タグ別アーカイブ: 北浜

桟あり窓にサンタがやってくる‐1963‐

今日は一日外回りで、午後からは北浜へ行っていました。

打合せの時間には早く着いたので、少し周辺を歩きます。

栴檀木橋 (せんだんのきばし)越しの中央公会堂です。

設計は岡田信一郎で1918年の完成。近代建築の傑作と言われます。

少し東へ行くと、安藤忠雄設計の子ども本の森が見えてきました。

こちらは2020年の開館です。

東に面する堺筋を南に下ると、北浜の中心街にでてきます。

東に見えてくるのは、ザ ・ロイヤルパーク・キャンバス。

2019年の開業です。

更に南にある北浜タワーは、200m超えの54階建て。

2009年の完成でした。

その向かいを見ると、高麗橋野村ビルディング。

大阪ガスビルの設計でも知られる安井武雄の作品で、1927年の完成です。

北に戻ると、1階に洋菓子の「五感」が入る新井ビル。

1922年の完成で、国登録の有形文化財に指定されています。

この新旧入り乱れた街並みが北浜の特徴でしょうか。

「五感」の窓には、サンタのディスプレイがなされていました。

寒い時期になると特にですが、窓から漏れる光は、何か温かい暮らしを想像させるものです。

アンデルセンが描いた「マッチ売りの少女」の中では、幸せな家庭の象徴として描かれました。

それらを思い、マッチを擦り続ける少女……何と悲しいストーリーなのか。この歳になると、もう読めないかもしれません。

近代建築と現代建築の明確な境界はありませんが、最も変化が大きい部分は窓だと思います。

私も現代建築の世界に身を置く者として、大きな、桟のない開口を目指しました。

2009年完成の「Kayashima Photo Studio Ohana」は、その考えをダイレクトに表現しました。

その 「Ohana」 ですが、道路収容のために取り壊さざるを得なくなりました。

何とか近所に新敷地もみつかり、今年の始めに「あの森のOhana」というコンセプトで生まれ変わったのです。

どこか懐かしい。何かワクワクする写真スタジオ。

このキーワードが出来上がった時に、「窓には桟」と決まりました。

出来上がって行く過程も【ゲンバ日記チャンネル】で公開しているので、よければご覧ください。

サンタは窓を割って入る訳ではありませんが、桟の入った窓は、何とか人が入れそうな感じがします。

一方、現代建築における窓は、そのイメージを超えているかもしれません。

ヒューマンスケールと言っても良いと思いますが、この差が印象としては大きな差になっている気がします。

それが良いことか、そうではないのか分かりません。

しかしこの時期は、桟あり窓に軍配が上がる気がします。


■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』を「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

