タグ別アーカイブ: コルビュジエ

共通テストのコルビュジエを解いてみる‐1974‐

先週火曜日に【ゲンバ日記チャンネル】をUPしました。

https://youtube.com/watch?v=7DLD8Wj9ryo%3Frel%3D0

半地下の音楽室のある「没頭できる家」のEpisode1です。

なかなか編集ができずで、まだ昨年分。

基礎完成までですが、よければご覧ください。

先週土曜日から、大学入学共通テストが始まりました。

外はシトシト冬の雨。梅の蕾も雨濡れて寒そう。

初日は社会、国語、外国語でした。長男は文系私学の志望なのでこの日だけの受験です。

帰ってくると、国語の第1問にル・コルビュジエがでてきたと教えてくれました。

【文章Ⅰ】は、病床に伏す正岡子規が、障子を当時は高価だったガラスに変えたことで、窓の役割が大きく変わったという話から始まりました。

続いて、ル・コルビュジエは窓と壁をどう構成するかを、いかに重要視していたかという話へ展開していきます。

【文章Ⅱ】では水平連続窓が特徴のサヴォア邸の写真も登場します。

壁のもつ意味は、風景の観照の空間的構造化であるとしました。

そして、建築は「沈思黙考の場であり、瞑想の場でもある」という結論へと導かれていきます。

国語は200点満点ですが、第1問は12問あり配点は50点。

折角のお題なので、久し振りに解いてみました。(⇒は間違った問題です)

①1 ②3 ③2 ④4 ⑤3 ⑥2⇒3 ⑦2 ⑧5 ⑨3 ⑩2⇒4 ⑪2 ⑫4⇒3

3問間違いの35点でした。

丁度70%なので、まあまあといったところでしょうか。

結局、近畿大学しか通っていないのですが、国語と世界史は結構自信がありました。

写真画像でなく、ペーパーに書き込みながら解けば⑩、⑫もとれたかも……は当然負け惜しみですが。

昨年末、娘たっての希望でホームステイに行っていました。

見送りには行けなかったので、お迎えだけ関空に。

場所はオーストラリアで8日間。

現地のホストファミリーにお世話になったのです。

最近でこそ、少し円が盛り返していますが、一番弱かった時。

それはそれでそれは堪えましたが、タイミングはそれ以上に大切です。

最高に楽しかったようで、好きな英語を伸ばしてくれればと思います。

長男は社会では世界史を選択しています。

試験前日、参考書をみながら問題を出してくれというので少し手伝いました。今でも結構覚えているものです。

受験勉強としては実を結びませんでしたが、特に国語の試験は大好きでした。

サトウハチロー、山本周五郎、宮本輝、星新一……一流作家の文章は読んでいて楽しかったものです。また、世界史は世の中の流れを解釈するのに、今でも役立っている気がします。

気がしているだけかもしれませんが、そう思えるだけでも幸せなものです。

点数も大事ですが、折角若い命を燃やすのですから、興味のある科目を勉強して貰いたいというのが私の希望です。

ここからはいよいよ2次試験が始まります。

「没頭できる家」の現場へ行く途中、早咲きの桜でしょうか。

すでに花が開きはじめていました。

2月、3月に良い知らせを聞ければよいのですが。

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」
6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載

