タグ別アーカイブ: 建築家、大阪

執筆依頼‐1229‐

 御堂筋のライトアップも、それ程寒さを感じさせず。

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 暖かい12月です。12日(土)は、天六「住まい情報センター」でのセミナーでした。

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 予約は12人と聞いていました。

 今回、新聞広告も出して貰ったので、当日申し込みもあるかなと想像していたのです。

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 結果は7名。

 申し込みはしたが、やっぱり辞めておこうとなったのは、こちらの魅力の問題です。

 もっと話を聞きたいと思える建築家になれるよう、努力、研鑽する他ありません。

 しかし、90分時間があったので「家づくり」について、ゆっくり話ができたと思います。
 
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 セミナーの終了後、階下で展示しているパネルのところで少し相談も。6名が降りてきてくれました。

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 紹介した実例の1つが「滋賀の家」。テーマもはっきりしており、楽しそうな住宅になったと思っています。

 年明けには、住宅誌の取材も決まりました。まだ、雑誌名は伏せておきますがこちらも楽しみです。

 12月に入ってすぐ「執筆依頼」というメールが届きました。

 「一般の方と建築家が近くなる本の執筆を依頼したく……」という内容で、先週、編集者の方と会ったところでした。

 先ほど、社内会議で企画が通ったと連絡がありました。

 編集者は元スポーツマンで「当社のwebサイト、ブログを見て、想いや伝えたいことを形に残る書籍化にすることで、より素晴らしさが伝わると感じた」書いて貰いました。

 高校の頃、建築家とは別に憧れた職業として、タレント、プロレスラー、画家、小説家がありました。

 前の2つは半分冗談ですが、その共通点は自由ということです。自分の才能、体だけで生きている姿に、潔さを感じていたのです。

 誰でも書ける「文章」が商品になるなら、小説家こそが究極の仕事だとも思っていました。2004年から、この日記を書いているのも、憧れの延長線上にあるのかもしれません。

 マーケティングの言葉を誰もが聞くようになった通り、高度情報化社会は、絞り込みのほうへと進んでいます。

 その側面を否定する気持ちはありませんが、誰でも出来るもので、競争し、磨き、勝りたいという気持ちが常にあります。

 本を出版するのを人生の目標にして来た訳ではありませんが、こんな機会もあるのかなとは想像していました。

 全て、仕事と並行して進めるのでスケジュールの件などはこれからです。

 建築家として、何が書けるのか。未知の領域に入っていくのは、何ともワクワクするものです。

幸せはサークルになっている‐1227‐

 今日は朝から、岸和田にて地鎮祭でした。

 12月の寒さを感じさせない雲一つない青空。

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 その後、場所を移してな直会の場を設けて貰いました。

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 岸和田城すぐ南にある、がんこ岸和田五風荘。

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 紅葉がまさに盛りで、2時間があっという間でした。

 早速、現場日記を始めなけれなりません。

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 また「長田の家」は、今日が棟上げ。快晴の大安でした。

 昨日は、芦屋の奥池にある、小篠弘子・芦屋ギャラリーへ行っていました。

 1981年、安藤忠雄の設計した小篠邸は、住吉の長屋と共に、初期の名作です。

 増改築を経て、現在はギャラリーとなっているのです。

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 学生時代から写真でしか見たことがなく、正直、近づくだけで胸が高鳴ります。

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 アプローチの手法は、TOTOシーウィンドウと似ています。 

 元は個室棟だったのが大空間に変わり、メインギャラリーとなっていました。

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 斜面に向けての開口が、見事に紅葉を切り取っています。

 館のスタッフによると、小篠弘子はもともとは画家になりたかったそう。まるで色彩が呼応しているよう。

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 いくからか手が加わったとは言え、その手法は変わっていません。

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 反対に、メインギャラリーと向かい合う棟は、あまり手が加わっていません。


