タグ別アーカイブ: アトリエm

心の庭にまく水は、感謝か称賛か承認か‐2310‐

4月に入り、街ゆく人たちの動きも軽やかに見えます。

最近、アトリエ内には緑が増殖中。

子育てが終了した妻の癒しだそうです。

毎日霧吹きで水をやり、日当たりの良い場所に動かし、甲斐甲斐しく世話をしています。

アトリエで多くの時間を過ごすので、緑はもちろん大歓迎です。

打合せの花瓶に活けてあった桜の枝は、あっという間に満開になりました、

月初からの入社試験を軽くクリアした彼は24歳です。

大学の建築学科を卒業して2年。様々な経験を積み、当社の門を叩いてくれました。

1996年の創業以来仕事も増え、2020年頃まではスタッフも育っていたと思います。

しかし新型コロナあたりを境に入社希望者が減り始め、年々それは顕著になっていきました。

同業者に聞いてみると、多くは同じようですが、仕事とスタッフ育成の、どちらも上手くやり遂げている会社もあります。

2025年の2月に上町に移転し、第3期アトリエmをスタートしましたが、チームの拡充は最優先課題です。

緑は道ゆく人からはどう見えるのでしょうか。

仕事も、見るとするとでは全く違うものになります。

単に甘やかすことはNGですが、やはり「育てる」という心構えが大事なのだと感じています。

京セラ創業者の稲盛和夫さんに盛和塾で教えて貰った、哲学者、ジェームス・アレンの言葉です。

心の庭に種を蒔き、毎日雑草を抜き、手入れをしなければ美しい花が咲くことはないのです。

また、子供に愛情を注がない親はいません。

考えてみれば、同じことを社内でも実践するだけです。

ということは、妻に学ぶべき?

