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1998年6月、天王寺のワンルームマンションにて‐2332‐

昨日は早朝から雨でした。

昼前からは一転して晴れ。
夏至の太陽がジリジリと照りつけてきます。

4階の屋上部分に日除けネットを張ってみました。

どのくらい効果があるか、この夏は様子を見てみようと思います。

朝のうちに用事を済ませ、11時からは大谷翔平選手と山本由伸選手が出場するドジャースの試合をダイニングのテレビで観戦。

13時からは、サッカーワールドカップの日本対チュニジア戦を隣にあるリビングのテレビで観戦。
重なっている時間帯は2画面体制でした。

大谷選手は、第2子誕生を自ら祝う16号ホームラン。

サッカー日本代表は過去最多の4得点で快勝。
4点目となった上田綺世選手のヘッドは本当に凄かった。

フワッと柔らかいセンタリングを、遠いサイドのゴール奥隅にループで決めるという……

頭で捉えた後、テレビの前で「何して……」と声がでました。クロスバーの上に外したと思ったのです。

日本人があんな決め方をしているシーンを見たことが無かったからですが、欧州リーグ得点王の実力は伊達ではありませんでした。

先日のことですが、敷地調査へ行った帰りに天王寺を通りました。

ハルカスの並びにある都シティ大阪天王寺の正面あたりに、北へ抜ける陸橋があります。

JRの大和路線、環状線を越えて、阪和線手前のスロープで下るという複雑な陸橋なのです。

阪和線をくぐり、線路沿いに西へ進むと。

JRの施設が見えてきます。

ネットフェンス越しに「リラックスステーション天王寺」の文字が見えています。
以前この建物は、JRの社員食堂でした。

30年前は一般の人も入ることができ、定食が400円くらいだったと思います。

この近くのマンションでアトリエmを創業しました。
当然お金はなく、この食堂を大変重宝したのです。

そのまま、すぐ北の玉造筋に出てきました。

南北に走る玉造筋が西向きに方向を変え、天王寺動物園にぶつかるすぐ手前あたりです。

北側には中規模のバスターミナルがあるのですが、その後ろに3棟のマンションが見えています。

中央の背の低いマンションの5階に、小さな部屋を借りました。

当時、左右のマンションはなく、あたりには「高層マンション反対!」の幟が建っていました。

右手前に見えるホテルは当時のままですが、バルコニーは南向きでとても明るく、全く違った環境でした。

エントランスのある北側に回ってみます。

当時は立ちんぼが立っていたので、お世辞にも良い環境とは言えませんが、駅チカと家賃を優先しこのマンションにしました。

1996年の6月から、3年をここで過ごしたので本当に懐かしい。

1993年の「ドーハの悲劇」あたりから、サッカーの日本代表戦を観るようになりました。
1997年の「ジョホールバルの歓喜」を経て、1998年のフランス大会で初出場を果たします。

アルゼンチン戦、クロアチア戦、ジャマイカ戦と全敗しますが、27歳の私は、4畳しかない部屋に17インチくらいのブラウン管テレビを持ち込み、仕事の合間にかぶりつくように観ていました。

どんな年だったかを思い出す時、作品の年表で振り返ることが大半です。

1998年は「 白馬の山小屋」。

「Spoon cafe」が完成しました。

その時、どんな苦労をしたか、どんな喜びがあったか、それを見れば一瞬で思い出せるからです。

それと同じように、ワールドカップの記憶と共に、自分の人生を振り返ることができます。
だからこそ、世界最大のスポーツの祭典となったのでしょう。

当時、発展途上にある日本代表に自分を重ね、勇気を貰っていたのだと思います。

1997年、中田英寿選手が低い弾道のシュートで時代をこじ開け、1998年、ゴン中山選手がヒザで押し込んだ1点から28年が経ちました。

本物の点取り屋がいる日本の次戦はスウェーデン。
金曜日は楽しみしかありません。

■■■5月8日『ミラタップ』のカタログに「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■■

■■10月1日『建築人 10月号』に「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」が掲載されました■■