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光と言葉‐1764‐

  
 12月は師が走り回るから師走。

 1月は近しい人達が集まり、仲睦(なかむつ)まじいから睦月(むつき)というのが有力な説だそうです。全く知りませんでした。

 クライアントの皆さんも、今年は親族の集まりなどは控えたという方が大半でした。来年こそは睦まじい本当の睦月となることを願います。

 今日は晴れた割には温かい朝でした。

 冬至から1ヵ月程経ち、日の光も少し強さが増してきました。

 土曜日はクライアントとの定例打合せが2件あったので、先に現場回り。

 残念ながら日が差しておらず、脱型後初めて訪れた「打放し H型プランの平屋」の美しさがもうひとつ伝わらずで……

 などと思っていると、雨も降り始めました。

 ずぶ濡れになる前に数枚撮影し、建物内に入ったのです。

 木造や鉄骨造と違い、鉄筋コンクリート造は強度がでるまでに時間が掛かります。

 それで、このようなポストの森となるのですが、これはこれで現場らしい雰囲気があります。

 まだ水分を多く含んでいるコンクリートは黒っぽく、まるで御影石のような美しさと光沢があります。

 「地球の歩き方」よろしく、もし「現場の歩き方」を出版するのなら、この構造体なら、どのタイミングで現場へ行けば、こんな景色を見れますと、かなり正確に予想することができます。

 そうこうしていると、南の開口から日が差してきました。 

 現場は、まだ窓の無い粗削りな空間だからこそ、ハッとするくらい美しい瞬間があるのです。

 急いで足場を登り、再度撮影。

 少し日が差すだけで、随分と印象がかわるものです。

 午後に移動した「The Longing House」も、南から日を受け、平屋部のフォルムがはっきりしてきました。

  25畳程あるLDKはトップライトを備えています。

 最後の最後まで、採用と不採用を揺れていましたが、施工できるギリギリのタイミングで、採用が決定しました。

 クライアントは「やっぱり採用して良かった」と。

  

 昨日、中学生の娘が卓球の大会で3位になったとメールがありました。

 この状況なので観戦は不可。よって詳細は娘から聞くしかありません。小躍りするように会社を出たのです。

 お祝いの為、久し振りにシャンパンを買って。(勿論、私が飲むため)


  近代建築の巨匠、ル・コルビュジエはこんな言葉で建築を語りました。

 建築は光のもとで繰り広げられる、巧みで正確で壮麗なボリュームの戯れである。

 旧約聖書の冒頭には「光あれ」とあるそうです。また、新約聖書の冒頭には「初めに言葉ありき」とあるそうです。

 光と言葉。

 健全で、幸せな暮らしに最も必要なものはこの2つかもしれません。

 建築設計とは哲学すること。探求の旅には勿論終わりはありません。

■■■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載

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【News】
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

成功も、順調もまた試練‐1659‐

あっという間に松の内を過ぎました。

今朝は、久し振りにキリッと冷え込みました。

雪不足が深刻と聞こえてきますが、大学時代はウィンタースポーツに打ち込んでいた身としては寂しい限りです。

徐々に夜明けも早くなってきました。

「日の出の勢い」という言葉の通り、ポジティブな景色を見るのはとても気分が良いものです。

ジョギングコースの公園で、猫が足早に駆けて行きました。そして、植込みの中にスポッと入ったのです。

もう完全に我が家です。

「ニャにをのぞいているんだ」と言わんばかりに睨まれてしまいました。

明日で、1995年の阪神・淡路大震災から25年が経ちます。

私は社会人1年目の24歳でしたが、大阪の実家で寝ていました。

東京で働く友人から「大丈夫か?阪神高速、倒れてるぞ」とすぐに電話があったのです。

しかし、地下鉄が止まっていると知り、「今日は仕事を休めるかも」と思ったことを覚えています。

このあたりは著書にも書いたのですが、全く仕事のできないスタッフだった私は、正直疲弊しきっていました。

で、震災の2週間後にクビを宣告されます。

しかし、そのクビのお陰で失業保険が支給されました。

震災4ヵ月後に、初めての海外フランスを訪れます。

沢木耕太郎の深夜特急よろしく、バックパックでの旅がこれ程刺激的なものかと知りました。

そして、ル・コルビュジエの代表作、ロンシャンの礼拝堂を見て「やっぱり建築家だ」と思ったのです。

帰国後、拾って貰った2件目の設計事務所では、所長と意見が合わずに退所。

1996年の6月にアトリエmを設立しました。

私の想像ですが、あの震災がなければ、初めの所長も3月までは見てやろうと思っていたのではないかと思います。

また、給料の安い設計事務所務めで、貯金をする習慣も無い私が、まとまったお金を手にすることも無かった気がします。

2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震など、天災は多くの人生に何かしらの影響を与えるのでしょう。

