カテゴリー別アーカイブ: 09 家族・私

暮れは元気にご挨拶 2012年

昨日は、オリンピックイヤーに開催している同窓会でした。

総勢52名。世話役の代表をしているのですが、やって良かったと思えるのは、皆に感謝の言葉を掛けて貰った時です。

今年最後の日記は、大晦日になりました。2012年を振り返ってみます。

1月 「原始的に、自然に、そして子供のように」

年始は茅野、蓼科の旅行からスタートしました。

2月 「お湯」

この時は、冬までには自邸を建て替えていると思っていました。

現実は未だ設計中。

3月 「東京タワー」

四丁目の家の竣工、点検で東京へ。

出張の際は、色々な街をみる楽しみもあります。

4月 「スキーのない人生」

前週にスキーの試合に出たこともあり、自分とスキーを振り返ってみました。

5月 「ミュージアム in 北陸」

ゴールデンウィークの終盤、北陸へ旅行へ。

この頃「ビフォーアフター」の撮影も終盤でした。

なかなか、あきの日が決まらず……

急遽とった宿が、和倉温泉のビジネスホテルでした。

6月 「上野で見る、師弟の仕事」

東京で竣工した「四丁目の家」の写真撮影へ。

街歩きは上野。

7月 「匠という仕事」

半年関わった「ビフォーアフター」が無事放映されました。

ほっとしたというのが、正直なところ。

8月 「建築の詩人」

長年見たいと思っていたスカルパ、ガウディの建築を見るためにイタリア、スペインへ。

スカルパのブリオン・ベガ訪問は、今もその景色、風、のどかな田畑の匂いが蘇ってきます。

家族での海外旅行も初めて。

9月 「話して観て食べる広島」

テレビのおかげで、今年は講演を沢山させて貰いました。

仕事で、色々な街へ行くのは特に楽しいのです。

広島のお好み焼きは、やはり美味しかった。

10月 「青春から朱夏へ」

後輩の結婚の事を書きました。

そのアクセスにお多さも驚きましたが、思いがけない後輩からも連絡があり。

彼の結婚は来春です。

11月 「24年振り、わが母校」

全ての講演の中で、最も嬉しかったのが母校での講演。

ラーメンの味、食堂のおばちゃんまで全く変わらず。

12月 「ちょっとピンボケ」

忘年会で飛田新地の「鯛よし百番」へ。大阪にも、知らないところがまだまだあります。

いよいよ今年も今日で終わりです。

何とか仕事に区切りをつけ、ややほっとしているところです。

そんな中、先週金曜日に松井秀喜引退のニュースが入ってきました。その驚きと共に、私は松井秀樹が本当に好きだったんだなと分りました。

その日はニュースのある時間に帰ろうと決めたのです。最も印象に残っている事はという質問に、彼はこう答えました。

「長嶋監督と素振りをした時間が印象に残っている。プロの心構え、連練習から試合への取り組みを学んだ。それが20年間、自分を支えた」

充血した目を見て、私ももらい泣きしました。その長嶋監督が発表したコメントは以下の通り。

「これまでは飛躍を妨げないよう、あえて称賛することを控えてきたつもりだが、ユニホームを脱いだ今は、『現代で最高のホームランバッターだった』という言葉を贈りたい」

これを聞き、更に涙してしまいました。

松井選手の調子が悪いとき、電話口の前で素振りをし、その音を長嶋監督が聞きアドバイスをしたという話は有名です。これも、半分笑い話なのだろうと思っていたのです。

しかし、18歳の松井を見た時から、球界を背負って立つと解っていた長嶋監督は、超一流同志にしか分らないレベルの指導、会話をしていたのでは、と今は想像しています。

意はと聞かれると「来たボールを打つだけ」というコメントが象徴する通り、文字通りの天才だからです。

しかし、松井を支えたのは長嶋監督との時間だったというコメントを聞き、高みを知る人間にしか分らないものがあるのだと感じたのでです。

自分に置き換えるなら、限りなく高い目標を目指したいと思いますし、その機会を貰っているようにも感じます。

願わくば、松井秀喜がヤンキースタジアムに立つ姿を、直接この目で観たかった。イチローがヤンキースへ移籍した今、同じ様な悔いを残さない為にも……

来年も全力で働きます。

