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さあ!就職活動の長男とスパイシーカレー、上町界隈の名店③「旧ヤム邸」‐2284‐

今年も、更に「しまい」が加速した感のある年賀状。

会社用は例年と変わらず、300枚と少し出しました。

今年は、「ドッグランのあるタイル床の家」に。

家族用は、8月に長男が帰省したタイミングで撮った大阪城での写真に。

恒例にしている兄妹写真は、桜門前でNHKをバックに。

見たい人が居るかは別にして、4人で撮れる限り続けたいと思っています。

年末から長男が帰省していますが、関西の友人と会うのにほぼ家には居ない感じ。

反対に、年始は家族と過ごす人が多いのか、時間を持て余している感じだったので、昼食に連れて行きました。

空堀商店街も年始仕様です。

東西に伸びる商店街の北と南は、どちらもかなりの坂になっています。

これは、瓦を焼くための土取り場が南北に合せて4ヵ所あったから。

1680年~90年頃まで掘り返して土を取っていたようです。

中でも最も大きくくぼんでいるのが、谷町筋から入って初めの北に延びる筋あたり。

長堀通までの間が、かなり下がっているのが見て取れるでしょうか。

上町台地の海成粘土は瓦を焼くのに適しており、江戸城の瓦は大坂で焼き、海路で運んだそうです。

空堀商店街の南のエリアには「瓦屋町」という名前が残っているのはこのためです。

その瓦職人から派生して、土で人形をつくるようになったことが、すぐ西の松屋町筋に人形店が集まるきっかけになりました。

昨年の10月から11月にかけての毎日新聞の記事に詳しくあり、とても興味深い内容でした。

ちょうど土取り場の入口にあるのが「旧ヤム邸 空堀店」。

食べログの100名店にも選ばれている、スパイスカレーの老舗店です。

築130年の古民家をリノベーションした店内は、照明も暗めで静かな音楽が流れています。

少し遅めに行ったので、1組待ってすぐに入れました。

長男は無類のカレー好き。

私が外でカレーを食べることは無いので、近所の名店を訪れてみようとなりました。

店員さんに聞くと1番目と4番めがキーマカレーで2番目と3番目がスープカレーだと。

私は②さつま芋と玉ねぎのスープカレーと④高菜とジャコの牛豚キーマカレーを。

長男は、①海老出汁トマトクリームの鶏キーマカレーと③豚バラ檸檬のスープカレーのあいがけにご飯大盛。

ジャスミンライスと玄米を選べますが、前者は香りがあるのではなく、タイ米の最高級品種だそうです。

お勧めとのことでジャスミンライスにしました。

小麦粉を使っていないので、とろみはなくさっぱりしています。

香りはどれも強烈で、これぞ本格派という味わいです。

辛さもあとからくる感じで、小鉢も芸が細かく、とても美味しい。

ただ長男はオーソドックスなカレーの方が好きなようで「十分美味しかったけど、もう1回はいいかな」と。

それは残念ですが、こんな機会でもないと来ないので、それはそれで良かったかなと。

店の中で撮って貰おうと思っていたのですが、ひっきり無しにお客さんが来るので、外に出てから、横で食べていた人にシャッターを押してもらいました。

娘の受験には前回触れましたが、長男も春から4回生。さあ就職活動!という時期です。

兄妹とも文系なので、建築家になりたいと思っていた私とはまったくアプローチが異なります。

長男は折角希望の大学に入ったので、それは最大限に活かして欲しいと思います。

穏かな現代において、受検と就職は数少ない真剣勝負の場ですから。

なのですが、夏にある世界最大のフェスに当選し、ヨーロッパに行くことを喜んでおり、それまでに就職は決めると。

せめてベストを尽くして欲しいと思いますが、親の心子知らずとはまさにこのことで……

やはりできることは神頼みくらいのようなのです。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

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導き給え‐2283‐

新年明けましておめでとうございます。

今年の1月1日は木曜日ということで、元旦からこの日記をスタートしています。

今朝は6時前に大阪を出て、7時前に北野天満宮に到着しました。

子供が大学受験の年は、年の初めの祈祷を目指しています。

到着してすぐに妻が受付に向かいました。

受験生の娘が風邪気味で、車で待機してもらうことに。その間に、私は境内をぐるりと回りました。

今年の干支は、60年振りの「丙午(ひのえうま)」。

放送作家で、元東京都知事の青島幸男作が書いた『人間万事塞翁が丙午(にんげんばんじさいおうがひのえうま)』という小説を思い出します。

モデルとなった母が、丙午に生まれたことからのタイトルですが、丙午に生まれた女の子は気性が荒くなるという迷信を、逆手に取った作品でした。

