カテゴリー別アーカイブ: 04 建築

川の見えるアトリエ‐1218‐

 今日は朝から三田へ。

 ある企業から敷地調査の依頼がありました。

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 JR福知山線で大阪から50分程。

 武田尾あたりの景色見てると、ちょっとした旅情を駆り立てられます。

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 トンネル群を抜けると、一気に盆地が広がります。

 刈り取りを終えた田が広がり、まさに日本の秋といった景色。

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 JR三田駅は、すぐ南には神戸電鉄の駅が隣接しています。

 北側は、すぐ近くまで山並みが迫っています。暮らしに自然が近く、好感がもてます。

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 駅南側はローターリーが整備され、衛星都市の風景です。

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 一方、隣接する商店街は、昭和の面影を残します。

 こちらのほうが安心出来るのは、昭和40年代生まれだからか。それでも残って欲しいと願うのですが。

 三田での調査を終え、そのまま北浜へ移動しました。

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 北浜の顔と言えば、やはり大阪証券取引所。

 旧建物を保存し、背後のビルが建ったのは2004年。旧建物は1935年の完成で、長谷部竹腰の設計です。

 地下には飲食のテナントも入いりますが、そのような証券取引所は世界にないそう。

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 向かいにある、難波橋のライオン像も同じく北浜のシンボル。

 完全に、ヨーロッパの模倣ですが、それでも北浜の品格を保つのに、一役買っているのでは。

 その姿は威風堂々。

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 背後にある、中央公会堂周辺の木々も色づき始めていました。

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 橋のたもとでは、川をみながらお茶をする人達がみえます。たまには、こんな所でゆっくりする、余裕も必要かもしれません。

 近くにある会社を訪ねたのは、土佐堀川沿いに建つテナントビルへの移転計画のため。

 残念ながら当社ではありませんが。

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 何処に会社を置くかは、経営者の自由です。

 またどの会社で働くかも、働く人の自由です。

 1時間圏内に、三田と北浜があるように、日本には、本当に多種多彩な街があります。

 その中で、経営者が選んだ場所に建つ、働く人が響いた会社で、人は日々の営みを送るのです。

 設計事務所の良い所は、前向きな人達と深く関われることです。建築を考えている人で、ネガティブな人はほぼ居ません。

 およそ、アトリエ系のイメージとは遠い平野で15年程やってきましたが、川が見えるアトリエは昔からの目標でした。

 小さな土地でもいいので、できれば自社ビルを。

 感化され、ひとつ花火を打ち上げておきます。

新聞広告‐1216‐

 来々月、12月12日(土)にセミナーを開催します。

 本日の産経新聞、大阪市内版広告が出ていました。

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 写真は「滋賀の家」の夕景です。

 新聞広告を出すとは聞いていたのですが、日にちは聞いておらず。ちょっと早すぎる感もありますが。

 場所は、天六の住まい情報センターです。

 一緒に暮らすをテーマに話をしようと思います。時間がある方は、是非遊びに来て下さい。

甘みと苦味‐1215‐

 10日ほど前、芦屋川の旧山邑家住宅について書きました。

 設計者のフランク・ロイド・ライトと代表作である「落水荘」にも少し触れました。

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 私が訪れた際に撮った写真を、webサイトのtravelのページに上げています。

 先日、スーパーゼネコンの元設計部長の方から電話がありました。「リビングの写真が素晴らしいから使わせて貰えないか」というもの。

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 大学での講演を本にするという事でしたが、このようなオファーは時々あります。

 中でもアメリカのページからは、今回で3回目くらいでしょうか。

 私はプロの写真家ではないので、クレジットさえ入れて貰えれば出来る限り協力します。また責任も無いのでただ嬉しいだけ。

 これは、私が特別に写真が上手い訳ではなく、いくつか理由があります。

 質の高い一眼レフのカメラに、専用のレンズを付けて撮らなければ、建築は美しく撮れないのです。

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 今日も「宝塚 RC打放しの家」のへ行っていましたが、現場へもこのカメラを持って行きます。

