生きてこそ‐1264‐

 神戸市役所、三宮駅を貫くのがフラワーロード。

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 ネーミングの理由は聞いてみたい気もしますが、文字通り神戸の目貫通りです。

 新緑がまぶしい季節になりました。

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 南東にある、貿易センター駅で降りると、目の前にあるのが神戸サンボーホール。

 1995年の震災の際、神戸市役所は、ワンフロアが完全に崩壊するなどの被害を受けました。

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 震災直後、仮の庁舎となったのがこの神戸サンボーホールでした。

 現在は民間でも受付可能ですが、当時は市役所でのみ建築確認が可能でした。

 市役所の人がいたら申し訳ありませんが、神戸市に限らず、建築確認申請を受け持つ部署は、一様に愛想がわるかったものです。

 こちらの知識がおぼつかなかった事もありますが、若い頃はいじめられた記憶しかありません。

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 しかし、震災後は全く違う雰囲気でした。

 官民とも「どんどん建物を供給しなければならない」という雰囲気が充満し、初めて役所と一体感を感じて仕事をしていました。

 熱に満ちたサンボーホール2階の景色を、今でも覚えています。初めて、仕事で人の役に立ったと実感できた時だったかもしれません。

 2軒目の設計事務所に勤め、ハウスメーカーの孫請け仕事をしていた、25歳の頃のことです。

 当時は建物を見る余裕もありませんでしたが、ピロティーによって持ち上げられたプランは、コルビュジエ、前川國男の影響が感じられます。

 1969年、日建設計の仕事ですが、震度7に無傷で耐えた強者だったのです。

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 海岸通りを西に向かうと旧居留地街。

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 更に西へ行くと、巨匠フランク・O・ゲーリー設計のフィッシュダンスがあります。

 右にある建物も彼の設計です。

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 外膜はチェーンリンクメッシュで製作されています。

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 先日、新国立競技場のコンペで話題になった、ザハ・ハディドが亡くなったというニュースがありました。

 そのデザインが奇抜過ぎるが故、という話ばかり出てきますが、フランク・O・ゲーリーこそ、自由な形態の先駆者と言って良いでしょう。

 ゲーリー、ザハ、とも3Dコンピューター技術の発達によって、その表現を手に入れて行ったのです。

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 南西には神戸ポートタワー。

 こちらも日建設計のデザインで、1963年の完成とありました。

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 50年前に、この形態を実現していたことを考えると、日本の技術、美意識をもっと誇って良いかもしれません。

 当初は銀色のイメージだったという記述もあり、シルバーバージョンも是非見てみたいもの。

 細く、軽く、本当に美しい建築です。

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 阪神高速京橋出口あたりに、崩壊した橋脚が保存されていました。

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 同じく橋を支える部材はせん断破壊されていました。

 6千人もの命を奪った自然の力が形として残っているのです。

 「一番大切なものは命」だと、子供には繰り返し、繰り返し伝えています。この優先順位は誰にとっても変わることはありません。

 人生の夏を謳歌していただろうザハが亡くなったと聞き、より思います。生きてこそだと。

  ただ生き ただ死す

  ただの二文字に

  一切が輝き

  ただの二文字に

  万有が光る

  坂村真民

 命の始まりも、命の終わりも、自分で決めることは出来ません。

 ただというひたむきが、輝き、光るのです。

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