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 最初に増築された元寝室も、展示室になっていました。

 国立競技場のコンペで、色々言われている安藤ですが、やはり只者ではありません。腕は確かです。

 糊口を凌ぐ為に仕事をしているつもりはありませんが、日常は忙しなく、つい目的を見失ってしまいがちです。

 そんな時、自分にとっての頂きを見ることは、いつも目的を明確にしてくれるのです。

 宮沢賢治は「あらゆることを、自分を勘定に入れずに」と言いました。

 そこまで出来れば良いのですが、この恵まれた社会で生きてきた私達にとって、簡単なことではありません。

 クライアントを幸せにし、社員を幸せにし、それによって自分の幸せも叶えさせて貰う。

 自分は、最後に付け加えさせて貰えば良いのではないかと思っています。

 このサークルの良いところは、無理がないので、長続きするのです。

暗愁のゆくえ‐1226‐

 大阪に元気がないと、よくメディアに書かれてます。

 周りの人は皆忙しそうで、そういった認識は、ほぼありません。多少の反発も込めてですが。

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 しかし「大大阪」と呼ばれた時代と比べたら、そうは言えないかもしれません。

 明治から昭和に掛けて、その中心地は北浜でした。当時のランドマークが大阪証券取引所なら、現在はザ・北浜か。

 地上54階。建設当時は日本一高いマンションのふれこみでしたが、現在も一番なのでしょうか。

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 このあたり、当時の建物が多く残ります。

 ザ・北浜の南西にあるのは青山ビル。

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 1921年の完成です。

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 蔦に覆われた姿が代名詞ですが、冬枯れの姿も、それはそれで味わいがあります。

 街には、学ぶべきものが沢山あるのです。

 7年ほど前、この界隈で、マンションのフルリノベーション計画を進めていました。

 高層マンションからの眺めを最大限に生かした、浴室のやり替えがメインの計画。ビル管理会社と遣り取りし「何とかなりそう」とあたりをつけまいた。

 提案したプランも気に入って貰い、実際に契約。しかし、計画はとん挫しました。

 浴室部分に係る費用を詰めて行くと、予想を大きく上回る金額になりました。それが叶わないならと、計画はストップしたのです。

 契約をして貰う前に、もっと入念にリサーチしていたら。浴室の提案も、もっと他の方法があってのでは。

 非常に悔いの残る仕事になりました。北浜に来ると、いつもこの計画を思い出します。

 作家・五木寛之は、喜びや元気、笑いといった”プラス思考”だけを強調する風潮を憂慮しています。

 「明治時代には悲哀や憂いといった暗愁を理解する人間が尊敬された。人間は泣くことでもたましいが浄化できるように、”悲”が持つ重さをもう一度振り返ってみるべきだ」

 「暗愁のゆくえ」という講演での言葉です。

 誰も、明るい、強いが好きですが、マイナスの出来事が、自分を鍛えてくれます。

 とことん深く悔やみ、それが済んだら、前を向いて進むしかありません。

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 阪急のコンコースにイルミネーションが灯り。

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 ディスプレイの飾りつけが済んだら、いよいよ年末。

 良い新年が迎えられるよう、ギアを一段上げてラストスパートです。

フィニッシュのイメージを持つ‐1225‐

 一度告知したのですが、12月12日(土)、住まいの情報センターでテーマでセミナーを開催します。

 「○○と一緒に暮らす」

 ペット、両親、姉妹など、様々な暮らし方をどのように実現したかという切り口で、話をしてみたいと思います。

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 現在、予約は10名程のよう。良ければ遊びに来てください。

 併せて、12月2日~12月28日まで「滋賀の家」、「黒壁の家」、「住之江の元長屋」のパネルを展示しています。

 こちらも先程、設置をすませました。

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 都心部でも、季節感のある木々があるのは、有り難い限りです。