 そうでなければ、空間の全体像を捕らえるのが難しいのです。

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 加えて、35mmのズームレンズも。

 光と影を撮る際に、まったく空気感が違うのです。

 また、長く設計事務所をやっていると、テレビ関係からも時々オファーがあります。

 テレビとなると、クライアントの了解が出ない場合が多いのが現実です。今月初めにも、テレビ番組のオファーがありました。

 この時は、クライアントはOKしてくれたのですが、結局は流れてしまいました。

 このような事をご褒美とするなら、失敗や苦難は人生におけるスパイスのようなものでしょうか。

 勿論失敗など無いに越したことはありませんが、苦味の効いていないビールもコーヒーも、歯ごたえのないものです。

 「日々を丁寧に生きる。そして苦渋はなめつくす」

 長嶋茂雄はこう言いました。

 可能なら避けたいですが、自身を成長させるのは、苦味であるのは間違いないようです。

どこに住もうか‐1214‐

木枯らし一号が吹き、いよいよ冬の気配が色濃くなってきました。

しかし、今日も良い天気です。

少し前になりますが、10月10日(土)は京都へ行っていました。

丸善・京都本店で、日本建築家協会が主催する「住宅無料相談会」に参加していました。

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連休中ということもあり、秋の京都は人出が多い。

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丸善・京都本店は、この夏リニューアルした京都BALの地下にあります。

若い夫妻がわざわざ大阪から相談に来てくれました。

「職場の関係で、概ね住むエリアを決めているもの、何から始めて良いのか……」

こういった悩みをもって居る人は結構居ます。制約が少なければ少ない程、土地探しは簡単でないのです。

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2007年に来所した「池を望む家」のご夫妻も、職場の関係から、概ねのエリアは決めていました。

しかし、①崖の土地、②閑静な住宅地、③池のほとりと、3つの土地で迷っていました。

ご主人は、高校生の頃、悩みがあると大阪城の堀を見ていたことを思い出したそうです。

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そして、池を望む家を建てました。

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RC打放し「高台の家」のクライアントは、ご主人が仙台、奥さんが京都の出身です。

色々な土地を見れば見るほど迷ったと言います。自分達が住みたい場所とは?

多くの敷地を見に行った後、自分達は「坂のある街」が好きなのだと分ったのです。こちらは11月末に竣工予定。

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「松虫の長屋」は、ご主人が暮らした四軒長屋の中央二軒をリノベーションすることにしました。

母と同居でなければ結婚出来ないと言ったそうです。

思い切って2階に光庭をとりました。来月初めに撮影の予定で、楽しみにしています。

スティーブ・ジョブズもこう言っています。

 自分の内なる声、心、直感というのは、どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、もうとっくの昔に知っている。だからそれ以外のことは二の次でいい。

もし、自分達の住む場所を探している人がいたら、大いに悩み、好きを見つけて欲しいと思います。

答えはあなたの心の中以外にないのです。

勿論、これは土地探しだけに限ったことではありませんが。

ライトその生涯‐1212‐

 運動会も、昨日で一段落でしょうか。

 秋晴れの中、阪急芦屋川の旧山邑家住宅へ行っていました。

 夜、川沿いでライトアップされれいる住宅と言えば分りよいでしょうか。

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 近代建築の三大巨匠、フランク・ロイド・ライトの設計で、1924年の完成。

 南向きの山肌に、張り付くような住宅です。

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 東にある急な坂は、ライト坂と呼ぶそう。知りませんでした。

 ライトは、ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエと比べても、環境を取る込むのが巧みです。

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 1階の車寄せからは、低い山手の景色が切り取られています。

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 その上にあるのが応接室。

 中央に石造りの暖炉がありますが、それらを暮らしの中心に据えました。

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 西には芦屋川があるので、高低差のある景色を望めるのです。

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 そして南側に小さなバルコニー。ここでも、見事な景色が切り取られています。

 将来、どのような開発が行われるかを、想像していたかのようでさえあります。

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 3階は個室が並び、4階にはダイニング。

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 ダイニング前には、南に大きく伸びたバルコニー。

 4層が北側にずれながら、実に見事に環境を取り込み、成立させています。

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 深い庇により、水平線が強調されたデザインも、ライトの特徴です。

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 その庇の軒を見上げると、斜めのスリット状に刻まれた天窓。

 みればみるほど、ぐうの音も出ないほどのディティールです。

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 柔らかい大谷石がふんだんに使われています。

 相当な費用、技術、そして理解がなければ実現しなかったはず。CG等無い時代ですから。

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 ライトは26歳で独立。そして42歳までの頃に、第一期黄金時代を迎えます。しかし、65歳までの間、不遇、不幸な時代がありました。