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味は本場、値段は町中華 上町界隈の名店⑦「純華楼 上本町店」‐2331‐

屋上から西を望むと、長堀通と上町筋の交差点「上本町1丁目」の信号が見えます。

その南東角に建つ雑居ビルの2階にあるのが「純華楼 上本町店」です。

玉造に本店がありますが、すぐ近くなのでいつか行こうと思っていました。

2階へ続く階段には、餃子の写真が掛かっています。

空芯菜の写真も。

それぞれの金額が、実際には583円と1188円なのはご愛敬です。

17時開店で、17時30分頃着いたのですが、その時点ですでに4組くらいが着席していました。

「早めに来たつもりだったのにな」と思いながら、すぐに3品をオーダー。

一番初めにでてきたのは「ピータンと豆腐の冷菜」。

それをあてに飲み始めました。

ちょっと甘めで、これだけ美味しいピータンは食べたことがない、というくらい美味しかったです。

「空心菜の炒め」も看板が掛かっているだけに看板メニューのお味です。

そして「手作り餃子」がでてきました。

看板に偽りなしで、小籠包かと思うくらい肉汁があふれ出てきます。

それなのに皮はパリッと香ばしく。

2人で6個は少なかったかな……
いやいや、食べすぎは禁物……

心の中で葛藤が続くくらいの絶品でした。

「イカ下足の唐揚げ」と「砂ズリと白ネギの和え物」。

特にイカ下足が美味しい。

他にも色々食べましたが、締めに「五目チャーハン」。
からっと仕上がったうえに、玉子の味が際立っていました。

ビール2本を飲んで、2人で6500円程。

1時間半程で引き上げましたが、大満足の夜でした。

壁には、芸能人の色紙も飾ってありましたが、『ごぶごぶ』のステッカーも。

ハマちゃんがマッチをもてなす場にこの店が選ばれたとは、何とも粋なセレクトです。

店で働く人は、おそらく全員が中国人で、中国語がとびかいます。
本場の雰囲気も味わえるのです。

中国本土は未体験ですが、2019年に訪れた香港を思い出しました。

「町中華」なる言葉を時々耳にしますが、昭和の雰囲気が残る、日本人の好みに合わせた、安価な中華料理店という感じでしょうか。

味は本場、値段は町中華。

こんな申し分のない店が近くにあるのは幸せ以外の何物でもありません。

打ち合わせに見えていたクライアントが、帰り際、お子さんに「〇〇で食べて帰る?」というと、「もっと普通の店でいい」と。

〇〇は高級なタイプのお店で、私なら小躍りしてしまうかもしれません。

「純華楼 上本町店」とアジフライの美味しい「橋の湯食堂」をお勧めしてみました

「橋の湯食堂」を訪れた時は、まだ『上町界隈の名店』というコンセプトができていなかったので、そのタグを付けていません。

いずれ再訪して、またここでUPしたいと思います。

さてお2人は、どちらかの店を訪れたのか、そことは違う店になったのか。

次回打ち合わせ時に聞いてみたいと思います。

■■■5月8日『ミラタップ』のカタログに「ドッグランのあるタイル床の家」の写真が掲載されました■■■

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生まれた時から民主主義‐2328‐

週末の雨模様とはうってかわって、日中はよい天気でした。

公園のアベリアが小さな花をつけ始めています。

近隣には緑化をしている建物が多くあります。

庭木も同じく。

よそ様の庭先でアジサイが咲きはじめたので、梅雨入りは間もなくでしょう。

雨の日には、別の味わいがあるのがアジサイです。

街の風情は、住民の地域愛で作られる共同作品といえます。

水道水が安全に飲める国は、日本を含めて、世界で11ヵ国しかないそうです。

雨が豊かな水資源を供給してくれること、国土が狭いことが大きな要因だと思います。
また、河川へのゴミ投棄が少ないことや、下水道の発達もその理由のようですが、それでもその少なさに驚きます。