心の庭にまく水は、感謝か称賛か承認か……

同じ轍を踏まぬよう、成熟したチームとなるよう、何とか前進したいと思います。

何より、この会社を選んでくれたことに報いなければなりません。


■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

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上町界隈の名店⑤「鮨 東野」‐2309‐

アトリエのある上町は、地下鉄の谷町6丁目と玉造の中間くらいに位置します。

「隠れた」と書くと怒られそうですが、周辺には、パン屋、ケーキ屋、ラーメン店などが結構あります。

それらを紹介するのが「上町界隈の名店」シリーズ。

第5弾は「鮨 東野」。

アトリエから歩いて2分くらい。もう目と鼻の先です。

最終発表で合格が決まってすぐ、娘に「何を食べたい?」と聞くと、間髪なく「お寿司!」。

こちらのお店は「鮨」ですが。

20時からカウンター席が取れ、お祝いに行ってきました。

カウンターと半個室が1部屋の店内はまだ新しく、移転してきて2年だそう。

醤油の場合は刷毛で塗ってくれるスタイル。

娘の大好物、シマアジです。

貝好きの私は赤貝。

炙った金目鯛は濃厚な味わい。

生姜が乗ったサヨリも非常に良かったです。

関西ではやはり鯛。

芽ネギが同じレベルで美味しかったのには驚きました。

天ぷらは、鱚とアスパラ。

固すぎないホクホクタイプで、大変おいしゅうございました。

スダチとブリカマは鉄板。

画的にはあまり映えていませんが、一番好きだったのはアナゴ。

甘さ、醤油加減、食感とも素晴らしかったです。

シャリが人肌くらいの温かさで、そこも新鮮でした。

一番驚いたのはお代。あまり飲まなかったとは言え、3人で2万円くらい。

閉店の22時まで、十分に堪能させて貰いました。

1人暮らしを始めたら、なかなか寿司にも行けないだろうと奮発しましたが、父親にも優しい店でした。

子育てが終了した妻は、友人とどんどん食事に出掛けだし、新しい店を開拓中。

そのおこぼれに私が預かるという構図です。

まあ、家族が幸せであればそれで良いのですが。

子供たちが帰省した時、4人で寿司が恒例化したとしたら……

やはりチチハタラクの構図はまだまだ続きます。

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もう一度行きたい!美しく、美味しい街ミラノ‐2294‐

昨日は、朝からクライアントと打合せでした。

上町のアトリエ前もかなり激しく雪が降り出しました。

車での来社だったので、雪が積もらないかハラハラします。

夕方には晴れ空に変り、杞憂に終わってくれました。

国民の義務、投票にも行ってきました。

あまりにも慌ただしく、腹に落ちないことが色々ありますが、それでも投票となると難しいものです。

ただ、選挙という戦略だけは止めて欲しいと思うのです。

そんな政治とは無縁の世界、ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピックが開幕しました。

再三登場するミラノのドゥオーモ。

本当に美しい、ゴシック建築の傑作でした。

内部空間も圧巻ですが、白の繊細な外観が素晴らしく上品なのです。

ミラノは2012年の8月に家族で旅しました。

妻の親友がミラノっ子と結婚し、暮らしているのです。

自宅にも泊めて貰いました。

子供も同じような年代で、この頃は毎年のように交流していました。

ご主人は料理が抜群に上手で、パスタは完全にお店の味。

イタリア人なら誰でも上手という訳ではないのだと思いますが、さすがイタリアと感じたのです。

ミラノは食だけではありません。

ミラノスカラ座広場にあるレオナルドダヴィンチ像です。

そのダビンチの「最後の晩餐」を観れる、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会も勿論訪れました。

娘は4歳でほとんど覚えていないそう。

それだけが残念ですが、このくらいの年代で無いと、なかなかまとまった休みが取れないのも事実です。

ご主人に、市場へも連れていってもらいました。

何を見てもいちいち美味しそう。

ドゥオーモのすぐ横にあるのがガッレリア。

テレビのミラノ紹介で「幸せの雄牛」というモザイクが紹介されていました。

雄牛の急所にある窪みにかかとをのせ、3回時計回りに回ると幸せになれるそうです。

知らなかったなと思いながら写真を見返してみると、ありました。

しっかり回っている所を娘が見ていました。

私の記憶などあてにならないものです。

ミラノの市街地はアスファルトではなく石畳です。

ミラノっ子は車で街に戻ってくると、ガタガタとした振動で「ああ、ミラノに帰ってきた」と思うのだそうです。

この話が大好きで、これまでも何度かここで書きました。

街を愛するということは、こんなことだと思っているのです。

ミラノは本当に美しく、美味しい街というイメージしかありません。

同じ街に2度行くよりは、少しでも多くの街を訪れたいと思っていますが、数少ない例外がミラノなのです。

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■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