 災い転じて福となす

災難はあったが、何とかそれをも利用して幸せになれるよう頑張りなさい、ということわざですが、大きな変化がなければ、人が変わることは難しいかもしれません。

都市計画では、天災で大きなダメージを受けた都市のほうが、10年後は発展しているという話もあります。

苦難は試練ですが、成功も、順調もまた試練なのです。

しかし、6,434名の命が奪われたことは事実です。罪もなく命を落とした人の分まで、精一杯生きなければそれこそ罰があたります。

1995年1月から、何故か私の人生も急速に動き始めました。震災から25年、独立から24年。思い返せばほんの一瞬の出来事のようです。

今から25年後は74歳。4、5人の孫がいて、そのうちの1人くらいは一緒に仕事をしてくれるでしょうか。

会社が30年存続する確率は0.25%だそうです。この四半世紀が悔いのないよう、精一杯生きなければと決意を新たにするのです。

■■■ 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:スタイル別』2019年12月31日で「「中庭のある無垢な珪藻土の家」」が2位に選出

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【News】
『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』2019年12月3日で「「中庭のある無垢な珪藻土の家」」が5位に選出
『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』2019年9月30日発売に「回遊できる家」掲載
『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

憧れのパリ‐1579‐

休耕田なのか、菜の花が満開でした。

街中に広がる黄色いじゅうたんです。

関西が生んだ巨匠、司馬遼太郎。

彼がこの野花をこよなく愛したのも、分かる気がしてくるのです。

ゴシック建築の傑作。ノートルダム寺院の尖塔が焼け落ちる映像は、ショッキングなものでした。

初めての海外行きにフランスを選んだのは、やはり憧れの存在だったからです。

1995年、24歳の時ですが、1社目をクビになると失業手当がでました。それを元手に海外へ行こうと思いたちます。

ル・コルビュジエ設計、ロンシャンの礼拝堂を是非見たかったのです。

沈黙がうなるとでも表現したくなる、あの空間を今でも忘れることはありません。

しかし、それ以上に刺激的だったのが初めて目にする海外の街でした。

パリの街は灰色にも関わらず、極めて美しいものでした。

パンをかじりながら、ただただ歩き回っていたのです。

アールヌーボーの旗手、ギマールのガラス屋根に感激。

ルーブルにも足繁く通いました。

そして、I・M・ペイのガラスのピラミッドに対峙したのです。

「漂えど沈まず」それがパリなのです。

当時は、近代、現代のアートへの興味が9割で、ノートルダム寺院の写真は1枚しか残っていませんでした。

その一枚が尖塔を横から見たもの。

もう四半世紀前のことで、その時の気持ちを覚えていないのですが、極めて美しい写真です。

24歳の私も心動かしたのでしょう。

この繊細な木細工に火が付いたなら防ぎようはないと思います。

反対の言い方をすれば、火災を防ぐことを第一に考えればこの尖塔は存在しません。

火災は人の命を奪う可能性があります。

よって、最大限の予防をする必要がありますが、現行法規の下なら、ノートルダムの尖塔も、ミラノのドゥオモも、法隆寺も存在しなかったと思います。

美とは通常ではないからこそ美なのです。

フランス国民は、悲哀にくれていると思います。

形あるモノは必ず壊れます。しかし、人が望めばモノは必ず再現できます。

自由・平等・博愛を表すというトリコロール。

建築家・白井晟一は「青は希望の色」と言いました。

希望を持ち、いつまでも憧れのパリであって欲しいと思うのです。

■■■『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載
■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

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【News】
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました
大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