ことし1年、このゲツモク日記にお付き合い頂き有難うございました。皆さんにとって、来年が更に素晴らしい1年となりますよう、心からお祈り申し上げます。

2012年12月31日 守谷昌紀

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■ 7月8日(日)「匠」として出演しました

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24年振り、わが母校

11月3日の土曜日は文化の日。

この日は母校、高槻高校の第1回ホームカミングデー。浪人時代に一度来たので、24年振りだと思います。

ホームカミングデーとは、母校に帰ろうというイベントで、最近は多くの大学、高校で開催されるようです。

今回は子供達も連れて行きました。

11時頃から、小講堂でセミナーをしました。

第1回目に声を掛けて貰ったのは光栄なことです。

「ビフォーアフター」の話をと、リクエストを受けていたので、その話を中心に約50分程。

会場のキャパは300人だったのですが、参加者は40人足らず。

若干寂しくはありましたが、母校での開催と言うのは、嬉しいものです。

阪急高槻駅は、高架化され随分近代的になりました。

駅前の雰囲気はあまり変わりませんが、道幅は狭く感じます。

中1の時は145cm、今は172cm。

私も少しは成長したでしょうか。

毎日帰りに寄った駄菓子屋は、自販機だけになっていました。

反対に食堂のおばちゃんは今も現役。

もう勤続30年以上とのこと。

ラーメンの容器も、スープの味も、チャーシューも全く変わらず。

このチャーシュー、何故かとても美味しいんです。よく単品で追加しました。

舌の記憶は、四半世紀を一瞬で超えます。

中高の6年間を過ごしたわが母校。

正直、今までほとんど愛着がありませんでした。

その理由は、学校が何かしてくれると期待していたからだと分ります。

僅かながら、学校の役に立てたと感じる今、急遽愛着が湧いてきました。

出来れば長男も……

本当を言えば、いつかこんな機会が来るのではとイメージしていました。今回は、卒業生の先輩方、後輩へ向けてのものでしたが、出来るなら在校生に向けて話してみたかった気がします。

勉強とは、仕事とは、生きるとは。

そんな暑苦しい話はいいよ、と言われるかもしれませんが。

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先祖代々400代

 今日から11月。

 一昨日には木枯らし1号も吹き、少しずつ冬へ向かっていると実感します。日曜日の夜、父が太刀魚を釣ったと、持って来てくれました。

 鋭い歯に、怪しくギラギラと光る姿はかなり怪しげ。

 旬は夏と言われますが、この時期の方が当然大きく、食べごたえもあります。

 塩焼きは勿論ですが、オリーブオイルのソテーもなかなかいけました。

 現在、事務所は私を含めて3名。加えて、オープンデスクの学生が1人来ています。

 実はこの8月、一旦4人体制になったのですが、10月度で入所したスタッフが辞めました。先日、1日でオープンデスクを辞めた、というのとは別の話です。

 長男を見て、どんな仕事をするのだろうと思います。

 折を見て、自分の仕事へ誘っていますが、彼が夢中なのは虫捕りです。

 彼岸の墓参りの際も、アミと虫カゴを放す事はありませんでした。

 釣る、潜るなど。私も狩猟することが一番好きだったなと思います。

 父は今でも月に2回、岸和田から船で魚を釣りに行きます。

 定住を始めたのは1万年前。それ以前は、まぎれもない狩猟民族だった事を考えると、これはごく当たり前の事なのかもしれません。

 私達の祖先は、熾烈な生存競争を勝ち抜いて来た優れた人達です。その結果、私にまで命が届いたのです。仮に1世代25年とすれば、1万年は400代です。狩猟を捨てたのは遥か彼方の話ではありません。

 その後、農耕が始まり、今度は土地の奪い合いなど、幾多の争いもあったはずです。それらに勝ち残り、働き、かつ、かなりの幸運を併せ持っていた人。その子孫が私達なのです。