白馬の優美な姿をみていると、近年でそんなことを気にしている人は居ないような気がします。

日の出前の参道は、人出もそこまでなく、幻想的な風景でした。

京都の日の出予報は7時5分の予定でしたが、実際に日が差したのは7時50分でした。

今年も始まるなと、何とも清々しい気分になるのです。

8時前に、妻から「そろそろ待合に来て」と連絡がありました。

帰省している長男と合わせて4人で本殿に移動しました。

早めに出て来た甲斐あって今回も1番目。

1回につき20組くらいが本殿に上がるのですが、東京から来て東大を受ける受験生もいました。

京大医学部を受ける受験生もいたり、石川、愛知、福井県と遠方からの人も多いのです。

早くから来ているご家族は、やはり本気度が高い感じがし、そんな場に居ることがとても良い機運を運んでくれる気がするのです。

30分近くの正座だけは堪えましたが、こんな時しかしないので、それはそれで良い思い出になります。

最後は、絵馬を奉納する列に並びます。

日当たりのよい場所に絵馬を奉納し、初詣が終わりました。

神頼みを信じるか信じないかは別ですが、中学受験、大学受験と、兄妹ともここまで第一希望に合格してくれました。

勿論、その時々のベストと思える学校を選んで受けているので、無謀な学校を受けている訳ではありません。

それでも「良かったなあ!」と言える学校に、2人とも合格して来たので、私の中で北野天満宮は特別な場所だと思っているのです。

快晴の元旦で、東寺の五重塔を見ながら京都をあとにしたのです。

最近参拝の時はこうお願いすることにしています。

これも、尊敬する始道塾の恩田塾長の受け売りですが、とても気に入っています。

何でもお願いするのではなく、自分が行くべき方向へ導いて頂けますでしょうか、という考え方です。

さて、娘の受験はどうなるか。それこそ、神のみぞ知る、なのです。

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2025年 暮れは元気にご挨拶‐2282‐

土曜日に、ホテルライクなコートハウス「ドッグランのあるタイル床の家」の動画も公開しました。

また、移住して住む、築100年の「下北山村の古民家」をWebサイトにUPしました。

よければご覧ください。

今年最後のゲツモク日記は12月29日。

今年もあと3日ですが、私の2025年を振り返っておきたいと思います。

1月 懺悔と青春‐2179‐

今年の第1回目は、2024年末に開催した、中学・高校の同窓会からでした。

体調を崩していた化学のT先生は、新型コロナで中止した会を除いて、5回全ての会に参加してくださいました。

先生は私が高校生の時「守谷、勉強嫌いやったら高校は義務教育と違うから辞めてもかまわないんやで」とまで言われたのです。

しかし、仕事では頑張ったと認めて下さり、近年は「うちに来るくらいの学生は、頑張ったら何にでもなれる」と、私を例に紹介して下さっていると言って頂きました。

これ程嬉しい言葉はそうありません。

しかし、11月末に先生の奥様からお亡くなりになったという喪中の葉書が届いたのです。

命は有限とはいえ、70歳を少し過ぎただけで何とも残念でなりません。

2月 いよいよ新アトリエ始動‐2195‐

2月12日に上町にアトリエを移転しました。

しかし、まだ1階のみ完成しておらずで、クライアントには仮の状態で駐車してもらっています。

1月か2月には完全に出来上がった状態をお見せできると思います。

3月 大阪より下町な東京‐2203‐

娘が今年受験で、大学を見てまわりました。

東京、横浜を回ったのですが、長男とも待ち合わせて食事に行きました。

中野あたりに住んでいるのですが、東京の下町がこれ程下町だったことに驚いたのです。

4月 生涯一、又兵衛桜‐2206‐

いつかは、と思っていた又兵衛桜。

何度か訪れているのですが、散り際だったり、雨の後だったりでした。

完璧、といえる状態の又兵衛桜は、文句なしで生涯一の桜でした。

5月 必見、世界遺産・二条城での アンゼルム・キーファー展‐2213‐

ゴールデンウィーク中に、京都の二条城へ。

アンゼルム・キーファーの展覧会は、ロケーション、会場、天気、作品と、全てが揃っていました。

QRコードで作品の詳細が見れることも、より面白さがアップしたと思います。

6月 関西万博<後編>ガンダムで締め‐2225‐

なかなか足が向かなかった万博ですが、6月に行ってきました。

建築市の要素もあるので、職業柄悔しい気持ちもあります。

とは言え、行けば行ったで楽しく、学びのある場でした。

7月 全てはこの1枚のために、建築確認の検査済証‐2237‐

2020年から「ささき整形外科デイケアセンター」の計画が始まり、今年の8月に「ささき整形外科クリニック リハビリ棟」が完成するまで5年半通った、兵庫県揖保郡の太子町。

