タグ別アーカイブ: 心斎橋

知れば知るほど恐ろしい……‐1783‐

 
 心斎橋から西へ3ブロックほど歩くと、ロイ・リキテンスタイン作の『OSAKA VICKI!』が見えてきます。

 クリスタ長堀の空調装置が入った建物があまりにも殺風景なので、地下街をプロデュースしたデザイナーが直接リキテンスタインへ依頼したそう。1997年のことです。

  アンディ・ウォーホールやキース・ヘリングと共にポップアートの第一人者だった彼に依頼した理由が「ここはアメリカ村の入り口。アメリカを象徴するものが必要だと思った」と。

 思わず笑ってしまいました。

 最近よく心斎橋界隈を歩きますが、結構古いビルが多いなと感じます。

 オーガニックビルから少し西へ行くと、昆布の老舗小倉屋がありました。

 小倉屋はオーガニックビルのオーナーですが、そのギャップに驚いてしまいました。

 難波神社の境内に入ると、急に空が開けます。

 お宮参りらしいご家族がいました。

 何となくですが、商売をされているのかなと想像します。
 

 紅の花は梅か桜か。

 いずれにしてもミナミで働く人たちにとっては、一服の清涼剤です。

 日曜日の産経新聞に、千葉公慈さんの書いた『知れば恐ろしい日本人の風習』が紹介されていました。

 「神」や「社」の「示(しめすへん)」は、供えた生贄の血が台座から滴るさまを表したそうです。赤や朱は邪気を払う色とされ、血の色をした小豆も珍重されました。いつか先祖供養と結びついたのが「彼岸にぼた餅」。

 腑に落ちたと同時に、知れば恐ろしい「示(しめすへん)」のいわれでした。
 

 先週で20日間のオープンデスクを完走した学生が、その感想を送ってくれました。

 5件の現場が同時進行中なので、荷物持ちに全現場へと連れて行きました。

 「3つの庭を持つコートハウス」は地鎮祭に。

 「The Longing House」は3回くらい連れて行ったはずです。

 背が高いので、何処に居ても直ぐ分かります。

 「おいでよhouse」は、竣工一歩手前まで見ることができたのを、とても喜んでいました。

 「H型プランの平屋」はほぼ全面RC打ち放しで、木造とは違った緊張感を感じたでしょう。

 竣工後に現場日記を公開する予定のフルリノベーション。

 手前味噌ですが、ここまでのリノベーションはそうありません。建築家を目指すなら、刺激的な景色だったはずです。

 彼の感想の中に、以下のような行がありました。

 初めて所長にお会いした際、所長はどこを切っても建築家の血がでてくるとおっしゃっていました。それを聞き私は、ここは戦場である、生半可では何も得れない、と思うと同時に必ず全力で戦おうと決意しました。

 どのような話をしたのか忘れたのですが「学生なので、全力で取り組めれば結果は問わない。ただ、ここは真剣勝負の場なので、ダラダラしていたり、皆の雰囲気に悪影響を与えるようなら辞めて貰うよ」とはいつも伝えます。

 アトリエmのwebサイトに「WORDS」というページを作っています。

 響いた言葉を、年1回程度UPするのですが、一番はじめの言葉は次の通りです。

 血が男に流れているかぎり不可能ということはない
 - D・バグリィ- 作家

 男であれ、女であれ、学生であれ、人として誰もが平等です。そのことは声高に叫ばれますが、仕事人として誰もが平等ではないことが、語られる機会はほぼ無いような気がします。

 ある程度の敬意を持って参加してくれる学生になら、そこは伝えてあげたいと思うし、伝えるのが私の役割だとも思っているのです。

 理由はありません。私が男で、建築家の血が流れているからなのだと思います。

 古代の間違った思想ですが、邪気を払うには生贄の血が必要と考えられました。間違ってはいますが、その思想が全く理解できなくもありません。

 成長や成功に労苦が伴わないことはまずないからです。

 ただそれなら、動物の命ではなく、自分の労苦によって全ては叶えられるべき。知れば知るほど、恐ろしい風習があったものです。

■■■1月27日 『Best of Houzz 2021』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

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【News】
■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記

