫通りです。

 新緑がまぶしい季節になりました。

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 南東にある、貿易センター駅で降りると、目の前にあるのが神戸サンボーホール。

 1995年の震災の際、神戸市役所は、ワンフロアが完全に崩壊するなどの被害を受けました。

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 震災直後、仮の庁舎となったのがこの神戸サンボーホールでした。

 現在は民間でも受付可能ですが、当時は市役所でのみ建築確認が可能でした。

 市役所の人がいたら申し訳ありませんが、神戸市に限らず、建築確認申請を受け持つ部署は、一様に愛想がわるかったものです。

 こちらの知識がおぼつかなかった事もありますが、若い頃はいじめられた記憶しかありません。

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 しかし、震災後は全く違う雰囲気でした。

 官民とも「どんどん建物を供給しなければならない」という雰囲気が充満し、初めて役所と一体感を感じて仕事をしていました。

 熱に満ちたサンボーホール2階の景色を、今でも覚えています。初めて、仕事で人の役に立ったと実感できた時だったかもしれません。

 2軒目の設計事務所に勤め、ハウスメーカーの孫請け仕事をしていた、25歳の頃のことです。

 当時は建物を見る余裕もありませんでしたが、ピロティーによって持ち上げられたプランは、コルビュジエ、前川國男の影響が感じられます。

 1969年、日建設計の仕事ですが、震度7に無傷で耐えた強者だったのです。

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 海岸通りを西に向かうと旧居留地街。

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 更に西へ行くと、巨匠フランク・O・ゲーリー設計のフィッシュダンスがあります。

 右にある建物も彼の設計です。

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 外膜はチェーンリンクメッシュで製作されています。

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 先日、新国立競技場のコンペで話題になった、ザハ・ハディドが亡くなったというニュースがありました。

 そのデザインが奇抜過ぎるが故、という話ばかり出てきますが、フランク・O・ゲーリーこそ、自由な形態の先駆者と言って良いでしょう。

 ゲーリー、ザハ、とも3Dコンピューター技術の発達によって、その表現を手に入れて行ったのです。

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 南西には神戸ポートタワー。

 こちらも日建設計のデザインで、1963年の完成とありました。

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 50年前に、この形態を実現していたことを考えると、日本の技術、美意識をもっと誇って良いかもしれません。

 当初は銀色のイメージだったという記述もあり、シルバーバージョンも是非見てみたいもの。

 細く、軽く、本当に美しい建築です。

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 阪神高速京橋出口あたりに、崩壊した橋脚が保存されていました。

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 同じく橋を支える部材はせん断破壊されていました。

 6千人もの命を奪った自然の力が形として残っているのです。

 「一番大切なものは命」だと、子供には繰り返し、繰り返し伝えています。この優先順位は誰にとっても変わることはありません。

 人生の夏を謳歌していただろうザハが亡くなったと聞き、より思います。生きてこそだと。

  ただ生き ただ死す

  ただの二文字に

  一切が輝き

  ただの二文字に

  万有が光る

  坂村真民

 命の始まりも、命の終わりも、自分で決めることは出来ません。

 ただというひたむきが、輝き、光るのです。

知恵の悲しみと知る強さ‐1262‐

 昨日、今日は、入学式の学校が多かったようです。

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 昨日なら晴れ、と言いたくなるところですが、桜が残っているだけでも雰囲気は随分違うでしょう。

 とりわけ名所でなくても、桜を満喫できるのが、日本の素晴らしさです。

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 我が家の子供は、新6年生と新3年生。よって今日は休みです。

 日曜日は、2人を連れて「甲賀の里 忍術村」へ行っていました。娘が「忍者になりたい!」と。

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 この施設、実際の建物を移築しており、本物の忍者屋敷でした。

 娘が忍者の衣装を着たいと言い、ここになったのですが、いざとなると「恥ずかしい」と。

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 結構、着ている大人も多かったのですが。

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 しかし、手裏剣は小6、小3なりの結果を出してくれました。