更に驚いたことがありました。

完全な民主主義は、世界で24カ国しかなく、割合で言えば8%以下。
一方、権威主義は59カ国で39.4%。

民主主義を掲げていますが、実際には機能していないカンボジアやミャンマーなどは実質上、権威主義に分類されての割合です。

権威主義国家より、民主主義国家のほうが、仕事に遣り甲斐がない、などということは絶対にないはずです。
ところが、日本の国力低下が叫ばれて久しいのです。

このままでは、権威主義に飲み込まれてしまう……
民主主義が少数派だということに、背筋が寒くなるのを覚えました。

少子高齢化社会、海外資本の流入と、日本に課題は山積しています。

しかし、世界中の人が街の美しさに感激する国でもあります。
それは、地域愛によってのみ実現できることです。

生れた時から、水道水を飲むことができ、選挙が機能し、自由に発言できました。それが、どれほど恵まれたことなのか、今頃になって痛切に感じます。

これらを守りたければ、民主主義が素晴らしいものだと証明しなければなりません。

そのヒントは美しい街にあると思っています。

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巨大な立体ダンジョン「大阪ステーションシティ」‐2326‐

週末、大阪駅に出ると空がまるで秋のよう。

雲が高く、気温も程よい夕暮れ時です。

大阪駅の北側は、「グランフロント」や「グラングリーン」など話題にこと欠きませんが、南の玄関口は「サウスゲートビルディング」です。

ビル内に入ると、すぐ左にエレベーターがあります。

大阪駅周辺の施設は「大阪ステーションシティ」と呼ばれていますが、あまりにも複雑すぎて、正直あまりよく分かっていませんでした。

エレベーターの向かいあたりに、歴代を大阪駅を解説しているパネルを見つけました。

初代大阪駅は明治7(1874)年に開業。

大政奉還からわずか7年に、木造レンガ貼りの駅舎が完成しています。

当初は堂島が計画地でしたが、住民が街中に駅ができることを嫌って埋田(うめだ)と呼ばれていたこの地に駅ができることになりました。

明治34(1901)年に2代目大阪駅が完成します。

初代から東へ200m程移動し、現在の大阪駅とほぼ同じ場所になりました。

昭和15(1940)年に3代目が完成。

完成当時は吹き抜けを備えた中央の高い部分の左右に、将来ホテルとする鉄骨も完成していたとあります。

しかし、戦時中に軍の要請で鉄骨は供出され、ホテルは実現しませんでした。

4代目大阪駅は、通称「北ビル」が昭和54(1979)年に線路の北側に完成。
まず業務施設を移転します。

そして昭和58(1983)年に「アクティ大阪」が完成します。

国鉄の赤字経営を背景に、商業施設を併せ持つという方針のもと、地下4階・地上27階、幅120m×高さ120mの大壁面が完成しました。

ここには大丸梅田店とホテルグランヴィア大阪が出店しました。

私が13歳の頃で、梅田を通って通学していたので良く覚えています。

5代目大阪駅は平成23(2011)年に完成。

まず「アクティ大阪」を南側に増築して「サウスゲートビルディング」に改称。

北側の「うめ北」エリアを繋ぐ大屋根を掛け、その先に「ノースゲートビルディング」が完成します。

線路の上空にある連絡通路は、いくつもの広場を備え、立体的につながっている景色は、他ではなかなか見れないものです。

「ノースゲートビルディング」には、「ルクアとルクア イーレ」が出店。
「サウスゲートビルディング」の大丸梅田店の上階、10階から16階は今年の4月から「ルクア サウス」となりました。

