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目指せニュータイプ‐1516‐

 1991年~1993年、冬は北海道のかもい岳スキー場で過ごしました。

 空知地方の歌志内市にあり、以前は炭鉱で栄えた街ですが、当時は観光に力を入れていました。

 ジュニアのアルペンスキーでは有名なスキー場で、オリンピック選手も輩出しています。

 それもあって、大学のスキー部も何校かが合宿を張っていました。大学時代の冬は、ほぼここでの思い出しかありません。

 あの、のんびりとした温泉宿は大丈夫なんだろうか……

 被災された皆様へ、心からお見舞い申し上げます。

 9月はプレゼンテーションが続きます。

 出掛ける時間がなく、話題はどうしてもインドアに。秋の夜長に「機動戦士ガンダム THE ORIGIN 」を観ました。

 子供とファーストガンダムを観て、やっぱり面白いねとなり、他にないか探して貰ったのです。

 ファーストガンダムの放送は1979年で小学3年生の時。

 ど真ん中世代には、画がビビッドすぎる感もありますが、「THE ORIGIN 」はそれらがはじまる前の物語です。

 ガンダムの魅力は、大筋に絡むヒューマンストーリー、繊細に設定されたキャラクター、モビルスーツの格好よさでしょうか。

 中でもやはり「シャア」は別格。

 そのクールな格好良さに、今でもしびれます。

 「シャア専用ザク」、略して「シャアザク」は私の世代なら、普通に通じる言葉です。

 「赤い彗星」のニックネーム通り、他のモビルスーツの3倍の速さで動き、次々と敵を撃破します。

 人口が増えすぎた地球はエリートだけが残り、宇宙への移民を推し進めます。

 遠く離れたスペースコロニーに住むジオン・ダイクンは、宇宙に捨てられた人類の中から厳しい環境に適応した「ニュータイプ」という優れた資質を持つ者が現れると予言しました。

