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怖さ十分の一‐1345‐

 一昨日、合同企業面接会というものに参加してきました。

 芦原高等職業技術専門校というところから声を掛けてもらったのです。

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 最寄駅はJR環状線の芦原橋駅。

 住所は浪速区浪速東なのでナニワの中のナニワ。

 天王寺駅から西へ、新今宮→今宮→芦原橋なのでディープ大阪に間違いありません。

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 お好み焼、ヤキソバともに200円。

 これは、由緒正しきディープ下町です。

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 学校に向かって歩いていくと、芦原町という駅がありました。

 南海電鉄の汐見橋線というらしく、時刻表を見ると1時間に2本だけ。ローカル線の佇まいです。

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 職業技術専門校というのは、再就職を支援する府の施設だそうです。

 半年間、CADや模型の勉強をすると聞き、そんな人達なら当社に入りたい人が沢山いるんじゃないかと思い、参加する事にしたのです。

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 初めてのことなので雰囲気が分からず、相談会のような品揃えででむきました。

 が、そんなことをしている企業は1社もありませんでしたが、先生方は「わかりやすくて、いいと思います」と。

 それもあってか、2時間の間に3人が話を聞きにきてくれました。

 うちの1人の方は「話を聞きたい人はもっと居ると思いますが、条件面だけみると……。それと、みな設計事務所は時間無制限と思っていますよね」と。

 時間無制限とまではしていないつもりですが、完全に否定できるわけでもなく……

 どうも、皆が当社に興味があるということはないようでした。どのくらい思いあがっているんだという話もありますが。

 この春で10年目に入るスタッフは、先日までいた新人君に「私が入った頃、所長は今の10倍怖かった」と言っていました。

 「もし役所との折衝でも、何の収穫もなく手ぶらで帰ったら、殺されると思っていた」と。

 これは半分冗談で聞いて貰えないと、ここに書けないのですが。

 自分の意思でどんどん成長していけるという人はよいですが、なかなか人はそこまで強くありません。

 よって、本気にならざるをえない環境に身をおくことが、一番簡単に成長できる方法だと思います。

 それをストレスと捉えるか(ストレスではあるかもしれませんが)、ウェイトトレーニングのダンベルと捉えるかで、まったく違った景色になります。

 「ああ大変。ということは、今までできなかったことにチャレンジしている!成長できるかも!!」

 みたいな感じで生きていきたいものです。 

 怖さ十分の一。とっても優しくなった私の元で、情熱を燃やしてみませんか。

 もうそんな言葉から、腰が引けてしまうのかもしれませんが。

この道は滑走路‐1344‐

 2年前、「長男が北海道の中学を目指している」と書きました。
 
 何人かに、「寂しくなりますね」と声を掛けてもらいました。そう思う反面、それもいいかなと思っていました。

 しかし最終的には関西の学校を受験することになりました。理由は聞いていませんが、自分が響いたらならそれが一番です。

 結論で言うと、昨日何とか希望校に合格してくれました。

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 大晦日も元旦も塾があり、年始の休みは1月3日だけ。最近の小学生は大変だなと思います。

 合格祈願に行きたいというので、3日は早朝から京都の北野天満宮へ連れて行きました。

 学問の神様、菅原道真公をまつる北野天満宮。朝の7時前からご祈祷を待つ列ができていました。

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 ご祈祷のあと、合格祈願の絵馬を奉納。

 絵馬は朝日があたる場所がよいだろうと、東の端におさめてきました。

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 その日以来ですが、長男はお札に向かって毎日「2拝、2拍、1拝」していました。