15階建ての増築部、その屋上が解放されていることは全く知りませんでした。

高校の同級生と会食した店が「ルクア サウス」の16階にある豆腐料理屋さん。

女子率高めのおしゃれな店でした。

大阪のど真ん中での立て替え、移転、増築と、どの計画も困難を極めたと思います。

それがこの複雑で巨大な立体ダンジョンと言ってよい「大阪ステーションシティ」を生んだことがよく分かりました。

地下もダンジョン、駅もダンジョン。

ダンジョンこそが大阪の魅力でした。

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ゆっくりあるけ しっかりあるけ 山頭火‐2322‐

アトリエから歩いて10分くらいにある難波宮跡公園。

中央大通の両側に広がりますが、北側には「なノにわ」という商業施設があります。

飛鳥時代から奈良時代にかけて都が置かれ、その宮殿の跡地を公園として保存しているのです。

通りがかると、芝刈りロボットがお仕事中。

側溝ギリギリを攻めています。

少しの間見ていたのですが、意思をもっているかのように、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。

芝の無い通路部分を横切ったりもするのです。

ロボットなので、この暑さにも一切文句も言わず、この広大な公園をたった1人(1機)で芝を刈るのですから、尊敬しかありません。

暑くはありますが、植え込みの花は満開。

黄色い花は、マーガレットかデイジーか。

キクのような葉をしているのがマーガレットとあったので、デイジーでしょうか。

足もとでは、紫の小さな花が咲いています。

自然の力がみなぎる季節です。

アトリエで活ける花は、空堀商店街で買ってきます。

花屋さんは谷町筋より東側の空堀ど~り商店街にあります。

店の名前は「山頭花」。

自由律俳句でしられる俳人、種田山頭火からとったのでしょう。
金額も非常にリーズナブルで、とても助かるのです。

1882(明治15)年に生まれ、1940(昭和15)年に松山で無くなった山頭火は、その作風とは異なり、厳しい人生を歩んでいます。

母と弟を自死で亡くし、実家が経営する酒造会社は倒産、離婚し酒に溺れ、自殺未遂……

その中でも、旅をして俳句を描き続けた流浪の人生でした。

AIが経済を支えるように、労働をより多くをロボットが負う時代は進むでしょう。

怒りも、喋りも、貪りもせず、ゆっくり、しっかり働くロボット。
山頭火の詠んだ世界とは全く逆の世界です。

人にとって快適で、清潔な世の中になっても、心の機微を詠む俳句などの淡い文化はこれからも残っていくのでしょうか。

ゆっくり歩いて、しっかり見届けたいと思います。

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AIで探す、あの松本ドライブイン‐2321‐

昨日、「seven dreamers Shibakouen Tokyo」の【Works 】<Public>をUPしました。

seven dreamersもこの店舗も、2019年に無くなってしまいましたが、当社としては持てる力を出し切って、コンセプトを体現できたと思っています。

よければご覧ください。

ゴールデンウイークの長野行きでは、上高地、安曇野について書きましたが、もうひとつ裏テーマがありました。

最終日の5月6日は松本へ。

松本駅の南に車を止め、蔵造りの建築が多く残る「中町通り」まで歩きました。

女鳥羽川を、松本城のある北側に渡ります。

こちらは「なわて通り」。

こちらは昭和レトロの土産物屋さんが建ち並びます。

女鳥羽川を挟んで2つの商店街があるのです。

昼食をとろうと蕎麦屋を探しますが、14時を回っていたので閉まっているところが殆ど。

意外にも、老舗店らしい「こばやし」が開いていました。

