タグ別アーカイブ: 前川國男

適材適所を積み重ね‐2135‐

大阪も40℃に迫る暑さです。

一日図面を描いているか、現場で大汗かいているか、私の仕事は極端です。

なので、少々暑くても朝に少し運動をして、汗をかく方が体調は良いものです。

盛夏には、サルスベリの花が良く似合います。

平野は戦国時代から環濠都市として栄えた街で、今でも古い民家が残ります。

こちらのお宅には、駒寄があります。

馬などから家を守るためのものですが、なぐり(名栗)加工が味わいを醸し出しています。

こちらのお宅も、駒寄を備えています。

その内側にある、軒を支えている柱は大きく曲がっています。

自然の形を活かし、見事な景色をつくりだしています。

これこそが適材適所です。

こちらは、何かしらの記念樹のようで、松がうえられています。

樹木としては見事なものですが、この景色には不要だとおもいます。

クライアントは、大きなこだわりと期待をもって依頼してくれています。

外壁の色の選択は繊細に、入念に行います。

「そこまでこだわりは……」というクライアントでも、そんなことはないことが大半です。

色々なサンプルを持っていくと、かなり悩みはじめる方も。

その時に、その計画の物語りというか、幹になっている考え方から外れないよう舵を切るのが建築家の仕事だと思っています。

建築家・前川國男は言いました。

一本の鋲を用いるにも 一握のセメントを用いるにも 国家を 社会を 農村を思わねばならない。

好きならそれでいい、というところから、もう2歩くらい踏み込んで全てを作り上げたいと思います。

そこにあるべきものだけで構成された建築は、きっと全く違う景色を生み出してくれるはずなのです。

■■■9月7日(土)、8日(日)10時から14時 「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」 内覧会開催 ■■■

■■9月17日(火)「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」開業■■

■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

メディア掲載情報

自然はなぜ美しいのか‐1607‐

 ようやく梅雨があけました。

 色は光の産物ですが、光と影のコントラストがその原型です。

 夏の花は貴重です。

 庭木の代表格はサルスベリでしょう。

 青空に濃桃の花が極めて美しいのです。

 南面の日差し対策に、蔓系の植物を植えているところも増えました。

 近年、暑さは増す一方なので、対策があるに越したことはありません。

 22日、月曜日のうえだクリニックです。

 梅雨明け当日の外観です。

 全く違う景色に変えてくれるのが夏なのです。

 昨夏訪れた、京都・岡崎にあるロームシアター京都(京都会館)。

 設計者の前川國男は、弟子に「自然がなぜ美しいか分かるかね」と尋ねました。

 答えられずにいると「それは、自らに責任をもっているからだよ」と説いたそうです。

 どれだけ風が吹こうと、雨が降ろうと、文句をいう草木はありません。

 反対の言い方をすれば、自らに責任を持たない姿が美しくない事になります。

 ここのところ、吉本興行の話題が紙面を賑わしています。

 美しい、美しくないで判断するなら、前川の物差しを当てるのが一番簡単です。

 人は嘘をつくことが、物理的には可能です。しかし、嘘は誰もが見抜くことができるという事実もあります。

 それが法的に証明できるかということを抜きにすればですが。

 どちらが悪い、悪くないの判断を私が出来る訳ではありません。

 しかし、世の中の風を敏感に感じとることが生命線であるタレントと、一般企業の経営者を同じ土俵で勝負させるのは、ちょっと酷かもしれません。

 会社に嘘をついたところで、タレントは大きく読み違いをしました。しかし、第一線で活躍しているということは、世間に嘘が通用しないということは勿論知っているはずです。

 概ね、人は美しいものが好きだということは、まぎれもない事実だと思うのです。

■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
■■■『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載

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【News】
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
■『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました
大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

