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巨大な立体ダンジョン「大阪ステーションシティ」‐2326‐

週末、大阪駅に出ると空がまるで秋のよう。

雲が高く、気温も程よい夕暮れ時です。

大阪駅の北側は、「グランフロント」や「グラングリーン」など話題にこと欠きませんが、南の玄関口は「サウスゲートビルディング」です。

ビル内に入ると、すぐ左にエレベーターがあります。

大阪駅周辺の施設は「大阪ステーションシティ」と呼ばれていますが、あまりにも複雑すぎて、正直あまりよく分かっていませんでした。

エレベーターの向かいあたりに、歴代を大阪駅を解説しているパネルを見つけました。

初代大阪駅は明治7(1874)年に開業。

大政奉還からわずか7年に、木造レンガ貼りの駅舎が完成しています。

当初は堂島が計画地でしたが、住民が街中に駅ができることを嫌って埋田(うめだ)と呼ばれていたこの地に駅ができることになりました。

明治34(1901)年に2代目大阪駅が完成します。

初代から東へ200m程移動し、現在の大阪駅とほぼ同じ場所になりました。

昭和15(1940)年に3代目が完成。

完成当時は吹き抜けを備えた中央の高い部分の左右に、将来ホテルとする鉄骨も完成していたとあります。

しかし、戦時中に軍の要請で鉄骨は供出され、ホテルは実現しませんでした。

4代目大阪駅は、通称「北ビル」が昭和54(1979)年に線路の北側に完成。
まず業務施設を移転します。

そして昭和58(1983)年に「アクティ大阪」が完成します。

国鉄の赤字経営を背景に、商業施設を併せ持つという方針のもと、地下4階・地上27階、幅120m×高さ120mの大壁面が完成しました。

ここには大丸梅田店とホテルグランヴィア大阪が出店しました。

私が13歳の頃で、梅田を通って通学していたので良く覚えています。

5代目大阪駅は平成23(2011)年に完成。

まず「アクティ大阪」を南側に増築して「サウスゲートビルディング」に改称。

北側の「うめ北」エリアを繋ぐ大屋根を掛け、その先に「ノースゲートビルディング」が完成します。

線路の上空にある連絡通路は、いくつもの広場を備え、立体的につながっている景色は、他ではなかなか見れないものです。

「ノースゲートビルディング」には、「ルクアとルクア イーレ」が出店。
「サウスゲートビルディング」の大丸梅田店の上階、10階から16階は今年の4月から「ルクア サウス」となりました。

15階建ての増築部、その屋上が解放されていることは全く知りませんでした。

高校の同級生と会食した店が「ルクア サウス」の16階にある豆腐料理屋さん。

女子率高めのおしゃれな店でした。

大阪のど真ん中での立て替え、移転、増築と、どの計画も困難を極めたと思います。

それがこの複雑で巨大な立体ダンジョンと言ってよい「大阪ステーションシティ」を生んだことがよく分かりました。

地下もダンジョン、駅もダンジョン。

ダンジョンこそが大阪の魅力でした。

■■■5月8日『ミラタップ』のカタログ「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■■

■■10月1日『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■■

株式会社 一級建築士事務所 アトリエ m
建築家・守谷昌紀TV

まだまだ知らない大阪・梅田‐2039‐

■■■プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」8月1日オープン ■■■

8月も今日で終わり。

昭和世代なら、夏休みの宿題に追われている光景を思い出す日でもあります。

しかし最近は夏休みの終わりが早く、高校生の娘は8月25日に2学期が始まりました。

私立だけなのかなと思って聞いてみると、公立もすでに始業しているそう。週休2日なら、そのくらいしないと勉強が追い付かないかもしれません。

この暑さはかわいそうではありますが。

今日でこの日記も2039回目になりますが、最も読んで貰っているのが以下の記事です。

2005年の10月に書いた「阪急梅田駅の歴史」

ムービングウォークの南にある広いコンコースが、初代阪急梅田駅だったことを書きました。

その南端にあった通称・レトロドームは、旧駅の待合室。

平安神宮や築地本願寺などを手がけた建築家・伊東忠太によるものですが、現在は阪急百貨店内のレストランに移築されてます。

中学から予備校まで7年通った通学路で、愛着もひとしおだったのです。

クライアントとショールームを回る際、このような話をすると、喜んでくれる人が結構います。

梅田のことは大概知っているつもりでしたが、6月放送の『ブラタモリ』は流石の密度でした。

「大阪・梅田〜カオスな梅田はどう生まれた?〜」

ダンジョンと言われる地下街。

南北は北新地から阪急三番街、東西は泉の広場から西梅田。

こちらは庭のようなものですが、大阪駅の高低差については全く知りませんでした。

地下鉄東梅田駅から地上に出て、大阪駅のある北へ歩きます。

大阪駅へは、地下鉄3路線、阪神電車、阪急電車でアクセスできます。

大阪駅の南東角にある、御堂筋南口の前に地下鉄梅田駅から上がってくる階段があります。

これが、上がって来たにも関わらず、いきなり3段下るのです。

変だなとは思っていたのですが……

中央口、桜橋口へと西に向う通路はこの通り。

1階なのにこの高低差です。

南にある大丸梅田店へのアプローチもこの通り。

東梅田から大阪駅に向かう時、出張で大きなキャリアーを持っている時は、この通路は使いません。

大阪駅は、明治時代に鉄道が引かれるまで、湿地帯で何もないところでした。

機関車は火の粉をまき散らすので忌み嫌われ、当時の中心地だった中之島から遠く離れた梅田に新駅が建設されたのです。

梅田は埋田の当て字ということは良く知られています。

しかし、駅建設によって一気に街は発展。多くの建物が建設されました。大量の地下水をくみ上げたことで、激しい地盤地下を起こしたのです。

その痕跡が、この高低差。

大阪に生まれて53年、もう感動に近いものがありました。

それで、コツコツと写真を撮りためるのに、3ヵ月近く掛かったのですが。

番組内で、地盤沈下の様子が良く分かる場所が紹介されていたので、見に行ってきました。

入場券140円を買って駅構内へ。

3番線・4番線ホームを上がります。

宝塚線、神戸線の西行きのホームですが、反対の東向きへ歩きます。

東は阪急百貨店側。

ありました。

1本北にある5番線ホームの東端です。

右から左へ下がるように、旧ホーム跡が見えています。

これだけ分かりやすく地盤沈下を目視できるところが、大阪駅にあったとは……

ただの熱烈な『ブラタモリ』ファンになっていますが、私はお出掛けが大好物です。

この夏は、我ながら本当に良く働きました。

どこかへ出掛けたい願望がもうマックスなのです。

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

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