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「ずれ」にまつわるエトセトラ‐2293‐

一時と比べると、少し寒さが緩みました。

これも立春効果でしょうか。

難波宮跡公園にサザンカが咲いていました。

2023年の初めまで住んでいた、古家の庭にあったことを思い出します。

寒さが緩む少し前。

首がこって、こって仕方なく、ちょっと頭痛までしてきたので、整骨院に行ってきました。

問診の後「姿勢を見てみますね」と写真を撮って見せてくれました。

首の傾き3度、肩のずれ31%と、結構ずれている感じ。

「首と腰が大分張ってますねえ」とのことで、針治療もしてもらいました。

恐々でしたが痛みもほぼなく、ちょっと様子を見てみようと思います。

あくまで対処療法なので、根本の姿勢を直していくしかないのですが。

「意識のずれ」とか、「感覚のずれ」等、「ずれ」という言葉に、ポジティブなイメージはありません。

しかし建築においては別です。

コンクリートのCUBEを、1階と2階でずらしたのが「下町のコンクリートCUBE」です。

2階部分をずらすことで、縁側的な空間をつくりました。

南西方向へ斜めにずれているところがポイントです。

張り出した部分が、近隣からの視線もコントロールしています。

それが大きな開口部があってもプライバシーを守る役割を果たしているのです。

「高台の家」では、ずれてできた2階の空間を重要視しました。

解放的な郊外型の住宅において、プライバシーを守れるアウトドアリビングを作り出しています。

近隣と最も段差のある南東方向は、視線を気にする必要がありませんでした。

その方向には空港があり、それも含めて景色を楽しめるよう開口を設けています。

家族でいつでもBBQを楽しめる空間になりました。

屋外との緩衝帯の役割も果たし、室内空間の質を高めているのです。

反対側の張り出し部には庇を加え、駐車場としています。

「没頭できる家」は、縦方向にずらしました。

音楽室を半地下にすることによって、まず防音効果を高めています。

LDKとの繋がり方も、面白さが増しています。

秘密基地のような空間となっているのです。

縦方向のずれによって、更に魅力的な空間が生まれました。

2階バルコニーより低く、1階からは寄り付けない空間です。

この部分をキャンプ場としたのです。

地下は、地上階の1.5倍のコストが掛かると言われます。

しかし、その他の部分を極限までシンプルにすることで、かなり金額的には抑え込みました。

最後は、ずれをデザインに活かした「ダイヤモンドカットの家」です。

敷地周辺は、物作りの街で工場が立んでいます。

トラックの通行なども多く、できるだけ道路から離れたいところです。

しかし離れれば離れる程、南側からの日当たりが悪くなるので、2階部分は北側にずらしました。

そのことによって、1階部分の日当たりを確保できているのです。

明るいLDKには、カウンターも設けています。

子供さんが勉強を大好きになってくれたと聞き、本当に嬉しい限りです。

2階は北側に90cmずらしたのですが、起点となった部分と斜めに結ぶことで、魅力的な造形になることが分かってきました。

ちょこっとずれから生まれた形です。

「ずれ」が魅力的な空間を生むことが分かって頂けたでしょうか。

ただ、自分の体のずれと、世間とのずれはNGなので、そちらの方はずれがないことを目指したいと思います。

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アトリエ+住居緑化計画と、上町界隈の名店④「揚げたて天ぷら から天」‐2292‐