 側近だったデギン・ザビはジオン・ダイクンを謀殺。その思想を利用し「ジオン公国」として独立。地球連邦軍と戦うというのが大筋です。

 優れた種である自分達が、全世界を治めるという大義は、ヒトラーを彷彿させますが、ジオン軍の制服が第二次世界大戦時のドイツ軍に似ているのは偶然ではないそうです。

 シャアはジオン・ダイクンの息子で、復習の機会をうかがうために素性を隠し、ジオン軍のパイロットとして戦争に参加。

 驚くべき戦果が、ニュータイプとしての適性を示しているとされます。

 その戦いに、連邦軍側のパイロットとして16歳のアムロ・レイも参加します。

 ガンダムを操るうちに、ニュータイプとしてシャアを凌ぐほどの成長をとげ、戦争を終焉に導いて行くのです。

 あくまで架空の世界の話ですが、ニュータイプとは、予知能力、認知能力が飛躍的に向上した人を指すようです。

 関西もまだまだ天災の爪痕が残ります。

 現在一緒に仕事をしている建築会社の監督達も、まさに寝る間を惜しんで走り回っています。

 人の弱みにつけこんで、高値をふっかけてくる業者も居るのでしょうが、私の知る建築会社は全く逆だと感じます。

 「被災された人達の中から、危険度、必要度の高いところから、順に回っているんですが、何せ時間と業者が足りなくて」と。

  そんな中で、私が最も信頼している監督の言った言葉が耳に残ります。

 「どれだけ一生懸命させて頂いても、何か一箇所でも思うようになっていなければ、怒られる方もいるんですよね」

 お代を頂くのに、適当でいいという方は居ません。

 大量生産社会になり、出来上がったものを自分の目でみて、またはwebサイトと評判で確認して、物を買う時代になりました。

 建築も多くの物が工場生産化され、カタログやショールームで確認できるようになりましたが、熟練の職人が長い時間を掛けて作り上げるものも多々あります。

 それでも、どちらに責任があるかと言えばプロ側なのです。

 子供の頃、いや今も、特殊な能力を持つ、痩身で格好のよいヒーローに憧れます。

 スーパーマン、スパイダーマン、アムロ……

 その能力は、生まれ持っていたり、偶然の出来事で手に入れたりが殆どです。

 生まれ持っての能力もあるでしょうが、現実はその程度のもので、抜きんでたり、求められたりすることはほぼありません。

 日々の研鑽以外に成長の方法はないのです。

 この事を、何とか若者に、せめて自分の子供に伝えられればといつも思います。

 それには、自分が結果を出し続けるしかないのですが。

 アニメや映画の世界のように、一目で「あの人は全く違う」と思って貰えるレベルに到達できれば良いのですが、それはかなり難しいでしょう。

 私がいきなり、シャアのような容姿に変わることはありませんから。

 それでも諦めてはいません。仕事上でなら、ニュータイプとなることも不可能ではないと思っているのです。

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メディア掲載情報

◇一級建築士事務所 アトリエ m◇
建築家 守谷昌紀のゲツモク日記
アトリエmの現場日記<&lt;/a&lta</

こっそり見て、さっさと忘れる

 「機動戦士ガンダム」が始まったのは私が小学3年の時。1979年のことです。夕方の放送に急ぎました。

 ♪燃え上がれ~ 燃え上がれ~ 燃え上がれガンダム~♪

 オープニングの音楽は、すぐ耳に蘇ってきます。特別のファンだった訳ではありませんが、子供達はみな敏感に反応していたと思います。

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そのメカデザインをしたのが大河原邦男。「超大河原邦男展」に行ってきました。

 1947年生れ65歳。

 東京造形大卒業後、大手アパレルメーカーを経て1972年タツノコプロ入社。

 「科学忍者隊ガッチャマン」で初めてメカのデザインを担当し、以後メカデザイン専門に。「タイムボカンシリーズ ヤッターマン」(1977年)他。フリーになってからメカデザインを担当したのが「機動戦士ガンダム」です。

 会場は兵庫県立美術館。安藤忠雄の設計です。

 エントランスの打ち放しの壁に、大きく描かれたザク。この2月、新聞でのインタビューにこんな話が載っていました。

 主人公、アムロ・レイが操縦するモビルスーツが「ガンダム」です。これは模型にして発売するため、スポンサーの玩具メーカーの意向に沿ったデザインにする必要があった。

 しかし、敵メカの「ザク」はその予定がなかったので、自由にデザイン出来た。また、そのデザインは、前職のアパレルメーカーの研修中に、背広のデザインばかり描き続けていたからこそ出てきたデザインだった。

 ガンダムなど、地球連邦軍のメカは第二次世界大戦のアメリカ軍を、一方ザクなど敵役のジオン軍はドイツ軍をイメージしてデザインしており、いずれも、監督の富野由悠季の要求に応じながら描いたもの。

 更にメカデザインを追求していった結果生れたのが「装甲騎兵ボトムズ」(1983年)のスコープドッグ。

 こちらは鉄鋼アーティスト・倉田光吾郎が1/1スケールの実物?を制作、展示されています。

 また映画「機動戦士ガンダムⅡ 哀・戦士編」のポスター原画は、感激しました。

 何に感動したかと言うと「本当に人の手で描かれているんだ」という事なのだと思います。

 後にガンダムは伝説的アニメとなるのですが、放送する側の期待通りではなかったようです。

 視聴率の低さゆえ、放送期間は予定より短縮。このあたりの時間的誤差は興味深いものがあります。

 また、当事者(ターゲット)とも言える私達は何を思っていたのか。

 正確には覚えていませんが、それまでに観たアニメとは違うものを感じていました。 子供向けアニメには有り得なかった、狂気のようなものが描かれていたり、戦争によって生まれた孤児や、大人の恋愛感情に至るまでが正確?に描かれていました。

 良い意味でも、悪い意味でも「観る相手が子供だから」という部分は希薄でした。これはのちに、総監督の富野由悠季氏のインタビューを見て瓦解しました。

 「アニメや漫画は、子供が親に隠れてこっそり見るものであり、大人になればアニメはさっさと忘れなさい」

 私が描いていたアニメ監督とは、似ても似つかぬ人物像でした。創った本人はさっさと忘れなさいと言うが、ドム、ズゴック、グフと名前が出てくる私達はどうすれば良いのか。

 受験勉強をしているような顔し、色々な本を読みました。また、家族揃って恋愛映画を観るのはあまり健全とは言えません。

 こっそり見るものが大切なのは間違いなさそうです。