 農耕は自分に向いていないとか、休日が雨の日では自分の予定が立てられないから辞めます、などと言う人は、生き残っていないはずなのです。

 今年で4年目に入った所員は、随分やる気を見せています。初めの1、2年はどうなる事かと思いましたが、やはり石の上にも3年です。

 自分が遺伝子によって受け継いだ、何らかの得意を掘り起こす。仕事探しとは、結局そんなものではないかと考えています。

 ただしその発掘作業は、最低3年掛かるのです。

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ホームカミングデー&すまいcafe

 来週、土曜日の10月20日。

 「幸せな家って?新築orリフォーム」というテーマで、同級生の建築家、奥和田さんとミニセミナーを開催します。

 JIA(日本建築家協会)のすまいcafeというイベントで、会場は大阪の本町にあるLIXL(リクシル)のショールーム。

 セミナーは30分ずつで、そのあとはお茶を飲みながら雑談というイベントです。良ければ気軽に遊びに来て下さい。

 今度、奥和田さんとあったとき、どっちが先に話すか決めないといけないのですが、このあたり同級生というのは、気が楽なものです。

 また、11月3日(祝・土)文化の日には、母校の高槻高校で講演をする事になりました。

 今年から開催される、ホームカミングデーというイベントで「少し話をしてくれない」と、先生から連絡を貰ったのが8月下旬。テレビの件があっての事ですが、勿論1つ返事で引受けました。

 6年一貫教育の高槻中学、高校は母校というのを割り引いたとしても、なかなかの進学校です。昨年の成績は特に良かったようで「週刊ダイヤモンド」2012年5月19日号で、中高一貫校の「大学合格力」&「医学部合格力」の全国ランキングで11位だったのです。

 これで私が東大の建築学科でも出ていれば、完全に嫌味ですが、現実は浪人して近畿大学の建築学部。中学、高校と完全にお荷物生徒だったのです。

 270人の生徒の中で、成績は下から2、3番。体も小さいのに喧嘩っぱやく、先生、親と一緒に謝りに行った事も2度ありました。

 中学の時は野球に燃えていたので良かったのですが、高校は丸坊主が嫌という理由で野球をせず。

 高校1年の化学の授業中のこと。

 先生に「守谷、高校って義務教育じゃないんで、勉強嫌なら学校を辞めてもいいんやぞ」と言われたことがあります。

 「そうか、別に辞めてもいいんや。そういえば、なんで毎日学校に来てるんやろう」というレベルでした。勉強が嫌いという訳でもなかったのですが、全く興味がなかったのです。

 普通なら、高校へ上がるときに、外へ出されそうなものです。では何故残して貰えたか。

 30年も前の事なのではっきり書きますが、学校はそこまで受験勉強に熱心でなかったと思います。にも関わらず、それなりの成績を学校が出していたのかと言うと、理由があるのです。

 当時私立中学の入試日程は、関西では全て同日でした。その中で、唯一高槻中学だけ1週間ずれていたのです。
 よって、私立の第一志望を落ちた生徒がほぼ全てで、入学時からすでに失敗体験を持っています。これが、やる人間は自主的にやるという校風を育んでいたのだと思うのです。

 建築家になりいとは思っていたのに、何故しっかり勉強していなかったのか、自分でも良く分かりません。しかし、25歳で事務所を設立してからは、それなりに世間の荒波にもまれてきたつもりなので、そのあたりを熱っぽく話そうと思っていました。

