カテゴリー別アーカイブ: 01 旅・街

美は力‐2339‐

阿倍野区を庚申街道(こうしんかいどう)で移動していると、十字架のある塔が見えてきました。

日本基督教団南大阪教会です。

大阪が誇る巨匠・村野藤吾のデビュー作で、塔の部分は1928(昭和3)年に完成した、

当初から塔はRC造でしたが、会堂のある平屋部分は木造でした。

平屋部分が傷んできたので、1981(昭和56)年に改築されています。亡くなる3年前の完成でした。

村野の真骨頂、有機的な造形が冴えわたります。

柔らかい外壁のテクスチャーに、夏の鮮やかな花が良く似合うのです。

敷地の調査もあって最近このあたりをよく通ります。

古い住宅が結構残っているのです。

どちらの住宅も、昭和初期の建物でしょうか。

だとすれば、RC造でなくても約100年持っていることになります。

こちらも阿倍野区にある大阪府立工芸高等学校本館です。

1924(大正13)年の完成で、大阪市指定有形文化財に指定されています。

学校のWebサイトには以下の解説がありました。

1世紀前に遠くドイツの地で起こった芸術運動が、大阪の地に引き継がれていることに感動すら覚えます。

モダニズムの源流がバウハウスにあるなら、村野もその流れを汲んでいることになります。
彼らをお手本として生きてきた私達も、支流の水路くらいの流れを汲んでいると言ってもよいかもしれません。

バウハウスが、芸術学校として機能したのはわずか14年ですが、最後の校長であるミース・ファン・デル・ローエに代表されるように、装飾的ではない、機能的で、合理的な美を追求していきます。

その思想を汲んだ建築の美しさは、世界に衝撃を与えたのです。

「翼をください」等の作曲で知られる村井邦彦さんが、新聞で「美は力」という言葉を紹介していました。

美しい建築はそれ自体が力をもっています。そして、人に力を与えてくれます。

建築設計を生業としているのですが、本当にいい仕事をさせて貰っていると思います。
と同時に、その頂の高さに圧倒されることもしょっちゅう。

それでも前に。倦まず、弛まず、一歩ずつ、です。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

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やらなわからしまへんで‐2338‐

近くの神社で、夏祭りは生國魂神社からスタートします。

谷町9丁目の交差点の南西にありますが、土曜日の夕方にのぞいてみました。

東にある上本町側の歩道橋からアプローチすると、参道前には色々な出し物の準備をしているグループが列になっていました。

一般からの参加が沢山あるようで、種類も神輿、太鼓、獅子舞と様々。

西にある本殿へ続く参道には、屋台が建ち並び、もの凄い熱気です。

串焼き、りんご飴、金魚すくいなどの定番と共に、サザエさんのスマートボールがありました。

今どきの子供でも遊ぶんだと、軽く感激しました。

人波の流れに乗って、鳥居の前までやってきました。

境内の中でも、沢山のグループが準備しています。

東から参道を上ってくるグループと、西に参道を下っていくグループがあり、ひっきりなしに行きかっています。

入口で準備していた子供獅子舞がやってきました。

交代交代に獅子舞の中が入れ替わるので、本当に子供が演じていることが分かります。
誰もが大汗でした。

一通り雰囲気を味わったあと、妻が何か食べたいと、タイムセール中400円(ほんまに?)の「大阪名物!はしまき」を食べると。

色味がかなり魅力的で、秒殺されていました。

祭りの屋台以外で買うことは無さそうですが、今どき400円はなかなか無い価格です。
かつ、なかなか美味しい。

まあ、粉もんにソースが掛かっていて、美味しくないものはこの日本にはありませんが。

こちらの屋台、店主と手伝いという感じの2人オペレーションでしたが、手伝い君のほうに、ちょっと意地悪な質問をしてみました。以下そのやり取りです。

守谷:はしまきって大阪名物なんですか?

手伝い君(店主に聞く):大阪名物なんですか?

店主:もちろん大阪名物やがな!