 頭を下げるというのはとてもよいことだと思います。純粋に思わなければ、深々と頭は下げれないものです。

 しかし、いつから本気で行きたいと思うようになったかは、最終的には全く分かりませんでした。

 どこの家庭でもある問題だと思いますが、学ぶ意味を伝えるのは簡単ではありません。

 我が家でも、何度も口論になりました。

 私は一所懸命に働いているつもりですが、子供が見る姿は、帰って一杯飲んでいるか、本を読んでいる姿だけ。

 たまの休みは、頑張ってどこかに連れて行くのですが、要するに働いている姿は目にしません。

 同じように、長男が主に勉強しているのは塾でです。夜の10時半を過ぎることもあり、私より遅い日も多々ありました。

 互いに過程は全く見えず、結果でしか話ができないのです。

 なかなか結果がでない。さらに帰ってから、グズグズ、ダラダラと、言い訳をしている姿をみると頭にくるのです。

 そしてこう言ってしまいます。

 「本当に行きたいところがあるなら、お父さんは精一杯応援する。そうでないなら、今すぐ受験勉強を辞めろ」

 自分の子供とはいえ、私とは性格も全く違います。父子というものは、基本歯車がかみ合わないものです。

 しかし、素直に言ったとおり勉強し、成績が上がり、合格すれば正解と言うことでもない気がします。

 「今頑張っておけば将来が楽」というはっぱの掛け方はしませんでした。それは嘘だからです。

 一難去ってまた一難。トラブルにつぐトラブル、そしてまたトラブル。仕事も、人生もそれが本質です。志望校に通ったとしても、楽を求めるなら何の意味もありません。

 ではなぜ、少しでも上を目指して欲しいのだろうと考えました。今はこうなのかなと思っています。

 「大変なことをできるだけ楽しく。それをいい仲間と」

 前回、中高の友人の奥さんの治療について、広く情報を求めたいという記事を書きました。

 それをシェアしてくれる人もいて、大変嬉しかったのですが、改めて旧友というものの力を感じました。

 自分の体験を赤裸々に伝える者、その道のエキスパートの情報をかき集めようとする者、現役の医師からと、本当に沢山の情報が彼に直接届いていました。私経由ではありません。

 会社、仲間を意味するcompanyは、共にパンを食べたという意味から出来た言葉だと書きました。同じ場所で、同じ空気を6年間一緒に吸った意味を、今頃になってひしひしと感じます。

 自分の仕事も、母校も1つだけで、それしか子供に伝えられる経験はありません。私としては自分の母校を子供に薦めたのですが、結局受験もせずでした。

 それはそれで、とても良かったのだと思います。誰も知らない経験のほうが、刺激も、充実も大きいと思いますし、何より自分できめたという事実が大きいはず。

 中学高校の6年間、心も体も、本当に大きく変わる時期です。

 しかしそれは、未来へ続く滑走路。ここを走るのが目的ではありません。その先を自分で飛べなければ、何の意味もありません。

 悔いのない、悔いの少ない人生を歩んでもらいたい。そして、世の中に求められる人になってもらいたい。私が願うのはその2つです。

 最後につまらない話を。ここまで買わないと通してきたスマホをついに与えることになりそうです。ちなみに私は未だにガラケー。

 学校のクラスで持っていないのは2、3人だけだそうで、それについてはよく我慢したと思います。

 しかし、実際の体験は、そんなものとは比べものにならないくらい、楽しく、大変だと思える、学校生活をおくってほしいと思います。

今日の屈辱を耐えて、明日のために生きろ‐1341‐

 この連休、子供をどこにも連れて行けずで。

 午前中、娘と堺にある「ビッグバン」という施設に行ってきました。

 遊びをテーマに設立された大型児童館です。

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 名誉館長の松本零士が創作した「壮大な旅物語に沿った、ストーリー性のある非日常空間を演出」とあります。

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 UFOのようなフォルムをしているのは4階部分。

 なかなか夢のある建物です。

 完成は1999年。松本零士といえば、「銀河鉄道999」の作者です。そこに合わせて、竣工させたのかもしれません。

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 内部も、その世界観に基づいてつくられています。

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 自分で書いたイラストを取り込み、架空の世界で遊ばせるという「電子動物園」。

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 宇宙戦艦ヤマトの中にいるような気分になります。

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 かと思えば、大阪にいたという古代ワニのアスレッチックあり。

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 また、正面右に見えるガラスのタワーは、4層を貫いた巨大ジャングルジムになっていました。