四柱(よはしら)神社の境内からアプローチできるというびっくりするようなロケーションです。

しかし、蕎麦も天ぷらも絶品。明治末期創業は伊達ではありませんでした。

特にさつまいもの天ぷらは、厚みが通常の3倍くらいあるにもかかわらず、ほくほくと甘く、素晴らしかったです。

その後、国宝・松本城へ。

前回、2015年8月に訪れた際は曇りでしたが、この日は青空。

黒を基調とした美しい天守閣は、水面と背後の白馬の山々を従えた絶景レベルでした。

大学の授業があると先に帰った長女には申し訳ないのですが、美しい稜線に囲まれ、これ程水が美しい街はそう無いでしょう。

その後、長男を松本駅前まで送りました。

アルピコバスターミナルから、新宿行きのバスで帰って行ったのです。

松本観光の前に訪れたのは、南北に走る国道19号線と国道158号線が交差する「渚1丁目」。

妻も学生時代からスキーにはまっていました。

シュプール号なる電車もありましたが、安いのは夜行バスでのツアー。
その際に、必ず最後に休憩したのが、あの「松本ドライブイン」です。

この旅行に来る前、かなりのWebサイトを調べたのですが、結局特定できませんでした。

そのことを旅先で長男に伝えると、チャットGPTで調べてくれました。その回答は、19号線と国道158号線が交差するあたりではというもの。

しかし来て見ると、妻は「こんな感じじゃなかった気がする」と。

聞き込み調査をするも、意外に皆さん知らないのです。

長男が、今度はジェミニでリサーチを始めると「見つけたかも」と。

松本市島之内8012-1まで行ってみました。

19号線を4kmほど北上し、左折すれば白馬へ向かう147号線、右折すれば上田盆地へ抜ける254号線。
平瀬口という交差点でした。

現在はジェミニ君の言う通り、日本梱包運輸倉庫株式会社(ニッコン)の松本営業所が建っています。

横を通り過ぎると、敷地に降りる通路が見えました。

多くのバスはここからドライブインに入ったのだと、後で分かりました。

右折して、東に向かう254号に乗るとすぐに高架下に降りる道路があります。

降りてみると、のどかな景色が広がっていました。

60歳代くらいの男性が居られたので、話を聞いてみると、やはりここが松本ドライブイン跡でした。

「高速が安曇野(当時は豊科)まで伸びた段階で、いっぺんにすたれていったよ」と。

松本ドライブインの思い出話をしたあと「地元の方にとって、ドライブインがあったことは良かったことでしたか?迷惑なことでしたか?」と聞いてみました。

「ん~どっちでもないかな。ただ初めてのアルバイトはここだったよ」と。

それを聞いて、何だかほっとしたのです。

元ドライブインの裏側まで歩いてみました。

妻はしきりに「山菜蕎麦が美味しかった」と繰り返すので、長男は「珍しくお母さんがそれだけ言うんやから、相当やったんだろうね」と。

私が「いや、普通のドライブインの蕎麦やったと思うよ。ただ、大阪では食べない、醤油の濃い信州蕎麦は、違った美味しさがあったのは事実かな」と答えておきました。

長野自動車道が安曇野インターまで伸びたのが1988(昭和63)年。私が高校3年生の時です。

大学になってからは自分の車でスキーに行ったので、私にとってもそれまでの思い出です。

沢山のツアーバスがエンジンを掛けたまま待機し、もの凄い排気ガスの臭いの記憶しかありませんが、不思議と嫌な思い出ではありません。

むしろ、そんな臭いとともに当時の記憶が蘇ってきます。
1970年代生まれまでのスキー好きには、共感してもらえるのかなと思います。

長男が言うには「チャットGPTでは無理だったのに、ジェミニはさすがにGoogleだけあって、地図系には強いね」と。

もしWebサイト調べで「アルピコ 松本ドライブイン」で検索していたら、Wikipedia内にあるヒントをみつけられたのですが、AIの威力を思い知ることになりました。

