カテゴリー別アーカイブ: 09 家族・私

カゴ付き自転車買う‐1004‐

 自転車を買いました。

 実に18年振りのことで、ややワクワクしています。

 自転車は、まずは近所へ買い物に行く手段。事務所を平野に移してからは、通勤の手段にもなりました。

 正直、それ以上でも、それ以下でもありませんでした。しかし、若者の車離れが進む中、自転車にこだわる人は増えているようです。

 クライアントの中にも、自転車好きの人が多くいました。また、当事務所のスタッフも、なかなか格好いい自転車に乗っています。

 スタッフにの1人に、天王寺のムーブメントというショップを紹介してもらいました。

 そもそも、どんなメーカーがあるのかさえ知らないのでこんなリクエストをしました。「カゴがあっても成立する自転車」

 で、勧められたのがschwinn(シュウイン)というメーカーの1台。1895年にシカゴで設立されたメーカーです。

 真の自転車好きには、邪道なのかもしれません。しかし、コルビュジエは「住宅は住むための機械である」と言いました。カバンを持って通勤する以上、カゴは必須と考えてたのです。

 簡単にメンテナンスの方法も教えて貰いました。

 油をさすのに、いったん油をクリーナーでとるそうです。

 そこまでしなけらばならないとは。

 何度もパンクし、チェーンも外れ、父に直してもらいながら、乗って来た無印良品の自転車。天王寺で事務所を設立した際に買いました。18年の苦楽を共にしてきた戦友でもあります。

 3年ほど前、携帯電話を見ながら自転車に乗っていた女の子が、こちらに突っ込んで来ました。避けきれずに後輪に衝突。

 その後も、だましだまし乗って来たのですが、フレームがいがんでいるようで、これが致命傷になりました。ろくにメンテナンスもしない中、よくもってくれました。

 モンゴルでは馬は風の生まれ変わりとなっています。草原で馬を駆る姿、とまでは行きませんが、初乗りはかなり爽快でした。ギアの切り替えが出来る自転車は小学生の時以来か。