 小3の娘は満足していましたが、小1くらいまでが、一番楽しめるかもしれません。

 3年ほど前ですが、松本零士のインタビューが新聞に載っていました。

 彼の父は軍人で、太平洋戦争の際、陸軍士官学校の同期の中で、唯一生きて日本に戻ったそうです。

 部下の多くを失い、自決したかったのではと思う。それでも、家族の為に生きて帰ってきてくれたことに感謝するとありました。

 監督をつとめた「宇宙戦艦ヤマト」の沖田十三艦長はその父がモデルです。

 「今日の屈辱を耐えて、明日のために生きろ。死ぬな古代」いうセリフも、そういう意味のことをしょっちゅう聞かされていたからこそ生まれたものでした。

 生命を讃える考えが、全作品を貫く彼のテーマなのです。

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 施設の前に市民会館があるのか、成人式終わりの若者が集まっていました。

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 あでやかに着飾ったその姿は美しく、人生の中でも最も素晴らしい時間だと思います。

 松本零士の父はいつもこう言っていたそうです。

 「人は死ぬために生まれてくるのではない。生きるために生まれてくるのだ」

 生きるということは、たやすいことではありません。日々屈辱ということはありませんが、それでも困難の連続です。

 一人前とは、逃げないと決めること。大人の覚悟で頑張って欲しいと思います。

 そう言う以上、先輩の大人が逃げていたのでは話になりませんが。

当たり前にあるもの‐1340‐

 当社は今日が仕事初めでした。

 仕事初めは、昨日、今日が多かったでしょうか。

 1月3日に京都へ行く用事があり、平等院に寄ってきました。快晴に雪なら金閣寺ですが、青空で無風の平等院も捨て難いのです。

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 平等院は1052年、関白藤原頼道によって創建されました。

 今から千年近く前、頼道の考えた浄土をこの世に再現したのが鳳凰堂です。

 水面に映る姿まで愛でた、日本人の美意識がここに結実しています。

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 軽やかに持ち上げられた、両翼は軽快、かつ繊細。

 平安時代の人が見た時の驚きはいかばかりのものだったのか。

 昨年末にスタッフが2人退職し、人出不足がゆえ現行スタッフは大晦日も、元日も出社してくれていました。

 これは私がお願いしたものではありません。

 しかし、私が若いスタッフを育成できなかったからに他ならず、本当に有り難いという気持ちしかありません。

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 昨年末の12月29日は、現場からの希望で、昨年最終の打合せがありました。

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 この時期の現場は、本当に寒いのです。

 若い大工がベニヤのお盆に載せて、暖かいコーヒーを持ってきてくれました。それを棟梁にわたす姿が、何とも微笑ましく。

 「若い人が育って、いいチームなってるね。ウチはなかなか……羨ましいよ」と言いました。

 すると棟梁が「何言ってるんですか、ここにチームがあるじゃないですか」と。

 「そうやね、こうやってやる気のある人が集まってくれることに感謝しないといけないね」と返したのです。

 「当たり前にあるものほど、本当は一番大事」

 これは、ダウンタウン松本のブレーンであり、構成作家・高須光聖の言葉です。

 当たり前とは、自分が選び続けている現実ともいえます。また、人は知らない人を応援することはありません。

 組織も個の集まり。まずは自分に近しい人を大切にするしかありません。

 この単純な真理をどれだけ実行できるか。

 今年一年、いや今後の人生、本気でやろうと思うのです。

人気者が人気者である理由‐1339‐

 新年あけましておめでとうございます。

 今年の3が日は、よい天気が続きそうです。

 昨年末の12月30日、中学・高校の同窓会を開催しました。

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 会場は大阪マルビルの第一ホテル。

 母校は中高一貫教育だったので、6クラス270名のほぼ全員が、6年間を一緒に過ごしました。

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 今回が第4回目で、59名の同級生と、5名の先生が参加。

 64名の会になりました。

 弁護士、テレビ局のプロデューサー、映画監督、注目ベンチャーの経営者、大学教授、監査法人、参加者の2割が医師という、本当に多種多様な職業についています。

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 2004年の第1回から、私が世話役の代表をしており、その関係で会の進行も兼ねています。