昭和の思い出とAI。

一見相容れないものですが、これが現実でした。
あまり使ってはいませんが、使い方次第であることは間違いないようです。

山菜蕎麦は550円くらいだったかなという話になりましたが、特定できる方や、写真を持っている方が居れば、是非見せて貰えると嬉しいです。

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池原詣では哲学の道‐2320‐

先週末は、奈良県下北山村の池原ダムへ行っていました。

およそ1年振りの池原詣でです。

ゴールデンウイーク最終盤につき、トボトスロープも大盛況。

スロープは勿論のこと、場外にまで車があふれています。

世田谷ナンバーの車が止まっていました。

バスフィッシングの聖地に、全国から釣り人が集まってくるのです。

1枚目の写真が、閑散とした桟橋なのは皆が出船した後だからでした。

ボートは屋外に駐艇しているので、雨、風、雪と過酷な条件にさらされています。

1年振りだったので、何度セルを回してもエンジンが掛からず……

赤と黄のパーツ、ディレイが壊れていたそうで、湖上で修理して貰いました。
本当にありがたい限りです。

気持ちよいエンジン音に満足しながら、遅ればせながら出船です。

湖上には多くのボートが浮いていますが、これもゴールデンウイークならではの風景。

たまにしか来れない人も居ると思うので、邪魔にならないよう、慎重にポイントをセレクトしました。

しかし、ここに通って30年。それなりの引き出しは持っているつもりです。

およそ1年振りの池原フィッシュは、慎重にネットで取り込みました。

43cm、1kg弱の美しい魚でした。

その後、40cm足らずを数匹。

初日はこれで終了です。

2日間で最大は45cmでした。

できれば記録級、最低でも50cmアップを狙いますが、40cm中盤でも満足です。

この景色があれば。

湖上に浮いているだけで、体と心がフレッシュになっていく感じがするのです。

2日目は早めに上り、帰路につきました。

片道2時間ちょっとの道程のうち、半分は山中を抜ける169号線です。

途中、美しい山村を抜け。

奈良盆地を横断し。

大阪に戻ります。

この何百回と通った道は、私にとっての哲学の道です。

軽くハンドルを握り、流れる景色を眺める贅沢な時間。

仕事のこと、家族のこと、今後のこと、そして次回釣行のプランと、思いつくままに物思いにふけるのです。

久し振りに池原に行き、やっぱり釣りが好きなのだと実感しましたが、行き帰りの5時間が一番好きなのかもしれません。

せわしない現代社会、スマホやパソコンを物理的に触れない時間を、積極的に確保しにいく必要があるのかもしれません。

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高島野十郎が描く、やるせないほどの美しさ‐2314‐

日曜日は、3月初め以来の完全オフ。

のんびりと、大阪中之島美術館の『没後50年 髙島野十郎展』へ行ってきました。

天気はもうひとつでしたが、暑くもなく寒くもなく。

髙島野十郎は、昨年の夏放送されたNHKの『日曜美術館』で知りました。

絵画はやはりブランド力が大きくものを言います。
誰も知らない絵を観る機会はほぼ無いからです。

しかし、テレビを通してでも感じ入るものがありました。
存命中は無名だったと知り、とても気になっていたのです。

「絡子をかけたる自画像」 大正9(1920)年

高島野十郎は、明治23(1890)年に福岡県久留米市の裕福な酒造家の5男として生まれます。

そして中学生の頃、絵に目覚めます。
東京帝国大学農学部水産学科を主席卒業するという秀才ですが、皆が驚くなか、画家の道を選ぶのです。

独学、独身、美術団体にも属さない、孤高の人でした。

「壺とりんご」 大正12(1923)年

「世の画壇とまったく無縁になることが小生の研究と精進です」と知人への手紙に書き残しています。

明治末期には様々な西洋絵画の情報が日本に入ってきました。

雑誌『白樺』が盛んに紹介したこともあって、多くの若い画家がフィンセント・ファン・ゴッホの影響を受けます。
野十郎もそのひとりでした。

「イーストリバーとウィリアムズブリッジ」 昭和5(1930)年

昭和5(1930)年にヨーロッパ視察の旅に出ています。

その前に立ち寄ったニューヨークで描いた1枚ですが、印象派の影響も色濃く受けていることを感じさせます。

「ひまわりとりんご」 大正時代(1912~1926)頃

ゴッホの象徴とも言えるひまわりに、りんごを加えているところも何だか愛らしいのですが。

「からすうり」 昭和10(1935)年

しかしその筆致はここまで進化します。

遺構ノートが見つかったことで、彼の考えを言葉で知ることができます。