◆メディア掲載情報

吽像のライオンに、安藤と渋沢をみる‐1775‐

 北浜と言えばやはり大阪証券取引所です。

 初代会頭となった五代友厚像とともに、北浜のランドマークとなっているのが難波橋のライオン像です。

 別名ライオン橋。
 
 阿(あ)と吽(うん)の石像2体が東西に鎮座します。

 阿像は、その咆哮が聞こえてきそうな程の迫力。
 

 橋の上から北西方向に見えるのは中央公会堂。その後ろには大阪市役所も見えます。

 ロマネスク様式のヴォールト屋根と、レンガ色と白のゼブラ柄が印象的。
 

 その向かいにあるのが京阪なにわ橋駅の入口。安藤忠雄の設計です。

 内部はガラスブロックが積まれており、夜間はライトアップされます。

 再びライオン橋のすぐそばまで戻ると、さらに2つの出入口があり、これらも安藤の設計。

 これら3つの出入口に囲まれる位置にあるのが「こども本の森 中之島」です。

 高速道路からは見えていましたが、訪れたのは初めて。

 東西に延び、北へ向かって緩やかに湾曲しているのが分かります。

 エントランス西面の壁には模型が飾られていました。

 大阪市役所、中之島図書館、中央公会堂、東洋陶磁美術館の東隣に、木で製作されたこの図書館が見てとれます。

 まさに大阪の中心に建つこの建物は、安藤忠雄が寄贈したもの。  

 館の趣旨として、とにかく子供を優先したいとあるので、内部見学はもう少し先にします。

 入口にはバギーが沢山止まっていました。

 開口からのぞくと、安藤の希望通り小さなお子さんを連れた家族が見えました。

 そして、兵庫県立美術館にもあった「青いりんご」も。

 サミュエル・ウルマンの詩「青春とは人生のある期間ではない。心のありようなのだ」から着想したのがこのオブジェです。

 私が22歳で私がこの世界に入った時、安藤が丁度今の私と同じ年齢だったことになります。

 まさに乗りに乗っていた時期で、天保山のサントリーミュージアム、兵庫県立木の殿堂など、年にいくつも大きな作品を発表していました。

 一方、私が勤めていた設計事務所の所長は「建築家はクライアントの太鼓持ちみたいなものだから」と言っていました。多くの建築家から「この仕事は儲からないから」という言葉も聞きました。

 しかし、安藤はこの図書館を始め、合計3件の図書館を寄贈すると言います。利益がでていなければ、寄贈も寄付も勿論できません。

 若い頃からずっと、この違いは一体何なのだろうと思っていました。

 今は、志の違いだとはっきり分かります。

 安藤も響いたという、私も大好きなウルマンの詩にもこうあります。

 「希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる」

 安藤が鉄鋼王カーネギーが図書館を寄贈する姿を見て図書館を寄贈したいと思ったそうです。

 同じように、私も安藤の背中を追って働いてきました。

 まだ自分の家さえ建てていませんが、高い志を持ち、図書館を寄贈できるまで身を粉にして働く覚悟です。

 大阪証券取引所の初代会頭は五代友厚ですが、それを後援したのが、次の1万円札となる渋沢栄一です。

 渋沢は「道徳経済合一」を説きました。論語と算盤は両立できる、またさせなければならないのです。

 誰よりも働いているのに、全く利益がでない。この世の中はそんな理不尽なものではないはずです。

 阿像の対となっている吽像のライオンは口を閉ざしていますが、吽(うん)はその上で漏れた音を指すそう。

 なのに今日もベラベラと書いてしまいました。男は歯を食いしばって結果をだすだけなのに。
 
■■■1月27日 『Best of Houzz 2021』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

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【News】
■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