 正式な同窓会を開催しようとなったとき、妙な男気をだしてしまったのが始まりでした。

 しかし、やる以上はグループ等に関係なく、皆が来やすい、皆が楽しい会にしたいと思っていました。

 まず日程まで分かりやすくするため、毎回、オリンピックイヤーの12月30日の開催と決めたのです。

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 教鞭をとる現役の先生は、ついに1人になってしまいました。

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 あの怖かった、体育の先生も60歳を越えてこの笑顔。

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 今回は、来年米寿を迎える、国語の先生が初めて参加してくれました。

 こちらの先生、私の中1、中2の担任の先生です。

 これまでも、招待状は出していたのですが、今回は体調が良ければ参加すると返事を頂いていました。

 そして世話役の同級生が車で迎えに上がり、来場してくれたのです。

 来られた際、「世話役をしています守谷です。覚えて頂いていますか」とご挨拶しました。

 すると、「覚えてるわよ~、あんた喧嘩ばっかりして、悪かったものね~」と、満面の笑みで返して下さいました。

 この時ほど、喧嘩をして良かったと思ったことはありません。冗談ですが。

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 会の趣旨に添うよう、先生も含めて参加者全員に1~3分の近況報告をしてもらいます。

 毎回、3~4時間、ただこれをするだけの会なのですが、かなり盛り上がるのです。

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 全員がいつも舞台を注目している訳ではありませんが、先生をはじめ、要所要所を、当時の人気者達が盛り上げてくれます。

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 こちらの先生は、私が高1の時の担任です。

 ある理由で、修学旅行の途中から、個室監禁の罰を受けることになった私。

 帰りの電車で途中下車して、ある同級生の自宅に、一緒に謝りに行ってくれました。

 こういうことを、恩師と呼ぶ理由にして良いのか分かりませんが、本当に感謝しています。

 今回の近況報告で一番盛り上がったのは、こちらの先生による思い出話。かなりのレベルまで踏み込んだもので、大爆笑でした。

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 当時の人気者と書きましたが、私は人気者ではありませんでした。

 彼らは部活の主将だったり、腕っぷしに一目置かれていたりと、いつも人の輪の中心にいる同級生達です。

 彼に至っては、270名全員の卒業文集に目を通し、ネタを準備してきてくれました。大爆笑をかっさらって行きました。

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 しかしこの歳になり、その理由が、スポーツが出来るからとか、主将だからとかいうものではないことがよく分かります。

 サービス精神と行動力が溢れているのです。

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 それを昔の仲間は皆知っており、困ると彼らを頼ります。

 そして、必ず解決してくれるのです。

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 最後は胴上げされる先生まであらわれ、お開きになりました。

 谷沢永一の言葉を借りてみます。

 可愛気の次に人から好まれる素質、それは、律気、である。秀吉は可愛気、家康は律気、それを以て天下の人心を収攬した。律気なら努めて達し得るであろう。律気を磨きあげれば殆ど可愛気に近づくのである。

 学生時代、あいつらの周りには、いつも人が居て羨ましいなと、思っていました。

 そうでなかった理由は、可愛気も律義もなく、自分のほうばかり見ていたからだとよく分かります。そして、可愛気の最高品質を、結構見て来たので、私は律義を目指します。

 この会の後ほど、清々しい気持ちになることはありません。4次会まで行き、朝4時まで飲んでいました。

 この日はしゃべり続けて12時間。おつりが出るくらい楽しみました。

 次回は2020年東京オリンピックの年です。

 皆の前で、胸を張って近況報告ができるよう、まずは今年、そしてあと4年を頑張るのみです。

 今年も全力で行きますので、この日記ともども宜しくお願い致します。

2016年 暮れは元気にご挨拶‐1338‐

 昨日で役所も御用納め。

 しかし今日も現場は動いています。午前中は「北摂の家」の現場へ行ってきました。

 建築と農作業は似ていて、一足飛ばしが出来ません。よって年末年始は正直堪えます。

 しかし土曜休みなどないのが職人の世界。たまの休みには英気を養ってもらいましょう。

 2016年の日記も今日で最後。1年間を振り返ってみます。

1月 日に新た‐1235‐
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 2014年9月27日に噴火した御嶽山。

 麓のスキー場で年明けを迎えました。

 今年のテーマは「日に新た」。本田宗一郎の言葉です。

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2月 とどめの一撃‐1247‐

 芥川賞の選考委員をしていた作家・開高健は受賞作を選ぶ基準をこう表現しました。

 その作品に『鮮烈な一言半句』はあるか?

