タグ別アーカイブ: 東海道

ひのとりで行く名古屋旅<前編>ひつまぶしを食す‐2072‐

クリスマス前の22日土曜日。

たまには妻孝行をと、近鉄特急で行く名古屋旅です。

上本町を朝7時3分に発つひのとりを予約しました。

レギュラー席なら特急料金プラス200円で乗車できます。

全席にコンセントがついているので2時間の電車旅がより快適です。

9時に名古屋駅に到着。慌ただしく地下鉄を乗り継ぎます。

足早に向かったのは、宮の渡し歩道橋すぐ近くの「あつた蓬莱軒」本店。

9時47分にはこれだけの行列ができていました。

到着すると45番目。

10時10分頃から整理券の配布が始まり、11時30分で予約できました。

南に300m程下ると、歩道橋の名前にあった宮(熱田)の渡しがあります。

東海道では唯一の海上ルートで、桑名の宿まで七里の海路を指して、 七里の渡しと呼ばれることも多いよう。

城下町の玄関口でもあり、多くの旅籠屋も集まって大変栄えました。

常夜灯の先に伸びる堀川を遡っていくと、名古屋城につながっています。

物資の輸送路としての役割も大きかったのです。

昼食までの間に、熱田神宮を参拝してきました。

お店から北に1km程度です。

名古屋城あたりから南に延びる、標高8~15mの熱田台地の南端にあり、以前はすぐ目の前が海でした。

中国では東に蓬莱島があり、不老不死の仙薬があるとされていました。

熱田神宮はその蓬莱だと考えられていたようです。

大阪にも蓬莱はありますが、縁起のよい名前として使われるのでしょう。

大阪と名古屋の蓬莱ではかなり値段が違いますが。

途中にある信長塀。

桶狭間の戦いの前に戦勝を祈願し、見事に今川義元を討ち倒しています。

信長躍進のきっかけと言っても良い戦になりました。そのお礼にこの信長塀を寄進したのです。

創建は113年。

三種の神器の1つ、日本武尊を救ったという草薙神剣が祀られています。

伊勢神宮に次ぐ、重要な神宮とされているそうです。

時間になったので、いそいそと戻ってきました。

いやが上にも期待は高まります。

それ程の待ち時間なくでてきました。

明治6年から継ぎ足されたタレに浸け、備長炭で焼き上げられた「ひつまぶし」です。

食べ方もメニューに記載されていました。

まず、うなぎで一杯のおひつをしゃもじで4等分します。

1膳目は、そのままうなぎの味を堪能。

2膳目は、薬味を加えて。


3膳目はお茶漬けに。

お茶漬けといっても、出汁茶漬けです。

そして最後はお好きなように、と。

もう何も言う事はございません。

カリフワで大変美味しゅうございました。

私的には、薬味全部乗せプラス山椒と、出汁茶漬けが双璧でしょうか。

じゅんさいの入ったお吸い物も、とても美味しかったです。

4600円の価値は十分あると思います。

ちなみに日曜日の方が空いているそうですが、12時頃に来た人も1時間先くらいの予約を確保できていました。

うなぎは匂いで売れと言いますが、大きな排気口から出る匂い付きの煙が、あたりに充満しています。

江戸時代、東海道を旅してきた旅人たちはもう我慢できなかったでしょう。

現在で言えば、いつまで私たちはうなぎを楽しむことができるのでしょうか……

熱田神宮と、鰻だけで随分長くなってしまいました。

次回、もう少し名古屋旅を書いてみたいと思います。

皆さん良きクリスマスを。


■■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

パクス・トクガワーナ‐1687‐

 外出自粛を求める大阪府は、出前サービスに対して補助をするとアナウンスしました。

 このあいだ、初めて「Uber」と書いたリュックを背負っている若者を見ました。

 昔で言えばホンダ・カブで岡持ちをぶら下げていたのが、現代だとこうなる訳です。

 何でも格好良く変化させ、ビジネスにしてしまうそのアイデアと商魂に感心するのです。

 トイレの壁に、子供の付録に付いてきた地図を貼っています。

 その中に、「むかしの境界」があります。

 文字が小さくて見えにくいのですが、北から「蝦夷」「東山道」「北陸道」「東海道」「山陰道」「山陽道」「畿内」「南海道」「西海道」と分かれています。

 黄色の「東山道」は、畿内と陸奥国を結ぶ最短ルートで、これをひとつの行政区にしてしているのが興味深いところです。