 すると先生から「参加者は卒業生の方が多いのと、最近の学生はそういった話を聞く機会が多いので、もう少し楽しい感じで……」というような感じのメールが。

 よってタイトルは『「大改造ビフォーアフター」匠の舞台裏』となりました。気楽な楽しい話を心がけますので、高槻高校OBのみなさん、良ければ是非参加下さい。

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人生の晩秋を向える時& 讃岐うどんの名店Ⅴ

この連休は墓参りに帰っていました。

まずは岡山県倉敷市へ。

父方の祖父母は亡くなりましたが、共に92歳まで生きました。

今は瀬戸内海を見下ろす墓で、静かに眠ります。

瀬戸大橋を渡り、今度は母方の里、香川県まんのう町へ。

祖父の入る墓は、船の神さま、金毘羅山(こんぴらさん)を望む田の中にあります。

曲がった事が大嫌いな人でした。

自分で言うのも何ですが、私が一番その気質を受け継いでいると思います。

香川に来た時、うどん店めぐりはかかせません。

今回寄った店は「純手打ちうどん よしや」。

名店も多い、飯野山(いいのやま)別名讃岐富士の麓にあります。

麺が冷たい、だしが熱い「ひやあつ」としょうゆうどん。

ゲソとレンコンの天ぷらに、おにぎりとおでんのスジ。

これで1050円程。

「純手打ちうどん」の看板通り、手打ち麺を包丁で切るこだわりの店長。

「大将」と呼ばれていましたが、まだ若い感じでした。

一時のブームは去ったとは言え、連休の昼時は店外まで列ができていました。

その表情にはやや疲労の色も。

「気長にやりなよ」と声を掛けてあげたい気持ちもありましたが……

味の方は間違いないものでした。

母方の祖母は88歳で健在です。

今は年に1回くらいですが、小学生の頃は夏休みを一緒に過ごしました。

段々と仏さんのような顔になってきました。

愛おしいと思えるのは我が祖母だからでしょうか。

子供たち、そして私もあと何回会えるのか。

人生の晩秋を迎えた時、果たして私はどんな顔をしているのか。

そんな事を考える時間が彼岸なのだと実感するのです。

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絵日記は続く

 8月もあと一日。子供達の夏休みも終ります。

 9月1日が土曜日なので、3日(月)から登校するのかと思っていたら、8月31日(金)から始まるそうです。

 掃除や準備だそうですが、正直、なんと無粋な、と思います。その一日にどれ程の価値があるんだろうと。最終日に、行く夏を惜しむんじゃないか、と言いたくなるのです。

 日曜日の宿題についても、全く同じ。日曜日は丸一日掛けて使うものです。この辺りはいつも納得できていません。まあ、共感が得れるかはさておいて、夏休みの宿題についての思い出を。

 小学1年、2年の担任は、当時30代後半の女性、N先生でした。

 N先生は非常に厳しい先生で、叱る時は相手が子供であっても、真正面から目を見開いて、烈火のごとく叱ります。6、7歳の私にとっては、非常に怖い先生でした。

 結局、小学6年生も担任して貰ったのですが、読書感想文などは、生徒の書いたものをしっかり読み、細やかにその感想を書いてくれていました。私は、赤いペンで書かれたそのコメントを楽しみにしていました。

 いま書いているこの日記が絵日記だとすれば、これを続けているのも、先生のおかげかもしれません。2年生の夏休みも、絵日記の宿題が出ていました。

 休みの間は、毎年母の実家に弟と行っていました。香川の祖父母が預かってくれていたのですが、その庭先で羽化前のセミを幼虫を見つけ、書いた頁があります。

 手元に返ってくると、一文字づつ沢山の〇が付いていました。





 長男が、宿題の絵日記を書きたがらないので、実家から持ち帰ってきました。小学校から大学まで、ほぼすべてのノートなりは捨てましたが、この日記は置いていたのです。

 8月から、当事務所に新しいスタッフが加わりました。ようやく4人態勢になり、現在はオープンデスクの学生も2人参加中。人口密度はかなり高い状態です。

 スタッフを含め、その若者達に言いたいのです。

 N先生は、決して褒めるベースの人ではありませんでした。とても怖かったN先生が、褒めてくれたのは、本当にそう思ったからだと、私は感じていました。また、最終頁のコメントを見て、真剣に読んでくれた事をひしひしと感じたのです。

 怖いは本気の証だとも思います。

 例えば、本田宗一郎が、スティーブ・ジョブズが、いつも社員を褒めて回っているとは、聞いた事がありません。

 「褒めれば伸びる」は、ニンジンがないと走れない馬に近しいとも思うのです。とはいえ、時には結果が出なければ、人はなかなか頑張れないもの。良い仕事が出来れば、いつでも褒める準備はしているつもりです。