 「クー・ド・グラース(とどめの一撃)」とも表現しています。

 「高台の家」で、私が目標にしていた、賞をとることは出来ませんでした。再度、戦いを挑む覚悟です。

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3月 朝焼けの中で‐1259‐

 3月27日(日)は、「SEIUNDO」の写真撮影でした。

 深夜0時まで夜景を撮り、仮眠をとって5:00amから撮影再開。

 写真家は、何時であろうと最高のカットを求めます。

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4月 火の鳥のように‐1265‐

 4月14日(木)21時26分に熊本で最大震度7の地震が発生しました。

 しかし、火の国・熊本。不死鳥のように蘇ると信じます。

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5月 枯れて石庭、燃えて金閣‐1275‐

 観光シーズン真っただ中の金閣寺。

 夕日を受けて黄金の軒裏が、池からの反射を受け輝いていました。

 5月には『住まいの設計07・08月号』の「阿倍野の長屋」が掲載。

 3月にも『住まいの設計05・06月号』に、「滋賀の家」が掲載されました。

06

6月 10年待てば必ず実がつく‐1281‐

 弁護士・宇都宮健児は言いました。

 1年2年じゃ花も咲かなきゃ芽もでない

 でも10年待てば必ず実がつく

07

7月 積年の澱‐1289‐

 熊本地震の被災地支援活動に、初めて参加しました。

 建築の専門家として、これらの活動に参加できていなかったことが、常に引け目としてあったのです。

08

8月 フィンランドの旅① -ヘルシンキ、ユバスキュラ編 -‐1299‐

 憧れの建築家、アルヴァ・アアルト。

 作品群をみにフィンランドへ。25年来の恋人は、私の想像より美しく、逞しいものでした。

09

9月 近鉄特急で行く名古屋の旅‐1309‐

 名古屋と言えば、櫃まぶし。

 娘との2人旅でした。

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10月 一滴のしずくが川となるように‐1321‐

 10月末、『住人十色』「阿倍野の長屋」を取り上げてもらいました。

 快く出演を引き受けてくれたクライアントこそが、私達の一番の強みなのです。

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11月 さらば、緑のディスカバリー‐1327‐

 5年半乗った、休日の相棒とお別れしました。

 建築も車も物ですが、機能という血管に、愛情という血液が流れだした瞬間、心が通い始めるのです。

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12月 大阪の宝‐1333‐

 織田作之助は、大阪人を「紋切型を嫌う、永遠の新人」と言い表しました。

 私も大阪人のはしくれ。その意地をみせたいと思います。

 日曜日の新聞に、俳優・風間杜夫の記事がでていました。

 「鎌田行進曲」などで、その才能を発掘してくれた演出家・つかこうへいはこう言ったそうです。

 「舞台ではおまえの幼児性も正義感もストイシイズム(禁欲主義)も一緒くたに出せ!」

 人間はひと色ではない。この役はこうだと決めつけず、役の中に何色も塗り込んでいく。

 風間杜夫は、役者を最高にかっこよく見せてくれるつかこうへいを指して「こういう人を天才というのかと思いました」と言っていました。

 リーダーとして、身につまされる思いがします。

 ひとりで出来ることは限られている。人はひと色ではない。

 今年最後の自戒の言葉にしたいと思います。

 今年一年、この日記、並びに現場日記にお付き合い頂き、本当に有難うございました。

 来年も素晴らしい一年となることを確信しております。

 2016年12月29日 守谷昌紀

近くて遠い街、堺にて‐1337‐

 大阪市のすぐ南にある堺市。

 私にとって近くて遠い街でした。今まで本格的に訪れたことがありませんでした。

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 仁徳天皇陵を訪れるのも初めて。

 横は数えきれないくらい通っているのですが。

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 3重の堀に守られた、長さ約500mの日本一大きな古墳。地元では「御陵さん」と呼ぶそうです。