違うことを恐れるな‐1377‐ 

 はじめに告知です。

【Events】
■■■5月14日(日) 1:00pm~3:30pm 丸善<京都本店>にて
「無料相談会」に参加■■■

 予約不要ですので、気軽にお越しください。

 ゴールデンウィークの旅ですが、 <青森・秋田編><岩手・再び秋田編>とも長くなってしまいました。

 建築と街をまとめて終わりにしたいと思います。

【5月2日(火)】弘前

 青森空港から弘前に向かう県道。

 ポプラが真っすぐ伸びる風景は、北海道をおもわせるものがあります。

 リンゴの木はクネクネと人が踊っているようにも。

 土地土地で、全く景色が変わるものです。

 弘前公園には、前川國男の作品が多くあります。

 前川は、昨年世界遺産に登録されたル・コルビュジエに師事しました。

 日本における、近代建築の第一人者です。

 1976年完成の弘前市立博物館。

 翌年に完成した熊本県立美術館と同じく、赤茶のレンガのみで外観が形成されています。

 このあたりに、前川の潔さを感じるのです。

【5月3日(水)】 大舘(おおだて)

 曲げわっぱで知られる大館。

 秋田の内陸部に位置しますが、秋田杉を使った世界最大級の木造ドームがあります。

 大館樹海ドームは1999年の完成。

 設計者は国立競技場のコンペを、隈研吾と最後まで争った伊東豊雄です。

 餅網を曲げたような構造体が圧巻でした。

 後ろに見える山には、大舘なので「大」の字が。

 これでトリプル「大」とのこと。

【5月4日(木)】盛岡

 盛岡は北上盆地の北部に位置します。

 盛岡市のwebサイトには「望郷の岩手山」とありました。標高2038mの大変美しい山です。

 中心部の商店街で見かけた「北日本銀行大通支店」。

 六本木 久志さんという建築家の作品でした。

 総ガラスブロックは、どうしてもレンゾ・ピアノをイメージしますが、盛岡の透明感とは一致しています。

【5月5日(金)】秋田・大仙(だいせん)

 秋田市は東北の日本海側最大の都市。

 あきたこまちと細麺の稲庭うどんが有名です。

 秋田市街の中心にある秋田県立美術館。

 2012年の完成で、安藤忠雄の設計です。

 正面からは分かりませんが、背面は三角がモチーフとなっています。

 三角形の平面をもつエントランスホールにかかる階段は、それ自体がアートと言える美しさでした。

 ラウンジは水平窓が連なり、直下の水盤が浮遊感をかもしだします。

 ソファに腰掛けると、目線の先には千秋公園の濃い緑が。

 これまで見た安藤建築の中で、最も美しい窓だと感じます。

 堀の向こうに見える旧の県立美術館。

 現在は閉館となっているようですが、非常に面白い造形でした。

 最後は、秋田市と角館市の中間にある大仙市。

 酒どころの大仙市で300年以上続く奥田酒造は、銘酒「千代緑」で知られます。

 造り酒屋の店舗兼住居は1957年完成で、白井晟一の設計。

 大仙市のwebサイトにも紹介されていました。

 通りのある西は閉じ、北に開いているのが分かります。

 西側正面は縦板張りで、格子も縦。

 しかし完成して60年が経ち、老朽化が進んでいるところも見てとれます。

 時間に淘汰されない、また丈夫で長持ちする建築を創り上げることが、そう簡単でないことがよくわかります。

 命はいつか尽き、形あるものは必ず壊れます。しかし街は少しづつ変化をしながら、生き続けるのです。

 盛岡の駅前で、ガソリンスタンドに入りました。

 25歳くらいの女性店員に声をかけると「なまってますねえ~。どちらからですか?」と。

 生まれてこのかた、「なまっている」と言われたことがないので、その店員さんに「そんなになまってますか」と聞いてみました。

 「そうですねえ。私も盛岡郊外の実家に帰ったときは、方言がでるのですが、盛岡で働いているときは、いつも標準語なんです。それとくらべると……」

 新聞のコラムで、「書を捨てよ、街へでよう」と言った、劇作家の寺山修二は弘前出身だと知りました。

 ふるさとの 訛りなくせし友といて モカ珈琲は かくまでにがし 

 彼は47歳で世を去りますが、一生を津軽弁で通したそうです。

 地域の言葉は、教育で身につけたものではありません。

 街と同じく、脈々と受け継がれてきた、まさに生きた文化です。それらの違いをこの目で見たくて旅をするのだとも言えるのです。

 「違うことを恐れるな。簡単に同化するな」

 寺山修二はそう言っている気がするのです。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>
46/47 【】はまだ