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 お決まりのポーズ。

 ここに来たのは2回目で、4年前はかなり楽しかったと記憶していました。当時は8歳と5歳。

 運動能力も上がり、少し物足りなかったようです。知れば知る程、感動は小さくなる。これを「知恵の悲しみ」と言います。

 だからと言って、いつまでも何も知らない子供でいては、成長や進歩はありません。

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 これから咲き始めるハナニラ。

 10年前に知りました。知ったからこそ、湧く愛着もあるのです。

 最近よく思うことは、物事には、最低限2つの側面があるということ。

 過去と未来、光と影、動と静、右脳と左脳。それらを意識すると、納得できることが多々あります。

 ハマトマ(偉大なる魂)と呼ばれたガンジーは、「非暴力非服従」で、戦争をすること無く、インドへのイギリスの支配を終わらせました。

 この運動も、相反する2つの考えで成り立っています。

 また60年後に生まれた、マーティン・ルーサー・キングは、アメリカにおいての人種差別撤廃運動の理念を、この考えに求めました。

 そして1963年、ワシントでの” I have a dream “の演説へと繋がって行くのです。

 ガンジー、キング牧師とも最後は凶弾に倒れます。しかし、後悔など無いでしょう。

 知恵も知識も、全ては夢や幸せ実現する為に必要なものです。常に思っていたいのです。” I have a dream “と。

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航海への約束‐1261‐

 4月2日(土)はSEIUNDOのオープニングレセプションでした。

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 アクアライナーを貸し切ってのお花見クルーズとミニ内覧会ですが、出港は大阪城前。

 大川沿いの桜はまさに満開でした。

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 当社のスタッフもこれに便乗。

 マルコの彼女とは1年以上会っておらず、その怠慢も反省します。

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 周りの支えがあってこそ、現在がある訳ですから。

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 水面に近い窓からの景色は、見慣れた大阪とは全く違うもの。

 池のほとりにある家を設計させて貰ったことがありますが、水面というものは、全く飽きないのです。

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 土佐堀川を通過する際、New Officeの入る「北浜一丁目平和ビル」を水上から見上げるという趣向。

 粋な、お花見クルーズでした。

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 その後はミニ内覧会。

 設計のコンセプトを説明する時間も貰いました。

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 しかし、一番の目的は、社員さんのご家族に、この空間を体感して頂くこと。

 お父さんの職場で、子供さんと遊ぶ姿は、なんとも微笑ましいものでした。

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 内覧会後、社内の懇親会にも参加させて貰いました。

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 更に、私達に花束まで。

 申し訳ない程ですが、普段、私を支えてくれるスタッフに感謝します。

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 北浜の夕暮れ。この日のイベントが全て終了しました。

 現在も、素晴らしい業績を残すSEIUNDOですが、5年先、10年先の景色を描き、この空間を設計したつもりです。

 本田宗一郎は「機械は人の上に立ってはいけない」と言います。勿論、建築も同じ。

 建築は、誰かを幸せにする為だけにあるもの。活かし、育てて貰えたらと思うのです。

 会社を船に例えるなら、日々の仕事は航海です。航海には凪の日もあれば、嵐の日もあります。

 船長の役割は、どんなことが起こっても、クルーの命を守り、その航海を成功させることです。

 社長の田畑さんとは、この後3軒ほど周りました。

 共に肝に銘じ、祝杯をあげたのです。

朝焼けの中で‐1259‐

 日曜日の日の出は5:52am。

 5:00amに、カメラマンとSEIUNDO のnew offceで待ち合わせていました。竣工写真の撮影だったのです。

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 中央がクリスタルタワー。

 OBPのビル群から朝日が昇ってきました。

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 セブンドリーマーズの3店舗に続き、カメラマンは、ナカサ&パートナーズの安田さん