日本の夏、日本の美、頑張れチームニッポン‐1496‐ 

金曜日の午前1頃、サッカーの日本代表はグループリーグを突破しました。

その戦い方には様々な評価がありますが、また4日間楽しみが増えました。

チーム日本の総生産能力が、かなり上がっているのは間違いありません。

昨日は、京都国立近代美術館の「横山大観展」へ行ってきました。

初夏の京都ほど美しいものはそうありません。

一昨年、作品群が世界遺産に指定されたル・コルビュジエ。

その愛弟子、前川國男が設計したのが京都会館です。

現在はロームシアター京都となりましたが、深い軒と木陰に誘われて、多くの人がお茶を楽しんでいました。

「日本の夏」というフレーズが浮かんできます。

ロームシアター京都から少し南。

平安神宮の大鳥居を抜けると、京都国立近代美術館があります。

こちらは、9・11テロの跡地に建つ4WTC(4ワールドトレードセンター)も設計した槙文彦の作品。

建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞も受賞している、私にとっては生きるレジェンドです。

京都市立美術館とで大鳥居を挟むように建っているのです。

明治から昭和にかけて、多くの作品を残している横山大観。

生誕150年を記念しての展覧会ですが、かなり賑わっていました。

会期の前半と後半とでは展示が変わるようで、前半の目玉はこの『 紅葉 』。

1931年(昭和6年)の作品です。

「東の大観、西の栖鳳(せいほう)」と並び称される近代日本画の巨匠、横山大観。

日本の伝統的な技法を継承しながら、新たな境地を開拓しました。

しかしコミカルなタッチもあり、巨匠然としていない所にも好感がもてます。

もうひとつの目玉、『 生々流転 』は全長40mの日本一長い画巻で重要文化財です。

山間に沸く雲から一粒の滴が生まれるところから、川、海、そして雲に戻るまで、水の一生を描いた大作です。

40mは一度に展示できないので、会期を3つに分けて1/3ずつの展示でした。

やはり、全展示の中でも『 紅葉 』は圧巻でした。

画材として、プラチナが使われているそうで、鮮やかさ、コントラストと、まさにエンターテイメントという言葉が相応しいと感じます。

常設展示でさえ、ピカソ、マティス、モンドリアンと、もう見応え十分でした。

展覧会の案内で、横山大観の師が岡倉天心だと知りました。

1896年、東京美術学校初代校長だった岡倉天心はトラブルがもとで同校を去ります。

その後、日本美術院を設立しますが、横山大観も師と行動をともにしています。

後に岡倉天心はアメリカに渡り、1906年に「Book of Tea」を出版しました。

1900年、新渡戸稲造の「武士道」が英文で発表されます。

時代は、日清戦争、日露戦争と日本は軍国主義を色濃くし、欧米からは警戒心をもった目で見られていきます。

日本人の本質は、もっと他にもあるという危機感をもって、天心が英文で発表したのが「Book of Tea」で、後に和訳され「茶の本」として日本でも出版されました。

茶道のみならず、禅、茶室、美術鑑賞、そして千利休、小堀遠州と、日本の芸術を紐解く傑作と言って間違いありません。

少し硬い表現ですが、引用してみます。

 この人生という、愚かな苦労の波の騒がしい海の上の生活を、適当に律してゆく道を知らない人々は、外観は幸福に安んじているようにと努めながらも、そのかいもなく絶えず悲惨な状態にいる。われわれは心の安定を保とうとしてはよろめき。水平線上に浮かぶ雲にことごとく暴風雨の前兆を見る。しかしながら、永遠に向かって押し寄せる波濤のうねりの中に、喜びと美しさが存している。何ゆえその心をくまないのであるか、また列子のごとく風そのものに御しないのであるか。