 無印の自転車は2万円くらいでした。それを考えれば、長い付き合いになりそうです。

これから雨の日は、カバーを掛けておきます。

ズルズルとうどん県‐1003‐

母の郷里、香川へ帰っていました。

生憎の雨でしたが、祖父の13回忌だったのです。

7回忌から、あっと言う間に6年が経ちました。

最近の自治体は、自らの売り出しに熱心です。しかし、うどん県は想像以上にうどん県。

法事の前、住職、来訪者にまずうどんを出すのです。

皆でズルズルとやって、初めて法事が始まります。全くお茶を出す感覚。

長い読経のあと、線路沿いの墓地まで歩きました。とても真面目な祖父で、87歳まで生きました。

時々うどんを打ってくれたものです。

今月初め、鞆の浦へ行きました。その際、デイサービスからお年寄りが「ふるさと」を合唱するのが聞こえてきました。

生まれも育ちも大阪の私にとって、故郷とは。毎夏休みを過ごした、香川と岡山でしょうか。

志を果たして帰らん。水は清き故郷。

間もなく90歳になる祖母も、ズルズルと。うどん県はうどん県なのです。

走る、走る、俺たち、私たち ‐1001‐

 今日は体育の日。快晴が続いています。

 先週、今週と続けて運動会でした。

 先にあったのが長男の小学校。やはり運動会と言えば徒競走です。私の場合は3勝3敗くらいだったでしょうか。

 小学校は、遅い順に並び競うよう。最後から2組目のスタートは遅くはない証し。

 ギリギリではありますが、何とか1番になってくれました。だんだん生意気な口も聞くようになってきましたが、一生懸命はだれでもが素晴らしいものです。

 そして昨日は保育園の運動会。娘は年長組になり、保育園最後の運動会です。

 パレードという演技も、なかなか切れのある動きでした。2月生まれということもあり、身長は前から3番目です。

 しかし、意外にリーダータイプなのだそうです。

 そして運動会の最後は、クラス対抗リレー。

 娘は「初めは6番目に走って、最後にもう一回、たすきを掛けて走る」と言っていました。

 本番が始まるまで、アンカーと言うことが、もう一つ私達が分かっていなかったのです。

 1回目に走ったときは、バトンを落としてしまいました。しかし、拾ってからが早かった。

 短いスライドですが、その回転の速いこと。途中で靴が脱げ、それが中高く跳ね上げられました。そんなことは全くお構いなし。

 最下位から1人をぬきさりました。娘がこれほど速いとはつゆ知らず。ようやく、アンカーレベルだと確信したのです。

 最後に28番のゼッケンに付け替えているのが見えました。わずかにリードした一番の状態でバトンを受けます。

 運動場はこの日最大の声援に。

 「こけるな~!ぶっちぎれ~!はよいけ~いかんかい!」

 そこは大阪の下街。心温まる声援が飛び交います。その中を、小さいながら躍動感十分の走りで、1番でテープを切ったのです。

 2年間受け持ってくれた先生も、万歳!です。

 たかが地域の保育園の運動会。とは言え、誇らしい気持ちになります。また、自慢の一つもしたくなります。

 しかし本人は、いつも通り走っただけで、特別努力をした感もなく。

 「はやくご褒美袋の中を見たい」に興味は移っていました。

 大げさですが、娘を見て結果を出すアスリートのメンタリティーを見る思いがしました。

振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない ‐寺山 修司‐

 もう終わったこと。次の目標へシフトしなければなりません。しかい、もう1回くらいは、家族でビデオを見ようかと。

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3月19日(火)■大阪の住まい力アップ:第1回 リフォーム・リノベーションコンクール ■で「住之江の元長屋」が戸建部門、最優秀賞を受賞しました

【News】
■1月6日(日)放送<「匠」が選ぶビフォーアフター大賞2012>
「住之江の元長屋」が空間アイデア部門2位に選ばれました
4月9日(火)リフォーム産業新聞「住之江の元長屋」掲載

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一級建築士事務所 アトリエ m
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

カミングアウト ‐1000‐

事務所にチルドの宅急便が届きました。

送り状を見ても、何が入っているのか想像できず……

お祝いでした。

この日記も今日で1000回目。

読んでくれる人が居たので、続けることが出来ました。

心から感謝しています。

日記の生い立ちについては、前々回書きました。

今日は、普段書かない事をカミングアウトしてみます。

この夏、長男がこんな質問をしました。

「お父さん、今までで一番大きな病気は何?」

「ん~、やっぱり心の病気かな」

’99年の2月頃から’02年3月までの約3年、酷い鬱に苦しんでいました。28歳から31歳にかけてのことです。

大学を出て設計事務所に勤めました。2年目の冬、幸いにも仕事の依頼を貰います。それを機に独立することにしました。’96年の6月にアトリエmを設立。25歳のことです。

色々な意見もありましたが、すぐに天王寺駅の近くに、ワンルームマンションを借りました。4畳1間で家賃4万5千円でした。

キャリア不足、実力不足は、自分が一番分っているので、懸命に働きました。毎朝、駅から始発のアナウンスが聞こえてきます。「もうこんな時間か、早く寝ないと」という毎日だったのです。

しかし、長く働く事を言い訳にしても、良い結果は生まれません。今は分るのですが、その頃はそれだけがクライアントへの誠意だと思っていたのです。

何とか1件目の仕事を終え、その後も知人から2つ仕事を貰いました。初めての事ばかりでしたが、何とかそれらも完成。

「羽衣の家」 「白馬の山小屋」 「SPOON CAFE」が出来上がったのです。更に続けて、仕事のオファーを貰いました。とても順調だと感じていました。

しかし、28歳の2月頃から、寝つきが悪くなってきます。動悸が収まらず、集中力を欠き……働くことが、ただ苦しい、辛いとしか思えないようになって行きます。

最終的には、息をするのが辛いと思うようにさえなりました。

事務所はマンションの5階にあったのですが、ここから飛び降りれば楽になるんだろうな。死んでしまえば……と考えるようになっていったのです。

心療内科というものがあると知り、診察を受けると「自立神経失調症」という診断でした。いわゆる「鬱」です。それから、切れの悪い頭で、何とか治す方法はないかと模索したのです。