 今回も東京からの来阪です。

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 土曜日の日中は東京での撮影で、飛行機、レンタカーと乗り継ぎ、8:00pmに現場到着。

 そのまま深夜0:00amまで夜景の撮影をしました。

 大阪は折からの観光ブーム。ホテルが取れずネットカフェで2時間仮眠をしただけでの早朝出勤でした。

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 建築写真は、明るい外部と、暗い内部を一緒に撮る為、光の入り方が大きく影響を与えます。

 薄暮や、明け方しか撮れない写真があるのです。

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 太陽が昇りだすと、朝日独特の黄色い光が、室内に入り始めます。

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 そうなると撮影は一旦待機。

太陽が昇り切る8:00am頃まで待たなければなりません。

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 これだけ片付いた状態で撮影が出来るのは、このタイミングだけ。

 よって失敗は許されません。

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 私達も、全ての撮影に立ち会いましたが、本当に大変な仕事です。

 しかし、それ故プロの仕事。

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 8:00amには、SEIUNDOの社員さんにも入って貰い、人物ありカットの撮影がスタート。

 立ち位置にもこまやかな指示が出ます。

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 10:00amまで5時間撮影しました。2日間に渡り、14時間中9時間一緒に仕事をしました。

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 3月27日(日)はSEIUNDOの引っ越しの日。それを10:00amまで待って貰い、ぎりぎりの撮影でした。

 撮影が終わると同時に、引っ越しが開始されました。

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 私も家に帰ると、そのまま泥のように眠りました。そして、夜はささやかな焼肉パーティー。

 大変だけが充実を生むというこの真理。またささやかな幸せがあれば満たされるというのもまた事実。

 このハードスケジュールにも関わらず、日曜日6:00pmに安田さんから仮画像が送られてきました。

 素晴らしい内容で全カット購入。納品が楽しみです。

 自分が一番頑張っていると思いたいのもまた真理。しかし、頑張っている人は、本当に沢山居るものです。

例えるなら‐1256‐

 昨日、生駒山から太陽が頭を出したのは6時22分。

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 歳と共に早起きになると言いますが、今のところ私は6時で目一杯です。

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 生駒つながりで、北浜にある生駒ビルヂングです。

 火曜日、SEIUNDOの現場へ行った際、前を通りました。

 昭和5年、1930年の完成で、北浜界隈に残る、近代建築の一つ。詳しくは生駒時計店のwebサイトを。

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 スクラッチタイルで覆われた鉄筋コンクリート造の建物ですが「生」の字が、遊び心を感じさせます。

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 丸窓や、鷲の彫刻が施されており、多くの手、お金が掛かった建築なのです。

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 南よりにある縦長の開口部は、振り子をイメージしたものだそう。直喩の表現です。

 2月中旬、写真家に撮りなおして貰った「宝塚の家」の写真が上がってきました。

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 生駒ビルヂングを絵画に例えると、王宮絵画の流れを引く、古典主義といった所でしょうか。

 一方、宝塚の家は抽象画。

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 料理で言うなら、日本料理の刺身のイメージ。最小の手数で、素材を引き出したいと思っているのです。