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 庭木のモミジも、ここに来てようやく色づき始めました。

 11月も今日が最終日。
 
 今月が何日までだったか思い出すのに、未だに「ニシムクサムライ」と唱えます。

 平安京遷都は「ナクヨうぐいす」、5の平方根は「フジサンロクオウムナク」。

 私は暗記が苦手で、数限りなくゴロに助けられてきました。ゴロとは風景、イメージと言えそうです。

 円周率は3.141592……ですが、記憶世界一の人は、数字列をストーリーに置き換えていると聞いたことがあります。

 これを連続する風景と考えれば、情報量を異次元のレベルにまで引き上げられる証拠だと言えそうです。

 一時、サッカーの試合を見ていた頃「フィニッシュのイメージが出来ていない」という解説を良く聞きました。

 にわかサッカーフアンとして、勝っては欲しいのですが、90分のゲームを楽しませて貰うことが重要で、その真意が分りませんでした。

 当たり前ですがが、サッカーは1点でも相手より多くゴールし、勝つことが目的なのです。

 仕事も勝ちたいという気持ちがなければ、何より、結果を出すと決めなければ、パス回しには意味がないのです。

 この事が腑に落ちてから、スタッフへの指導方法も変えました。

 「フィニッシュのイメージを持つ」

 文字の起源が数千年前なら、人としてのイメージの起源は数百万年前。

 こちらの方が得意なのは当たり前なのかもしれません。

能力と言うよりは、姿勢‐1224‐

 歯だけは、現状維持が最高の状態です。

 半分程が治療済みとなった今、もっと本気で歯磨きしていたらと、悔やんでも悔やみきれません。

 どうすればせめて子供に、この気持ちが伝えられるのか。

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 2004年に完成した「つるみ歯科クリニック」も11年目に入りました。内壁の塗装遣り替えなどもしてもらい、美しく保って貰っています。

 予約が1ヶ月先しか取れない程、地域の人達に愛されているのが、何より素晴らしいこと。

 院長夫妻、スタッフの皆さんのホスピタリティーの賜物です。

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 3~4ヶ月に一回、歯のメンテナンスに通っていますが、先週は妻、娘と、3つのチェアを独占していました。

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 偶然だったようですが、自分達が設計したクリニックで、家族が見て貰えるのはやはり幸せです。

 娘は小児矯正、妻はメンテナンス、私だけ、 奥歯の違和感がある箇所を見て貰いました。

 私は、寝ている時の歯軋りが結構ひどいそう。で、先生にも「奥歯でくいしばっているから、歯が割れているところがいくつかありますよ」と。

 違和感はそこが原因のようで、昔の詰め物をやり替えて貰うことになりました。

 麻酔をし、詰め物を削ることになったのですが「痛かったら、左手を上げてください」と言われます。

 しかし実際には、手を上げる前に「大丈夫ですか」と聞いてくれます。水が飛ぶからと、目の上にはタオルが掛っているにも関わらずです。

 コミュニケーションの70%は、言葉以外でおこなわれると聞きました。痛いという感情が、口周りを見るだけで分ると考えれば、そうかもしれないと思えます。

 ここ5年程で、ズドンと心を射抜かれたような言葉がいくつかあります。

 コミュニケーション能力とは、相手の気持ちを察知できるということだが、能力というよりは姿勢。そういった性質が性格の中に備わっているかどうか。

 -経営コンサルタント 石原明-

 能力と言うと、何か数値で表せそうなものに聞こえますが、姿勢とか性質、性格と言ったほうが、適切な気がします。

 先日は就職希望で、韓国の若者が入社試験を受けましたが、残念ながら採用とはなりませんでした。

 イタリア人スタッフを採用し、言葉の部分が30%であるかもしれないと本当に思っています。

 しかし、その為には普段より大き目のジェスチャーで、単語レベルですが多少英語を交えながらと、私なりに気を付けています。

 能力と言うよりは姿勢。しかし、これは簡単に他人が変えれるものではありません。

 リーダーの役割とは「そうか!」と、思わず声を上げたくなるような言葉、問いかけを出来るかだと、つくづく思うのです。

BBQが入社試験なら‐1217‐

 今日の大阪は久し振りの雨でした。

 昨日から11月に入りましたが、10月は本当に雨の少ない月でした。

 明日が「松虫の長屋」の撮影で、気を揉んでいましたが、何とか晴れてくれそうです。

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 雨予報がずれて、日曜は晴れ空に。

 滋賀県の朽木に行っていました。知人がバンガローをとってくれたのです。

 大人7人、小学生が7人。初対面の子もいましたが、打ち解けるのに大した時間は必要ありません。

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 男子チームは、大きな滑り台を逆走して上がっていきます。

 誰も居ないのでよしとしょう。

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 土曜の晩は、BBQを準備してくれていたのですが、この日はハロウィンでした。

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 調子のりの3年生が居ると、かなり盛り上がります。

 人気者=被り物好きの構図です。

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 お母さん方の仮装はありませんでしたが、カボチャをくり抜いての力作でした。