本の中に「自殺者の7割は鬱患者」という言葉をみては更に悲観。あのうっそうとした「鬱」という文字を見るだけで滅入ってしまうのです。そんな状態となり、当時付き合っていた彼女は去って行きました。

それでも迷惑を掛ける訳にはいかないと思い、引き受けていた仕事は完成させ、一旦事務所を閉めようと決めたのです。2001年の5月。30歳の時でした。この頃、知人を介し紹介されたのが、今の妻です。

事務所を閉め、急にやることが無くなったのですが、精神的には全く安定しません。

結婚前でしたが、妻が住むマンションへ行き、日がな本を読んだり、ゲームをしたり。昼間は近所の河川敷を走ったり。気ままに過ごしていたのですが、症状のほうはやはり変わらず。

事務所を閉める理由として、海外を見て回りたいと言っていました。鬱のときは決断力が乏しく、なかなか計画も進まないのです。

それでも、休業してから8ヶ月、ようやく旅にでました。2001年の12月、まずはバックパッカーの聖地、バンコクのカオサンストリートへ。

寒い日本から、腐臭ただよう蒸し暑いタイ。

30歳にして、初めて宿も、帰りのチケットもない旅に。街に着いた途端、何とか私から小銭をふんだくろうとするバンコクの人々。これは大変だなと、気を引き締めたのです。

それから3ヶ月。新しい街に着いては宿を探し、食料を確保。東南アジアをあてもなく彷徨いました。

それぞれの街で、決して裕福ではないけれど、人は逞しく生きています。

貧乏旅行とは言え、男性の日本人旅行者は、世界最高のカモです。こちらから話しかけずとも、あの手この手で、コミュニケーションをとってきます。それが面倒でもあり、楽しみでもあり。

旅の途中から、鬱のこと等すっかり忘れていました。

ホーチミンはフランス統治の影響か、安宿もなかなか良いのです。フォーで知られるように食べものも美味しく、屋上にはハンモックまでありました。

それに揺られ、旧正月を祝う花火をみていました。そして「日本に帰ろう。やっぱり建築設計しかない」と思ったのです。

日本に戻り、2002年の4月から仕事を再開しました。

年間3万人近くの自殺者がでてしまう日本。日に100人近くの人が、自ら命を絶つのです。私はその一線を越えていないので、自分が死の淵を見たのかは分かりません。

しかし、どうしようもなく死にたいと思った事があるのは事実です。もし身近に、そんな人がいたら、こう伝えたいと思います。

「あなたは本当に良く頑張った。何もかも投げ出して、一度自分を開放してあげたら。

一度や二度、何かを投げ出したからと言って、神様があなたを叱責するようなことはない。今まで十分に頑張って来たんだから。

仮に誰かがあなたを叱責しても良いじゃない。あなたの事を分ってくれる人は必ず居るから」

私は精神科医でも、セラピストでもありません。しかし、自らを追い込んでしまう人の気持ちは分るつもりです。

同じような悩みを抱えている人の、少しでも役に立てればとずっと思ってきました。何か行動を起こしている訳ではありませんが、そんな意思表示をしたいと思っていたのです。

そんな3年間を、自分なりに結論付けるなら、考え方の限界だったと思っています。当たり前ですが、嘆いても、落ち込んでも、前には進みません。どれ程消したい過去があっても、それも叶いません。全てを受入れ、今を精一杯生きるしかないのです。

人生、仕事は何にも替え難い経験です。全てをかけるに値します。しかし、命だけは別。人は生きる為に生きるのです。

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3月19日(火)■大阪の住まい力アップ:第1回 リフォーム・リノベーションコンクール ■で「住之江の元長屋」が戸建部門、最優秀賞を受賞しました