深夜0時、食卓で事件は起きる‐1504‐ 

 鬼門は中国から伝わってきたものと言われています。

 表鬼門に対して、南西の裏鬼門も、玄関や水回りを避けたほうが良いとされます。

 最も日差しが強い、モンスーンや台風の強風が吹き込み屋根を吹きとばされる、その風によったカマドの火の粉が入ってくる等がその理由です。

 週末の台風12号は、真東から日本列島を横断しました。裏鬼門も再考の余地がありそうです。

 その雨の中、北浜の「五感」本店へ寄ってきました。

 この界隈は「生きた建築ミュージアム」に選ばれている建物がいくつかあります。

 「五感」の入る新井ビルもそのひとつ。

 1922年(大正11年)に銀行として建てられました。

 少し南に下ると高麗橋野村ビルがあります。

 大阪瓦斯ビルで知られる、 安井武雄の設計で、1927年(昭和2年)の完成です。

 柔らかい曲線は、大阪瓦斯ビルでも見られます。

 更に南に下ると「生駒ビルヂング」。

 時計店らしく、大きな時計が目印。1930年(昭和5年)の完成です。

 大大阪時代の建物がずらりと並んでいるのです。

 新井ビルは何度か訪れていますが、店舗に入るのは初めて。

 看板も建物を尊重したもので、好感がもてます。

 店内は1年前に改装したそうで、真新しい感じでした。

 目的は、米と和三盆で作られたこのバームクーヘン。

 今年の6月にスタッフが結婚したのですが、その引き出物の中にありました。

 当日の式が終わり、家に帰って晩酌をしていると家族は10時頃には、2階へ上がって行きました。

 もう少し1人で飲んでいたのですが、キッチンへ行くとこのバームクーヘンが4つに切られて置いてありました。

 1つ食べて寝るか、と思ったところまでは覚えているのですが、その後の記憶がなく……

 翌朝、下に降りると、娘が「お父さん、また私のデザート全部食べたやろ~」と。

 「また」と言うのは、5年くらい前に娘のお気に入りだったハイチュウ(いちご味)を、私が夜に全て食べてしまったという一件を指しています。

 元々、甘党でもない私が、ハイチュウをそんなに食べるはずもないのです。

 ウィスキーを熟成させる過程で、幾分量が減ってしまうことを「天使の分け前」と言うそうですが、甘い物好きの天使が分け前を求めたのかもしれません。

 そんな言い訳をしていると必ずバチがあたります。

 晩酌は、一日おきと決めているので、それなりに節制しているつもりですが、眠い時に甘いものを食べ出すと、たまにストッパーが壊れてしまう時があるのです。

 午前0時を過ぎたあたりからの甘いものは絶対的に要注意。

 週末に誕生日を迎えました。天命を知る50歳まであと2年。夜中にハイチュウを食べている場合ではありません。

 天使が応援してくれるよう、また、悪魔にとりいられないよう、規則正しい生活をおくれる48歳でいたいと思います。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「羽曳野の家」放映

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

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【Events】

■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

【News】
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売に「松虫の長家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載

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朝焼けの中で‐1259‐

 日曜日の日の出は5:52am。

 5:00amに、カメラマンとSEIUNDO のnew offceで待ち合わせていました。竣工写真の撮影だったのです。

21 - コピー

 中央がクリスタルタワー。

 OBPのビル群から朝日が昇ってきました。

23 - コピー

 セブンドリーマーズの3店舗に続き、カメラマンは、ナカサ&パートナーズの安田さん

 今回も東京からの来阪です。

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 土曜日の日中は東京での撮影で、飛行機、レンタカーと乗り継ぎ、8:00pmに現場到着。

 そのまま深夜0:00amまで夜景の撮影をしました。

 大阪は折からの観光ブーム。ホテルが取れずネットカフェで2時間仮眠をしただけでの早朝出勤でした。

25 - コピー

 建築写真は、明るい外部と、暗い内部を一緒に撮る為、光の入り方が大きく影響を与えます。

 薄暮や、明け方しか撮れない写真があるのです。

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 太陽が昇りだすと、朝日独特の黄色い光が、室内に入り始めます。

28 - コピー

 そうなると撮影は一旦待機。

太陽が昇り切る8:00am頃まで待たなければなりません。

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 これだけ片付いた状態で撮影が出来るのは、このタイミングだけ。

 よって失敗は許されません。

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 私達も、全ての撮影に立ち会いましたが、本当に大変な仕事です。

 しかし、それ故プロの仕事。

32 - コピー (2)

 8:00amには、SEIUNDOの社員さんにも入って貰い、人物ありカットの撮影がスタート。

 立ち位置にもこまやかな指示が出ます。

38 - コピー

 10:00amまで5時間撮影しました。2日間に渡り、14時間中9時間一緒に仕事をしました。

37 - コピー

 3月27日(日)はSEIUNDOの引っ越しの日。それを10:00amまで待って貰い、ぎりぎりの撮影でした。

 撮影が終わると同時に、引っ越しが開始されました。

39 - コピー

 私も家に帰ると、そのまま泥のように眠りました。そして、夜はささやかな焼肉パーティー。

 大変だけが充実を生むというこの真理。またささやかな幸せがあれば満たされるというのもまた事実。

 このハードスケジュールにも関わらず、日曜日6:00pmに安田さんから仮画像が送られてきました。

 素晴らしい内容で全カット購入。納品が楽しみです。

 自分が一番頑張っていると思いたいのもまた真理。しかし、頑張っている人は、本当に沢山居るものです。