 クライアントの妻とヨーロッパへ逃避行し、2年後に帰国。設計依頼は激減しました。

 さらに、私塾であり、自らの事務所であった、タリアセンで放火、殺人事件まで起こります。

 スキャンダルを起こす建築家をマスコミは追い回し、ライトは海外へ活躍の場を求めました。

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 山邑邸が完成した1924年はライトが58歳の時。1922年、東京に完成した帝国ホテル(愛知県明治村にて保存)と、それらのオファーは渡りに船だったのです。
  
 その後、落水荘を発表したのが1936年69歳の時。これによって、見事な復活を遂げました。

 1959年、92歳の時、ニューヨークのグッゲンハイム美術館の建設中、その生涯を終えます。

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 第一次黄金期も、不遇も、不幸も、ましてや逃避行もありません。

 それでも、仕事をしていればそれなりに、色々なことが起こります。ライトに比べれば、天保山程度ですが。

 また、彼はタリアセンで、自給自足の生活をし、多くの国々の若者を育成しました。

 私がライトから学べるように、空間は人類の共通言語と言えます。 

 今度、入社試験を受けるのは、韓国人の若者です。日本人の若者が定着しないなら、世界中の若者と働くまで。

 世界には200カ国あるのですから。

SAGA佐賀‐1204‐

昨日の夕方、泉大津港をでました。

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今朝6時に新門司に到着。この連休は、佐賀、長崎をまわります。

最近は、船旅の人気が高まっていると聞きました。

泉大津から乗る阪九(はんきゅう)フェリーは今回が初めてですが、造船したばかりの新艇です。

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いろんな点が改善されていました。

4人部屋の2段ベッドが、はしごから階段に変わったのは大きな改善点です。

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フェリーの旅の醍醐味は、ゆっくり流れる時間ですが、揺れは本当に小さくなりました。

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波が小さかったにしろ、揺れを意識することはほぼありませんでした。新しい技術が投入されているのでしょう。

新門司から佐賀へ行く途中、久留米へ寄りました。久留米と言えば、チェッカーズ、松田聖子も出身地。

久留米市役所は菊竹清訓の設計で、1994年の完成です。

建築は、写真が良いものと、実物が良いものがありますが、完全に後者でした。

昼までに、佐賀県の吉野ヶ里遺跡まで移動しました。

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弥生時代後期の環濠集落が復元されていますが、日本最大級のもの。

物見やぐらが付随した竪穴式住居が十数棟あり「魏志倭人伝」に記された国の一つではと考えられています。

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入口にある吉野ヶ里歴史公園センターは2000年の完成。菊竹清訓の設計です。

菊竹清訓については、何度か触れました。

関西なら、2003年に解体されましたが、万博公園のエキスポタワーが分り易いでしょうか。

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実は、久留米から吉野ヶ里あたりまで、菊竹家の土地だったそうです。

それが、戦後の農地解放によって、殆どを失うことになります。

2000年完成のこの建物は、コンペだったのですが、そんな因縁もあり、何とか勝ちたいと思っていたそうです。

そこで勝つあたり流石ですが、さらに面白いのはこの建築の構造です。

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このキール式ドームは、あの新国立競技場のコンペで、ザハ・ハディドが提案した構造に似ています。

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見下ろした姿が、どことなく似ている感じもしますが、彼はアンビルドの王様とは言われていません。

自邸は空に浮かせ、建物全体が雨どいの建築を実現させているのです。

常に新しいものを提案し、現実のものとしてきました。それだけに、非難を浴びた建築もあるのですが。

1800年前の集落をみて、15年前のキール式ドームをみて、実際に、同じような感激があるのです。

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先程、長崎に着きました。

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金沢と共に、私が最も美しいと思う街ですが、前回訪れたのは4半世紀前。