北海道

青森 岩手 【宮城】 秋田  山形 福島

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鳥取 島根 岡山 広島 山口

徳島 香川 愛媛 高知

福岡 佐賀 長崎 熊本 大分 宮崎 鹿児島

沖縄

木の音楽ホール

 昨日の朝、9時頃に新横浜駅に着きました。

 稲盛和夫さんが若手に経営を教える盛和塾の世界大会に参加する為です。

 会は昼からなので、早めに来て横浜の建物を見に行って来ました。今回はJRの桜木町駅へ。山手へ徒歩5分。紅葉坂を登れば、神奈川県立音楽堂が見えてきます。隣接する県立図書館と共に前川國男の設計で、完成は1954年。戦後初めての、公共音楽ホールなのです。

 内部は木でできており当時の新聞には、「東洋一の響き」という記載もありました。

 電話で見学の予約をしていたので、ホワイエ、ホール内とスタッフが案内してくれます。

 この建物は、約10年前に建て替え計画が持ち上がります。

 その計画に反対したのが、このホールを愛する音楽家や、この建築の価値を知る建築界の人達でした。客席は1,000席程で、一席がやや小さいという問題もありますが、現在の音楽ホールと比べると残響時間が短いそうです。

 それが、時間差なしに全ての観客へダイレクトに音が伝わると、一流の音楽家の間でも、非常に評価が高いそうなのです。

 館のスタッフも、是非一度聴きに来てくださいと言っていました。

 ステージの上にも、立たせて貰いました。

 結局、建て替え反対の署名が多く集まり、存続が決まりました。そして3年前に耐震工事が終わったのですが、それを機にエントランス部分を、完成当初の黄色に塗りなおしたのです。

 戦後すぐは、カラフルな色が音楽堂らしくないという意見があったのか、50年を経てオリジナルの色合いに戻った訳です。

 これら詳細は、全て案内してくれたスタッフ、また館の責任者の方が、資料を出してきて、熱心に説明してくれたものです。最後は、面白いものがあるんですと、地下倉庫まで連れていってくれました。

 「これは、前川さんオリジナルデザインのポスター立てで、これはコントラバスチェアなんです」と。座面の裏には、昭和29年10月と書かれてありました。

 地域の人に愛されて、この建物は残ったんですという言葉通り、彼らの愛情をひしひしと感じました。冷たいお茶まで入れてくれて。

 前川は戦後、復興に向かう日本を牽引した建築家です。

 戦後10年たらずに完成したこの建物は、DOCOMOMOより「日本の近代建築20選」にも選ばれています。(DOCOMOMOは、近代建築の記録、保存の為にできた国際組織)

 「前川國男 現代との対話」松隈 洋 編のあとがきに、彼の言葉が紹介されています。

 「建築家はその精神の自由を確保して、時流にも、営利にも権力にも、悪徳にもゆがめられることなく、刻々のきびしい決断を集積してその建築を築かねばならない職能人だったはずなのです。(中略)人間における不易なもの、そして建築家において不易なもの、それを守り続ける意気地がなくて、どうして人間に生まれ建築家を志した効がありますか」
 
 堅苦しくもありますが、読めばなにかソワソワしてきて、居ても立ってもいられない気持ちになります。

 戦前、東京大学を卒業するとすぐにル・コルビュジエに弟子入りします。2年の修行を終え日本に戻ると、アントニオ・レーモンドに師事します。初期の作品にはその影響が色濃く出ているのです。

 その影響に解放された傑作が1961年の東京文化会館や、1977年の熊本県立美術館なら、その影響を受けながらの傑作が、神奈川県立音楽堂と言えるかもしれません。

 その色使い等にも、コルビュジエの影響が色濃く表れています。 

 作品は前川事務所によるものですが、時代の流れ、気分のようなものが織り込まれているのが建築です。

 それが私の心を、一気に60年をさ遡らせるのです。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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上野で見る、師弟の仕事