長堀橋から北に堺筋を4ブロック行くと、東側に堺筋倶楽部があります。

結婚式を挙げたところなので思い入れもありますが、現在はカフェとしてかなり繁盛しています。

結婚式は今もできるのでしょうか。

その堺筋倶楽部の2軒隣にあるのが大阪総合園芸センターです。

かっちりした名前ですが、中に入るとまさに質実剛健といった感じ。

所狭しと、花、切り枝、鉢植え等が並んでいました。

しかも基本的に値札の半額なのです。

2階だったか、胡蝶蘭が並ぶ景色は圧巻でした。

4階建てですが、屋上にはオリーブ等のやや大きな鉢植えもありました。

ミカンも発見。

もう都会の中のオアシスです。

今年初の桜も愛でてきました。

未だに車を持ってこれていないので、緑化自転車で持ち帰ります。

アトリエ、住居部とも少しずつ緑が増殖中なのです。

緑を購入する前に、上町界隈の名店で昼食を取りました。

空堀商店街の丁度真ん中あたりにある「揚げたて天ぷら から天」。

11時の開店ですが、少し前に着くとすでに8人程が並んでいました。

カウンター9席プラス、奥にテーブルが1つなので13席といったところでしょうか。

1巡目で席に着けましたが、11時半頃には満席になりました。

私は「空堀天ぷら飯」、妻が「明太子天ぷら飯」でどちらも1150円。この価格で割烹の天ぷらフルコース一歩手前といった感じ。

大将が目の前で揚げてくれる特等席で、揚がった天ぷらを、カウンター越しに直接おいてくれます。

まさに揚げたて、サクサク、アチチ、ホクホク……

特に、かしわ、ナス、キスが美味しかったです。

妻のみの明太子も素晴らしかった。

常連さんが「カマンベールチーズ」を追加で頼んでいる方が多かったので、次の楽しみに取っておきました。

最後はかき揚げ丼、玉子揚げ丼で締めるのが王道のようでした。

初めてだったので、ご飯の配分が分かっていませんでしたが、100%満足です。

色々あって(本当に色々ありまして……)なかなか出掛けられないので、夫婦会議で「週末の昼食くらいは、ちょっと美味しいものを」という方針になりました。

昼食は500円という時代が懐かしいですが、1000円くらいで十分幸せにしてくれるお店があるのは本当に嬉しい限り。

需要があるかは分かりませんが、ちょっとグルメレポートと、アトリエ+住居の緑化は時々上げていきたいと思います。

あっという間に2月に入りました。

いつも勝負ですが、2月は短いので出だしからフル回転でいきます。

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坂倉準三の系譜、大阪にあり‐2291‐

先週末、梅田から中之島まで歩いてみました。

大阪高等裁判所前の水晶橋を渡ると市役所の東端あたりに出ます。

中央公会堂までやってきました。

1月25日(日)まで開催の「坂倉建築研究所大阪事務所と太田隆信展」が目的でした。

2階の会場へは、南側にある地下からアプローチします。

ル・コルビュジエに師事した日本人のひとり、坂倉準三が1940年に設立したのが坂倉準三建築研究所です。

1948年には、大阪支所も設立されます。

彼が亡くなり、坂倉建築研究所大阪事務所となりますが、大阪の地で坂倉準三の思想は西澤文隆、そして太田隆信へと引き継がれていきます。

太田さんは昨年逝去されました。

その太田さんが携わった計画を中心とした展覧会でした。

「写真撮影は駄目ですよね?」とお聞きすると「引いた写真なら大丈夫ですよ」とのこと。

作品のパネル、手描きの図面、スケッチに加えて、太田さんのインタビュー映像も流れていました。

その中で、ご自身のことを「坂倉準三の薫陶を受けた最後の残党」と仰っていました。

1966年、大阪府青少年野外活動センターで、日本建築学会賞の作品賞を受賞されています。

こちらの構造体についても詳細に語っておられ、興味あってWeb上で探してみました。

保存運動が話題になった記憶がありますが、現存していないようで、あまり情報が残っていませんでした。

反対に、1975年竣工の大阪府立青少年海洋センターは、岬町の淡輪港内に現存しているようで、是非見てみたいと思いました。

大阪市中央公会堂の保存・再生も2002年の坂倉建築研究所大阪事務所の仕事でした。

早稲田の建築学科を出て、太田さんは坂倉建築研究所に入社します。

「大学を出たら大阪に戻ってくるつもりだった」と言っておられたので、関西に愛着を持っておられるのだと思います。

外に出ると日没寸前でした。

中之島は川に囲まれているので、朝夕は特に水面が美しいのです。