 江戸時代の5街道である中山道と、奈良時代に制定された東山道は重なる部分もありますが、江戸へ繋がるか、奈良へ繋がるかで、これだけ違いがでる訳です。

 どこで撮った写真か忘れましたが、なかなか洒落た舗装です。

 道というものがいかに大切か分かるのです。

 日本の高速道路代が高いのは良く知られたことですが、志賀高原までスキーに行くと、4時間乗って1万円くらいでしょうか。

 2011年、フランク・ロイド・ライト設計の落水荘を見るために、N.Y.からペンシルバニアまで車で8時間程走りました。

 高速代は2千円くらいだったと思います。

 山間部が多い、トンネルが必要など、他の国より多少高いのは理解できますが、流石に10倍は高い。

 これらのことは、関所の発想から来ているのではと書いたことがあります。

 「入鉄砲に出女」で表される通り、江戸幕府は人、物の動きを制限するため関所を設けました。

 大名の妻子を人質として江戸に住ませたので、特に女性の出国には厳しかったようです。

 全国に53の関所を置きましたが、日本4大関所は箱根(神奈川)、木曽福島(長野)、碓氷(長野)、新居(静岡)。

 しかし、信仰を建前とした旅には、通行手形が出易かったようで、「お伊勢参り」は庶民の憧れとなりました。

 更に「熊野詣」「金毘羅参り」と足を伸ばしたのは、信心よりも京都や大阪へ行くのが目的だったようです。

 十返舎一九の「東海道中膝栗毛」が大ヒットしたのは、そのような時代背景があったのです。

 このゴールデンウィークは、高速代の休日割引は中止という記事が出ていました。

 ただでさえ高い高速代ですが、この状況ならやむを得ないかもしれません。むしろプラスに働くのかもしれません。(本当は嫌ですが)

 150年遡れば、江戸は常時ロックダウンされていました。更に鎖国までしていたのですから、得たものと失ったものがあったでしょう。

 パクス・ロマーナはローマ帝国における200年の平和を指すものですが、270年に及ぶこの時代をパクス・トクガワーナ言ったりもします。

 歴史に名を残す平和は、得たものの代表格でしょう。

 「お伊勢参り」が一生に一回だったとすれば、私はすでに7人分くらい参っていると思います。

 熊野も金毘羅宮も訪れました。

 江戸時代は、鎖国されていた上に、都市往来の自由はありませんでした。

 それに比べれば大した我慢ではありません。

 こういった話になると「今は時代が違うから」という話もでてきます。

 その通りです。今は現代人が当たり前に享受してきた安全が脅かされているのです。

 時代は常に変化して行きますが、孔子の言う温故知新の通り、過去には常にヒントがあるはずです。

 弥次さん喜多さんが待ち望んだくらい、次の旅を楽しみにできるなんて、一生にそうは無い事かもしれません。

 勿論江戸っ子だけでなく、全国民がです。

A photograph is wonderful.
2011年8月 ローマ/コロッセオ

■■■4月8日『Sumikata』東急リバブル発行
巻頭インタビューが掲載されました

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

【News】
■5月10日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■2月13日 『Best of Houzz』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞
■2月3日『Houzz』の特集記事に「阿倍野の長屋」掲載
■12月3日 『Houzzユーザーが選んだ人気写真:キッチン編』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が5位に選出
■9月30日発売『suumoリフォーム 実例&会社が見つかる本 関西版』「回遊できる家」掲載
■7月21日BS朝日『大改造!!劇的ビフォーアフター』「住之江の元長屋」再放送
「トレジャーキッズたかどの保育園」
地域情報サイトに掲載

■2017年11月27日ギャラクシーブックスから出版『建築家と家を建てる、という決断』守谷昌紀がamazon <民家・住宅論>で1位になりました

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記