8月の完成も嬉しかったのですが、増築の確認申請の検査済証が下りた7月末は、本当にほっとしました。

その苦労を、検査員の人と分かち合ったのです。

8月 鳥羽、神島で三島文学に触れる<前編>‐2244‐

最近、なぜか三島由紀夫が気になり始めました。

それで、代表作の純愛小説「潮騒」の舞台となった、三重県鳥羽市の神島を訪れてみました。

「昭和とともに生きた小説家」三島由紀夫

彼が描いた、古き良き昭和の日本が、いまだに残っていることに感激したのです。

9月 能登半島地震、復興まちづくり支援。一歩前へ‐2248‐

JIA(日本建築家協会)が専門家のボランティアを募集しており、能登半島地震の復興支援活動に参加しました。

海岸線が隆起し、遠く広く続く西側の海岸線。

反対に、東側は地面が下がり、高潮の際は港付近の建物は浸水の被害を受けています。

何より、火災と揺れで甚大な被害を受けた輪島港の景色は、壮絶なものがありました。

これからも大地震は起こるでしょう。プロとしてできることはしたいと思っています。

10月 大谷劇場第一幕完結、歴史街道高槻で言葉は洗って使うを知る‐2262‐

今年も規格外の活躍を見せた大谷翔平選手。

7回途中無失点、10奪三振、3ホーマー、うち1本は場外弾。

その場面をリアルタイムで観れたことに感謝します。

合わせて、私にとって遠くて近い街、高槻もレポートしています。

11月 院長の江口さんから届いた1年後の感想‐2269‐

昨年の9月に完成、開業した「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」

コンセプトが固まった時から、絶対繁盛クリニックになると確信していましたが、今月お会いした際には「ほぼ一杯一杯のところまで患者さんが来てくれています」と。

本当に嬉しいことですが、江口さんの1年後の感想に感激しました。

年2の会食を楽しみにして、一層仕事も励もうと思えるのです。

12月 やっと会えた、ゴッホ‐2280‐

実家に居る時は机の横に貼っていた「夜のカフェテラス」。ゴッホの中で最も好きな作品です。

それが神戸までやってきました。

色、タッチ、キャッチーさ。その分かりやすさが、ゴッホの一番の魅力だと思っています。

実は土曜の夜から、池原ダムに一旦寄りました。

現在池原ダムの水位が低く、ボートを降ろせないのですぐ南の七色ダムまで牽引してきました。

ボートトレーラーを接続すると、全長が10m以上。普段牽引しないので、これがなかなか緊張するのです。

半年に一度くらいは動かさないと不具合が起こるので、何とかやってきたのです。

ただこの寒さで、霜がびっしりです。

ただ、日が昇ると、気温程寒さはありませんでした。

基本厳しい時期ですが、そこはハイテク機器の力を借りて。

まずは、30年前から通っているポイントで何とか1本。

そしてこの時期の定番場所でもう1本。

飛び切り大きい訳ではないですが、十分納得です。

ただ、一番のショックは定宿だったバンガローに早起きパックの割引が無くなっていたことです。

ほぼ半額で泊まっていたので、これはなかなか堪えます。

物価高の世の中なので仕方ありませんが。

冒頭に書いたT先生ですが、昨年末の同窓会では歩くのも大変そうでしたが、参加して下さいました。

2004年の第1回目の同窓会参加のすぐ後、当時学年主任だったY先生がお亡くなりになりました。

Y先生にも「守谷はすぐカッとなりやすいから」と、短気な性格をたしなめてもらいました。

お葬式に参列すると、奥様から「同窓会が楽しかった」と繰り返していたとお聞きしました。

私の中1、中2の担任だった国語のS先生です。

2016年に最初で最後の参加となりました。

「世話役をしています守谷です。覚えて頂いていますか」とご挨拶すると、「覚えてるわよ~、あんた喧嘩ばっかりして、悪かったものね~」と、満面の笑みで返して下さいました。

