タグ別アーカイブ: 地下街

梅田ダンジョン③最終回<阪急三番街と阪急サン広場編>‐2091‐

これまで、2回に分けて梅田ダンジョンを紹介してみました。

1回目は<大阪駅前ビル編>

南の端に広がる、大阪駅前第1・2・3・4ビルの地下街をとりあげました。

2回目は<1.2KM東西横断脱出編>

日本最大級と言われる梅田ダンジョンですが、東西1.2kmを横断してみました。

3回目は北端の阪急三番街から南下してみます。

阪急の大阪梅田駅は、このエリアにある駅では最北に位置します。

その中でも、一番北にあるのは茶屋町口。

駅をでると、北に抜ける道には以前水族館がありました。

現在は、ブロックのアートに変わっています。

地下に降りて行くと、「川が流れる街」阪急三番街です。

北館と南館に分かれています。

オープンは1969年ですから、私より1つ年上。

長く続く店舗も結構あります。

何と言っても見所は「川」です。

沢山の店舗面積を失うにも関わらず、新しい試みにチャレンジしたのです。

以前は、噴水アートが素晴らしかったのですが、現在は若干大人し目。

それでも、創業者・小林一三からの引き継がれる阪急魂を感じるのです。

三番街は東西にも南北にもかなりの広さがあります。

南東の端で、ホワイティうめだと繋がるのです。

そのホワイティうめだを南下する途中に、阪急サン広場地下通りがあります。

入口が分かりにくく、若干アップダウンがあるのですが、ちょうど梅田ダンジョンの中央を東西につないでいます。

梅田ダンジョン攻略にはここが意外に重要です。

この写真は上が南です。

三番街は西にも行けるのですが、南に抜ける通路がないのです。

久しぶりに通るとリニューアルされていました。

丁度阪急百貨店の北端を東西に走っているのです。

地上で言えば、阪急百貨店とJR大阪駅を結ぶ横断歩道の真下。

ここを西に進むと、御堂筋線の梅田駅の中北西改札の脇にエスカレーターがあります。

梅田周辺は、地盤沈下の影響で本当に段差が多いことを昨年の8月に書きました。

ここは、ekimoを介して東梅田駅からもアクセスでき、唯一段差無しでJR大阪駅にアクセスできるエスカレーターなのです。

キャリーを引いている時などは本当に重宝します。

ただ、ここまでの通路幅が狭いからか、表示板などでは積極的に案内はされていません。

それで、この東西ラインが梅田ダンジョン攻略のポイントなのです。

阪急サン広場とはここのことでした。

地上に出れば「ああここか」となるのですが、地下は情報が少ないので、経験だけが頼りになるのです。

梅田ダンジョンのことを3回に分けて書いてみました。

阪急サン広場地下通りも上手く活かして攻略してみて下さい。

■■■2月14日『Best of Houzz 2024サービス賞』受賞

■■■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

梅田ダンジョン②<1.2km東西横断脱出編>‐2085‐

日本最大級の迷宮と言われる梅田ダンジョン。

東の端にあたるのは「ホワイティうめだ」の「泉の広場」です。

このマップは、薄い黄色が地下街を示しています。

上が南なのが若干分かりにくいのですが、地図が見切れる左端の、L字の部分が現在地です。

マップの右、西に向って歩いてみることにしました。

「泉の広場」の名前だけは残りましたが、水はどこにもありません。

以前は、特有の雰囲気を醸し出していたこのエリア。懐かしいものです。

北向きにのびるモールは「NOMOKA」。

西に延びる「イーストモール扇町」も合わせて、「ホワイティうめだ」大半が飲食店です。

200m程行くと「阪急三番街」に繋がる「ノースモール」が北に分岐します。

少し西に進むと阪急百貨店のコンコースに繋がる大階段もあります。

南には梅田ダンジョン①で紹介した、大阪駅前ビルに繋がる地下鉄東梅田駅や、「センターサウスモール」へも分岐しており、このあたりも複雑です。

公共の通路でスロープを設ける場合は1/12勾配以下が良いとされています。

このスロープが1/12勾配で、スロープを設計するときの参考例によく使っています。

一度スケールを持って測りに行ったことがあるのです。

ここから梅田ダンジョン内で、歩行難易度最難関エリアに入って行きます。

現在、大規模なリニューアル工事中。

それもあって死角も多く、ここを涼しい顔で横切れれば「梅田ダンジョン通」と言って大丈夫。

北には地下鉄梅田駅と駅に入らずとも北に抜けれる「ekimo」、南には阪神百貨店と阪神電車の大阪梅田駅があります。

東には地下鉄東梅田駅、西にはJR大阪駅と地下鉄西梅田駅。

地上で「阪神前」の交差点で信号で交通整理がされていますが、その地下では、もの凄い数の行先が違う歩行者が交錯するのです。

「阪神前」地下を過ぎれば道幅も広がり、随分歩きやすくなります。

以前は各都道府県の名産品をおばちゃんが販売していたのがここ。あの景色も懐かしい。

100m程行くと、北はJR大阪駅、南はディアモール大阪に繋がる交差点に。

さらに西に行くと、地下鉄西梅田駅。