 入社試験として、皆でBBQをする会社があると聞きます。

 周りは見えているか、協力しながら料理を進められるか、人の役に立とうと思っているか。なるほど、試験にはうってつけです。

 炭の前に陣取って動かない人は、生き物としてのバイタリティーは強いのですが、チームプレーである仕事では、危惧せざるえません。

 この日は、女性5名、男性2名と、ほぼ女子会。のんびりと楽しい会でしたが。

 もし試験をするなら、炭が濡れている、ライターのガスが切れている等、トラブルを含んでおいたほうが良いかもしれません。

 反対にもし自分が試験を受けるなら、飴でもいいので、少し口に入れられる物を持って行きたいところです。

 お腹が空きすぎて、良い仕事など出来る訳がないと思っていますが、これは反則でしょうか。

 お腹が空くのは本能です。それを、精神でコントロール出来るかは、人間性に大きく関わっている気がするのです。

 しかし、こんな事を書いてしまうと、もう誰も誘ってくれないかもしれませんが。

新聞広告‐1216‐

 来々月、12月12日(土)にセミナーを開催します。

 本日の産経新聞、大阪市内版広告が出ていました。

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 写真は「滋賀の家」の夕景です。

 新聞広告を出すとは聞いていたのですが、日にちは聞いておらず。ちょっと早すぎる感もありますが。

 場所は、天六の住まい情報センターです。

 一緒に暮らすをテーマに話をしようと思います。時間がある方は、是非遊びに来て下さい。

ぼやきの言う一流の条件‐1211‐

 最近、長男が野球に興味を持ち出したと書きました。

 朝、出来るだけ一緒に練習しています。

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 しかし、2人でのバッティング練習はなかなか大変で、父にも玉拾いをして貰っています。

 私は小学校4年で本格的に少年野球を始め、中学3年まで野球部に所属していました。ショートかサードでレギュラーを外れたことはありませんでした。

 他の野球少年と同じく、プロ野球選手になりたいと思ったものですが、それは叶いませんでした。

 最近、ようやく「野村ノート」を読みました。

 プロ野球界において、知将といえば野村克也。弱小をチームを何度も優勝に導いた手腕は、だれもが評価するところです。

 ただ、テレビで見るぼやきが好きでなく、憧れの現役選手をバカにしているようで、なかなか手に取れなかったのです。

 野球論は置いておきますが、冒頭から、いきなりハッとされられます。

 われわれの時代はそれが当然だったが、親に楽をさせたいという思いが一流と呼ばれる人達の原動力だった。逆に言えば、一流とよばれる人間で親を大切にしない者はいなかった。親孝行とはすなわち感謝の心である。この感謝こそが人間が成長していくうえで最も大切なものである、というのが私の持論である。そして、そうした成長の集大成がチームとしての発展につながっていく。

 全く苦労をしていないとは言いませんが、何不自由なく大人になり、自分の好きな仕事をさせて貰っています。

 両親とも元気で、今も仕事をしてくれています。

 野村克也は、現在の京丹後市の出身で、今は亡き「白馬の山小屋」のクライアントは同級生でした。

 当時の話を聞くと、間違いなく生活は楽でなかったばずです。

 親を楽にさせてやりたい。そんな思想は、微塵も持ったことの無い私からすれば、想像がつかないほどの大変さだったのだと思います。

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 空き地が沢山あった70年代と違い、野球をするのも一苦労です。

 旅先の佐賀県で、広い芝生公園を見つけて。

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 近所のバッティングセンターで。

 以前、スポーツの語源について書きました。「de」は否定で「仕事をではない」。つまり「遊び」という意味です。

 野村の教えと共に、楽しみながら苦労をしてくれたらと思います。

 一流の条件。

 これは親に限ったことでは無いと思いますが、自分に足りないものは数限りなくあれど、一番足りていないのは……

 秋の夜長が、そんなことを考えさせるのか。 

素晴らしきシャバの世界‐1207‐

 急遽、母校の文化祭に参加することになりました。

■10月3日(土)13:00-15:00高槻高校文化祭の相談コーナーに参加します■
3日(土)、4日(日)『大改造!!劇的ビフォーアフター』
 映像が紹介されます

 今日から10月ですが、生憎の雨。

 秋晴れが続いていましたが、雨がなければ食物も育ちません。

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 金色に染まりだす田を見て、実りの秋を実感します。

 「あちこちでお茶できる家」のご主人の家系には、代々の田が有りました。

 本業は別なのですが、この時期、刈り入れで打ち合わせが難しかった事を思い出します。

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 先週末、事務所に15kgの米袋が届きました。

「宝塚 RC打放しの家」の奥さんのお父様から、送って頂いたのです。

 仕事をリタイアした後、自分達が食べる、娘家族が食べる分を作っているとのことでした。

 申し訳なく思いましたが、先日刈り入れたばかりの、本物の新米です。スタッフの皆で分け、有り難く頂きました。

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 イタリア人のマルコは「今までこんな新しい米を食べたことがないので、とても甘かった」と言っていました。