 世界遺産の暫定リストにも記載されています。

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 その大きさは俯瞰しなければ、ピンときません。

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 北西にある、堺市役所の21階に展望ロビーから見下ろすことができます。

 観光マップあり、各所にボランティアのガイドを配したりと、堺も観光に本腰を入れているのが分かります。

 昨日は快晴で、明石大橋まで見えました。

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 展望ロビーには、鉄砲も展示されていました。

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 堺は水運によって発展した都市です。

 旧堺港の入り口に立つ灯台は、明治10年に建築されたもの。

 所在を変えずに現存する洋式木造灯台としては、最も古いもののひとつだそうです。

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 備前の国の石工が建造したという石積みは、有機的なフォルムで、現代には見れない美しさがありました。

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 旧堺灯台から東に1kmほど内陸にはいると、ザビエル公園があります。

 中央あたりにある段差は、中世における海岸線だったそうです。

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 公園のすぐ海側には環濠が残っています。

 さすがに日本一大きな環濠都市だけあり、濠の規模が違いました。

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 環濠都市の中央付近ある千利休の屋敷跡。

 利休は1522年、堺のこの地に豪商の長男として生まれました。

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 17歳の時から茶の湯を学び、のちに武野紹鷗に師事。わび茶を大成させます。

 現在は、井戸が残るのみでしたが、井戸屋形は大徳寺の山門改修の際にでた古材でつくられたものだそうです。

 大徳寺は秀吉との確執で切腹においこまれた、因縁の寺でもあります。

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 利休は茶人として粋を極めた結果、発言力を持っていきます。

 しかし「利休好み」の言葉もある通り、質素な茶の湯を旨としました。

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 利休が設計したと言われる、現存する唯一の遺構は、大山崎にある「待庵」です。

 わずか二畳の茶室に、一畳の床を設けています。

 壁は藁すさのみえる荒壁で、そこに一輪の野の花を活ければよいと考えました。

 高価な物を飾るのではなく、亭主のもてなす心を表現するために、床に一畳をさいたのです。

 黄金の茶室をつくった秀吉と、精神的な部分で交わることはなかったのだと思います。

 利休は、師である武野紹鴎に「詫びとは慎み深く奢らぬ様」と教えられました。

 読めば読むほど、深く、迷宮に入ってしまいそうな言葉です。

 茶の湯という、伝統ある精神文化を高めた利休が、堺の地に生まれたのは偶然ではないと思います。

 新しい文化が次から次へと入ってくる堺だったからこそ、利休は深く根源をみるようになったのではないかと思うのです。

 「伝統」とは「起源」の忘却のことである
-エドムント・フッサール- オーストリアの数学者・哲学者

 現在の伝統文化も、もとは前衛的だったはず。今に固執せず、より深く精神世界を突き詰めてみたいと思うのです。

 この日記も、今年は残すところ1回となりました

 過去をなどってはいないか、前を向けているか、根源をみようとしているか。自戒、反省の念が次から次へと湧いてきます。
 
 しかし、この1年を良い形で締めくくるため、残る1週間を利休のように精一杯考え、働くのみです。

セルヒオ・ラモスにみる格‐1336‐

 梅田阪急のコンコースに、イルミネーションをみると年末を感じます。

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 1980年代、中学、高校とここは私の通学路でした。

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 阪急百貨店側に、このようなディスプレイで飾られるようになったのは、いつからでしょうか。

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 このコンコースが、初代阪急梅田駅だった話は何度か書きました。