恩師などひとりも居ないと思っていましたが、この歳になって、本当に色々な人に関わって頂き、自分があることが分かりました。

遅すぎると思いますが。

当時は、本当にダメ生徒でしたが、もっと褒めてもらえるよう、少しでも世の中の役に立てるよう精一杯生きるしかありません。

この年末は、T先生のご冥福を心からお祈りしたいと思います。

長くなってしまいましたが、本年も「ゲツモク日記」「ゲンバ日記」『建築家・守谷昌紀TV』にお付き合い頂きありがとうございました。

2026年も、皆さんにとって素晴らしい1年となることを確信しています。

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復興しないという選択肢はない‐2281‐

前回は、神戸で開催されている「大ゴッホ展」のことを書きました。

やっと会えた『夜のカフェテラス』の余韻に浸りながら、港神戸へ立ち寄ってみました。

その途中ですが、海側へ歩くとすぐに「史蹟旧海軍操練所跡」があります。

坂本竜馬も学んだと言われる神戸海軍操練所は、勝海舟が提唱して1864年に完成しています。

海外留学を経験していた勝海舟は、港と海軍の重要性をひしひしと感じていたのでしょう。

そこから50mも歩くと現在の神戸港。

海と山が近いのが、何と言っても神戸の魅力です。

海沿いを西に少し歩くと、メリケンパークの文字が見えてきました。

入り口にあるのが、建築家・フランク・O・ゲーリーによるオブジェ、フィッシュダンス。1987年の完成です。

フランク・O・ゲーリーはプリツカー賞も受賞している世界的建築家ですが、つい前日の12月5日に96歳で亡くなりました。

日本では確かこのフィッシュダンスしか作品を残していませんが、この錆問題が何度も論争になっています。

安全性の問題もあり、撤去される可能性もありそうですが、そこだけ解決できるなら、残して欲しい気はします。

バブル期はネガティブにしか語られませんが、その時代と活力をはらんでいる感じがするのです。

神戸港震災メモリアルパークは初めてやってきました。

メリケン波止場の僅かなエリアですが、当時のままの姿が残されています。

中学生の頃は、よく神戸港に釣りに来ていました。

通称「和田坊」まで渡船で渡してもらい、一晩中チヌを釣っていたのです。

大阪湾は夏は水が汚いですが、この時期はかなり澄んでくるのを思い出していました。

来年の1月17日で、あれから30年です。

「大ゴッホ展」も、阪神・淡路大震災から30年、東日本大震災から15年の節目に、日本を応援するために開催されています。

昨年の能登地震もそうですが、15年に1度くらいはこの規模の地震が起こるのが日本なのです。

その後の阪神・淡路、東日本、熊本、能登など、何度地震に襲われても、復興するしかありません。

ワールドシリーズMVPの山本由伸投手の言葉を借りるなら「復興しないという選択肢はない」となるでしょう。

災害に限らず、どんな困難が起こったとしても同じですが。

神戸港から元町に戻る途中に南京町があります。

神戸らしい風景で、点心も良いなと思いながらもやりすごします。

元町駅の北にある「堂源」という蕎麦屋さんまで戻ってきました。

田舎十割蕎麦と梅せいろを頼みました。

蕎麦屋さんで女性の店主は珍しいですが、とても繊細な蕎麦で大変美味しゅうございました。

物は壊れると自分では元に戻れませんが、人は食べて、寝れば、大概の怪我は治ります。

そう言えば、甲南大学のスキー部の先輩の先輩が、かなりの蕎麦通だったそうです。

その先輩がお気に入りの店が元町にあり、何度か行ったことがあります。

蕎麦の美味しさを教えてくれたのも神戸でした。

あの地震から30年ということは、私の仕事人生も30年目が間もなく終わろうとしています。

久し振りに神戸に来たのだから神戸牛でも……というレベルにはなっていません。

それでも、気軽に美味しい蕎麦を食べれるくらいにはなったので、それで良しとしておきます。

成長しないという選択肢はないので、気軽に神戸牛が食べられるようになるまで頑張ります。

そう言えば今日はクリスマスでした。皆さんも良いクリスマスを!