手伝い君:大阪名物です

いくたまさんの夏祭りを満喫して帰ってきました。

先の大鳥居には、大きな茅の輪が掛かっていました。

境内側から見ると「サントリー ウヰスキー 本舗 株式会社 壽屋 鳥井信治郎」とあります。

壽屋はサントリーの前身で、1921(大正10)年に設立されています。
そして1963(昭和38)年にサントリーに改称しました。

反対側が、幟でみえにくかったのですが昭和32年とあるようです。
サントリーとなる寸前に寄贈されたものでした。

鳥井さんの建てた大鳥居だったのです。

大手飲料メーカーの本社は全て東京です。

サッポロとあるサッポロビールでさえ東京本社の中、かたくなに大阪本社であることは大阪人としては嬉しい限りです。

サントリーのWebサイトにも、創業者、鳥井信治郎の口癖として紹介されています。

確かに、鳥居を寄贈した人にしか分からない幸福感、達成感があるのだと思います。

「やらなわからしまへんで」響きとは対照的に、厳しい言葉でもあるのです。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■

■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■

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青と緑の大阪‐2337‐

7月に入ったばかりですが、昨日近畿地方は梅雨明けしました。

昨年は6月中に明けましたが、今年も平年より11日早い梅雨明けだそう。

夏の花も一気に咲きはじめました。青紫のアサガオに、薄紫の花はデュランタのようです。

天神橋から、中之島越しに大川を望みます。

いきなり快晴が続くようで、今年も暑い夏がやってきました。

例年なら梅雨時に開催される夏祭りも、今年は傘不要のようです。

夏祭りの開催日を見ていると、近くの神社で被らないようになっているのが分かります。

保育園、小学校、中学校の運動会が被らないようにするのと同じでしょうか。

できるだけ沢山の人に来て貰うための工夫なのか、はたまた的屋を手配する都合なのかもしれません。

天神橋の南詰めまでが天神橋筋で、その南は松屋町筋です。

松屋町筋には個性あるビルが色々あります。

大塚グループ大阪本社大阪ビルは、日建設計の設計で2014年の完成です。

三角形のカーテンウォールは、構造と一体化したダイヤゴナル(斜め)・フレームとなっており、執務空間は柱が無いそうです。

現代的な洗練されたオフィスビルの佇まいですが、一度内部も見てみたいものです。

こちらは、少し北に上がった、天神橋南詰にあるアクアタワービル。

以前から何だか気になっていたビルで調べてみました。

1992年の完成で、施工は大林組のようですが、設計者は分からずでした。

形はやや特徴ありくらいの感じですが、色使いが面白いのです。

淡い青の外壁に、同系色のエメラルドグリーンのカーテンウォールをもってくるあたりが、只者ではない感が漂っています。

また、アクアタワービルのネーミングもいかしています。

水都、青と緑の大阪を象徴する建物と書けば、持ち上げすぎでしょうか。

2011年の11月にアメリカの東部をまわりました。

いくつも感激した建物はありましたが、そのひとつがレバー・ハウスです。

ニューヨークのマンハッタンに建つ、最初期のカーテンウォール構造の高層建築で、SOM(スキッドモア、オーウィングス&メリル)の設計です。

1952年に完成しました。

ブルーグリーンのガラスに覆われたこのビルは、街に輝く宝石のようでした。

興奮のあまりピンボケの写真しかないのは痛恨の極み。再訪したい建築のひとつです。

補色の関係なら、互いが引き立てあうのでデザイン的には簡単です。
同系色で洗練された表現をするのは何倍も難しいのです。

海外旅行もコロナ前の2019年香港行きからどこにも行けていませんが、この夏は近場に出掛けてこようと思います。

建築にしても、街にしても、その場に立ってみなければ感じられないことばかり。いくつになっても海外行きはワクワクしかありません。

■■■7月5日 NHK『有吉のお金発見 突撃!カネオくん』「回遊できる家」が紹介されました■■■

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1998年6月、天王寺のワンルームマンションにて‐2332‐