すぐ先には「ヒルトンプラザWEST」そして「ハービスENT」。

ビルボードライブ大阪も越えると、オオサカガーデンシティまでやってきました。

ここまでくると、同じ梅田ダンジョンでも人通りは激減。

若干気温が下がったのは、外部と繋がっているからのようです。

ついに西端までやってきました。

2枚目の写真はここで撮ったものでした。

1マスが200mなので左端から右端まで約1.2km。梅田ダンジョンを東西横断し脱出成功です。

何故か思い立った梅田ダンジョン探索。

梅田を通るたびに少しずつ写真を撮りためました。

次回、最終回は北端の水の流れる街までを紹介したいと思います。

■■■1月29日発売『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載

■■8月1日プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」オープン

■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

梅田ダンジョン①<大阪駅前ビル編>‐2083‐

1月29日発売の『日本一わかりやすい 一戸建ての選び方がわかる本2024-25』「回遊できる家」掲載されました。

実務書といった雰囲気ですが、『SUVACO』の編集部からオファーがありました。

普段お世話になっていることもあり、協力させて貰ったのです。良ければ手に取ってみて下さい。

インバウンドの増加も伴い、時々話題に上がる梅田ダンジョン。

「梅田の地下街が迷路のようだ」ということですが、確かに複雑です。

阪急百貨店前のコンコース南端にある階段を降りると、「ホワイティうめだ」に出ます。

ホワイティうめだは、南北にも東西にも長い地下街ですが、南で大阪駅前第4ビル、西で阪神百貨店、阪急百貨店とつながります。

梅田ダンジョンの中で最南端にあたるのが、この大阪駅前第1・2・3・4ビルの地下街です。

コンコース南端の階段を降り、まっすぐ進むのではなく、一本東の東梅田駅のある通路を通るのがお勧めです。

突き当りにある階段が、大阪駅前第4ビルの地下1階と繋がっています。

すぐ脇にある階段を降りると、石垣がある通路が見えてきます。

大阪城に使われた、小豆島の残石で作られたものと説明書きがあります。

この地下街は2層で繋がっており、更にビルの間ではディアモール大阪が交錯しています。

梅田ダンジョンの中でも最難関と言って良いと思います。

石垣は地下2階と覚えておきましょう。

4ビルの地下2階を南に進みます。

地下2階は、飲食店が多いフロアです。

各ビルの間は、地下の渡廊下のような形状で繋がれています。

ちょうどこのあたりだったと思いますが、「梅田壱番湯」という小さな銭湯がありました。

調べてみると、懐かしんでいる人も多く、1990年代の前半に廃業したようです。

私が予備校の時に行ったことは覚えているので1989年には確実にありました。

もう一度くらい行っておけば良かったと、やや悔いが残ります。

3ビルの地下2階は、特に飲食街が多い感じがします。

人気店も多く、ハンバーグの「ぶどう亭」、うどんの「うどん棒」は常に行列。

3ビルから2ビル間には、ディアモール大阪と交錯している景色が見れます。

地下2階で行き来できるのですが、地下1階からは見下ろせるようになっています。

西に繋がる2ビルは、地下にも関わらず、吹き抜けを備えています。

かなり贅沢な空間になっているのです。

3ビルの地下1階に戻ってきました。

シャッターに張り紙がしてあるのが「めん次郎」です。

元は4ビルの地下1階にあったのですが、ここに移転したのを知ったのは2019年でした。

一緒に働いていたお母様が(お母様とは知らなかったのですが)体調をくずされ、現在休業中とありました。

お客さんからの寄せ書きも貼られていたので、私も少しコメントしてきました。

こちらのうどんは本当に美味しいので、お母様の回復と、営業再会を心からお祈りします。

地上に上がると、正面に見えるのが、最北の4ビル、南に3ビルです。

ちょうどこの下に「梅田壱番湯」があったことになります。

振り返って西を見ると、1ビルの向かいにある大阪マルビルの解体が始まっていました。

1976年の完成なので、1970年頃の大阪を象徴する高層ビルだけに、正直寂しいものです。

同窓会でも、会場としてずっと使ってきましたが、これだけユニークな高層ビルはどこにもないと思うからです。返す返すも残念。

1970年から1981年にせかせかと建った大阪駅前ビルと、地下街の美味しい飲食店。これぞ大阪だとおもいます。

梅田ダンジョン最難関エリアにどうぞ遊びに来て下さい。

■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

10月27日『houzz』の特集記事
「滋賀の家」掲載

10月11日『homify』の特集記事
「白馬の山小屋<リノベーション>」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