 対して、生駒ビルヂングはフレンチのフルコースか。

 例えとは、互いが理解できる共通項を見つけ出し、そのジャンルに置き換えることです。食べない人は居ないので「料理」はとても重宝するのです。

 先日、レンタルDVD店へ行くと、キャッシャーでいきなり「磨きますか?」と尋ねられました。あまりに唐突だったので「何故磨くの?」と聞いてみました。

 25歳くらい若者は、慌てる風もなく、「キズが付いているのが嫌な人も居るので」と言います。私は、「キズが付いていても、観れれば嫌じゃないよ」と答えたのです。

 アルバイト(社員?)の若者に問う必要があったのかは分かりませんが、この応対に何の指導もなく、彼は報酬を得ます。

 日本の未来に、多少の杞憂を感じのは、ある程度の歳になったからでしょうか。

 「何故?」がなければ、全ては暗記するだけになります。そして間違います。ましてや、伝えたいといく気持ちが無ければ、比喩など全く不要です。

 トーマス・エジソンは小さい頃「何故?」を連発し、大人を大変困らせたそうです。立派なプロになるのに、難しいロジックなど要らないと思っているのです。

真田幸村に見る、権力と判官びいき‐1255‐ 

 妻と娘がインフルエンザで、先週はバタバタしていました。

 ようやく回復してきましたが、娘は学級閉鎖で、結局一週間休んだことになります。

 退屈だろうと「出掛けよう」と言っても、大概は「家で居る」と言います。

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 しかし「真田丸」巡りに行こうというとあっさりOK。

 テレビは1日1番組としていますが、お気に入りは「ペットの王国ワンだらんど」「プリキュア」そして「真田丸」です。

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 「真田丸」は戦国時代、随一と言われた武将、真田幸村の人生を描いた大河ドラマ。

 まずは、最後の主君となった、豊臣家の大阪城からスタートします。

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 8階の天守閣まで上がると、かなり足に来ますが、太閤、秀吉だけの眺め。

 しかし、現在の大阪城は三代目で、秀吉の大阪城は更に東、現在のOBPよりにあったことが分かっています。

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 城内の展示も、真田丸より。

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 大坂夏の陣図屏風の中央やや右に、赤備えの幸村隊が見えます。

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 仕事を休んでいた1年間で、一番記憶に残っているのが、池波正太郎の「真田太平記」。文庫本なら12巻の長編小説です。

 よって、勿論私も幸村ファン。

 2015年の正月には、上田城前の館へ寄ってきました。

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 現在も土塁が残り、地元の人に愛されているとありました。

 NHKのwebサイトには「大河ドラマの原作はなく、三谷幸喜オリジナル」とあります。

 真田本といえば「真田太平記」。なんらかの影響は受けているのではと想像しています。

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 「真田丸」は、大坂夏の陣の際に幸村が築いた出城です。

 そこから戦場に現れては消えと、神出鬼没の幸村隊は、徳川軍に大きなダメージを与え続けました。

 大阪城と抜け穴で繋がっているのではと考えたのでしょう。その、抜け穴伝説の残る「三光神社」へ。

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 大阪城の南東端、森ノ宮駅から一駅南の玉造駅。

 そこから90mのところにあります。

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 像の左にあるのがその抜け穴。

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 穴をのぞくと、行きどまりになっているような、いないような。