 美を友として世を送ったひとのみが麗しい往生をすることができる。

巻の最後、利休が秀吉との不和で切腹を強いられ、弟子らとの「最後の茶の湯」の場面へと進みます。

そして切腹の場面までを鮮やかに美しく描いています。

まさに、麗しい往生が精緻に描かれているのです。

「美」とは何か。

これは私にとっても永遠のテーマです。

どこかの区切りでまとめたいと思っていますが、岡倉天心の言葉は深くまで心に入ってくるのです。

日本代表はベスト8をかけてベルギーと戦います。

試合開始は3:00am。深夜と言えば良いのか、早朝と言えば良いのか微妙ですが、早起きして見ようと思います。

FIFAのランキング3位の「赤い悪魔」は2年間無敗だそう。

実力は間違いなく相手が上です。しかし、「十分やれると思っている」という長友の言葉通り、期待せずにはおれません。

もう一度天心の言葉を引いてみます。

 おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。

こんな時は、この極東の島国だからこそ、持っているものがあると信じたいのです。

頑張れニッポン。

建築だって、経済だって、斜陽などとは言わせないぞと思っているのです。

■■■毎日放送『住人十色』4月14日5:00pm~5:30pm
「回遊できる家」放映

■■■『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【Events】
■4月1日「トレジャーキッズたかどの保育園」開園

【News】
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『関西の建築家とつくる家 Vol.2』2月1日発売「阿倍野の長家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載
『homify』6月2日「イタウバハウス」掲載
『houzz』5月28日の特集記事「あちこちでお茶できる家」掲載

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◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記<</a