メディア掲載情報

まだまだ知らない大阪・梅田‐2039‐

■■■プールのある「ささき整形外科 デイケアセンター」8月1日オープン ■■■

8月も今日で終わり。

昭和世代なら、夏休みの宿題に追われている光景を思い出す日でもあります。

しかし最近は夏休みの終わりが早く、高校生の娘は8月25日に2学期が始まりました。

私立だけなのかなと思って聞いてみると、公立もすでに始業しているそう。週休2日なら、そのくらいしないと勉強が追い付かないかもしれません。

この暑さはかわいそうではありますが。

今日でこの日記も2039回目になりますが、最も読んで貰っているのが以下の記事です。

2005年の10月に書いた「阪急梅田駅の歴史」

ムービングウォークの南にある広いコンコースが、初代阪急梅田駅だったことを書きました。

その南端にあった通称・レトロドームは、旧駅の待合室。

平安神宮や築地本願寺などを手がけた建築家・伊東忠太によるものですが、現在は阪急百貨店内のレストランに移築されてます。

中学から予備校まで7年通った通学路で、愛着もひとしおだったのです。

クライアントとショールームを回る際、このような話をすると、喜んでくれる人が結構います。

梅田のことは大概知っているつもりでしたが、6月放送の『ブラタモリ』は流石の密度でした。

「大阪・梅田〜カオスな梅田はどう生まれた?〜」

ダンジョンと言われる地下街。

南北は北新地から阪急三番街、東西は泉の広場から西梅田。

こちらは庭のようなものですが、大阪駅の高低差については全く知りませんでした。

地下鉄東梅田駅から地上に出て、大阪駅のある北へ歩きます。

大阪駅へは、地下鉄3路線、阪神電車、阪急電車でアクセスできます。

大阪駅の南東角にある、御堂筋南口の前に地下鉄梅田駅から上がってくる階段があります。

これが、上がって来たにも関わらず、いきなり3段下るのです。

変だなとは思っていたのですが……

中央口、桜橋口へと西に向う通路はこの通り。

1階なのにこの高低差です。

南にある大丸梅田店へのアプローチもこの通り。

東梅田から大阪駅に向かう時、出張で大きなキャリアーを持っている時は、この通路は使いません。

大阪駅は、明治時代に鉄道が引かれるまで、湿地帯で何もないところでした。

機関車は火の粉をまき散らすので忌み嫌われ、当時の中心地だった中之島から遠く離れた梅田に新駅が建設されたのです。

梅田は埋田の当て字ということは良く知られています。

しかし、駅建設によって一気に街は発展。多くの建物が建設されました。大量の地下水をくみ上げたことで、激しい地盤地下を起こしたのです。

その痕跡が、この高低差。

大阪に生まれて53年、もう感動に近いものがありました。

それで、コツコツと写真を撮りためるのに、3ヵ月近く掛かったのですが。

番組内で、地盤沈下の様子が良く分かる場所が紹介されていたので、見に行ってきました。

入場券140円を買って駅構内へ。

3番線・4番線ホームを上がります。

宝塚線、神戸線の西行きのホームですが、反対の東向きへ歩きます。

東は阪急百貨店側。

ありました。

1本北にある5番線ホームの東端です。

右から左へ下がるように、旧ホーム跡が見えています。

これだけ分かりやすく地盤沈下を目視できるところが、大阪駅にあったとは……

ただの熱烈な『ブラタモリ』ファンになっていますが、私はお出掛けが大好物です。

この夏は、我ながら本当に良く働きました。

どこかへ出掛けたい願望がもうマックスなのです。

■■■4月6日 『かんさい情報ネットten.』 浅越ゴエさんのコーナー に出演

■ 『ESSE-online』にコラム連載

10月11日「テレワーク時代の間取り」
9月18日「冷蔵庫の位置」

■11月28日『homify』の特集記事に「回遊できる家<リノベーション>」掲載
■11月17日『homify』の特集記事に「下町のコンクリートCUBE」掲載

メディア掲載情報