昨日は早朝から雨でした。

昼前からは一転して晴れ。
夏至の太陽がジリジリと照りつけてきます。

4階の屋上部分に日除けネットを張ってみました。

どのくらい効果があるか、この夏は様子を見てみようと思います。

朝のうちに用事を済ませ、11時からは大谷翔平選手と山本由伸選手が出場するドジャースの試合をダイニングのテレビで観戦。

13時からは、サッカーワールドカップの日本対チュニジア戦を隣にあるリビングのテレビで観戦。
重なっている時間帯は2画面体制でした。

大谷選手は、第2子誕生を自ら祝う16号ホームラン。

サッカー日本代表は過去最多の4得点で快勝。
4点目となった上田綺世選手のヘッドは本当に凄かった。

フワッと柔らかいセンタリングを、遠いサイドのゴール奥隅にループで決めるという……

頭で捉えた後、テレビの前で「何して……」と声がでました。クロスバーの上に外したと思ったのです。

日本人があんな決め方をしているシーンを見たことが無かったからですが、欧州リーグ得点王の実力は伊達ではありませんでした。

先日のことですが、敷地調査へ行った帰りに天王寺を通りました。

ハルカスの並びにある都シティ大阪天王寺の正面あたりに、北へ抜ける陸橋があります。

JRの大和路線、環状線を越えて、阪和線手前のスロープで下るという複雑な陸橋なのです。

阪和線をくぐり、線路沿いに西へ進むと。

JRの施設が見えてきます。

ネットフェンス越しに「リラックスステーション天王寺」の文字が見えています。
以前この建物は、JRの社員食堂でした。

30年前は一般の人も入ることができ、定食が400円くらいだったと思います。

この近くのマンションでアトリエmを創業しました。
当然お金はなく、この食堂を大変重宝したのです。

そのまま、すぐ北の玉造筋に出てきました。

南北に走る玉造筋が西向きに方向を変え、天王寺動物園にぶつかるすぐ手前あたりです。

北側には中規模のバスターミナルがあるのですが、その後ろに3棟のマンションが見えています。

中央の背の低いマンションの5階に、小さな部屋を借りました。

当時、左右のマンションはなく、あたりには「高層マンション反対!」の幟が建っていました。

右手前に見えるホテルは当時のままですが、バルコニーは南向きでとても明るく、全く違った環境でした。

エントランスのある北側に回ってみます。

当時は立ちんぼが立っていたので、お世辞にも良い環境とは言えませんが、駅チカと家賃を優先しこのマンションにしました。

1996年の6月から、3年をここで過ごしたので本当に懐かしい。

1993年の「ドーハの悲劇」あたりから、サッカーの日本代表戦を観るようになりました。
1997年の「ジョホールバルの歓喜」を経て、1998年のフランス大会で初出場を果たします。

アルゼンチン戦、クロアチア戦、ジャマイカ戦と全敗しますが、27歳の私は、4畳しかない部屋に17インチくらいのブラウン管テレビを持ち込み、仕事の合間にかぶりつくように観ていました。

どんな年だったかを思い出す時、作品の年表で振り返ることが大半です。

1998年は「 白馬の山小屋」

「Spoon cafe」が完成しました。

その時、どんな苦労をしたか、どんな喜びがあったか、それを見れば一瞬で思い出せるからです。

それと同じように、ワールドカップの記憶と共に、自分の人生を振り返ることができます。
だからこそ、世界最大のスポーツの祭典となったのでしょう。

当時、発展途上にある日本代表に自分を重ね、勇気を貰っていたのだと思います。

1997年、中田英寿選手が低い弾道のシュートで時代をこじ開け、1998年、ゴン中山選手がヒザで押し込んだ1点から28年が経ちました。

本物の点取り屋がいる日本の次戦はスウェーデン。
金曜日は楽しみしかありません。

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生まれた時から民主主義‐2328‐

週末の雨模様とはうってかわって、日中はよい天気でした。

公園のアベリアが小さな花をつけ始めています。

近隣には緑化をしている建物が多くあります。

庭木も同じく。

よそ様の庭先でアジサイが咲きはじめたので、梅雨入りは間もなくでしょう。

雨の日には、別の味わいがあるのがアジサイです。

街の風情は、住民の地域愛で作られる共同作品といえます。

水道水が安全に飲める国は、日本を含めて、世界で11ヵ国しかないそうです。

雨が豊かな水資源を供給してくれること、国土が狭いことが大きな要因だと思います。
また、河川へのゴミ投棄が少ないことや、下水道の発達もその理由のようですが、それでもその少なさに驚きます。