大阪ハコもの日和‐1778‐

 昨日は心斎橋に出ていました。

 交差点の正式名称は「新橋」ですが、「心斎橋」のほうが通りは良いでしょう。

 南を見ると、左側に大丸が見えます。

 その先には、ナンバヒップス。

 パチンコ施設ですが、設計者は高松伸さんです。

 4年前に偶然会食する機会を頂きました。

 大規模建築であればあるほど、オリジナリティを発揮する建築家と言って良いと思います。

 中央の砂時計のような空間には、当初はフリーフォールがあり衝撃的でした。

 反対に「新橋」から北を見ると、左手に黒いビルが見えます。

 マリオット・インターナショナルが展開するラグジュアリーブランド「W大阪」は間もなく開業のようです。

 デザイン主導で設計するという言葉通り、なかなかに切れ味鋭いデザイン。

 設計は日本設計ですが、設計顧問に安藤忠雄が就いているとのことで、オープンが楽しみなところです。

 敷地調査にやってきたので辺りを歩いたのですが、周辺は大阪屈伸の高級ブランド街でもあります。

 ファッションだけでなくフェラーリの店舗もありました。

 W大阪の足下まで来ました。

 ホテルはある程度最大公約数をとらざるを得ないケースが殆どだと思います。

 オープン前なので、これが最終形なのか分かりませんが、内部が全く見えないとはなかなか思い切っているなと感じていました。

 それで今日調べてみると、そのコンセプトが分かったのです。

 「ハコもの」という言葉はバブルの弊害と言ったニュアンスが含まれていると思います。

 また住宅は指さない言葉でしょうか。

 ただ、建物は植物ではないので勝手に生えてはきません。間違いなく誰かの意思と意図が反映されているのです。

 そのまま御堂筋の西へと入っていくと、オーガニックビルが見えてきます。

 大阪で最も面白いビルのひとつでしょう。

 この日も、小牧ナンバーの車を止めて一眼レフで撮影している女性が居ました。

 設計はイタリア人建築家、ガエターノ・ペッシェ。

 他に類がないように、日本人ではここまではなかなか思い切れないことを、施主である昆布の老舗、小倉屋山本の経営者は見抜いていたのでしょうか。

 施主の叔母が、作家・山崎豊子さんと知り、やはり血筋というものはあるのだろうと思っていました。

 色合い、コンセプトとも唯一無二のものだと思います。

 同じ創り手として、名作には多少嫉妬心が入るのですが、ここまでくると全くそういった感情が湧いてこないから不思議です。

 久し振りにこの辺りも歩きました。

 私も一眼レフを持っていたので、職業柄パシャパシャとやってしまいます。

 あんなところにmarimekkoの店舗があったのか、とか。

 このあたり、アメリカ村の北にあるのでカナダ村と呼ばれていたこともあるそうです。

 フェラーリの店舗から一本中に入ると300円の餃子屋さんまで。

 これこそがミナミの真骨頂でしょう。

 写真を撮っていて思ったのですが、良い季節は御堂筋のイチョウが写るので、多少日が長くなった今こそ、ハコもの撮影日和かもしれません。

 15年程前に受け入れたオープンデスク生にこう言われたことがあります。

 「住宅だけを設計だけしている人を、僕は建築家だとは思いません」

 カチンときましたが、反論するのも大人げないので「そうだね。それが君の考え方ならそうなんだろうね」と答えました。

 その彼は、大手ディベロッパーにアルバイトとして就職したことを喜んでいました。1年間頑張れたら、正社員に昇格するというオプション付きだそうです。

 仕事を始めてすぐに大きな仕事がくることはありません。

 どんなに小さなリノベーションの仕事でも、私の仕事を求めて下さり、その条件を受け入れてくれたクライアントの為に、命以外の全てを捧げて来たつもりです。

 少しずつ認知して頂き、店舗、クリニック、オフィスなど、住宅以外の仕事も依頼頂くようになりました。

 住宅がハコものより簡単であることはありません。懸命に働いたお金で建てる訳ですから、非常にシビアな目で設計者も選ばれるはずです。

 その方々に選んで貰えるよう、自分なりに精進してきたつもりです。

 建築家と言う国家資格はありません。それは誰かに与えて貰うものではなく、宣言するものであり、生き方です。

 元オープンデスク君。今君が建築家なら、今度はミナミのハコもので勝負だ。心しておきなさい。

 そんな事を今でも覚えていることが大人げないのかもしれません。

 ただ、もしかすると本気で反論した方が、彼の為には良かったのかもと思いだすこともあるのです。

■■■1月27日 『Best of Houzz 2021』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