 6日(火)の朝、9時頃東京に着きました。そのまま地下鉄で上野へ。

 何回か来た上野ですが、まずは中に入れていなかった国立西洋美術館へ。

 こちらは、20世紀を代表する建築家、ル・コルビュジエ日本唯一の作品です。

 向かい合って建つ、東京文化会館は弟子、前川國男の設計。

 実施設計や現場監理は、弟子である前川、坂倉準三、吉阪隆正らが行ったようです。

 更に北へ歩くと国立東京博物館が見えてきます。

 エントランスをくぐって、すぐ西へ向うと見えてくるのが法隆寺宝物堂。

 こちらも、やっと見る事が出来ました。

 その名の通り法隆寺の宝物が収蔵されています。

 内部は荘厳という表現が相応しい神聖な空間でした。
 
 完成は1999年で、谷口吉生の作品です。

 ニューヨーク近代美術館(MoMA)の新館、豊田市美術館、丸亀市現代美術館と共に、彼の代表作と言えます。

 いずれも秩序が保たれた清潔なたたずまいで、美術館のエキスパートと言えるでしょう。

 この敷地に入ってすぐ、右手にある東洋館は、谷口吉郎の設計です。苗字が示すとおり、彼の父親の作品なのです。

 同じ敷地内で、父子が国の施設を設計するというのは極めて稀な事。こちらも何らかの形で、精神の継承が行われていると考えるのが自然だと思うのです。

 次の目的地は、浅草のすぐ西、田原町駅近くにある善照寺。

 細い路地を抜けると突然現れます。

 こちらは白井晟一の代表作で、鉄筋コンクリート造の切妻屋根と正面にある入口だけというのシンプルなファサードです。

 周囲に持ち上げられた片持ちの床が美しく、建物を軽快に見せています。

 住職が建物に大変愛着を持っていると聞いていたので、不在だったのが残念と言えば残念。 

 その後、都内のスタジオへ向かいました。

 『大改造!!劇的ビフォーアフター』の収録の為です。

 昨年の10月中旬、番組のプロデューサーから電話がありました。当事務所で一度会い、その後実際に依頼したいと連絡がありました。スタートしたのは、11月の中頃。

 それから約半年。ようやく工事が終わり、スタジオ収録となったのです。スタジオ収録もスムースに進み、1時間ほどで終了。

 まだ編集などは残っているようですが、放映日も7月8日(日)と決まりようやく肩の荷がおりました。

 経緯については、番組の放映が終わってから、現場日記にUPしていくつもりです。 

 6日(火)はホテル泊で、翌日は「四丁目の家」の撮影に行ってきました。

 生憎の雨でしたが、内部は良い写真が撮れれました。

 こちらもまた、現場日記にUPします。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 
7月8日(日) 7:58pmから8:54pm
「匠」として出演します 

前川の言葉

 先々週の2月8日、京都市は京都会館のネーミングライツ(命名権 )を売却したと発表しました。

 相手先は市内にある半導体メーカーの「ローム」で、50年52億円という破格の規模。施設として古くなった会館を改修したいという京都市の思惑と、ロームの地域貢献が一致したとありました。

 そんな事もあり、昨日は京都へ。

 京都会館は京都市左京区、平安神宮も近い岡崎にあります。

 日本の近代建築化に大きく貢献した、前川國男の代表作で、完成は1960年。築50年を超えました。

 疎水沿いに建つその姿は、古めかしく映るかもしれません。

 この日は、ブラスバンド大会があったようで、結構賑わっていました。

 前川の代表作としては、上野の東京文化会館などがあります。

 いずれも鉄筋コンクリート造ですが、その重量感を適切なものにするため、前川は腐心していたと思います。

 木造であるかのような、細やかなデザインが細部に行き届いているのです。

 手摺もRC(鉄筋コンクリート造)ならではの造形を、軽やかに楽しく仕上げられています。

 質感の違う素材の組み合わせも巧み。コルビュジエに師事し、丹下健三を育てた彼の言葉が、私は好きです。

 「建築で一番大切なものは永遠性だよ」

 「人間は、はかない存在である。頼れる確固たる存在が必要だ。それに建築は応える必要がある」
  
 「一本の鋲を用いるにも 一握のセメントを用いるにも 国家を 社会を 農村を思わねばならない」

 「自然は美しいね。なぜだと思う。自らに責任を持っているからだよ」

 ホテルフジタ京都は鴨川沿いに建つ名門ホテルで、同じく近代建築の巨匠、吉村順三の設計です。

 先月末、経営難も有り閉館されるとニュースにありました。今年で40年目。近くで見ると、解体の準備か、バリケードがはられていました。

 対比を書きたいのではありませんが、その建築の運命を決めるのは、根底に流れる哲学が影響すると思います。

 責任を果たすため、懸命に生きるからこそ自然、人は美しいのです。