更に驚いたことがありました。

完全な民主主義は、世界で24カ国しかなく、割合で言えば8%以下。
一方、権威主義は59カ国で39.4%。

民主主義を掲げていますが、実際には機能していないカンボジアやミャンマーなどは実質上、権威主義に分類されての割合です。

権威主義国家より、民主主義国家のほうが、仕事に遣り甲斐がない、などということは絶対にないはずです。
ところが、日本の国力低下が叫ばれて久しいのです。

このままでは、権威主義に飲み込まれてしまう……
民主主義が少数派だということに、背筋が寒くなるのを覚えました。

少子高齢化社会、海外資本の流入と、日本に課題は山積しています。

しかし、世界中の人が街の美しさに感激する国でもあります。
それは、地域愛によってのみ実現できることです。

生れた時から、水道水を飲むことができ、選挙が機能し、自由に発言できました。それが、どれほど恵まれたことなのか、今頃になって痛切に感じます。

これらを守りたければ、民主主義が素晴らしいものだと証明しなければなりません。

そのヒントは美しい街にあると思っています。

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巨大な立体ダンジョン「大阪ステーションシティ」‐2326‐

週末、大阪駅に出ると空がまるで秋のよう。

雲が高く、気温も程よい夕暮れ時です。

大阪駅の北側は、「グランフロント」や「グラングリーン」など話題にこと欠きませんが、南の玄関口は「サウスゲートビルディング」です。

ビル内に入ると、すぐ左にエレベーターがあります。

大阪駅周辺の施設は「大阪ステーションシティ」と呼ばれていますが、あまりにも複雑すぎて、正直あまりよく分かっていませんでした。

エレベーターの向かいあたりに、歴代を大阪駅を解説しているパネルを見つけました。

初代大阪駅は明治7(1874)年に開業。

大政奉還からわずか7年に、木造レンガ貼りの駅舎が完成しています。

当初は堂島が計画地でしたが、住民が街中に駅ができることを嫌って埋田(うめだ)と呼ばれていたこの地に駅ができることになりました。

明治34(1901)年に2代目大阪駅が完成します。

初代から東へ200m程移動し、現在の大阪駅とほぼ同じ場所になりました。

昭和15(1940)年に3代目が完成。

完成当時は吹き抜けを備えた中央の高い部分の左右に、将来ホテルとする鉄骨も完成していたとあります。

しかし、戦時中に軍の要請で鉄骨は供出され、ホテルは実現しませんでした。

4代目大阪駅は、通称「北ビル」が昭和54(1979)年に線路の北側に完成。
まず業務施設を移転します。

そして昭和58(1983)年に「アクティ大阪」が完成します。

国鉄の赤字経営を背景に、商業施設を併せ持つという方針のもと、地下4階・地上27階、幅120m×高さ120mの大壁面が完成しました。

ここには大丸梅田店とホテルグランヴィア大阪が出店しました。

私が13歳の頃で、梅田を通って通学していたので良く覚えています。

5代目大阪駅は平成23(2011)年に完成。

まず「アクティ大阪」を南側に増築して「サウスゲートビルディング」に改称。

北側の「うめ北」エリアを繋ぐ大屋根を掛け、その先に「ノースゲートビルディング」が完成します。

線路の上空にある連絡通路は、いくつもの広場を備え、立体的につながっている景色は、他ではなかなか見れないものです。

「ノースゲートビルディング」には、「ルクアとルクア イーレ」が出店。
「サウスゲートビルディング」の大丸梅田店の上階、10階から16階は今年の4月から「ルクア サウス」となりました。