今日はグラバー邸だけで、明日はゆっくり回ります。

最後は、あの歌で。

『佐賀県』 歌・作詞・作曲:はなわ

SAGA さが 松雪泰子も佐賀~ でも公表してねえ~

江頭2:50も佐賀~ でも公表するな~

佐賀県民には申し訳ないのですが、これはこれで凄い曲です。

<目指せ、家族で47都道府県制覇>

42/47 【】は済み
【北海道】
青森  岩手 宮城 秋田 【山形】【福島】
【茨城】 【栃木】 【群馬】 【埼玉】 【千葉】 【東京】 【神奈川】
【新潟県】 【富山】 【石川】 【福井】 【山梨】 【長野】 【岐阜】 【静岡】 【愛知】
【三重】 【滋賀】 【京都】 【大阪】 【兵庫】 【奈良】 【和歌山】
【鳥取】 【島根】 【岡山】 【広島】 【山口】
【徳島】 【香川】 【愛媛】 【高知】
【福岡】 【佐賀】 【長崎】 【熊本】 【大分】 【宮崎】 【鹿児島】
沖縄

裏をみせ 表をみせて 散るもみじ ‐1202‐

 日曜の天気予報は二転三転して晴れになりました。

 奈良へ行っていたのですが、帰りになら100年会館へ寄ってきました。

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 なら100年会館は、JR奈良駅の西側にある多目的ホール。開館は1999年ですが、私が大学生の頃計画が発表されました。

 設計は磯崎新で、そのパースを見て「実物を見てみたい」と強く思ったものです。実際見たのは昨日が初めてでしたが。

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 楕円の平面に、更に大きな楕円を重ね、アプローチとしています。

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 外壁は、工場生産の打放しコンクリートパネル。

 この有機的な曲線に、瓦のようなタイルが貼られています。

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 内部空間もその形状が活かされているのです。

 磯崎新は、東京都庁等を設計した丹下健三事務所出身のエリートです。1960年代から第一線で活躍し続ける建築家。

 現在84歳ですが、私が初めて見た作品は、1984年完成の西脇市岡之山美術館でした。

 他にも色々見に行きました。 

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 2006年の1月、奈義町現代美術館。

 岡山県北部の山手にあり、自然の美しいところです。

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 荒川修作+マドリン・ギンズ、岡崎和郎、宮脇愛の為の美術館で、とても分り易いコンセプトで創られています。

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 荒川修作らとコラボレートした円筒状の館があります。

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 この建築自体が劇術作品なのです。

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 彼の出身は大分で、九州にも多くの作品があります。

 北九州市立美術館は1974年の完成ですが、2014年の8月に訪れました。

 プリツカー賞こそ受賞していませんが、海外での受賞暦も華々しいものがあります。生きる巨匠と言って間違いありません。

 年初から『建築における「日本的なもの」』という彼の著書を読んでいました。

 結論が分らない程ではありませんが、分り易い文章ではありません。(文末に抜粋しておいたので、興味がある人はどうぞ)

 自分のよりどころにしてきた文章があります。

 人々にとって何等かの生きるよすがと成り得ない小説を、私は一作たりとも書きたくない。

 私は複雑で高邁なものは信じないし虚無に対して常に反抗的である。

 それぞれの場所で傷ついたり挫折したりしながらも、なお闘おうとしている人々のために、私は小説を書いてきたし、またこれからも、そうであり続ける。

 -宮本輝-小説家

 磯崎が創る建築は分り易いのですが、ロジックは難解です。

 難しい事を平易な言葉で伝えることがプロの仕事だと思ってきました。しかし、難しい事を知らなくて良い訳ではありません。

 真理に近付きたいと勉強して来たが、逆のことが足りていなかったのでは。

 磯崎の仕事を見てそんな事を考えます。

 裏をみせ 表をみせて 散るもみじ -良寛-

 光と影、正義と悪。単純と複雑。表だけ、裏だけで進むことは出来ません。

 生きるとは、単純で複雑なものです。

大人と子供の現場見学‐1201‐

 今日は「宝塚 RC打放しの家」の、コンクリート打設でした。

 クライアントが休みを取って、現場に来てくれたのです。

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 まず、「我が家の」ミキサー車の前で記念撮影。

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 4歳の娘さんは、マイヘルメット持参でした。

 ブカブカのヘルメットは嫌なので自分で持って行くと言ったそうです。

 その想像力に感激しましたが、流石は親子とも思いましたが。

 打設現場の見学はクライアントたっての希望でした。

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 狭い足場用の階段で、一番高いところまで全員で登ったのです。

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 現場は危険な所ですが、このタイミングで、建設中の自邸を見ることに比べればと思います。