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やっと会えた、ゴッホ‐2280‐

昨日は冬の雨が降る中、神戸の元町まで行ってきました。

中央に見える10階建て程のビルの手前に、オレンジのタイルを貼った、5階建ての小さなビルが見えるでしょうか。

1年の休業後、第2期アトリエmを始動した2002年の春に、オファーを貰い、リノベーションしたビルなのです。

神戸の元町は、思い出の地でもあります。

旧居留地エリアにある、神戸市立博物館まで10分程で到着。

「大ゴッホ展」にやってきました。

会期が2月1日までで、年明けは混むだろうなと思っていました。

前日、Webサイトを見ると、朝一番の9時30分に空きがあり、急いで予約しました。

今回の目玉は何と言っても『夜のカフェテラス』ですが、革新的な試みとして、5作品が撮影OK。

その中に、なんと『夜のカフェテラス』が含まれているという。

会場は、第1会場と第2会場に分かれており、第2会場に入ると、まずは『夜のカフェテラス』に直行しました。

フィンセント・ファン・ゴッホは、シャガールやクリムトと共に大好きな画家のひとりです。

『ひまわり』も『星月夜』も好きですが、『夜のカフェテラス』が一番好きな作品でした。

その他、撮影可能なのは1887年製作『自画像』。

1887年製作『草地』。

1887年製作『レストランの室内』。

1887年製作『石膏像のある静物』の、全5作品です。

しかし『夜のカフェテラス』は、構図の大胆さ、色合い、ストーリーとも群を抜いていました。

1888年製作で、80.7×65.3cmの大きさです。

1853年生まれのゴッホは37年の生涯で1作品しか売れなかったと言われています。

前半生もなかなか上手くいかず、画家を志したのは1880年、27歳の頃。

1888年、35歳の時にパリを離れ、南仏プロヴァンス地方の街、アルルへ向かいます。

その時期でも初期にあたるこの作品は、近代ヨーロッパ絵画の中で、初めて本格的に夜を描いた作品と言われ、ゴッホはこの場にイーゼルを据えて描きました。

深い青の夜空に浮かぶ多くの星は、チューブから絵具を直接キャンパスに押し付けたため、盛り上がっています。

その荒々しい技法とは反対に、描かれた1888年9月16日頃の星の位置は正確に再現されているのです。

カフェの明りは、青の補色である黄色やオレンジで描かれ互いに引き立てあいます。

更に、好んで描いた糸杉にも通じる、緑で描かれた樹のタッチも印象に残るのです。

白い衣服をまとった店員の後ろには、十字架にも見える窓の桟が描かれ、キリストを象徴しているのではないか。

店内に座る12人の客を12使徒とみたて、ダビンチもモチーフとした「最後の晩餐」を暗示しているという専門家もいます。

また夜のカフェテラスは、ゴッホが愛読していたモーパッサンの小説『ベラミ』に描かれた、貴族階級の出会いの場として描かれているのではないか、という説もあると、テレビ番組で紹介されていました。

20代前半だと思いますが、どこか展覧会で買ったポストカードです。

実家に居る時は机の横に貼っていました。

太陽に焼け、少し色あせていますし、角も曲がっています。なぜかこの小さなポストカードが大好きでした。

オランダへ行って、本物を観たいと思っていた作品に、神戸で会えるとは……

1888年の2月、故郷のオランダにも似た、アルルの風景に出合い、ゴッホの才能は一気に開花しました。

1888年9月『夜のカフェテラス』、1889年1月『ひまわり(15本のひまわり)』1889年6月『糸杉』、1889年6月『星空夜』、1890年7月『カラスのいる麦畑』……と、短い期間に、色彩豊かな傑作を生み出し続けました。