15階建ての増築部、その屋上が解放されていることは全く知りませんでした。

高校の同級生と会食した店が「ルクア サウス」の16階にある豆腐料理屋さん。

女子率高めのおしゃれな店でした。

大阪のど真ん中での立て替え、移転、増築と、どの計画も困難を極めたと思います。

それがこの複雑で巨大な立体ダンジョンと言ってよい「大阪ステーションシティ」を生んだことがよく分かりました。

地下もダンジョン、駅もダンジョン。

ダンジョンこそが大阪の魅力でした。

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ひと粒だけ涙を浮かべながら‐2325‐

前々回、『ミラタップ』のカタログに作品が掲載されていることを書きました。

そのカタログを実際に請求すると、リーフレットが挟まれていました。

「SUVACO」は建築関係の専門家紹介サービスですが、2024年にミラタップに事業が譲渡されました。

事例登録約7000件とありますが、その中の3つの事例に選んで貰ったのが……

「阿倍野の長屋」の写真でした。

横長にトリミングされていますが(笑)

ただ、3/7000はなかなかの倍率です。

2015年の竣工なので11年が経ちました。それでも、テレビ、住宅雑誌と本当に色々なところに露出してくれる孝行息子のような作品なのです。

ところが、ミラタップ主催のコンペでは一度も賞を取ったことがありません。
このあたりが、当社の強みであり、弱みであると思っています。

賞レースの選者が選ぶ作品ではない。
しかし、一般の人には訴求力がある。

そう考えるのが妥当かなと思っているのですが、手前味噌でしょうか。

ジョギングのコースで意外に楽しいのが繁華街ルート。

道頓堀は早朝でも活気があるので、お気に入りのコースのひとつです。

金龍ラーメンは24時間営業。

流石に朝方から食べている人はあまりいませんが。

道頓堀店は、隣地にはみだしていた尻尾を撤去すべきという判決がでたことでも話題になりました。

実際に切り取ったのが2024年で、その時に涙が追加されています。

生きていれば色々なことが起こりますが、何でもネタにしてしまうのが大阪商人です。

新世界勢は個性強め。

商売である以上、目だってなんぼです。

目だちながら、お上品な人もいますが。

江戸時代の初期に、道頓堀を開削した安井道頓・安井道卜(どうぼく)を称える碑が堺筋沿いにありました。

豊臣秀吉から命を受け、私費で湿地帯に運河を通したことが、ミナミ繁栄の礎となります。

建築設計の仕事も商売ですが、ただ目立てばよいとも考えていません。

安くないデザイン料、設計料を払って、自分達の夢を実現したいという人達は、もっと慎重に建築家を選ぶと思うからです。

意識の高い人が、多額の広告料を払い、繰り返し露出してくる宣伝に左右されるとも思えないので、真面目に物づくりを続け、その過程、結果を知ってもらうしかありません。
多額の広告料も払えませんし。