梅田方向を見ると、キタの玄関にあたるフェニックスタワー、その右に大阪梅田ツインタワーズ・ノースが見えています。

大阪にはキタやミナミがありますが、中心はどこかと問われればやはり中之島になるのでしょう。

さあ帰ろうかと歩き出すと、新婚カップルが撮影をしていました。

その先に見える、ダブルツリーbyヒルトンは真っ赤に染まっています。

何だか幸せな気持になりました。

坂倉準三の言葉です。

穏やかな表情で語る太田さんに、そのことばを重ねて聞いていました。

時々「設計士」と呼ばれることがあるのですが、その時は「すみません、建築家でお願いします」と伝えます。

呼び方を決めるのは相手の人で自由ですが、自分で主張していないとそうはなれない気がするからです。

技術者ではなく、やはり建築家として生きたい。改めてそう感じました。

ル・コルビュジエ、坂倉準三、太田隆信。

偉大な建築家の足元にも及びませんが、主張し続けるしかないのが私の人生なのです。

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30km地点、まさに正念場‐2290‐

昨日は朝から大阪城公園を偵察してきました。

12時頃スタートする、大阪国際女子マラソンの準備がすでに始まっています。

同時に開催される、大阪ハーフマラソンは大阪城公園がスタートで、長居公園がゴールです。

こちらには戻ってこないので、手荷物トラックがそれらを運んでくれるようです。

そのトラックが並ぶ姿は壮観。

太陽の広場は、参加者、スタッフでごった返していました。

1kmごとの目印のようです。

言ってみれば1日だけの即席コースですから、運営に関わる人は、大変な数になることがよく分かりました。

昼前になってくると、警察官の姿も増えてきました。

前回、同じブロックに中間点があると書きました。

その場所に計測器をセットしています。

タイムの掲示板も設置されました。

12時前には車通りもなくなり、準備万端です。

13時24分頃、白バイの先導で先頭集団がやってきました。

黄色のゼッケンはペースメーカーで、赤のゼッケンが招待選手です。

1位はパリオリンピック7位、ウガンダのチェサン選手。

2位はマラソン初挑戦の矢田みくに選手。

その後ろには大会2連覇中の、エチオピアのエデサ選手。

更に、上杉真穂選手、エチオピアのヒルパ選手、伊澤菜々花選手と続きます。

この時点で2位の矢田みくに選手ですが、この後、2時間20分を切っている外国人選手の前に出て、果敢にレースを引っ張ります。

解説の女子レジェンドランナー達も、驚くようなレース展開になっていきます。

30km手前までは、全く上体がぶれず、笑顔さえ見せていたのです。

結果はご存知の通り、初マラソン日本最高タイムの2:19:57で4位。歴代でも6位という凄い試合でした。

と、ここまで書いたということは、最初から最後まで、中継に釘付けでした。

特に、35kmを過ぎたあたりで海外勢がスパートをかけた後、一旦離されます。

パリオリンピック7位の実力は流石で、ウガンダのチェサン選手が他の選手を引き離しトップで長居公園のスタジアムへ。

しかし、そこから盛り返して2位、3位争いを最終のトラックまで持ち込んだ姿は、感動しました。

解説の女子レジェンドランナーの誰が言ったかは覚えていませんが「ここまで粘った日本人を見たことがない」と涙ぐんでいたのです。

その矢田みくに選手は元トラック競技の選手。沿道の声援という、トラック競技にはない雰囲気が「キツい中でも幸せでした」と。

ロスオリンピックへ向けて、ワクワクするような選手が現れました。

前回、私が唯一名前を知っていると書いた大阪出身の松田瑞生選手。

思ったように体が動かず、2:26:16で7位。

号泣し、「親友」と語る監督の胸を叩く姿が何とも……

中盤から遅れはじめ、厳しい1人旅となりましたが、諦めず走り、オリンピックへの挑戦権は手にしました。

ただ、今後どうするかは未定とのことでした。

勝負の世界は、情け容赦がありませんが、無いからこそ、達成感、充実感が別次元になるとも言えます。

まだ30歳、悔いを残さないような結論を出して欲しいですし、自分のために良い結論を出して欲しいものです。

多くのスタッフ、ボランティアの皆さんが居てこそ成り立っているはずです。

私も微力ながら、市民ランナーが給水後にすてたペットボトルだけ回収しておきました。

すでに来年の日程が気になっています。

ニューヒロインの矢田みくに選手は26歳、30kmを過ぎると流石に苦しそうな表情になりましたが、それでも、世界の強豪選手の前に出ようとする姿は、凛々しく、本当に格好良かった。