「からすうり」はやるせないほどの美しさでした。

学生時代は魚類の感覚に関する研究を行っていました。

その時のスケッチが公開されていました。

食材としても高級魚のオニカサゴ。もう美味しそうでさえあるのです。

左:「雨 法隆寺塔」  昭和40(1965)年  右:「法隆寺塔」  昭和33(1958)年

詩人だった兄の影響からか、仏教に深く傾倒していました。

写実的な描写が慈悲の実践と考えていたので、絵を描くこと自体が仏の教えに迫ることだったのです。

「積る」 昭和23(1948)年以降

一方、その画風は多彩を極めます。

点描画のような表現が、雪の軽さと、豪雪地帯の雪の過酷さを同時に表現しているようです。

解説には、好んで通った山形である可能性が高いとありました。

最後の展示エリアは、凄い演出でした。

野十郎が生涯に渡って書き続けた、「蠟燭」と「月」が、ほぼ真っ暗な中で展示されています。

「蝋燭」 昭和23(1948)年以降

「蝋燭」 はかなりの点数が展示されていましたが、個展で発表されることもなく、親しい友人や知人に感謝の気持ちとともに手渡された贈り物でした。

「満月」 昭和38(1963)年頃

光を描くという意味では同じ主題ともいえる「月」。

最初は月夜の風景を描いていたのが、晩年はただ闇夜に輝く満月だけを描くようになっていきます。

主役は闇でした。

存命中はほぼ無名だった野十郎ですが、没後5年経った昭和55(1980)年の「近代洋画と福岡県」という展覧会で評価がはじまります。

そして没後50年の、この展覧会に至るのです

独学、独身、孤高ということばで語られますが、不思議と悲壮感は全く感じません。
そこは育ちの良さと、頭の良さからくるのでしょうか。

展示作品は約150点にも関わらず、ほぼ全ての作品に解説があり、全く飽きることはありませんでした。
この展覧会を主催した人達の熱意も伝わってきます。

撮影可能な作品をいくつか紹介しましたが、実物はこの比ではありません。

6月21日(日)まで会期があるので、まだの方に絶賛お勧めしておきます。

孤独ではない孤高の人。

何だかヒントを貰ったような気持ちになりました。

「月」 昭和37(1962)年

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■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」の内覧会開催■

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ディープ大阪「天下茶屋」編‐2313‐

昨日の雨に反して、今朝はカラッと晴れました。

水たまりが日を受けてキラキラと美しい朝でした。

雨の昨日ですが、敷地調査に向うため、天下茶屋で地下鉄から南海高野線に乗り換えました。

ラピートを駅でみるとやはりテンションが上がります。

地下鉄堺筋線のインバウンド比率の高さに驚きましたが、こちらのラピートはマレーシア観光をアピールするラッピング車両でした。

マレーシアの人は日本人を見て「インバウンド客の多さ」に驚いているのでしょうか。

現地へ向かう電車から「天下茶屋駅前商店街」のアーケードが見えたので、帰りに寄ってみました。

雨の昼過ぎというのもあるでしょうか、アーケードの人通りは多くもなく、少なくもなくといったところ。

ただ、お店は下町感満載です。

店名だけでは何屋さんか分かりませんが、何が好きかは誰にも伝わってきます。

アーケードを抜けると、道をはさんでもうひとつのアーケードが見えてきました。

こちらは「天下茶屋商店会」とあります。

道路を渡ると、入口の2店舗は絶賛営業中。

が、その奥は閉まっている店が大半です。

一番奥のミートショップは営業中でした。

唐揚げが300円、コロッケは80円だったかなと思います。

昼食を済ませていなければ、買い食いしていたのですが……

ウロウロしていると頬に冷たいものを感じました。

見上げると、換気機能付きアーケードでした。

雨の日に、ちょっと雨を感じるのも悪くないものです。

商店街でなく、商店会というのも何だか腑に落ちたのです。

大阪市のWebサイトにはこうあります。

天下茶屋は、秀吉の時代には最先端のカフェがあっただけでなく、カフェ文化を根付かせた街と言っても良さそうです。

時代とともに、街は振り子のように盛衰を繰り返すものですが、雅俗も含めてなのでしょうか。

西成区のど真ん中、天下茶屋でディープ大阪を満喫してきました。

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■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」の内覧会開催■