大変の後ろにあるもの‐1382‐ 

 昨日は撮影に行っていました。

 5月の上旬から天候が合わずで、2度延期していました。ようやくの晴れでホッとしました。

 2016年の2月に竣工した「高台の家」

 一度撮影をしていますが、前回は本格的な引越しの前でした。

 生活が始まってからの写真と、それ以前の写真とでは空気感が全く違います。

 今回は、ご家族にも参加してもらいました。

 庭木が植わり、家具が入り、この家のもつ雰囲気が醸し出されます。

 庭木はクライアントがこつこつと庭木屋さんに通い、自身で植えていったものです。

 手前にあるのは、砂場兼プランターといったところ。

 トウモロコシ、トマト、キュウリが植わっています。

 庭木のセンスも素晴らしいのですが、遊び心も大事だと教えられているようです。

 2階にあるこの部屋はP室と呼ばれる、ダイナミックな空間です。

 クライアントがフランスまで訪ねたル・コルビュジエのサヴォア邸。その空間構成から展開していきました。

 ソファについては「もっと合ったものを」と言われましたが、十分だと感じます。

 この空間には、本好きのご主人に参加してもらいました。

 その奥にあるのはピアノ室。

 娘さんが、「きらきらぼし」を披露してくれました。

 ちなみに子供部屋はキッチンの隣。

 この距離感が、とてもいいと思っています。

 午前の撮影が終わったあと、P室前のバルコニーでカメラマンと共に、昼食まで頂きました。

 P室の前にあるこの空間が、とても大事だと感じていましたし、実際自分が体感できることがとても嬉しいものです。

 街で評判のサンドイッチ。

 そして炭火焼。

 気持ちよい風に吹かれながら、ノンアルコールビールを飲んでいると、酔ってしまうような気さえします。

 高台にあるがゆえ、当初から寒さを気にしていましたが「寒い時は床暖をつければ、問題ありませんでしたよ」と。

 また「大阪市内なら、全く問題ないんじゃないでしょうか」とも。

 ただ、「冬の結露対策には除湿器を3つ使っています」とのことでした。

 それで解決したので、コンクリート打放しの家が好きなら、躊躇する理由など全くないのでは、と言われたのです。

 壁に断熱材の入っていないコンクリート打放しは一般解ではありません。

 しかし、これだけ「自分の好きを実現できた」と言って貰えたら、私が望むものは何もありません。

 娘さんは、今日が撮影ということで手製のカメラまで準備し楽しみにしていてくれました。

 このセンターテーブルもご主人の手作りです。

 新婚旅行に青森へ行った際、わけてもらったリンゴ箱にキャスターを付けたものです。

 中にはワインのボトルが丁度入るようになっています。

 好きや夢を形にしていくのが私の仕事です。

 もちろんのこと、夢や感動がどこにでも落ちている訳ではありません。

 ここは、私にとっては最も思い入れのある部分です。

 1.2m躯体が張り出し、そこから1.2mの庇が伸び、雨のかからない駐車エリアを確保しています。

 当初は、2.4m全て躯体が張り出す設計にしていました。

 しかし、それを支える鉄筋量とコンクリートが大変多くなり、何度も仕様変更をしましたが予算に収まりませんでした。

 最終的には現在の案を考え、設計を全てやり直したのです。

 感動がどこにでも落ちているはずはありません。大概は、大変の後ろにあるものです。

 ようやく内部写真も撮れました。この家の物語を世に伝え、評価を問うてみたいと思うのです。

前にお会いしたことが……‐1285‐ 

 先週は水族館に行ったつもりが、魚を見れず。

 昨日も魚を求めて、今度は和歌山県海南市へ。

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 和歌山県立自然博物館も、琵琶湖博物館と同じく、水族館と博物館を合わせたような施設でした。

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 すぐそばには天然の港があり、海沿いの景色の良い所。

 しかし、駐車場に向かう景色をみながら気づきました。

 「ん?ここ、来たことがある……」

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 男に聞くと「僕は初めてだと思うよ」と。

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 入館料は大人のみで470円。

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 なかなかの充実振りでかなり安いと思います。

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 特に、触れる標本が沢山あり、2人とも十分満足した感じでした。

 しかし展示を見ても、記憶は蘇ってこず。

 休館か何かで中には入らなかったのかな等と思いながら。

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 自然博物館のとおり、和歌山の自然に特化した館でした。

 碁石に使われる那智黒石ですが、金が本物かを見極める試金石に使われていたそうです。

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 ツキノワグマのはく製です。

 「人間をエサとして認識している可能性も……」などという、物騒な報道があったばかり。

 紀伊半島では180頭程が生息しているそうです。互いのエリアには入って行かないに限ります。

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 和歌山は四大漆器の街なのだそうです。

 その名残を残す黒江という街が近くにありました。

 散策してみると、ここも来たことが有るような、無いような。もう全てに自信がなくなって来ました。

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 帰りに偶然見つけた海南市役所。ひときわ目を引く建物で、これは間違いなく初訪問。

 和歌山県建築士会のサイトに解説が載っていました。

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 設計は 三紀建築事務所。1965年(昭和40年)の完成です。

 丹下健三の代々木体育館、坂倉準三の芦屋市民会館(現:ルナホール)と同時期で、コルビュジエの影響を強く受けているとあります。

 海南市役所が初訪問かは迷いません。存在感が圧倒的だからです。

 誰かと会い「前にお会いしたことがありましたっけ……」と言われるのが一番辛い。

 見た目に特徴がある訳ではありませんが、どんな人でも、一度会話を交わしたら、覚えて貰える人で有りたいと思っています。

 厚かましいかもしれませんが、人生は一期一会、初めにあった時に全て勝負は決まっていると思うからです。

 そう考えると、和歌山県立自然博物館が悪いのか、私の記憶力が低下しているのか……

 最近、DVDを借りてくると、妻に「これ、前に観たよ」と言われる回数が増えてきました。

 と言うことは、はやり後者なのか。

ヘルシンキの夏‐1284‐

 今年の夏至は、6月21日(火)でした。

 大阪の日の出が4:45で、日没は19:14。14時間半太陽がでていたことになります。

 これがフィンランドのヘルシンキなら、日の出が3:52で日没は22:51。19時間太陽が出ています。

 今年の夏季休暇は、フィンランドへアルヴァ・アアルトの建築を訪ねる予定です。

 近代建築の三大巨匠と呼ばれるのはル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ。

 まずは、この3人を見てみたいと、24歳から建築行脚を始めました。

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 1995年4月、まずはフランスへ。

 先日世界遺産に指定された、コルビュジエのロンシャンの教会を訪ねました。

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 独立してからは、なかなか日本を出られず。

 2011年の11月、アメリカのペンシルバニアにある、ライトの落水荘へ。

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 そしてイリノイにあるミースのファンズワース邸

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 2012年の8月、イタリアでは、建築の詩人、カルロ・スカルパ設計のブリオン・ベガを訪れました。