偶然目の前を走ると知って見たマラソンですが、全て見たのが初めてなら、目頭が熱くなったのも初めてです。

いっぺんに矢田選手のファンになりました。

マラソンはよく人生に例えられますが、私の人生に置き換えてみれば、25kmから30km地点あたりでしょうか。

まさに正念場ですが、とても大きな勇気を貰いました。

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大阪国際女子マラソン中間点‐2289‐

一昨日、「ささき整形外科クリニック リハビリ棟」【ルームツアー】<Public>を公開しました。

2021年の8月17日に『建築家・守谷昌紀TV』をスタートして、最も視聴されているのが「H型プランの平屋」【ルームツアー】で5万6千回。

最も少ないのが先の動画で31回(投稿時調べ)です。

どんな内容が一番求められているのか、未だに全く分かっていませんが、それでも4年半掛けて、登録者が997名になりました。

できれば、区切りの1000人に到達したいものです。

先日、御堂筋を通ると大阪国際女子マラソンの立て看板がでていました。

この日曜日に開催される、日本代表選考にも関わるG1グレードの大会です。

コースや通過予想時刻も詳細に発表されています。

往路が赤線で、長居公園を12時18分にスタート。大阪城北あたりをぐるっと回って南下します。

玉造まで戻ると、長堀通を右折し西へ向かいます。

復路は青線で、その中間点が丁度アトリエの前あたりでした。

左に見える大きなベージュのマンションの奥に少し見えているのがプラウド天王寺清水谷。

中間地点と記載されている建物です。

大阪国際女子マラソンは、比較的アップダウンが少なく、高速コースなのだそうです。

しかしその中でも、往路(赤)と復路(青)のつなぎ目、中間点前後に大きな高低差があることが分かります。

20km地点の玉造から登りはじめ、21km附近の上町筋(上本町1丁目)で上町台地を越え、22km地点の松屋町まで一気に下ります。

文字通り中盤の山場なのです。

上町筋あたりから玉造のある東を見た写真ですが、ここまでずっと登りが続いているのです。

長堀通の北側を通るなら、アトリエのある2階から、直下の選手を応援できます。

南側なら反対車線側ですが、それでも十分近い距離です。

折角なので、応援したいと思っていますが、あの小さい旗はどこかで配っているのでしょうか。そこがとても気になっています。

レース中は、駐車・停車も禁止。それはそうでしょう。

ただ、長堀通の北側車線(アトリエ側)はオレンジの片側通行規制となっており、車を出すことは無理のようです。

また、歩行者や自転車での横断は、地下通路か歩道橋のみとあり、実質オレンジの枠の中に軟禁状態です。

年に1回、この日は絶対打合せを入れては駄目な日があることが分かりました。

出場選手を見てみると、名前を聞いたことがある選手は、自己ベスト2:20:42の松田瑞生選手くらいでした。

住吉区の遠里小野が出身で「なにわの腹筋女王」と呼ばれているとありました。

13:24から13:47が、通過予想時刻。

高い所から失礼して、応援しようと思っています。

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1983年3月6日中学入試‐2288‐

昨日は同級生と一緒に高槻へ行ってきました。

京都と大阪の真ん中にあり、大学の誘致にも成功しているとあって、阪急、JRともに駅前は活気があります。

母校へも足を伸ばしてみました。

私達が通っていた頃とは、すっかり様変わりしています。

立て看板を見ると入学試験の当日のよう。

流石に入るのは遠慮しておきました。

「高校は別日程なんだろうね」と同級生に言うと「今は誰も出ていかないので、高校で補充はしていないよ」と。

私達が受験した1980年代は、関西の私学の中で、唯一試験日程がずれており、受検を失敗した学生の受け皿となっていました。

どこかを不合格になって入学しているので、第1志望にしていた学生は皆無。それで、高校に上がる時点で、1割くらいの生徒が、高校受験に挑んでいました。

灘や洛南などに再度挑戦し、合格した同級生が結構いたのです。

現在は、もっと人気校になっていると聞き、卒業生としては嬉しい限りです。

かなり減った年賀状ですが、11月・12月には、喪中はがきが5通ほど届きました。

そのうちの1枚が、毎回同窓会に参加して下さった、理科のT先生の奥さまでした。

「昨年お亡くなりになった」と、この日記で報告すると「中学高校で3回も担任をして貰ったので、ご自宅へお参りに行こうと思う」と、同窓会の世話役をしている同級生から連絡がありました。

それならと同行してきたのです。

ご丁寧にも、奥さまと、ご子息まで出迎えて下さいました。

71歳という若さで、夫を亡くした奥さまの気持ちはいかばかりかと思います。一方、しっかりした、品のあるご子息家族が近くに住んでおられ、心強いだろうなと感じたのです。

すぐにお暇しようと思っていたのですが「英語のA先生、数学のY先生とは仲が良く、よく飲みにいっていた」という話や、某情報番組の「ほろ酔いさんインタビュー」的なコーナーにA先生と2人で出たことがあるという、とびきりの逸話までお話し下さったのです。

2024年末の同総会の少し前まで入院しておられ、「何とか行けそう」と世話役に連絡があり、参加下さいました。

お亡くなりになる5カ月前なので、大変だったと思うのですが例年通りスピーチもして下さいました。

同級生がその動画を奥さま、ご子息にお見せすると、お2人で熱心に見ておられたのです。

1983年の3月のカレンダーを見ると、6日が日曜日でした。3月7日が試験日だった気もしますが、この日が試験日だったのでしょう。

試験は1日で、算数・国語・理科・社会で、配点は100・100・50・50だったと思います。

理科社会は配点が半分ですが、この2教科があったから、高槻に滑り込めたのは間違いありません。

入学後の不勉強は、何度もネタに書いてきました。

一浪後も、国公立、MARCH、関関同立の建築・土木学科は全て不合格。

近大の岡山だったか、広島だったかの3次募集的な試験で、かろうじて大学生となりました。

その理由も、おそらく物理が満点だったのが理由だと思います。英語、数学は全くできませんでしたから。

そう考えると、いわゆる理系に身を置いていますが、いつも理科社会がピンチを救ってくれたのです。

T先生の「学生時代、どうにもならなかった彼(守谷です)でも何とかなったんだから、ここに入学してくる君たちは絶対大丈夫」というメッセージを胸に、しっかり頑張りたいと思います。

1983年3月6日(日) 大阪
最高気温: 13.5℃
最低気温: 4.3℃
曇り一時晴

丁度今日の気温と同じくらいです。

当日、12歳の私は何を思っていたのでしょう。その時の私が、今の私を見たらどんな事を思うのでしょうか。

「ここまで行けたんだ!」と思って貰えるような自分を目指したいと思います。

そして、中高では迷惑ばかり掛けた先生方には我慢して頂き(退学とせずに頂き)、本当にありがとうございます。心から感謝したいと思うのです。

レベル低っ!