 私の弁当も、当分の間は新米です。

 銀シャリと対をなす、くさい飯とは刑務所の食事を指します。

 刑務所の食事も、随分良くなったそうですが、勿論食べたことがないので分りません。

 しかし、銀シャリがシャバの象徴だった時代が長くあったのは事実です。

 先日、こんな話を聞かせてもらいました。

 プロ野球の世界、バッターの話です。

 100回の打席で、ヒットが20回以下 → 年棒 0円

 100回の打席で、ヒットが25回   → 年棒 2千万円

 100回の打席で、ヒットが30回   → 年棒 1億円

 100回の打席で、ヒットが35回   → 年棒 5億円

 何れもプロの選手ですから、野球は上手いのです。しかし、100回の打席で、5回、6回の差で、年棒は0円になってしまいます。

 10回違うと、0円と1億円の差。

 「これこそが、私達の生きるシャバの世界ですよね」と。

 この話を聞いてハッとしました。

 プロ野球の世界を特別なものと見ていましたが、全く同じ世界に、自分達も生きているのだということに。

 「くさい飯」も「シャバ」も俗語で、好ましい言葉ではありません。

 しかし、長男がこよなく愛する銀シャリくらいは、腹一杯食べさせられるよう頑張らなければなりません。
 
 世の中は常に競争です。

 素晴らしくも厳しい。それがこのシャバの世界だったのです。

裏をみせ 表をみせて 散るもみじ ‐1202‐

 日曜の天気予報は二転三転して晴れになりました。

 奈良へ行っていたのですが、帰りになら100年会館へ寄ってきました。

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 なら100年会館は、JR奈良駅の西側にある多目的ホール。開館は1999年ですが、私が大学生の頃計画が発表されました。

 設計は磯崎新で、そのパースを見て「実物を見てみたい」と強く思ったものです。実際見たのは昨日が初めてでしたが。

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 楕円の平面に、更に大きな楕円を重ね、アプローチとしています。

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 外壁は、工場生産の打放しコンクリートパネル。

 この有機的な曲線に、瓦のようなタイルが貼られています。

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 内部空間もその形状が活かされているのです。

 磯崎新は、東京都庁等を設計した丹下健三事務所出身のエリートです。1960年代から第一線で活躍し続ける建築家。

 現在84歳ですが、私が初めて見た作品は、1984年完成の西脇市岡之山美術館でした。

 他にも色々見に行きました。 

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 2006年の1月、奈義町現代美術館

 岡山県北部の山手にあり、自然の美しいところです。

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 荒川修作+マドリン・ギンズ、岡崎和郎、宮脇愛の為の美術館で、とても分り易いコンセプトで創られています。

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 荒川修作らとコラボレートした円筒状の館があります。

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 この建築自体が劇術作品なのです。

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 彼の出身は大分で、九州にも多くの作品があります。

 北九州市立美術館は1974年の完成ですが、2014年の8月に訪れました。

 プリツカー賞こそ受賞していませんが、海外での受賞暦も華々しいものがあります。生きる巨匠と言って間違いありません。

 年初から『建築における「日本的なもの」』という彼の著書を読んでいました。

 結論が分らない程ではありませんが、分り易い文章ではありません。(文末に抜粋しておいたので、興味がある人はどうぞ)

 自分のよりどころにしてきた文章があります。

 人々にとって何等かの生きるよすがと成り得ない小説を、私は一作たりとも書きたくない。

 私は複雑で高邁なものは信じないし虚無に対して常に反抗的である。

 それぞれの場所で傷ついたり挫折したりしながらも、なお闘おうとしている人々のために、私は小説を書いてきたし、またこれからも、そうであり続ける。

 -宮本輝-小説家

 磯崎が創る建築は分り易いのですが、ロジックは難解です。

 難しい事を平易な言葉で伝えることがプロの仕事だと思ってきました。しかし、難しい事を知らなくて良い訳ではありません。

 真理に近付きたいと勉強して来たが、逆のことが足りていなかったのでは。

 磯崎の仕事を見てそんな事を考えます。

 裏をみせ 表をみせて 散るもみじ -良寛-

 光と影、正義と悪。単純と複雑。表だけ、裏だけで進むことは出来ません。

 生きるとは、単純で複雑なものです。