 既に強度の出ている1階も一緒に見て回りました。

 娘さんのテンションも上がってきました。彼女はいつもムードメーカーなのです。

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 今日の現場は、怒声が飛び交っていました。

 コンクリート打放しはやり直しが出来ません。よって、現場には緊張感が漂うのです。

 子供にしろ、大人にしろ、本気で働く大人の姿を、どのくらい見る機会があるのだろうと思います。

 そういう私も、本気の姿を子供に何回見せたことがあるのか……

 多少現場に迷惑を掛けようとも、アトリエmは常に現場見学を推進します。

青い目の建築家‐1189‐

 4以下は無いものとし、5以上は次の位に上げる。四捨五入は、かなり乱暴な概算法です。

 アラフォーという言葉も、この概念に沿ったもの。一昨日、45歳になったので、アラフィフ入りしました(言わない?)。

 誕生日の日、船場ビルディングで開催されていた「心斎橋大丸 原図展」を見に行きました。

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 7月24日(金)、大丸心斎橋店の営業を今年の12月30日で一旦終え、建替えることが発表されました。

 設計者、ウィリアム・メルレ・ヴォーリズは1905年に英語教師として来日。

 布教者、建築家、メンソレータムで知られる近江兄弟社設立と、いくつもの顔をもちます。「青い目の近江商人」と言われた所以です。

 建築家としては教会建築をはじめ、関西学院大学、神戸女学院大学など、多くの学校施設も手掛けました。

 心斎橋大丸は1933年完成の代表作。2003年に解体された、村野藤吾設計のそごうと共に、長くミナミのランドマークであり続けたのです。

 J.フロントリテイリングは、町並み保存のため、御堂筋側の外壁を残す方向で検討を進めるとしています。

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 今回の展示は、日本建築家協会(以下JIA)の保存再生部会が主催、一粒社ヴォーリズ建築事務所等が協力しての開催です。

 会場のある船場ビルディングも、1925年完成の近代建築。

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 エントランスを入ると、中庭が見えます。

 完成当時から、馬車が入り易いようスロープとし、木レンガが敷き詰められています。

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 中庭は4層の吹抜け。

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 空が見える、気持ちのよいビルです。屋根が無いところがいい。

 残念ながら、展覧会内の写真は不可でした。

 心斎橋大丸も元々は、中央が大きな吹抜けで、上部の屋根は全てステンドグラスで覆われていました。しかし、戦争の爆撃で破壊。現在の状態となったそうです。

 写真が残っていたのですが、スケールの大きな空間で、主催者はここまで復元してはどうかと言っていました。

 主張はよく分ります。

 阪急百貨店建替えの歳、伊東忠太設計のコンコースは移築され、現在はレストランのインテリアとして使われています。

 スライス、貼りもの感があり、お世辞にも素晴らしいと言えません。新阪急に、小林一三が旧阪急に掛けた情熱を上回わっている部分は無いと思っています。

 私は全保存、もしくは完全建替えの2択しかないと思います。勿論、現代の技術の粋を集めた、全保存を望みます。

 一度は諦めた建築家になる夢を日本で実現し、そして帰化。「青い目の建築家」ヴォーリズの情熱を上回らなければ、成功はないでしょう。

 嫌々保存では駄目だと思うのです。

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 船場ビルディングのすぐ南にはJIA近畿支部の入る、綿業会館があります。