 こういった話は楽しんだもの勝ち。きっと繋がっているはずです。

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 しかし、科学は非情です。

 最新の研究で「真田丸」は、三光神社の南西、大阪明星学園の敷地に有ったのではと、結論を出しました。

 この坂を登った先に、明星学園があるのですが、この日は時間切れ。またの機会に持ち越しです。

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 最後は、試験終わりの長男を拾って、幸村最後の地へ。

 天王寺の北、一心寺の向かいにある安居神社は夕方だからか、門が閉まっていました。

 外から見るのみになってしまいました。小説では、愛馬・月影と共に、ここで潔く首を差し出し、果てたとなっていたはずです。

 大河ドラマはまだ観ていないので、幸村がどのように描かれているのかは分かりません。しかし、人気の根底にあるのは、判官びいきと言えそうです。

 太平の江戸時代を築き上げた家康の功績は多大ですが、絶対の権力者に対する反発心は世の常です。

 信州上田の地方豪族だった真田家が、何度も徳川家に一泡吹かせる様は、痛快だったに違いありません。

 また、旗印の六文銭は三途の川の通行料。地獄も恐れないという勇猛さ。また、豊臣に忠誠をつくす律義さも相まって、幸村伝説は語り継がれているのだと思います。

 その辺りは、この日記でも、何度か触れました。

 権力は腐敗する、絶対的権力は徹底的に腐敗する

 英国の歴史家ジョン・アクトンの言葉の通り、権力は、常に破滅、腐敗と裏腹です。

 FIFAの会長問題、オリンピック誘致の汚職問題、かの国の独裁政治を例に引くまでもなく、歴史がそれを証明しています。

 では、家康は何故270年に及ぶ江戸時代の基礎を築けたのか。腐敗しなかった理由は、評論家谷沢永一のたとえが巧みです。

 彼は、秀吉は「可愛げ」、家康は「律義」で世を治めたと言いました。

 美しく散るも良し、可愛げにもにた律義も良し。人の生き方は様々です。

 しかし、私を含めた一般大衆は、前者の幸村に憧れるのでしょう。出来もしないので、それはそれで健全だとも思うのです。

あの頃の未来‐1254‐

 工事が進むSEIUNDOの New Office。

 眼下には中之島のばら園を望みます。

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 ハナミズキでしょうか。ようやく白い花をつけ始めました。

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 昨日まで、20歳の男子学生がオープンデスクに参加していました。

 現在進行している現場は、全てに同行しました。

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 元高校球児で、非常にフットワークの軽い青年でした。無事20日間を完走。

 最近は、途中リタイアが多かったので、嬉しい限りです。

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 日曜日は、午前が彼、午後が21歳の女子学生。入れ替わりで取材も体験してもらいました。

 実際に見ておけば、メディアが遠いものだと思わないはず。それなりにプログラムも考えています。

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 彼女は今日で4日目。頑張って、完走して欲しいと思っています。

 無給で就業体験に来るのですから、明確に、またはおぼろげながらでも、人生の目的を持っている彼らです。

 行動を起こしたことで、勝者へチケットは手に入れました。

 次は、やる気のあるライバル達から、抜けださなければなりません。頑張って勝ち切って欲しいと思います。

 長らく、スタッフとも食事をしていなかったので、学生2人も連れて、食事に行きました。

 聞き役に徹すれば良いものを、ついつい色々話してしまいます。

 20歳の彼が、私が鬱になった経緯を聞かせて欲しいと言ったので、25歳の夏から30歳の春までを、5分バージョンで話しました。

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 1996年天王寺。独立の際に借りた4畳のマンションです。

 鬱で悩んだ記憶しかありませんが、写真はこの一枚だけ。創業の場所だし、もう少し撮っておけば良かったと、少し悔いが残ります。

 本の入れ方も雑、青焼きも整頓出来ておらず、間違っても「君たちは整理整頓ができていない」とは言えないはずです。しかし言うのですが。

 「思い出はいつも偉い」という法則があります。

 人は、実際に出した結果と、そこに至るまでの苦労をセットで記憶しています。更に、その過程における心の葛藤を知っているのは自分だけ。

 よって、常に自分の方が苦労をし、努力をしているのです。

 学生時代のクラブでも、3回生は必ず言います。

 「俺が一回の頃は……」

 自分が日本一なら別ですが、同じような結果しか出していないなら、そんな違いがある方が不自然です。

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 独立寸前、1996年5月24日の釣り新聞です。

 25歳の頃も、寝る間を惜しんで図面を描いたと言っておきながら、結構楽しそうにやっています。それでも人は言ってしまうので、法則なのです。

 スガシカオは、現在を「あの頃の未来」と言いました。

 20年前の自分が描いた未来は、ここだったのか。自分に問うてみると、居ても立ってもいられない、何とも言えない気持ちになります。

 若いことは素晴らしく、羨ましくもあります。しかし、今手元にある現実は、それらの時間と引き換えにして手にいれたものです。

 若頃は無く、今はあるもの。良く聞く言葉だが、思った事が無かった言葉。

  人は宝 

 少なくはありますが、ようやく、チームとして勝負できる状態になったと思っています。