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 そして、スペインのバルセロナに渡りガウディに触れたのです。

 三大巨匠に加え、ガウディ、スカルパそしてアアルトが私にとって最も興味のある建築家でした。

 アアルトは、プロフィールの中に名前を挙げているくらい好きな建築家でしたが、なかなか訪れる機会がありませんでした。

 どの位好きだったかと言えば、私にとっての3作目、1998年に完成した、spoon cafeはアルヴァ・アアルトへのオマージュです。

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 外部の木の使い方。

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 木とレンガの相性など、全てアアルトを手本にしました。

 そのアアルトとようやく会う事が出来ます。1976年に亡くなっているので、勿論彼の作品にですが。

 548万人という北欧の小さな農業国において、世界に影響を与えるような建築を創り続けたアルヴァ・アアルト。

 真の建築は、その小さな人間が中心に立った所にだけ存在する。

 彼の言葉を体感し、休み明けには、その気持ちを綴ってみたいと思います。

 アルヴァ・アアルト。その音を聞くだけだけでも心躍る存在なのです。

安住の地をみつけた白鯨‐1280‐

 この日曜日は「宝塚の家」3ヵ月点検でした。

 その帰り、宝塚の市街地を回ってきました。

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 宝塚市役所は1980年の完成。

 大阪が誇る巨匠、村野藤吾の設計で、御年89歳の仕事です。

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 市役所は休みなので、目当てはカトリック宝塚教会。

 市役所から言えば一駅北にあります。こちらは1966年の完成で、村野が75歳の仕事。

 阪急沿いなので、見たことがある人も多いでしょうか。

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 アプローチは線路の反対、西側から。

 教会のパンフレットにはこうあります。

 大洋を漂いつづけていた白鯨がようやく安住の地をみつけ岸辺に打ち寄せられたとでも申しましょうか。

 詩的な表現にときめく、とでも申しましょうか。

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 モチーフは白鯨でした。

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 建物を左から覗き込むとエントランスが。

 滑らかに吸い込まれていくような形態です。

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 エントランスホール上には、聖歌隊席があり、天井が低く抑えらています。

 2m20cmくらいでしょうか。

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 歩を進めると、200席ある信者席。

 緩やかにうねる天井に包まれています。

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 祭壇付近から、尖塔に向かってぐっと空間がつまみ上げられているよう。

 神聖な空間であることの説明は不要です。

 私は、神とはそれぞれの良心なのだと思っています。

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 雨水の落とし口は、モダニズムの巨匠、コルビュジエの影響を感じさせます。

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 この教会は、まるで地面から生えているよう。

 これらの有機的な表現は、村野ならでは。圧倒的に人の手が掛かっている証明でもあります。

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 パンフレットにはこうもあります。

 四季折々の花々が咲き乱れる暖かい家庭的な雰囲気の教会堂になりますことをお祈りしています。

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 この季節、アジサイをはじめ、バラ、ポピー、キクの仲間か、沢山の花が咲き誇っていました。

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 住宅街にありながら、スケール感が素晴らしい教会で、一編の詩のような建物でした。