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【News】
■12月28日発売『suumoリフォーム(関西版)』にインタビュー記事掲載
■10月23日『homify』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■9月11日発売『リフォームデザイン2020』「回遊できる家」掲載
■5月16日『homify』(英語)の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行に巻頭インタビュー掲載

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

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ブランドの盛衰とリアル無印‐1609‐

 今日から8月です。

 全国的にも暑い日が続きます。

 入道雲を見ると、やはり海へ行きたくなるのです。

 旧暦で言えば、落ち葉が舞い落ちるから葉月。

 旧暦と新暦ではズレがあるので、新暦なら葉が青々として葉月でしょうか。

 心斎橋筋商店街は、大阪で最も人の密度が高い場所のひとつです。

 娘の服を探すのに、心斎橋から難波まで歩きました。

 心斎橋側の入口横にはユニクロの旗艦店があります。

 2010年の完成で、設計は藤本壮介。同年代の建築家で、やはり刺激になります。

 ファーストリテイリング社の柳井さんへプレゼンテーションした際、即決だったとありました。

 新聞に流通業界の売り上げランキングが載っていましたが、イオン、セブンアンドアイに次いでユニクロ要するファーストリテイリング社は3位。

 三越伊勢丹を抑えてで、このブランドがどれだけ日本に浸透しているかが分かります。

 ここは小売の甲子園とも言える場所なので、勢いのあるブランドを感じることもできます。

 学生時代は沢山あったDCブランド等は、撤退しているところもありました。

 ドンキホーテの観覧車もすでに道頓堀名物。

 50年以上この場所を死守しているグリコにも、反対の凄みを感じるのです。

 この鞄屋さんも全く変わらずでした。

 高島屋前まで1.5kmくらいでしょうか。

 高島屋前で90度東に向きを変え、なんば南海通りに入ります。

 少し進めばなんばグランド花月。

 新喜劇座長の酒井藍とすっちーが居ました。

 いずれも着ぐるみですが。

 角の「たよし」も40年以上前からあると思います。

 時期が時期だけに、あちこちでカメラが回っていました。

 笑福亭仁鶴、中田カウス・ボタンから、大木こだま・ひびき、そして矢野・兵頭、テンダラーまで。
 
 吉本新喜劇ともに、揺れに揺れる、吉本ブランドを長年支え続けてきた強者たちの金看板が並びます。

 ブランドの語源は、自分の家畜を見間違わないよう押した焼き印、「Burned」からきていると言われます。

 そこから派生して、銘柄を表す「brand」となりました。元の意味にブランド=高品質は含まれていません。

 しかし、「ブランド=過去への信頼」と言う事はできそうです。

 当社にも、軽い感じで「ブランディングしますよ」のような電話が掛かってきます。

 私の知らないこともあるでしょうが、食べ物ならいくらブランディングしても、美味しくなければ見放されてしまいます。

 面白くない芸人など論外。戦略の前に質があるのは間違いないでしょう。

 若いということは、反発することに等しく、世間という実態の分からない巨人と戦ってきたという感はあります。

 面白いことに、建築という極めて高価なものだからこそ、実績の無い私にもチャンスがあったような気がします。

 比率で言えば少数派でしょうが、これは実感としてあるのです。

 それを20年以上続けてきた今、自社がブランドを目指しているのか、あくまで少数派でよいと思っているのかは微妙です。

 建築には「定礎」という物があります。大きなビルなどの基礎部分に「○○年○月竣工 設計○○ 施工○○」などの記載がある石板がそれです。

 それらが美しさを損なうなら、不要だと私は考えてきました。

 となれば、やはりブランドは目指していないのでしょう。

 ただ、あの建築の設計者は誰なんだとなったとき、見つけて貰えるくらいの発信力は必要です。

 言うなれば無印良品のタグを外した、本物の無印良品を目指すことになるのです。

 そのハードルが高いことは承知していますが、そんな気持ちが心の底のほうにあるから、モチベーションが落ちることがないのだと思います。

 暑い夏。更に情熱を込めて。

 暑苦しいのは承知の上なので、ご容赦下さいませ。

■■■『大改造!!劇的ビフォーアフター』7月21日(日)BS朝日で「住之江の元長屋」再放送
■■■『デンタルクリニックデザイン事典vol.1』4月1日発売に「さかたファミリー歯科クリニック」掲載