それで、自分達以外のメディアが取り上げてくれるのは、とても嬉しいことなのです。

安井道頓のことを調べていると、現在では「平野」の由来ともなった、坂上田村麻呂の子、広野の末裔、成安家出身と考えられているようです。

民間で自治をしていた、平野七名家の出身だったのです。

龍の立体オブジェとは言いませんが、アトリエmの表札は未だに養生テープにペンで書いたもの。

しかし6月中にはようやくシャッター付け替えも終わり、ファサードの完成形を披露できそうです。

平野から移転して間もなく1年3ヵ月。

本当に色々なことが起こりますが、安井道頓が同郷の先輩と知り、ますます張り切って働くのみです。
金龍のように、ひと粒だけ涙を浮かべながら……

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競り⇒販売、これは本物の産直「深日漁港」‐2324‐

日曜日は少し遠出して大阪府南端の岬町へ。

国道26号線を南下し、岬中学校前で右折しました。
海に出ると一気に視界が開けます。

海の先に見えているのは関空です。

反対の和歌山側を見ると、多奈川第二発電所跡の先には、淡路島の洲本あたりが見えています。

中学生の頃、このあたりにはよく釣りに来ていました。

当時、関空は無く、多奈川第二発電所はもうもうと煙を上げていた時代です。

冬の間は、その温排水に集まるカレイを狙っていたのです。
中学生ながら、なかなかのサイズを釣り上げたことを覚えています。

万葉集にある一首の歌碑が立っています。

奈良時代から、風光明媚な所だったことがうかがい知れます。

そのまま海沿いの道を南下し、深日漁港にやってきました。

更に南にある深日港と違って、純然たる漁港という感じ。

こういった小振りな港は大好きです。

深日漁協の建物前に徐々に人が集まってきました。

漁に出た日は15時から魚市が開かれるのです。

15時丁度に、「競り」が始まりました。

競り人のいる台に、魚を見て買い付け人が値札を置いていきます。

競り落とされた魚が、漁協の正面にある店にどんどん運ばれてきます。

すぐに〆られ、その場で販売が始まるのです。

来る前に電話してみたのですが、「16時までには終わっていることが多いので、早めがいいと思いますよ」と。

この日は豊漁だったのか、15時半になってもせりが終わる気配は全くありませんでした。

しかも、タイやアコウ等、なかなかの大物も続々とやってきます。

大型のアコウは7500円でした。

2人でそれは贅沢なので、カレイを3枚で1500円。

マダコを1匹1500円で購入。

タコもその場で〆てくれました。


競り落とした魚をその場で販売。これこそが本物の産直です。
臨場感抜群で、かなり面白い空間でした。

若い頃は夏になると毎週海に行っていたので、タコもしょっちゅう捌いていました。

しかし、かなり久し振りで結構時間が掛かってしまいました。

右はさっと茹でたもの。左は生のタコ刺しです。

カレイは一番大きいものより、25cmくらいの2匹の方が火の通りがよかったです。

からっと美味しく揚がりました。

彩りのために、全く関係ありませんがオクラ。

大満足の深日漁港での3千円でした。

はじめに紹介した歌碑の横には、「吹飯浦」という案内板もありました。

先の歌も含めて、もう一首記されています。

順徳天皇

吹飯浦(ふけいうら)が転じて深日(ふけ)となったのでしょう。
鎌倉時代まで、鶴がいたことにも驚きます。

私の知る巨大な多奈川第二発電所は2020年に廃止され、もう跡形もありません。

そして大阪湾の中ほどには、大きな関空島が浮いています。

美しい景色を見ると誰もがセンチメンタルな気持ちになるのでしょうか。
万葉集の歌の現代語訳を見つけました。

時の風が吹く――吹飯の浜に出て神に命の無事を祈るのは、妻のためにこそ。

「妹」は「妻」を指すよう。古典とは何と難しいというか、奥深いというか……

ただ「深日漁港」の産直は本物でした。絶賛してお勧めします。

かなりコンパクトな空間だったので、繁盛しすぎないか心配しながら。

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AIで探す、あの松本ドライブイン‐2321‐

昨日、「seven dreamers Shibakouen Tokyo」【Works 】<Public>をUPしました。

seven dreamersもこの店舗も、2019年に無くなってしまいましたが、当社としては持てる力を出し切って、コンセプトを体現できたと思っています。

よければご覧ください。

ゴールデンウイークの長野行きでは、上高地、安曇野について書きましたが、もうひとつ裏テーマがありました。

最終日の5月6日は松本へ。