 こちらも1931年の完成。渡辺節設計の名作です。街には、モチベーションを上げる要素が溢れています。

 慎ましい暮らしですが家庭があり、小さな会社ではありますが、共に戦ってくれる社員がいる。現実より素晴らしいものはありません。

 たった1歳ですが、40寄りか50寄りかで、印象は随分違います。

 孔子の言葉を借りるなら、不惑と知命の稜線に立っていることになります。40歳を過ぎ、迷いはありません。では私の天命とは。

 人類の文明的、文化的発展に貢献する建築を創造すると共に、従業員の物心両面の幸せを追求する。

 仕事がなければ、無用の中年。明治38年、アメリカから渡ってきた25歳の若者にできて、自分にできない理由はありません。

 経営理念と共に誓います。

安藤だからこそ万能ではない‐1186‐

 今日は海の日で祝日。

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 この連休は湖にいたので、私にとっては湖の日でした。

 先週金曜日、安倍首相は、国立競技場コンペのやり直しを発表しました。

 最優秀案に選ばれたザハ・ハディドと共に、注目を集めることになった安藤忠雄。この国際コンペの審査委員長でした。

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 2006年1月9日 住吉の長屋。

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 2006年4月29日 本福寺水御堂。

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 2014年11月4日 TOTOシーウィンドウ淡路。

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 2012年5月4日 西田幾太郎記念館。

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 2006年2月19日 光の教会。

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 2015年1月3日 光の美術館。

 今までに、かなりの数の作品を見て来ました。

 安藤は、シンプルで、秩序ある構成に、ミルマル(最小限)な表現を追求して来た建築家です。

 一方、ザハ・ハディドはアンビルド(実現しない)の女王の異名をとる通り、奇抜で複雑な建築を得意にしています。

 審査委員長を務めた彼が、建設計画を説明する有識者会議を欠席し、かなりのバッシングを受けました。

 食道ガンに続き、すい臓を全摘出していたとあり驚きましたが、勿論出席すべきだったと思います。

 コストコントロールの責任が誰にあるのかが、重要な焦点だと思いますが、少し調べるだけで、分かり辛い、また不可思議な構造が見えてきます。

 今回は国際コンペであるが故、デザイン案をコンペで選び、日本の設計チームが法的、技術的な部分をチェックする、「デザイン監修者+設計者」という構成になっています。

 ザハ・ハディドはデザイン監修者で、法的に設計の責任は負いません。

 クライアントである、日本スポーツ振興センター(JSC)が、その選定を委託したのが審査委員会で、その長が安藤です。

 日本の設計チームとは、どのような段階で、どのような契約になっているのかは知りません。

 また、技術的に大変難易度が高い屋根部分は、競争見積りでなく随意契約となっているようです。

 参考までに、当事務所が、クライアントに企画案を提出し、契約までの流れを書いてみます。

 オファーを貰うと、まず会って話を聞きます。

 要望、動機を聞かせて貰い、先方も提案をして欲しいと思い、私達も提案したいと思ったなら、プランを練って行きます。

 そして、基本計画図面、模型等を作成し、設計料を示した上でプレゼンテーション。

 今回も問題となっている工事費ですが、この時点では詳細な実施設計図がないので、正確には分かりません。

 過去の全作品のデータに照らし合わせて、要望の工事費に、何とか納まるだろうというプランを模索するのです。

 「全ては予想ですが、希望の金額になるまで、減額案を考え続けます。ベストを尽くしますが、絶対という約束は出来ません。しかし、共に戦って頂けるなら、とことんやります」

 こう付け加え、判断を仰ぐのです。

 実施設計、法的チェックをクリアするには、膨大なマンパワーが必要です。全て描き上げ、見積りを取った上で、判断を仰げれば一番良いのですが、それは物理的に不可能です。

 計画が、進むことになれば実施図面を描きあげ、競争見積りに入ります。最も希望に近い施工会社数社と折衝、減額案を積み重ねながら、金額を合わせて行くのです。

 私のやり方だけが正しいとは思いませんが、今回のコンペ、またその後の進め方で、コストの責任を取るべき人は誰なのか。

 結論を言えば、居ないのです。

 ザハは自分の思うデザイン案を提出し、安藤を長とする審査会は、与条件にしたがって選考し、決定。

 デザイン案を出す人と、設計者が同じでないと、このような事が起こります。実現出来るシステムになっていないのです。

 民の仕事をする私達が、これだけの責任を負って仕事をしているのに、国家プロジェクトになると、途端に関係が緩くなる。

 それなら、国家プロジェクトの仕事をしようかと思います。今回のコンペに参加する資格を、当事務所はまだ満たしておらず、それは適わないのですが。

 今はこの世にない仮説を、共に実現するのが、クライアントと建築家の関係です。

 互いに求め合ってこそ、意味があると思うのですが。

 何事も極めれば、万般に通ずという考え方もありますが、建築はどうもそのようなジャンルで無い気がします。

 おそらく反対で、角の立った主張に、あるクライアントが反応し、何かが始まるものではと思います。

 世界の安藤は創るプロフェッショナルですが、評価するプロではありません。当然オールマイティではないし、むしろ最も角張った人だったはずですが。

 あくまで私の知りえた情報での判断ですが、責任無きところに、成功なし。

 当然の結果だと思います。