開催か、延期か‐1931‐

2004年、アテネオリンピックの年から、中学・高校の同窓会の世話役をしています。

お盆期間に、その世話役会がありました。

会場へ向かうために梅田の地下街を歩いていると、沢山のヒマワリが飾られています。

「よく出来ているなぁ」と通り過ぎようとすると、水やりをしている人がいます。

聞くと本物だそう。

宣言の無いお盆。

第7波のピーク。

2つの基準が皆を悩ませました。

商業施設側も、本当に難しいところでしょう。

BIG MAN前を通ってみると、やや少な目な感じ。

そのまま紀伊国屋書店の西を抜けて、北向き地蔵のある地藏横丁へ。

こちらの通りは人出もまばらでした。

阪急梅田駅の西側をさらに北へ歩きます。

DDハウス までやってきました。

会場は感染対策がしっかりなされている、DDハウス横のがんこ梅田本店です。

5人の世話役と、1人の同級生が集まったのですが、議題は2020年の年末から延期している同窓会開催の可否です。

開催日時をオリンピックイヤーの12月30日と決めたのは、誰もが覚えやすいからです。

しかし、2020年の東京オリンピックは2021年に延期。状況は微妙で、2021年末も延期としました。

この年末の開催も視野に入れていましたが、最終的にはパリオリンピックの2024年末まで延期することにしました。

新型とはもう思えないコロナですが、感染者数は過去最多。

しかし、高齢者以外は重症化のリスクもそこまで高くないとも言われます。それでも3、4ヵ月毎に波がやってきます。

しっかり対策をし、少人数での会食はよいと思いますが、パブリックな会は、もう少し機運が高まってからにしようという結論になりました。

1次会終わりで、北新地まで歩いてきました。

21時頃でしたが、人出の少なさはこちらのほうが顕著。

北新地のはずれにある、大学時代の同級生の店に、久し振りにやってきました。

先客も4人あり、同級生のマスターも絶口調で、まずは一安心。

ひとしきり話した後、ラーメンでも食べて帰るかと新御堂筋まで出ました。

しかし営業している店は全く無し。ここまで夜の街が変わっていることを目の当たりにし、かなり衝撃を受けました。

がんこ梅田本店もほぼ貸し切り状態でした。

「マスクイケメン」とか「マスク美人」なることばも生まれています。

会計をしてくれたのは、女将さん的なマスク美人。(マスク無しでも美しいのだと思いますが)

「こんなにお客さんが少ないお盆は……」という言葉と、生え際に見える白いものに、疲弊と悲哀を感じたのです。

本当に延期で良かったのか……

感染症研究者でも政治家でもない私に答えはありません。

ただ、年末数カ月前に結論を出すなら「否」としか言えない消去法です。

2年半前は、蓼科へスキーに行きました。

コロナを気にせずに出掛けた、最後の家族旅行だったと思います。

今から2半後、どんな世の中になっているのでしょう。

マスクなしで話し、笑える世の中になると信じて、もう少し我慢します。

■■5月13日『住まいの設計6月号』「おいでよ House」掲載

■6月16日 『ESSE-online』「おいでよ House」掲載

■ 『ESSE-online』にコラム連載

6月18日「シンボルツリー」
6月5日「擁壁のある土地」
4月11日「リビング学習」
2月27日「照明計画」
2月14日「屋根裏部屋」
2月1日「アウトドアリビング」
1月4日「土間収納」
12月6日「キッチン・パントリー」

■■1月6日『Best of Houzz 2022』「中庭のある無垢な珪藻土の家」が受賞

■6月11日『homify』の特集記事に「R Grey」掲載
■1月8日『homify』の特集記事に「光庭の家」掲載
■1月7日『homify』の特集記事に「白馬の山小屋」掲載

メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記
『 建築家・守谷昌紀TV』