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上町界隈の名店⑥「大阪の味 割烹とんぼ」‐2312‐

実施設計の最終段階にはいったプロジェクトが「どんな日でも遊べる家」です。

クライアントから、CG公開のOKを貰ったのでUPしてみます。

なぜどんな日でも遊べるかを、良ければご覧ください。

昨日の昼食は、近所にある「割烹 とんぼ」へ行っていました。

創業180年の老舗割烹に行ったのは、日曜日の昼食くらいは贅沢しようと決めたので……というのは冗談で、町内会の総会があったからです。

集会場が少し遠く、町内にある「割烹 とんぼ」で昼食を取りながらが恒例だそうです。

こちらに越してきてすぐに買った「あまから手帖」の2025年1月号。

表紙がこの店の料理だったので、とても楽しみにしていました。

豆ごはんセット2420円、かき天丼1760円、うなぎ丼2750円のメニュー札が掛かっていました。

嫌が上でも期待は高まります。

2階の堀ごたつ形式の和室で、18名での会食でした。

ほたるイカからスタート。

お造り。

煮物と続きます。

そして鯛の煮付け。

煮物はどれも甘めで、箸が進みます。

男性陣は飲んでいる人が大半でしたが、戻ってから仕事があるので、ここはグッと我慢です。

両隣りは面識がありましたが、ほぼ皆さん初対面です。

長くこの地に住んでいる方が大半で、上品な方ばかり。

私達でも「若い」部類に入るということで、とても暖かく迎えてもらいました。

店前のメニューにかき天丼がありましたが、かきの天ぷらは味が凝縮した感じで、大変美味しゅうございました。

「包丁一本晒にまいて」で始まる「月の法善寺横丁」のモデルはこの店の先代だという話や、作家・藤本義一がこの店を贔屓にしていたとか、江夏豊など阪神の選手もよく来ていたとか、面白い話を沢山聞かせてもらいました。

女将さんに「何が一番お勧めですか?」と聞くと、「タコの桜煮です」と。

あまから手帖の表紙になるくらいなので、それはそのはずです。

タコの煮ものがあったのは分かっていたのですが、おしゃべりに夢中で、写真を撮り忘れてしまいました。

痛恨の極みですが、来年も参加する理由ができました。

クライアントから新築しするための土地探しから相談を受けることもありますが、「ご近所さんは選べないので、できれば頑張ってコンタクトを取ってみてください」と伝えます。

しかし、自分が購入した時は、言ったことを全く実行していませんでした。

雰囲気を見ただけで、絶対に良い人ばかりに違いないと確信していました。

自分が住む街を好きな人が多ければ多いほど、街の雰囲気はよくなります。それを実感できた町内会の総会でした。

本の中では4ページに渡って、由緒が紹介されています。

現在の大将は5代目で、息子さんである6代目に引き継ぐのもそれ程先ではなさそうです。

大阪の味を繋ぐ「割烹 とんぼ」。

私の手絡では全くありませんが、そんな店が町内にあることを誇らしく思います。

帰り道も、街の説明をしてくださるご近所さん。

私の直感が正しかったことを確信できた日になりました。

■■■10月1日(水)『建築人 10月号』に「尼崎園田えぐち内科・内視鏡クリニック」
が掲載されました■■■

■9月28日(日)地域のために、リハビリ棟を増築「ささき整形外科クリニック」の内覧会開催■

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