 また、マイケル・ダグラス、高倉健主演の映画、「ブラック・レイン」の舞台にもなりました。

 ヤクザ役で出演していた、「大阪名物パチパチパンチ」の島木譲二が亡くなったという記事を読みました。

 「大阪名物逝く」とまで書かれたら、芸人冥利につきるのではないでしょうか。

 これほどくだらなく(失礼)、わかりやすい芸は、これからの芸人にはできないのではと思います。

 ポコポコヘッドよ永遠に……

 この日曜日、クラブワールドカップの決勝戦をみました。

 ヨーロッパ・チャンピオンのレアル・マドリードと開催国枠で出場の鹿島アントラーズの対戦でした。

 世界最優秀選手に送られるパロンドールを、今年も含め4回受賞しているクリスティアーノ・ロナウド。

 いわずとしれた世界最高のポルトガル人フォワードです。

 そのロナウド率いるレアル・マドリードには、さほど詳しくない私でも知っている名前が並びます。

 メッシの所属するバルセロナとともに、世界で最も有名なクラブチームでしょう。

 先のワールドカップで、日本が散々に痛めつけられた、コロンビア代表のハメス・ロドリゲスが控えに回るほどの選手層の厚さです。

 そのスター軍団を敵にまわし、延長戦までもつれこむ熱戦でした。

 90分では2対2の同点。PKを与えるまで、アントラーズはリードしている時間帯がありました。

 その後半、守備の要、セルヒオ・ラモスはすでにイエローカードを貰っていました。退場になってもおかしくない場面があり、翌日も話題になっていました。

 解説者は「名前に遠慮したか」と言いましたが、私もそう思います。

 主審の判定には、「格」が存在していた気がします。

 にわかアントラーズファンに「もしかすると」という夢を見せてくれただけでも有り難いことですが、世の中にはこの「格」が確実に存在します。

 それは、実況中継をしていた解説者の中にもありました。

 「あのレアルがまさかこのままで終わるはずがない」という雰囲気が漂っていました。

 そう考えると、格を最も感じていなかった、または感じないようにしていたのは、鹿島の選手なのかもしれません。

 その根拠となったのは、自分達の組織力を信じる力だったのか。テレビを通してみていても、とても勇敢に見えました。

 格とは、現時点までの既成概念と言って良いかもしれません。

 本当に勝つには、まず試合に勝ち、世の中の認識を変えるまで、勝ち続けなければならないのです。

 もちろん、これはサッカーにおいてだけではありません。私の会社においても全く同じです。

 あなたは あなたがなろうとする人間になる -ジェームス・アレン-

 勇敢であること。勝ち続けなければならないこと。

 いいものを見せてもらいました。

ドロをかぶる‐1335‐ 

 12月も残すところ2週間となりました。

 せわしない時期ですが、天気もよい、父と休みが合いと、釣りに行ってきました。

 朝の6時に岸和田の港を出て、洲本沖へ向かいます。

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 通常なら父の船で1時間程。

 昨日は風と波が残っており、2時間近く掛かりました。

 大阪湾は、淡路島と友ヶ島で囲まれた入江のような海です。古来は茅渟(チヌ)の海と呼ばれていました。

 チヌとは黒鯛のことで、それほどチヌが多かったということ。非常に豊かな海だったのです。

 高度成長期の汚染から、ようやく改善傾向にあると感じます。

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 洲本沖には、沢山の船が出ていました。

 ターゲットはタチウオです。

 しかしファーストフィッシュは、チヌではなくフグでした。

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 9時半頃、私にもようやく1匹目が来ました。

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 タチウオはその名の通り細長い魚で、幅で表したりします。

 指3本半といったところか。

 ちなみに、5本を超えるとドラゴンと呼びます。

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 その鋭い歯で、エサのイワシの形が分からなくなるまで、噛みちぎるのです。

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 その後、加太と友ヶ島に挟まれる紀淡海峡へ移動。

 ここは潮通しがよく、沢山の船が集まってきます。

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 50cmくらいのサワラがきました。

 ルアーにサワラがきたのは初めてです。

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 朝方は少し波があったものの、冬とは思えない陽気でした。