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好きこそが

 8月も2週目に入りました。

 今週を乗り切れば夏季休暇という人も多いのでは。

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 長男が3年生になり、一緒に行動する機会も減ってきました。

 しかし彼らは夏休み中。

 昨日はタイミングが合い、2人で鶴見緑地に行って来ました。

 公園内にある植物園が「咲くやこの花館」です。

 ここで食虫植物の展示があり、公開実験を見たいそうなのです。

 これがなかなか素晴らしく、CCDカメラまで使って解説がありました。

 食虫植物も光合成をしているので、虫を取らなくても生きて行けるそうです。

 「虫はおやつみたいなもの」と説明がありました。
微妙な気分です。

 長男は、かぶりつきで話しを聞いていました。

 また、実験後も、長い時間、お姉さんに質問していました。

 夏休みの自由研究も兼ねているのです。

 有名な塾講師がこんな話しをしていました。

 有名国立大学を出るも、なんとなく塾講師という仕事をしていました。心底打ち込めず、よくパチンコをしていたそうです。

 パチンコ屋で顔見知りになった、おっちゃんがよく競馬の話しをしてくれるのです。

 「あの馬は誰と誰の子供で、その父親はこういう馬で、更にその親はこんな馬で、その馬はこんな特性を持っていて、悪天候の時にはめっぽう強くって……そういえば○○年の××記念では……」

 そんな話を延々と聞いていた彼は「おっちゃん、それだけ勉強したらセンター試験でかなりの点数取れるで」と言ったそうです。

 そして気づきました。「好きやから、全く苦にならないんや。それどころか、楽しくて仕方がないんや」と。彼は英語の講師だったので、それからはいかにして、英語の面白さを伝えるかに、方針を変えました。

