北海道は昨年のゴールデンウィーク以来です。
今回は、所用と兼ねて長男と2人旅。
函館は、北海道の南端、渡島半島(おしまはんとう)の南東に位置する港町です。
空港に着陸する直前に、五稜郭が見えてきました。
前回函館を訪れたのは高校1年生の時で、およそ30年振り。
見えたついでに、五稜郭タワーへ行ってきました。
市内は路面電車で移動します。
五稜郭は日本で初めての西洋式城郭で、明治維新最後の激戦地でもあります。
江戸城への無血開城をよしとしない旧幕府軍は、海軍の副総裁だった榎本武揚をリーダーとし、五稜郭を占領します。
陸軍は土方歳三が率い、新政府軍と戦ったのが箱館戦争です。
結局、土方は倒れ、旧幕府軍は降伏するのですが、榎本武揚はその後の明治政府でも要職を務めます。
政府も能力のある人材が必要とは言え、なかなか理解しにくいものもあります。
しかし、このような過程を経て、日本の近代化は、諸外国が驚く程のスピードで進んで行ったのです。
20日(土)の夜、近くにある湯の川温泉で花火大会があると教えて貰いました。
今年は花火に行けていなかったので、長男には良い息抜きになったでしょうか。
翌、21日(日)は函館の朝市へ。
朝から台風の影響で雨が降っており、帰阪できるのか心配しながら天気予報を見守っていました。
赤レンガ倉庫群も歩いてきました。
最近レンガづいているのですが、これらの倉庫もレンガ造りの壁に、木造の屋根が掛かっています。
レンガという原始的な材料を積み上げ、木造の屋根を掛けるという建て方が、大空間を作るに適していたのです。
倉庫という用途から言えば、防火の意味合いも大きかったでしょう。
函館は坂の街ですが、この幅の広さは延焼を防ぐために整備されたものでした。
それらの坂を登ると、多くの教会が競うように建っています。
こちらは函館ハリスト正教会で、日本最古のロシア正教の教会。
後ろに見える、玉ねぎ型の屋根がロシア正教独特の建築様式です。
すぐ近くにはカトリック元町教会。
祭壇はローマ法王から贈られたものだそうです。こちらはゴシック様式です。
1853年にペリーが来航し、翌1854年に結ばれた日米和親条約により、箱館(当時)と下田の2港が開港しました。
横浜・長崎よりも、最も早くに異国の文化が入って来た街なのです。
今でも多くの洋館が立ち並び、現役で使われています。
ベイエリアにある「カリフォルニアベイビー」はその走りのような店舗だそう。
函館出身のミュージシャン「GLAYのメンバーもお気に入り」とどこかに書いてありました。
今回は時間がなくてパス。
函館なので、海の幸と行きたいところですが、長男が海鮮嫌いのため、ラーメンとウニが食べれる店を探しました。
行列が出来る名店、という感じではないですが、十分満足しました。
日曜日は、3つの台風が日本に迫っていましたが、その間を縫って無事大阪に戻れたのです。
函館で見ても、開国と共に様々な宗派の宣教師が来日し、布教を始めています。そして、一等地に教会を建てました。
これらの積極性が、異文化との交流を生み、現実となったのが港町です。
積極性と融合が、他の街と違う雰囲気を醸し出しているのです。
路面電車に乗っていると、バックパッカーの女性が英語で訪ねて来ました。宿の場所を教えて欲しいと言います。
私の適当な英語で、行き方を教えてあげ、運転手には「○○に着いたら、この人に声を掛けて」と伝えました。
長男が「お父さん、あんなに英語がしゃべれて凄い」と言い出しました。
これは英語が必要だと知って貰う大チャンス。
” Where are you from? ”
と聞くと「タイランド」と言います。
私が「バンコクには長く滞在したことがある」と言うと、「???」という感じになりました。そこで私達の駅に着きました。
” Have a nice trip!”
と私達は下車したのです。
「タイランド」と聞こえてのですが、もしかすると「タイワン」と言ったのかもしれません。
それでも良いのです。旅の恥はかきすてですから。