 午後2時頃に納竿。3時過ぎには岸和田まで戻ってきました。

 私の釣果は、タチウオ2匹、サワラ1匹、ベラ1匹でした。

 父らは物足りないようでしたが、私は久し振りに海がみれたことで十分に満足です。

 とても釣りが好きなクライアントが居るのですが、今年は全く行けていないと言っていました。

 視野が狭くなると、つい自分だけが大変だ、大変だとなってしまいます。しかし、もちろんそんなことはありません。

 田原 総一朗の「日本を揺るがせた怪物たち」 は、田中角栄、中曽根康弘などの政治家から、松下幸之助、本田宗一郎の実業人まで、「怪物」について書かれたノンフィクションです。

 彼らが「怪物」たるゆえんは、周囲の人間たちを引き込む、強い吸引力を持っていることだが、それは自分を曖昧にせず、ホンネを晒し、もちろん魅力的なビジョンを示すのだが、何よりも責任を回避しない、と言うよりも積極的にドロをかぶろうとすることである。だから、彼らと敵対する人間までもが彼を信頼することになる。

 積極的にドロをかぶろうとする。

 聞くも、言うも簡単。実行するのはもちろん別です。

 昨晩はサワラを塩焼きにして食べました。小3の娘は「この味、好きやねんなあ」と、大人びたもの言い。

 1日に1つ、小さな幸せがあれば十分頑張れると言い聞かせて、もうドロまみれになって働くしかありません。

動機善なりや‐1334‐

 先日、初期相談にみえた方が、新築かリノベーションかをかなり迷っていました。

 候補の物件を見せて貰ったのですが、その1つが建築家・石井修の作品だったのです。

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 氏の作品は今まで5つほど見たことがありますが、大阪市内にも2つほど知っています。

 本町にある、1970年完成の「ジェー・ガーバー商会大阪支店」。

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 日曜日だったので、内部は閉まっていましたが、パイプ状のスリットからみえる階段は、緩やかなカーブを描いています。

 こういったデザインがオリジナリティがあると言うのでしょう。とても46年前の建築とは思えない自由さを感じます。

 独創性、柔らかさ、そして美しさを備えた建築です。

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 もうひとつは、新世界にある「ギャラリー再会」。

 さらに遡ること17年。1953年の完成です。

 当時は1階が純喫茶だったようです。

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 ジャンジャン横町から北にある通天閣を目指します。

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 通天閣の真下を抜け。

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 北東に少し歩けば、「ギャラリー再会」。本当に、通天閣のすぐ足下にあるのです。

 映画全盛のころ、劇場のオーナーからの依頼だとありました。

 「建築に外観はいらない」という言葉の通り、後に彼は植物に覆われた建築を多くつくります。この建築でも、その一端を垣間見ることができます。

 今から5年前、石井修の自宅、目神山の家1-回帰草庵-を見せていただく機会がありました。

 この時ほど、日本建築家協会(JIA)に入って良かったと思ったことはありません。その住宅は、完全に緑に埋もれていたのです。

 リノベーションの候補に挙がっている作品も、とても魅力的でした。

 しかし、相談にみえた方の希望を聞いていくと、ある点でその建物は合わないかもと感じ、そう伝えました。

 創り手として、彼の作品をリノベーションしてみたい、という気持ちは正直に言えば強くあったのですが。

 動機善なりや、私心なかりしか

 1984年、電気通信事業が自由化された際に、現・京セラ名誉会長の稲盛和夫さんは、毎晩自身に問うたそうです。

 自分がいい格好をしたいから、参入すると言っているだけではないか、と。

 しかし、ここで参入しなければ、日本の通信料金が適正な金額になることはない。日本国民のためにと思い決断したといいます。

 鉄道網や高速道路網というインフラを持った当時のライバル会社は全てなくなり、KDDI(当時・第二電電)だけが現在も残っています。

 お客さん第一主義、という言葉をよく聞きますが、これを貫くのは簡単ではありません。

 私心をゼロにするのは簡単ではありませんが、動機が人として恥ずかしいものではないかを問うことは、私にもできます。

 聖人君子ぶるつもりはありませんが、そうすることで、決断が随分シンプルになった気がするのです。