 生徒の成績は上がりだし、彼の塾講師としての礎を築いていったのです。

 どうすれば仕事の勉強の面白さを伝えられるのか。

 「仕事でも勉強でも、あなたが楽しくて楽しくて仕方ない、という取り組み方をしていれば、教育も何もいらないよ」と教えてくれた人がいました。
全くその通りです。

 結局ハエトリソウを買うはめになりました。1鉢600円。

 好きなら、世話も苦にならない、となれば良いのですが。

果てあるべからず

 昨日は、あべのハルカスへ。

 日本一高い展望台からの景色を見るつもりでした。しかし、上層階は未開業。

 2014年春オープンとなっていました。

 14階までの近鉄百貨店は開業中で、バーゲンの残り香を楽しんできました。

 はす向かいにあるキューズモールも、ほぼ初めて。

 2011年開業ですから、すでに2年が経っています。

 昔の風情を残すのも、天王寺駅北東エリアだけになりました。

 この古い商店街を抜ければ、17年前に事務所を設立したマンションがあります。

 私にとっては創業の地でもあるのです。

 昨日、家族はみな出掛けており別行動。一応私の誕生日なのですが……

 今朝、事務所でのミーティングが終わると、スタッフからプレゼントを貰いました。

 ブラックバス、ブルーギル、エビフライ、そして私のクッキー。

 女性スタッフの田辺さんだけでなく、1年目の田坂君も一緒に焼いてくれたそうです。 

 彼の力作は、ブラックバスとブルーギル。

 釣り好きだけあり、よく特徴をとらえています。

 田辺さんはエビフライと私。

 良く似ているとは妻の弁。

 ナニワ生まれのナニワ育ち。7月28日で43歳になりました。

 時々に思う言葉はいくつかあります。

 こんな日は、やはり世阿弥の「花鏡」から。

  是非の初心忘るべからず 
  時々の初心忘るべからず 
  老後の初心忘るべからず 
  命に終わりがあり、能には果てあるべからず 

 人は宝。総勢4名の小さな事務所ですが、彼らの幸せを実現出来るよう、粉骨砕身、働くつもりです。

 命に終わりはあっても、仕事に終わりはないのです。

見て桜、撮って梅

 火曜日は、昼の新幹線で品川へ。

 昨年夏にスタートした計画の、金額調整も最終段階。

 工事の契約までもう一息のところまで来ました。

 品川は初めて来た街で、本来ならうろうろしたいところです。

 しかしやや悪寒がし、まっすぐ打合せの場所へ。

 折角満開の桜も、ただ撮るだけになってしまいました。

 翌水曜日は、滋賀へ敷地調査に。

 その庭にあった梅の木が何とも味わいのある樹でした。

 桜は花弁の淡さゆえ、その美しさが写真では捉え辛いのが難点。

 梅は常に写真に応えてくれる花と言えます。

 見て桜、撮って梅。

 プロなら違うのかもしれませんが。

 フキノトウも顔をだしていました。

 季節感の違いが、その土地性を体感として知らせてくれるのです。

 その移動を楽しんでいたのですが、寒気が辛くなり病院へ。

 人生初のインフルエンザと分りました。B型だそうです。

 予防接種をしていたせいか、比較的軽症で済んだ気がします。

 スタッフには迷惑なのですが、今日もマスクで出所です。

 小中高、12年間無遅刻無欠席が私の自慢ですから。現場日記

後厄おわる

 昨日は節分、今日は立春ということで、晴れて後厄が終わりました。

 後厄は数えで43歳。私は1970年(昭和45年)の7月28日生れで42歳。昨年末で終わる。節分で終わる。2つの話を聞きましたが、立春を迎えた今日、間違いない終わったと言えそうです。

 この3年間「厄年だから~」という発言はしないと決めていました。言い訳やネガティブな言動が、いい結果を生むことはありませんから。

 昨晩、近所の神社を通ると、大きな焚火があがり、祈祷する声が聞こえてきました。

 行事の内容は分かりませんが、この時期にまつわるものでしょう。
厄除けで有名な門戸厄神のwebサイトにはこのような説明があります。

 「厄」には「苦しい、災い、節」という意味があります。そもそも「厄」は「役」に通じるといって、必ずしも「災難に遭いやすい」ことばかりが強調されてきたわけではありません。長い人生には要所要所で節目があり、肉体的、社会的にも様々な変化による区切りがあります。その節目にあたり、あらかじめ心の準備をおこたらないように昔人は「厄年」という習わしを考えたのです。