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讃岐うどんと久米宏‐2287‐

しめ飾りのある家も減っていますが、やはり純和風の玄関には良く似合います。

本町界隈の会社でも、今朝はしめ飾りや門松を見かけました。

関西では松の内は15日まで。私もエントランスのしめ飾りを引き上げました。

正月気分は今日までです。

前回、日曜日に観た『国宝』について書きました。

10時上映開始で終わったのが13時。

歌舞伎を嗜んだあとは庶民の味方「新梅田食堂街」へ。

Webサイトを見に行くと、以下のような説明がありました。

なるほど、JRの高架下にある事と、庶民派の雰囲気が漂う理由が分かりました。

この日は「釜たけうどん」へ。

8人待ちで、15分くらいで席につきました。

名物、ちく玉天ぶっかけ900円。

千円を切ってくれるだけでもありがたい時代に入りました。

と、知ったように書いていますが、中学の頃から新梅田食堂街に来ていますが、「釜たけうどん」は初めてでした。

いつも混んでいるのと、讃岐うどんは本場で結構食べているので、優先順位が上がりにくかったからです。

しかし、大阪讃岐うどんブームの立役者らしく、麺は本場に負けない腰があり、ちく天、玉天ともカリッと揚がっています。

生姜が入っていることも、ゴマが置いてあるのも讃岐うどん好きには嬉しい限り。

ぶっかけ出汁はやや薄めだったので、少し醤油を足しました。大阪に合わせて薄味にしているのかもしれません。

百名店のお味でした。

1月13日に、今年の元旦に久米宏さんが逝去されたと報道がありました。

『ニュースステーション』の放送期間が、1985年10月7日から2004年3月26日ですから、私が15歳から34歳の時です。

言わずと知れた報道バラエティの祖となった番組でした。

中学3年生という、知的なものに興味が出始める年代です。久米さん、美しい小宮悦子さんと共に、コメンテーターの小林一喜さんに憧れていました。

小林さんは、朝日新聞の編集委員も務め「天声人語」の筆者を、1983年9月から1988年3月まで務めています。

『ニュースステーション』のコメンテーターを務めながらの執筆だったとは驚きました。

柔和で、品があり、知性溢れる語り口が、理想の大人に見えたものです。

加えて、忘れられないのが『TVスクランブル』です。

こちらの放送は1982年10月10日から1985年3月31日でした。

共演は横山やすしさん。最後の破天荒芸人やっさんという猛獣を軽々と扱いこなし、バラエティ色が強いながらも『ニュースステーション』の原型のような番組だったと思います。

やっさんは酒のにおいを残して出演したり、問題を繰り返し起こし、後に降板させられるのですが、『ニュースステーション』開始の半年前まで、報道バラエティの実験を繰り返していたと考えたら、本当に恐ろしいタレントさんです。

追悼映像で、総理大臣や国会議員をイジり倒す場面がいくつも流れていましたが、やっさんを経験済みですから、彼らに切り込んで行くくらい、訳が無かったと思います。

『ニュースステーション』の最終回は、4795回目の放送でした。

最終盤のコメントは「小学校の通信簿にある先生からのメッセージはいつも、落ち着きがない、飽きっぽい、持続性が無い、協調性がない、でコンプレックスだった。しかし、18年半やりましたよ、あなた」と言い、ご褒美にビールを飲むくだりは、最高で痛快だったのです。

全くレベルは違いますが、このブログは2004年の3月に『ほぼゲツモク日記』としてスタートし、2005年10月に『ゲツモク日記』と改めました。

今回で2286回目。22年続けていますが、ネタが無い時は、正直辞めようかなと思ったこともあります。

インターネット環境は日々変化するので、アトリエmのWebサイトは、アクセスが多かったり、少なかったり、かなり波があります。

しかし『ゲツモク日記』は安定してアクセスがあります。久米さんと同じと言えば厚かましいですが、読んでくれる人が居たから続けられたのです。

4795回まで続けるなら、あと2509回。24年掛かるので79歳です。

もしそこまで行ったら、私も自分にご褒美をあげようかなと思います。

香川では、慶事にうどんを食べる風習があります。太く長いうどんをめでたいものとしたのです。

久米さんのように、太く長く生きたいのは誰も同じ。さてどこまで続けることができ、どんな人生が待っているのか……

『ニュースステーション』世代として、本当に楽しませて貰ったことに感謝し、心からご冥福をお祈りしたいと思います。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

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