 ここは、人生の道場。覚悟を決めて、頑張って欲しいと思います。

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スピーチが得意か

 昨日、夏休みの旅日記を全てUPしました。

 7都市に分けて書いてみたので、良ければのぞいてみて下さい。

 飛行機で家族が一緒なら、やむ得ず中央の4人席を希望します。

 しかし、一人なら断然窓際です。バルセロナからローマは早朝の一人移動。夜と朝の境界線がくっきり見えました。

 日常が、これ程ドラマティックなこのだと改めて気づきます。

 これが日々の写真に戻ると、全く違うのに愕然とします。何と絵力がないことか……と言えば一緒に写っている人に失礼ですが。

 昨日の日曜日は、セミナー講師を務める予定でした。

 しかし、参加者が思いのほか集まらなかったとの事で、中止になりました。準備もしていたので、それはそれで寂しいのですが、無いなら無いで、ほっとするのが正直なところ。

 「ビフォーアフター」に出て、一番増えたのが講師という仕事だと思います。オファーを多く貰うようになりました。

 これまでにも何度か、講演なるものをした事はあります。なかなか簡単でない、というのが正直な感想。

 持って行く資料なども色々工夫をしてみました。どうしようもない、という程ではありませんが、自分のイメージからは程遠いものが大半です。

 自分が聴いて、上手だなと思う人にコツを聞いてみたりするも、アドバイスは当然それぞれで、なかなか上達したという実感はありませんでした。

 結婚式のスピーチなども、何回か引き受けましたが「意外と下手やん」と言われた事もあります。基本的に話し好きなので、上手いと思い頼んでくれるのです。

 今月のはじめにも、そんな機会がありました。

 その際も色々シュミレーションしてみたのですが、90分時間があった事もあり、今回はど真ん中直球勝負で行こうと、方針を決めました。

 結果、手ごたえの一端のようなものを感じました。優秀なセミナー講師の方は、飽きさせない展開、この情報を知れて良かったというお得感、かつ随所に笑いなどもちりばめられ、流石という仕事をします。

 その外枠だけを追いかけてみても、技術がない中で、上手くいくはずなど無かったのです。それなら「今までの仕事人生を聞いてくれ」というようなスタンスの方が、よほど自分を出しやすいと気付きました。

 基本的に、真面目に一生懸命が好きなのに、何故か人前にでると、スマートに話をしている講師像に憧れる。これが、一番の失敗だったような気がします。

 この秋に、今までとは一桁違うキャパの会場での講演を引き受けました。どのくらいの人が来てくれるのか分かりませんが、やった事の無い事には必ずチャレンジしたいと思います。

 また詳細が決定すればお知らせします。

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おしりにまつわるエトセトラ

 この日記を書き始めて8年。完全ゲツモクUPにして6年。

 いつかカミングアウトしたい事があります。自分にとっては大きな事、他人からみればそうでも無い事。しかし、ある人にとっては勇気になるのでは、と思っている事です。

 今日はそこまでではありませんが、やや恥ずかしく、でも嬉しい話を。

 2011年のゴールデンウィーク。フェリーで九州へ行きました。

 フェリーの旅、第一段でしたが、行きの船の中で体が変調をきたしました。おしりに激痛が走り出したのです。

 別府に着き、薬局へ行きました。相談すると、肛門から注入する軟膏を勧められたのです。

 しかし日増しに痛みは強くなり、最終日は妻と子供だけを水族館にやりました。一人車の中でうつ伏せになり、寝ていたのです。

 旅から帰ると、休日だった事もあり義妹の親族を頼り、診て貰いました。「痔瘻(じろう)」という診断でした。「痔」は知っていますが「痔瘻」とは。

 肛門から少し体内に入ったところに、肛門腺というくぼみがあります。20ヵ所程、輪のように並んでいるのです。それが何かの理由で詰まり、化膿します。それが徐々に体内側に進み、肛門の横あたりに突出口ができ繋がってしまうのが「痔瘻」という病気。