 本より、私が村野藤吾の批評などおこがましいのです。93歳で亡くなる前日まで働いたという、まぎれもないレジェンドですから。

 この美しい教会の後に、埃っぽい話をするのは気が引けますがもう一度だけ書きます。

 不適切ではあるが、違法ではない。

 罰せられるか、罰せられないかのギリギリに居る人が、首長である必要は全くありません。

 また、人に判断を仰ぐ必要もありません。自らの良心が全て知っているはずですから。

 前回紹介した作家・城山三郎ですが、朝は新聞を読まなかったそうです。

 理由は、腹が立ちすぎて仕事が手に付かなくなるから。

 私もこんなことで憤っているくらいなら、新聞等読まない方が良いのかもしれませんが。

枯れて石庭、燃えて金閣‐1275‐

 昨日の午前中、北摂のクライアントの自宅へ伺いました。

 計画のスタートから1年以上掛かってしまいましたが、ようやく工事請負契約が成立。

 私は、監理者として判を押しただけですが「一仕事終えた」という気分になるものです。その足で京都へ。

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 新緑萌える京都。昨日は30℃を超えました。

 季節が良いだけに、混雑を予想していましたが、龍安寺はそれ程でもなく。

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 アプローチにある鏡容池(きょようち)はハスの花もちらほら。

 いやが上にも気分は盛り上がります。

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 大切なのはファーストコンタクト。

 なんとも言えない感嘆の声を上げますが、訪れたのは20年振り位でしょうか。

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 この日は、姪っ子も一緒に連れて行きました。

 子供達は、こういった所をあまり喜びませんが、関西は日帰り圏内に沢山の世界遺産があります。

 先日、ル・コルビュジエの国立西洋美術館が世界遺産に登録されたというニュースがありました。

 コルビュジエの作品群の一つとして登録されたのですが、東京では初だそうです。

 京都、奈良、熊野、姫路城、法隆寺と、多くの世界遺産がある関西に、海外からの観光客が集中するのは、当然なのかもしれません。

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 禅寺の庭園、枯山水は 「枯れ」の通り、水を白砂や白石で表現されます。

 中でも石庭は、石と砂のみで表現されたもの。この石庭は1500年頃に出来たと言われます。

 絵画でも、古典主義から写実主義、そして抽象画へと変化していったように、突き詰めれば突き詰める程、単純化されて行くのです。

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 25m×10mの石庭は、2方を檜皮で葺かれた土塀で囲まれています。

 この土塀には菜種油が混ぜられ、時と共に変化を見せます。

 利休は、庭木は塀によって幹を隠すのが良いと言いました。太い幹をみせず、軽やかな葉、花だけをこの土塀によって切り取りとるのです。

 背景、間合いにある、「余白の美」こそが、日本独特の美意識なのです。

 衣笠山の麓を2km程北西に上がれば鹿苑寺(金閣)。

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 長男によると、テストでは金閣寺は×で、金閣が○とのこと。一般的には金閣寺ですが。

 晴れの日の金閣は圧巻でした。

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 夕方に来たのは初めてですが、西日を受け、燃えるように輝いています。

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 東から見れば、床の照り返しを受けた軒が、まさに燃えているよう。

 三島由紀夫の「金閣寺」は、その美しさにとりつかれた学僧が、放火するという小説です。

 その気持ち、少し分かる気もします。

 黄金には、人を変える何かがあるのでしょう。

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 世界遺産だからと言っても、子供は喜びません。実は、先に太秦の映画村へ寄ってから来ました。

 映画村も思いのほか面白かったので、また回を改めて書こうと思います。

 枯れて石庭、燃えて金閣。これらは対極にある美です。

 金箔貼の天守閣を持つ安土城を築いた織田信長。金の茶室を作った豊臣秀吉。

 足利義満と同じように、権力者は金を目指します。

 一方、市井の人の代弁者として、禅寺や利休の存在はあったのかもしれません。

 ただ、誰にでも出来そうなものは難しく、腕の差が出るのは、いつも同じ構造です。

 石庭をみると、常に気が引き締まるのです。

 最後に、5月21日発売の『住まいの設計07・08月号』に「松虫の長屋」が掲載されました。

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 リノベーションの掲載は4ページですが、詳細な工事金額も載っています。

 小さくですが、私の顔写真も掲載されました。勿論、主役はクライアントです。

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 webサイトの写真も、子供さん2人は頑張ってくれましたが、この撮影の日もアクセル全開でした。

 良ければ是非手にとってみて下さい。