 この3年間、坐骨神経痛だったり、お尻を患ったり。確かに体のケアの必要な歳になったと感じます。しかし、社会のなかでの「役」が変わったとも思います。

 例えば、自分の成長のみを見ていても、事務所の成長には直結しない、というような事を思うのです。

 土日は、岸和田の浪切ホールでの建築展に参加していました。

 11組の建築家が、ブースを与えられ、その家づくりの楽しさを伝える、というのが目的。

 今回で参加は6回目になりました。

 ようやく自分のスタイルで、訪れた人を楽しませることが出来たのでは、と思っています。
 
 例えばこのASJも、新たな役割を求めて40歳頃に登録したものです。初回の事を思い出すと、いまでも何となく嫌な汗が出てきます。

 今日は、ひとつ節目を迎えた清々しい気分です。

 気にしていないと言いながら、今日という日を楽しみにしていた裏返しでもありますが。

子供とアルバイトに見えて、大人に見えないもの

 今週は前半から、妻と長男が風邪気味でした。

 長男の咳がひどいので、妻が病院に連れて行くと。

 火曜日は長女もプールがあり、進級テストの日。

 それで、私が連れて行くことになりました。

 娘も最近通い始めたのです。

 「凄く頑張っているから、一度見に行ってあげたら」とも言われていました。

 この日のテストは、息継ぎ無しのバタ足5m。

 そのくらいという事なかれ。手が離れても駄目、頭が上がっていても駄目、ヒザが曲がっていても駄目。

 このスミングスクール、厳しいので有名なのです。

 娘はぐんぐん進み、10mくらい泳いだでしょうか。

 そこで、コーチが止めました。

 結果は合格。

 合格者は皆の前に立ち、拍手でたたえて貰えるのです。

 4ヵ月で、見違える程上達していました。

 一際大きなワッペン。

 クラスが上がる度に貰えるワッペンを、楽しみに彼女は頑張ってきました。

 この試験は3回目の挑戦でした。

 着替えて出てくると、満面の笑み。

 進級だけが目的なら、週2回の練習をこれ程楽しみには出来ないはず。

 練習し、進歩、成長する喜びが、彼女のモチベーションになっているのです。

 以前、オープンデスクに来ていた女の子が、マクドナルドでのバイトの話をしてくれました。

 店内には完璧なマニュアルがあり、出来る事が増えて行くと、それこそ進級のようにランクがあがって行く。

 それによって、バイト代も上がるのでしょうが、その事を凄く嬉しそうに話していました。

 私にすれば、マクドナルドへの就職が希望なら別ですが、ここでのオープンデスクにもっと身を入れたら、と思っていたのですが。

 しかし、これは理にかなっています。自らの成長が動機になるなら、誰に言われるでなく、どんどん学び、勝手に伸びて行くのですから。

 今週も、教育者の在り方が引き続きメディアを騒がせています。

 体罰については月曜日に書いたので触れませんが、指導者の思い入れが、受け手の思いを超えてしまう事は良くあります。これは、スポーツに限らず、勉強、仕事でも全く同じ。

 子供の水泳とアルバイトには理想的なモティベーションが生まれるのに、肝心の実社会ではそれが難しいのは何故か。「目に見えての成長ではなくなるから」だと思っています。

 子供の頃、もしくはアルバイトなら、日々進歩して行きます。しかし、大人になり、技術、熟練が必要となる仕事が、目に見えて進歩できることは稀です。

 目に見えない、日々の僅かな成長を(大きい方が嬉しいのですが)、信じれるか。その積み重ねが大きな成果になりえると思えるか。このあたりが分岐点なのだと思います。

 知ったような事を書きましたが、チームのモチベーションを上げるのは簡単ではありません。私にとって、現在最も取組み甲斐のある課題です。

人類は進歩し続けるのか

 昨年の11月、こんな記事が出ていました。

 人類の知性は2千~6千年前ごろをピークにゆっくりと低下し続けているかもしれない――。こんな説を米スタンフォード大のジェラルド・クラブトリー教授が米科学誌セルの関連誌に発表した。

 人類の知性の形成には2千~5千という遺伝子が関係しており、ランダムに起きる変異により、それらの遺伝子は、働きが低下する危険にさらされている。

 一瞬の判断の誤りが命取りになる狩猟採集生活を送っていたころは、知性や感情の安定性に優れた人が生き残りやすいという自然選択の結果、人類の知性は高まっていった。

 真実かどうかは別にして、十分説得力のある話です。進歩発展を続けていると思っていた人類が、まさか後退していたとは驚きです。

 千年単位の話ではありませんが、思い当たる節がないではありません。

 一昨日、泉大津まで行っていました。

 所用でクライアントと会っていたのですが、帰りに「羽衣の家」をのぞいて来ました。 

 この仕事のオファーを貰い、私は独立しました。

 完成からはや15年。

 庭木も更に育ち、ちょっとした雑木林のようになっています。

 25、6歳の頃の記憶が、もっと言えば苦悩が、一瞬で蘇って来ます。

 まさに青春の1ページと言えば、少々青臭いでしょうか。

 42歳になったいま、当時より劣るものは何一つないつもりでした。が、先のニュースを読みふと思ったのです。私は進歩しているのだろうか、と。

 ―知性や感情の安定性に優れた人が生き残りやすいという自然選択の結果、人類の知性は高まっていった。―
 
 表現はオブラートに包まれていますが、冷静でなかった人類は獣の餌食になったという事です。
 
 不景気、就職難、デフレなど聞こえてきますが、生きることに命がけの時代に戻っただけのこと。ものは考えようです。
 
 このあたりは進歩したのか、ただ図太くなっただけなのか。