 1年程、色々な事を試しましたが、突出口が2つになったのが分かり、もう手術しかないと思ったのです。

 近所で病院を探すと、日帰り手術が可能という、クリニックが見つかりました。

 手術には2週間の入院が必要という話もあったので、早速診察して貰いました。翌週の手術が決まったのです。

 6月25日(月)。昼過ぎから手術が始まりました。手術自体は1時間弱。突出口に出来た肉が盛り上がっている部分をレーザーメスで切除。膿の通り道にゴムを通します。

 この方法をシートン法と言います。ゴムを輪っかにして徐々に締めて行くのです。

 輪になった糸を、大きな板氷に掛け、オモリを吊るしたとします。糸は氷の中を下に移動し、最後にはポトリと落ちます。

 糸は氷を貫通したが、氷は切れていない。それを2ヵ月程掛けて、ゴムでやろうという話です。

 初めに話を聞いた時は意味が良く分からなかったので、どこまで伝わるかは疑問。

 よって画像を付けてみます。先週の中頃、そのゴムの移動がついに終わりました。完治したのです。

 この嬉しさをどう表現すれば良いか。

 以前なら、切開、削除という方法しか無かったそう。なので、医学の進歩は人の幸せに直接貢献してくれます。

 「もし今が原始の世界だったら」と良く考えます。そうだとすれば、完治する事は無かったでしょう。

 大げさに言えば、おまけの人生の始まりです。さようなら、我が痔瘻。

 あの痛みは、九州の旅とセットの思い出です。

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ヌメ革の手帳

 ずっと使ってきた手帳が、限界の感じです。

 今年に入って、2つあるペンホルダーの1つが切れました。

 今度はベルトの部分が切れました。

 大学生2年の時に買ったものなので、今年で22年目。修理してくれるところを探し、持っていくと「修理は出来ますが、革が劣化しているので……」という感じ。

 気に入っていたと言うか、半生を共にした手帳なので、何とかと思っていたのですが。

 初めて取り上げて貰った建築雑誌にも、載せて貰いました。

 同じメーカーのものがピンとこず、色々探してみると、実物を見れるのが烏丸御池という事で、京都へ行ってきました。


 梅雨の中休みの京都は、人出もそこそこ。

 三条通り界隈には、町屋を改修した店舗が結構ありました。

 土屋鞄製造所は東京足立区で創業し今年で40年目。

 妻に言うと、ランドセルで有名とのこと。6、7万円するそうです。

 在庫は有ると聞いていたので、革の感じと色味を手に取って確認。

 表面をコーティングしていない革がヌメ革です。以前のものはペンホルダーが2つあり非常に便利でした。

 追加のペンホルダーを「可能なら特注でも」と交渉したのですが、これはかないませんでした。

 1年後のサンプルが置いてあり、これはとても参考になります。

 土屋鞄は、修理もしてくれるようなので、出来れば一生使いたいと思っています。今度はオイルも買ったので、手入れもしようと。

 「買ってから、修理という事で、ペンホルダーを1つ追加と言うのは……」これも駄目でした。

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■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』■■■
7月8日(日) 7:58pmから8:54pm
「匠」として出演します

下町の悪ガキ

 昨晩のワールドカップ最終予選。サッカーの日本代表はオマーンを圧倒する3対0で完勝。

 「日本はアジアで最も強いチームなので……」という相手チームのコメント通り。本当に強いチームなったのが、よく分かります。

 実力差がある相手とはいえ、全く相手を寄せ付けないパスまわし。本田、香川、長友と、スター軍団の雰囲気さえ漂わせます。

 本田は昨日のボレー一発で、ビッグクラブ行きを担保した、というのは素人発想でしょうか。いずれにしても、彼の今後はとても気になります。

 欲を言えば、まだセレッソ表記になっている、清武に1点決めて欲しかった。このチームはどれくらい私達に夢を見せてくれるのでしょうか。

 午前中は子供の授業参観へ行っていました。

 国語と図工でしたが、図工では色の塗り方まで教えていました。

 こんなことまで習っていたんだな等と驚いたり。

 今までの人生で、どの時期が一番大変だったかと聞かれれば、小学校と答えます。

 大阪も下町、そこに生息する悪ガキのいじめに比べれば、他はそよ風レベルでした。

 こう書くと、酷いいじめにあったようですが、同級生の言葉を借りれば、とても楽しそうだった、となります。

 中学は受験をして私学に行ったので、みなそこそこ頭が良く、それなりに品がありました。勿論、取っ組み合いの喧嘩も、ソリの合わない同級生も居ましたが、小学校に比べれば上品なものでした。

 振り返ってみて、なぜ小学生が大変だったか。

 その理由は、世界の大きさにあると思います。小学生にとっては、クラスや校区が全世界なのです。もし問題が解決できないと、どこにも逃げられないのが一番辛いと思うのです。

 もし、小さな世界で上手くやる事だけに集中すれば、それなりに解決するかもしれません。しかしそれも違う気がします。

 近所、友人知人など近しい中だけで上手くやろうとすると、小さな失敗を恐れ、大きな目的を見失う事になると思うからです。

 もしそんな事に悩んでいる子供がいたら、世界は広い、無限の可能性があると、伝えてあげたい。

 子供の授業を見ながら、そんな事を考えていました。 

 小学生の時、いじめがあったかなかったか。それは見る人によって判断は違います。

 自分が正しいと思ったことは貫きたいタイプの私は、孤立する場面が多かったと思います。

 もう少し上手くやれないと駄目かなと思った事もありましたが、独りになってこそ学んだことは多かった、と言えばかっこつけすぎかもしれません。

 植栽から出てきたカエルを見て、分ってくれるよなと言ったり、言わなかったり。