しかし、1890年7月27日拳銃で自殺をはかり、7月29日にその生涯を終えました。

ゴッホの唯一と言って良い理解者だった弟・テオは画商でもありました。

兄の死後すぐに回顧展を開くと、ようやく作品が売れ始めます。

しかし、それを見届けるように、テオも1891年1月に33歳で衰弱死するのです。

せめて後2年、3年でも生きていたならと、誰もが思う人生でした。

しかし、一市民にここまで書かせる(勝手に書いているのですが)作家は滅多にいるものではありません。

この展覧会は、阪神・淡路大震災から30年、東日本大震災から15年の節目に催され、福島、東京へと巡回していきます。

第2期として、2027年には『アルルの跳ね橋』がやってきて、再び神戸、福島、東京を巡るようです。

極上のアートには、人を勇気づけ、心を洗う力があると信じます。

人は逞しい。

無念の中、生涯をその絵に託した兄弟のためにも、そうありたいと思います。

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「既にあるもの」に光を当てるのが、感謝‐2279‐

空堀商店街は谷町6丁目駅の東西に延びています。

名前の由来は、秀吉が築城した大阪城にあった空堀からきているのは良く知られたことです。

この段差も、おそらく空堀跡です。

谷町筋の東側ですが、結構な高低差なのです。

そこを降りてみると、古い民家を使って営業している惣菜屋さんがありました。

メニューには、コロッケ100円、仙台牛メンチカツ750円など、魅力的な文字が躍っています。

歯のメンテナンスへ行った帰りに見つけたのですが、急いで妻に報告しました。

あわよくば買ってきて貰おうと、です。

先週末、一緒に買い出しに行ったのですが、店頭に揚げ出し豆腐が売っていました。

それを見ると妻が「お豆腐から作ってみようかな」と言い出しました。

おつまみが増えるのは、ただただ嬉しいことなので「それはいいんじゃない」と、絹ごし豆腐と木綿豆腐を買って帰りました。

木綿豆腐は、売り物と遜色ない出来栄えです。

絹ごし豆腐は、若干崩れているところがあるものの、中がトロッとしていて抜群に美味しいのです。

正直、ここまで上手くできると思っていなかったので、あっという間に平らげてしまいました。

これは御堂筋沿いにある古ビルです。

梅田新道を南に下ってすぐのところにあるのですが、妻が若い頃に通っていたクッキングスクールが入っていました。

現在は営業していないようですが、サインがそのまま残っているので、通る度に「懐かしい」と言っています。

ジェンダーフリーが浸透する中、「料理は妻がするもの」と言ったら、普通の市民としては認めて貰えなさそうです。

一方、多くの女性、妻、母が料理をしているのも事実です。妻もそういったことを考え、ここに通っていたのだと思います。

日々の食事は誰が作るのか。

その問いに答えなど勿論ないのですが。

ただ、作って貰っている身としては、美味しかった時は、どう美味しかったかをしっかり伝えることは心掛けてきました。

それに加えて、最近感謝することにしました。

「今ごろかい!」というツッコミが聞こえてきそうですが、今ごろなのです。

理由は、尊敬する恩田塾長の以下の言葉を読んだからです。

成長、進歩するのに反省は必須だと思いますが、「既にあるもの」にフォーカスするのが感謝なのか……

感謝を伝えるのは難しいことだと思っていました。しかし、それが何かの殻を打ち破れずにいる理由なのかもしれません。

良いと思ったことはすぐに行動。

そうして来たつもりですが、出来ていないことが本当に沢山あるものです。

2026年は、50代後半に入りますが「ありがとう」をテーマにしたいと思っています。

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選ばれし赤、特にアゲていく1週間‐2278‐

阪急百貨店横のコンコースが、クリスマス仕様になっていました。

多くの人が立ち止まって写真を撮っています。

すっかり、この時期の風物詩として定着しました。

Warmest WHiTE Christmas

最も暖かいホワイトクリスマス。

いろんな意味にとれそうです。

そのまま阪神百貨店の食品売り場へ寄ると、いつにもまして賑わっています。

ぐるっと回ってみると、

の文字が踊っていました。

寒いこの時期、暖色の赤は特に目を引きます。

バナナの黄色が更に引き立てています。

果物店ならイチゴ。

鮮魚店ならカニ。

赤なまこも。

野菜に限らず、赤を制するものが顧客獲得競争を制すると言っても良さそうです。

買い物を済ませ、そのまま大丸のセールへ向かいました。

出てくるとすっかり夕方になっています。

大丸南側の歩道で、路上ライブをしているコーラスグループがいました。

これは先週の写真ですが、この空間は、積極的にこういったイベントを受け入れているようです。

道路沿いには鉢植えのレモンが等間隔に置かれています。

「みどりの回廊作り」という運動の一環でした。

レモンの香りと夕方の景色が、何だかセンチメンタルな気分にさせ、たそがれてしまったのです。

顧客獲得競争と書きましたが、広い意味で言えば、全ての仕事において同じことが起こります。

さて、自分の強みとは?自分の弱点とは?