松本駅の南に車を止め、蔵造りの建築が多く残る「中町通り」まで歩きました。

女鳥羽川を、松本城のある北側に渡ります。

こちらは「なわて通り」。

こちらは昭和レトロの土産物屋さんが建ち並びます。

女鳥羽川を挟んで2つの商店街があるのです。

昼食をとろうと蕎麦屋を探しますが、14時を回っていたので閉まっているところが殆ど。

意外にも、老舗店らしい「こばやし」が開いていました。

四柱(よはしら)神社の境内からアプローチできるというびっくりするようなロケーションです。

しかし、蕎麦も天ぷらも絶品。明治末期創業は伊達ではありませんでした。

特にさつまいもの天ぷらは、厚みが通常の3倍くらいあるにもかかわらず、ほくほくと甘く、素晴らしかったです。

その後、国宝・松本城へ。

前回、2015年8月に訪れた際は曇りでしたが、この日は青空。

黒を基調とした美しい天守閣は、水面と背後の白馬の山々を従えた絶景レベルでした。

大学の授業があると先に帰った長女には申し訳ないのですが、美しい稜線に囲まれ、これ程水が美しい街はそう無いでしょう。

その後、長男を松本駅前まで送りました。

アルピコバスターミナルから、新宿行きのバスで帰って行ったのです。

松本観光の前に訪れたのは、南北に走る国道19号線と国道158号線が交差する「渚1丁目」。

妻も学生時代からスキーにはまっていました。

シュプール号なる電車もありましたが、安いのは夜行バスでのツアー。
その際に、必ず最後に休憩したのが、あの「松本ドライブイン」です。

この旅行に来る前、かなりのWebサイトを調べたのですが、結局特定できませんでした。

そのことを旅先で長男に伝えると、チャットGPTで調べてくれました。その回答は、19号線と国道158号線が交差するあたりではというもの。

しかし来て見ると、妻は「こんな感じじゃなかった気がする」と。

聞き込み調査をするも、意外に皆さん知らないのです。

長男が、今度はジェミニでリサーチを始めると「見つけたかも」と。

松本市島之内8012-1まで行ってみました。

19号線を4kmほど北上し、左折すれば白馬へ向かう147号線、右折すれば上田盆地へ抜ける254号線。
平瀬口という交差点でした。

現在はジェミニ君の言う通り、日本梱包運輸倉庫株式会社(ニッコン)の松本営業所が建っています。

横を通り過ぎると、敷地に降りる通路が見えました。

多くのバスはここからドライブインに入ったのだと、後で分かりました。

右折して、東に向かう254号に乗るとすぐに高架下に降りる道路があります。

降りてみると、のどかな景色が広がっていました。

60歳代くらいの男性が居られたので、話を聞いてみると、やはりここが松本ドライブイン跡でした。

「高速が安曇野(当時は豊科)まで伸びた段階で、いっぺんにすたれていったよ」と。

松本ドライブインの思い出話をしたあと「地元の方にとって、ドライブインがあったことは良かったことでしたか?迷惑なことでしたか?」と聞いてみました。

「ん~どっちでもないかな。ただ初めてのアルバイトはここだったよ」と。

それを聞いて、何だかほっとしたのです。

元ドライブインの裏側まで歩いてみました。

妻はしきりに「山菜蕎麦が美味しかった」と繰り返すので、長男は「珍しくお母さんがそれだけ言うんやから、相当やったんだろうね」と。

私が「いや、普通のドライブインの蕎麦やったと思うよ。ただ、大阪では食べない、醤油の濃い信州蕎麦は、違った美味しさがあったのは事実かな」と答えておきました。

長野自動車道が安曇野インターまで伸びたのが1988(昭和63)年。私が高校3年生の時です。

大学になってからは自分の車でスキーに行ったので、私にとってもそれまでの思い出です。

沢山のツアーバスがエンジンを掛けたまま待機し、もの凄い排気ガスの臭いの記憶しかありませんが、不思議と嫌な思い出ではありません。

むしろ、そんな臭いとともに当時の記憶が蘇ってきます。
1970年代生まれまでのスキー好きには、共感してもらえるのかなと思います。

長男が言うには「チャットGPTでは無理だったのに、ジェミニはさすがにGoogleだけあって、地図系には強いね」と。

もしWebサイト調べで「アルピコ 松本ドライブイン」で検索していたら、Wikipedia内にあるヒントをみつけられたのですが、AIの威力を思い知ることになりました。

昭和の思い出とAI。

一見相容れないものですが、これが現実でした。
あまり使ってはいませんが、使い方次第であることは間違いないようです。

山菜蕎麦は550円くらいだったかなという話になりましたが、特定できる方や、写真を持っている方が居れば、是非見せて貰えると嬉しいです。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