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【News】
『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀
ギャラクシーブックスから2017年11月27日出版
amazon <民家・住宅論>で1位になりました
■『homify』5月7日「碧の家」掲載
『houzz』4月15日の特集記事
「中庭のある無垢な珪藻土の家」が紹介されました
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載されました
大阪ガス『住まう』11月22日発行に「中庭のある無垢な珪藻土の家」掲載
『住まいの設計05・06月号』3月20日発売「回遊できる家」掲載
『homify』6月29日「回遊できる家」掲載

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青い目の建築家‐1189‐

 4以下は無いものとし、5以上は次の位に上げる。四捨五入は、かなり乱暴な概算法です。

 アラフォーという言葉も、この概念に沿ったもの。一昨日、45歳になったので、アラフィフ入りしました(言わない?)。

 誕生日の日、船場ビルディングで開催されていた「心斎橋大丸 原図展」を見に行きました。

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 7月24日(金)、大丸心斎橋店の営業を今年の12月30日で一旦終え、建替えることが発表されました。

 設計者、ウィリアム・メルレ・ヴォーリズは1905年に英語教師として来日。

 布教者、建築家、メンソレータムで知られる近江兄弟社設立と、いくつもの顔をもちます。「青い目の近江商人」と言われた所以です。

 建築家としては教会建築をはじめ、関西学院大学、神戸女学院大学など、多くの学校施設も手掛けました。

 心斎橋大丸は1933年完成の代表作。2003年に解体された、村野藤吾設計のそごうと共に、長くミナミのランドマークであり続けたのです。

 J.フロントリテイリングは、町並み保存のため、御堂筋側の外壁を残す方向で検討を進めるとしています。

11 - コピー

 今回の展示は、日本建築家協会(以下JIA)の保存再生部会が主催、一粒社ヴォーリズ建築事務所等が協力しての開催です。

 会場のある船場ビルディングも、1925年完成の近代建築。

13 - コピー

 エントランスを入ると、中庭が見えます。

 完成当時から、馬車が入り易いようスロープとし、木レンガが敷き詰められています。

17 - コピー

 中庭は4層の吹抜け。

19 - コピー

 空が見える、気持ちのよいビルです。屋根が無いところがいい。

 残念ながら、展覧会内の写真は不可でした。

 心斎橋大丸も元々は、中央が大きな吹抜けで、上部の屋根は全てステンドグラスで覆われていました。しかし、戦争の爆撃で破壊。現在の状態となったそうです。

 写真が残っていたのですが、スケールの大きな空間で、主催者はここまで復元してはどうかと言っていました。

 主張はよく分ります。

 阪急百貨店建替えの歳、伊東忠太設計のコンコースは移築され、現在はレストランのインテリアとして使われています。

 スライス、貼りもの感があり、お世辞にも素晴らしいと言えません。新阪急に、小林一三が旧阪急に掛けた情熱を上回わっている部分は無いと思っています。

 私は全保存、もしくは完全建替えの2択しかないと思います。勿論、現代の技術の粋を集めた、全保存を望みます。

 一度は諦めた建築家になる夢を日本で実現し、そして帰化。「青い目の建築家」ヴォーリズの情熱を上回らなければ、成功はないでしょう。

 嫌々保存では駄目だと思うのです。

21 - コピー

 船場ビルディングのすぐ南にはJIA近畿支部の入る、綿業会館があります。

 こちらも1931年の完成。渡辺節設計の名作です。街には、モチベーションを上げる要素が溢れています。

 慎ましい暮らしですが家庭があり、小さな会社ではありますが、共に戦ってくれる社員がいる。現実より素晴らしいものはありません。

 たった1歳ですが、40寄りか50寄りかで、印象は随分違います。

 孔子の言葉を借りるなら、不惑と知命の稜線に立っていることになります。40歳を過ぎ、迷いはありません。では私の天命とは。

 人類の文明的、文化的発展に貢献する建築を創造すると共に、従業員の物心両面の幸せを追求する。

 仕事がなければ、無用の中年。明治38年、アメリカから渡ってきた25歳の若者にできて、自分にできない理由はありません。

 経営理念と共に誓います。