ちょっと大きなお題を考えながら家路についたのです。

クリスマスはキリストの誕生祭ですが、最も日が短くなる時期に、落ち込みがちな気分を盛り上げるという意味もあると言われます。

そう考えれば、その分岐点である冬至まで後1週間。

今風に言えば、今こそ「アゲていこう」という時期です。

白いケーキに赤いイチゴ。

完熟トマトにモッツァレラチーズ。

ステーキにレモン醤油を添えて。

文字を見るだけでアガります。全て私の好みですが。

反省する習慣は持っているつもりですが、そこから、前向きな行動へと舵を切らなければ、ただヘコんで終わりです。

この1週間は、特にアゲていきたいと思います。

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大阪を愛し、大阪に愛された男‐2277‐

寝屋川と第二寝屋川に囲まれた三角形の先端にあるのが大阪ビジネスパークです。

このあたりまでやって来ると、急に高層ビルが増えてきます。

そのひとつが読売テレビ。

第二寝屋川を渡る橋は、人専用のものがいくつかあり、大阪城新橋もそのひとつ。

大阪城港のすぐ西に位置します。

大阪城ホールのすぐ近くと言ったほうが分かりやすいでしょうか。

このあたりは戦時中は軍事施設が多くあったので、現在は野球場や野外広場として使われています。

先週日曜日ですが、何やらサンタクロースが沢山集まっていました。

サンタパレードというイベントでした。

よく見ると、「たかじんメモリアル」の文字と「OSAKAあかるクラブ」が見えますが、サングラスと鼻とタバコがいかしています。

「OSAKAあかるクラブ」の初代キャプテンがやしきたかじんで、メッセージが掲載されていました。

サンタパレードは、サンタの恰好をしてウォーキングやランをするチャリティーイベントで、世界中で開催されているともあります。

以下のようなコメントもありました。

会場のどこかで、寄付ができるコーナーがあったのかもしれません。

来年のこの時期、注意しておこうと思います。

現地にいる時は、これらのことを知らず、会場である太陽の広場をでました。

するとすぐに「10円パン」と書いた屋台がでています。

「今どき10円?」と思って近寄ってみると「10円玉の形をしたパン」でした。

たかじんなら、あのだみ声で「10円ちゃうんかい!」と、大声で突っ込んでいたはず。

そう言えば『たかじんのそこまで言って委員会』も『たかじんnoばぁ〜』も読売テレビの製作でした。

しゃべりも一流でしたが、私は歌も大好きで、CDを持っています。

11月22日の毎日新聞に、大阪環状線の発車メロディーが掲載されていました。

福島駅『夢想花』、天王寺駅『あの鐘を鳴らすのはあなた』、桃谷駅『酒と泪と男と女と』、森ノ宮駅『さくらんぼ』、天満駅『花火』と錚々たる名曲ばかりですが、やはり大阪駅は『やっぱ好きやねん』です。

「大阪を愛し、大阪に愛された、故・やしきたかじんさんの代表曲」とありました。

ここまで言われたら、芸能人冥利につきるでしょう。

たかじんが亡くなって、もう10年以上が経ちました。

健康で、明るい、ハンサム芸人も良いですが、大阪らしい、クセのある、夜の街が似合う、ずけずけモノを言う芸人も出てきて欲しい。

そんな芸人がやっぱ好きやねん!

あ、たかじんは芸人ちゃうか。やっぱり芸人や。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

■2月12日(水)大阪市中央区上町1-24-6に移転しました
「上町のアトリエ付き住宅〈リノベーション〉」
電話、faxは変更ありません■

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今宵は月が美しい一粒万倍日、上町界隈の名店②「ながほり」‐2276‐

アトリエから歩いて5分の所にある、この細長い建物は、『居酒屋 ながほり』

居酒屋ではじめてミシュランの星を獲得した名店です。

創業41年、その名前の通り長堀橋近くにあった店舗が、2008年に上町に移転してきたようです。

昼間は何度も通っていましたが、夜ははじめて。

「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」の江口さんがお気に入りのお店で、予約を取ってくれたのです。

まずはビールで乾杯。

料理は全て江口さんにお任せですが、わたりがにのジュレ添えからスタート。

刺身の盛り合わせは、拘りに拘ったわさびが売り。

冷たすぎない魚が、素晴らしかった。

岡山出身の江口さんもシャコが大好きとのこと。父方の祖父が岡山で、大量のシャコでもてなしてくれたことを思い出します。

普段は飲まない日本酒も一緒に頂きます。

大将は日本酒応援団を自称しています。

気品高く、すっきり飲みやすいお味でした。

洋ナシに白和え。

唯一私がオーダーしたアコウ。

イカ納豆は、見た目は下町、味は上町というギャップが素晴らしいお皿でした。

納豆の糸がまったく引かないように工夫しているようです。

普段は終盤ワインにいくのですが、最後まで極上の日本酒を頂きました。

つのる話ばかりでしたが、やはりクリニックの患者さんが、オペレーションできる上限まで来られているということが、私にとっても一番嬉しい話でした。

スタッフの方は本当に大変だと思いますが、絶対そうなると私は確信していました。

クリニック設立の理念から、そのスケールが全く違うと感じていたからです。

私も実際に内視鏡検査を受けてみて、インタビューを撮らせて貰う約束をしてきたのです。

前回は5月末に西天満で会食したのですが、「年に2回くらいは」と言って頂きました。

「喜んでご一緒します」と伝えましたが、江口さんを喜ばせる店の引き出しは皆無に等しいので、誘って頂くことをお願いしました。

昨年の9月17日(火)、一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)に、「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」は開業しました。