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建築家・守谷昌紀TV

安曇野水鏡‐2319‐

今年のゴールデンウィークは、雨の上高地からスタート。

5月4日の夕方、上諏訪温泉のホテルに到着したところまで書きました。

翌5月5日は朝から快晴です。

客室の窓を開けると、諏訪湖越しの穂高岳を望む眺望で、朝からテンションが上がります。

長女は、休みたくない授業があるというので、早朝の特急あずさで先に帰京することに。

せめて上諏訪駅まで送り届けてきました。

連泊だったので、遅めに出発して信濃路をのんびり北上します。

地元ラジオでDJが「安曇野水鏡」という言葉を使っていました。

稲が成長する前の水田に、安曇野の風景が写り込んでいる様を指すよう。
なるほど、この時期しか見られない景色です。

冠雪した北アルプスが水田に写りこみ、倍の奥行きを感じさせるのです。

今回は、久し振りに「るるぶ」を購入しました。

前から2番目に取り上げられていた「大王わさび農場」へ向かうと、2km弱の渋滞です。

麦畑の中に咲くのはポピーでしょうか。

これもゴールデンウィークと、景色を眺めながらのんびりと1時間15分程車列に並んで入場しました。

「大王わさび農場」は広大な敷地にわさびが栽培されています。

こどもの日らしく鯉のぼりも。

扇状地に湧き出る豊かな伏流水がわさび栽培に適しており、日本一の規模を誇ります。

大量の澄んだ水が必要なのは、わさび自身から出る毒を絶えず洗い流すためでした。

殺菌効果は自身にも影響を与えるとは、禅問答のような植物です。

農場の名前は、安曇野を治めていた魏石鬼八面大王という怪力無双の首領からとったものと説明書きがありました。

桓武天皇の頃、全国統一を目指す中央政権は、東北侵略の足掛かりとして坂上田村麻呂を派遣し、怪力無双の八面大王と戦うことになります。

最後は兵器で劣る八面大王が力尽きるのですが、あまりに強かったため、再び生き返らぬようにと遺体をバラバラにして埋められました。

農場の一角には胴体が埋められたと言われ、大王神社として祀られています。その故事にちなんでつけられたのです。

前日は雨だったので、川の水は濁っていますが、農場内の伏流水はどこも澄んでいます。

日本一、わさび栽培に適していることが視覚で納得できました。

1時間半並ぶ程の人出で、場内もかなり賑わっています。

1軒のレストランに長男が並び、もう1軒のレストランに妻が並んでいたのですが、妻の並んでいたレストランで何とか昼食にありつくことができました。

本わさびと信州太郎ぽーく、2250円です。

山盛りのわさびをたっぷり付けて頂きます。

わさびソフト2種は、650円と550円。

わさびとソフトクリームがこれほど合うとは、というお味でした。

非常に満足してホテルに帰りましたが、贅沢ついでにオプションメニューを追加しました。

妻には金目鯛の煮付け。

長男には信州プレミアム牛のしゃぶしゃぶ。
たまにしか会えないので、ちょっと奮発してみました。

家庭を持つようになると、旅行に行く機会さえなくなるでしょう。
それがいつになるのかは分かりませんが……

長男は大学4回生、長女は大学1回生です。

それぞれに大きな分岐点に立っています。
親として、仕事人の先輩として、アドバイスできることが色々あるかなと思っていたのですが、結局皆無でした。

それぞれの人生に、親の意思が入る余地などありませんし、その必要がないこともよく分かったのです。

安曇野水鏡。

冠雪のある北アルプスを写す西側も素晴らしかったですが、東側の長野市側を写す緑一色も捨てがたい美しさでした。

京セラ創業者、稲盛和夫さんに盛和塾で教えてもらった言葉です。

子育ては人生の復習だと思っていましたが、それほど簡単に片づけられるものではないようです。

悩みは若者の特権です。悩み、考え、何かしらの答えを出して欲しいと思います。

水面に映る安曇野の風景のように、美しい人生を思い描いて欲しいと願うのです。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

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