「一粒の種が万倍にもなる」という縁起の良い日ですが、この日は偶然一粒万倍日。

ほぼ満月の夜でした。

丁度11月末で掲載が終わってしまったのですが。

日本建築家協会HPのTOPページ8軒に選ばれたことを、クリニックのお知らせのページで告知して頂きました。

その文章を読むと、相談を貰ってから開業までの時間が一気に蘇ります。クライアントであり、僭越ながら同志だったと思えてくるのです。

求められ、期待に応え、できれば期待を上回る仕事がしたい。そんなプロフェッショナルを目指したいと思います。

ただ楽しい、元気を貰う会食の時間でしたが、お値段は普通の居酒屋の倍くらいでしょうか。

大将の威勢、店の雰囲気、何よりお味が間違いないので、ちょっと特別な日には絶賛お勧めしておきます。

以下、江口さんのコメントも掲載しておきます。

本当に、やる気を出させてくれる人なのです。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
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■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」内覧会開催

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この世に生を受けたこと。それこそが、最大のチャンスではないか‐2275‐

天神橋は、中之島の東端をまたぐ3連のアーチ橋です。

橋を渡り、北に向かって歩いていくと大阪天満宮に突き当ります。

11月末に通りかかった際は、工事用のシートで覆われていました。

来年8月まで、1年かけての屋根の葺き替え工事が行われるようです。

こちらは6月に訪れた際、掲示板にあったことば。

あなたのような才能があれば……ということばが出そうになりますが(書いてしまっていますが)、人生は自分の身ひとつで、最大のチャンスを活かすしかないのです。

私の最大のチャンスは、ものづくりの機会に他なりません。

Webサイトに2作品をUPしました。

1つは住宅。

もうひとつはクリニックです。

住宅は「ドッグランのあるタイル床の家」です。

ご主人が言う「ちょっと変わった家族」は、タイ人の奥さんと2匹のチワワ兄妹が暮らします。

ドッグランを備えているのはそのためです。

ホテルライクな恰好よい空間を目指しました。

吹き抜けを介して、寝室からLDKの様子をうかがい知ることができます。

バンコクでの暮らしが長いご夫妻は、全ての空間でタイル床を望んでいました。

金額的には高めになりますが、やはりタイルの質感は他には代えがたいものがあります。

とくにバスルームは生活感を排することを考えました。

毎日の散歩のあと、ドッグランの足洗い場で綺麗にしてもらうのです。

この家の計画を「最後の夢」と位置付けていたクライアントからの期待は、大変に大きいものでした。

クリニックは「ささき整形外科クリニック リハビリ棟」です。

向って右にある「ささき整形外科 デイケアセンター」が完成したのは2023年の8月でした。

新型コロナの流行が拡大し始めた2020年の4月に相談があり、世の中の情勢を見極めながらの計画でした。

そして、デイケアセンター竣工の1カ月後に、リハビリ棟増築の相談を受けたのです。

増築は法的なハードルが高く、かなり苦労しましたが今年の8月に完成しました。

2つの施設の間に建つリハビリ棟は、中立的な意味合いを込めて真っ白なキューブとしました。

その上で、開口から入ってくる光を制限し、外壁に光をできるだけ当てないよう、4枚の庇を外周に巡らせています。

1、2階にはベッドが10台程入るリハビリ室があります。

法の要求で必要となった、2mの既存クリニックとの離隔距離は、逆手にとって中庭として活かしました。

3階にはスタッフがリラックスできるよう、カフェのような空間を設けています。

広いカウンターがあり、仮眠スペースにはリクライニングチェアも備えました。

屋上は雨除けも備えているので、どんな天候でも、体を動かしたり、西播磨の穏やかな風景を楽しめるのです。

全てバリアフリー化するため、エレベーターが4つのフロアを繋いでいるのです。

工程において、院長からの要望は「通常のお盆休み以外診療を止めない」でした。

診療を続けながら増築棟を完成させ、僅かに立入禁止区域を設けて、2棟を接続。

5日間のお盆休みで、既存受付の動線を改善する工事と、新たな診察室を2部屋つくるという神業的な工程だったのです。

学生時代が、F1ブーム真っ只中の私達世代は、いまだにT-SQUAREの『TRUTH』が流れてくると、ついアクセルを踏み込んでしまうという人も多いでしょう。

3度のワールドチャンピオンに輝いたセナは、1994年5月1日、サンマリノグランプリでコンクリートウォールに激突し帰らぬ人となります。34歳でした。

史上最高のドライバーは、全盛期のままその生涯を終え、伝説となったのです。

私のような普通の人は、時に自信を失い、時に立ち止まってしまいます。

しかし、大きな期待をかけ、計画を託してくれるクライアントがいる以上、嘆いていても、卑下しても、何の意味もありません。

勇気をもって前進するしかないのです。

ものづくりの一番よいところは、結果が実際に見れるところです。自信を失った時、前に進めなくなった時は、作品を見返します。

これが私の年表です。

普通の人間が、精一杯生きてきた証しなのです。

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